エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#自信はあっても空威張 #権力の乱用と私物化 「#難しそうな○○」

2013-04-26 04:38:56 | エリクソンの発達臨床心理

 前回は、大人の日常生活を礼拝にすることは「次の世代を生み出す」要素を,日常生活を礼拝にすることに付け加えることが示されましたね。エリクソンが言う大人は、したがって、次世代の人々を価値あるものと元気づける存在だと言えます。しかし、まず大人になるためには、次世代の人を価値あるものと認め、元気づける前に、初めに,自分自身が価値あるものと認められ、元気になっていなくてはならないこともはっきりしましたね。ですから、「自分を大事にするように、あなたの隣人を大事にするはずです(大事にしなさい)」なのでしょう。
 今回は、前回翻訳し残した部分の翻訳です。すなわち、Toys and Reasons のRitualization in Everyday Lifeから、成人期の第1段落後半の翻訳です。p.111,下から10行目途中から。

 今日から,ritualizmは,「儀式主義」のいう従来訳は止めにして,「日常生活を形ばかりの礼拝にすること」とします。最近,再び,実に鮮やかに,その「日常生活を形ばかりの礼拝にすること」に参加することが許されたからです。日常生活を礼拝にすること」は,いつでも,どこでも,命の再生元気を取り戻すチャンスになるものですが,「日常生活を形ばかりの礼拝にすること」では,命はないので,逆に,命を殺がれ元気を無くすチャンスになります。

 







今や女性たちが私どもに世の中に対する新しいイメージを見せてくれる時代ですし、家父長的な権威が多くの綻びに苦戦しているときに、逆戻りできないほどはっきりしてきたことは、男性優位が,いかに,礼拝の中で大事とみなされる権威に依存してきたか、ということです。すべての権威に含まれる重い責任という観点から見れば、次世代を生み出す,大人の日常生活を礼拝にすることに対応する、特別な「日常生活を形ばかりの礼拝にすること」は、自信はあっても、空威張り,と相場が決まっています。お好みなら、「権力の乱用と私物化」と呼んでもいいです。しかし、ここで私どもは、すでに記した,日常生活を礼拝にする際の大人たちの役割と,実際の儀式の問題に至ります。この話題には触れますが、ここでは扱いません。





 短いですが、成人期の第1段落の後半の翻訳は完了です。
 次世代を生み出す,大人の日常生活を礼拝にする際には,次世代の人を繰り返し肯定し、元気にする役割を担います。

 「自信はあっても、空威張り」ではその逆の存在です。そのような「自信はあっても、空威張り」の人は、エバっていても、子どもたちや市民たちを否定し、「君には価値はない」と態度で示すような尊大な人と言えるでしょう。子どもや市民たちを前では「難しい言葉」を使って、「難しい顔」をして、「難しいお話」をしてはいても,肝心な話は「非公開」「黒塗り」にする輩です。アベ詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちを想像すれば,分かりやすいでしょ。
 

コメント
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