エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

遊びの中で出す子どもの問い:「どこまでやっていいの?」、「どうすると、悪い子って言われるかな?」

2013-04-09 04:56:58 | エリクソンの発達臨床心理
 前回は、子どもが幼児後期、だいたい、年中さんか年長さんくらいの保育園児・幼稚園児の年齢ですね、そのころになると、赤ちゃんの時以来、お母さんらと「共に見る」ことを繰り返してきましたが(ジョイント・アテンション[共同注視][赤ちゃんがお母さんと同じものを「共に見る」こと]やら)、そこから一歩前進して、「共に意味付ける」ことをやりだす訳です。ですから、これ以降の子どもは(大人もですが)、遊びの中で「共に意味付ける」「共に意味を見つけ出す」ことをたくさんしますね。
 今日は、その幼児後期の部分の第3段落です。翻訳です。





 遊びの舞台そのものに関して言えば、たくさんの組体遊びにおいて、私どもが何を、自発性という心理社会的課題として定式化するようになったのか、が分かります。遊ぶ時期になると、その子どもは小さな現実を手に入れて、その中でおもちゃを使って、昔の経験を生きなおしたり、修正したり、作り直したりしますし、かつまた、未来の役割や出来事を自発的に繰り返し繰り返し先取りします。この自発的で繰り返しがあることが、創造的な儀式化を特徴づけるのです。しかし、この時期の遊びのテーマは、自分が勝つイメージを横取りして熱心に装い、さらには、弱くて悪い「よその人」をやっつける、というパターンだと分かることが多いです。そして、心の中で折り合いがつかないでいる主なもので、子どもの遊びの中で、表現され、悪くなり、解決されるもの、それを名付けるとすれば、「悪い子という感じ」です。このようにして、遊んでいる子どもは、おもちゃの場面を始めると、「どこまでやっていいのかな?」、「どうすると、悪い子って言われるのかな?」という問いを、遊びの中で出していると分かる場合がとても多いのです。





 これで、幼児後期の部分の第3段落の翻訳は終了です。筋立てが儀式化の要素なので、エリクソンは意識して演劇の用語を多用しているのですが、それを翻訳の中に十分に反映することは、必ずしもできておりません。あしからず。
 年中さんや年長さんの子ども、特に男の子の遊びを想像すれば、エリクソンが言っていることがよく分かるのではないでしょうか? 仮面ライダーごっこや○○レンジャーごっこなどです。自分たちは正義の味方になって、「敵」をやっつける遊びをよくも飽きずに繰り返しますでしょう。その遊びのことを、エリクソンはここで話題にしています。
 しかし、その遊びにここまで深い意味があることに私どもはなかなか気づかないことにも、すぐ気付かれたのではないでしょうか? 今回翻訳した部分からも、子どもの遊びがいかに奥深いものなのか、が分かるだろうと思います。大人の眼から見れば、ふつう、「早く勉強してくれればいいのに、いつまで遊んでいるんだろう」と思いがちな遊びの中に、「昔の経験を生きなおしたり、修正したり、作り直したり」している事実や、「未来の役割や出来事を自発的に繰り返し繰り返し先取り」している事実を見出すことができるでしょうか?
 実際に子どもの遊びに、じっくり付き合いますと、このエリクソンが言っていることが、真実であることに、驚きますよ。「なんて遊びは奥深いんだろう!」、「遊びって、不思議だな~」と自ずと感じます。
 「エリクソンの小部屋」を読んでくださっている皆様、そういう心の眼をもって、子どもの遊びを見直してください。そうすれば、ここでエリクソンが教えてくれていることが、「ホントのこと」であることに気付いて、「生きててよかった」と感じること、請け合いなんですけどね。
 今日はここまで。
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