朝に夕にだいぶ涼しくなってきた。
昼間もジメジメしたところも無くカラッとしている。
夏祭りが終わり、いきなり秋になったようだ。
8月のあたまから色々な事があり<仕事の悩み(これは誰でもある)、親の事など>などさまざまな事がイッキに押し寄せていた。
そんな中、いつもは夏祭りの総括のケイのオヤジが、親の初盆で忙しいようで
「ケン!今回は夏祭りの総括をやれ!全責任者としてお前に任せる」
と言うのである。
8月21日(金)は沖縄・奥武島から8名の島ちゅうとジロー、ヒトミさんが来て歓迎会。
夜の10時には公民館へ移動して、それから2組に分かれて夜の町へ。
それはグッチとセイのオヤジに任せ、残った方々と公民館で飲んでいた。
しかし明日は朝から夏祭りの準備と本番なのだ。
「明日本番なので今日はこれで失礼します。明日は徹底的に飲みましょう」
と言ってノボルのオヤジと公民館を後にしたのが朝方の2時頃だったろう。
翌日は朝6時に公民館に集合し機材の運び出し。
私は沖縄・奥武島の人たちとジローちゃんの実家へ行った。
ビールを飲みながらランナーさんやノリさん、ヤスさん、ハルーさんたちと話が弾んだ。
セイのオヤジはこちらでは「ホワイト・スネーク」と呼ばれている、と言う話をしていたら、ランナーさんが沖縄では
「それは白ハブだな」
というので
「毒なし白ハブ」
とあだ名がついてしまった。
「ハブの天敵はマングース」
という事で、グッチのあだ名は
「マーグッチ」
という事になってしまった。
缶ビールを数本飲んで現場に帰ろうとしたが、ジローちゃんが朝飯を食っていけというのでお相伴にあずかった。
話は尽きないのだが、携帯に現場のグッチから連絡が来た。
「ケンちゃんどこに居るとな、早よ来んな」
沖縄・奥武島の皆様は今からヒトミさんの実家へ104歳になるおばあさまに会って長寿の恩恵を受けるそうだ。
舞台の設営やテントの設営、音響のセットなどで午前中にはある程度まで進んだ。
今回は住民会の方々や子供会の方々の応援も多く、スムーズに設営が進んだ。
午後からいったん家に帰り、それまで状況をblogに上げ、シャワーを浴びて着替えてすぐに現場に帰った。
総括として、また沖縄・奥武島からの人たちのお世話をしなければならないので、音響の説明をツネのオヤジとノボルのオヤジにしたのだ。
ひと段落して椅子に座っているとオヤジたちが良く行くスナックのママが夏祭りに
差し入れを持って来てくれた。
それでママに
「今夜11時くらいから15名ばかり行くけど、良いね?安くして?」
と言ったら頷いていた。
そうこうしているとジローの奥さんのヒトミさんのところに行っていた沖縄組が帰って来たのだ。
さっそく音合わせを行う。
今回持ってこられたのは、直接サンシンからラインでアンプに入れられるモノだった。
おまけに二つのサンシンのうち一つは6シンだった。
気を使っていただいたようで、ありがたいと思った。
そしてエイサーを踊るシンヤさんとマーちゃんが準備を始めた。
「本当はエイサー用の服があるけど、今回は簡易服」
だそうだ。
そして頭には紫の帯を巻く。
準備が終わり記念写真を撮った。
またチョンダラーのランナーさんは頭に網の袋をかぶり、近くにいた子供達を笑わせている。
そして2009年夏祭りが始まった。
島歌のときチョンダラーのランナーさんが
「ケンちゃん、これを叩いて舞台の上まで行こう、後をついてくる」
と言うのである。
パーランクーで使った手太鼓を持ってサンシンの音にあわせて手太鼓を叩きながら舞台まで上がった。
ランナーさん舞台の上で道化ていた、それも狂ったように・・・。
周りから笑い声が聞こえる。
これも良い思い出になった。
そして盆踊りのうちわ抽選である。
後で聞いた話では300本用意したのだが足らずに60本追加し、うちわがすべて無くなったと言う。
と言う事は400から500人、いやいやもっとと言う人までいたのだ。
いずれにしても昨年いや例年よりはるかに多い事は明らかだった。
副会長のノボルのオヤジの閉会宣言が終わると、自然と涙が流れてしまった。
終わったという開放感と、ひょっとするとこれが最後の打越町の夏祭りになるのかという思いがこみ上げて来たのだ。
沖縄の人たちと公民館に移動しての住民との交流会、皆ハイテンションだった。
気がついたらえらく腹がへっている。
そういえば昼のマカナイも夜のバザーも何も食っていなかった。
何人かの人が「ハイ」と言って生ビールを置いていってくれただけなのだ。
隣に座ったシンヤさんも腹がへっていると言う。
キヨコを読んでカレーを数杯盛ってもらうと、数人の人がキヨコからもらって食っていた。
ヒトミさんの弟さんを紹介された。
ヒトミさんに似て誠実そうで真面目そうな方だった。
「blog見てますよ。もっとインテリな感じの人かと思いました」
と言われ、なんとも恥ずかしいやらなんやら。
沖縄・奥武島の皆様も町内役員や老人会、子供会の応援してくれた人たちと積極的に交流しているようだ。
夜11時になり宴はお開きになった。
沖縄・奥武島の人たちはここ公民館に布団をひいて寝てもらう事になっているのだ。
タクシーを3台呼んでスナックへ。
後はヤスさんとノリさんの島歌で夜は更けて行く。
ママが
「3時までよ!」
と言うが、結局3時半だったのだ。
再びタクシーで公民館へ、家に帰って眠りに着いたのは4時頃だった。
結局、この二日間付き合ったのはノボルのオヤジと私だけ・・・。
翌日は8時半から撤去作業。
これまた大勢の人で撤去するので一時間ほどで現場は終了。
ただ公民館の倉庫に整理しながら収めるのでそこで時間がかかってしまった。
ジローちゃんからは10時過ぎに準備が出来た連絡が入り、ノボルのオヤジと、グッチと阿蘇観光に出かけた。
熊本ICの近くのコンビにで最後のお別れ。
ランナーさんがお別れの杯ならず、缶ビールをくれた。
ノボルのオヤジに目をやると、飲めと言っている。
後の運転があるのだ。
あけてランナーさんと乾杯。
そして、ヤスさん、ノリさん、マーちゃん、キーちゃん、ノーリーさん、シンヤさん、ジローちゃんと硬く熱い握手をしたのだ。
今回の夏祭りに準備段階から参加していただいたすべての皆様と、祭に参加していただいたすべての皆様。
そしてはるばる遠い沖縄・奥武島より素晴らしい演舞、演奏をして頂いた8名の方々、本当にありがとうございました。
終わって4,5日経つが、夏祭りと沖縄・奥武島の人たちとの交流会が終わり、祭り後の空しさなのか脱力感と言うのか、blogを書く気にもなれないのだ。
しばらくは気力が戻るまで書けないかも知れない・・・・。
昼間もジメジメしたところも無くカラッとしている。
夏祭りが終わり、いきなり秋になったようだ。
8月のあたまから色々な事があり<仕事の悩み(これは誰でもある)、親の事など>などさまざまな事がイッキに押し寄せていた。
そんな中、いつもは夏祭りの総括のケイのオヤジが、親の初盆で忙しいようで
「ケン!今回は夏祭りの総括をやれ!全責任者としてお前に任せる」
と言うのである。
8月21日(金)は沖縄・奥武島から8名の島ちゅうとジロー、ヒトミさんが来て歓迎会。
夜の10時には公民館へ移動して、それから2組に分かれて夜の町へ。
それはグッチとセイのオヤジに任せ、残った方々と公民館で飲んでいた。
しかし明日は朝から夏祭りの準備と本番なのだ。
「明日本番なので今日はこれで失礼します。明日は徹底的に飲みましょう」
と言ってノボルのオヤジと公民館を後にしたのが朝方の2時頃だったろう。
翌日は朝6時に公民館に集合し機材の運び出し。
私は沖縄・奥武島の人たちとジローちゃんの実家へ行った。
ビールを飲みながらランナーさんやノリさん、ヤスさん、ハルーさんたちと話が弾んだ。
セイのオヤジはこちらでは「ホワイト・スネーク」と呼ばれている、と言う話をしていたら、ランナーさんが沖縄では
「それは白ハブだな」
というので
「毒なし白ハブ」
とあだ名がついてしまった。
「ハブの天敵はマングース」
という事で、グッチのあだ名は
「マーグッチ」
という事になってしまった。
缶ビールを数本飲んで現場に帰ろうとしたが、ジローちゃんが朝飯を食っていけというのでお相伴にあずかった。
話は尽きないのだが、携帯に現場のグッチから連絡が来た。
「ケンちゃんどこに居るとな、早よ来んな」
沖縄・奥武島の皆様は今からヒトミさんの実家へ104歳になるおばあさまに会って長寿の恩恵を受けるそうだ。
舞台の設営やテントの設営、音響のセットなどで午前中にはある程度まで進んだ。
今回は住民会の方々や子供会の方々の応援も多く、スムーズに設営が進んだ。
午後からいったん家に帰り、それまで状況をblogに上げ、シャワーを浴びて着替えてすぐに現場に帰った。
総括として、また沖縄・奥武島からの人たちのお世話をしなければならないので、音響の説明をツネのオヤジとノボルのオヤジにしたのだ。
ひと段落して椅子に座っているとオヤジたちが良く行くスナックのママが夏祭りに
差し入れを持って来てくれた。
それでママに
「今夜11時くらいから15名ばかり行くけど、良いね?安くして?」
と言ったら頷いていた。
そうこうしているとジローの奥さんのヒトミさんのところに行っていた沖縄組が帰って来たのだ。
さっそく音合わせを行う。
今回持ってこられたのは、直接サンシンからラインでアンプに入れられるモノだった。
おまけに二つのサンシンのうち一つは6シンだった。
気を使っていただいたようで、ありがたいと思った。
そしてエイサーを踊るシンヤさんとマーちゃんが準備を始めた。
「本当はエイサー用の服があるけど、今回は簡易服」
だそうだ。
そして頭には紫の帯を巻く。
準備が終わり記念写真を撮った。
またチョンダラーのランナーさんは頭に網の袋をかぶり、近くにいた子供達を笑わせている。
そして2009年夏祭りが始まった。
島歌のときチョンダラーのランナーさんが
「ケンちゃん、これを叩いて舞台の上まで行こう、後をついてくる」
と言うのである。
パーランクーで使った手太鼓を持ってサンシンの音にあわせて手太鼓を叩きながら舞台まで上がった。
ランナーさん舞台の上で道化ていた、それも狂ったように・・・。
周りから笑い声が聞こえる。
これも良い思い出になった。
そして盆踊りのうちわ抽選である。
後で聞いた話では300本用意したのだが足らずに60本追加し、うちわがすべて無くなったと言う。
と言う事は400から500人、いやいやもっとと言う人までいたのだ。
いずれにしても昨年いや例年よりはるかに多い事は明らかだった。
副会長のノボルのオヤジの閉会宣言が終わると、自然と涙が流れてしまった。
終わったという開放感と、ひょっとするとこれが最後の打越町の夏祭りになるのかという思いがこみ上げて来たのだ。
沖縄の人たちと公民館に移動しての住民との交流会、皆ハイテンションだった。
気がついたらえらく腹がへっている。
そういえば昼のマカナイも夜のバザーも何も食っていなかった。
何人かの人が「ハイ」と言って生ビールを置いていってくれただけなのだ。
隣に座ったシンヤさんも腹がへっていると言う。
キヨコを読んでカレーを数杯盛ってもらうと、数人の人がキヨコからもらって食っていた。
ヒトミさんの弟さんを紹介された。
ヒトミさんに似て誠実そうで真面目そうな方だった。
「blog見てますよ。もっとインテリな感じの人かと思いました」
と言われ、なんとも恥ずかしいやらなんやら。
沖縄・奥武島の皆様も町内役員や老人会、子供会の応援してくれた人たちと積極的に交流しているようだ。
夜11時になり宴はお開きになった。
沖縄・奥武島の人たちはここ公民館に布団をひいて寝てもらう事になっているのだ。
タクシーを3台呼んでスナックへ。
後はヤスさんとノリさんの島歌で夜は更けて行く。
ママが
「3時までよ!」
と言うが、結局3時半だったのだ。
再びタクシーで公民館へ、家に帰って眠りに着いたのは4時頃だった。
結局、この二日間付き合ったのはノボルのオヤジと私だけ・・・。
翌日は8時半から撤去作業。
これまた大勢の人で撤去するので一時間ほどで現場は終了。
ただ公民館の倉庫に整理しながら収めるのでそこで時間がかかってしまった。
ジローちゃんからは10時過ぎに準備が出来た連絡が入り、ノボルのオヤジと、グッチと阿蘇観光に出かけた。
熊本ICの近くのコンビにで最後のお別れ。
ランナーさんがお別れの杯ならず、缶ビールをくれた。
ノボルのオヤジに目をやると、飲めと言っている。
後の運転があるのだ。
あけてランナーさんと乾杯。
そして、ヤスさん、ノリさん、マーちゃん、キーちゃん、ノーリーさん、シンヤさん、ジローちゃんと硬く熱い握手をしたのだ。
今回の夏祭りに準備段階から参加していただいたすべての皆様と、祭に参加していただいたすべての皆様。
そしてはるばる遠い沖縄・奥武島より素晴らしい演舞、演奏をして頂いた8名の方々、本当にありがとうございました。
終わって4,5日経つが、夏祭りと沖縄・奥武島の人たちとの交流会が終わり、祭り後の空しさなのか脱力感と言うのか、blogを書く気にもなれないのだ。
しばらくは気力が戻るまで書けないかも知れない・・・・。