打越通信

日記ふういろいろ

三十俵二人扶持(さんじっぴょう ににんぶち)

2010-10-17 20:01:10 | 日記ふう



表記は その昔、御徒組(おかちぐみ・旗本 最下級武士)の俸禄である。
これで 妻子・奉公人を一年間扶養しなければならない。
それは つましい暮らしであったそうな・・

今朝方、御船町に住む義父から新米が届いた。
実は、田植え・稲刈りと手伝いに行ったが、
なにせ結婚当時やったきりで、27年のブランクに不安を感じていた。
だが、機械化の進歩は目覚しく隔世の感があった。





これは母からの 毎年の贈り物である。
兄も妹の家も、年間の消費に見合った量を贈ってもらっている。
いつもは頂くだけなのだが、今年は、
(何粒かは僕の手が入っている・・)のである。
少しうれしい。

母からの俸禄を授かるわけなので、
母は、上様(=将軍)であり、
故に 母上様 なのか・・


写真&文 ジロー




鐘馗水仙

2010-10-17 09:24:36 | 季節の花
もう6年になるのか、義父が亡くなったのは10月10日だった。
そして、その頃からわが家の庭に毎年数を増やしながらニョキニョキと出てきてきれいな黄色の花輪咲かすようになった。
最初は彼岸花かなと思ったが、正式には鐘馗水仙 (しょうきずいせん)と云う。
彼岸花より少し遅く咲くそうだ。



この花が咲き出すと亡くなった義父を思い出すようになった。
父は体が大きくて、まったく酒は飲めなかった。
口は悪いが気持ちは優しい人だった。
体ひとつで事業を起こし、そこそこの会社を立ち上げた。
年取って生まれた娘だったので可愛がられて育てられたのだろう、もらいに行く時は、そりゃかなり緊張したものだった。
しかしあっさりと「よろしくお願いします」と言われた。
その後もちょくちょく遊びに来てくれたし、実家の父母とも仲良くしていただいた。



義母はその4年後に時期を同じにして同じ歳で、これまた同じ病で逝ってしまった。
気立ての優しい、気品のある母だった。
母はちょっと早い、彼岸花が咲いてた時期だったけ・・・。