打越通信

日記ふういろいろ

なつかしき我が学び舎

2010-10-28 12:18:23 | 日記ふう
僕の人生最初の学び舎、<第一幼稚園>である。
園児は当時から角帽をかぶり、ボンネットバスでの送迎だった。
洒落ていた。

昔の建物は木造で、一部二階建てであったと記憶している。
その二階建ての<一部>が職員及び園長室だった。
園長は若いときの(石坂浩二)のようなハンサムな人だった。
ただ、少し猫背でやせていた。

ある時、家で「園長が<ケッカク>らしい・・」と耳にはさみ、
<ケッカク>は胸の病気で、近づくと うつることを知った。
昭和35、6年ごろのことであり、当時はそんなに珍しくもなかっただろう。
ただ僕はその時の話を、<ケッカク>の人に近づく時には、
(息を止めなければならない)と、理解した。

朝の体操の時間など(園長)の顔をじっと見た。
病気と聞けば、なんとなく元気がないようにも見えた。

何日か経ったころ、園庭で誰かがケガをした。
女の先生が、そばにいた僕に「園長先生を呼んできて!」と叫んだので、
走って園長室の階段を3,4段上ったろうか、開いたドアの向こうに
(園長)が座っていて、目が合った。
「・・?」と腰を浮かす園長に
僕は立ち止まり、懸命に息をこらえていた。


幼い頃の記憶が、どれほど正確かは知れない。
が、新しくカラフルになった外観を見ても
昔そこにいた自分を思い出し、懐かしさは変わらない。
(・・ここでケンちゃんから「オチをつけんかい」と、携帯で指令が入る・・
酔っているふうではなかったので、素直に応じる。)

最近、よく昔のことを思い出すのは何故、と自問自答。
「トシのせいよ」と 山ノ神。ニベもない・・

写真・文 ジロー




特急有明

2010-10-28 06:49:56 | 日記ふう
肥後大津・光の森・熊本から博多・小倉・門司港を一日15往復する特急有明、九州新幹線が前線開業すればどうなるのだろう。
リレーつばめは廃止になるのはしかたないとしても、いつも満席で博多-熊本間のドル箱路線なのだ。
787系の列車が投入されてもう18年になる。
リレーつばめも787系なので、車体へは「ARIAKE」のマークと、先頭車両に四角い赤の有明のマークが付いている。



月一回の博多までの会議や北九州への出張で、この有明かリレーつばめを良く利用したのものだ。
もし廃止となれば玉名、荒尾、大牟田などは特急列車が無くなることになる。
いつもは博多までしか利用しないのだが、博多からの乗車も多いように思う。
そうなると博多から先の赤間、折尾、黒崎、戸畑の各都市も困るのではないのだろうか。
いくら新幹線の利用が増えたとしても並行運転で十分採算が取れそうな気がするのだが、はたして存続か廃止か、5ヶ月後には決定する。



そして博多駅でのこんな光景もなくなってしまうのだろう。