打越通信

日記ふういろいろ

海上自衛隊艦艇一般公開

2009-08-19 07:18:33 | 写真投稿
西回り自動車道の終点「させぼみなと」を出て、信号停止していると、海上自衛隊艦艇一般公開の看板が見えるではないか。
精霊流しまでにはじゅうぶん時間はあるのでちょっと見学する事に。
左折して受付で住所と名前と人数を書くと、駐車許可証と乗船許可証を人数分くれた。



港の奥に3隻の「あぶくま型護衛艦」。



近くに2隻の「はつゆき型護衛艦」が停泊している。



いずれも佐世保を母港とする護衛艦なのだ。





「はつゆき型護衛艦」の「はるゆき」に乗船させてもらった。



整備された道具類も何のために使うのかサッパリわからない。



対空用なのだろうか「62口径76ミリ速射砲」。



「アスロック装置」対潜水艦用の兵器のようだ。



2隻の船が並行して停留されている。
ちょっと通常と違う世界を見せていただいた。

佐世保の街

2009-08-18 07:14:25 | 日記ふう


佐世保市の中心を走る国道35号線なのだ。
どこで204号線になるのか定かでない。




佐世保市内の玉屋前、三ヵ町の看板が見えるが、ここから先が三ヵ町なのだろう。



そしてここから先が四ヵ町なのだろう。
佐世保の街は、お盆と言う事もあって賑わっていた。





JAZZ'N SASEBO 2009 
佐世保ジャズ。
良い音が鳴っていた。



哀愁のある曲が西のさいはての街に響く。




街の雑貨屋にはこんなものも売ってある。



米軍基地の街、佐世保ならではの風景なのだ。

初盆の食事会

2009-08-17 08:12:52 | 食事
精霊流しが終わって、大人15人と子供5人は佐世保の街へお食事会なのだ。



四ヵ町のアーケイドをてくてくと歩いてたどり着いたのは、ここだった。



和食のお店なのだがやはり魚が旨い。





80歳で亡くなった義母は、遠い昔の17歳の頃、原爆を遠くで浴び原爆手帳を持った人だった。



そんな事を思いながら初盆の日は過ぎて行った。

結局、お食事会が終わったのは9時を大きく過ぎていた。


精霊流し

2009-08-16 13:30:09 | 日記ふう
実家に着いて、墓参りに行った。



盆なので霊は実家にいるのだが、それでも墓参りをするのだ。



山の中のひっそりしたお墓に家族そろってお参りした。



アルバカーキ橋を渡って会場の名切公園(佐世保公園)へ。



米軍の基地にもなっているニミッツパークとも呼ばれている公園だ。



だから公園の大部分は基地施設でもあり米海軍の隊員の家族達の姿が見られる。、



こんな看板がある。



佐世保川の向こうは佐世保の中心街の三ヵ町、四ヵ町、町中からジャズの音が聞こえる。
何かイベントをしているのだろう。



精霊へ思い思いの言葉を書く。



そして6時半、いよいよ精霊流しが始まった。



遠くに爆竹の音が聞こえる。
いかにも長崎らしい。







夜の9時まで続くのだが、親戚一同で佐世保の町中に食事に出た。

・・・続く。



佐世保へ

2009-08-16 09:13:19 | 小旅行
朝10時過ぎに家を出た。
運転は息子にまかせた。
久し振りに家族4人がそろい妻の実家、佐世保に向かった。
植木ICまで渋滞でかなりの時間がかかった。



高速はクルマの量は多いが順調に流れていた。
新しいICが出来ていた。



広川SA近くになっていきなりクルマが多くなり渋滞になった。
渋滞と言っても30~40km位で流れてはいる。
今年の年始の帰省ラッシュで59kmの大渋滞を起こした所なのだ。



広川を過ぎ久留米を過ぎれば片道3車線、鳥栖で九州道から長崎道へ乗り換える。
長崎道に入るがクルマは多い。
昼食のため金立SAへ入るが、駐車場はすでに満杯だった。



当然店内も人であふれ、食事どころではない。



家族各自それぞれに食べ物を買って、外のテラスで食事をする。
ここのサービスエリアはパンが人気なのか、私の昼食はジャガイモコロッケパンだった。



再び長崎道に乗り武雄北方を過ぎ長崎道から西九州自動車道へ入る。



ここまで来るとクルマの数も少なくなる。



終点のさせぼみなと、ETCレーンはクルマの渋滞、一般レーンはガラガラなのだ。

・・・続く。




奥武島からの便り

2009-08-14 09:32:58 | 島からの便り
 
沖縄のジロー様からメールが届いた。

>佐敷の〇〇ホテルから内定が出たよ。
>宴会部門の強化を図るため正社員一名募集に見事内定!
>沖縄の雇用は崩壊状態です。
>奇跡が起きたような気分です。

との内容だった。

沖縄に転勤で行ったが、会社は解散してしまって、どうなる事かと心配していたのだがこれで安心。

夜は我が家で夏祭りの司会をするテラのオヤジとケイコおねえさまと打合をした。
スケジュールに従い進行を確認する。

「南城市奥武島はなんと読むの?」

ケイコおねえさまが聞く。
沖縄のジロー様へ電話を入れる。

「正式には南城市玉城奥武島(なんじょうし たまぐすく おーじま)」

だそうだ。

「おーじま?おうじま?」

と聞くので、また電話を入れる。

「ケンちゃん、あのね、正式にひらがなで書くと、”お”のあとに小さな”ぅ”を書くのよ。」

その通り、ケイコおねえさんに伝えると納得したようだ。
何しろアナウンサーあがりの人なのでそこいらはやっぱりシッカリしているのだ。
そして今度はジロー様から電話がかかって来た。
聞くとサンシン音色と歌声が聞こえる。
丸々一曲分聞かせていただいた。
そして上の写真と”続きは熊本で・・・”のメールが送って来たのだった。

懐かしいレストラン

2009-08-13 07:56:07 | 食事
夜の8時過ぎまで病院で父に付き添った。
母に電話して外で食事して来る旨を伝えた。
と、妻が行ってみたいお店があると言う。
前回、ウロウロしていたときに見つけていたのだ。



一日中病院にいてかなり疲れているし、お腹もペコペコなのだ。



とりあえず生ビールを注文し、メニューの中から私と妻の料理を注文。



ハンバーグセットと魚のプロバンス風。



ずいぶん昔の話なのだが、高校の卒業式のあと、親しくしていた英語の先生が卒業祝いにおごってやると言って、二人だけで来た店がここなのだ。
何を食ったかまでは思い出せない。
その先生、私の卒業と一緒に先生を辞め、カナダに永住すると言っていたっけ。
どうしておられるのだろう・・・。

食事を終わって実家に帰ろうとしたら、海の方で花火が上がっていた。

突然の出来事

2009-08-12 07:48:29 | 日記ふう
先週の8月3日の事。
朝起きて携帯電話を見ると6時前に実家から電話が入っていた。
何かあったな・・・と思い電話をするとお袋が出た。

「昨日、お父さんが転んで骨折して緊急入院した」

との事だった。
妻を起こし、急いで家を出て実家に向かったのだ。

ちょうど10年前、父がまだ現役で働いていた頃だった、帰宅して気分が悪いと救急車で病院に運ばれた。
脳梗塞だった。
一命は取り留めたものの、その後の苦しいリハビリを経て、やっと一般の生活が出来るところまで回復した。
しかしこの頃膝の調子が良くないのだろう、ベッドや椅子から立ち上がる時に痛そうにする。
一度、母からそんな電話をもらい、ちょくちょく様子を見に実家に帰っていたのだ。
そんな矢先の出来事だった。



病院に着き母から病症を聞くと、右大腿骨骨折、との事。
寝たきりにならないためにも早急に手術をして、固定器具で固定する必要があると言う。
その日は手術のための検査に立ち会ったり、入院のための手続きやらで家に帰ってきたのは夜遅くだった。



母ひとりで手術に立ち会わせるわけも行かず、しかし仕事もそんなに空ける訳にはいかないので、8月5日の手術には妻と妹が立ち会った。



その後、妹が泊り込みの看病、土日は母に代わり、私と妻で看病にたった。

母の体重も36㎏まで落ち

「もう限界バイ」

とつぶやいた。

後ろ髪を引かれるように家に帰って来たのだった。

子供がやっと学校を卒業し、手が離れたと思ったのだが、今度は親の介護が待っていた。
私は長男だし一人息子、母が頼るとしたら私しかいないのだ。
父が退院しても介護が必要になるだろう。
仕事を辞め、実家の近くで仕事を見つけるにしても職は無いだろう。
しかし同居して介護してあげなければ、母がつらいだろう・・・。

いずれは、と思っていた現実が、目の前に迫って来てしまったのだ。

格安自動販売機

2009-08-11 12:32:21 | 写真投稿


ついに発見、格安自動販売機なのだ。



確かにサイダー類やコーラ、コーヒーは50円で売っているし、ペットボトルも100円なのだ。



そしてこの自動販売機の目の前のスーパーでも50円で売っていた。



さらに安いのは弁当屋だった。

ホームシアター

2009-08-10 13:10:47 | 写真投稿
ケイのオヤジが電話して来た。

「ドンキーに1万円であったぞ!すぐ買おうかと思ったが、お前に相談してからと思って」

結局、ケイのオヤジと見に行ったのだが、オモチャだったのだ。



ドンキーに行ったついでにマッカラン(スコッチ)と巨大カルパスと大量の柿の種を買ってきた。

そして家電量販店に行きカタログを貰って来た。



ホームシアターといえば5.1CHのスピーカーのセット群、メインスピーカーにウーハー、前に2本、後ろに2本の6本必要になる。
そしてアンプのセット。

そして数週間が過ぎて、また電話がかかって来た。
それで家電屋に行き、現物交渉となる。
オンキョウのセットが14万円を少し超えた



ケイのオヤジ

「この展示品の現物でよかけん!9万円でくれ!」

などと言っている。
しかし結局のところ13万円の価格が出た。

「次に行くぞ!」

と言って2軒目。
なんと同じオンキョーの商品があった。
また同じ事を言っている。




終いには座り込んでの交渉になった。
そしたら、なんと10万円の価格が出たのだった。
新品、配送料、配線、設置すべて含んでの値段なのだ。
ケイのオヤジと顔を見合わせ、ニヤリ!
いやはやこういうモノの買い方もあるのだ。

公民館からの花火

2009-08-09 16:11:22 | 日記ふう
我が打越の酒飲みオヤジ達は7時に公民館に集合したのだ。
前回の竹切り作業終了後、今まで竹に覆われていた熊本城がくっきりと姿を現したのだった。
そこで誰かが
「花火大会の時は、ここは最高によかバイ!」
と言ったのである。

「公民館でビールを飲んで花火を見よう」

そういう話はすぐに決まる。
老人会の会長で、私が町内会に入った時の会長も話に乗って来たのだ。



公民館に行くと習字教室があっていた。



8時までとの事なので、子供たちも参加して花火を楽しむ事になった。



わかりにくいだろうが、左側の三角の建物が熊本城、花火が上がっているところが二の丸広場。
最高のロケーションではないか!



空では遊覧飛行のヘリコプターが花火の周りをグルグルと旋回していた。



その後、しばし飲んで散会したのだった。



熊本のお土産事情

2009-08-08 07:43:06 | 写真投稿
九州道下り線の宮原サービスエリアが新しくなっていた。
近代的な建物になり、中には水車まで置いてある。



八代平野に農業用水が整備されていなかった頃、こういう水車がいたるところにあったという。
この水車のおかげで今の”イ草生産日本一”になったそうだ。

売店に入ってみると、いつものサービスエリアの狭くてごちゃごちゃの売店とは違い、広々とした売り場になっていた。
そこには熊本を代表するお土産が置いてあったのだ。



熊本といえばやはり最初に出てくるのは”馬刺し”だろう。



そして”馬刺しせんべい”なる商品まであるのだ。
”熊本限定”という文字がうたい文句なのか。



そして”からし蓮根”、これも熊本の名物の一つなのだ。



熊本ラーメン、熊本の有名ラーメン店の商品たちなのだ。



これは”朝鮮飴”という熊本の銘菓なのだ。
朝鮮出兵に加藤清正が携帯させたといわれ、そこから”朝鮮飴”と呼ばれたらしい。
あの剣豪、宮本武蔵も食ったという。
ホントの名前は”長生飴”。



そのむかし、京都より伝わり進化を続け今の形になったそうだ。
1.5mmの厚さは「日本一薄い和菓子」と銘打つほど薄いお菓子になったそうだ。



そして懐かしい”焼酎もなか”。



そしてこのサービスエリアの一番人気は、この”黒糖ドーナッツ棒”なのだ。
沖縄の含蜜黒糖を使った地元のフジバンビの人気商品なのだ。

このほかにも、天草サブレや日奈久のちくわ、芦北のデコポンのジュースやゼリーなど、熊本の名産品が沢山置いてある。
熊本の名産品って結構あるもんだ、と思った次第だ。