あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

ふるさとを振り返りながら~その⑤・指宿~

2014-03-02 22:27:12 | Weblog
叔母様の病院を出て、我が故郷指宿へ。

途中、ピンクのれんげ畑が見えて感激。
早い春だ。
どこで写したか、南国の雰囲気でしょ。


親友のE子さんが指宿駅に迎えに来てくれて、お墓参りに行く。
途中で買ったお花がいけてあったお花と同じもので、兄と同じだなあと遺伝かしらと笑ってしまう。ひとつだけ、ちがうピンクの花があったのだけど、菊の花と赤いグラジオラスは同じだった。
「父ちゃん、母ちゃん、来たよ」と掃いて、お花、お線香、そして、バッグに入っていた「児童文芸」「辛夷」次女の起業のパンフレット、長女たちの写真を見てもらう。
ここまでやるかってかんじ?でもね、父や母に報告したいんだ。
魚見岳の見える一等地のお墓だ。
いっぱい話して、家族の分もお参りした。いつも守ってくれているのです。

夜は、友達とお食事会。7人でもうとっても楽しい。
みんなのひと言ひと言に感心する。いいなあと思う。
Yちゃんとは高校卒業以来。
途中、電話で話したことがあったけど…お互いに体型の変化に笑い合う。
渋谷からふるさとに戻ったM子ちゃんが「早く東京に行きたくて高校時代のことは何も覚えていない。飛んでいるの」にY子ちゃんが「30から40歳は飛んでいる」と言ったのが心に残る。
ご主人様を亡くして無我夢中だったという。
ただお義母様と、仲良く暮らしていたんだなと思った。Y子ちゃんの性格がいいのよねえ。今はトラックも運転するよきおばあちゃんです。
高校時代、一緒の音楽部で簡単なオペラをやったのを楽しく話す。
食事会のデザート。
コーヒーぜんざいパフェか、ぜんざいコーヒーパフェだったか…。
Mくんからも電話をもらう。一泊だったから会えなかったけど、お元気そう。なにしろ、指宿のあるところの「長」である。行ってみたいなとも思ったけどね。

みんなとの話は尽きることなく本当に楽しい時間だった。

そして、何よりも親友E子さんの優しさあってのふるさとです。
心からありがとうです。

彼女はすごい読書家。平行して読む。
同じ本を読んだりするのでノートをつけて「○、×、△、花丸」などと特によかったのには感想を書いている。
私の知らない作家がいた。

「あさのあつこ」さんの小説も読んでいた。


最後は、はしょって書いたけど

ふるさとの山に向かひていふことなし ふるさとの山はありがたきかな

2月20日(木)から2月24日(月)のふるさと紀行をひとまず終了です。

菜の花かおる指宿は私のふるさと。

蝶の舞う菜の花畑で遊んだ私の原風景。
暖かい春の陽射しを浴びて、幸せだった。
私のハンドルネームの菜の花。
心の名前です。
もう一度、E子さんの近くの菜の花畑。

菜の花が咲く頃も、母がいて父がいて妹がいて、私がいた。

今、母はいない。父もいない。
淋しい。

でも、ふるさとはいつも温かく私を迎えてくれる。

そして、父も母もご先祖様もいつも守ってくれていると思うのです。

ありがとう、ふるさと指宿。

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ふるさとを振り返りながら~その④・鹿児島へ~

2014-03-02 21:49:35 | Weblog
翌日は、夫にバイバイして、宇土駅から新八代駅へ。そこから新幹線。
鹿児島まであっという間だ。

鹿児島に下りればまたあたたかい。
新幹線が来るようになって鹿児島中央駅はまさしく都会だ。
この駅名を決めるときの仕事に友人がかかわっていたというのがなんとも言えず、愉快だ(よけいなことかな)

結婚のお祝いは何がいい?と職場のMさんに聞いていたら焼酎がいいとのことだったので、駅で手配。
その旨を夫に電話すれば「自分もほしい」と言うので、また戻って買う。送料は同じだものねえ。
それから、やおら、叔母様の病院へ。
母がかつて通ってであろう西田橋を歩く。川は甲突川(こうつきがわ)
そこからの風景だ
昔の西田橋は磯浜の方へ移転している。確か五橋あったかな。
遠くに茶色く見えるのは城山観光ホテル。城山は西郷隆盛の城山だ。

叔母様はちょうどお昼で食事中。私も前日のお料理を持っていっていたので一緒に食べる。
母に似ている叔母様はとても元気だった。
戦争の話、シンガポールの話、Tちゃんが来たときの話などをする。
そして、いつものように、ノートに来たことを記す。

廊下に出れば「あそこが常盤だから…見るのよ」と。
そう、常磐町の生まれだ。武家屋敷だ。
「この方が西郷隆盛のお孫さん」と母は、ともに学んだ学校でのその方のセピア色の写真を見せてくれたことがある。
私も母と常磐町の母の実家にはよく行った。
だいぶ変わったけど、山は変わらないのだ。

叔母様は「N子ちゃん、来てくれてありがとう。あと、何日、何日と待っていたのよ」ととても喜んでくださった。
以前におはがきを出してはいた。

96歳の叔母様から元気をもらいました(*^_^*)

ずっ~と元気でいてほしい。
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ふるさとを振り返りながら~その③・結婚式の巻~

2014-03-02 21:30:00 | Weblog
2月22日(土)はいい天気。

熊本の水前寺公園を前にした出水神社で挙式。
これが出水神社
そして、水前寺公園。
修学旅行で来たのを思い出す。あの頃、こんなビル群はなかったろうな。

三々九度をするTくんとHさんを見て、自分の結婚式を思い出す。
どうやって飲めばいいのかわからなかったなあ…。
いい挙式だった。

それから会場を移して披露宴。
松屋本館。
おかみさんがとてもすてきな方で、もうその方のお話で涙が出そうだった。
「いわゆる、結婚式場ではありません。お二人がお父様、お母様がされたような結婚式をやりたい。温かい披露宴にしたいという意向をくみまして…」
Hさんの妹さんがそこのブライダルプランナーとして働いていらっしゃるとの由…本当に素敵な会場だった。竹の花器に春の花がいけられて、Tくんの「独身を充分楽しみました」というユーモア溢れる温かいメッセージを読めば、また涙が…。

たくさんの友達も来られて、Tくんの話もうまく「Tくん、りっぱになったねえ」と。

お父さんたちの思いも司会者が代読して、ああ、こんなのもいいなあと思った。
相手のHさんの家族の温かさ、ああ、私はとても及ばないと脱帽。
いい人に出会ってよかったねと、とても思った。
息子や次女、長女からのお祝いのレタックスも読まれてよかった。
飲んだお酒。

熊本城マラソンを走ったエピソードも披露される。
Tくんとお母さんであるYお義姉様が一緒に走ったこと。
お義姉様は年代別でトップ。今回も新聞に載ったそう。
なにしろ、トライアスロンを海外にまで行ってやるお義姉様だ。
熊本では有名人だ…いや、走る人は知っているかな。
いつも思う。お義姉様はえらいっと。これまた、私は及ばない…。

Tくん、Hさん、お幸せに。


それから、お義兄様宅で二次会。
またまた、にぎやか。

甥っ子たちから、息子や娘たちの近況を聞かれ「ああ、従兄弟っていいなあ」と思った。

夫の家族は温かい。

ほんとうにいいなあと思うのです。
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