あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

第五福竜丸展示館と「ばらの祈り 死の灰を越えて」の本

2019-05-03 22:25:00 | Weblog
こんばんは。

今日は、とてもよい天気でしたね。
この天気の良さに誘われて、どこかへ行こう(私はいつもそんな感じ)と夫に言えば、これまた、夫は第五福竜丸展示館へ行こう!と・・・。
ここも行きたかったところだと言い、お昼過ぎに家を出ました。
で、夢の島の第五福竜丸展示館へ。



東京は江東区夢の島です。
夢の島と言えば、私が幼稚園に勤めているときだから40年前でしょうか。
夏休みに指宿から上京して、幼稚園教諭の研修を砂防会館で受けていましたが、そのとき、隣に座って話した方が夢の島の保育園に勤めているといわれたかわいい女性の方でした。今、どこでどうしているかしらと懐かしくあのときの場面が浮かんできました。

その頃、夢の島といえば、ゴミというイメージしかなかったのですが、まさか、今日、行くとは・・・。

そこは、今は、とても広々とした緑にあふれたきれいな海の見えるところでした(埋め立てだからそうですね)









で、これが第五福竜丸展示館の入り口です。



中に入って圧倒されました。















久保山愛吉さんの「原水爆の被害者は私を最後に」と言った言葉に重みと悲しさを思います。
「人類初の水爆の犠牲者」とは、悲しすぎます。

1954年、3月1日。
ビキニ環礁でアメリカは原水爆の実験をした。マグロ漁に行っていた焼津の第五福竜丸の乗組員、23名が被爆した・・・簡単に言えば(簡単には言えないのだけど)そうです。

白い灰はなんだろうと思ったという、漁港に帰り、それが死の灰であることを知った・・・。

久保山さんは幼い子どもたち3人を残して、半年後の9月に亡くなられました。

リニュアールしたという展示を見ながら、人をなんだと思ってこんな実験をするのか、久保山さんたちもその近くの島の人々、またアメリカのネバタ州の人たち・・知らされていないこと、秘密にされていることが多すぎる。

いろいろなことを考えながら、ラストに絵本や本、紙芝居コーナーがあり、座って数冊読みました。
そして、久保山愛吉さんの奥様の言葉で進んでいくこの「ばらの祈り 死の灰を越えて」を読んだ後に涙が止まりませんでした。
32歳で夫を亡くし、3人の子育てをして、カイロにも行き、話をした・・・



すぐに私も買いました。



英語でも書いてあります。娘がSちゃんにも読んであげられるように。



こんな素敵な方のお花も。



それから著名な映画監督だった新藤さんの言葉も。




うまく書けないのですが、ぜひ「第五福竜丸展示館」を訪ね、あるいは「ばらの祈り」の本を手にしていただけたらと思います。

帰宅してから、来ていた娘の夫のAくんにそのことを話したら、小学校のときに遠足で行ったと話してくれました。
またスタッフの方が今も多くの子どもたちが学校から来ると話してくれました。修学旅行でも。
実際、画像もありました。
子どもたちに伝えたいことです。

今日もたくさんの方が来ていて、子どもたちも説明を声に出して読んだり・・
東京都の展示館で、多くの人に知ってほしいとのことで無料です。


帰りに偶然ばらの花に会いました。



そして、参考までに福竜丸がどうしてこう展示されるようになったか、思いがけない若者の声でした。



また外にあったエンジン。



マグロ塚。



展示館の近くの花たち。

父との思い出のこてまり。







植物園に歩きながら・・・母との思い出の矢車草。



楽しい工事現場の写真もご覧下さい。





珍しいお花も。



こういう展示館を見ることで、原爆はあるまじきものとあらためて思うし、人間ってなんと怖いものだろうとも思う。
でも、やめさせることもできると思うのです。
一人ひとりの心で。


今年の連休、近場にまだまだ知らないことが多すぎるという感を強くしました。



コメント (2)
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