細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

変えない

2012-03-12 12:53:05 | 人生論

先週の国内出張,5泊6日はすごく刺激的な旅でした。

9日に長崎で熱い夜を過ごした後,かなり疲れも残った状態で,早朝に長崎を出発し,かもめ,のぞみと乗り継いで新山口に10:05に到着。山大の中村先生にお迎えに来ていただいて,会議の会場へ。10:30から,JCI中国支部の委員会で,山口県のひび割れ抑制システムの高度化の議論でした。

2012年8月に,新たに,コンクリート構造物の品質確保指針,というものが制定されます。ひび割れ抑制システムが高度化されるわけです。

その議論でした。私もクリエイティブな議論のためにいろいろと発言しましたが,よい議論ができました。皆が生き生きとしていました。

これが本当の最後の仕事でしたが,クリエイティブな議論は楽しい。もはや,山口はホームグラウンドの気分です。みんな知ってるし。

今回の出張ではいろんな方に出会いました。最初が岡村甫先生で,改めていろんなインプットをいただきました。金曜日には藤井聡先生と初面会で,かなり影響を受けました。私と5歳違いですが,さすがにこれは(現時点では)かなわないな,と感じました。

私もそれなりには勉強してきました。それを藤井先生も分かっていただいたので,さっそくやりとりが始まって,技術的な質問も受けているし,藤井先生のレジリエンス研究ユニットの学外協力者になってほしい,と依頼を受けました。こうやってまた広がっていくのでしょうか。

藤井先生のインプットは強烈で,私ももっともっと勉強したくなりました。さっそく村上春樹を読み始めました。私の歴史観も,少し修正が入りそうです。

それでようやく本題ですが,でもやっぱり私は自分のやり方を変えない,と改めて思いました。自分のやり方でよい。藤井先生がすごくても,真似をしても仕方ない。自分の血肉になる情報,てこ入れのための情報はどんどんと取り入れて,勉強の仕方を「改善」はしていくでしょうが,「改革」はしません。

ほんの一時華々しくやることが目的ではありません。確かに今は,我が国は真の危機に立っていると思います。ここで前面に出て行く人をバックアップすることは私にもできるので全力でいたします。でも,これまで通り,日常をしっかりと生き抜くこと,感動しながら生きること。何が起こっても対応できるように実力をつけておくこと。それが大事です。そうやって,「影響の輪」を広げていくことが,これまでの私のやり方だし,だからこそ,このタイミングで藤井先生ともお会いできたのだと思います。

というわけで,今日,明日と後期入試ですが,明後日からはインドネシアに学生を引率して行ってきます。ほぼ段取りが整いました。 


友達

2012-03-12 11:02:48 | 人生論

3月6日は一日高知にいたのですが,昼前から安芸に向いました。目的は一つ。

小松又十郎さんというおじいさんに会いに行きました。今回でお会いするのが2回目です。

1回目は,私が27才だった11年前の3月,イタリアへの一人旅の帰り,ローマから成田への飛行機の中で隣になり,とても楽しくおしゃべりしました。

小松さんが高知の方,ということで,私の師匠が土佐高出身,東大野球部最多勝ピッチャーの岡村甫先生,ということを話すと,もちろん小松さんは岡村先生のことを知ってました。そこから話が弾んでいきました。小松さんは絵を描くのがお上手で,絵を描く仲間たちとイタリアを訪れた,という話でした。

おそらく住所など連絡先の交換もしていたのでしょう。その後,年賀状のやり取りが始まりました。毎年,とても素敵な絵(出漁,などの絵が多い)が付いた年賀状を送ってくださり,私も家族の写真が付いた年賀状をお送りし,ほんの一言ですが添えて,交流が細々と続いていました。

高知には時々出張に行きますが,なかなか安芸にまで足を伸ばす時間が取れず,一度お会いしたきりでした。

今回はチャンス!と思い,年賀状でも安芸に行けるかもしれません,と書いてお送りしましたが,直前までそれ以上のやり取りはありませんでした。

出張に出かける前日の4日,小松さんのお宅に電話しました。奥様と思われる方が出てお話しましたが,小松さんは入院されているとのこと。6日には退院できるか微妙だ,というお話でした。そのまま,出張に出発しました。

5日に,高知工科大学で岡村先生とお話している途中に電話がかかってきました。小松さんからでした。まだ退院できるか分からない,とのこと。私がぜひお会いしたい,安芸まで行きますよ,といって電話を切りました。

翌朝,6日の朝,小松さんから電話がかかってきました。退院できた,安芸でお会いしましょう,とのことでした。

桂浜へ行った後,レンタカーで安芸へ向いました。奥様も一緒に出てこられて,安芸で一番眺めのよい,ホテル「タマイ」の眺望レストランで,昼食をご一緒しました。

無理に退院されたようです。お元気そうでしたが,2回目の対面で非常に楽しいおしゃべりができました。

小松さんは,中学校の教師を全うされ,数学の教師,野球部の監督,美術の先生もされていたのでした。絵も本当にお上手で,小さい画集をプレゼントしていただきました。長女に見せたらすごく喜んでおりました。

話は弾みましたが,お体も心配なので,1時間半ちょっとで終わりにし,またお会いしましょう,ということで別れました。

なぜ,ローマからの飛行機の中であれほど話が弾んだのか,分かりました。教員という仕事に本当にやりがいを感じられる,その性分が引き寄せあったのでしょう。

長期出張から帰宅後,長女に画集をプレゼントしました。すごく喜んで,小松さんに二人でお手紙を書きました。長女と,私と一通ずつ。長女が折り紙で作った小さな封筒にそれらを入れて,昨日,お送りしました。

長女も,「いいなあ,私にはそんなお友達,いないよ。欲しい。」と言ってましたが,「これでもう小松さんとお友達だよ」と言うとうれしそうにしていました。家族で四国に旅行に行き,その際にお会いできるといいです。

またお会いできるかもしれないし,もうできないかもしれない。でも,永遠に私の中で生き続ける会話であり,お友達です。小松さん,元気になってください。安芸の浜を一緒に散歩したいです。