フランス滞在中にぜひ読みたい本の一つであった「PC構造の原点フレシネー」(建設図書)ですが、一通り読破はしましたが、現在、フレシネーの構造物を見学する機会も活用して再読しています。
フレシネーがプレストレストコンクリートを明示的に発明する以前の部分からの、気に入った文章です。
p.88
「実際には、私の観察事実に反する実験結果は何もなかった。コンクリートはより大きな変形に耐えられ、規準で許されている以上に塑性的なことは事実であった。数学ばかりで知恵のないまぬけでなければ、日ごろから簡単に観察できる事実なのである。」
--> クリープによる橋梁のたわみの問題に関してです。コンクリートアーチの中央ヒンジについては、フレシネーは設計規準の不備も見抜いていました。
p.89
「確実に間違っているといえるのは、規準の草稿を、その訓練と考え方ゆえ、独裁者のように管理しようとする、技術に対して全く無知であるだけでなく、それを永久に理解することも無い、数学者に任せたことにある。」
p.91
「ブチロン橋に関しては、悪い思い出しかない。ル・ヴァートル橋とともに、『力業』であり、少し際立ち過ぎていた。・・・・・・ 結局のところ、この2つの橋を造ったことにより、『力業』は避けなければならないことを学んだ。・・・・・・ ヴィルネヴ シェルロット橋も、プルガステル橋も『力業』ではなく、それゆえ、これらの橋は以降、模倣され、同じ形式の橋が今度は規模が大きくなって再び建造されたのである。」
p.164
「ル・コルビュジェは、建築の学生にメッセージを送り、そこで、『フランスは、アイディアの実験室であるが、ずっと以前から発明家に対し、軽蔑と無視、拒否と失望を与えては得意になっている』と言っている。後に、彼は、ペレを誉めているが、フレシネーをほとんど覚えていない(フレシネーのことにほとんど触れていない、の方が適訳でしょうか)。」
プレストレストコンクリートの発明に関する言葉は、その2以降で!
昨夜、インターネットのニュース記事をぼーっと見ていたら、日本の学校の先生の過酷な労働環境のニュースがありました。週の勤務時間が平均で50時間を超えていて、先進国平均からはるかに多いようです。部活などの対応や、事務作業が多いことがその主な理由のようです。言うことを聞かない生徒たちも多いと聞きますので、学校の先生は何でもできるスーパーマンであることが求められているようです。
どの分野にも、一部、スーパーマンもいるかとは思いますが、ほとんどの人は凡人です。当たり前です。
日本全国津々浦々の学校にスーパーマンの先生が揃うはずがない。先生のほとんども凡人です。凡人でも教育は成り立つし、成り立つように制度設計すべきです。
凡人でも、何か一つでいいので、教えを受ける側が「すごいな」とか「かっこいいな」と感じる要素を持っていれば、教育は成り立つと思います。どんな要素でもよいと思います。それを自覚できない先生は、教育というものの本質を理解できていないと思われます。もし、理解できない場合は、逆の立場に身を置き、どういう先生からであれば自分が教えてもらいたいか、を考えればよいかと思います。現在の日本は、それらの要素を自覚しておられる先生がいたとしても、その先生に大活躍していただく場となっていないように思います。
現場が大事です。膨大な書類を提出することが重要ではありません。教育の現場で、先生が生徒と活き活きと対話できているか。一日に一つでいいから双方が感動、感激するような時間を持てているか。そうするためには、感性が働く「余裕」も必要です。当たり前です。
学校のことは私は素人ですので、自分の現場である大学に話を移します。
大学も同じ状況にあります。皆がスーパーマンであることを求められます。大学の教員もほとんどは凡人なのにです。
研究は世界レベルでやりなさい、 どんどん予算も取ってきなさい、英語でたくさん論文を書きなさい、教育はシラバスの通りに完璧にやりなさい、授業評価アンケートを参考に教育の改善をいつも行いなさい、研究室の学生たちの指導も全力で行いなさい、入試や教務など学内業務も重要だし、大学の改革も必要だからすべての会議に出席しなさい、社会貢献も大事ですからやってください、これからは「グローバル」の時代なので、グローバル社会(アウェー)で果敢に戦える即戦力の学生を輩出しなさい、などなど。
できる人もごくわずか、いると思いますが、できたとして、それで毎日感動、感激するような時間を学生と持てるでしょうか?毎日でなくてよいけど、そういう時間を少しでも共有することの方が、よほど学生にとって大事な教育では?
さて、私はプラグマティックな人間ですので、上記のようなリクエストにすべて応えるつもりはさらさらない(死にます)し、一番大切なことを見据えた上で、何とか責任を果たす努力を重ねたいと思ってきました。私も全くの凡人で、具体的にどのようにすればよいのか模索しながら進んでいますが、年を重ねるにつれて少しずつ状況も把握できるようになってきてはいます。とにかく、できることをやるしかないので、一歩一歩です。
大半の人は、真面目にこなそうとします。私は、岡村甫先生から「徹底的に手を抜け」というアドバイスも4年くらい前にいただいた人間ですので、普通の行動は取りません。
一応、周囲への配慮はする人間ですので、自分が全力を尽くすべきことではなく、手を抜くべきと思ったことは周囲への配慮も一応しながら手を抜いています。
もともとは変わった人たちのるつぼであった大学が、スーパーマンであることを求められる凡庸な秀才ばかりのたまり場になりつつあるように思います。
私は、変わったキャラで進める可能性のある人間だと思いますので、周囲の方々のためにもその可能性を試してみたい、と思っています。フランス滞在中に坊主にしましたが、それも、インパクトのあるキャラを確立していく上で良い選択だったかなと思います。
一つの流れができてしまうと、自制できずにとんでもなく加速し、皆が洪水の中で溺れ死ぬ、というのが日本のパターンのように思いますので、どこまで戦えるのか分かりませんが、戦線復帰まであと2ヶ月半でございます。