小言コウベイN

日々感じた風刺等について書いています。

衆生  

2013-07-10 15:24:08 | 日記
     衆生(しゅうじょう)すなわち仏
 いま私は宗教に興味はありませんが、若いころのある時期ちょっと興味を持って、西宮にある海生寺という禅寺へ毎日曜日の早朝に座禅を組みにいった時期がありました。
そこの説教の一説に冒頭のお話がありました。
衆生とは「生きている民(衆)」・・・という意味で、生きている人間こそ神仏そのものであって、死んでしまった人や日の目を見ないで中絶された子(法律上は「産汚物」)は所詮この世に存在していないのだから「無」でしかない。
だから、その無をいくら供養したって無意味であって、まさにこの世に生きている親・子・まご・自分を大切に育むことが最も重要なのだ。
あえて供養と言えばそれが供養だ。
だって生きている人間と言えば100%先祖から引き継いだ身体を綿々と守り続けている存在なんだから、生きている人間を大切に扱うことこそが「祖先の供養」そのものだ。
というような意味だった、と記憶します。  なんとなく納得しました。
八百万の神(やおよろず・・・太陽・海・やま・川・キツネ(お稲荷さま)まで神と崇める・・・「存在するものすべてが神」という我が国の宗教感の中でも、この禅宗が最も合理的ではないかと思いました。
諸外国の「唯一絶対神」(キリスト・アッツラー・マホメットなど)を崇める異教徒でさえ、日本の禅宗に興味を示していると言われます。
でも、興味はないけど。
コメント
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