R,06,02,12 軍 医 NO,4101
昭和の30年ころまでは、我町南加賀屋町には医院がなかった。 軽い病気など
ではだれも病院に行かなかった。
隣町に市民病院だったがあったが、重病の人しか行かなかったので、行った人は
ほとんど生きて帰れなかったから、シニン病院などと言っていた。
でも、必要は発明の母という。 近所に陸軍従軍医師として働いていたおじさんが、
医師免許を持っていなかったのだろう。 医師の看板を掲げないで医療行為をやっていた。
戦争末期、医師の養成ができないまま、戦場にひっぱり出されたのであろう。
藪の前のタケノコだったのだろう。 でも、結構名医だった。