銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

『堤婆達多』(中勘助)で、シッタルダを、想像する

2008-12-17 00:03:43 | Weblog
 前々回で、「子どものとき、ドッと涙を流した、童話が二篇あります」と申し上げました。そのころ、同じく、ドッと涙を流した大人向けの小説が、三篇あります。今日はその三つのうち、一番最初に心に触れた、『堤婆達多』について、あれこれを、語りたいのです。

 まず、この小説には、触れようと思って触れたわけではなく、<全く偶然に出会っただけに、感動がひとしおだった>ことをお話しておかなければなりません。中勘助は最近ではほとんど話題になることは無いのですが、戦後すぐには、上質な文学者として、相当な話題の対象でありました。『山月記』で有名な中島敦と、同じくらいのビッグ・ネームだったのです。

 中勘助の代表作は『銀の匙』だといわれていました。ところが、当時中学生だった私にはそれは、何も判らない世界でした。つまり、簡単にあらすじを言うと、青年が兄嫁に慕情を寄せる話なのです。普通の恋愛さえ何もしていない私が、そんな、複雑な心情が判るわけはない。それで、『変な小説だなあ』と思っただけなのですが、『評価の高い文学者が、こんなものだけを書いたのだろうか?』と、それも不思議で、次に登場する(この場合は、筑摩の日本文学全集と言う本だったと思いますが)『堤婆達多』を、読み始めたのです。学校へ通いながら、つまり、夜だけを読書に使って、それでも、一週間以内に読めたと思いますが、最後にドッと涙が出たのを鮮烈に覚えており、『こういうものを書く人なら、評価が高い文学者だというのは当然だろう』と、心から納得をしました。

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 今、『カラマーゾフの兄弟』が、リヴァイバルの大ブームだそうです。上質な文学って大体構成が似ていて、ある主役が登場する場合に、その敵役、と言うか、反面教師みたいな登場人物も出てきます。カラマーゾフの兄弟では、三男が主役らしいのですが、彼が、本当の活躍を始める前に、著者のドフトエフスキーが亡くなってしまったために、長男が、強い印象を与えますが、実は次男のスメルジャコフが、これまた、非常に強い印象を残すのですよね。私は、こちらでは、その未完ゆえか、ドッと涙を流すところが無くて、この『カラマーゾフの兄弟』を若い頃の三大、作品とは、数えいれていないのですが、

 『堤婆達多』の方も同じ構成をとっていて、彼のいとこか、はとこに当たる、王子シッタルダ(これは、原作では漢字を使ってあったと思いますが、その表記に今は自信が無いので、カタカナ表記をする事をお許しください)が、善良のきわみの主人公であり、オーラを放つ人であるとすれば、こちらは、影の存在であり、嫉妬とか、憎しみとか、競争心とか言う、マイナスの感情をコントロールできない存在です。

 だけど読者、特に私が、感情移入が出来たのは、立派過ぎる王子シッタルダ(後のお釈迦様)ではなくて、『堤婆達多』の方なのです。もちろん著者の中勘助も、『堤婆達多』の方を、文章上の主役として設定し、彼の目から見た、世界の状況と、シッタルダを描いています。

 今は、その読了時から、五十年が過ぎており、この小説も、『図書館で読めるかどうか』と言う状況でしょう。

 ただ、私は感動しきって『一生、この本のことは、忘れられない』と思っておりますし、この読書体験により、仏教と言うものが、大体、判った気がしました。そして、人生の途上で、諦めなければいけない時もあり、捨て去らなければいけない時もあると、言うことは判っているつもりです。それは、断腸の苦しみを伴いがちですが、人間としては、それを、しなければならない時もあるのです。特別な人間だけの話ではなく、誰にでも訪れる問題として、諦観とか、別離とか、廃棄とか、言うことは、あるのですね。

 そして、お釈迦様についても、どんな、仏像を見るよりも、どんな涅槃図を見るよりも、この小説を読んだこと、一個の体験で、よくわかった気がしました。それほど、すごいことを中勘助と言う文学者はしたのです。なるほど、名・文筆家と、言われる由縁があったと、納得をしたわけでした。

  2008年12月17日、書く、送るのは後で。川崎 千恵子(筆名、雨宮舜)
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