銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

小説『闘』と、幸田文の弟

2008-12-18 14:48:30 | Weblog
 さて、前報で「結婚前に読んだ大人向けの小説のうち、三冊の大切な本がある」と、申しました。その二番目が、往時は『婦人之友』に連載をされた幸田文の『闘』です。これは、箱入りの初版を買ったほど、連載時から入れ込みました。

 今、現在は新潮文庫で、手に入ると思います。

 一種のグランド・ホテル形式でたくさんの登場人物が出て来ます。舞台は結核病棟です。今はほとんど、結核そのものが無くなってしまったけれど、昔は今の癌にあたるほど、ポピュラーな病気で、しかも、なかなか、治りにくい病として、大勢の人が、知っている病でした。

 今、大流行の『篤姫』の最終回で、その場面が出てくるかなあと、期待をしたのですが、出てこなかった場面として、篤姫が和の宮の死後、宮の療養の地であった箱根を訪れ、懐旧の情にひたされて和歌を詠まれたという史実があるそうです。和の宮も結核をわずらい、箱根で療養をなさったのです。

 日本でもっとも有名な患者は正岡子規ですが、日経新聞の『私の履歴書』などを読むと、若い頃、特に戦前、戦中、戦後に、結核をわずらった人は多いことに気がつきます。

 海外では、トーマス・マンがスイスの結核病棟で、実際に療養をした事があって、その経験から『魔の山』が生まれました。私は実際にそれを読むまでは、一種の<中世の、サド侯爵ものみたいな話>かと、タイトルから誤解をしておりましたが(ふ、ふ、ふ)、なんと、結核の治りにくさを『魔(の山)』と、たとえているのでした。

 『魔の山』の方はちゃんと読みましたよ。赤いカバーのついた、これも、筑摩(?)の世界文学全集を、図書館から借りてきて。しかし、その詳細を一切覚えておりません。ところが、『闘』の方は、非常によく覚えております。

 連載時の何回目かに、・・・・・世の中には要領のよい人間もいて、結核に掛かった間を勉強の好機と捉え、しっかりと勉強をして、難しい試験(たとえば、東大入試とか、司法試験)に通って行くやつも、いる・・・・・と、主人公が述懐する場面です。

 私の想像するに、そちらは、まだ若くて、色白で、紅顔の美少年(または美青年)といったところでしょうか? 私はふと、ちょうどその頃、話題になっていた、島津久永氏の面影を重ねました。これは、島津久永氏が結核を病んだということではなくて、非常に上品な面立ちの方だと、言うことをさしています。

 一方で、主人公は既に中年であり、<治ること、および社会復帰することは、不可能だ>と医者からみなされています。彼の闘いとは、生きること、生き抜くことそのものです。非常に原初的な闘いですが、それだけに、それを、闘い抜く彼は、雄々しく、大変魅力的な人物として描かれています。現代の若者はもっと軽い人物を、好むようですが、これから、社会が暗くなると言うか、生活そのものがきつくなると、このような、精神力の強い人間と言うのも、また、見直されるのではないでしょうか? 彼にはお金も社会的な名誉もないが、一種の英雄として描かれています。

これから先は、大変うがった見方でありますが、天上の幸田文さんは、にっこりされるだろうと思う、私の想像があります。ずっと、秘めてまいりましたが、『幸田文さんの離婚の原因は、この人との精神的な出遭いが、原因だったのではないだろうか?』と言う想像です。幸田文さんご自身は、「父露伴にきびしく、家事のしつけを受けた自分には嫁ぎ先の商家風の家風が合わなかった」と仰っています。

しかし、この『闘』の主人公に出会って、彼を、小説に書きたいと思われたときに、普通の主婦の世界から、小説家への転進の動機が生まれたと想像するのです。直後にこの小説を完成なさったわけではないでしょう。これは、当時は大人気雑誌の一つだった、婦人之友に連載をされたのですから、すでに、名声確立した小説家としての、幸田文さんだったわけですが、その前に、幸田さんは、『自分は書く人間なのだ。表現者として生きるべきだ』と思わせた、題材が、この主人公だったような気がするのです。もちろん、お父さんのことも書きたかったし、その他のことも書きたかったでしょうし、お嬢さんの玉さんが、結婚をなさるまで、待つという姿勢も有ったでしょう。

 ただ、離婚の頃の時代の風潮が、大きな酒屋(造り酒屋?)の主婦である文さんに書く、時間を与えなかったので、文さんは、ひとまず自由になりたかったと、私は想像するのです。主婦として生きている人が、趣味を、深めて行くというのは、本当に大変なことで、それに関する話題は、現在でも、この私が、身近にも、多数聞きますし、私自身も、ある意味で最も活動的な四十代と、五十代を、何もせずに過したようなものです。そして、今は大変自由になりましたが、しかし、100%自由だというわけでもありません。そして、自由と引き換えに年をとってしまっているということもあります。あ、は、は。

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 実の事を言うと、この小説に関しては、もう一つ大きな疑問がありました。『しっかりしていて、病気などよりつかないように見える文さんが、どうして、この小説の舞台となった、結核病棟の事を、ここまで詳しく、知っておられるのだろう』と、ながらく不思議でならなかったのですが、なんと、弟さんが結核にかかっておられたそうです。だから、弟さんを見舞いにいらっしゃったのです。それを、娘の玉さんの随想として、読みました。『なるほど、なるほど』と深く納得をした次第です。なお、画像は本文と関係がありませんが、多分、今まで使っていないものなので、ここに置くのをお許しください。

  2008年12月18日    川崎 千恵子 (筆名 雨宮 舜)
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