銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

『ジャン・クリストフ』は、どこへ消えてしまったのだろう?

2008-12-19 23:53:31 | Weblog
 いや、『カラマーゾフの兄弟』が大ヒットだということはよいことだと思います。KYだとか・・・・・その他の、今流行のトレンドは、軽いこと、あっさりしている事が、よいことでありましたが、不況とか、そのほか、生活の根源が、揺らいでくると、しっかりした信念とか、スタンスがどうしても、各人に必要になり、それは、ゲームをすることとか、漫画を読むことよりも、やはり、苦闘をし続けた人間の記録を小説で、特に若いときに読んでおく事が、その後の力になると思うのです。

 ところが、私が若い頃に世間の風潮から勧められた小説のうち、『チボー家の人々』とか、『魅せられたる魂』などの、長編小説については、とんと、その評判を聞きません。源氏物語が大流行で、瀬戸内寂聴さんが、でづっぱりですが、たとえば、石川達三なんて、聞いたこともありません。もちろん、私は石川達三(社会派のはず)が、好きだといっているわけではありませんが、彼の全盛期もあったと思います。
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 私が思春期に読んで、人生で最も感動をして、ほとんど、そこから得た価値観で生きているような、大作、『ジャン、クリストフ』についても、ほとんど、何も世間から聞こえてきません。それを、残念に思う私の心に、自由が丘駅で、偶然に出会わせた友達との会話がよみがえってきます。

 東横線の自由が丘と言う駅は、『急行』の待ち合わせをするので、『普通』に乗って渋谷から来ると、日吉に住んでいる私などは、降りて、数分待つ習慣になっておりました。ふと、気がつくと、八年ぶりに出遭う小学校時代の友達が居ます。彼女は、私を見つけると、堰を切ったように激しく、「今、通っている大学が面白くない」と言うことを語り始めました。あんまりおしゃべりな人ではなくて、昔は私に、こういう内面を打ち明けることなどなかった人なので、驚いて、「どうしてなの?」と聞くと、「私、受験勉強なんて、馬鹿らしいと思って、やらなかったけれど、同級生と話が合わない。もっと、受験勉強をして、哲学科でもある大学へ行きたかった」と、言います。

 もっと、野生的な人だったら、親を説得して、別の大学を受けなおしたりしています。そういう人も知っています。親から費用が出たり、または、自分がアルバイトをして受験しなおすなんていうケースもあります。大勢の人が悩むのは、分野のことです。好きな道、文学とか、芸術の道、と、実学、経済とか、医学と言う道のどちらに入るか、それで、悩んでいろいろ、決められないモラトリアムの時期もあるのです。その間、思考し、実行するなら、進路変更もある。また、それを許す社会の経済状態の動向もある。

 しかし、自由が丘のプラットホームから日吉駅まで一緒に熱心な会話をした、友人は、女性でもあるから、(1960年代は、結婚適齢期が25歳だといわれていた時代です)大学を受験しなおすほどの、冒険家ではなくて、『親には、学費のことでは、もうこれ以上は、頼めない』と思っているし、『自分でアルバイトをして、学費を稼ぐ力も無いと思っている』人でした。

 でもね、彼女が感じていることとか、考えていることは、私には、非常によく判りました。今、居る場所が自分に合わないと思っている時期、そして、それが、青春真っ只中の時期、と言うことはつらいことです。『もっと、ほかに自分にふさわしい居場所があるんではないか』と言うのは、ほとんどの人がいつも、内面で思っていることです。普段はそれが、外へ出ないのですが、こういう風に大学を選ぶなどと、言う、選択肢が多い場合に、間違ったのではないかと思えば、特に、後悔が大きいのでしょう。

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 私は実は、小さい頃から悩みの多い人でした。ですから、現在も書く人であるわけですが、小さい頃は、自分の思いを人に書いて知らせる・・・・・そして、そういう形で、カタルシスを得る・・・・・など思いもよらず、ただ、読書によって、最上の慰めを得ていたのです。

 そういう私は、十九歳のときまでに、上記の『ジャン・クリストフ』を読み終えています。ただ、総計二年は掛かりました。

 そして、ジャン・クリストフが味わった数々の、苦労に勇気を与えられていました。で、その自由が丘駅で偶然出会った友達にも、彼女が苦労を、乗り越えて新しい、視座に立つことを願って、この本を読む事を薦めました。しかし、彼女は途中まで読んだけれど、読みやめていると、いいます。それで、私が「どうして?」と質問をしますと・・・・・

 「あれって、くどいんだもの。自分には合わないわ』と、彼女が言います。私はびっくりして「アントワネット(第五巻*)まで読んだ?」と質問をしました。「ううん、読んでいない」と彼女は言います。

 この五巻まで来ると、突然、読者は涙が滂沱となります。そして、ロマン・ローランが、美しい世界を好きな人である事が判ってきます。しかし、四巻までは、「喧嘩ばっかりじゃん。なにさ、これ。うざったい」と、現代の若者から言われてしまいかねないほど、主人公は世間とぶつかってばかりいるのです。解説書によると、ベートーヴェンをモデルにしていると、言われたりします。

 その主人公に対して、友人として現れるおとなしい、・・・・・将来は学者になろうとしえいる青年・・・・・の、お姉さんがアントワネットです。ただ、ただ、・・・・・弟を学者(もしくは著述家)にするために、・・・・・奉仕の人として生きる女性です。
 世間的な意味での幸せは何も味わうことなく、人生を終える女性です。

 でも、彼女の姿を見ていると、「人生には、成功しなくても、いい生き方もあるんだよ」といわれているようで、本当に安心して、次の日を迎かえる事ができるのです。人生の最初期にこの本とであったことは、私にとってはとても、よいことでした。そして、老いを迎えている今も、ジャン・クリストフの苦闘の人生と、老いに向かって穏やかになっていき、若い人を、大切にする・・・・・・愛に溢れながら死んでいく姿を思い出すと・・・・・それ(老いや、死について)も、安心をするのです。

 『自由が丘で、出遭った友達(既に亡くなっている、若いうちに)が、この五巻まで、我慢して読んでくれたらよかったなあ』と、私は、今でも残念に思っているのです。人生は難しい。生き抜くのも大変です。しかし、ジャン・クリストフは確かな力を与えてくれます。彼女もジャンクリストフを、読了していたら、もっと、たくましく生き抜いたのではないかと、思っているほどです。

 なぜ、現代、だれも、この本を問題にしないのかが不思議です。

*・・・・ただし、岩波文庫は原作の巻数とは、異なった数で出版されていると思うけれど・・・・・私のものは、押入れの奥の奥にしまってあるので、今は確かめられません。

      2008年12月19日     川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)
コメント (18)
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