銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

大東亜戦争とは、石油が争点だったのです。・・・『鬼が来た』解析3

2009-02-03 14:35:46 | Weblog
 映画『鬼が来た』は大東亜戦争に派遣をされた兵士(小野田さんほど上級の士官ではないという設定)が、村に取り残され、人質にされるのですが、その戦争は石油が争点だったのです。石油は今のアラブ諸国のOPEC等がまだ無い時代で、アメリカが世界の大国へと躍り出る重要なアイテムだったのですが、日本には少ないものです。

 エネルギー源としては、水力発電と石炭が当時からあったでしょうが、こと、戦争に関しては、石油がないと勝てないのです。戦艦大和は石炭で動く、蒸気汽船ではありませんし、神風特攻隊といえども、石油が無くては、飛びたてません。あの頃は現在と違って、中国を舞台として、世界各国が覇権争いをしていたので、早晩戦争は避けられないという国家としての見込みがあり、石油を増産することは急務でした。

 で、私の父が、満鉄調査部、中央試験所と言うところに勤務できたのは、石油が専門のエンジニアーだったからです。しかし、中国東北部には、陸地には油田は見つかりません。ただ、炭鉱があるのです。その炭鉱の当時の大手が、露天掘りで有名な撫(?)順炭鉱です。そこに少量ながら、重油を含む種類の石炭(頁油岩)が、あり、そこから、石油、軽油やガソリンを含めて生産が可能かどうかを、調べたりするのが、仕事でした。

 この間芦屋から、電話で、二時間に及んで、私の五冊目の本に対して解説、批評、感想を言ってきてくださった方があるのですが、彼女が仰るのには、「当時の満州、特に満鉄ってリヴェラルだったのですってね」と。そうなのです。図に乗っていうわけではないが、満鉄の人々はもっとも、効率よく仕事を達成するために、上下関係がわりと、平たくて、今日本で話題になっているパワハラなどあまり無かったのです。まあ、これは、関東軍とは全く関係のない、事務職関連の人々の間の話ですが、引き上げ後も、石油会社、シンクタンク、および官庁などに再就職は出来たのです。

 そこへ持ってきて、私の母は割りと妊娠しにくいタイプで、私はまだ生まれず、それゆえに夫婦で、中国を旅行しまくり、北京、チンタオ程度までは足を伸ばしましたし、それ以北の遺跡はほとんどを訪ね、油絵を週末に描く事を趣味としておりました。この間関口宏の中国のたびで、大同の石窟遺跡が炭鉱の炭塵で真っ黒になっているという話でしたが、父の頃はまだ、炭鉱は開発をされておらず、石窟佛を描いた絵は新聞沙汰になるほどの評判をとり、ラストエンペラー溥儀氏にお買い上げとなりました。

 他の絵も、満鉄総裁室等を飾っていたそうです。しかし、戦争が終わると、その総裁室等の絵は、すべてずたずたに切り裂かれていたそうです。別に戦意発揚の戦争画ではなくて、すべて、中国の遺跡を、描いたものでした。だけど、それでも、切り裂かれたのです。日本人がどれほど、憎まれていたかを明らかにしています。母が言うにはドンヤングイ(東洋鬼)と、日本人は、言われていたそうで、それゆえに、私は、『鬼子来了(クィズ・ライラ=邦題・鬼が来た)』をタイトルからして、ぴんときたわけです。

もう一度父に戻れば、父は、給料を別業でもらっているサラリーマンなので、絵で、食べている人ではなかったので、好きな題材を選ぶ事ができるし、中国を文明の上で長い歴史を持つ大国として尊敬していましたので、繰り返しますが歴史上の遺跡ばかりを描いていたのです。上のブログ・パーツは、当時のものではなくて、親戚に送っていた・・・・・絵の具がばらばらに、折れてはがれた(戦時中の絵の具は、質が悪かったのでしょう)・・・・・ものを、自分が模写したもので、しかも印刷物からの採録ですので、迫力がありませんが、『熱河』のラマ教廃寺です。

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 しかし、敗戦になると、状況は一変しました。ロシア軍の侵入におびえるし、実際に、侵入されて、母は庭の鶏小屋に逃げ込み、父は、私が、母を求めて泣き喚くのではないかと、それを心配して、怯えたそうですが、どうしてか、私は声も出さず、『ロシア兵を、何も刺激しなかったので、本当に助かった。お前は、赤ちゃんのときから賢かったなあ』と言ってくれました。時計とか、指輪や現金を渡すだけで帰って行ってくれたそうで、一家が全員死なないで、引き上げる事ができたのですが・・・・・

 事は、そんなに簡単でもなくて、どうしてか、母はパラチフス、私は腸チフスへ罹りました。もともと、食べ物が無いところへ持ってきて弱りきった胃腸には、卵を料理したものぐらいしか、流し込むことが出来ず、流動食なども無いので、それこそ、病気の方で死ぬ恐れがあったのですが、父が、孤軍奮闘して食料を探して来てくれたそうです。父自身、肺浸潤(軽い結核と言うか、初期の結核というか)だったそうですが、それでも、幼い娘と妻のために、衣料を売ったり、その他の手立てで、卵などを入手してきてくれたそうで、命が繋がりました。そのとき、母は、初めて、父が本当は、愛情深い人であることを知ったそうです。

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 ところで、どうしてあんなに、病気が蔓延したかですが、人々が、体力的に弱っていたことも確かでしょうが、あちら方面には731部隊(細菌兵器などを、研究していたところ)があったので、そこから、何かが洩れたか、むしろ、・・・・・その部隊員たちが延命のために、その細菌兵器の、猛毒振りを、実験して、連合国側の恩赦を願ったのではないか、などと、・・・・・うがった見方さえする、こともあります。731部隊は日本の暗部ですが、その戦後処理や利用の仕方は、さらに暗黒部分へ入っていくはずです。それは、世界的な規模の暗黒部分へ入っていくでしょう。

  では、今日はここで、いったん閉じましょう。
    2009年2月3日       川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)
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銀座で一万円のおにぎりを買わされた夢・・・「鬼が来た」解析2

2009-02-03 11:56:17 | Weblog
 チャン・イーモウ監督が、香川照之に向かって、開口一番「『鬼が来た』を見ましたよと言うのですが、私は、監督がどこで、かつ、何時見たかが不思議です。チャン・イーモウ監督は世界の三大映画祭のグランプリを取っています。ゆえに、カンヌ映画祭辺りで出品作としての、この映画を見たのかしら。それとも、今、北京オリンピックを終えて、自信を持った中国が、文芸映画でもあり、カンヌのグランプリを取ったこの名作を、国内でも公開し始めたのでしょうか?

 それとも、一種の海賊版として、DVDが流れているのでしょうか? 日本でも観客動員数と言う意味ではヒットしなかった映画だと思います。中国でも公開されず、日本でもヒットしなかったとなると、不運な芸術作品のひとつとなります。その大人口の国、中国でなぜ、公開をされなかったかと言うと、ともかく、東北部の農村の、1940年代の貧乏振りを描いていてそれが、国家の威信を傷つけるということでしょう。もうひとつ、理由が推察されますが、それについては、後で述べます。

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 その中国東北農村部の当時の貧しさを私に知らしめた、最初の本は嵯峨浩(ひろ)さんの『流転の王妃』でした。そして、例の『大地の子』の映像・・・・・しかし、あれは、原作より甘い描写になっているそうですね。細かいことを言えば、日本側の時代設定に時間的な矛盾があるけれど、名優の出演ばかりで、非常に感銘が強かっただけにその農村部の貧しさが、私には、余計にきつかったのです。

 そして、その次は宮尾登美子女史の『朱夏』です。私は、宮尾作品は、『蔵』以前の作品には、『相当えげつないところがあるなあ』と思っておりました。特に、芸術、および芸道上、有名な家を、テーマにした作品は、『書かれた方が、ずいぶん我慢をなさっておられるなあ』と思ったぐらいです。篤姫ほど、歴史上意味のある人物なら、それは、よいんですが、でも、一市民でもある芸術家の一家が、これほど、内部を曝されては、困惑なさっているのではないだろうかと思っていたのです。が、この『朱夏』では、相当な程度で、ご自分を素直にさらしていらっしゃると思って、初めて好感を持ちました。

 しかし、この朱夏でも、その満州へ送り込まれた開拓団の過酷な逃避行が描かれており、私はますます、引揚者であることを隠すようになりました。ただ、『朱夏』の中で『天国の住人みたいに差がある優遇を受けている社員たち』と表現をされている満鉄の社員、しかも石油を扱うインテリとして中央試験所(一種の今で言うシンクタンク)に父が勤めていた、家の矛盾が、さらに、私を複雑にしていたのです。ですから、その後現れた中西レイの作品など、本も読まなければ、テレビ映像も見ませんでした。ヒットしたみたいですけれど。

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 さあて、今日もその複雑な思いを描くぞと思って寝ていた明け方、とんでもない面白い夢を見ました。これは、この解析の途中・休憩時間(映画館ならトイレタイム)として、お読みくださいませ。

 私は毎週2回ほど、銀座で絵を見て回っています。個展をしている作家と言うのは、自分の経験からも理解できますが、相当高揚していて、緊張しています。そういう人に、これまた、意味のある会話をぶつけていくのは、大変疲れることなのです。しかも、私は既存の美術評論家と棲み分けをするために、質問を相当考えて、ぶつけますので、道場破りと、自称しているほど、短時間で緊迫をしたやり取りを交わします。ときどき、その話が長引いて、銀座を去る時間が遅くなります。

 その日も、10時近くだったので、普通のお値段のレストランには、既に入店が出来ない時間帯で、私は今まで入った事の無い割烹へ、入って、おにぎりを作ってもらうことをお願いします。すれ違いに男性客が二人出て行きましたので、このお店も閉店が近いことを悟り、「そのおにぎりは、持ち帰られるようにしてください」と頼みます。

 オーナー(板前)の顔には見覚えがないのですが、なんとフロアー係は、大女優の池内淳子女史でした。料亭のおかみ役と言うと、彼女を思い出す私なのです。さて、待っていると包みが出来上がりましたが、何と、お値段が、1万500円だといわれたのです。私は最近お金を使わないようにするために、お財布に一万円しかもって出ないことにしています。ちょっと、青くなりました。

 しかし、幸いなことに、最近は、五冊目の本を郵送したりするために、その費用として別途のお金も持っていますので、バッグの中を見ると、一万五千円以上が入っていて、先ずほっとしました。しかし最近の私は物忘れがひどくなったので、一箇所に一万五千円を入れているわけではなくて、それぞれ、5千円ずつ、別々に入れている人なのです。

 最初は真面目に一万五百円を出そうと思いました。でも、不器用な私の手に、当たったのは、五千円札でした。それで、突然ですが、機転を利かせて、「5千円しか持っていないけれど、これでいい?」と聞いてみました。駄目で元々と思いながら。すると、店主は、「O.K.」とのことです。

 そうですね。おにぎり、二個(店主はどうも、四個作ってくれたらしいのですが)で、一万五百円は、銀座固有の値段です。高すぎますよね。庶民感覚からすれば。だから、負けてくれたのです。あっさりと半値に。それに最後の客だったらしいから、一種の残り物でもあるし。

 私はおなかがすいているし、糖尿病ではないのですが、エネルギー不足になるとぶっ倒れかねない人なので、早速、中身を出して見ます。すると、おにぎりのはずが、一つは手巻き寿司になっていて、海苔の内側にご飯ではなくて、最上級のトロがべっとりと撒いてあって、さらに、内側に入れ子になった小さな手巻き寿司が入っていて、そこには、これまた、最上級の、明太子とか、いくらが、入っていたのです。『うわあ、これが、4個で、五千円なら仕方がないわねえ。正当なお値段だったわ』と思ったところで、猫が枕元に、呼びに来ました。

 「起きなさい。お母さん、遅いわよ」といいに来たのです。午前八時でしたけれど。で、これが夢であった事が自覚をされました。ただ、二個目と三個目は夢の中でも、食べられ無かったのが、残念です。どんなに、豪華においしく出来ていただろうかと思えば。

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 この夢は、私の潜在意識の中にある、恐れと、嬉しさのを両面を反映しています。

 私が常々考えてきたことは、
『ああ、飽食の日本よ。だけど、この平和が維持されているのも、国家があるからです。国家がしっかりしていないと駄目なのですよ』と言うことです。それを、AOLのメルマガで、11年間にわたり折に触れ、何度も何度も主張をしてきました。

 そんな私にとって、この今の、経済クラッシュと、突然の消費の落ち込みは、予言が当たった様で、嬉しくもあり、また、悲しくも、困惑のみぎりでもあり・・・・・なのです。では、長くなりますので、今日はここで、きりましょう。

 なお、図版は、今朝、新聞のチラシとして入っていた、鎌倉駅前東急(スーパー)のチラシから、一部をとりました。夢の中の手巻き寿司とは違って、恵方まき(太巻き)の広告です。撮影者には、あしからずご了承をいただきたく。
  では、2009年2月2日   川崎 千恵子(筆名 雨宮舜)
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