09-2-18日(水)の夜、NHK衛星第二放送で、『欲望と言う名の電車』が放映をされました。これはNHKとしては、マーロン・ブランド特集のひとつとして、企画されたものだと思いますが、私はヴィヴィアン・リーに注目をして考えました。
この映画を、最初に見たのは何時だったか?さえ、記憶にないほどですが、ともかく、『風と共に去りぬ』をみただけでは、別にさしたる興味を抱かなかったヴィヴィアン・リーについて、強烈な興味を、抱か・させられたのが、この映画でした。
それで、今日は、ヴィヴィアン・リーについて書かせていただきたいのですが、資料は、文庫版で読んだ、伝記です。今、それが手元に無いので、著者、出版社ともに、不明ですが・・・・・
昨日(09-2-17)、テレビ東京の歴史ミステリーと言う番組で、ちらっとですが、『実はスパイだったといわれている有名な女性』として、マリリン・モンロー、ココ・シャネルとともに、このヴィヴィアン・リーが上げられていました(?多分)。その真偽は別として、ヴィヴィアンと、その他の女性とも、恋愛の経験が華やかで、そして、実はとても賢かったということと、どこかで精神を病みながら、しかし、立派な仕事をしたという点で共通しています。
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ヴィヴィアンが、精神を病んでいたことは、今では、wikipedia でさえ、公表をされていますが、別のサイトでは、結核の方を、主に取り上げ、彼女が、一番目のご主人との間に生まれた娘の子の、幸福なおばあちゃんとして、死を迎えたことを、記しています。どちらも、ある部分で、本当だったと思いますが、上記の文庫本による、伝記内では、ローレンス・オリヴィエとの、さまざまに絡み合った愛憎が、精神の病の引き金になったとされていて、それには、私は、70%は、了承を致します。
同じ分野の仕事を持つご夫婦なんて、内実は、大変なものでしょう。その上、外部の評価がもろに、眼に見えてくる演劇と映画の世界を、リングにして、戦うわけです。ヴィヴィアンが才能豊かな女性であったればこその、悲劇でした。こういう部分は、ちょっと、ロダンと、カミ―ユの間柄を思わせます。
結局は男性の方がタフであり、女性の方が、傷つき易いのですよね。特に恋愛においては、歴史的な慣例から、または、肉体的な特徴から、女性は男に従うべきだという根本的な部分があるから・・・・・
その二人の葛藤(又は、暗黙の競争意識)の部分を、顕在化して、納得、了承をすることが、二人には難しく、彼女は妊娠・出産によって、二人の間を埋めようとしていたみたいですが、サーの称号を持つオリヴィエとの間の妊娠は、ことごとく、流産に終わったみたいで、これも、彼女を絶望させた一因であろうと推定されます。
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けれど、私を感心させるのは、これほどの、窮地にありながら、演技者としては、見事に仕事を成し遂げていく側面もあることなのです。そこに驚くのですが、その両方を、体現しているのが、この『欲望と言う名の電車』です。もうすさまじすぎて眼を背けたくなるほどの演技です。入魂と言うのかな?
私は50代までは、精神的にタフだったと思います。だから、こういう人間のマイナス面を表現した本、および映画を見る事が大丈夫だったのです。犯罪関係の厚い翻訳本を読むのも大好きだったのです。が、今では、ちょっと、耐えられない感じです。それを、鑑賞サイドではなくて、演技者として、主体的に取り組むのですから、すごい、・・・・・
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だけど、これから、先は、私独特の解釈になります。親子の分離をいつ、おこなうかについての、問題です。すごい天才とか大物とかは、結構、早い時期に親と分離して生育をしたりします。ヴィヴィアンもその典型として、非常に幼い頃に、両親が住んでいたインドから離されてロンドンに送られ、修道院付属の寄宿学校に入れられます。
インドで上流階級をしていた両親にとって、インドでは適宜な学校が見当たらないので、日本で言えば小学校入学時に、帰国させたという感じ・・・・・でしょう。
しかし、こういう生育暦を持つと、子どもは、『何でも、安心なんだよ。世の中って、大体大丈夫なのさ』と言う安心感を持てずに、育ちあがります。甘やかされた受容の体験が少ないからです。それで、回りを気にする子供と言うか、人格として、育っていきます。
それは、ある意味で表現者、としては、敏感で観察眼が鋭いということに繋がり、天才性を涵養したと思います。が、他者の言動に傷つき易くなります。彼女自身、最初のご主人を、弁護士から、マネージャーへと転職をさせてしまい、その挙句、もっと、素敵な、しかも社会的にも有名なローレンス・オリヴィエに乗り換えてしまったわけですから、他者へ苦しみを与えた罪深さを背負ってもいるのですが、それでもなお、他者からの刺激に、過剰に反応し、傷つき易くなっていた、その土台としての人格があり、それは、手厚い精神的な保護を、14、5歳までは、人間は必要とするということを、証明していると思います。
それが、ないと、人は、精神の病に陥り易いのです。そこまで行かなくても、不安が多く、自信を持てないで、世の中を渡っていくこととなります。
しかし、そういう弱い側面も抱えながら、あの大作、「風と共に去りぬ」で、出演者の白眉となり、かつ、「哀愁」での美貌のきらめき、そして、「欲望と言う名の電車」での、高い表現力を、世の中に示しえたというのは、すごい業績であり、そこで、結果としては、輝いています。
だけど、今思うと、彼女は、一種の能面のような、顔つきをしています。比較的に、「欲望と言う名の電車」内では、苦痛の表現ではありますが、表情が出ていますが、先の二つの映画では、本当に、心が読めません。それは、<<<小さい頃から、防衛機序が発達しすぎてしまったからだ>>>とも、私には考えられるのです。
寄宿学校、しかも修道院付属なんて、ほとんど、甘えの利かない世界でしょう。そこで、育ったころの防衛機序の構築と、傷つき易さの構築の、両方を併せ持つ、女性のようだと、私は考えております。
結論として、『親とは、こどもを、平凡に育て上げた方がよいのだ』となります。特に、こどもの、幸せのためにはね。
2009年2月18日 雨宮舜 (川崎 千恵子)
この映画を、最初に見たのは何時だったか?さえ、記憶にないほどですが、ともかく、『風と共に去りぬ』をみただけでは、別にさしたる興味を抱かなかったヴィヴィアン・リーについて、強烈な興味を、抱か・させられたのが、この映画でした。
それで、今日は、ヴィヴィアン・リーについて書かせていただきたいのですが、資料は、文庫版で読んだ、伝記です。今、それが手元に無いので、著者、出版社ともに、不明ですが・・・・・
昨日(09-2-17)、テレビ東京の歴史ミステリーと言う番組で、ちらっとですが、『実はスパイだったといわれている有名な女性』として、マリリン・モンロー、ココ・シャネルとともに、このヴィヴィアン・リーが上げられていました(?多分)。その真偽は別として、ヴィヴィアンと、その他の女性とも、恋愛の経験が華やかで、そして、実はとても賢かったということと、どこかで精神を病みながら、しかし、立派な仕事をしたという点で共通しています。
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ヴィヴィアンが、精神を病んでいたことは、今では、wikipedia でさえ、公表をされていますが、別のサイトでは、結核の方を、主に取り上げ、彼女が、一番目のご主人との間に生まれた娘の子の、幸福なおばあちゃんとして、死を迎えたことを、記しています。どちらも、ある部分で、本当だったと思いますが、上記の文庫本による、伝記内では、ローレンス・オリヴィエとの、さまざまに絡み合った愛憎が、精神の病の引き金になったとされていて、それには、私は、70%は、了承を致します。
同じ分野の仕事を持つご夫婦なんて、内実は、大変なものでしょう。その上、外部の評価がもろに、眼に見えてくる演劇と映画の世界を、リングにして、戦うわけです。ヴィヴィアンが才能豊かな女性であったればこその、悲劇でした。こういう部分は、ちょっと、ロダンと、カミ―ユの間柄を思わせます。
結局は男性の方がタフであり、女性の方が、傷つき易いのですよね。特に恋愛においては、歴史的な慣例から、または、肉体的な特徴から、女性は男に従うべきだという根本的な部分があるから・・・・・
その二人の葛藤(又は、暗黙の競争意識)の部分を、顕在化して、納得、了承をすることが、二人には難しく、彼女は妊娠・出産によって、二人の間を埋めようとしていたみたいですが、サーの称号を持つオリヴィエとの間の妊娠は、ことごとく、流産に終わったみたいで、これも、彼女を絶望させた一因であろうと推定されます。
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けれど、私を感心させるのは、これほどの、窮地にありながら、演技者としては、見事に仕事を成し遂げていく側面もあることなのです。そこに驚くのですが、その両方を、体現しているのが、この『欲望と言う名の電車』です。もうすさまじすぎて眼を背けたくなるほどの演技です。入魂と言うのかな?
私は50代までは、精神的にタフだったと思います。だから、こういう人間のマイナス面を表現した本、および映画を見る事が大丈夫だったのです。犯罪関係の厚い翻訳本を読むのも大好きだったのです。が、今では、ちょっと、耐えられない感じです。それを、鑑賞サイドではなくて、演技者として、主体的に取り組むのですから、すごい、・・・・・
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だけど、これから、先は、私独特の解釈になります。親子の分離をいつ、おこなうかについての、問題です。すごい天才とか大物とかは、結構、早い時期に親と分離して生育をしたりします。ヴィヴィアンもその典型として、非常に幼い頃に、両親が住んでいたインドから離されてロンドンに送られ、修道院付属の寄宿学校に入れられます。
インドで上流階級をしていた両親にとって、インドでは適宜な学校が見当たらないので、日本で言えば小学校入学時に、帰国させたという感じ・・・・・でしょう。
しかし、こういう生育暦を持つと、子どもは、『何でも、安心なんだよ。世の中って、大体大丈夫なのさ』と言う安心感を持てずに、育ちあがります。甘やかされた受容の体験が少ないからです。それで、回りを気にする子供と言うか、人格として、育っていきます。
それは、ある意味で表現者、としては、敏感で観察眼が鋭いということに繋がり、天才性を涵養したと思います。が、他者の言動に傷つき易くなります。彼女自身、最初のご主人を、弁護士から、マネージャーへと転職をさせてしまい、その挙句、もっと、素敵な、しかも社会的にも有名なローレンス・オリヴィエに乗り換えてしまったわけですから、他者へ苦しみを与えた罪深さを背負ってもいるのですが、それでもなお、他者からの刺激に、過剰に反応し、傷つき易くなっていた、その土台としての人格があり、それは、手厚い精神的な保護を、14、5歳までは、人間は必要とするということを、証明していると思います。
それが、ないと、人は、精神の病に陥り易いのです。そこまで行かなくても、不安が多く、自信を持てないで、世の中を渡っていくこととなります。
しかし、そういう弱い側面も抱えながら、あの大作、「風と共に去りぬ」で、出演者の白眉となり、かつ、「哀愁」での美貌のきらめき、そして、「欲望と言う名の電車」での、高い表現力を、世の中に示しえたというのは、すごい業績であり、そこで、結果としては、輝いています。
だけど、今思うと、彼女は、一種の能面のような、顔つきをしています。比較的に、「欲望と言う名の電車」内では、苦痛の表現ではありますが、表情が出ていますが、先の二つの映画では、本当に、心が読めません。それは、<<<小さい頃から、防衛機序が発達しすぎてしまったからだ>>>とも、私には考えられるのです。
寄宿学校、しかも修道院付属なんて、ほとんど、甘えの利かない世界でしょう。そこで、育ったころの防衛機序の構築と、傷つき易さの構築の、両方を併せ持つ、女性のようだと、私は考えております。
結論として、『親とは、こどもを、平凡に育て上げた方がよいのだ』となります。特に、こどもの、幸せのためにはね。
2009年2月18日 雨宮舜 (川崎 千恵子)