銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

フライシャーの言葉の、どこが、すごかったか

2009-12-08 00:03:47 | Weblog
 レオン・フライシャーの発言には、その口ぶりをも含めて、数々、『そうだなあ。その通りだろうなあ』と思わされましたが、もっとも、すばらしいもので、しかも感動を与えられたものは、「あきらめない」という言葉でした。

 それを、聞いたタイミングが、私にとって、ちょうどよかったと思います。私は、希望だけは高いものの、なかなか、道が切り開かれない人間でしたが、最近では、少しずつ、自分なりの達成を果たしてきて、『どういう風に人生とは、流れていくか』が、多少なりとも、わかってきているところです。

 ところが、「好事、魔多し」の典型で、書くことに関連した災いが起こり、それが、しんどいこと極まりないのです。それに対して、言論弾圧の変形だから負けるわけには行かないと、心に決めて、日夜戦っているわけですが、その戦いの最中に、いつも、気をつけていることこそ、『あきらめないとか、希望を捨てない』というコンセプトなのです。

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 だけど、病気とか、痛みというのは、なかなか、克服しにくいものです。私は、背中の急激な痛みに、数ヶ月間襲われて、それを、主人に五十回以上、一日おきに東洋医学系の治療をしてもらって、やっと、快癒した人間ですが、その痛い痛い期間の苦しさといったら無かったです。

 電車に乗っていても、先頭から、最終車両まで走りたいほどの痛みで、普通に立っているのが苦痛なほどでした。頚椎内神経・損傷と、それから、ストレスからくる、何らかの難病の可能性があったのですが、発症から数ヶ月以内に、適宜な方法で、快癒することができて、それ以来、過剰な量の、シゴトを抑えるようになっています。

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 人間の生活というのは、必ず、波があり、そして、苦労を内包しているものなのです。その際、『必ず、この苦労は終わるのだ』とか、『この苦労の末に、きっと何かのご褒美が天から与えられるのだ』と考えると、苦労は乗り越えやすいものです。私にとって、苦労は数々ありますが、いくつも乗り越えてきたという経験は今の苦労に対して、耐性を強めてくれています。

 「うたれづよいね」と他人様からも言われたりしますが、自分でもひそかに『柔よく剛を制するで、やろうね』と考えて居ます。

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 でも、目の前で、映像として、レオン・フライシャーが、35年にわたる苦しみに耐えてきて、今では、病から回復していて、右手も自由であるということは、すばらしい見本として与えられました。

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 ただ、次に現れた言葉、「『いつ、また、不自由になるかはわからない』と思いながら弾いている」も、すばらしいものです。多分、その影には、ご自分の現在に対する神への感謝があるでしょう。

 その番組をごらんにならなかった方のために、ここに、あえて付け加えれば、ボツリヌス菌毒素を用いる治療だった模様です。

 演奏をしようとすると、右手の指が中に向けてシュリンク〔縮む)形になり、開かない・・・・・というのは、神経内の電気信号の、過剰な配信であり、その通路をボツリヌス菌の毒素が絶つのでしょう。

 パソコンというのも、電気信号の伝達で、二進法で進んでいくわけですが、それのうちの、悪い作用をする信号をどこかで絶つという形で、回復をなさったわけです。この項目は続きます。  2009年12月7日   雨宮 舜(川崎 千恵子)
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