銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

現代の、言論弾圧は、鎌倉砂岩を使う△

2012-01-05 10:34:25 | Weblog
 これは申し訳ございませんが、小説仕立てで書かせていただきたいと存じます。ただし、無論のこと、これは、政治的問題、特に現代の、言論弾圧がどういう風に行われているかを語るものです。

 そして、見事に敵陣さまは釣られてくださっています。この小説の中で、原発推進側が最もかわいがっている政治家としてあげている大友二郎氏は、『あんまり引っ込んでいると、地歩がなくなる』と思ったのか、選挙区へ帰りましたね。その行動は常に、私の文書と連動しています。そして次の日、4日には、彼の配下の代議士が新党を立ち上げました。
 なお、どうして、エッセイで書かないかというと、読後皆様もすぐ、ご理解いただけますように、差しさわりがあっちこっちにあるからです。
 そして、そんな無理なことをどうして、ココで、書くかと言えば、これが、この2日の朝(=元旦の夜)に、寝床の中で沸き起こった文章のアイデアだったからです。
 常に申し上げております。「神様が、頭上に落としてくださるものを書く」と。そういえば、今日はこれだと感じています。

 で、小説として書く場合は、文体は『です。ます。調』ではなく、『だ。である。調』となります。そして、語り部たる主人公の名前は、村岡百合子となり、相手方というか、ほかの登場人物は、それなりの、名前を与えられます。
 なお小説といっても、修飾部分はあまり無くて、とんとんと筋が運びます。それは、それは、大胆に運びます。(笑)
 でも、思いがけない、終わり、は用意してあります。ちゃんと起承転結を伴っていると思います。
 なお、6日の午後零時現在、5000字増やしておりますので、ぐっとわかりやすく、なっていると思います。どうかよろしく。

第一章、『政治家がまた、嘘を言っている。それは、危険な信号だ』
第二章、『真夜中に、石が、外壁へ、投げつけられる』
第三章、『石は西側からも、ぶつけられる。もしやお隣が、敵?』
第四章、『投石と、猫のトラブルが、ここで結びつく』
第五章、『警官がやってきて、偽者の調書を取る。驚愕?』
第六章、『投石の真犯人を見つける、試み』
第七章、『実験中に名案を思いつく。で、やっとなぞが解ける』

第八章、『休憩=======前半部分結語』

第九章、『クラス会が、銀座で行われる。これは罠だ』
第十章、『屠所の羊は、神の子羊でもある』
第十一章、『やがて、自由時間になるが、自由な精神で動くのだ』
第十二章、『モズクの、酢の物が、新刊書を汚していた?』
第十三章、『フェイスブックの世界で、同じことは繰り返される』

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第一章。『政治家がまた、嘘を言っている。それは、危険な信号だ』

 それは、2009年の1月のことだった。
 ニュースによるとアメリカから、国務長官が近々来日するということ。そういう事情を控えて、百合子が最も警戒する政治家、大友二郎が、アメリカ批判を開始していた。なんと、「基地を返還させ、アメリカ軍が、日本から引き上げるのを求める」というのだ。百合子はあほらしいと思う。そんなことができるかな?

 アメリカは、日本を完璧に支配している。その根幹を成すのが、力による支配だ。それが、日本における米軍基地なのだ。「それが引き上げる」だって。むろん、そうなれば、うれしい。だが、できるだろうか。できるはずがないと思う。それを、できるかのごとく、堂々と言い放つ、大友二郎に、一生で、何千回目かの嫌悪感を抱く。

 しかし、こういう風に大友二郎が、国民をあざ笑い、フェイク(偽者)のニュースを流すときに、は、彼ら、国際的軍産共同体が、極端に強く、自分たちが勝つと信じているときで、原発に反対をしている百合子の身辺は、又、又、ざらついてくるのだった。

 東電が、いじめる手段として使われている。帰り道で工事が、しょっちゅう行われるが、数ヶ月前から、きちんと予定表が発表されているものだけではなくて、数日前に突然発表された工事が、鎌倉の八幡宮周辺を囲んでしょっちゅう行われ、あまつさえ、ひとつしか進入口がない、百合子の家への道で、行われる。そこを、絶対に通らざるを得ない、場所で、まるで通せんぼをするがごとく、突然に、工事をやっている。
 これは、2008年から彼らが始めた脅かしの手段で、鎌倉駅から長い小町通に入る際には、道路は真っ暗に見える。が、全部で、800メートルはあるその長い一本道の途中、400メートルまで到達すると、突然前方に大きな丸いライトがついて、轟音を立てて工事が始まる。それまでは、音も光も無いのに、突然それが、浮かび上がり、そばを通れば屈強な男どもがあれこれと、がさつな風情で、動き回っているので、繊細な百合子の精神を脅かす。それが可能だと、彼らは信じているのだった。

 共同溝、工事だと言うが、なんと、2008年の二月から始まって、その2009年の1月でも、まだ、一本も、電柱は、取り去られておらず、きれいな敷石の道は、回復せず、たまたま工事をやっていない日にタクシーでそこを通ると、バウンドが激しかった。(注、それは、2012年になってもまだ終わっていない。不思議な不思議な怠慢さを示している。工事費は天文学的なレベルで無駄遣いをされている。)

 この工事は、百合子が書いた、『敷石を磨く男』と言うエッセイの効果を薄めるために行われていると百合子は直感していた。だから、いつまでたっても電柱は取り去られることは無く、昔、設置されていた美しい敷石は回復することが無いのだった。原案は、鎌倉の有力者、伊原健次郎と、彼の盟友であり日本中にその盛名がとどろいている大作家、○○つよしである。

 この二人は、ひょこひょこっと、アイデアを思いつく。彼らにしてみれば、絶対に自分たちの姿はあぶりだせないはずだと信じて、公の組織を使う。だが、百合子は裏側をすべて、見ぬいていた。で、ある日、工事責任者を呼び出して、今日は何をやっているのと聞くと、単に土の中の障害物を取り除いているのですと、言う、が、そこは何度も掘り返したところで、ジャまになるものなど、石っころ以外には、なにも無いことはその現場監督そのものが知っていた。で、恥ずかしそうに目を伏せるのだった。

 悪いのは井原健次郎と、○○つよしの二人である。だが、彼らは性懲りも無く、同じ手を使う。百合子がなずけている大相撲壊滅作戦はその、もっとも顕著なものである。たいしたことも無いのに、大騒ぎをして、相撲の世界をめちゃくちゃに貶めた。単に、ある男性の下半身の名誉を守るためだけに。すべては井原健次郎と、輪子が愛人関係にあったことを隠すために行われていることだった。輪子というのは、百合子の近所で書道教室を開いているわがままな女性だ。どうして伊原がそれほど、守られるか。それは、彼が国際的軍産共同体の重要なエージェントだったからだ。特権階級中の特権階級と化しているのだった。

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第二章、『真夜中に、石が、外壁に、ぶつけられる』

 この道路工事に似ていることとして、これも百合子を脅かすために、しょっちゅう停電がある。(注、これは、2009年の話。3.11直後の話ではない)、停電の最中、に、百合子が寝ている部屋へ、南側から、大きな石がぶつけられた。東側の増築部分は壁が、モルタルで、しっかりしているので、石がぶつけられても反応音は鈍い。が、百合子が寝ている部屋は、古家を買った部分であり、壁がトタンでできていた。鎌倉に好みの家を建てるのだから、前の建築主は気取って、きちんとした壁材を使うものだろうと思うが、ここは、数十メートル上がる山の上なので、建材をすべて、人間が運ぶ。それで、建築費がばか高い。だから、材料費をケチっている。そのトタンに石が、がたんとぶつけられる。中の支持材がしっかりしていないので、家の中にいると意外と音が大きい。当然のごとく気が付く。それに、百合子は雨戸を閉めない習慣なので、百合子がおきていることは、南側から覗き込めば、すぐわかる。だから、その音が自然なものではないのはすぐに了承をした。攻撃だった。
 百合子は、その事情はすぐわかる。

 彼らは、百合子の文章を恐れている。で、書くことを止めさせようと躍起だ。もっとも有効な手立ては、ノイローゼにさせて入院をさせてしまうことだと考えている。だから、暗くなった停電の夜、午前二時ごろに、壁に、がたんと大きな石のぶつかる音がすれば、彼女は驚き入るはずで、おびえるだろうと思われている。

 南側は、山である。いくらでも、そして誰でも侵入できる。誰が? 専門家か。それとも、ご近所の人間が教唆されてやっているのか? ご近所の人間が使われている可能性も十分あった。

 これ以外にも恐るべき汚いことが繰り返し、ここでは行われていた。あまりにひどいので、それを文章に書いていた。それが、彼らにとっては、またあらたな脅威であるらしくて、果てしない攻撃が始まっていた。やめればいいのに、まるで強迫神経症にかかったように次から次へと攻撃案を編み出すのだった。が、その最大の初因は彼ら側の悪にあった。だから、百合子は引くわけにも行かず、彼らの悪を次から次へと暴き続ける。そして、それを文章に書く。いたちごっこだ。

 が、長い忍従の果てに、少しずつ、百合子にも光が当たり始めていた。彼らが、作戦を変えてきたのだ。それは、少しは反省をしたということ、または、自分たちだけが、一方的に勝っているのではないと思い始めたことを示していた。なんと長い時間だっただろう。我慢の上の我慢だった。

 結局は大学時代、および、横須賀時代に、CIAの人間と思われる、タイプに、頭の良さを見つけられてしまったことが、原因だった。別に、あえてそうしたわけではない。何も政治運動はやっていないし、政党にも属しては居なかった。が、どうしてか、不思議な形で、彼らと百合子には、接触があり、百合子の頭のよさは彼らに完璧に知られてしまっていて、つぶそう、つぶそうとずっと、図られていたのだった。
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第三章、『石は西側からも、ぶつけられる。もしやお隣が、敵?』

 南側から石がぶつけられてきた最初の夜には、プロ(CIAとか、革○と呼ばれる人間)がやっていると思ったが、それ以降、三ヶ月置きぐらいに、工事が原因の停電ではない普通の日に、西側からも、石がぶつけられるようになった。南側は、自由に誰もが入れる山だ。だから、プロがやっていると思う。が、西側は自由には入れない。で、まるで、お隣がやっているように見える。これは衝撃だった。

 鎌倉の石は、やわらかい。だから、音も柔らかい。どーんという音は、百合子にはわかるが、ほかの家には聞こえない。それで、いつまでも、いつまでも、この攻撃は続いた。しかし、研究を重ねるといろいろなことが、わかっても來た。砂岩というのは、中間的なやわらかさをもち、トタンを相手でもぶつかると石の方が割れる。が、と、同時に、トタン壁にも凹み跡が付くのだった。
 そして、石は割れたとたんに、真下に落ちる。だから、西側から直角に投げこまれた様に見える。
 が、不審極まりないことには、西側は誰もが自由には入れない。お隣しか入れない。

 最近、上品で相当なインテリの若夫婦が、新しい家を建てて引っ越してきた。夫婦とも建築科出身だと聞いて、奥さんに「早稲田の建築科のご出身ですか?」と質問をした。それは、百合子が、早稲田の建築家出身の人を数人知っていて、彼らが、上品なことを知っていたからだ。だが、「いえ、違うんですよ。早稲田もいい学校ですけれどね」と答えたので、『あ、そうか。東大なのだ』と内心で、思った過去がある。

 そんな素敵な夫婦の家から、真夜中に、人を脅かすために、石を投げ込まれる。もしそれが事実だとしたらと、深い絶望に襲われる。四面楚歌とはこのことかと思う。だが、そのタイミングが、見事に百合子が書くものと連動している。百合子が銀座等で、感じたいやなことを、踏み台にして、この国の政治の本質を暴いた後で、見事に石がぶつけられるのだった。
  百合子はそれで、『どうも、怪しい。何か策略であるような気がする』と思い始めた。

 この行為の目的は、***お隣と、私を喧嘩を、させることではないか***とも感じ始める。

 お隣の家は、敷地だけを言えば、もともとは、一人の大家さんが、実質的な面積、80坪(登記簿上は、私道部分やがけ部分を含んで、120坪ぐらい)を買って、その中に二軒の家を建てていた。そして、最近、その二軒を別々の持ち主に売ったのだ。それで、間が、狭いので、両家の間だけは塀を作っていなかった。特に百合子側から見ればさらに西側に位置する、栃田登の家とは、水平面も同じであり、簡単にお隣の敷地内に侵入できる。あそこのルートを使って、侵入し、北側から斜めに、石を投げつければ、音がするのではないかと思い当たる。
 それをやっているのは栃田登である可能性もあった。栃田登は最初の章にあげた、輪子の現在の夫である

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第四章、『投石と、猫のトラブルが、ここで結びつく』

 栃田登の妻、山川輪子は、鎌倉の有力な文化人、伊原健次郎の愛人だということで幅広く書道教室を開いていて、収入面で羽振りが良かった。どういうことかというと、伊原健次郎が、鎌倉市長にでも取り入るのか、鎌倉市内の、各所の公民館とその支所や、老人施設でお教室を開かせてもらえるのだった。それで、お月謝の合計が一月に、200万円にも上るそうで、傲岸不遜極まりない人間だった。その影響で、百合子は、私道部分を一軒だけコンクリートうちをされてしまい、花畑を失った。それの損失だけでも、25年間には、500万円に上る。これは、ほかの家が、その私道部分で楽しんでいる部分を貨幣価値に変換するとそうなる。

 が、最近では猫に関して、新たな、大トラブルが起きていた。百合子の猫が、お出かけが多い百合子の留守中に、そこへ遊びに行くようになったのだ。そして、先生と先生のお弟子さん、の、すべてにちやほやされるものだから、居心地がいいと思うのか、なかなか、帰らなくなったのだ。それに、味を占めて、やりたい放題のいじめを百合子に仕掛けてきていた。百合子は、不思議なことに、いじめられやすい人間なのだ。それを嘆いて賢い、年上の友達に「どうしてでしょう?」と聞いたら、「あなたには、どこかにじみ出る、育ちのよさがあるのよ。それは、まねにしても、大人になってしまった人間には容易には得られないものだから、憎たらしいと思う人は出てくるのよ」と解説された。で、いじめの一種としてか、猫を返さないようになった。
 
 しかし、夜は百合子の子供たちや、夫が帰ってくる。みんな猫好きだ。で、夜、猫がいないのは困る。で、毎晩、百合子が、迎えに出かけるようになった。そんなある寒い夜に、呼び鈴が聞こえない振りをして、外で、五分も待たされた。それが、下品な、輪子と、登夫妻のセクシュアルな快感を呼び覚ますらしかった。サディズムの極地の人間たちなのだ。百合子は、埼玉県で起きた少女コンクリート詰め殺人事件を思い出した。それと比べると規模は、小さいが、コンセプトは同じだった。

 彼らが威張りかえる、よりどころになっている、鎌倉の有名人である井原健次郎の方も、インターネットで調べてみたが、決して上品な人物とはいえなかった。彼の会社の勤務者が次から次へとノイローゼになっていることも知り、登と輪子夫妻が、真に教養のある人間として、反省する要素がないことは、わかってきた。

 で、結局のところ、夫と息子が強く主張をして、猫を家から出さないこととにしたのだった。猫は自由なものだから、百合子はこの措置には、大きな怒りと無念さを感じたが、どうしようもなかった。ところが、百合子の猫は、特別に活発で、行動力が抜群であり、過去のうまみを忘れなかった。  

 2005年の或る夏の午後、ちょっとした隙に家出をして、登・輪子夫妻の家へまた、行ってしまった。それは、寒い夜にあまりに長い時間待たされたことに怒って、絶対に出さないと決めた時からは、半年経っていたが、その六ヶ月前のうまみを、百合子の猫は忘れていなかったのだ。つまり相手を家来として使えることの快感である。絶対にちやほやしてもらえるとわかっているから、そこへ出かけた。

 百合子はその日、ふと、猫が居ないときがついたときに、『今日は、夜まで待っていては駄目だわ』と思い当たった。彼らは、相当にあの猫にこだわっている。『これを、勿怪の幸いとして、もう返してくれないかもしれない』と、推察した。で、昼間のうちに、すぐに迎えに行った。

 彼らは、予想通り猫を家に入れ、隠していたが、やはり、『これは、まずい。名誉ある常識人のすることではないということはわかったのか、うそをつき通すつもりらしかった。もし「はい、います」と言って素直に返してくれれば、彼らの恩人、伊原健次郎も、ここまで深く、その悪人振りを、白日の下にさらす可能性もなかったのだが、徹底的に幼稚な夫婦なのだった。で、無鉄砲にも「居ない」と主張し、大声で、百合子を脅し始めた。『こいつを、早く家に返して、猫がいることを、絶対に、知られたくない』と思ったのだろう。が、彼らの思惑に反して、その大声に驚いた猫が、外に、飛び出して來て、「お母さん、おうちへ早く帰ろうよ」と、言った。猫は、乱暴なこと大っ嫌いだ。特に大声なんて、大嫌いなのだ。そんなこともわかっていないなんて、信じがたいあほだ。猫は、ただ、にゃあ、にゃあと、啼くだけなのだが、百合子は、特別な感性を持っていて、猫語がわかるのだった。
 
 百合子は時々、神様が身近に居てくださることを感じている。このときのことも、『これほど明瞭に、神様が、身近にいることを感じたことはなかったなあ』と思うほどだ。そして、このなきごえと、百合子を慕う様子は、登・輪子夫妻をぶちのめした。
 彼らは、うすうすは百合子が相当な人物であることを知っていた。しかし、百合子の猫が、百合子よりも、自分たちの方をより慕うので、それを根拠に『自分たちが上である』と信じきっていたのだろう。そういう猫の様子が、大きな自信の糧になっていたのだった。

 しかし、最後の最後、徹底的に、恥じ多い形で、真実を知らされたのだった。真実とは、この際は、百合子の猫が、彼らより、百合子を慕っているし、百合子を大切に思ってくれていることだ。欲張らなければ、これほどの恥をかかなかったはず。丁寧に礼儀正しく、かつ、普通に、「あら、來ているわよ。久しぶりだから、私たちも楽しんだわ」ぐらいの会話をもって、すぐ返してくれたら、大事にはならなかった。中学生みたいな、幼稚な心情で、猫をかくしたうえに、さらに脅迫的な大声を出して來た。それによって、猫そのものに裏切られたのだった。猫も幼児も、直感は確かである。決してだませない。

 悪人とか、下品なものを、即座に見抜くのだった。そして、自分の家来となってくれる人間をも。一応、ちやほやされることは、好きではある。だが、大切な本当のお母さんが、苦境にあれば、お母さんの見方をするものだ。彼女の、本当の家族は、私たちなのだから。毎晩、布団の中で一緒に寝ているのは、お母さんこと、百合子なのである。

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第五章、『警官がやって来て、偽モノの調書を取る。驚愕?』

 しかし、この屈辱から、真実を学ぶことは、この二人にはなかった。彼らは、屈辱を晴らすために、その直後に、警官を呼んだのだった。その警官にこのように頼んだ。『あそこの奥さんを、だんなさんに叱ってもらってください』と。こんなことに応じる警官も馬鹿のきわみだと思うが、それが起きたのは、今、投石についての文章を起こしている2009年より、二年前の、

 2007年の8月の第4週の日曜日だった。日曜日だから警官はその『だんなにしかってもらえ』という言葉を信じたらしい。旦那は家にいるはずだと。そんな馬鹿な命令にやすやすと、従ったのは登・輪子夫妻が、鎌倉の有力者、伊原健次郎の名前を出したのだと、推察する。

 だって、現場警官だって、一応高校は出ているはずだ。それに、入庁試験も、あるはずだ。そして、入庁してからだって教育はあるはずだ。それなのに、*****ここでは、自分たちがとんでもないばかげたことに巻き込まれていて、やってはいけないことをやっている*****という反省が、一切ない態度や行動を示したのだった。年長の警官は、ドアノブをガチャガチャ言わせながら、「あんたに、用はねえんだよ。だんなに用があるんだ。だんなに出て来てもらいたいんだ。あんたを叱るためにね」と、いい続けるた。それで、百合子はすっかり余裕を持ってしまった。特に日曜日は、百合子の夫は仕事をする人と決めており、家にいなかった。彼がいるとかえって簡単に巻き込まれて、相手の言うなりになってしまう。そこを栃田夫妻も狙っている。が、彼がいないのだから、これは、まず第一段階で、こっちの勝ちだ。

 特に、その警官の音をガチャガチャ、乱暴に立てながらドアを開けようとする様子にも余裕を持った。そのドアの内側には猫トイレを置いていて、一切開けたことのないドアだった。使っていない。が、一回ぐらい猫を返しにここを訪れた輪子は、夫・登に、「あの家って、二つも玄関ドアがあるのよ。家庭内別居だから、白いドアを、奥さんが使って、ベージュ色の方は、旦那が使っているのでしょうね」と言ったはずだった。テレビドラマかなんかで、見た、家庭内別居夫婦の図を、勝手に自分たちで敷衍して、応用しているわけだ。それが、目の前の警官の動作に如実に表れていた。警官は、それを音高く、いじれば、中から、別居中の旦那が出てくると信じているようだった。

 ともかく、登・輪子夫妻が、『あの家は夫婦仲が悪い』といって、それを警官が信じていることが推察された。そんなことは名誉棄損、人権侵害の極みだ。だから、勝手にやらせながら、どの時点で、法的に役立つ証拠が、こちらに握れるかを、じっと待っていた。

 『夫婦仲が悪いだって』それは、ばかげた誤解だった。精神の部分が発達していない、彼らが考えるに、百合子がアトリエで、別居していた三年間が、そういう意味を持つのだろうが、それは大きなアーチストとなるべき百合子が、海外修行をしたくて、やっていたことだから、野望を持っていない人間には、理解が不可能なことだった。百合子は目の前の警官も、その後ろにいる、登・輪子夫妻も、さらにその後ろにいる井原健次郎も、すべてが、自分より格下だと、決定的に感じ、警官二人をやりたいようにやらせておいた。すると、若い方が、馬鹿のきわみにも、調書を取り始めた。

 『泥棒は登・輪子夫婦の方なのに』とあきれ返ったが、ともかく、お釈迦様の手のひらの上で泳がせるつもりで、十分に書かせた上で、「これは取り上げますよ。こんな不当なことをされては、弁護士にこれを見せないといけないから」というと、突然二人は、目が覚めたようにあわてまくって、自分たちが大失敗をしていることに、気が付いたのだった。猫はむこうが盗んでいるのだ。法的に厳密に言えば窃盗犯は、あっちであって、そっちが叱られることはあっても、単に自分のものを取りに行って、脅かしまくられた百合子が、警官に脅される必要はない。その前の段階の、警官が百合子を叱る理由もないし、百合子の旦那に百合子を叱ってくれと命令する理由もない。が、その段階では、彼らの失敗は法的には、形とはならない。だから、十分に待っていた。この一事をもってしても、警官を含んで、彼ら井原健次郎に連なる人間がどれほど、未熟であほであるかがわかるのだった。したがって彼らの上に立つスター、政治家、大友二郎の頭脳も推して知るべしだ。が、NHKは、しばしば大友二郎を称揚する特集を組んだ。それが、この国の構造を、百合子に向けて、さらに明らかにしていく。
 
 元へ戻ろう。
 さらに驚かされたことは、これが、交通事故用の調書だったことだ。弁護士にファックスの形で送ってから解った。百合子の家は地上からは、130段も石段を上がった山の上にあり、車など、一切入ってこない。しかも目の前に、血が出ている人間はどこにもいない。

 ところで、ここで、2009年から離れて後日の話をしないといけない。百合子の家にはしょっちゅう泥棒が入るが、ライターとして大切なものが次から次へと盗まれる。ある日、気が付いたが、この交通事故の調書のコピーがなくなっていた。ということは、恐るべき発想へつながる。警察が、自らの失敗を糊塗するために、泥棒さえやっている?」ということとなる。 しかもその泥棒は調子に乗って、日によっては、百合子宅の20っ個以上はある壁の額をすべて、左側だけ3センチほど下げたり、パンツを引出から、あっちこっちへ移動をさせたりする。

 それで、百合子はこう判断をしている。・・・・・鎌倉の有力者井原健次郎が輪子と自分との過去の下半身のつながりを隠すために、国民的大作家、〇〇つよしと組んで、二人がすべての脚本を書いている・・・・・・と。

 それで、国際的軍産共同体のエージェントたる二人が、命令する部下としての、泥棒は数種類いるとも見ている。中には警官が、百合子宅に入っているケースもあるだろう。が、国際的軍産共同体の手下ども、特に瀬川機関と呼ばれるものや、ありとあらゆる鍵を開けてしまうといわれる革〇なども手下として使われている。また、ご近所にも鍵を渡されている可能性がある。額が左側だけ三センチ下がっているのは、百合子宅に入ったことがある、美術の専門家だろう。また、家の前に、数か月にわたって馬鹿げた形で、警察のポスターを張っていた家があるが、そちらも鍵を渡されている可能性がある。

 そちらも、ひどい迷惑をかけてくるので、すでに文章として分析してあった。たぶんだが、3人も実子がいるのに旦那は部下の若い女性に手を出して、奥さんを追い出した可能性がある。そんなことは誰に聞かないでもわかる。略奪をした奥さんの行動を見ていれば、すぐわかる。母の形はしているが、愛情が全くない。それを文章に書いていた。そちらが先にひどいことをやってきているで、それを記録する文章を書くと、ハッキングをされているので、すぐ伝わって逆恨みをしてくる。だからこ、泥棒に入るという次の恐ろしいことも平気で出来るのだろう。まあ、断定だけは避けよう。単に、『パンツを動かすのは、三人も子供がいて、表では賢夫人面をしているが、裏では夜叉のごとく、子供ににらみを利かせる二度目の妻を持つ家の、旦那である・・・・・・その可能性がある』とだけ、ここでは言っておこう。

 ここで、再び元に戻る。パンツやら何やらよりも、もっと大切な、交通事故の調書に戻ろう。それが盗まれたのが一番、大切なことだった。向こう側にとっても、こちら側にとっても。というのも最初の数年は向こうは大喜びだろう。が、数年上経てば、むしろ、それを泥棒に入った事とが、彼らの弱点にもなるのだった。どうしてかというと、まず、この小説の筋を生き生きさせ、そして前後の脈絡を際立たせるではないか。そのほかにも今は明かせない理由もある。
 そして、盗んだって、弁護士にファックスを送ってある。弁護士が、百合子を裏切るようだったら、この国は法治国家としては成り立たない。また、弁護士事務所に泥棒が入るようだったら、これも、この国が法治国家ではないこととなる。

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第六章、『投石の真犯人を見つける、試み』

 百合子は、投石が行われるタイミングから考えて、これは、政治的な弾圧だと感じ始めた。登・輪子夫妻が信じがたいほどのわがままと傲慢を繰り返すのも政治的な裏があるのにも気が付いていた。横須賀時代に、日本の黒幕、つまり、国際的軍産共同体のエージェントとして、もっとも大きな存在だといわれる、瀬川隆造と、バッティングをしていた。瀬川と、その軍人時代の親友、増田大蔵が、しくんだ公用地の詐欺めいた不正な取得転用の目撃者となっていたのだった。つまり、簡単に言うと百合子は、実は天才的に頭がいいのだ。瞬間的に悪を見抜く。ただ、普通の人間はそこまで頭が早くは回転しないので、自分たちのあくが見抜けるはずがないと思うらしくて、とんでもない証拠品を百合子に堂々と開示するのだった。それは、地籍変更届の書類という形を取っていたが、百合子は、一週間か、二週間で、その悪巧みの裏がわかった。

 増田は、事件後死んでいたが、瀬川が、その不正で、取得した土地に、三十年後を期して、数棟の大マンションを建てていた。売上高としては、数十兆円に登るものを、計画していたが、その裏側を知っている百合子が、そちら側からも、抹殺をされそうになっているのは自分でも知覚していた。悪人は相手方なのに、知恵の限りを尽くして、策略を弄して来るので、神経の休まる間がない。

 百合子の方が、先に、その汚染された、横須賀のくだんの土地を離れて、鎌倉へ転居したのだから、それで、安心として、それ以降掘っておけばいいのに、最後まで抹殺しないと安心できないのか、鎌倉でも、24時間苦しめるつもりなのだった。だから、住まいのご近所を手なづけて自分たちの目的のために、利用する。登・輪子夫妻は、その象徴的存在だったが、それ以外にも、数人利用をされている存在がすでに居て、百合子は見抜いていた。一般的に言えばご近所の人間がカギを渡されていて、侵入できるとは驚天動地のことである。だが、ここでは、それを、一般の人間、東京銀座で個展を開いているような人間がやっている。たぶんそうである。普通の人間だったら、相手の望通り、ノイローゼになるところだ。だが、百合子には信念があって、全くたじろがなかった。
 悪は必ず、滅びる。彼らは、おおもとのアイデアマンが隠れていて、何層にも手下を使っているので、真相が、百合子に見えることはないと信じているみたいだったが、とっくにわかっている。必ず悪はrevealed (露見する)と、百合子は固く信じている。だから、故祖、動かないのだった。ひどいことを数々されていたが、昨晩やられましたから、本日、その問題を書きますわ・・・・・というようなおっちょこちょいなことはしたことがない。ほとんどのことはじっと我慢でやられっぱなしである。

 問題は、東大出身の上品極まりないお隣の夫婦が、敵として、真夜中に、百合子の寝室めがけて石を投げつけているかどうかであった。百合子は夜型であり、夜遅くまでいろいろなことをするので、別に夫婦仲は悪くもないのだが、寝室は別にしていた。で、二階に寝る夫は、この音には気が付いていなかった。砂岩がトタンに当たるのはその程度の音なのである。
 しかし、悪意を示されたときに、そのまま放っておくと、彼らは勝ったと信じて、さらに、思いもよらない新しい悪事を計画し来ていた。それゆえに、小さなものでもつぶしておかないといけない。

 ただ、これは、調べにくいことおびただしかった。古家部分には、窓がなかった。前の住人が、一切の他人と接しない形の家を設計していたのだった。この家はありがたいことに、東、南、北の三方向では、隣家というものと接触しない形の家だった。唯一残っている西側を、トタン板で覆ってあったので、西側は、内部からは見えないのだった。そして、お隣は、百合子と生活パターンが似ていて夜型だった。それは、すりガラスの入ったトイレの小さな窓から伺える生活様式だ。

 しかし、品の良い彼らが、真夜中に、脅すために石を投げつけているとは、どうしても考えられない。一度、極端にはみ出して見える塀を作る際に、一切のお断りがなかったので、その際には、疑問は感じた。まあ、ほかにもいろいろ、『相手方が、自分たちの手ゴマとして、あのご夫婦を、利用しているなあ』と思うときはあったが、それでも、真夜中に石をぶつけてくるほどのバカなことをするとは思えなかった。

 そしてそれを探査したり、確認したりすることも、恐ろしかった。人間とは、だいたいが悪に直面するのを嫌がるものだ。実際に悪が目の前にあっても、それが無いことにしたいという心理もある。だから、調査もできないし、ましてや、質問することなどはまったくできなかった。多分大きな、誤解を招く。質問の段階で喧嘩になる。そうしたら、登・輪子夫妻を正当化するために、すでに、『あの人は、喧嘩っ早い人間だわよ』という風評を流されている可能性があって、その風評を強化することになるではないか。こちらがおお損になる。ディレンマは果てしがないが、仕方が無かった。我慢の歳月が一年半ほど続いていた。

 だから、お隣に、どうあっても、それを質問をすることはできない。ともかく、科学的に確認する必要がある。だが、それも、一年半もできなかった。百合子だって、お隣とは悶着を起こしたくはなかったからだ。だが、とうとう腰を上げた。

 まず、砂岩を、20個ぐらい集めた。
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第七章、『実験中に名案を思いつく。で、やっとなぞが解ける』

 それらの石は、百合子の南側の山にだって、100個は転がっていた、それは、登・輪子の南側からだって、容易に見つけられるものだった。いや、ほかの家に住んでいる人間にも見つけられる。外から侵入してきたCIAなどのプロにも、昼間のうちに見つけておけば、200個ぐらい優に見つかるものだった。

 それを、斜めにトタン壁に投げつけてみる。お隣がやっているとすれば、真横から90度の角度で、投げつけることとなる。一年半も、そう思わせられて来ていた。が、その家を超えて、さらに西側にある登・輪子夫婦の家から、敷地に黙って侵入してきて、眠っているお隣を、通り越し、だけど、庭先深いところまでには入らないで、北側の、玄関先ぐらいの場所から、投げつけたらどうなるだろうか。お隣が、何も知らないうちに、我が家の壁を傷つける可能性はあるだろうか。それは、斜めから、投げつけてみればわかる。

 百合子は、力が弱い。最初にボーリングをしたときはガターばかりで、総合得点が十四点だった。野球もできない。ので、最初はうまく投げつけられなかった。特に、お隣に侵入するわけにも行かないので、自分の家の敷地内から投げるので角度が、20度以下になる。それは、横向きに掠める形になるので、なかなか、跡も付かず音も小さかった。だが、いったん、はじめてしまったら、もう二度とはトライできない実験だった。だって誰だって、自宅の壁に石をぶつけるのは狂気の沙汰だと思うだろう。それを、早朝とか夜にやるわけには行かない。ますます、狂気の沙汰だと思われるから。それで、日曜日の適切な時間帯、つまり、ご夫妻ともども在宅であり、かつ起きているとわかっている時間帯に、それを始めた。

 10個以上投げつけているうちに、だんだんコツがわかってきた、だんだん強く当たるようになって来た。すると、音も出るし、あたった跡も付くようになって来た。そして、以前投げつけられた次の朝、確かめたように、そこには、外壁の跡と垂直に、石が真下に落ちていて、しかも、二つに割れていた。

 『ナンだ。斜めに投げても、石は垂直に落ちるんだ』と思ったとたんに、ひどく陽気な気分になった。今まで暗い気分だったのは、お隣に対する疑惑が原因だった。それが90%近くのレベルで晴れた。

 そのうちに奥さんが不審がって、二階の窓からこちらを覗いているのがガラス越しに、見えた。『しめた。これで、何とか会話の端緒がつかめるぞ』と思った。それで、30分おきに、あと二回ほど、それを繰り返し、一回につき、10個以上を壁に当て続けた。そして結果は、上々だった。お隣は『もう、たまらない』という感じで、質問をするために、ご主人が出て来たからだ。そこから、「絶対に、我が家では、投石など、やっていません」という答えを引き出した。それを、百合子はもちろん信じた。そして、顛末をすぐに、ブログへ描いた。だって、一年半も、苦しめられ続けたから、この晴朗さは、ありがたかったし。それによってやっと真夜中の投石は終わった。もし、それ以上やったら、すぐ、百合子は外へ飛び出て、逃げ去る男性の影を追いかけるはずだった。栃田登か、または、この山で井原健次郎の言うなりになっている家の旦那が、五人ぐらいいたが、そのうちのどれかを、引っ付構えることはできただろう。
~~~~~~~~~~~~~

第八章、『休憩=======前半部分結語』

 あ、ただ、ここで、この猫事件の後で、急に引っ越してきた若い男性がいることには、言及しておかないといけない。その男性は、たった一人で、鎌倉の一戸建てを、買い(または借りて?)住んでいる。その若い男性が、プロのテロリスト、または、いわゆる工作員である可能性もある。そして、彼の家に大型のインヴァーターが置いてあって、ハッキングが、できるように電波を飛ばし、また、百合子のパソコンへ、バグを入れこめるようになっているかもかもしれない。

 そういう基地は、この山の中で、防水を完ぺきにした箱を置けば、すぐさま設置が可能だが、そのインヴァーターを、彼の家におけば、すべては楽々な工作となる。、
 ただし、『額を斜めにした方がいい』とか、『美しいスプーン類があるので、それを盗んだ方がいい』というのは、百合子の家に来たことのある人間の、助言に基づいている。

 百合子が一種の個展を兼ねて、オープンハウスをやった時に、来るべきはずでない人間が来た。音声による感想としては、夫に向かって「来てもらってありがたいわね」とは言っていたが、百合子は音声で、出さない部分で、『変だぞ』との、直感を抱いたのだ。あの男が来る可能性はないのに来た。何か裏があるぞと。そして、その男、===銀座で個展をするほどの画家====が、この家に入ってきた時以来、この泥棒騒動が、プロが狙うはずの書類だけではなくて、百合子が大事にしていて、すぐ気が付く、もの類に波及する日々が、始まったのだった。

 ところで、音声による発言で、と、断ったのは、『あなたのお宅は電話とともに、室内も、登頂をされている可能性がありますよ』とAという弁護士さんに言われたからだが、出かける際の小町通理での、反応を見ると確かにそれは言えている。敵がこちらを強く脅かしたいと願っているときは、横列で、機縁¥監視員というのが向こうから歩いてくる。時には自転車なんとか監視員であったりする。が、小町通りのように、人出の多いところで、たばこを吸っている観光客などいやあしない。百合子が、禁煙運動の行き過ぎは、自分を追い詰めるための策であると、知っているので、それを利用してさらに脅迫をしてやれと思っているのだ。井原健次郎と、大上(オオカみ)つよしの考えそうなことでもある。

 だいたいその監視員たちは、反ボランティアーとして詰所に詰めていて、百合子が家を出るころ、(それは、パソコンの電源を落とし、テレビを消すのでだいたい、敵には、把握をされている)が、駅側から、彼らに出動命令を出すのだ。すると、八幡宮側から歩いていく百合子とすれ違うこととなる。

 『ふーん。税金の無駄遣い目。あんたがたは井原健次郎という、男の下半身のみだらさを隠すためだけに動員されているのを知っていますか?』
 と言いたくなるが、どれほど、いい会社に勤めていた元サラリーマンであっても、井原健次郎と大上(オオカミ)つよし、がどれほどの悪人であるかは、五冊の本でも読まないと理解ができないであろうから、百合子は放ってある。

 そして、その禁煙監視員に出会うたびに、自分が今何を書いているか。そして、それを敵側=====悪魔的な汚染をもたらす、核燃料をこの日本に、お金を取って押し付けている側=====の動静と心理的動きのあかしとしてとらえているのだった。

 だから、禁煙監視員のおじさんたちが炭ばさみをもって小町通りをこちらへ向かって歩いてくるたびに、百合子は確信をもって、政治家大友二郎の悪を暴くのだった。政治家大友二郎ほど、日本という国土へ悪を入れこめばらまいている存在はなかった。だから、彼が関与している裁判、海川会事件は、アメリカから贈与されている金を隠ぺいするための馬鹿げた事件であると、常に公言することとなる。つまり、大友二郎が、どんな失敗をして、永田町で嫌われても、復活し続け、NHKで、立派な政治家であるかのごとき、番組が作られ続けるのは、なぜかの、真実をより一歩進んで開示することとなるのだ。

 元に戻ろう。この小説の前半部分で、最も大切なキーワードは、石である。鎌倉砂岩だ。それが真夜中に、お隣から投げつけられているがごとき、策謀が、一年半も、繰り返され、それによって、百合子が悩まされ続けた現象が、ある日、百合子の知恵で、見事に、解決した話である。

 『知恵は搾り出すものだ。そして、防衛のためには、アイデアの実行が必要だ。まるでいたちごっこというぐらいに、次から次へと悪事は、つむぎだされるが、すべてを解明していかないといけない』と、改めて決意する。
***********

 しかし、お隣とか、ご近所というものは、考えよう次第で、どうにでもなる。もともと親しくはないのだからと覚悟を決めてしまえば、そこで、お付き合いもする必要もなくなる。もちろん、地震がおきたりすれば近所づきあいの絆は大切だ。だが、毎日いやな思いをして、猫を取りに行かされた日々、

 又、花畑を取られたのは、こちらが被害者なのに、その花畑の場所でわざと孫の記念写真を撮って挑発したり、又、その場所で、わざとキャッチボールをしたり、じゃんけん遊びをするご近所様は悪魔の手先だと思えばいいのである。

 ご本人たちは何も委細がわかっていなくても、結果として、瀬川隆造が、井原健次郎を動かし、井原健次郎が教唆して、いちいち動かしているのだから結果として悪魔の手先となってしまうのだ。というのも、百合子は長年、原発ほど、日本という国土を汚すものは無いと思っていて、それに反対し続けているのだが、誠に見事にも、原発を推進するための文化人の登用が見えてきていて、そこから伊原健次郎の、日本国内における特殊な役割についても、すでに、相当に前から、見通しをつけていたのである。井原健次郎こそ、瀬川隆造などの後を引き継ぐ、いわゆる重要なエージェントの一人なのだった。

 そして、彼の名優、2010年の4月に肺がんで、急死したとされる、大上(オオカミ)つよしこそ、フェイクの死亡によって地下潜行をし、常に、新しい悪辣なアイデアを、提供しているのだった。
 
 後半では、鎌倉砂岩に代わり、もずくの酢の物が重要なアイテムとなる。ご期待を乞う。

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 尚、二万字を越えるとだめだと管理者側が、言いましたので、ここ以下は、スクロールをしていただくと、出てくる広告より下においてあります。しかし、それは、ラフ原稿でもありますので、そちらも推敲後まで、お待ちいただくのよりよいかと、存じます。 

第九章、『クラス会が、銀座で行われる。これは罠だ』
第十章、『屠所の羊は、神の子羊でもある』
第十一章、『やがて、自由時間になるが、自由な精神で動くのだ』
第十二章、『モズクの、酢の物が、新刊書を汚していた?』
第十三章、『フェイスブックの世界で、同じことは繰り返される』

  2012年1月2日に書き始め、この前半部分のみは、6日の午後零時に完成する。雨宮舜(本名川崎千恵子)
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モズクの酢の物、後編

2012-01-05 10:26:18 | Weblog


第八章、『クラス会が、銀座で行われる。これは罠だ』

 百合子は、ご近所はかくして捨てていた。ご近所の人々と精神的に誠実な付き合いができるということ、はすでに期待もしていなかった。が、銀座は(画廊街)は、捨てたくなかった。それと、同窓会も、捨てたくなかった。そこには、ある時期には心許した大切な友達が居た。一種のゆりかごでもある。それは、本当に失いたくは無かった。

 しかし、銀座の画廊街で、何度悪いうわさを流されたことだろう。それもわかっていた。が、いつかは挽回できることを信じていて決して銀座を捨てなかった。天は存在する。神は存在するのだ。悪魔もいるが天使もいる。そして同窓会も捨てなかった。必ず出席していた。しかし、大学のクラス会が、2009年度だけ、銀座で行われるという発表があったときには、あ『あ、とうとう、同窓会も汚染をされたのか』と暗澹たる思いに打たれた。

 大学のクラス会は、最近では、ずっと同じ人物、小山広道が幹事をしていた。彼はなかなかの情報通でいい和風レストランを知っていたが、たいていは新宿を選んでいた。銀座で、行われることは珍しかった。『これは、私を絶対に出席をさせたいというわけですね。それは、結局のところ、そこに、大きな罠が仕掛けられているということだわ』と、百合子は感じる。だけど、電話も盗聴されていて、郵便もチェックをされていると、すでに気がついている百合子には、クラス会に見方を見つけることができなかった。出、どんな罠が用意されているかを事前に確認する手段が無かった。

 その5年ほども前なら圧倒的な自信があった。誰もが味方であることを疑わなかった。何も心配していなかった。が、2007年ごろから急に明確になってきた、この軍産共同体、特に瀬川隆造と、伊原健次郎を中心として、そこに、輪をなして、数人のエージェントたちが協力する形の弾圧に気がついてきていて、打ちのめされていた。それは、どこの誰を味方につけているか、ちょっと想像もできないほど、周到に勝つ活発に動き、常に百合子側の知人をリクルートをして、裏切るように仕向けていた。それに気がついてから、二年目のことである。いまだ、十分な防衛策も思いついていなかった。

 銀座で開かれること自体が、小山君が向こう側にすでにリクルートをされていることを示していた。彼、すなわち幹事が敵方なら、昔からの友達だって、そちらに付く可能性はある。誰も信用できないのだ。なら、行かなければいいということに、一方ではなる。百合子の母は「聡明だ」と、ご近よや、親戚中からほめられまくっていたが、母ならここは欠席にするところだろう。

 しかし、出席せねばならなかった。状況判断がそうさせていた。アメリカの国務長官が来日するのに合わせて、百合子が最も嫌う、原発推進派の最大の巨頭と思われる政治家、大友二郎が、アメリカへ反逆するような発言を繰り返していた。これこそ、最も偽者中の偽者の発言であり、百合子が長年、誠意と努力の限りを尽くして説明してきた、この国の政治の真実を国民の目から隠そうとする策略だった。

 それに、ご近所の大野家がけたたましい音を上げ続けていた。百合子は実際には気にもしていなかったが、敵方、特に伊原健次郎と、その盟友、有名作家である伊原つよしは、結託して、百合子自身の文章から百合子を攻撃するアイデアを搾り出し探り出し続けていたが、

 そのうちのひとつに、あいつは音に弱いはずだというのがあった。百合子が毎年、春から初夏にかけて、本を作り・・・(編集とデザインを同時進行させる)・・・始めると、それを妨害するためにご近所で工事が頻発したが、それもその種の攻撃のひとつであるのはめいめいにわかっていた。
 轟音が、邪魔立てすると考えられていた。また、八幡宮様で、音楽会が、よく開かれるが、その日に、マイクの練習が午前10時ごろから大音響で始まる。そして、とどめの策として、ご近所が窓を開けて、音階練習という、音楽ともなっていないつまらない音楽を、延々、二時間以上続けるのだった。それら全部を、百合子は気にしていなかった。まったく平気で仕事を続けていた。が、

 しかし、一方で、本当のことをいうと、心理的にはそれを、うっとおしいとは、思っても居た。それほどしつこく攻撃を受ければ誰だって、そう思うだろう。彼らが思うほどのダメージは無かったから、仕事そのものはいつも順調に進んだが、それでも、いやな思いは味わっていた。そして彼らは、勝ち誇ったか、留守中に泥棒に入り、家中の額をすべて左側だけ、3センチ下げたり、美しいスプーンの置き場を変えたり、果ては盗んでしまったり、果ての果てには整理ダンスの引き出しの中の、パンツのいれ場所を、変えたりしていた。目的はわかる。すべてノイローゼにさせるためだった。

 となると、クラス会は出席しても地獄、出席しなくても地獄のはずと推定される。なら、出席して何が起こるか確かめた方が、後々で気楽だ。で、出席の返事は書いた。
 もちろん何か、ひどい罠が仕掛けられているのは承知の上だ。
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第九章、『屠所の羊は、神の子羊でもある』



第九章、『やがて、自由時間になるが、自由な精神で動くのだ』

 スピーチが終わり、自由時間になった。人々は席を自由に動き回り、自由な歓談を始めた。百合子は、すばやく料理を流し込んで、一人一人のところへ行き、自分の本を差し上げ始めた。すると受け取らない人が居た。そのときに、『なるほど、この人は、事前にこの罠を知っていたのだ』と悟った。または、悪口を吹き込まれているとも思った。さまざまな感想を持ったが、いずれにしろ、ひどいことが起きるのは予測していたのだから、
 受け取りを拒否されたってさしてめげることは無かった。

 そしてライバルとして目された、柿原雅子の本のことをも、いろいろ考えた。彼女の本はすべての旧友がお金を出して買った。ゆりこの本はすべて無償で献呈だ。世間の人は雅子の本は、有名出版社から出ている本だから当然で、百合子の本は自分の会社で出している権威の無い一種の私費出版だから、ただでもらって当然という顔をしていた。

 でも、百合子はそれにもめげなかった。むしろ、柿原雅子がライバルとして設定されたことを、『あら、あら、自分も大物になったものだわ』と内心で苦笑をした。百合子はそれなりに経済的に恵まれて育った。家は東横線の日吉にあった。が、柿原雅子の恵まれぶりといったら、さらに、数段上を行っていた。彼女は田園調布で育ったのだ。その上父親が東大の教授で、いとこが皇族の嫁いでいた。正真正銘の上流階級の人だ。

 『そんな人がライバルとして設定されて、私を打ちのめすべく待っていたのだわ。名誉なことでござんすね』と、内心で、笑った。素敵な出世だった。『ここまで来るには、死に物狂いの努力をしていた。涙なしには語れないほどの、苦労をしていた。世間的には、今、屈辱にまみれている。『だけど、裏側を考えると、柿原雅子をライバルに仕立てないといられないほど、私は、敵方にとって、脅威なのだ』と、確信をさせられた。

 柿原雅子は、美しい人だ。うりざね方の顔にタレントにしても良いと思われるほどの大きな眼。だが、どうしてか、情の薄い感じがした。兄弟が多くて、おばあちゃんにかわいがられていることは知っていた、寮におばあちゃんが、一種の、お手伝いとして時々来ているのを知っていた。その代わり、お母さんの方は、彼女に関心が無かったのだと思わせられた。

 百合子は万雷の拍手で迎えられている彼女の本と、さげすみの眼で気の毒がりながら見くだされている、自分の本とどっちが内容が面白いかをひそかに自分で判定した。『うん、自分の方が読めば、絶対に面白い』と、確信をした。人は誰でも、平等なのである。それなりに長所があるのだ。名家に生まれ、才能に恵まれ、頭脳も明晰で、何もかも得ていても、愛を人に与えるという意味で、豊かである人と、そうでない人との差があったとしたら、そばに居てありがたいのは愛が豊かな人間である。彼女は、気の毒だが、それができない人だと、そういう風に結論をつけた。

 こういうのは資格ではない、目に見えない部分なのだ。だから、誰もそれを明晰に言う人間は居ない。だが、これほどの屈辱を与えられれば、そこまで言っても良いと百合子は感じた。そして江戸時代までさかのぼった家の歴史を考えた。その時代では、どちらが上ともいえないのだ。家というものは、興隆と滅亡がある。柿原雅子の場合、彼女の父親の時代で、最も栄えた家なのだ。その子供だから彼女は輝いている。だけど、時は映り歴史は流れる。平家もブルボン家も滅びたではないか。自分の出自や家柄に依拠して他人を軽蔑するのはいけないと、百合子は確信をした。特に、自分は雅子から直接お金を払って、本を買い、その上、屈辱に耐えて「読んでいただけない」と自分の本を無料で差し出したのに、「いいえ、」とにべもなく、拒否されたときに、その思いは頂点に達した。

 ちなみに、彼女の本は資産形成とその保存の、自説を説いた本だった。百合子の本はニューヨークで見聞した二人の対照的な版画家の死を扱ったエッセイ風の、自称小説である。一方はお金のことを扱い、一方は心の問題を扱っていた。まったく内容の違うものだった。

 『ここまで、用意周到に、準備をされるのなら、美人の直木賞作家として有名な、小山真理子ぐらいをライバルとしてあててきてほしいなあ』などと心の中で笑った。
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第10章、『モズクの、酢の物が、新刊書を汚していた?』



第10章、『モズクの、酢の物が、新刊書を汚していた?』

 さて、百合子は吸う札の本を残して帰途についた。事前に出席者の名前を聞いていたので、人数分の本を用意していたのだが、受け取りを拒否をされた人数分の本が紙袋の中に残っていた。

 ところで、百合子は帰りの電車の中で、自分の本を読んでみたくなった。自分の本がどういう出来で、どういう内容であるのかを、実際に受け取った人に身になって読み直してみる。それは誰かに本を上げたあとでは必ず試みる作法だった。彼なら、これをどう受け取るか、彼女なら、ココをどう解釈してくれるだろうと、推察しながらふたたび、自分の本を点検してみる。そういう形で、編集のレベルを自分で上げてきていた。

 で、自分の本を取り出そうとして、紙袋の中に手を入れたときに、何かがぬるっとして手に触った。自分が家を出たときには無かったものが紙袋に入っている。なんか、RPGのドラクエに出てくるスライムのようなねとねとした、おかしなもの。ナンだろうと、手で救い上げてみるとモズクであることがわかった。先ほどの、銀座の料亭の、メニューを思い出してみる。モズクの酢の物は確かにあった。百合子は酢の物類は大好きだから、自分でもそれを食べた。

 それが、べとっと入っていた。そして驚くべきことには小皿も一緒に入っていた。小皿はプラスチックでできており、軽いものだが、確かに入っていた。

 これがわかったときはさすがにうろたえた。顔色も青ざめたかもしれない。紙袋を置いていた位置は入り口に近い場所だった。そこで偶然に、その小皿が落ちることは考えられなかった。誰かが意図的に、汚したのだ。

 それは、同窓会で行われたのだ。18歳のころ、(または浪人していたら19歳のころ)希望に見えて、美しい芝生の上で歓談した友達が、もしかしたらやったのだ。ただし、友達の夫という人が着ていた。その人は外人だ。
CIAから頼まれてやる可能性はある。

 が、いずれにしろ最も懐かしく慕わしく安全な場所絵である同窓会さえ汚された。驚きの悪意だった。百合子は、深い沈黙に陥った、絶望が極まりなかった。
 が、悲しみに浸ってばかりもいられない。一冊でも二冊でもいいから救おう。自分の大切な子供みたいなものだからと思いなおし、紙袋の名kをしっかりと覗き込んだ。

 そのときに、驚くべきことがわかった。本はひとつも汚れていなかったのだ。本を百合子は10冊ずつ小分けして、お金を出して買った小型の紙包みの中に入れていた。そして、その小さい紙袋を、さらに大きな紙袋に入れていた。本を人に上げたので、おおきな紙袋の方にはすけスケの空間ができていた。なんと、モズクの酢の物は、その大きな方の、スケスケの空間に、すっぽり落ち込んでいて、その中にマトリューシカのように、入れ子として入れていた小さな紙袋には、モズクは、一筋たりとも入っては、いなかった。そして、この際には、モズクの粘度が高いことが幸いした。

 百合子は笑い出したいほどの喚起の年に打たれた。小さいことだった。誰かに、大きな悪意をぶつけられたことは確かだった。同窓会自体が罠だったというのは紛れも無い事実だった。そして、モズクの酢の物を、わざと辱めのために入れた人間はいるのだった。確実に、いるのだった。

 それは、幹事の小山君かな? それとも、ほんの受け取りを断ったB君?、C君?、またはこの会を出版記念会と変えて、柿原雅子さんをほめまくったD子さん。と、先ほどまで、疑い悲しんでいた心がすっと晴れていくのを感じた。
 人生何度目かのこととして、自分が神というか、天に見守れ、助けられているのを感じた。驚くべき程度で守られているのだった。
~~~~~~~~~~~~~

第十一章、『フェイスブックの世界で、同じことは繰り返される』


 だけど、その慰謝される感覚は、主観的なものだった。現実世界を見渡せば、百合子は負けに負けていた。その日だって、すべての同期生は、柿原雅子を誉めそやし、その本を喜んで買った。が、百合子の本に、お金を払ってくれる人は居なかった。だから、この現象を他人に語ることは無かった。ブログにさえか描かなかった。

 が、次から次へと同じパターンが繰り返された。百合子ではなく敵方が、百合子より上だと目している人物が、百合子に対してライバルとして設定され、百合子をあざ笑うがごとき、勝ちどきを上げて、百合子を踏みつけ、踏みしだくのだった。

 しかし、百合子は瞬時に分析しぬき、すぐ文章化した。当然のこととして、自分には神もついていることさえ確信しているのだから、おびえることはありえなかった。

 そして、それは、フェイスブックに加入することによってさらに強まった。五月に参加したのだが、それ以来、どれほど、苦しい目に合わされてしまったか。感動するほどのものだった。が、その際に常に見え隠れするのは幹事の小山君の姿だった。

 こちらでも、柿原雅子は参加していた。そして、決まった体裁の長さの彼女特有の文章をアップしていた。が、彼女は百合子の友達リクエストを拒否しているので、百合子のニュースフィードにそれが、現れることはほとんどなかった。が、ある日、パソコンの画面全部が彼女の文章で埋められていた。それは、自然なものではないと感じる。裏で誰かが、百合子がパソコンを開け、フェイスブックに入ったとたんに、そうなるように仕組んだことだった。柿原雅子の頁を、相手を百合子だけに設定して、再度アップしなおせば、こういう現象がおきる。誰がやっているか。大体めぼしはついた。

 それ以外にも、種々さまざまな心理的な苦しみを与えられた。それは、百合子が支援して、その結果、友達を100人以上一気に増やした人間がいるのだが、なんと無効から友達関係を切ってきた。そこまでは仕方が無いとしよう。人間の心は変えられない。が、友達ではないはずの、U氏が、なんと何度も、百合子の友達と友達になったとフェイスブックからお知らせが来る。いかにも神経を逆なでしてやるぞという形で。

 そんなことをされれば誰が悪意を持ってこういうことをやっているかは当然に推察ができるではないか。それで、一気になぞの解明が進んだのだ。ともかく、国際的軍産共同体とは悪魔の一種である。そして、そちらに加担をした人間は普通ではなくなる。一切の誠実さというものを失ってしまうのだ。それを、百合子は日々目撃をさせられている。

 そして、小山君が幹事をする、例の同窓会は、三年ぶりに一月に新宿で開かれる。今度はもっと恐ろしい罠が仕組まれているであろう。だって、百合子は前回よりも、力強くなっているから。さらに大きくなっているので、さらに圧迫し、弾圧する必要があるからだ。いったい何がおきるのか、楽しみとはいえない。静かに心と耳を済ませて気配を察している。彼らは、じゅうたん爆撃のごとく、あっちこっちをいじりまくる。
 銀座で何がこれから起きるか。鎌倉で何がこれから起きるか。
 そしてフェイスブックで何がこれからおきるか、丁寧に、注意深く観察していこう。

 さて、ココでいったん終わらせていただきます。
 1万8千字近くなっていますので、誤変換を直したら署名をいれます。それは、明日4日になるやも知れません。恐れ入りますが、そうなります。
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