これは、前報
NHK ETV 【100分で名著】が今、歎異抄の再放送ですが、これも私狙いの悪事を隠す為でしょう。浄智寺さんと宗興寺さんの結びつきを書くなと言いたい、CIA Agentの悪意が、まざまざと見えてきます 2017-10-04 10:42:57 | 政治
のデータ整理中に、写真が見つかったので、ここに置きたいと思って選んだものです。まず、一枚目は、母の納骨式の写真です。この場合は、まだ、鎌倉霊園は、謀略に悪利用をされて居ないので、一番いいお部屋を使わせもらっています。父の納骨式の写真もある筈で、そちらの方が参列者が多いのですが、今は、見つからないので これを使います。
副題1、『父は、仏教研究会に所属をしていた』
写真の・・・・中央にいる方が、横浜、神奈川区、宗興寺の住職【なかの、せいや】、様です。曹洞宗の中では、相当に偉い方だと、思います。特に永平寺ではなくて、東京で、宗務管理、を、なさるグループの中では、トップクラスの方でしょう。なお、漢字がうろ覚えで、ひらがなで書いて居ますが、二、三、候補を上げて置くと、仲野誠哉 氏か、中野誠哉氏だったと、思うのですが、正確ではありません。
うちの父は、次男である上に、萩の家代々の墓に入っても、子供たちが墓参には来ないだろうと、推察して、鎌倉霊園に、それが開苑した相当初期に墓所を買っていました。33年前に、60代のうちに死んだので、私はずいぶんとお参りに行っています。
ところで、鎌倉霊園は、お寺所有の墓地ではないので、宗旨は、自由だと、言う事で、父は、法事を行ってもらうお寺を探し始めました。で、家代々の、宗派である浄土真宗のお寺を、新たに、横浜で探すよりも、宗派は、どこでもいいから、そのお寺の、お坊様の、気質で選ぼうと考えておりました。
今の緑区の、丘の上に、広大なお屋敷を持っている、或る会社の社長さんが居て、その方の主宰する、仏教研究会と言うのにも所属して、「今日は新門さんのお話を聞いて来たよ」とか言っていました。で、今新門さんって誰だろうと、思ってwkipediaを弾くと、多分、時期的に言うと、下に挙げる方だったでしょう。
第二十四代 闡如(大谷光暢)の後継者は、新門である長男大谷光紹であったが、1981年6月15日に、真宗大谷派から独立した為、新門から外される。父が、新門さんにお会いしたと言っていたのは、1980年より前だったと、思います。
その社長さんのお宅には、私も連れて行ってもらったことがありますが、社長さんとは、前田青邨に、似た上品な顔をした方で、本当に、宗教を好きで、特に仏教を大切に思って居る方の様でした。
で、一か月に一回程度開かれる会だったと、思いますが、そこに熱心に通って、お勉強をしていました。
ところが、うちの母は、父の、このお勉強会の事を、「あれはねえ。信仰ではないのよ」と言っておりました。つまり、多趣味な父の趣味の一種と思って居たみたいです。しかし、父の思い出を、弟と、語って居た時に、「まあ、まじめな人だったよね」と言ったので、ほっとしました。父や照れ屋だから、母に向かって、自分が、信仰に入りたいのだ。仏さまに帰依したいのだ」などと言う事は言わなかったでしょう。でも、きっと、仏教に対する信仰心をその頃すでに、持っていたと、思います。
そして、母は父が病気になり、パーキンソン氏病のせいで、横浜駅で転んでも、とっさには、手が出せなくて、額で、全身の体重を受け止めたので、重い脳挫傷を起こして、言葉を発せられなくなり、かつ、寝たきりになってしまってからは、非常に大切にしました。献身的な介護を、五年以上にわたってしています。
その母の様子を、五篇くらいのエッセイに書いて、【電車の中で】と、【おばさん、お釣りを忘れているよ』に分けて、入れてあります。それは、静謐で、美しい心のありようを書いて居るもので、そういうものをずっと、書いて居たかったのですが、攻撃をあまりに多く受けているので、このような文章を書くこととなっています。仕方がないのです。この一文でも両刃の剣です。だから書くのにひどく疲れます。
まあ、挿入になりますが、両親が最晩年に、非常に仲良くしているのを見せてくれたのは、良い事でした。で、夫婦とは、病気に成ったり、経済的な不運に見舞われたときが、一番、勝負の時ですね。そういう時に、助け合えるかどうかが、鍵だと、思います。そういう時に離婚をしてしまった清原夫人には、尊敬の念は湧きません。美女なのだろうけれど、『フーン』と言うだけです。ただ、若い人には、ありがちな稽古だとも思うので、残念ですね。セックスと、子づくりだけが、夫婦である事の目的ではないです。
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副題2、『父は、宗興寺さんの、父君の方に、惚れていた。仏教研究会で、お話でもなさって、それを聞いたのだろうか? 「それで、宗興寺のお坊さんは、立派な方だから、あそこにいろいろ頼んでほしい」と、常々言っていたと、思う。で、母は、父の葬儀の執行を宗興寺さんにお願いをした。しかし、当該のお坊さんは見えず、お坊ちゃまがいらっしゃった。すばらしい美形のお坊ちゃまであり、式次第も立派だったと思うのだけれど、私は、父の戒名について、一抹の懸念を抱いた。今思うと、その頃から、瀬島龍三(戦後最大のCIAエージェント)の魔手が裏から伸びていたのかもしれない。1985年のことである』
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副題3、『妹の社交ダンス姿と、母の忠告と、有名な手相観の日傘雅水さんの、ご託宣』
すみませんが、もう疲れてしまいました。それで、この章の総タイトルになっている、なかなか、使えない(=技術的な妨害を受けている)写真二つをまず置いて置き、それについての説明をさせていただき、それで、今夜は、止めとさせてくださいませ。というのもその二枚の写真には、政治的に大きな意味があるのです。妹が、他殺であるという傍証づけに役立ちます。宗興寺さんと、浄智寺さんの関係、それから、NHKの【100分で名著、歎異抄の再放送】については、後日、語ります。
まず最初は、妹の葬儀の会場を飾っていた各種の写真の中の一枚であって、社交ダンスを趣味としていた(これは、親世代から、踏襲している)姿が写っています。横浜馬車道に、有名な先生が居るという事で、お月謝、月10万円払って通っていました。
妹は、「お姉さんは、薔薇みたいな人だけど、私は月見草だから」と言っていましたが、どうして、どうして、この社交ダンスとともに、バレー(踊りの方)、造花、登山、旅行とか、多趣味の人間でした。上の、法事の方の写真では、白い矢印が、私で、右はしが妹です。162cmの私よりさらに背が高くて、背筋もピンと伸びてしゃんとした人間でした。社交ダンスは、両親ともどもの趣味で、父など、リハビリを兼ねて、週に五回もレッスンに通っていました。そのうち三回は、母と一緒でした。母を他の男性とは、絶対に踊らせなかったので、夫婦仲が良いと言って、レッスン仲間に有名だったそうです。
母は私に運転をすることを禁じていましたが、社交ダンスをする事も禁じていました。「男性とトラブルが起きるから」と言っていました。『変な事を言うなあ』と思って居ましたが、『妹の方が、運動神経がいいので、自分は彼女に比べると、だめだから、別に習わなくてもいいわ』と思って居ました。しかし、後日【アンアン】で、特集号を常に出す、有名な手相観の、日傘雅水さんに、ご託宣を、二つ受けて納得をした次第です。
日傘さんのクライアントは、文化人や芸能人が多いので、こうおっしゃったのです。「あなたは、芸術家でよかった。これが、普通の主婦だったら事件を起こしますよ」と。芸術家って、創作をするでしょう。それが、人間にとって、最高の快楽なのだそうです。このブログも書くのが苦しいテーマばかりですが、創作の一種です。だから、発散ができているわけですね。しかし、私にもし、インプットと、アウトプットのバランスが取れて居なかったら、周辺に事件が起きるのだそうです。と言う事は、金星帯と言うのが、くっきりと両手に出ているからだそうです。
私はよく人の事を「あの人は、水も滴るいい女だ」と、言います。リアルな世界で出会った人では、酒井忠康氏の奥様がそうであり、この間、その作家名を度忘れしていた、ピンクのテロリスト・増山麗奈(芸大卒、美女である。そして、肌の露出過多の衣装で、画廊の個展時に、お客を迎える芸術家)さんもそういう人でしょう。私に罵りの言葉を連ねて来た、開発チエさんも写真を見る限り、そういうタイプです。そして、2011年から、2012年に掛けて、抜群の、原発関連文章を書いたので、抜群の、弾圧(=いじめ)を行ってきた、藤田千彩さんと、瓜南直子さんですが、この二人は、美女ではあるが、フェロモン過剰型ではないタイプです。
荻野アンナさんは、ものすごい美女ですが、意外と真面目な方です。そして、純真です。それは、眞子さまにも通じる純真さです。ところが、それに反して、母親の江見絹子さんは、フェロモン過多の方で、従って私に、嫉妬心を持っていらっしゃったのでした。日傘雅水さんのご託宣を聞く前は、江見絹子先生の、態度が不思議でならなかったのですが、江見先生こそ、金星帯のある方だったでしょう。
私は、中学生の時に前歯に金冠をはめられてしまったので、容貌に自信がなかったわけですが、本当の進路は、女優などが向いていたらしいです。それで、妹が、「お姉さんは薔薇みたいな人だから」と言っていたのでしょう。
ところで、法事の方の写真での妹ですが、この時に、私が67歳で、妹が、60歳です。ということは問題の、JWトンプソンにまだ勤めていた可能性があります。そして、健康そのものに見える妹は、この2017年の7月に急死しました。私は他殺だと、信じています。だからこそ、今夜この写真を処理しようとしても、corel (画像処理ソフト)が、言う事を聞きませんでした。
アドビフォトショップもイラストレーターも肝心の時に、言う事を聞いてくれませんでした。それで、今では、Corelを使っているのですが、それも、言う事を聞かないとなると、それも・妹・他殺・説の傍証の一つになります。やまゆり園事件の一周忌に向けて、私があの事件の真相をバリバリと書くのを阻止するための恫喝として、妹が殺されたと、思って居ます。
やまゆり園事件の、企画は、井上ひさしが練ったでしょう。そして、伊藤玄二郎が、黒岩神奈川県知事などを、取り込んで、種々の嘘のこもった、あの事件をぶち上げたのです。あの事件のどす黒さとは、・・・・・メディアに向かって、はっきりとした言語で、事態を説明できない、障碍者を使って、種々の嘘をでっちあげているという事です。
o- 157事件については、まだ、はっきりとは、委細と、因果関係を説明して居ませんが、すきやを経営しているゼンショーのトップは東大卒だそうです。それがデリシャスも、経営していたそうです。しかし、あの問題が起きても、その人は、記者会見をしません。これは、アスクル倉庫の大火災も、謀略で、放火だと、私は書いて居ますが、謀略事件の際の社長の記者会見を見ていると、嘘が見え見えだから社長を隠したのです。
それを前段として置いて置いて、カイワレが、O-157の原因です」と宣言した、須賀元首相と、それ以外の気骨のある政治家を一網打尽にして、刈り取ってしまおうというのが、今回の解散と、総選挙です。
希望の党と、自民党の保守主導権争いで吸って。そんなテーゼは、表層的な、国民騙しの手口です。CIAが、本当に怖がっている人たちは、リベラル派です。それをせん滅させようとしているのが今回の解散で、
つまり、鎌倉エージェントが、安倍さんを動かしたわけですが、暗全廃として、小池百合子さんも、その、首根っこを押さえつけていますので、自分たちは、絶対に安泰だと、思って居ます。そして、小室圭君と眞子さまご婚約も裏で、意図を引いたと、思いますので、すべての日本人を支配できたと、うそぶいている事でしょう。しかし、こんな悪人と手を組むと、あなた様が善人だと、衰運が訪れますよ。それは、鶴岡八幡宮様に如実に表れていますから。
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副題4、『妹は他殺として、死んだと思いますが、それを書いている私を、また、浜銀・鎌倉支店の貸金庫を使って、脅かしてきました。それを説明する為の写真を撮影してきたのですが、カメラから、読み取れません。スマホを使うと、すぐ、GPS機能で、察知されて、こちらも読み取れないこととなるだろうと、思って、わざと、カメラの方を持って行ったのに、読み取れないこととなっていました。
しかし、上の妹の社交ダンスも、何とか、妨害を、突破し、クリアーして、このブログにアップできたのだから、時間を置けば何とかなるでしょうと、思って放っておいたのです。すると、他のデータを探しているうちに、最も必要な写真が見つかりました。それをここに置いて置きます。
私は貸金庫を二つ持っています。浜銀、鎌倉支店内にです。三菱銀行鎌倉支店の場合は、裏から、引き出すことができない仕組みになっていますが、より、新しい制度の、浜銀の方は、裏から自由に引き出すことができる仕組みになっています。
上は、左が、顧客側が開く方向で、右側は、悪人が裏から引き出す、取ってです。右も左も同じ大きさの取っ手です。こんなことは、普通の人は、想像だにしないでしょう。私もそうだったのですが、これも神様のお助けであって、スカジーカードが、この金属箱のそこに、引っ付いて、行方不明になったことで、裏に、引き手がある事に気が付きました。今回のいたずらについては、別章を立てて、又、後日、丁寧に語ります。
なおこれは、次の、ブログ2本へ、続きます。