銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

伊藤玄二郎と、浄智寺さんの結びつきが我が家の法事にまで悪影響を・・・・CIA Agent が利用を阻止した写真類

2017-10-04 22:58:07 | 政治

  これは、前報

NHK ETV 【100分で名著】が今、歎異抄の再放送ですが、これも私狙いの悪事を隠す為でしょう。浄智寺さんと宗興寺さんの結びつきを書くなと言いたい、CIA Agentの悪意が、まざまざと見えてきます  2017-10-04 10:42:57 | 政治

のデータ整理中に、写真が見つかったので、ここに置きたいと思って選んだものです。まず、一枚目は、母の納骨式の写真です。この場合は、まだ、鎌倉霊園は、謀略に悪利用をされて居ないので、一番いいお部屋を使わせもらっています。父の納骨式の写真もある筈で、そちらの方が参列者が多いのですが、今は、見つからないので これを使います。

副題1、『父は、仏教研究会に所属をしていた』

   写真の・・・・中央にいる方が、横浜、神奈川区、宗興寺の住職【なかの、せいや】、様です。曹洞宗の中では、相当に偉い方だと、思います。特に永平寺ではなくて、東京で、宗務管理、を、なさるグループの中では、トップクラスの方でしょう。なお、漢字がうろ覚えで、ひらがなで書いて居ますが、二、三、候補を上げて置くと、仲野誠哉 氏か、中野誠哉氏だったと、思うのですが、正確ではありません。

 うちの父は、次男である上に、萩の家代々の墓に入っても、子供たちが墓参には来ないだろうと、推察して、鎌倉霊園に、それが開苑した相当初期に墓所を買っていました。33年前に、60代のうちに死んだので、私はずいぶんとお参りに行っています。

 ところで、鎌倉霊園は、お寺所有の墓地ではないので、宗旨は、自由だと、言う事で、父は、法事を行ってもらうお寺を探し始めました。で、家代々の、宗派である浄土真宗のお寺を、新たに、横浜で探すよりも、宗派は、どこでもいいから、そのお寺の、お坊様の、気質で選ぼうと考えておりました。

 今の緑区の、丘の上に、広大なお屋敷を持っている、或る会社の社長さんが居て、その方の主宰する、仏教研究会と言うのにも所属して、「今日は新門さんのお話を聞いて来たよ」とか言っていました。で、今新門さんって誰だろうと、思ってwkipediaを弾くと、多分、時期的に言うと、下に挙げる方だったでしょう。

 第二十四代 闡如(大谷光暢)の後継者は、新門である長男大谷光紹であったが、1981年6月15日に、真宗大谷派から独立した為、新門から外される。父が、新門さんにお会いしたと言っていたのは、1980年より前だったと、思います。

 その社長さんのお宅には、私も連れて行ってもらったことがありますが、社長さんとは、前田青邨に、似た上品な顔をした方で、本当に、宗教を好きで、特に仏教を大切に思って居る方の様でした。

 で、一か月に一回程度開かれる会だったと、思いますが、そこに熱心に通って、お勉強をしていました。

 ところが、うちの母は、父の、このお勉強会の事を、「あれはねえ。信仰ではないのよ」と言っておりました。つまり、多趣味な父の趣味の一種と思って居たみたいです。しかし、父の思い出を、弟と、語って居た時に、「まあ、まじめな人だったよね」と言ったので、ほっとしました。父や照れ屋だから、母に向かって、自分が、信仰に入りたいのだ。仏さまに帰依したいのだ」などと言う事は言わなかったでしょう。でも、きっと、仏教に対する信仰心をその頃すでに、持っていたと、思います。

 そして、母は父が病気になり、パーキンソン氏病のせいで、横浜駅で転んでも、とっさには、手が出せなくて、額で、全身の体重を受け止めたので、重い脳挫傷を起こして、言葉を発せられなくなり、かつ、寝たきりになってしまってからは、非常に大切にしました。献身的な介護を、五年以上にわたってしています。

 その母の様子を、五篇くらいのエッセイに書いて、【電車の中で】と、【おばさん、お釣りを忘れているよ』に分けて、入れてあります。それは、静謐で、美しい心のありようを書いて居るもので、そういうものをずっと、書いて居たかったのですが、攻撃をあまりに多く受けているので、このような文章を書くこととなっています。仕方がないのです。この一文でも両刃の剣です。だから書くのにひどく疲れます。

 まあ、挿入になりますが、両親が最晩年に、非常に仲良くしているのを見せてくれたのは、良い事でした。で、夫婦とは、病気に成ったり、経済的な不運に見舞われたときが、一番、勝負の時ですね。そういう時に、助け合えるかどうかが、鍵だと、思います。そういう時に離婚をしてしまった清原夫人には、尊敬の念は湧きません。美女なのだろうけれど、『フーン』と言うだけです。ただ、若い人には、ありがちな稽古だとも思うので、残念ですね。セックスと、子づくりだけが、夫婦である事の目的ではないです。

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副題2、『父は、宗興寺さんの、父君の方に、惚れていた。仏教研究会で、お話でもなさって、それを聞いたのだろうか? 「それで、宗興寺のお坊さんは、立派な方だから、あそこにいろいろ頼んでほしい」と、常々言っていたと、思う。で、母は、父の葬儀の執行を宗興寺さんにお願いをした。しかし、当該のお坊さんは見えず、お坊ちゃまがいらっしゃった。すばらしい美形のお坊ちゃまであり、式次第も立派だったと思うのだけれど、私は、父の戒名について、一抹の懸念を抱いた。今思うと、その頃から、瀬島龍三(戦後最大のCIAエージェント)の魔手が裏から伸びていたのかもしれない。1985年のことである』

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副題3、『妹の社交ダンス姿と、母の忠告と、有名な手相観の日傘雅水さんの、ご託宣』

 すみませんが、もう疲れてしまいました。それで、この章の総タイトルになっている、なかなか、使えない(=技術的な妨害を受けている)写真二つをまず置いて置き、それについての説明をさせていただき、それで、今夜は、止めとさせてくださいませ。というのもその二枚の写真には、政治的に大きな意味があるのです。妹が、他殺であるという傍証づけに役立ちます。宗興寺さんと、浄智寺さんの関係、それから、NHKの【100分で名著、歎異抄の再放送】については、後日、語ります。

 まず最初は、妹の葬儀の会場を飾っていた各種の写真の中の一枚であって、社交ダンスを趣味としていた(これは、親世代から、踏襲している)姿が写っています。横浜馬車道に、有名な先生が居るという事で、お月謝、月10万円払って通っていました。

 妹は、「お姉さんは、薔薇みたいな人だけど、私は月見草だから」と言っていましたが、どうして、どうして、この社交ダンスとともに、バレー(踊りの方)、造花、登山、旅行とか、多趣味の人間でした。上の、法事の方の写真では、白い矢印が、私で、右はしが妹です。162cmの私よりさらに背が高くて、背筋もピンと伸びてしゃんとした人間でした。社交ダンスは、両親ともどもの趣味で、父など、リハビリを兼ねて、週に五回もレッスンに通っていました。そのうち三回は、母と一緒でした。母を他の男性とは、絶対に踊らせなかったので、夫婦仲が良いと言って、レッスン仲間に有名だったそうです。

 母は私に運転をすることを禁じていましたが、社交ダンスをする事も禁じていました。「男性とトラブルが起きるから」と言っていました。『変な事を言うなあ』と思って居ましたが、『妹の方が、運動神経がいいので、自分は彼女に比べると、だめだから、別に習わなくてもいいわ』と思って居ました。しかし、後日【アンアン】で、特集号を常に出す、有名な手相観の、日傘雅水さんに、ご託宣を、二つ受けて納得をした次第です。

 日傘さんのクライアントは、文化人や芸能人が多いので、こうおっしゃったのです。「あなたは、芸術家でよかった。これが、普通の主婦だったら事件を起こしますよ」と。芸術家って、創作をするでしょう。それが、人間にとって、最高の快楽なのだそうです。このブログも書くのが苦しいテーマばかりですが、創作の一種です。だから、発散ができているわけですね。しかし、私にもし、インプットと、アウトプットのバランスが取れて居なかったら、周辺に事件が起きるのだそうです。と言う事は、金星帯と言うのが、くっきりと両手に出ているからだそうです。

 私はよく人の事を「あの人は、水も滴るいい女だ」と、言います。リアルな世界で出会った人では、酒井忠康氏の奥様がそうであり、この間、その作家名を度忘れしていた、ピンクのテロリスト・増山麗奈(芸大卒、美女である。そして、肌の露出過多の衣装で、画廊の個展時に、お客を迎える芸術家)さんもそういう人でしょう。私に罵りの言葉を連ねて来た、開発チエさんも写真を見る限り、そういうタイプです。そして、2011年から、2012年に掛けて、抜群の、原発関連文章を書いたので、抜群の、弾圧(=いじめ)を行ってきた、藤田千彩さんと、瓜南直子さんですが、この二人は、美女ではあるが、フェロモン過剰型ではないタイプです。

 荻野アンナさんは、ものすごい美女ですが、意外と真面目な方です。そして、純真です。それは、眞子さまにも通じる純真さです。ところが、それに反して、母親の江見絹子さんは、フェロモン過多の方で、従って私に、嫉妬心を持っていらっしゃったのでした。日傘雅水さんのご託宣を聞く前は、江見絹子先生の、態度が不思議でならなかったのですが、江見先生こそ、金星帯のある方だったでしょう。

 私は、中学生の時に前歯に金冠をはめられてしまったので、容貌に自信がなかったわけですが、本当の進路は、女優などが向いていたらしいです。それで、妹が、「お姉さんは薔薇みたいな人だから」と言っていたのでしょう。

 ところで、法事の方の写真での妹ですが、この時に、私が67歳で、妹が、60歳です。ということは問題の、JWトンプソンにまだ勤めていた可能性があります。そして、健康そのものに見える妹は、この2017年の7月に急死しました。私は他殺だと、信じています。だからこそ、今夜この写真を処理しようとしても、corel (画像処理ソフト)が、言う事を聞きませんでした。

 アドビフォトショップもイラストレーターも肝心の時に、言う事を聞いてくれませんでした。それで、今では、Corelを使っているのですが、それも、言う事を聞かないとなると、それも・妹・他殺・説の傍証の一つになります。やまゆり園事件の一周忌に向けて、私があの事件の真相をバリバリと書くのを阻止するための恫喝として、妹が殺されたと、思って居ます。

 やまゆり園事件の、企画は、井上ひさしが練ったでしょう。そして、伊藤玄二郎が、黒岩神奈川県知事などを、取り込んで、種々の嘘のこもった、あの事件をぶち上げたのです。あの事件のどす黒さとは、・・・・・メディアに向かって、はっきりとした言語で、事態を説明できない、障碍者を使って、種々の嘘をでっちあげているという事です。

 o- 157事件については、まだ、はっきりとは、委細と、因果関係を説明して居ませんが、すきやを経営しているゼンショーのトップは東大卒だそうです。それがデリシャスも、経営していたそうです。しかし、あの問題が起きても、その人は、記者会見をしません。これは、アスクル倉庫の大火災も、謀略で、放火だと、私は書いて居ますが、謀略事件の際の社長の記者会見を見ていると、嘘が見え見えだから社長を隠したのです。

 それを前段として置いて置いて、カイワレが、O-157の原因です」と宣言した、須賀元首相と、それ以外の気骨のある政治家を一網打尽にして、刈り取ってしまおうというのが、今回の解散と、総選挙です。

 希望の党と、自民党の保守主導権争いで吸って。そんなテーゼは、表層的な、国民騙しの手口です。CIAが、本当に怖がっている人たちは、リベラル派です。それをせん滅させようとしているのが今回の解散で、

 つまり、鎌倉エージェントが、安倍さんを動かしたわけですが、暗全廃として、小池百合子さんも、その、首根っこを押さえつけていますので、自分たちは、絶対に安泰だと、思って居ます。そして、小室圭君と眞子さまご婚約も裏で、意図を引いたと、思いますので、すべての日本人を支配できたと、うそぶいている事でしょう。しかし、こんな悪人と手を組むと、あなた様が善人だと、衰運が訪れますよ。それは、鶴岡八幡宮様に如実に表れていますから。

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副題4、『妹は他殺として、死んだと思いますが、それを書いている私を、また、浜銀・鎌倉支店の貸金庫を使って、脅かしてきました。それを説明する為の写真を撮影してきたのですが、カメラから、読み取れません。スマホを使うと、すぐ、GPS機能で、察知されて、こちらも読み取れないこととなるだろうと、思って、わざと、カメラの方を持って行ったのに、読み取れないこととなっていました。

 しかし、上の妹の社交ダンスも、何とか、妨害を、突破し、クリアーして、このブログにアップできたのだから、時間を置けば何とかなるでしょうと、思って放っておいたのです。すると、他のデータを探しているうちに、最も必要な写真が見つかりました。それをここに置いて置きます。

  私は貸金庫を二つ持っています。浜銀、鎌倉支店内にです。三菱銀行鎌倉支店の場合は、裏から、引き出すことができない仕組みになっていますが、より、新しい制度の、浜銀の方は、裏から自由に引き出すことができる仕組みになっています。

 上は、左が、顧客側が開く方向で、右側は、悪人が裏から引き出す、取ってです。右も左も同じ大きさの取っ手です。こんなことは、普通の人は、想像だにしないでしょう。私もそうだったのですが、これも神様のお助けであって、スカジーカードが、この金属箱のそこに、引っ付いて、行方不明になったことで、裏に、引き手がある事に気が付きました。今回のいたずらについては、別章を立てて、又、後日、丁寧に語ります。

  なおこれは、次の、ブログ2本へ、続きます。

 

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NHK ETV 【100分で名著】が今、歎異抄の再放送ですが、これも私狙いの悪事を隠す為でしょう。浄智寺さんと宗興寺さんの結びつきを書くなと言いたい、CIA Agentの悪意が、まざまざと見えてきます

2017-10-04 10:42:57 | 政治

副題1、『懐かしい、懐かしい。我が家の二代目の猫よ。彼女は、私の行動を、観察しぬいて、自分の楽しみの為に、私を支配するほど、頭がよかったが。2016年の、主人の入院騒動の際に、長時間、留守をさせたのがストレスだったか? 高齢だったので、主人退院後、一か月で、死んでしまった。ALAS!』

   すみませんが、今、データ整理をしていたら一年前に死んだ、猫の写真がたくさん出てきました。今回の文章とは全く関係がないのですが、懐かしくて、たまらず、ここに置かせてくださいませ。この一枚は、顔は、あまり可愛くないのですが、彼女が毎夜示した行動なので、懐かしいのです。私の方は、右側の高い机の上で、パソコンを打っております。その間には、床に寝ている彼女は誘いをかけてきません。私の方の、真剣さが判るみたいです。しかし、少し、息を入れようかと思って、心が少しでも離れると、すぐそれを察知して、「遊ぼうよ」と、誘いかけてきます。目が私の方を見ていないのは、いわゆるツンデレの証拠で、本当は遊んでほしいのですが、自分の本心をさらけ出して、もし、私がそれに乗らなかったら、自分としては、恥を搔いたことになるので、それを避けるために、用心して、正面切っては、こちらを見て居ないのです。ともかく狙いは、私を誘い込むところにあるので、ずいぶんと抜け目のない顔をしています。だから、かわいく見えないのですが、本当は、かわいい性格です。遊んでほしいという、本心は、充分に現れています。それは、両手にです。私はそれを知らなかったのですが、両手を折っているのは、「爪を立てないから、安心して。だから、早く遊んで」と言っているのだそうです。主人の心の視野に入って来たのは、二匹目として飼ったこの猫の時からで、彼は、とても、猫を好きになって、猫の事を相当に研究したので、それを教えてくれました。で、遊んでほしいのですが、時々、彼女と遊んでやらないで、先に新聞を読むので、それを阻止しようとして、必ず、新聞の上に横たわるのです。それで、私は、特別な政治的案件のない日には、まず、最初に、彼女の誘いに乗って、ライオンごっこと言う遊びを、彼女とするのでした。それが、始まると、たちまち、「爪を立てないわよ」と言う事前の約束など、忘れてしまって、真剣に戦って来るので、私の膝は、いつもまっかっ赤だったのです。内出血でね。懐かしい、懐かしい時間です。で、猫については、ここまでにして、本文に入ります。

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副題2、『高倉健の、事跡が一切消えているという話が、ネット上で、最近、出てきたが、私は、それを、一か月以上前に、肉声で、ある人から、聞いていた』

  *****罫線以下に置いてある話は、一か月以上前から、私は、知っていました。どこで知ったかと言うと、鎌倉霊園でです。*****罫線以下に置いた文章の著者は、ある書物からそれを知ったと語っておられますが、私は、鎌倉霊園で、その事実を知りました。読者の皆さんは、その書物を買えば、事情が分かると、言う事です。

 私の方ですが、墓の草取りに言った際に、偶然に、出会った、或る人(男性)と、バス停だか、通路でだけ、立ち話をしたのです。話題は、・・・・・鎌倉霊園の中が、今、相当数、空き地になっている・・・・・という事から始まりました。「ご紹介があれば値引きをします」という看板が立っているさらち(元墓地)が、非常に多いという事を、二人で、目の前の空き地と、看板を見ながら、しゃべっていたのです。

 その時に、その男性が、*****罫線以下に置いたことを、肉声で、話してくれたのです。・・・・・鎌倉霊園の、江利ちえみと、並んで設置され得て居た高倉健の墓所から、高倉健の方が、跡形もなく、消え去って居て、どうも、養女が、相当な悪人らしいですよ・・・・・と。

 私はね。常々、「伊藤玄二郎達一派と、関係ができると、そのアイコンが、善人だったら、損失をこうむるのだ」と、言っています。・・・・・そのアイコンが、企業にしろ、一人物にしろ、善人だと、大きな損失をこうむるのだ・・・・・と、言っています。・・・・・ 

  で、ここで、私が言いたいことは、鎌倉霊園も、伊藤玄二郎一派に、協力して、私をいじめているというか、いじめたケースがあるので、失墜し始めたのではないかと言う事です。

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副題3、『豊島屋さんも売り上げが減っているのではないかと、私はつくづく心配をしている。と言うのも、豊島屋さんの現社長に、伊藤玄二郎は、食い込んで、あれこれ、利用をしているからだ。私が前社長と、鎌倉市立、旧中央公民館(現在名、きらら)内で、40分以上にわたって、楽しい会話を交わし、お手紙もいただいているなどと言う事があるので、現社長を、自分たち側に取り込むことが、私を弾圧することに役に立つと思われているのだろう。表向きは、松尾崇・鎌倉市長しか出てきていないが、これは、高枝切り事案と全く同じで、松尾崇市長は、利用されている表向きの、アイコンにしかすぎず、すべては、伊藤玄二郎が、采配したことなのだ』

 この二重ガッコ内に書いたことは、10月1日の日曜日の夕方、鎌倉駅東口のロータリーに居た時も、つくづく感じましたね。目の前に、豊島屋の、最もいい立地に在る売店である【門】というビルがあるのです。その前に、二つ目の停留所・八幡宮前で降りて、自宅へ向かうために、バスを待って、12分間立っていたのですが、一人もお客が入って行かないのです。右側に四人の売り子さんが居て、左側に四人の売り子さんが居て、スタッフだけが、8人も詰めて居て、お客は一人も入りません。ガラスの自動ドアの前を大勢の人が通ります。で、自動ドアが、自動的に開くのですが、誰も入って行きません。

 もう哀れにさえ、感じます。ガラスの扉は以前の様にない方が良いです。スタッフが冬寒くて、夏厚いのなら、エアカーテンを設置すればいいです。前社長の時は、エアカーテンだったのか、どうだったか、私は知りませんが、前の方が入りやすかったし、常に人が買い物をしていました。それで、大勢のお客が出入りしていました。が、この2017年10月1日の日曜日、誰一人、入らないのですよ。ガラスのドアだけが、むなしく開いたり、閉じたりしています。伊藤玄二郎を筆頭とする鎌倉エージェントの、呪い的、悪影響恐るべしです。

 これは、ビルのリフォームがミスだっただけではないです。「材木座の命名権を、売ります。買います」と言う案件が、大いなる災いをもたらしているのです。それは、ですね。この案件が起きる前に、どこかが、命名権を、売るという話を、NHKが、ニュースで出してきたので、「もともとの施設は、税金で、作っている可能性があるのに、ひどい話ですね」と、私がブログに書いて居ると、思います。私の意見は、ごくまともなものなのです。しかし、まともな事を言ったり、文章の出来が良いと、すぐ、攻撃が下ってきます。

 それを書いて居る私を、いじめるために、豊島屋に、命名権を買う様に、事前に交渉をして確認をとっておいて、その上で、「材木座海岸の命名権を、鎌倉市は、4000万円で売ります」と言うアドバルーンを、挙げたのでした。

 この様な、このブログから、種を取って、行われる、いじめは、多方向から行われていますが、その世の中への批判、特にバカげた金儲け主義、そして、無駄な処、除染作業などに、お金を使う安倍内閣への批判をする部分へ、対抗して、起きて来る事が多いですね。そういう措置の一つとして、「材木座の命名権を、4000万円で売ります」と、鎌倉市がぶち上げたのです。

 そして、それを、豊島屋が、買ったというわけです。そして、豊島屋、は、「材木座の名前は、そのまま残します。ただ、清掃のための寄付をします」と言って、1200万円を出しました。それも、批判したら、二年連続して同じことが起こりました。もう気の毒で、二年目は、批判さえしませんでした。すると終わりました。今は、その時から、四年目か、五年目の筈です。

 結局もっと大変な事に、向かっています。それは、売り上げが減るという事。

 この材木座の命名権以外にもあるのです。

 それは、201X年の、一月五日の、午前、7時にここに居てくださいと伊藤玄二郎一派が頼んだらしい時に、その教唆的依頼に、頷いて、このビルのシャッターを開けて、その中で、ビッグサイズの、ご自分の姿を見せておられたのでした。

正月5日の朝7時に、鎌倉駅頭に共産党の演説組がいて、パン屋・門・内に、豊島屋社長がいた理由は何か?  2015-01-07 23:12:00 | 政治

 こちらも、ご自分の会社の運の行く末如何に関しては、良くない事でした。その日は、私を脅かし虐めるために、駅頭で、共産党員の演説があったし、東逗子で、電車が、40分以上、何の説明もなくて、停車したのです。これは、豊島屋の社長に、【門】まで、来てくださいと、連絡をして、それが、可能になるまで、電車を止めていたのですね。それから、朝の五時(特にお正月休み中の期間ですが・・・・・後で、休日設定を確かめておきますが)午前7時に街頭演説をしたって、どうしようもないのに、単純極まりない、鎌倉エージェントの連中、ここでは、伊藤玄二郎+井上ひさしですが、こういう単純極まりない謀略を作り出すのです。それに乗ってはだめですよ。豊島屋は、先代社長が、私のおっしゃった様に、慎重な、商売で、やって来た会社なのですから。

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副題4、『鎌倉霊園が、お客の法事をいじめるなんて、どういう事ですか? しかし、石塚雅彦さんを使うと、それが、できるのでしょうね。しかし、大会社、西武の、一部門とは言え、今の、すけすけ状態は、異常でしょう。少子化、また、創立者が老化したとか、死亡したとかしてもお墓などは、大切にするものでしょうに。女の子が引き継いだり、女の子側に生まれた孫が引き継いだりして、・・・・・私は、いわゆる、自然現象だけではないと、思いますよ』

 7年ぐらい前から、明瞭に、それ====伊藤玄二郎に協力すると、その人間や、会社に、衰運が来ると言う事====には、気が付いていました。それが、副題4の二重ガッコ内に入れている文章の様に、鎌倉霊園にも表れていると、思うのです。

 昨年の10月にも鎌倉霊園の祭殿を使って、法事が行われたのですが、今回は、お寺と、ともに、霊園事務所ぐるみで、悪い事が行われたのです。「次に使う予定が入っている」という嘘をついて、ゆっくり、お経を読んでいる暇がないように仕向けたのでした。たまたま、ここでも神様がお助け下さって、私は、セーターが行方不明になったことに、法事が終わってから、10分後に気が付いたので、開場に行ってみると、ガラスのドアが、閉まっていて、中には誰もいなかったのです。その場所には、法事用の祭壇(施設)が、5部屋ぐらいあります。ほかの部屋も使っていないみたいでした。

 私は『ああ、やられた』と、思いました。そして、残念なことにお坊様にも、同じ策略が、母が死んだ時から、入っていたのです。それは、非常に嫌な話ですが、多分、浄智寺さんが、間に入ったのでしょう。

 この件については、浄智寺さんが動いた筈だという事は、後ほど、副題5で丁寧に語ります。ここでは、鎌倉霊園の、事務所に戻ります。事務所に、「セーターを置き忘れた可能性があるので、探したいのですが、(鍵を開けてください)」と、言おうとしたのです。この際、カッコ内は、まだ、発音をしていない段階で、事務所の、50代と思しき女性スタッフが、「次が使っているので探せません」と言うのです。

 今、見て来たばかりです。鍵がかかっていて、次の催しなど、やっていないのですよ。それにね。もし、次の催しをやっているのだったら、常に、入り口は開放をされて居ます。その方が、スモークがかかったガラスのドアが閉まっているよりも開放的で、気持ちがいいからです。

 我が家では、父の法事は、お寺でやっていますが、父の納骨式と、母の納骨式は、ここで、行っています。今回は、以前より、縮小して、お寺で行わないで、お墓でやりましょう」と言う事で、父の三十三回忌と、母の七回忌を、一緒に、鎌倉霊園内の、葬祭場で、行ったのです。だから、催しをやっている時間帯は、入り口が開放されているのは知っています。それに、ご焼香の、時間ぐらいだったら、前の人が、中を覗き込んで、セーターが、在るかどうかを確認するぐらいは、許されると、思いますよ。で、その中年女性に向かって、「あなたは、嘘を言っていますね。誰から頼まれたのですか? 所長を読んでくださいと、言いたかったですよ。日曜日でも、霊園とは、日曜日にもっとも、おきゃkそれをいい加減になる様に、時間と言う、仕組みを利用して追い出したのですが、それが、神様のご援助で、セーターを忘れたという形で、嘘が判ったわけです。私は念のため、もう一か所、食事をした場所(和食レストラン)に行ってみました。すると、そこに在りました。ただ、このセーターは、母がくれたもので、勝った当時は、とても高かっただろうと、思われる、いいもので、私は、30年以上愛用をしているのです。サマーセーターですが、ふちに、8cmぐらいの手編みのレースが、ついているドレッシーなものです。30年前は、高級品だった、ポリエステル糸で、編んであるので、まったく傷まないのです。

 で霊園が、そういう行動をとったのは、伊藤玄二郎→石塚雅彦さん→堤義明氏→霊園事務所長という形で、連絡が行ったと、推察をしているのですが、ここで、石塚雅彦さんと、堤義明さんの間に、矢印があるのは、二人が従兄弟だと、信じているからです。私がですよ。と言うのも二人は顔がそっくりです。また、義明さんの実母は、石塚姓ですよね。実質的な奥様だったが、入籍はしなくて、最後まで、辻井喬氏の実母が正夫人でした。また、石塚雅彦さんが、日経新聞の論説委員を辞めたのちに、早稲田大学の教授になっています。堤さんは、早稲田大学に対して、大きな力を持っています。

 で、鎌倉霊園とは、伊藤玄二郎か、井上ひさしか、成岡庸司君か、ロックフェラー四世かは、実際に動いたのは、誰かは、わかりませんが、鎌倉エージェント=CIA側の唾が付いた、企業なのです。そして、彼等に、対私への悪意を示す方向で、利用をされると、その後、その企業にも、衰運が訪れると私が言っています。

 鎌倉霊園の中に、あっちこっち、櫛の歯が抜ける様に、空き地ができていて、実質的な値引きの、広告がポップ型で、そこに立っているというのは、私に言わせると、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントに悪意方向へ利用をされて、居るからだと、成ります。

 その櫛の歯が抜けた様な空き地の一つが、高倉健のお墓の在った場所で、従って、高倉健については、養女がすべてを握って、行方不明になっていると、言う話でした。ここで、冒頭に戻ります。しかし、私にとっては、鎌倉霊園となると、胸につかえる話が合って、高倉健の、事跡が消えている事よりも、宗興寺さんと、浄智寺さんの結びつきの方が、重大であり、それを語る方が大切なのでした。

 この文章ですが、続きはここではなくて、次次と、新しい文章内で、書いていくつもりです。どうかよろしく。

さしあたっての次は、

伊藤玄二郎と、浄智寺さんの結びつきが我が家の法事にまで悪影響を・・・・CIA Agent が利用を阻止した写真集

2017-10-04 22:58:07 | 政治

  となります。

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40億円の遺産と雲隠れ「高倉健」養女の謎

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2014年11月、俳優・高倉健が83歳で亡くなった。しばらくして週刊誌などが小田貴という養女の存在を報じた。養女は、40億円といわれる遺産を受けついだが、その死を実妹にも知らせず、いまだに遺族には会おうともしないのだという。名優の謎に迫った『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』(講談社)の筆者・森功氏に、元「週刊現代」編集長の元木昌彦氏が聞いた――。 

20代の若造に「よろしくお願いします」と頭を下げる 

長嶋茂雄、吉永小百合、高倉健。

1970年、私が編集者になった頃、死んでも会いたいと思ったのが、この3人だった。

長嶋とは引退後に何度か食事をした。雑誌の対談に出てもらったことがある。サユリにはグラビアの撮影などでも会ったが、強く印象に残っているのが、川端康成の葬儀の日のことだ。

40億円の遺産と雲隠れ「高倉健」養女の謎: 森 功『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』(講談社)© PRESIDENT Online 森 功『高倉健 七つの顔を隠し続けた男』(講談社)

新米社員だった私は、裏木戸を見ていてくれといわれた。葬儀が始まってしばらくすると、木戸口から入ってくる女性が目に入った。遠目からでも吉永小百合だとわかった。  以下は、雨宮舜が省略をする。

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