銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

吉右衛門、菊之助、孫・・・・・カンパニーの存続への責任は? 玉三郎の引退は? 草間の引幕が二月から使われる理由は?

2018-01-27 21:59:15 | 歌舞伎

副題1、『私は別に吉右衛門を目の敵にしているわけではなくて、高齢になる事と、自分の責任との、兼ね合いを、論じたくて、吉右衛門を見ているのだった』

 私は、妹が生まれる前までは、両親に歌舞伎に連れて行ってもらっています。今からほぼ、70年は、前の話です。その当時出ていた俳優で、姿形を、覚えているのは、三世時蔵(背が高かった)、松緑(貫禄が有る感じで、太っていた)、梅幸(同じく太っていた)、海老蔵(やせていて、美しいと感じた)です。自分では覚えて居ない俳優ですが、父が話題にしていたのは、守田勘彌、もしほ(十七世勘三郎)などです。「九朗右衛門は、どうも演技が下手なんだよ」とかも言っていました。

 さて、その後、「私は歌舞伎なんか見ている暇はないわ」で、過ごすのですが、外人を、連れて行った、蛇柳(舞踊)の豪華さに、打たれて、急に見ることを行い始めます。2015年の初夏だったと、思いますよ。

 そして、たった、三年ですが、私が各俳優に対して持っている感想は、見事だそうです。歌舞伎界に精通している人と、一時間ぐらい話すチャンスがあって、凄い知識と、観察力だと、言われました。それをブログに書くわけでもないのですよ。ただし、ある個人を相手に話すとなると、ものすごい観察力で、しかもその観察した結果、特に各役者の、力量については、「ほぼ正しいです」と、言われました。私は大マスコミの評価とかには煩わされない人なので、もっとも、正確に見ているらしいですよ。

 で、現在の処、吉右衛門が、もっとも、上のランクに居る歌舞伎俳優の一人だと、は、気がついて居ます。

 どうしてそれに気が付いたかと言うと、松竹さんが、只で、入れてあげるファンがいるのですね。大向こう(屋号を、大声で、叫ぶ人)の中でも、ベテランで、それなりに、有名な人であるか、または、銀座の有名なお店の店主(社長)だと、思います。

 その人はさすがに、椅子には座らないのです。しかし、一般客は、通路に、立ってはいけない事となっているのに、その人は通路に立っているし、かつ、吉右衛門が主役をする演目が終わったら、姿を消したのですから、非常に有名な存在なのだと、思いますよ。毎日、自由に入れるのではないかしら?

 その人が、吉右衛門が、ミエを張る処で、「おお、はりまー」と言ったのです。「播磨屋ー」と言うのが普通のところですが、それに、おお(=大)をつけたのですから、吉右衛門が、尊敬の対象になっていることがわかります。

 そして、吉右衛門が出ない演目では、姿が見えなかったのですから、その一事で、どれほどに、吉右衛門が大物なのかが、判りました。

 ところが、【吉野川】(妹背山の中の一幕)を、見た時に、せりふが明瞭ではないと、感じたのです。それは、年齢からくるものだろうと感じました。責めて言っているわけではないのですよ。私自身、吉右衛門より、年上で、現白鴎と、同じ年なのですから、もう、よれよれと、言う段階です。(苦笑)

 前報で、「わざと大声で、歌ってみた」と言っているのは、「歌舞伎俳優と比較して、どれほどの、声量が、今の自分に、あるかなあ?」と、確認をして、みたかったわけですが、無論のこと、私の声は、かれらよりは、はるかに小さくて、もし舞台の上で、発声をしたとしても、歌舞伎座の二階にも届かない程度でしょう。

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副題2、『昔、玉三郎が、NHKの【プロフェッショナル・・・・・仕事の流儀】の特番の中で、ナイナイの岡村君に対して、将来の引退について、語ったことがあるが?』

 NHKが、ナイナイの岡村君を主役にして、かれが興味を抱いている相手を、インタビューさせたことがあるのです。私は、新聞のラテ欄を見ない人なので、その番組が終わる直前で、あと一人、玉三郎を残すだけの、ところで気が付きました。

 そして、見て行ったのですが、引退うんぬんよりも、・・・・・玉三郎が、岡村君を、邪見に扱うのに、驚いた・・・・・、という記憶があるのです。で、一度書いていますが、リンク先を見つけることができないので、ここでも、どうしてそういう事になるのかを分析して行きたいと、思います。繰り返しになるが、語っていきましょう。

 というのも、玉三郎が、歌右衛門に、いじめられていたというのは、有名な話ですよね。で、人間って、学んでいくものですから、自分が嫌だったことは、他人に向けてはやらない筈ですよね。だから、賢い玉三郎がテレビカメラの前で、他人を邪険に扱う筈はないのです。

::::::::::歌右衛門が玉三郎を苛め抜いていた時代は、私はそれを見て居ないわけですが、私が、子供のころに、歌右衛門は、すでに、芝翫を襲名して居て活動をしていた筈なのに、何にも覚えて居ないのです。つまり、子供ながらに直感が、鋭いので、作り上げたものには、興味がなかったのではないかと、思うのですね。素が、きれいでないと、惹かれなかった可能性があるのです。素とは、遺伝的顔と、性格のミックスしたものを指します。または、こどもなりに、歌右衛門の性格が嫌いだったとか? しかし、ただ、単純に、すでに、歌舞伎座に出演するカンパニーが、数種類は、あって、父は、歌右衛門の出てくるカンパニーを嫌っていたのかもしれません。:::::::::::

 ともかく、どうして、ナイナイの、岡村君の質問を、玉三郎が、はずし気味で、しっかりとは答えなかったかが、不思議なのです。

 これから、先は、そこを、疑問として、ミステリーを解いていきます。そして三つの答えを上げて置きます。

 *1)、玉三郎は、せりふが決まって居て、修練が必要な歌舞伎の世界の人だから、瞬発芸の連続である、岡村君を嫌っているというか、認めて居ないところがある?・・・・・

 *2)、歌舞伎界で、忙しい玉三郎は、夜、7時から9時までの時間帯には、テレビを見て居ない。特に岡村君が出ているテレビ番組を見て居ない。で、普段の彼を知らないで、ただ、この日は、目の前で、萎縮しながら、かしこまっている岡村君を見ただけなので、軽蔑をした?

 *3)、松竹は、新興の会社としての吉本興業を警戒し、玉三郎に対して、「あなたは、松竹の代表として、振舞ってくださいね。決して、岡村ごときに、なめられたり、下手に出たりしないでくださいね。どんなに笑わせ杳として来ても、丸め込まれない様にしてください」と、事前に注意を与えていたのか?  この三つ目の、推察が、結構当たっているかもしれないと、思ったのは、対話が行われた場所が、かつて見たことのない部屋だったからです。ロココ調の装飾が、施された、迎賓館風の、へやだったからです。松竹が貴賓室として持っている部屋なのではないかと、思いました。松竹株式会社としての威信を示すべく、その部屋を使ったと、考えると、玉三郎の、はずし気味の回答も、理解が可能になってきます。NHKが高麗屋三代にインタビューをする際もロビーですから、あんな部屋を使ったのは、格別中の格別だったでしょう。フランスの文化相・アンドレマルロー氏が、来た時ぐらいに使う予定の部屋ではないかと、推察しました。超豪華な、お部屋だったのです。

 ともかくにして、二人の会話は、キャッチボールの体を、なしておらず、岡村君は、珍しい話を、玉三郎から、聞きだすことは、できなかったのです。しかし、事、引退に関しては、彼は粘りました。自分も引退の事を真剣に考えていた時期だからだと、思うのですが、真剣かつ、しつこく、玉三郎に迫っていきました。すると、玉三郎がこたえていわく、

 「記者会見などで、引退を発表することはせず、静かに、フェイドアウトをして行きたい」と。

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副題3、『玉三郎の、最近の歌舞伎座演目は、引退を意識していると、見える。それを、シネマ歌舞伎と、NHK【にっぽんの芸能】で、私達は見ることとなるのだろう。ところで、

 玉三郎は、養父の名前、守田勘彌を、襲名することは絶対にないだろうと、思われるのだけれど、・・・・・それほどに、玉三郎の名跡が、大きいからだが、自分が、老境に入り、家屋敷と、種々の、資料を引き継がせ、自分の介護や、老人ホームへの、見まいの、指揮を取ってくれる人間を、養子にして、守田勘彌の名跡を継がせることはないのだろうか?

 玉三郎には、身の回りの世話をしてくれる、一種の秘書兼、家政婦役をする弟子が、数人は、居る模様だ。しかし、私は、弟子以外に、養子があった方がいいと思っていて、その候補者についても、自分の胸の中では、予測をした人物が、すでに居る。だが、それを、世間に向けて、明かすことはやらないで置きたい・・・・・なぜならすでに、私の言動が、歌舞伎界に大きな、影響を及ぼしていることを知っているからだ』

 高麗屋三代、襲名が、大ごとになっています。その祝儀幕が三井物産から寄贈をされたとは、既に語っています。ところが、ここで、二月から、新しい祝儀幕が使われるというニュースが出てきました。歌舞伎美人(かぶきびとと読む。歌舞伎を紹介するホーム頁)で、出ていた記事から、一部分をコピペします。::::::::::罫線に囲まれている部分です。

「二月大歌舞伎」高麗屋襲名披露の祝幕デザインを発表

 2017年6月、草間彌生氏の美術館で、今回の祝幕となった3点のうちの一つの原画を前に (C)YAYOI KUSAMA

世界の草間彌生が襲名披露の力になる 

 無限に続くような水玉や網目をモチーフとした作品で、世界に知られる前衛芸術家の草間氏と、幸四郎が雑誌の取材で話をしたのは、20年ほど前のことでした。初対面で幸四郎は、「永遠を信じますか」と、問いかけたと言います。「肉体が滅びる寿命は感じている、とおっしゃった時点で先生にはまりました。自分の思っている作品を、いかに限りある自分の肉体からつくっていくことができるか。それは戦いだと。そうして、つくられた作品が永遠になると」。草間氏の答えは、今回、20年近く経っても変わっていませんでした。 

 「世界を、時代をつくり、つくり続けていく方の、まだ新しいことをやっていこうというパワーが、2月の舞台へのエネルギー、力になる」。幸四郎は草間氏とその作品へ :::::::::::

 これですが、完璧に私狙いです。どうしてそう言えるかの、答えは省略をします。

 ところで、現芝翫と、その三人の子息の、襲名も、私が歌舞伎座三階(6000円の席)で隣の人と話し合ったことが、起因となっていると、推察しています。その演目が何だったかを、今探していたのですが、古い切符を探っていく暇がないので、あいまいな、演目で、話を勧めますが、当時は、橋之助名義の、現芝翫の、足元が、おぼつかなかったのですね。若い人です。高齢だから、おぼつかなかったわけではなくて、演目をきちんとマスターして居なかったが故の行動だと、感じました。きの音とあわなかったから、ご本人が一瞬躊躇をしたのです。舞台上手で、きの音を打つ人がいます。主役が見えを張る場面で、打つその音と、足の運びが合わなかったのです。

 で、終わってから、既に立ちあがっている隣の人へむかって、思わず、「橋之助ですがねえ」と私が、言ったのです。すると、相手は、賢そうな、40代前半の女性でしたが、すぐさま、それを、ひきとって、「ええ、もう少し、頑張ってもらわないといけないのですがねえ」と、答えました。この会話以来、すぐ(と言うのは、二か月もしないうちに、芝翫襲名が発表をされたのでした。唐突と言ってよいほどの、短い、時間で、突然の、襲名発表がなされたのです。

 それで、京都の愛人の件もマスコミにさらされることとなりました。

 これを政治的に分析すると、どうなるかを語りましょう。歌舞伎座で、予約券を買う際には、電話番号と氏名を届けないといけない仕組みになっています。で、私がどこに座る予定なのかを相手方(=鎌倉エージェント、特にその私兵としての、警察側)は、事前に知る事となります。で、座席近辺に、高性能の、盗聴器を仕掛けておくか、隣の女性のスマホを、盗聴器代わりに使えば、私が何を語ったかを、正確に鎌倉エージェントは把握することができます。

 伊藤玄二郎が、松竹では、顧問級の、山内静雄さんと、強いコネを持っています。また、何度も言っていますが、未だ、実際には、生きて居る井上ひさしは、戯作者として、歌舞伎界に、強い影響力を持っています。

 井上ひさしが、『ふむ、ふむ、川崎千恵子(雨宮舜の本名)は、橋之助(現芝翫)を低く評価をしているのか。それじゃあ、彼を持ち上げてやるべえ。そうしたら、泣きの涙にくれるだろう。早く、くたばりやがれー』と、思いたって、伊藤玄二郎を通じて、歌舞伎界(特に松竹)を動かしたと、見ています。 

 こういうことは枚挙にいとまがないほどに在るので、したがって、

 すでに、目星をつけている、守田勘彌名義を、襲名するに、ふさわしい、若手歌舞伎俳優の名前は、あげません。

 この章では、吉右衛門と、玉三郎を取り上げていますが、それは、この二人が、大物であるからですよ。大物だと、そう簡単には、動かせませんからね。被害を被ることもないでしょう。

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副題5、『吉右衛門にとって、菊之助がお婿さんになって、その男の子の、祖父となったのは、とても、嬉しい事だったと、推察される。しかし、物事には、総べて両面があり、その慶事こそ、自らの引退の、次期を遅らせる原因となっていると、私は見ている」・・・・・そして、吉右衛門が座頭となって率いているカンパニー内部にもいろいろ、波及するものがあるだろう。ある意味で、大変になって来た.慶事を、どういう風にまとめていくか? 関係者の、心情をおもんぱかると、複雑な思いになるが』

  まだ、書き続けたいのですが、午前四時になったので、寝ます。明日、纏めます。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4452885です。

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