今は、22日の午前10時です。下の文章の推敲と加筆がやっと終わりました。で、完成したしるしに、恒例の△を総タイトル右横につけておきます。
最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。これは、自分の個展の会場における、自分の写真です。2010年4月、まさに井上ひさしが、自分を死んだことにした週に、銀座で、開かれていた私の個展での、私の写真です。本当は、別の写真を探したかったのですが、見つからなかったので、一応これを置いておきます。本当に見つけたかった写真とは、安倍総理夫人が、2018-4-20のNHKニュース内で、トランプ夫妻と、一緒の夕食会で、着ていた衣装が、20年前に、私が着ていたものとコンセプトが全く同じなので、それをみつけたかったのです。中が、黒いワンピースで、その上に軽く、紗、又はチュールでできた半透明な、コートという組合わせです。もちろん、間に、20年間が経っているので、ブランドも違うでしょうし、材質も値段も違うでしょう。また、上着の着丈も、違います。そちらを見つけたかったのです。どうしてかと言うと、今般のごたごたが、すべて、井上ひさし・・・・・(まだ、実際には生きています。公的に死んだことにしたのは、その方が、自由自在だし、責任を問われないからです)・・・・・のアイデアによるゲーム感覚の騒ぎであって、安倍総理は、自分は安泰だと、思い込んでいることを、明らかにしている写真がそれだからでした。福島瑞穂さんが、黒いドレスで、チョーカーをつけてきたのも同じ意味のあるサインです。
その組み合わせは、2001年か、1999年ごろ、外人記者クラブのレストランで、石塚雅彦さんたちと、一緒に12人ぐらいで、会食をしていた時のものですから、その組み合わせを、今般トランプ大統領との、会食と言う派手な場面で、使うことに意義を見出したのだと、思います。彼らは、すれすれ、ぎりぎりの線で、自分達が裏に隠れていることを、私に、知らせたいのです。どうしてそうするかと言うと、自分達が・・・・・永田町、及び、安倍総理大臣を、自由自在に、使っているほどの、大物で、大きな権力を握っているのだ・・・・・・と言いたいのです。で、「それにビビッて、お前、今、書いていることをさらに、展開するのは止めろよ」と、言いたいのでしょう。というのも、今、書いている、大原光孝の章は、その上の柄沢斉にさかのぼると、
至近距離で、石塚雅彦さん(日経新聞論説委員だった私の四つの項目における先輩)に到達し、伊藤玄二郎(鎌倉春秋社社長)にも到達するからです。という写真への説明を置いて、本日の前書きへ入ります。
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さて、####罫線以下の文章は、前報の加筆推敲中に、副題5として、書いているものです。私は前後左右があった方が、真実を伝えやすいと考えているのですが、読者の皆様の中には、最初の神殿のスケッチを見ただけで、『あ、また同じ文章だ。画家の世界なんか、わっちには、関係ねえざんス』と、お思いになって、読み飛ばしてしまわれる方があるやもしれずと、思い、こちらに独立をさせました。書くのに大いなる妨害を受けた部分です。 それをさらに展開加筆し、内容を充実させていきます。三千字以下だった初稿が、二万字以上に膨らむはずです。お待ちいただきたく存じます。
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副題4、『私と柄沢斉との間には、何ら、因果関係がない。しかし、2003年ごろに、鎌倉エージェントは、柄沢斉を、利用しようと考えた模様だ。彼は、既に、大衆的知名度を、獲得しているうえに、藤沢在住で、あって、伊藤玄二郎と知遇がある。で、かれを、選んで、極端に持ち上げることを決め、さらに、その応用的、派生として、大原光孝を、攻撃用弾丸として使うことを、決定した。
大原光孝さんが、急に私を、敵対視してきた裏には、版画を始めた私への対抗的、人物として、柄沢斉を選び、彼をメディアで、大きく扱い持ち上げて、差をつけて、私を粉砕しようとしたからなのです。実際問題として、私は、そこを踏み台として、そこからさらに先へ伸び様としていた月刊ギャラリーの連載を、たった、一年で、終了させられてしまったのですが、その陰に、伊藤玄二郎 → 柄沢斉 → シロタ画廊のオーナー → 月刊ギャラリーの編集長と、言う路線が、存在して居たと、見ています。そのラインを使って、伊藤玄二郎の意志の達成という事が、在ったわけです。伊藤玄二郎の影には、瀬島龍三の、復讐心と言うのがあったわけです。何に対する復讐かと言うと、
瀬島龍三と、その親友の元海軍参謀、益山重夫は、横須賀市の旧水道山一帯を、2400坪以上を40年前に、タダで、手に入れるのです。今まで、1200坪と、言ってきましたが、それは、瀬島龍三の方が手に入れて、大型にして美麗なマンション(そらヒルズ、または、ルネ北久里浜)を建てた部分であって、それを手に入れた、1978年の地籍変更届の前に、その北側部分の山を、開発して建売住宅を建設している益山重夫が、利益を得た部分、1200坪があるわけです。両方合わせて、2400坪程度、只で、手中にしています。
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副題6、『元海軍参謀、益山重夫の急死は、瀬島龍三からの、復讐を招いたらしい。しかし、私に言わせると、益山側が、財務局と言う名目を使って、・・・・・これを、法律用語で、欺罔と言う・・・・・攻撃をして来たので、彼等は、天からの処罰を受けたのだと、成るだけなのだが?』
その実質的な詐欺を完遂する為に、我が家の西側に、突然、国有地が青地と言う名目で設定をされたのでした。で、国有地なので、ここで財務局が登場するわけです。そして、その謀略的詐欺の全貌は、私に解明をされてしまいました。でね。そのごたごたの渦中で、益山重夫が、急死します。自殺なのか、循環器系の病気なのかは知りませんが、地籍変更届の書類が、私に渡された時期≒8月から、二か月後の10月に、急死します。これは、私に対して、加害者として機能をすると、死に至るのだと、言う最初の例です。
その後、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊します。これは、八幡宮さま、およびその境内で、行われる催し物について、大量の音が出て、それが、安野家の楽器練習と同じく、音による攻撃に当たるからです。
ここで、連続しては、読んでいない方のために、念のために、付け加えますと、私は、一般の出版社の社員とは、作業が違っていて、文章の添削と頁デザインを同時にやってしまいます。これは、非常に難しい仕事です。その一方で、音楽に関する投稿もブログ他でやっていますので、耳が敏感だと、思われています。また、我が家の土地が盗まれることとなった、本当の原因が、=====安野家の前の道路で行われる井戸端会議にあって、その内容が、自宅にいてもビンビンわかってしまう程うるさいのが、・・・・・私ではなくて・・・・・北隣の主婦・・・(今は、ドリームハウスへ変更になっている石井邸だが)・・・藤本夫人が、いらいらしたことから、すべては起きている=====と書いているので、『あいつは、音に、敏感みたいだから、音で、攻撃をしてやれ、そうしたらノイローゼになって、ブログも書けないし、ともかく、自殺をするだろう』と、伊藤玄二郎たちは、思っているわけです。この15年間、真夜中に、鶯吟亭(今は八幡宮の持ち物となっている数寄屋造りのお屋敷)裏の駐車場で、音を出すためだけの用途で重機を動かしたり、偽暴走族を走らせたり、ともかく、音による攻撃には、さらされています。一番頻度の激しい音源が、鶴岡八幡宮です。だから、大銀杏が倒壊しました。
それから、瓜南直子さんが、2012年に、早世します。彼女は、2011年度中に、フェイスブックへの投稿と言う形で、私に対する大量の、いじめを行ってきた女性です。それらが、全部、今は削除されていますので、私が言っていることは、正しいのですよ。3年前までは、一部分が残っていたのですが、昨年あたりから、すべて、削除をされています。2015年以降は、すでに、死んでいる事が、確実である彼女が、こういう風に、段階的に、自分の投稿を削除していくはずが無いので、こういう形で、段階的に投稿が消えたことという事実、そのものが、彼女がCIAのかわい子ちゃんとして活動をしていて、したがって、あっという間に、天のご成敗を受けてしまったということを表しています。彼女が行った、いじめの量が大量だったので、そうなりました。
私とはリアルな世界では、何の接触も因果関係もないのに、柄沢斉と、同じ方向で、悪利用をされたのです。超、簡単にまとめると、『かまくらで、近所にも住んでいる(彼女の実質婚の相手、伴清一郎氏の家が、我が家の東々南180mぐらいのところにある)のと、芸大卒だから、ICU卒の川崎千恵子よりは、美術の世界では上だし、美貌度という意味でも上だから、ライバルとして設定すれば、こちらが勝つさ』ということで、悪利用をされました。西部ススムさんの、自殺だか、他殺だか、わからない微妙な死というのは、ここと関連があります。
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副題7、『谷垣禎一さんの死程、天の配剤の、見事さを、示すものは無かった。それはタイミングとして、あまりにも見事な合致を見せたからだった。その死=2016-7-18と同じ日こそ、テレビ東京が、ドリームハウス【489日の難工事】と言う特番で、我が家の北側の新築のお宅である、石井秀樹・あずさ邸を、取り上げ、放映した日だったからである。石井秀樹・あずさ邸が、旧藤本邸跡地に、建設をされた事こそ、私の損害を証明する、物証を消していく、証拠隠滅の第一歩だった。いや、第三歩から、第七歩まで進んだのだと言っても、良いほどの一種の悪辣さの、表明だった。が、一応私有地を買うという事と、そこに家を建てるという事は、個人の自由であるはずだから、私は、一切抗議はしなかった。ただし、異様な地境石を石井家側が、利用することが決定となる測量の日を、「ご主人様、奥様には、教えないでください」と彼らが、私の主人に、言ったという裏工作の存在と、その土地が、1000万円と言う、通常の価格の、三分の一から、五分の一程度の破格の安さで、売り渡されたという事実などから、石井家側が、鎌倉エージェント(=CIA)側がもつ悪意に、乗っ取って、この家を建てたという事は、判るのだった。
テレビ東京と、日経新聞が関与しているので、今に至る、私のすべての、ブログの文章と、関連が出てくるだった。裏に、石塚雅彦さんと、伊藤玄二郎らの結託があるわけだけれど、柄沢斉も、日経新聞が総力を挙げて、2006年ごろ、大きく打ちだした美術系作家(=版画家)であるし、大原光孝を分析するということは、そういう中枢へ向かうこととなるのである。
伊藤玄二郎たち、CIAの中枢は、私のブログは、毎日読んでいるだろう。で、さすがに、恐れ入ったらしい、彼らは、安倍さんに、谷垣さんの死を伏せる様に、要望し、したがって、谷垣さんの、実弟は、地盤を受け継いで、選挙に出馬することもかなわず、谷垣さんの、自民党葬も行われず、谷垣家は、国民から、ただ、ただ、単純に忘れられていく存在となっている。これは善人でありながら、鎌倉エージェントに協力をすると、天からの処罰的不運に見舞われるという典型例だと、おもう。大衆的知名度の高い人でさえ、そういう憂き目に出会うのだった。神様は、おそるべしと、いうべきだ。
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副題8、「私が、まさしく、そこ(財務局問題・・・・・大叔父が九州財務局へ勤務して居たし・・・・という処から書き始めているが)へ手を伸ばそうとしていた矢先、国会の方で加計学園問題が、再燃したので、ナルホドネエと、思っている。
つまり、急に加計学園問題が再燃し、理財局長が、辞任をしなければならなくなったのも、例の如く、私のブログ潰しが、目的でした。CIAが動いて野党に、情報を流し、「こういう風に動け」と言えば、永田町など、どうにもでなるのです。つまり、永田町とは、日本には、あたかも、本当の政治が行われているかのごとき、幻想を、国民に植え付ける装置でしかないからです。つまり、おもちゃの国会だという事。
で、どういう風に、私のブログを潰すのかと言うと、ここでは、私のブログを読んだ読者が、同じ、財務局が関与しているにしても、私のブログに、登場する方が、問題が、小さいよね.と、考える様にさせればいいのです。そういう風にさせたいのが、これらの政治的現象の、真の目的である。と、そう、喝破していたので、一切、そちら側には、触れず、ひたすら、雪ノ下の現象。特に大原光孝について、触れていたのです。・・・・・しかも
加計学園の方は、単なる安倍総理のお友達であるが、北久里浜の方は、現代日本政治において最高レベルの権力者である、瀬島龍三が、実際に手を下した案件だから、こちらの方が、案件としては大きいのですよ。しかし、だからこそ、北久里浜の問題が、国民周知の事実になったら困るのです。加計学園の方は、一応お金を支払っています。それが、安かったのが問題です。しかし、北久里浜の方は、だましの結果、ただで、手に入れています。したがって、こちらの関係者の方が罪が重く、したがって、暴露されることを怖がっています。それで、あたかも、私のブログが小さいものであるかのごとく、見せつける為に、国会で、急に加計学園のケースが再燃したのです。・・・・・・
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副題9、『テレビ朝日側の18-4-20におけるセクハラに関する記者会見は、昔、中川昭一大臣が、外国で酩酊して、そのまま、記者会見をし、醜態をさらしたという、例の謀略とそっくりである。それと同じ流れを、再現しようとしていると、私は、見做している』
しかし、私が、ひたすらに、石春産業が行っている証拠隠滅工事と、そこから派生した大原光孝のいじめにこだわって、いて、北久里浜における悪事について、書かないで、いることを、うまくいったと、例の連中は、考えたらしい。加計学園問題を、大騒ぎに炎上させたことが、私のブログをつぶしたと、例の連中は、思っているらしい。で、その手法が、うまくいったと、思っている例の連中は、今度は欲を搔いて、麻生氏を、追い出し、失脚をさせようとしています。何が目的かと言うと、麻生氏は、見かけは、大物めいては見えないのですが、今の安倍内閣においては、最も優れた政治家だからです。そういう人物を潰そうとしている。安倍内閣が、かろうじて、政治的・面持・を保っているのは、麻生さんが、中にいるからですよ。
私は、20日のニュースで、福島瑞穂さんが、銀座のクラブのママみたいな、服装で現れたので、・・・・・あ、ハーン、是もまた、未だ、生きて居る、井上ひさしが企画し、脚本を書いた案件ですね・・・・・という事が判ったのでした。
ところで、安倍総理なのだけれど、井上ひさしが、伊藤玄二郎を通じて、自陣営(=CIA側)に取り込んでいる総理大臣なので、失脚はないと、、裏側から内々に、知らされてもいて、だから、安心して、アメリカで、堂々と、記者会見などしているのですよ。つまり、あの文書隠ぺい問題で、いろいろな人が辞任をしたのは、すべて、鎌倉ユキノシタの、石川和子、安野智紗、前田清子、小野寺某などの、女性たちが、過去30年間に、おこなったの悪事を隠蔽し、守り為に行われているのです。で、安倍総理は、まったく、安心している模様です。しかし、事が行きすぎそうになって、自分の支持率が、20%以下に成ったら、早速、海外へ、逃げています。そして、安倍総理がアメリカへ行くことは誰も怒らないのに、
麻生氏が、海外へ行くことは、「国会では、承認をされていない」となって、非常に卑怯な事の様に、報道をされています。なるほど、思っていたとおり、欲張り連中は、真の実力者を排除しようと出てきたのでありました。
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副題10、『福島瑞穂さんと、蓮舫議員がまるで、クラブのママみたいな、黒い(しかも、胸が大きくV字形に開いた)ドレスで、国会へ登壇をした。是もまた、井上ひさし(====公的には、自分を死んだことにしていますが、実際には、まだ生きて居ますよ===)が、私の過去ブログを詳細に、検討をして、アイデアを出し、誰か、間に立つものを通じて、浸透をさせた現象で、あった』
私は、過去のどこかで、ブログの一章として、こう書いている。
・・・・・中央公論新社で、婦人公論と、中央公論の、二誌の編集長を務めた湯川有紀子さんという先輩がいる。ICUという小さな大学の先輩だ。紹介を受けて、彼女と、二度あったのだが、二度目の時に、「あら、今日の服装は、いいわ。この間のは、だめよ」と言われ、どれほどに、ライター業界の作家は、お金が儲かるのかを知った・・・・・と。
私が湯川有紀子さんと遭ったのは、まだ、古い建物であった、中央公論社の時代です。がっしりとした黄土色の、石造りの建築でした。湯川有紀子さんは、旧姓を桝田と言い、神戸女学院の、出身で、ICUを、私より、二年前に卒業した才女です。一種の絶世の美女であります。ただし、私が、モデルにお願いした美女と比べると、知性方向が勝っていて、フェロモン方向が低い人です。総合的に言って優れた女性なので、神戸女学院の先生が、湯川秀樹さん宅にお見合いの話をもって行って、ノーベル賞受賞者湯川秀樹氏の、ご子息、または、甥御さんと、結婚が成立し、苗字が変わったのだと、推察しています。または、湯川家側の方から、神戸女学院へ、「だれか、いいお嫁さん候補は、いないでしょうか?」と、依頼があったのかもしれません。
有紀子さんは、手紙の応答でも、実際に会っている時も、全体的に冷たくて、意地悪でした。が、それは、地であると、言うよりも、すでに、北久里浜に住んで居る時から、我が家の電話が盗聴をされていたという事を証明しています。で、大学の先輩としての、湯川さんに、私が会いたがっているのを、瀬島龍三が知り、先回りをしていて、彼女が逆らえない上司を通じて、冷たくする様に、教唆命令を下していたと、見ています。そのバーター取引として、湯川有紀子さんは、中央公論社、または、中央公論・新・社内で、抜群の出世を遂げて行きます。
ただし、真実の実力者、および、真実の名門は、テレビに出ないの、典型で、大衆的知名度は、皆無の人ですが、日本の文章系作家で、この人を知らない人は、もぐりでしょう。
この湯川有紀子さんが、後で、「あの時(=一回目の懇談時)の服装はだめよ」と言った方の組み合わせは、全体に、学生っぽい 紺系統のまとめのモノ でした。紺のブレザーにタータンチェックのスカート。スカートは手作りなのですが、ブレザーは、デパートでのつるしものです。
それを湯川さんは、「前のは、駄目だったわ」と言ったわけです。私は、その批判を、一回目に、言葉として聞いたわけではないのです。ただ、ボディ・ラングエッジとして、自分が、軽蔑をされているのを感じたので、これは、相当に気張っておしゃれをしないといけないと、感じて、二度目は、相当なおしゃれをしました。
で、湯川さんは、「今日のは、いいけれど、この間のはだめだったわ」と言ったわけです。その二度目の懇談時の、服装について、私は、こう書いています。・・・・・全体を黒でまとめて、フェイク・ゴールドのアクセサリーを何連もジャラジャラとつけて、まるで、銀座の夜の世界を歩くような形にして出かけた・・・・・と。
それを今般、井上ひさしは、利用しています。そして、野党の、名だたる女性議員に、私の文章から採った様な、服装をさせることによって、私に対して、脅かし兼、自分の威力を誇示しようとしたのです。
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副題11、『しかし、相変わらずの、傾向として、私は、井上ひさしが発案した謀略において、瑕疵(穴ぼこや、欠点)を見つけているのだった。それ故に、深く彼を軽蔑している。それは、いつも通りの話である』
その日の映像によると、蓮舫議員は、胸がV字形に深く切り込んでいる黒のドレスを着ていて、ノーブラだと、見えました。あれほど、深く切れ込んでいると、ブラジャー自体が外へ見えてしまうので、ドレスの方に、乳頭を隠す処理がしてあるものだと、思います。同じ系統のドレスを着た福島瑞穂さんは、首にチョーカーをまいていましたが、蓮舫議員は、若さゆえの美貌に、自信があるのでしょう。アクセサリーは、なしでした。
彼女たちの表向きの主張は、セクハラに抗議をして、みーつー(=Me too)運動に加担をしているとの事でした。しかし、おかしいです。月給500万円をもらって、国民のために成る仕事をしている筈の、女性議員が、『あら、私って、セクシー度、アップ、出来たわ。結構・現役の女・ではないですか? 嬉しいわ』と、思いながら、にやにやしている図なんて。それって、遊びですよ。ゲームです。Me too 運動をしているアメリカの女性たちだって、女優であり、ちょっと、神経質に過ぎるアンジーを除いては、もっと、カジュアルで、昼間っぽい姿で、ニュース画面に登場しますよ。これは、ひとえに、いつも、いつも、私の文章を点検している、井上ひさしの、発案なのです。
さて、井上ひさし固有の瑕疵があると、言う点の説明に、さらに詳細に、入って行きましょう。そして、それを読んで、蓮舫議員と福島瑞穂議員に、恥じ入ってほしいものです。
私が往時(=1982年ごろ)、着用して、湯川有紀子さんの前に出た服装とは、蓮舫議員や、福島瑞穂議員の、ワンピースとはまるで、違ったものだったのです。まず、ポリエステル系、生地を使った2万円程度の既製品ではないです。そして、セックスアッピール度など、毛頭ないものだったのです。まず、知的レベルが、日本一高い湯川由紀子さんが、あんな、衣装を素敵だなんて、いうはずがないじゃあないですか。二人の、議員を見る限り、ちゃらちゃらと、『私って、けっこう、美しいわ。(セックス的にも、)現役の女です。でも、中川未亡人みたいに、フライデーされると、困るから、気を付けますけれどね』と、思っている様な、服装を、
昼日中の京橋の、あの、どっしりした石造りの建物の、入り口そばの応接室で、ほめたり、許容したりするはずがないではないですか?
私の方へ戻ります。ブラジャーはきちんとつけて、その上に、真っ白いワイシャツを着ます。もちろん、女性用のワイシャツで、今から、40年前は、女性用のワイシャツそのものが珍しかった時代です。が、見つけて、これはという改まった席で、常用をしていました。で、細身の私の身にぴったりと合ったものです。
その上ですが、母がくれた、40年前に、その値段が、3万8千円だというサマーカーディガンを着て居ました。これは、当時の一般的な大卒サラリーマンの、しかも、40代になっている男性の給料の、三分の一か、二分のいちに当たる金額のもので、Aラインであり、ふちに、手編みで、モダンな、幾何学的模様の、ふちあみが、幅6cmでついて居るものです。現在の貨幣価値で、20万円から40万円の値段のものでした。デパートで、つる下がっているみたいなものではなくて、現在の言葉でいえば、いわゆる作家ものでした。湯川有紀子さんは、神戸の名門女子高の育ちです。NHK朝ドラで出てきたファミリア・マダムたちと同じで、センスが良く、しかも、自身が、高給取りであり、お婿さんは、名門湯川家の、おぼっちゃまです。ご本人もセンスがいいし、デザイン的にも最高級のモノ(それは、とても、シンプルだと、言う事)を、着ている人です。その人が「今日のはいいわ。この前のはだめだったけれど」と言うのですよ。
まず、蓮舫議員や、福島瑞穂さんが、Me tooを、称して着ていた様なドレスで、私が京急北久里浜(当時はそこへ住んで居た)から、(当時は、品川どまりで、都営浅草線は、未開通だった)、京急に乗って、品川でおり、京浜東北に乗り換え、新橋でおり、さらに、銀座線に乗って、京橋へ行ったと、仮定します。すると、途中で、じろじろと周辺から、眺められて恥ずかしくなり、気色がなえてしまいます。これから、こちらを馬鹿にしているらしい、有名な、女性編集者に会おうとしているのに、それ以前に、気持ちがなえてしまったら、どうなります?
これは、今でいう勝負服という物であって、地籍変更届の、調査の際にも、これを着て、法務局へ出かけると、普段は意地悪をする吏員連中が、さっと、両側に分かれて、道を通してくれる感じがしました。私の方でもそれが充分に推察されるので、最後の最後の日まで、その服装は用いなかったほどです。
でも、井上ひさしは、私の文章の中の、・・・・・銀座のホステスみたいに・・・・・、という部分にのみ、着目をして、福島瑞穂さんに、あの様な、服装で居る様に命令をしたのでした。私がそういう・・・たとえ・・・を用いたのは、アクセサリーの使い方だけ・・・を指しているのです。胸元のVラインに沿って、白のワイシャツと、黒のカーディガンとの境目をゴールドで、埋め尽くしたのです。今は、金のアクセサリーとは、本物を使うので、あれほど、ビッグにジャラジャラと、重ねることはないのですが、1970年代は、まだ、フェイクゴールドの時代だったので、アクセサリーそのものが、大きくて派手だったのです。
というわけで、この二か月間の国会とは、おもちゃの国会の典型であり、井上ひさし達が、私のブログを、そっちへ引き込むために、大騒ぎを起こしていたにすぎないのです。そっちへ引き込むとは何を指しているかというと、石春産業が行っている、周子隠滅小路については、書かない様にさせるためです。そして、それよりも大きいのが、大原光孝と、柄沢斉について、書くのを、止めさせることでした。
ですから、私は、それを無視して居て、大原光孝と、彼の暴言が生み出された陰にある、アジサイ畑欺罔事件についてさらに詳細に、書いていくつもりがあったのです。
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、 401190 です。
2018年4月20日から22日にかけて、これを書く。 雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)
後注1、
伊集院静と、大原光孝の類似点・・・・柄澤斉の、裏には、北久里浜における瀬島龍三+益山重夫の、財務局の悪利用もあって、 2018-04-19 19:48:34 | 政治