この文章は、できた部分に従って、総タイトルを変えていきます。また、文章が、妨害によって、消えない様にするために、未熟な段階で少しずつ、さらしますが、いつ完成するか、今のところ、目星もついて居ないので、どうか、日曜日の、午前九時ごろ、ここをまた、覗いてやってくださいませ。
副題1、『今、きちんと思い出しておきたい。吉田沙保里選手が、テレビに出まくっていたことを。その間、伊調選手には、練習場さえ与えられなかったと、言う事実を』
私は、懸念を持つという傾向があります。ある現象に対して、それが、まったく自分には、関係がないものでも、懸念を持つことがあるのです。吉田沙保里選手がアルソックのコマーシャルに出て、その上、バライエティにまででて、NHKの年末年始の特番にも出るという状況が、2017年の正月にも2018年の正月にも展開をするのを見ていると、『これは、よくないんじゃあないかなあ』と、前から思っておりました。しかし、母が「人の頭のハエは、追わないように」と教えてくれていましたし、自分自身に関連する事だけを、書くだけでも、時間も体力も足りないわけですから・・・・・触れませんでした。
今、みんなが疑問に思っていることは、伊調選手が、それほどに、いじめられていた時期に、吉田選手は何をやっていたのだろう?と、言う事です。・・・・・何も知らなかったのでしょうかねえ。それは、無いでしょう? ・・・・・・じゃあ、人がいじめられて居る傍らで、自分は、最高にちやほやされていて、それを、何とも思わずに、享受していたのでしょうかねえ。いやらしいねえ・・・・・と、成ってきます。
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副題2、『勝気な人間と、ヒステリー性格を内包している人間は、上下関係にこだわるのだ。そしてライバルを設定するのも大好きである』
伊調選手も吉田沙保里選手もアマチュアです。しかし、プロレスリングと言うのもありますよね。それから、アマチュアでも、男子だと、格闘技だと、見做されていると、思います。で、そういう世界に住んで居る人は、勝ち負けにこだわるし、目の前に居る存在に勝つと、気分がいいのでしょう。もちろん、五輪とか世界選手権とかいう大会で、勝つと、テレビ局が、中継してくれるし、知名度もアップして、気もちがいい事は、いいのですが、それよりも、日常的に目の前にいる存在に対して、自分が上であると感じるのは、非常に気分が良いでしょう。
ここで、田沢茂先生(新制作協会の会員)と、アマゾネス軍団と、渡辺幸子さんとの関係を語らないといけません。鎌倉を、拠点とする、有名な画家で、お弟子さんがたくさん集まっているのは、小関利雄(芸大卒、元、横浜国大教授)先生と、美大を出て居ない、田沢茂先生でした。ほかに、小泉淳作とか、棟方志功と言う有名人が居ますが、弟子を取っているとは、聞いたことがありません。私のブログにしょっちゅう出て来る、瓜南直子さんも、「弟子を取って居て、絵画教室を開いている」とは、聞いたことがありません。ここに登場する大原光孝と言う人物も、また、その版画の上での、師であり、創形美術学校の先輩でもある、柄沢斉も、弟子を取っているとは、聞いたことがありません。
小関先生は、女性にもてる方であって、そのために、奥様と、離婚になってしまって、元、教え子であった方の、お寺に引き取られておられました。で、お寺が経営する幼稚園で、レッスンをされるので、場所代もかからないので、従って、レッスン料も、取ることはない方でした。お礼は、先生を囲んで、宴会をして、その食事代を、みんなが分担するという形でした。これは、小関先生には、高額の年金が入るし、普段の生活費は、すべてお寺さんが、賄ってくださるので、お金を稼ぐ必要がなかったので、こう成りました。
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副題3、『小関利雄先生を囲む弟子たちとしては、横浜国立大学の卒業生を中心として、すべて、偏差値の高い大学を出た女性だった。その中の一人が、サントリー学芸賞を後に受けて、かつ、学習院大学の教授となっている(みたいだった)。サントリー学芸賞だが酒井忠康氏も審査員になっている。
で、その女性が、私のライバルとして、設定をされたらしくて、問題の画廊【るたん】で、二人が同時に、絵を見るというタイミングで、出会う様に、セッティングが行われた。それは、その数年前に、そして、画廊るたんの、オーナー、中島三枝子さんが、彼女の方をべたべたに持ち上げて、私の方をむしっけらみたいに、軽蔑するという謀略的設定が、立てられていたと、推察している。そういうのも、すぐわかるのだけれど、まあ、それは、それとして、25年ぶりぐらいに会う彼女の体系が、ひどく変わっている(=やせ過ぎになっている)のには、驚いたが、私の方は、中島三枝子さんのそういういじめ行為を横目で見ながらも、ごく普通に挨拶をした。すると、上智大学出身の、そのサントリー学芸賞受賞者が、
昔とはまるで、異なった、愛情豊かな表情で、挨拶を返してくれた。昔は、高慢なお嬢様にすぎないと、思っていたが、立派なレディにご成長なさっていた。彼女は、良い方へ、大変身を遂げて居た。実は、私と彼女は、小関先生に、活発に質問を投げかける、その種の弟子としては、双璧の存在だったのだ。そして、彼女の方は、美術理論の専攻らしくて、実作を作ってくることはなかったが、私は毎月、数点の実作をもっていったので、先生の教室を、大いに活発化させたのだった。しかし、小関先生は癌で、入院なさったので、教室は、1990年代には、すでに、閉鎖されていた。だから、たしかに懐かしい出会いだった。
これと、まったく同じ設定で、ガレリアグラフィカの二階で、私と渡辺幸子さんと、酒井忠康氏と、栗田玲子さんの四者が、出会う様に設定をされた。これも渡辺幸子さんが、私のライバルとして設定をされていて、青木繁大賞展の大賞を取っているのだから、幸子さんの方が上であるので、私がそれを、確認してダメージを受けるだろうという設定で、事前に、打ちあわせが行われた、企みだったと、思っている。
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副題4、『反対に基本的な給料がない、田沢先生にとっては、弟子たちから、もらうレッスン料が大切だったと、思われる。私は、鎌倉の画廊内で、田沢先生から弟子にならないかと、リクルートをされたので、びっくり仰天して、丁寧に断って置いたが、田沢先生のリクルート対象には、特徴がある。背が高くて顔が美形、または、服装が、高価なものを着ていておしゃれだと、言う点だ。で、湘南地方には、そういう女性は、多いので、たくさん、同じ特徴を持った女性が、集まって居て、その集団は、アマゾネス軍団と呼ばれていて、湘南地方では、一時期たいへん有名な存在だった。
私が伊調選手の虐めが一応解決をしたので、よかったねと、言う文章の中に、何故、突然に、田沢一郎を、入れたかと言うと、ある集団の統制を取り、かつ、自分がトップで居るためには、スケープゴートを作るのが、一番最適だからだ。それを応用した点が、二人には、共通をしているからだ。
栄コーチの「お前に、五輪で、金メダルを取らせてやる」に当たるものが田沢茂先生の方は、「新制作展に、あなたを入選させてあげる」という言葉であろう。そして、栄コーチの吉田沙保里と、伊調選手との関係は、櫻井陽子と、渡辺幸子の関係に当たる。
それで、渡辺幸子さんは、私に大量の悩みを打ち明けて来ていたのだった。電話で。しかし、そんな渡辺幸子さんが、2002年の2月ごろ、急に激怒して、いじめてくる様になったのです。それは、私が大学祖gつ仰天と言う素人集団のグループ展に、100号Sという大差を出したので出し抜いたと、誤解をしたからでした。特に彼女は、電話で、「アンナの負担だから、鎌倉美術展に出したのを回すわ」と言っていたので、それを出し抜いたと、誤解をしたのだった。
私の方は、そろそろ公募団体展を卒業しようとしていて、国典用に、性悪下作品の行き場所がなくなったので、大学同窓会展に出したと言うだけに過ぎなかった。大学同窓会展は、確かに渡辺幸子の言う通り。素人集団の集まりだけど、それでも、当時は、望月画廊で、やっていたので、銀座雀に案内状を出せば、見てもらえる可能性があったのだった。
怒りに、燃え盛って居て、望月画廊のソファーから、私のバッグ類を落としたり、
電話でグループ内の他の人に悪口を言いまくっているのを、如実に感じていると、もう、誤解を解くのも、できないと思うし、そんな、所に力を注がないでもいいと思うしで、もう、私はさっと、そのグループ展を去った。私はきれいなところに住みたいのだ。
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副題5、『2018年4月6日には、伊藤玄二郎らの提案に乗っ取って、石井秀樹邸の花畑の手入れをしている土工の姿を見た時に、私はリアルな喧嘩をした(後注1)しかし、次の日に、笑ってしまうのは、その男が問題のパーカーを、私が、庭に出た途端に、着用をした事だった。非常に単純な男みたいだった。そういう手合いなので、喧嘩をすべきではなかった。内心で、軽蔑をして置くだけにするべきだった』
しかし、2018年4月6には、私にとっては、驚くべき行動をとった日だった(後注1) リアルな世界で、喧嘩をした日だったからだ。それも、土工を相手に。なんという、嫌な日だっただろう。
しかし、私が、アップセット(英語で、よく使う俗語だが、きりきり舞いをしていて、落ち着かないという意味で使う)だったというわけでもない。土工の行動のどこを写真に撮ったら、面白い文章が書けるし、それに役立つかという事も、しっかりと、冷静に考えながら、写真を撮っているのだから。(苦笑) 私は常に全体像を俯瞰しながら、いろいろ考えて行動をしている。まあ、土工と言う言葉は、軽蔑後に当たると思うので、石春産業と、言いなおさないといけないのだろうが、彼が今行っている証拠隠滅工事は、私に、数十億円の被害を与え続けている鎌倉エージェントの最終的な勝利に結びつくのだから、私が、こういう風に書くのも致し方ないのである。』
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副題6、『渡辺幸子さんは、しばらく会わないうちに腰が、横に、曲がって居た? 普通の老化ではなくて、病気によるものだそうだ。その姿は、・・・・・サリーホーキンスが映画の中で、演じたモードルイスの姿にそっくりだった』
以下の文章は、本日=18-4-7の深夜、書いたものではなくて、3月29日にメモとして書いたものです。前半は、秋山裕徳太子のお個展にまつわる話であり、後半は、渡辺幸子の個展を見た話となっています。
先週の、木曜日(2018-3-29)の事。月曜日に、時間が足りなくて、ギャラリーアーチストスペースはぬかした。エネルギーを単純な消費で済ませられるところを主に回った。ところで、木曜日に二度目として行って、ギャラリーアーチストスペースに行ったら、何と、誕生会をやって居た。秋山裕徳太子と言う人は【うお座】らしい。なるほど、なるほど。だから、芸能人ともなるし、泡まつ候補ともなるのだ。うお座は、他人の人気を極度に気にする。そして、人気もえやすい。フィギュアのザギトワが、うお座だ。だけど、一生を通じれば、それほどに高い位置に存在できるわけでもない。彼は、私が居るからこそ、これほどの、ちやほや扱いを受けているわけだろう。
私は別にそれを目指して行ったわけではなくて、ただ、偶然に木曜日に行っただけど、秋山裕徳太子と目が合った。ところで、入り口に月刊ギャラリーが置いてあった。秋山裕徳太子特集とあった。これにダメージを受けるかと言うと、負け惜しみではなくて、受けて居ない。本多さんも生きるのに必死なのだろう。ところで、私と関係が深いと、お金が入ったと、思うが、・・・・・だから、会社が、他のビルに、移転をする・・・・・と、言っていた。しかし、関係がゼロになると、引っ剥がそうとするためのお金は、彼には入って行かないと思う。念のためにネットで調べたら、前のビルに会社は、引き続き存在をしていた。まあ、心配をしてあげても仕方がない。
ところで、昨日、油井一人さんが、同時刻に銀座に居た。彼が、今、何をしているかが大問題だけれど・・・・・?????
その日は、北久里浜に泊まって、8時間ゲームをやった。本日は、ちっとも面白くないのだけれど、その日は、バカに面白かったのだ。ウィンドーズ7だったからか? そのご、電車の中で、20分寝ただけで、気分がさわやかだったので、渡辺幸子さんの個展に行ってみた。
彼女は、「あなたは、今、絵を描いているの?」と、言う。その前には、「元気そうじゃあない」と言うので、非常に参っているという噂を、すでに、というか、この個展の前に、栗田玲子さんから、聞いて、耳にしているみたいだった。私は、30時間も起き続けているので、顔(特に顎のあたり)にはしわが寄って居て、全然に元気ではない。しかし、実は、私が、「75歳なので」と言うと、みんなが驚く。実は、精神が、若いというか、神様に見守られているオーラがあるので、皆さんが、行為をもって接してくれる。みなさんとは、CIAの影が及ぼしていない人なので、銀座で出会う作家を指しては居ない。栗田玲子さんは、私のブログを読んでいて、非常に具合が悪くて、死にそうだと、思い込んでいるみたいだけれど、秋山裕徳太子よりもしわはないし、ふっくらしているし、文章の、技に、だまされていて、それをそっくりそのまま、幸子さんに伝えているらしい。だから、幸子さんは、徹夜明けの私を見ても、その輝き(!?!?!)に驚いて、居た。そう、みたいだった。それは、収穫だった。栗田玲子さんが、どういう風に判断をしているかが、判ったからだ。今度、二階に顔を出すか一階で、オープニングをしている際に顔を出して、自分を彼女に見せ付けよう。(笑い)
幸子さんが、私より背が低くなっているので、驚いて、それを指摘した。老人固有の縮み現象だと、思って。そう、みんなが言う。「2cmから、5cmは、縮んだのよ」と。私も3cmは、縮んだ方だ。しかし、どうも、違うらしい。彼女は正直者でもあるので、はっきり言っていた。名前はおぼえて居ないが、何か骨の病気で、10cm縮んだそうだ。そのせいか、腰のところで、体が、曲がっている。それは、まさしくサリーホーキンスが、表現したモードルイスそのものだった、彼女に会った後で、東劇に行ったのだけれど、映画の最後に出てきた実物のモードは、非常に背が低くて、曲がっているという印象はない。しかし、サリーホーキンスは、コシノところで、曲がったという造形をしている。それは予告編等で、知っていたので、幸子さんと、サリーホーキンスの造形の、一致には驚いた。しかし、それで、刺激をされて、幸せの絵の具を、見に行ったというわけではない。丸の内ピカデリーで、何時に、上映をしているかがわからなかったので、やはり東劇で見た方が適切だと、判断をしたのだった。その通りで、丸の内ピカデリーでは、一日に一回だけで、しかも、5日までだけだった。よかった。東劇で見て置いて。
幸子さんの絵なんだけど、褒めて置いた。「詩情がありますね」と、しかし、どうも、水増しをした感じがある大作だと、思われた。小さな絵を拡大したので、油絵なのに、力を感じない。受け取れるものが少ない。あんなに大きな絵にする必要がないモチーフである。新制作・出品用なのかな? となると、150号S にする必要があるのか? もしこの想像が当たっているとすると、新制作も公募団体展の弊害のさなかにあるという事となる。そうなると、新制作も寿命が尽きるという事だろう。
中島三枝子さんと十束さんは、最近の私を見ているので、栗田玲子さんの様には、衰えているとの、判断をしていないと、思うが・・・・・
渡辺さんに、「あなたは、絵を描いていないのね」、と、駄目押しされたときには、『終わった人なのね。私には、負けているわね』と、みくだされたと、言う感じを受けた。が、他人がどう思おうと、私は神様に見守られていると、信じている。というか、日夜それを感じている。ただ、いいことは、他言をしない主義なので、これから先は、誰も知らない話となる。私の心や脳内だけに保存をされている。私は、一種の幸せな状態にある。昨日も、ともかく自然に、寝入っているし、便通もあるし、それなりの体力で、いつも通りの生活ができているし。
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