副題A、『この文章は、何度も総タイトルを変更している。2020-3-31日午後3時には、上のものへと、変更をすることとした』
30日の夜10時に、総タイトルを変更したくなった。
Both the pending Building in Yokohama and gorgeous building in Yokosuka ara designed by the same gentleman living as a neighbor of my house, so I suppose. It is the real beginning of this great mystery.
英語で、書いているので、一見すると、気取っているみたいだが、そうではない。英語の方が、意味深い事を、字数が、すくない形で、表現できるからだ。総タイトルには、字数制限があるので。
で、何を言いたいかと、日本語で言うと、横浜都筑区の、ララ横浜という、傾きマンションも、京急北久里浜駅の東側の丘の上に立つ、発売時の名前、ソラヒルズの両方とも、同じ建築家によって設計をされている。それは、我が家(鎌倉の方)の、西隣に住む、白井達雄氏であろう。それが、この壮大なミステリーの原点である】となります。
ここに置いた二枚の写真の内、上の写真は、このマンションの、東側で、下の写真は、西側です。皆さんは、NHKニュース内で、傾きマンションを何度もご覧になったことでしょう。地上からもヘリコプターからも。あの全部で、四棟のマンションが、つながっている、しかし、庭が、ほとんどない、形式のマンションです。横須賀の北久里浜よりも、JR横浜線、又は、横浜市営地下鉄ブルーラインに、出ることができるという地の利は、ブランド的に高いのかもしれませんが、駅から、歩くのがとても大変です。
しかし、こちらの、横須賀の方の、マンションでは、歩いても駅まで、10分以内ですが、美麗な、五階建てのエレベーターで、一気に丘から地上へ、降りることができます。ご覧になるだけで、お分かりになる、余裕がいっぱいで、豪華さもあるマンションです。では、なぜ、これ程、豪華なのか? しかも、高い丘の上ですから、遮るものが、四方八方360度何もないのです。
そして、西隣の白井達雄さんは、私に直接に否定しましたが、私は、否定が嘘であって、この二つのマンションは、両方とも、松田・平田設計事務所の、重役にして、横浜支店長の、白井達雄さんが、主幹として、設計したものだと、考えています。しかし、同じ設計者が、設計したにしては、どうして、これ程の、造園と、環境整備の差があるのでしょうか? それは、らら横浜の方が、買った土地の上に立っている、土地代込みの、売買価格であるのに、横須賀の方は、地べたは、下、横須賀市の水道山であって、それを巧妙な仕組みで、ただ(無料)で、手に入れた人がいるのです。
その人物は、1950年代か、1960年代に、この山の上に、(80?)坪程度の土地を買いました。
ここですが、数字の一が抜けていて、80坪ではなくて、事実上は、180坪です。しかも、かれは、その部分は、樹木を伐採して、更地に直しましたが、さしたる、区画わけもせず、放っておきました。そして、其の180坪の私有地のさらに、南側を、開発して、8戸分の、建売住宅用地を作ったのです。ただ、我が家は、建物付きではなくて、更地として買ったのですが、二戸分六十坪を手に入れました。それに味を占めた、彼等は、我が家の北側に、二つの、55坪とか50坪の、住居用地を作り、それも更地として、売り出し、その後、相当の年月が経ってから、大本の彼が買った部分に、合計6戸の建売住宅を作って売りに出しました。
彼が最初に手に入れた当時は、そこは、地目は、山林であり、インフラ整備もできていなかったので、それこそ、二束三文の、金額だったと、思います。それを20年間で、10個の建売住宅と、3戸用の更地として、売り出したのですから、合計、今の、金銭感覚で言うと、4億円+、1億円で、5億分が、もうかったことになります。道路整備費、及び、建売住宅の建設費に、2億円擁したとしても、濡れ手で粟で、3億円も受けたことになります。しかし、彼の狙いは、そんなものではなかったのです。そのさらに、南側、1200坪の、横須賀市の水道山を手に入れるのが、最終目的でした。そこに今ルネ北久里浜が建っていると、いうわけです。
その人物名は、益山重夫で、鹿児島県出身の、元海軍参謀です。彼は、鹿児島県出身であることは、偶然に海軍士官学校卒業名簿(ネット、又は、古本?)で、手に入れた情報で知りました。
彼は、海軍時代の、人脈を利用したのでしょう。京急に、京急池田分譲地を開発させました。ここで、京急が最も、強く私をいじめている電鉄会社であることが、この、ルネ北久里浜の土地詐欺事件を、証明します。
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副題B、『ここで、杉本正子、画廊るたん、長瀬いずみ、島田章三、大沼嘉津江に、ついて、過去に書いた文章の、裏側が、登場してくる。横須賀、鎌倉、銀座が、すべて、連動をしていることがお分かりいただけると、思うが?・・・・・私鉄沿線駅から、ごみ箱撤去された問題も、ここで理由が解明できる』
彼は、海軍時代の、人脈を利用したのでしょう。京急に、京急池田分譲地を開発させました。で、京急は、いまだに、対私いじめの最先鋒に立っている、電鉄会社です。最初に京急から、ごみ箱が撤去されました。それは、横須賀市全体の事となったそうです。で、JR東日本の、横須賀線久里浜駅からも、ごみ箱が撤去されています。その上、段々と私鉄全体に、このごみ箱撤去は、普及していきました。
なんのことはないです。私が、北久里浜には、住んで居ませんね。それでも、滞在して、園芸の仕事をするなどという間、お昼は食べます。それから花が入っていた、袋とか種の袋とか、ごみが出ます。横須賀市の、そのあたりは、特に厳密に、ごみ収集がなされていて、夜、出してはいけないこととなっています。これは、インテリにとっては、非常につらい事ですが、そこら、あたりには、インテリは、住んで居ないと、言う仮定のもとに決められていることでしょう。で、私は、それは、杉本正子さんが、考え出したいじめですねと、考えていましたが、でも仕方ないので、小さなレジ袋に入れて、持って出ていて、それを駅のごみ箱に捨てていました。ほぼ、お昼分だけです。しかし、それを尾行が見ていて、さらに虐めるために、ごみ箱撤去にしたのか?そういう事にしたのか?
それとも、この大詐欺事件に、横須賀市側で、関与をして、悪事を見逃した、1978年当時の、横須賀市土木課長、杉本俊一氏の、奥様正子さんの提案により、杉本氏が、まず、京急、それから、JR・横須賀線・久里浜駅、及び、田浦駅等を動かしたのか、そちらなのかもしれません。
独身で、コンビニで、夜遅くまで、働いている、30代から、40代の男性が、コンビニ弁当の容器を朝、駅で捨てようと考えていた習慣が、できなくなったのは、このルネ北久里浜を巡る大詐欺事件で、益山一派に、協力したおかげで、その後、横須賀市の副市長に出世していった、杉本俊一・正子夫妻の、せいなのだと、お考えいただきたいです。表むきはテロリスト対策ですって、そんなの、嘘ですよ。嘘ばっかりですよ。
という挿入を、20-4-1に入れて、元の所(31日)に書いた部分へ戻ります。
この正子さんというのが、すさまじいレベルでの悪女です。未だ、取り組んでいませんが、それは、気が付いていないとか、おびえているからではなくて、事実を川上から、積み上げて、下降部分に至ったら、書こうと、思って待っている、それほどの悪女です。その彼女に至る前に、島田章三さんの、実妹大沼嘉津江さんに取り組んでいるのは、銀座で、画廊るたんに、中島三枝子さんに、すさまじいいじめを受けたからでした。しかも、いじめの共同作業者として、2013年当時、国画会準会員だった、長瀬いづみと、組んで行ったので、ああ、そうですか、そう来るなら、どうして、莫大な、横須賀市の、市民税が、島田章三さんに、渡って行くのかを、書き始めますねと、心に決めたからです。杉本正子夫人と、大沼嘉津江さんは、一種の親友でしょう。????? その四年前は、私が親友だったはずですが?????
根岸小学校のPTA・広報委員として、この三人は、毎週木曜日の午後、顔を合わせていたのですが、毎週、杉本正子さんが、私を捨てて、大沼嘉津江さんに、慕い寄っていく様子を、40回×3時間、120時間見せつけられたわけですから、杉本正子さんが、どれ程の悪女であるかを、しみじみと、見せつかられました。だから、かの女が、裏側で、何を考え、どういう風に行動をしているかなど、手に取る様にわかります。
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副題C,『ここで、1970年代の、我が家の北久里浜の家付近の状況に戻りたい』
昔は、横浜市の、丘の上に新興住宅街と、比較すると、こちらの方がレベルが低くて、安い物件だったと、思います。しかし、あれから、40年以上が過ぎてみると、駅まで、徒歩圏内にある、この分譲地は、どんどん、高級な家が建ち始めて、駅まで楽に歩ける、高台の住宅街として、その評価を高めつつある模様です。
私は、当時蒐集した、書類の類をすべて盗まれていますので、唯、唯、記憶を頼りに語りますが、実は、当時の公図を見ると、我が家など、公図上は、幅が、南北に、二ミリ程度しかありません。つまり、架空の地番を持つ、住宅地を、10戸分程度作り上げたのです。
なぜ、それほどに、重要な書類が鎌倉の我が家からすべて盗まれたかですが、それは、益山重夫氏が、瀬島龍三という戦後最大の、CIAエージェントと親友だからです。で、警察が、CIAの手下なので、CIA側に立つ人間が、行った悪事の、証拠書類は、雨宮舜(=本名、川崎千恵子)の、手元に置いておいてはいけないと、いう事になって、私の鎌倉の家から盗まれたのです。
そして、最初は、10区画程度の、宅地を造成しました。しかし、驚くべきことに、それは、既に、水道山の、敷地内だったのです。水道山に、向かって、北側400坪程度を、1970年には、既に、蚕食する形にしていました。市役所が、いちいち、点検には、来なかったからか? または、それこそ、わいろ等、を与えて、眠らせていたのか? ともかく、担当者は、杉本俊一氏だったはずですがね。
ここで、我が家、我が家の西側に位置する隣人、原正芳家、我が家の南側、間に、一軒、別に家(建売住宅を挟んだ、向こうの、益山重夫・智恵子夫妻の、家の三軒が、1978年当時、どういう風に動いたかについては、この章の、4倍程度の、文字数が、必要なので、それほど、詳細には、語らないが、
この三つの家の内、もっとも、富裕で、歴史があるのは、原正芳家です。そのことについて語りながら、何故、仲野通巳吉は、川崎の家を捨てて、こちらに移り住んだのかを、思考していきましょう。この丘に移り住んで、地主でございますなどという、大きな顔をするのは、あまりにも欲張りすぎだと、思うからです。
このインフラ整備を利用して、一番最初に、家を建てたのは、原正芳家でした。原家とは、水道山の西南に、畑を持っている、それこそ、正真正銘の地主です。正芳氏は、三男坊で、長男と、次男は、丘の下の平野に、もともとは、田圃を持っていた、お百姓さんであろうと、思いますが、戦後の近郊農家の常として、まず、野菜を作って売っても、都会(=横浜市)が、ヒンターランドとして、控えているので、富裕になるし、京急久里浜線が、新しく、敷かれることとなれば、京急北久里浜駅・近傍の、原家の、畑類は、とても、高額で、売ることができたと、思われ、横須賀では、相当な名家と、成って行ったと、思われます。原家の男たちは、お顔も上品だし、学歴も高いと、考えられます。で、今、我が家の周辺では、益山重夫氏の、義弟(妻、智恵子さんの実弟)仲野通巳吉が、「地主でございます」と威張っているが、私に言わせると、とんでもないとなります。彼は、自宅の敷地として、総計500坪近くを保有して居ますが、あら、いやだ。それって、地籍変更届を利用して田で、私有化した、旧横須賀市の水道山ではないですか? 大きな顔なんかできない筈ですよと私は、思って居て、・・・・・その仲野通巳吉に今では迎合して、私に対して、桜の花びらや、落ち葉で、文句を言ってくる原(正芳)未亡人についても、いったい何なのだと、思っている次第です。
、その後、時間は40年が過ぎて、今、我が家の周辺では、益山重夫氏の、義弟(妻、智恵子さんの実弟)仲野通巳吉が、「地主でございます」と威張っているがとんでもない。
彼は、もともと、川崎市に、住んで居た・・・・・どういう家柄の人か、よくわからない、・・・・・人物である。鎌倉の我が家に「北久里浜の家を売れ」と言いに来た、川崎在住の男がいるが、彼が、仲野通巳吉の知り合いだと、仮定をすると、その男がまるで、やくざか、ちんぴら風だったので、川崎でも、古い、場所で、庶民的な、地価の安い一帯に住んで居た可能性を感じている。そういう一族なのだ。正真正銘の地主とは、原正義家の方なのだ。しかし、今、仲野通巳吉は、自分の家、それと三人の娘の内、二人に、家を建ててやり(自宅に一人を同居させているかな?) 、一族郎党、8~12人で、三軒の豪邸をせしめているので、そっちが、地主でありますよと、いう形で、威張りかえっているらしい。そういう雰囲気である
。そして、原(正芳)未亡人は、今では、私をいじめているという段階に変化しているのだった。
仲野通巳吉は、もともと、川崎市に、住んで居た・・・・・どういう家柄の人か、よくわからない、・・・・・人物である。鎌倉の我が家に「北久里浜の家を売れ」と言いに来た、川崎在住の男がいるが、彼が、仲野通巳吉の知り合いだと、仮定をすると、その男がまるで、やくざか、ちんぴら風だったので、川崎でも、古い、場所で、庶民的な、地価の安い一帯に住んで居た可能性を感じている。西側は、高給住宅街に変化しているが、そういう場所ではなくて、京浜工業地帯で働いていた、工員さんの、一族なのかもしらないのだ。ここで、そちらにも言及したいが、池田分譲地の、建坪27坪に家に、俊一さんの、良心と、一家六人で、暮らしていた、杉本俊一氏の、祖先というのも、海軍工廠に、勤務していた一族かもしれない。士官たちは、一応、鎌倉市内とか、横須賀でも、大津方面に、一戸建ての家を持っているはずなのだ。
このルネ北久里浜と、いう場所の、地べたが、旧横須賀市の水道山だったのに、或る私人に唯で渡ったことを、杉本俊一氏は、看過した。また、仲野通巳吉は、益山夫人の実弟なのだ。そういう立場で、お互いをサポート支配助け合い(苦笑)、ふた家族、一族で、威張りかえっている。・・・・・私は、見ていて、ただ驚くのだが、その影響で、鎌倉雪ノ下の家でも、いやなことが次から、次へと、起きるので、書き続けないと、いけなくなっている。
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副題D、『私が、非常に残念に思うのは、原家は、仲野通巳吉の、前の住人、益山夫妻には、相当に、苦しめられていた筈なのに、どうしてか、今では、そちらのいう事を聞いて、私の方をいじめる側に回っているという事なのだ。
その10戸、× 30坪の宅地の、さらに、南側に、高さ5メートルの、木の塀を作り、その中にシェパードを放って、人間が誰も入れない様にして、毎日農作業をして、南側=横須賀市の水道山)の方へ、蚕食して、開墾をしていったのだけれど、その木製の塀だけでは、不安だったらしくて、原家の前、我が家の前の、造成地を、突然、三倍の高さに、造成しなおしたのだった。
我が家は、間に生協という組織を挟んだのだが、結局は、その益山氏造成の宅地、30坪×二区画を買って、1974年完成という形で、原家の西側に家を建てた。その家を建てる直前で、買った後で、けたたましい造成が、なされたのだった。我が家も当然のごとく、日当たりが悪くなった。
理由は、1978年の地籍変更戸溶けと、いう大詐欺事件の、仕組みを実行する前に、益山一派は、今度は、その、最初の、住宅地開発の、拠点よりさらに、南側を、開墾し、あたかも水道山が、自分達の、果樹園のごとく見せつけるために、
その10戸、× 30坪の宅地の、さらに、南側に、高さ5メートルの、木の塀を作り、その中にシェパードを放って、人間が誰も入れない様にして、毎日農作業をして、南側=横須賀市の水道山)の方へ、蚕食して、開墾をしていったのだけれど、その木製の塀だけでは、不安だったらしくて、突然に、三倍の高さに、造成しなおしたのだった。その上、其の三十坪の、宅地のすべてに、総二階の、建売住宅を建てたので、さらに、視界が悪くなり、益山夫妻の、悪事は隠蔽されることとなった。
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副題D, 『神戸で、土師淳君というお子様が、殺され、その頭部は、小学校の、校門の上に置かれていて、胴体部分は、水道山のタンク下に隠してあったと、いう事件が起きた。が、それは、すべて、この北久里浜の、異様に大きな詐欺事件をサポートするために、西側から、入れることになっていた、道をふさぎ、一般人が散歩の傍ら、益山重夫・智恵子夫妻がなしている悪事を発見できない様にするためであった。
酒鬼薔薇聖斗と、いう名前で、犯行声明文を書いたとして、中学生が逮捕されたのだが、あの文章も、今では、井上ひさしが書いたのだと、私は、思って居る。したがって、あの少年は、釈放されたのちは、少年Aと、名乗っていて、酒鬼薔薇聖斗という名前は、雲散霧消をしてしまった。しかも、しょうねんA は、自伝的書物、【 】を、太田出版から出版し、ヌード写真をホーム頁で、公開するなどと、いう顕示欲満杯の、行動に出た。そして、誰もそれを批判をしない。如何に、井上ひさしで、代表される、鎌倉エージェントが、メディアを牛耳っているかがよくわかる。
つまり、少年Aは、実際には、土師淳君を殺していない、例のごとく、警察の殺人用別動隊が、殺したのだと、思われる。死体になってしまった、体重40キロぐらいの、お子さんを中学生が、山の上まで、持ってあげられるわけがない。
ここで、私は、また、この雪ノ下の山の住人、渡辺賢司へ戻りたい。彼は、東大卒なのか? それとも外語大卒なのかは、わからないけれど、こういう裏側を何も知らずに、唯、唯、単純無比に、かつ、意気揚々と、私をいじめる方に加担をしている。35年以上にわたって、一瞬も休まず、前田夫妻と、安野夫妻に、忠誠を誓って居る。・・・・・・私は、実は内心で激怒している。・・・・・しかし、ご近所住まいだから、それを外に出すことはない。ただ、ただ、何をやって居るのだと、私は思っていて。いつも、いつも、深い深い軽蔑をしている。
横須賀の方では、稲田恭子夫人に問いたい。「あなた、杉本正子さんに頼まれて、対、私への工作(一種のいじめ案)をぺらぺらと、セリフで、電話内とか、あの京急池田分譲地内で、発語しているみたいですが、神様に向かって、これでも、大丈夫ですと言えますか?」と。
・・・・・そして、私が、この横須賀の方のマンションにまつわる、異様なウソの数々を書き始めると、突然に名称が変更されました。最初は、360度の眺望が可能なソラヒルズと、宣伝をされて売りだされた模様ですが、私が、その立地に、まつわる嘘を書き始めると、急にルネ北久里浜と、名称が変更になったのです。
そのいきさつは、平成の八墓村事件として、大報道をされた事件が、「保見は、やって居ない」と書き続ける私のブログが正しいからこそ、周南事件と名前を変えて、報道が、縮小していったのと、そっくり同じなのです。
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以上が、2020年3月31日に書き足して行った、部分です。そして、30日いっぱいさらしていた、以下の文章へ、戻ります。
最初の総タイトルは、・・・・・河合案里議員の、選挙違反で、問われている金額と、傾きマンションへ、政府資金が、ひそかに投与されたと、見る、私ですが、その金額が、一千倍も違うという事を問題としたい・・・・・そういうものです。具体的なセンテンスとしては、以下のごとくとなります。【uguisu嬢への五百万円が大問題に? 一方、傾きマンション建て直し費用・五百億円を報道しないのは、何故だ?-その2】でした。
これも、鎌倉エージェントと、私が総称する悪人たちのさじ加減一つで、決まることであって、日本の、司法が崩壊していると、いう事の証明の一つとなります。
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副題1、『旭化成建材疑惑とは、どうでもいいことを針小棒大に、拡大をした。だから、CIAエージェントの策謀だから、官房機密費が、始末のための、費用に使われたと、私は、見ている・・・・・その手の特殊な思考に到達するにあたって、西隣の、ご夫婦は、非常に重要なキーパーソンである』
しかし、旭化成の株価かを下げてやろうとするおもむきは、そう成功したものでもありません。吉野さんのノーベル賞受賞は、派手なトピックスでした。しかし、それ以前に、旭化成の株を買うなどと言う、種族は、相当に、手慣れた投資家なので、あの、傾きマンション騒動は、非常におかしいという判断もできるでしょう。というか、それで、あの会社を、見放す様な事はしないのです。
主人はあの報道の半年後ぐらいに、旭化成の株価なんて、全然下がっていないよ」といっていました。井上ひさしは、現実の社会を、ほとんど、知らないので、こういう発案をするのです。
ところで、今、どうして、傾きマンション問題をふたたび、取り上げたかというと、それの、修復というか、始末に、500億円ぐらい、政府からお金が出ていたと、私は、想像し、それに比べて、はるかに小さい金額の、お金で、河合杏里議員が責められていることには、別の原因があると、思うのです。しかし、それに、話題を向ける前に、もう少し、詳しく、傾きマンション問題を検討する必要があります。
この時、石井国土交通大臣が、この件の謀略性(=嘘がいっぱい入っているという事)を、薄めるために動いたし、林文子横浜市市長も動いたのです。
さて、この件ですが、今までは、さらさらと、真相を書いてきました。
ところが、この2020年3月24日の、西隣の奥様、小野寺夫人の、午後の動きと、
25日に、夜、11時20分前ぐらいの、ご主人、白井達雄氏の小町通り内での、動きが、急に出来して、それで、
しばらく、書きにくいことになったなあと、考えていたのです。
しかし、ブログを、四日間休んだのは、その二人に遠慮をしたのではないのですよ。私の頭脳は、それほどに、あほではないです。でね。ブログを書かなかったのは、雑用にふけっていたからであって、西隣のご夫婦に遠慮をしていたからではないのです。
と、こう、するうちに、木曜日=26日に入って、新たな展開があって、
ああ、やはり、ブログは、いつもの調子で書くべきだと、いう判断に、陥りました。で、状況は、常に繰り返されるわけですが、仕方がないですね。ところで、・・・・・・この部分については、後日、詳細に、語る日も来るでしょう。・・・・・と、書いたわけですが、29日の深夜、その部分が、メモだけでも、書けたので、ここで、それを挿入いたします。そして、30日に入って、そこを膨らましていきましょう。
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副題2、『2020-3-24、西隣の白井達雄夫人(戸籍上は小野寺夫人という)から竹を、もらう一時間前の事、北久里浜の別宅へ行った主人が、私が朝、頼んでいた、桜を持って帰ってきた。梅の花芽がすべて、もぎ取られていると、いう憂き目に出会っているので、せめて桜でも、持って帰ってほしいと頼んであったのだった。さくらの方は、横浜鴨居駅を最寄とする、東本郷住宅に住んでいるときの友人が、転居のお祝いに、くれた苗木だった。たぶん、サカタのタネで、買ってくれたソメイヨシノ。
昔から、さくら折るバカ、梅折らぬバカと、言われていて、桜を傷つけるのは、非常識だと、言われている。ところが、今般は、梅や、貴陽という高級プラムの花芽をすべて、もぎ取られているので、せめてさくらでも楽しみたいと、願ったのだった。
この桜だけれど、西隣(北久里浜におけるそれだが)、から、「花びらと、落ち葉がこちらに入って来て、迷惑だ」と、言われていた。既に、1974年から、植えているので、40年たっていて、樹木として、壮年に達している。
ところで、西隣さんは、奥様が、車で、我が家に侵入したことがある。塀も壊したし、カナメモチも何本もダメにした。鉄製の塀については、保険で直してもらって居る。が、カナメモチの植木でできた塀に穴が開いたのは、その後、何十年たっても、直されていない。修復できない。それから、おぼっちゃまが、旧小室さんから、仲さん、又は、安さん宅の裏山で、山火事を起こしたことがある。奥様は、税関に勤めていて、昼間家にいない。おばあちゃまが家にいたが、その方は、意地悪だし問題が大きくなると、坊ちゃん自身が思って、私に「消防署へ、連絡を取って」と、頼んできた。この時に、消防車が、なかなか、来なかったのだけれど、もしかしたら我が家の電話がすでに、盗聴をされていて、消防署でさえ、いう事を聞かない様に、わざと、させられていたのかもしれない。それは、益山智恵子さんがやったことであろう。
ともかく、火事は大火事となって、石渡さん(=美容院)渡辺夫人、石井夫人、小室夫人、鷲尾夫人、広瀬夫人などが、総出で、バケツリレーをして、消し止めたのだった。そういう裏側があるので、原夫人が、私に文句をつけるなどとは、天から見ればバランスが取れない仕組みなのだった。とんでもない事である。こういうお名前は、皆さんが、どこかで、ゼンリンの、地図を手に入れられば、すぐ探すことができるお宅だ。池田分譲地の最も駅に近い部分のお宅群だ。ただし、小室さんと、渡辺家だけは、引っ越してしまって、今は、そこに住んではいない。
原夫人は、本来なら、そんなバカげた文句はつけてこない人物だと、思う。高卒だと、思われるが、さすがに、国家公務員を横浜税関で、長くやってきた人物だ。常識があるし、そのあたり一帯で、出来が良いご婦人の筆頭だと、思って居る。親戚も市会議員とか歯医者さんで、偉い人ばかりだが? その上、1978年の地籍変更届が、出来する前から、益山夫妻には、多大な被害を与えられてきている。南側に突然に、10メートルも高い家を、作られてしまって居る。それは、益山夫妻が、自分達が行って居る悪事を隠すためだったのだが、そのあたりでは、 っちだから、本来なら、私の見方をしないといけないのだ。それなのに、大音響を、夜の9時半に、作り出して、私を、脅かしてきたことがあり、今では、すっかり、杉本俊一・正子夫妻、及び、仲野通巳吉一派に所属している。そういう事がわかっている。しかし、原夫人には、言っておきたい。「・・ペンは、剣よりも強し・・とか、そういうことわざをしっているでしょう? 教養の一つとして」と。その桜を、彼女の言い分を建てて、半分切ったのが、2016年の六月で、主人が入院中の出来事だった。
そのことでも、非常に嫌なことを、杉本夫妻発、又は、警察発で、やられたのだが、それについては、ここでは、踏み込まない。でないと、この一文が終わらなくなるので。
そちらには、踏み込まない。しかし、その費用に、50万円を支払ったという事は、この一文の中で、重要な伏線となるのだ。結局のところ、其の24日には、和解の姿勢を取ってきた小野寺夫人から、たった4日後の、28日には、したたかに、馬鹿にされることとなる。
お金、特に、植木屋に払うお金がないと、みなされて、馬鹿にされきることとなる。だから、これも強調をして置きたいのだが、主人が入院中に鎌倉の家では、紅葉を、伐採して、それと、がけの草取り(ただし、カットするだけで、根っこを抜く形ではなかったのだが、)の二つで50万円を支払って居る。2016年度中は、植木屋に、合計100万円を私は自分のお小遣いから、支払って居る。それは主人が、木を切るのを嫌がるので、そうしないとならなかったのだ。主人の入院をチャンスとしてとらえて、問題の在る、二本の大木を、北久里浜の、と、鎌倉の家の両方で、切って行ったのだった。
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副題3、『2020-3-24日の午後、外へ出ていると、道路から、わざわざ、8メートル以上は高い位置にいる私に向かって、小野寺夫人が、声をかけてきた。竹を処分している最中ですが、川崎さん、使いますか?との事。この竹は、いわく因縁のある竹で、その申し出でだけで、彼女が折れてきていると、いうか、一種の謝罪の態勢に入っているというか、又は、慰撫の態勢に入ってきていることがわかった』
これ以降は、次のブログへ回します。