銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

本日は広尾を散策・・・広尾・ショマショマ・・・知る人ぞ知るらしいNATIONAL AZABU・・・ワシントンハイツの返還との関係は?

2022-02-04 23:49:43 | 政治

 ここに初日は、テーマを移動させることへのお断りを書いています。しかし、今は、二日目です。それで、内容を相当に、変えています。で、この文章の目的をまず、語らせてください。

 この一文は、広尾という町に対する観察を主たるテーマにしているみたいに見えますが、実際は、金持ち VS 貧乏人というテーマで書いているものです。むろん、私は貧乏人の方です。しかし、文化資産は持っているつもりであって、プライドは高いです。

 ところで、私は、ありとあらゆるテーマで、真実を書く人なので、言論弾圧を受けています。しかし、表向きは、現在の日本で、そういうことが行われていると、見せることはできないです。憲法で、言論の自由が保障されてるからです。で、淫靡な、隠された形で、迫害を受けています。

 それは、たいてい、大金持ちを使って、行われます。それらの人から、いじめられるという形で、行われます。その大金持ちたちは、社会的に知名度も高いので、それらの人から、いじめられたと書くと、私の方が間違っていると考える人が多いでしょう。しかし、そういう誤解を気にせずに、書いています。本章でも、いくばくかの文字数を使って、それらについて触れています。

 しかし、恵比寿に言及したついでに軽く触れた秋山祐徳太子と、保坂涼子についての項目は、削除しました。もっと、しっかりとした、長い文章で、書き表したいからです。

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 なぜ広尾に行ったかというと、そこに優れたエコバッグを売っているお店があるという事を、都道府県会館内郵便局で知ったからでした。

 都道府県会館というのは、私が昔知っているビルとは、建て替わっていて、ものすごく豪華なビルとなっています。そして、その傍に、地下鉄永田町駅構内に降りるエレベーターがあるので、国立劇場で、歌舞伎を見た帰りは、そこまで足を延ばします。半蔵門駅へ出るのより遠いのですよ。でも、最高裁とか、国会議事堂とか、この都道府県会館とか、森タワー(平河町)とか、非常に豪華なビルがあるので、歩きながら、いろいろ、ものを考えてしまうことが有るので、好きな道なのです。

 これを私はプチ旅行と称して、それで、また、ものを考える種を拾うのでした。

 どうしてこれほどの豪華ビルを作るお金が日本にはあるのに、個人たち一人一人は貧乏なのだろう? と考えるのです。それは、事件とは直接関係がないので説得力がないと思うので、ブログ化しません。でも、根っこのところに、こういう心配があるのです。それが、ブログを書き続ける原動力でもあります。

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 都道府県会館内郵便局を利用する人は、ほとんどが、サラリーマンですが、中には、平河町の住人だと見えるマダムもいました。その人がサイズ的にぴったりという、エコバッグを持っていたのです。あまり大きいのは、中に、いろいろものが入りすぎて、重いのです。しかも、中のものが動いたり、横になったりして、取り出しにくいのでした。

 老人になるとありとあらゆるところで、省エネをしたいものですから、アテンダントバッグを使います。しかし、アテンダントバッグというのは、ものの出し入れが、不自由なので、お財布等を入れる、小さめのバッグが別にあると、便利なのです。

 しかも、革製ではないことが大切です。皮革製は、それなりに重いからです。

 今、エコバッグは大流行で、AFTERNON TEA とかFAUCHON とか、KINOKUNIYA のものを持っている人が大勢います。AFTERNON TEAは、パステルカラーのものを出して居て、それは、素敵ですが、何しろ、見るからに大きいです。鎌倉に、そのお店がないので、小さいサイズがあるのかどうかを知りません。が、小さいサイズのエコバッグを持っている人は、本当に少ないのです。

 元街ユニオンというスーパーの、エコバッグの最小サイズが、帆布でできていて、私は、長年愛用をしていて、それに別布で、カバーをつけて、ひもも、カバーと同じ布で、新しく作って、自分なりのバッグを作っているほどですが、いささか小さいのです。

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 で、元に戻ります。都道府県会館・内・郵便局で、出会った、如何にも、平河町の住人らしきマダムが、帆布でできていて、しかも、サイズがぴったりの、エコバッグを持っていたのです。

 それは、本当に理想的なサイズで、理想的な硬さで、私は、すぐ『ほしい』と思いました。

で、「すみません。それはどこで、売っているのですか?」と質問をしたのです。お洋服だと、そういう質問は失礼にあたります。特にブランド名を聞いて、同じものを買われてしまったら、その人と私(=他人)との間の差別化ができませんね。だから、お洋服については褒めるだけで、ブランド名とか、どこで、売っているとかを聞きません。

 しかし、エコバッグとは、高くても2000円程度のものですから、どこで売っているのですか?と、聴いても失礼には当たらないと思ったのです。

 彼女はびっくりしたような顔をしました。それは、知らない人から話しかけられたから、驚いたというよりも、「そんなことも知らないのか?」という軽蔑の表情でした。

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 その表情は、まさしくメトロポリタンオペラの、構内(ただし、ビルは別・・・・で、リンカーンセンター内ビルと言うべきだが、)の、立ち食い食堂で、1999年の秋に、出会った日本人マダムとそっくりでした。

 駐在員の奥さんだと思います。私が彼女と同じ【サケのムニエル】を食べながら、つい、15分前に経験した、驚くべきエピソードを語っていたら、彼女は無視するのですよ。100%日本人だとわかる50代の女性ですが、「あなたって田舎者でしょう? そんなエピソードで、びっくりするなんて」っていう感じで、無視してくるのです。

 しかし、私は、口には出しませんでしたが、ずいぶん低級な人だなあと、思って、こっちこそ、相手を、内心でですが、バカにしました。

 というのもサケのムニエルは、16ドルです。当時のレートで、2000円です。しかし、立ち食いです。そしてカウンターはアメリカ人向けで、とても高い位置に作ってあって、しかも面と向かっては、高い木製の壁があって、かつ、皿を乗せるカウンターの幅が狭いので、とても、食べにくいのです。おもてなし精神皆無といった具合です。

 というのも、そこで、食べる人は、メトロポリタンオペラの運営側(または、リンカーンセンターの運営側)にとってみると、貧乏人なのですから、「お皿がおける幅だけで、十分だろう。おまえらは」と、小ばかにされているわけです。

 隣で、私を無視してくる駐在員夫人も、私も全く同じ程度で、貧乏人扱いを受けているのです。それなのに、彼女は私を小ばかにして無視してくる。最初に「版画修行をしに、ニューヨークに来ているのですが」、と言ったのがいけなかったのかもしれません。アーチストと駐在員は、収入の面で、雲泥の差があるからです。ただ千住博とか、杉本博司とか、秋山某などという有名人になると高額な収入が保証をされるのですが、それは、一千分の一、もしくは、一万分の一のケースです。

 だけど、彼女が、私を軽蔑するのは、リンカーンセンターを管理する側から言ったら、まさしく、【目くそ、鼻くそを笑う】ということわざの、典型です。そう、思っておかしくて、たまりませんでした。同じレベル内で、軽蔑しあってどうするのよと、言う感じ。

 どうしてそういえるかというと、その時、私が話したかった、15分前のエピソードを語れば、皆様もご理解を頂けるでしょう。

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 私はパリでもニューヨークでも、へいたー方式という重労働が必要な色刷り版画を作っていて、毎日、土日もなく、工房に通い(鍵をもらっていますので)7時間から、10時間ほど過ごしています。観光に割く時間など、まったくありません。しかし、観光ビザ限度いっぱいの三か月が終わりに近づくと、『そうだ。オペラでも見なくっちゃあ。もったいない』と、突然に、思いつくのです。

 1998年のパリでは、オペラ座では、バレーの公演が主らしくて、オペラはバスティーユのモダンな建物の方で公演をしていました。日本の公会堂などと、似た形式のビルです。一人だから、当日行っても、ものすごくいい席が取れたのです。で、ニューヨークでもそのつもりだったら、意外と、切符が無いのでした。予約だけで、売り切れるみたいです。もたもたしていて、しかも、悲しそうに、していると、私の後に来た、常連客らしいマダムが、いわゆるダフ屋を紹介してくれたのです。マダムの方は、予約してある切符を受け取りに来たのでした。その時の、ダフ屋ですが、もしかすると、本当に学生かもしれませんが「自分たちは学生で、なんとかかんとかで、本日のオペラは見られないので、この切符を売りたい」という、若い女性です。そういう人を紹介をしてくれたのです。

 で、私は、その親切なマダムに感動して、どうしてか、くっついて歩いていたのです。いや、彼女が、「これから、開演時間まで、一時間ほど、余裕があるから、夕食を食べる予定です」といったのではないかしら?

 この女性は、本当の、WASPでしょう。そして、ご主人の会社が寄付をしているか、または、ご主人が個人的に寄付をしているか、どちらかは、知りませんが、年に500ドル以上3000ドルぐらいの寄付をしている富裕層中の富裕層だったのです。それはプログラムに寄付者の名前が出ていたので、後で、判ったことでした。

 で、その同じ彼女が先ほどまでは、超親切だったのに、リンカーンセンター内廊下を歩いている時に、突然に、不親切になって、「外で、食べなさい」と、しきりに言うのです。しかし、私はひるまないで、こういいました。英語でですが、「何事も経験次第ですから、ここの食堂を経験してみたいのです」と。で、合計7分ぐらい彼女と、彼女のご主人と三人で、一緒に歩いていたでしょうか。

 ある個所まで、くると、突然、黒服のウエイターが廊下に出て来て、「なになに様、いらっしゃいませ。お席は用意してあります」といったのです。もちろん英語でです。でも、それが意味するところは、私には瞬間的にわかって、私は慌てて、その超富裕層夫妻のそばを離れました。で、彼女の名字は、覚えておりません。でも、ウエイターが、名前を出すくらいだから、寄付金を出して居る人であることは確かです。 

 アメリカの富裕層って、非常に背が高くて、痩せているのです。それもあるし、お洋服がウール製で、黒づくめでした。ウール製のものを着ているのは、パリでも、ニューヨークでも、富裕層です。普通の人は、ポリエステル製のアノラック風のものを着ています。

 そして、たぶん私が食べたのと同じサケのムニエルを、チップなどを入れて、30ドル(4000円)出して食べるのでしょう。もしステーキだったら、ランチでも、5000円です。

 私は本当に赤面をしながら、でも、『あの富裕層夫人は、やはり、親切だったのだわ。まるで、日本人みたいに、気を使ってくれたのだわ。恥をかかせたくないと、思ったのでしょうね。富裕層マダムって、繊細なのですねえ。普通のアメリカ人と比較すると、圧倒的に繊細だわ』と、思って、それは、うれしかったのです。

 ですから、負けたとか、悲しいという気分ではなくて、楽しく、高揚した気分で、さらに歩いていたら、例の意地悪な駐在員夫人と隣り合わせになった、立ち食い・れすとらん・に出くわしたのでした。場所的に言って、例の富裕層夫妻が食べるものと同じものを、10ドル程度安く提供してくれる立ち食い食堂です。チップもいらないので、合計15ドルは安いのでした。

 そのれすとらんのカウンターが、茶色の塗料が厚く塗ってある、板で、日本の立ち食いソバやや、すし店の白木のテーブルとは、色や、清潔感が全く違います。しかも、カウンターの向こう側、目の前、30㎝のところに、がっちりした、木製の壁があるのでした。天井までの高さで。それが、作ってあったのは、カウンターで食べる人(=貧乏人)が、椅子に座って食べている人(富裕層)には見えない様にするためだったのです。

 それでも、メトロポリタンオペラの切符を買えるのですから、立ち食いの方のお客も、本当の貧乏人ではないわけですが、アメリカの超富裕層が所属する世界と、一般人が動く世界の間には、壁があるのでした。心理的な壁だけではなくて、リアルな形で、目に見える壁もあるのでした。日本だと、ここまで明瞭な差別を目撃することはありません。

 で、左側に立っている、私より五センチは背が低い駐在員夫人らしい人に、このたった15分前に起きたエピソードを話しているのに、一切反応が無いのです。だから、感動した部分まで、話すこともできませんでした。もし、彼女が、中国人とか韓国人だったら、「わたくしは、日本語は、判りません」と、英語で、断ってくるはずです。銃が乱発される国です。敵意を示すことはご法度なのです。知らない人が話しかけて来ても親切に応対するのが、基本的ルールなのです。そして、彼女の洋服も見事に日本人好みです。韓国人とか中国人とは微妙に違うのです。

 しかし、日本人は島国根性をもっていて、アメリカに行っても、それを出すのです。特に駐在員夫人とは、夫や子供、そして、ご近所づきあいも、含めて、日本人だけで、生活する度合いが大きいので、アメリカ人化する度合いが、小さいのでした。

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 元に戻ります。都道府県会館内でのエピソードに戻ります。相手が、軽蔑の意思を示しても、どうしても入手先を知りたい私は、笑顔で、じっと、彼女を見つめ続けました。言葉を重ねてもダメだという事は、新橋駅の横須賀線ホームで、角野栄子さんから、彼女が着ていた真っ赤な、綿ギャバジンのコ-トの色(テレビ内で、いちご色と説明をしている)について、質問をしているのに、3~5分にわたって無視された日があり、その日から、肝に銘じて、判っていることでした。

 私の方は、言葉を尽くしたのですよ。でも、あらかじめ、伊藤玄二郎から、「恵友印刷という会社のホーム頁をご覧いただきたいです。そこのトップ頁に雨宮舜(本名 川崎千恵子)の顔写真が載っています。そういう女が現れたら、徹底的に無視しておいてください」と、頼まれていたと、推察します。だから、あれほどに意地悪だったのでしょう。でも、もしそうでなかったら、すさまじいレベルで底意地の悪い人です。

 彼女がNHKテレビ・あさいちで、いちご色と紹介した赤が、特別な色で、市販をされていない色だったから、質問をしたのです。とてもあつい(という事は、糸をたくさん使って、織っている。だから高価な、生地である)綿ギャバジンの、コートを着ていて、それが、あまりにも美しかったので、条理を尽くして質問をしたのです。努力の限りを尽くした、つもりです。「フランス製(シャルボネ社製)の版画インク・カーマインに似ていますね。油絵具のカーマインというとオレンジに近い赤ですが、・・・・・」とか、なんとか、延々と、言葉を連ねても、ずっと無視されたのでした。

 ここですが、冒頭に書いた様に、私は金銭的には貧乏です。しかし、文化資産は持っているつもりであって、いろいろな判断基準を持っています。ある人間とある人間を比較した場合、文明度が高くなればなるほど、民主主義に、近づいていくわけです。岩波書店に勤務していたことがあり、かつ早稲田大学卒の角野さんが、どうして、相手を人間として対等に扱わないのかが不思議で、そこにこだわったのです。しかし、カラフル魔女の鎌倉暮らし、2021年秋版で、彼女が、訪問をしてきた二人の青年に向かって、「儲からない仕事をしてはだめよ」といったときに、秋山祐徳太子が、美術評論の仕事を奪ったことを思い出し、しかも、それを奪うために山口みつ子さんを殺したことを思い出し、・・・・・角野栄子さんが、すさまじいレベルで、CIAエージェント側に立っていることに気が付いたのです。それ以来、彼女に文明度の高さを求めることはあきらめました。で、彼女に似た態度をとる人間(つまり、大金持ちであることを誇り、貧乏人を軽蔑する態度をとる人間)からはさっと逃げることにしたのです。

  でも、新橋駅の角野さんのケースとは違って、平河町では、本当にそのバッグが欲しかったので、ずっと黙って待っていると、30秒ぐらいの沈黙ののちに、「ナショナル麻布です」と彼女は答えました。そういえば、その黒いバッグに白で、NATIONAL AZABU と、印字されていました。

 で、そう答えながら、彼女の顔には、「あなたって、ナショナル麻布も知らないの?」と、言う軽蔑の表情が確かに浮かんでいたので、私は急いで、「ありがとうございます」といって、彼女のそばを離れました。

 彼女があまりにも威張ったので、私は、『もしかすると、表参道から、根津美術館へ向かう通りの左右にある、高級ブランドショップの袋かしら? 買い物をするとあの袋に入れてくれるの? でも、そうなると、ブラウスでも、10万円はしますね。これは、あきらめるべきかなあ』と思ってずっと、放っておいたのです。

 しかし、或る夜に、ブログを書くのに疲れて、気分転換として、NATIONAL AZABUで、ググってみました。びっくりした事には、食料品スーパーだったことです。

 :::::::ここで、二日目に挿入を入れます。2022-2-5の、深夜、何回目かの事として、この名前で、検索をかけてみると、【NATIONAL AZABU エコバッグ】という項目があって、アマゾンや、メルカリが、このお店のエコバッグを通信販売しているのでした。非常に有名らしいです。確かに、木綿を使ったものが多くて、材質は、ナチュラル志向だし、色合いも上品です。だから、平河町マダムが、「そんなことも知らないの?」という軽蔑の表情を浮かべたのも、むべなるかなです。

 でも、私は文章や絵や版画の創作にお金や時間をかけている人間で、自分をランクアップさせて他人に見せつけることには、興味がないのです。スカーフも指輪も、すべて母が買ってくれたものを使っていて、ぜいたく品を買う事には興味がありません。だから、このスーパーを知らなかったのでした。

 こういうところですが、昔、西隣に住んでいて、毎日彼女の家の庭のごみを掃いて、1m低い東隣の我が家に落とし込んでいて、それを、一年以上黙って我慢をしていて、とうとう大晦日に、抗議をしたら、やっていませんといったので、私が怒って、ブログに書いたのです。実名を伏せてね。そのおかげで、敵の敵は味方だと、言うことになり、CIAエージェントたちのお助けを得て、お嬢さんを妙本寺にお嫁入りをさせた奥さんがいます。遠藤夫人という名前です。どうして実名を、ここで、出すのかというと、養老孟司先生のネコメンタリーは、合計6ヴァージョンも、つくりなおされたのですが、それらは、まさしく、そのお見合いの件で、伊藤玄二郎達が、・・・・・自分たちの方が上だから、お前、その件を、もう、これ以上、書くなよ・・・・・という威圧の為に、作られた番組でした。CIA側の勝利宣言と、言うたぐいのものでしたね。

 この結婚は、養老先生が、妙本寺側の仲人で、遠藤家側の仲人が、川合良一さん(芸大卒、長らく北鎌倉女子学園の先生だった。今は、理科大オーケストラの指揮者)だったという事で、成立した結婚でしょう。だって、西隣の家って、敷地が、45坪程度で、家は、18坪程度の、木造平屋だったのですよ。しかも、古い古い。だからお子さんが思春期になると、男女の別を確立するために、3畳程度のプレハブ小屋を庭に建てて、坊ちゃん用の勉強部屋にしていたのです。

 妙本寺とは、資産という意味で、格が違いすぎます。ところで、妙本寺って、鎌倉殿の13人に出てくる比企一族の末裔の筈です。一番末の、お子さんが、京都のお寺に修業のために、預けられていて命が助かったのです。そして、日蓮上人に、お寺を建立する手助けをしてもらって、一族の菩提を弔ったのでした。ただ、現在は、鎌倉駅に近いという事で、借地権料が大金として入るお寺なので、大金持ちなのです。

 なお、ホーム頁等に出てくる現在のトップご夫妻の、奥さんの方が遠藤家のお嬢さんなのではありません。その下の世代のお坊さんの奥様が、当該の、お嬢さんです。

 その母の方の、遠藤夫人が、まさしく、こういう風にぜいたく品を調査し、贈答品として、選び取ることが、上手でした。私も三回ぐらい、未知だった、新ブランド品(ピュレと称するジャムなど)を彼女から、もらって、おや、おやと、驚いていたのです。今は表参道=若宮大路に出店していますが、寿福寺そばの、人通りの少ない場所に出店していたころに遠藤夫人から、それをもらって、驚いたことがあります。そのプレゼントをもらう前に、そのお店を知っていました。だから、『よく見つけるわね、あんな辺鄙な場所から、こういうものを』と、思って。そういう態度が、養老先生ご夫妻や、妙本寺と、うまく付き合っていく秘密、または、秘訣なのでしょう。でも、労働を嫌う人なので、今では小錦みたいに太っています。ごみを所定の場所に捨てるのを嫌がって、我が家に掃き込むぐらいですから。::::::::

 という挿入を入れて、元へ戻ります。

 それで、NATIONAL AZABU 三店舗の住所や簡単な地図をgoogle mapから引き写して、バッグに入れておきました。それは、私が、携帯を持ってはいるが、外出時には、携行しない主義の人間だからです。そういう準備をしておいて、余裕があったら寄ろうと思っていました。2022ー2ー4は、午前中病院にヒザの検査に行ったのにもかかわらず、意外と元気だったのです。その上、武蔵小杉まで出て来ているのだから、広尾は、鎌倉から直接行くのよりは、簡単です。それで、地下鉄、日比谷線・広尾駅に降り立ったというわけです。

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 ところで、かまくら郵便局で、これまた、非常に使用しやすいサイズのトートバッグを持っている人がいました。それで、「それは、お手製ではありませんか?」と問うと、まさしくそうで、生地についてとか、サイズについて、とか、高齢者が持つバッグは、どうあるべきかについて話が弾んだことがあるのです。私とその人は全く同じ考えを持っていました。そちらのエピソードの方が時制的には昔の事でした。だから、平河町マダムの冷たさが、際立って強く感じられたのでした。

 平河町に住んでいるという事は徳川時代からの直臣の子孫かもしれないし、今、現代のエリート(宮内庁職員とか、桜田門の職員とか、霞が関の、官僚、特に局長クラスの、または最高裁判事)の、奥様かもしれないのです。お洋服は黒づくめで、とても上等なものでした。しかし、痩せていて、ちょっと目がきつかったです。というわけで、三拍子そろった人はなかなかいないという事です。

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 ところで、バッグ(二つ)を買いに行ったついでに歩いた、広尾ですが、

 広尾っていいなあと、その日、しみじみ思いました。繁華街が無いのです。ただ、生活費は高そうだし、住居も宝くじでもあたらない限り手が出せない値段でしょう。

 でも、鎌倉と違うところは、ひとの声がしないという事です。人はむろん、通っています。歩いている人はいっぱいいます。そのうえ、車はたくさん通っていて、その騒音はうるさいです。ただ、人の気配はあるのに、静かなのです。

 交差点のそばで、姿勢がとてもよい女性が、明治屋の大きな紙袋を下げていました。時間帯から言って、キャリアウーマンではないです。それにパーマをかけています。今、仕事をしている女性はマッシュルームなどの、パーマをかけない・・カットだけで、整える髪型の人が多いです。だから専業主婦だと、考えられます。しかし、スリムで背が高くて、ウエストを絞ったコートを着ています。生地の色は地味目ですが、自分を美しく見せる手段を知っている人です。だから、存在感が強い筈なのに、静かな感じなのです。素敵な人なのに、自分の気配を消している人なのです。それは、精神力が高くて、自分を上手に、コントロールできるという事です。そういう主婦は、他の町には、なかなかいないです。

 何度も繰り返しますが、東京の他の町とは、何かが違うのです。何かにおいて、静けさを感じるのです。それは、学園が多数あるから。または、公園が多数あるから。または、大使館があるから? と特徴は多数あります。ともかく、何かが、違うのですね。

 田園調布みたいに特殊ではない。普通の町です。だけど、目白とも違うし、西落合とも違う。それ等の町とは、一戸建てが多い地帯です。広尾はビルばかりです。しかし、銀座に15分、渋谷に15分です。文化的、享受が可能です。

 お金さえあれば、そして安い席を買うのなら、生で、クラシック音楽を聴くことができて、生で、芝居を見る事ができて、うんぬんかんぬんと、できることが広がります。

 港区といえば、白金高輪駅が有名です。だけどあそこを通る地下鉄は、銀座に直結していないのです。または上野にも渋谷にも直結をしていません。乗り換えれば可能ですが、乗り換えが不便です。それは、きっと後発の地下鉄だから、そうなっています。比較して日比谷線は古いです。したがって、JRの駅と結びついているうえに、多路線との乗り換えが便利です。ここで、また、二日目の挿入ですが、乗り換えが、不便な地下鉄駅としては、日比谷、飯田橋、大手町、六本木等があり、一橋などに行くには、地上に出て、徒歩で歩いた方が近いのではないかしらと、思うときがあります。

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 なお、総タイトルに入れている・ショマショマ・とは、中国語です。北京五輪が始まったので、使いました。母は、父が満鉄の中央試験所勤務時代に、自宅で、中国人の、先生に来てもらって、中国語を習っていました。戦後引き上げて来て、日本にいて、中国語を使うチャンスがなかったのですが、家庭内で、夫婦で、一種の暗語、または、二人だけがわかるジョークとして、よく使っていました。お手伝いさんなんかにわからないようにするためにです。「あの人は、あんまり、働かない人だねえ」などというのを、中国語で、会話していました。で、ショマショマとは、あれこれ という意味です。この章は、広尾という町について書きながら、そこからあれこれ広がっていきましたので、ショマショマという中国語を、使いました。

(蛇足)

 ところで、どうして、こういう風に輸入食品をおおきく扱う店ができたのかが不思議で、会社概要などを調べていました。それは、進駐軍のPXにスタイルが似ているからです。で、PXからの流れを引き継いでいるのではないかと思って。

 なお、ここでいうPXとは、今、横浜に設立をされている日本の会社を指すのではありません。在日米軍の基地内に置かれていたスーパーマーケットを指します。ただ、赤坂見附にもあった筈なのです。で、英語が、上手で、英語を使う職業についていて、かつ、富裕な人は、そこに出入りできたと思います。しかし、一般の、日本人は、非常に貧しくて、バターやチーズなど、食べたこともない時代だったので、PXを、利用できるという事は、秘密にしている人が多かったと思います。

 で、NATIONAL AZABUは、以前PXで、働いていた人が、始めたと、思うのです。

 しかし、そういう経歴は書いていないのですが、違うことで、びっくりすることを発見しました。1961年に創業され、1972年に東北新社グループに参加とあります。うーん。大きな政治的謎が含まれていそうですね。だって、菅義偉・前・首相の坊ちゃまがなんとかかんとかというのは、東北新社ではなかったですか。まだ、皆目わからないが、東北新社が、CIAとなんらかの、関係がありそうです。

 そうなると、このスーパーはびくともしないというわけです。で、富裕層だけを相手にしていて、一般の日本人を相手に、知名度を上げようとはしていないとなります。ああ、そうなのか? と思います。だって、私は、1996年までは、新聞を、隅から隅まで、読む人でしたから、このスーパーの存在ぐらい知っていてもいい筈なのに、知りませんでした。で、一般紙には、情報を開示していないと見えます。

 ところで、沿革の英訳が、載っていて そこに1972Entered the Tohokushinsha Group と書いてあります。私は、動詞の後に、inが入るのではないかと、思うのですが、2022-2-5 6:43AMでは、こうだったので、そのまま、コピペし、24時間ぐらい総タイトルに入れておきました。

 しかし、二日目に入って、ワシントンハイツのがい返還つだったかを調べてみて、この、

NATIONAL AZABUが、やはり、PXの流れをひくのだと、確信しました。ワシントンハイツは、1964年に返還をされています。しかし、東京五輪って、1954年だったはずで、代々木練兵場の跡地に、すでに、体育館ができていたはずです。

となると、やはり、PXを利用していた富裕な日本人、及び、米軍とは関係のない外人を相手に、輸入食品のお店を始めた、ひとは米軍のPX育ちだと思います。

 2022-2-5、午前零時から、六時半にかけてこれを書く。

 そして、2022年2月5日の夜11時半から加筆をはじめ、6日の午前4時まで、加筆を続ける

 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

 なお、このブログの2010年から数え始めた延べ訪問回数は、6735930です。

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