銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

父が、猫と一緒に、高い・高い・遊び・をしていた事を、今思い出す私。そして、その猫、及び全ての猫の頭の良さをも。

2022-02-21 22:29:45 | 

  

びっくりです。皆様には、失礼をいたしました。一般の方向けではない、覚書がおもてにでていました。ひどいなあれいのれんちゅうたちの悪意は。携帯に入れたはずのメモが、表に出ていて。

 私は、21日、午後三時ごろ、三菱銀行の貸金庫室で、携帯にメモを入れました。ある女の肩に、母からもらったアパートの一室を貸し始めたのですが、それが、いつから始まったかを記録したものです。いろいろ泥棒が入るので、そういう契約書すら、貸金庫(ただし三菱銀行では、セーフティボックスというタイプなのだが)二入れています。その期日が必要だったので、金庫室で、携帯にメモを入れました。それが、表に出ていました。すみません。自分ではちゃんと、下書きとしたつもりです。

 アンドロイド型携帯は、私自身が慣れていないのです。でもね、JCOMの、大騒ぎがあったでしょう。(後注1)その時に、JCOMのセールスマンが我が家にまで来て、「ソフトバンクに比べてもNTT光フレッツに比較しても、圧倒的に、こっちの方がいいのですよ」と、まくしたてたので、つい乗ってしまったのです。それで、いったん、JCOMと契約して・・・・・しかし、下に紫色のフォントで、書いたことに急に気が付いて、・・・・ソフトバンクに戻ったりして、大騒ぎが起きたのです。

 JCOMへの転籍は、このブログを著者である私が、まったく、気が付かないうちに、消滅させてやろうとする罠だったのです。だから、回復(または、復旧)が、必要で、本当にスリリングな大騒ぎでした。

それで、自分のスマホを主人に渡したのです。どうしてそういう事をしたかというと、主人が使っていたスマホは、小さいのですが、私のは、プラスで、画面が大きいので、あげて、主人が、小さいのから、大きいのに、取り換えたのです。老人ですから、いくら老眼ではないですよ。まだ、と言っても、プラスの方が使いやすいです。

 それで、まあ、協はアンドロイド型を持って出たのです。というのも三菱銀行のセーフティボックスって、主人名義の物なのです。それを開けようとするわけで、そのカギを貸してと、言うのと、スマホも貸して、というのが、言いにくかったのですね。

 私には、いっぱい泥棒の被害があるでしょう。それは、すでに語ってきていますよね。だから、主人は、私が長い期間、自分のものを、持っているのを心配するのです。 

 前からアンドロイド型の方に、シムカードは入っていたのですが、シムカードなしの、スマホを、別に買って、私は、それを主に、家の中で、使っていたのでした。ブログ用の写真の処理とか、NHKの音楽番組で聞いた好きな楽曲を、メモ帳に残しておくとか、に使っていたのです。好きな楽曲は、譜面でマスターしたいからメモるのでした。しかし、それを全部アイフォンでやっていて、アンドロイド型は、ほとんど使っていなかったのでした。で、急に使おうとしても、メモ帳が、その時には、出てこなかったので、字を入れることが出来るボックスとして、ブログの下書きを使ったのです。非公開の、つもりでしたが、下書きではないという形になっていました。その方及び、そのほかのいろいろな方に、お詫びします。すみませんでした。いろいろな方に謝罪をいたします。

 ひどいなあ。こういう事をするのが、CIAエージェント達です。ちょっと、電気の流れを右を左にする・・・・・というかプラスをマイナスにするだけで、こういうことが出来てしまうので、やりますね。ところで、私は、そこに名前の出ていた人の飼っていた猫の話をするつもりでした。本日はね。しかし、書けなくなりました。

 でね。仕方が無いので、前置きだけ、書きます。前置きに、父と猫の話を入れるつもりでした。

 父と猫の話だけで終わるとは、あまりにも単純ですが、女性の方の猫の話は書けなくなったので、そうします。女性の猫は、まっしろな猫で、私が、その猫とあった時に、猫が、22歳だったのです。超・高齢でした。それは、ちょっと感動すべき話だったのです。が、それが、書けなくなったのです。

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副題1、『私の最初の猫は、母がもらってきてくれた猫で,五歳の時だった。それ以来、74年間、ずっと猫が好きである』

 私は、79歳になる中、五匹の猫を飼ってきたのです。実家で三匹、結婚してから二匹です。実家では、犬も飼っていました。もちろん、捨て犬で、我が家を、慕って、住み着いてしまった犬です。だが、犬は、飼い主に対して、あまりにも関心がありすぎるので、私はだめですね。いつもいつも、慕い寄ってくるので、忙しすぎます。気分の上でも、肉体的にも、犬を飼うのは、大変です。その点、猫は、私に、自由な時間をくれるので、好きなのです。

 ところで、今、長い時間をかけてタンギーという著者名を探していたのです。イギリス人で、元、諜報活動をしていたという紳士です。その人の、猫エッセイーが、抜群に秀逸で、今でも、わすれられないです。たぶん、中学校時代のお友達が貸してくれた、文芸春秋社発刊の、翻訳本です。しかし、googleを、15頁めくっても出てきませんでした。彼女のお父さんは某帝大の哲学科卒業で、家に面白いエッセー本がたくさんあって、貸してくれたのです。ハードカバーで、大人向けですが、中学二、三年になると、大人の本も読めますから。タンギーは元諜報活動をしていたと、言っても、007とか、インディジョーンズとは、全く違う、静かな、内省的な紳士です。

:::::::::::なお、タンギーの書物の中に忘れられない記述がありました。それは、出勤する著者を、猫が三階の窓から、見送ってくれると、言う記述です。今の日本は、空前の猫ブームで、大勢の人が、猫に関する文章をSNSほかで、あげています。それで、猫が、実は、とてもやさしい気持ちを持っていると言う事が知れ渡っています。飼い主が返ってくると玄関で待っているとか。しかし、1950年代(もしくは、タンギーが、この本を書いたのは、1920年から、1930年の間・・・・・そして、戦前の出版だった?)は、まだ、鍋島騒動(お家騒動の際に猫が、主人の仇を討つ)などの映画が、公開をされていた時代で、日本では、今ほど、正しく、猫が理解をされていませんでした。

 しかし、ロンドンではタンギーと猫の間に、切っても切れないきずながあったのです。そして、三階というのが絶妙です。出勤する著者にも猫の顔が見えます。表情も理解できます。そして、猫の方にも著者が、見えます。イギリスでは、郊外に、連棟三階建ての、住宅がある模様です。表側が道路に面していて、裏側がお庭になっている形です。建てられている町のニュアンスにもよりますが、主に、中流階級(上も下も含む)が住んでいると思います。しかし、同じ中流階級でも、著者の様なインテリ(夫婦間に子供はいない。奥さんも学者か著述業だと、推察される)は、都心の、ビル化された住宅(ほら、首相官邸が、よく映像で出てくるでしょう。ああ言う家)に住んでいると、思います。5階か、6階建てです。その三階に住んでいるのです。

 今の日本では、マンションは珍しくないです。そのマンションの両はじの家には出窓があるケースもあります。それから、もし、出窓が無くても、普通は、冊子を囲む木製の、桟があって、それが、9cm幅です。しかし、1950年代の日本だと、同潤会アパートぐらいしかマンションは無くて、かつ普通の家の建具は木製で、主に引き戸タイプでした。木製が悪いと言っているのではなくて、そういう建具だと、猫が、そこに乗って、飼い主を見送りをするなどと言う事が無理なのです。

 ああ、これも思い出すことですが、こちら鎌倉の、ご近所にブーニンという真っ黒な美猫がいました。赤い首輪が見事に似合っている美猫でした。そこの奥さんが、がんの闘病で、入院してしまいました。すると、猫は寂しいです。奥さん以外の家族もみんなお見舞いに行ったりして、忙しいです。それで、猫が寂しいので、藤本悌子さんの家によって、「開けて、開けて」と言っていました。天窓まで登って、開けて、開けてと、ないていました。藤本さんは、てなづけると奥さんが退院してきた後で、トラブルになるからと、思ったらしくて、決して家には、入れませんでしたが、窓を開けて、煮干しを上げていました。四、五本あげて、返していました。

 ある日、息子が言いました。「ブーニンは、僕が出勤するとき、いつも門柱の上で、待っているのだよ。だから、僕は顎を撫でてあげて、出勤をする」と。我が家には、当時ちびちゃんという、白と、黄色の縞模様の猫がいて、したがって、ブーニンは、どんなに、寂しくても、我が家の門を叩くことはなかったのですが、(テリトリーの問題があって)、しかし寂しいので、そとの、門柱で、息子が出勤するのを待っていたのです。ある日、息子が泊りがけの出張で、朝、家にいない日があって、私が、玄関を出てみると確かにブーニンは、待っていました。しかし、私が下りていくと、逃げました。こういう風に、1990年代に入ると、猫が、大変優しくて、飼い主と、強い絆を、持つと言う事が判ってきています。しかし、1950年代の日本では、そういう風潮はまだ見られず、しかし、私は、猫の優しさをすでに知っていたので、タンギーと、彼の猫との絆を、確実に信じました。ロンドンって、そういう町なんだと、想像を、たくましくしました。

 ああ、ここで、親ばか自慢ですが、1990年代まで、我が家にいたちびちゃんは、大変な美猫で、何時も、窓の外にオス猫が待っているのです。デートしたいなあと、いう感じで。しかし、ちびちゃんは、手術をしているので、15分ぐらい窓越しに彼を見つめた後で、さっさと、自分の好きな場所へ移動をしてしまいます。尚、冒頭に掲げた写真は、ちびちゃんではなくて、次の猫、おきゃんな、さびちゃんです。この子は、顔がきれいというタイプではないのです。が、性格が、非常に豊かで、人懐っこいので、ご近所様の中のある人に、好のまれ過ぎて、困り果てました。どっちの猫だという、トラブルになったからです。猫好きには、猫の性格も大問題で、性格がよいとか、または、性格がおきゃんで、面白くてとか、特徴があると、非常に好かれてしまいます。

 

まあ、トラブルの話はこれくらいにしましょう。で、藤本夫人は、他人の猫は、家に入れないという意味で、矜持のある人でした。ちびちゃんから、さびちゃんに、戻ります。私にとっても、この家の誰にとっても、一緒に居て楽しい猫でした。特に猫には、全く関心がなかった主人が、さびちゃんの事は大好きでした。:::::::::タンギーに戻ります。

 タンギーは、猫を飼うのなら、【単猫主義】を標榜しています。私も、中学時代で、すでに、それに大賛成でした。猫と、人間には、一対一で、深い深い心の交流ができるのです。それが、複数の猫を飼うと、失われるし、・・・・・同腹の兄弟を、同時に育てるのならいざ知らず、別の時期に、別の親から育った猫をもらうのは、前の猫に対する裏切りになると思うのです。つまり、三角関係になってしまいます。それほど、深い交流ができるのです。猫とはね。

 さて、結婚後は、四人家族です。しかし、実家では、子供が三人だったので、五人家族でした。子供は、昭和17年、24年、30年と年が離れて生まれています。が、たぶん、5人の中で、猫が好きな度合いは、私が一番濃かったと、思います。妹が生まれる前の一人っ子だったころ、猫と一緒に過ごした、私にとって、猫は、本当に、気心の知れたお友達です。というかそれ以上の物でしょう。兄弟であり、母であり、子供でもある。

 母は、「猫は嫌い。犬の方が好き」と言っていました。妹や、弟に、それを聞いたことはないのです。が、父は、犬、猫、両方に、無関心だったと思います。

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副題2、『その、猫に関心があるとも思われない父が、ほとんど、毎日、猫と一緒に、高い、高い、遊びをするのだった。それは、猫にとっては、無理な姿勢を強要されることだったのだが、猫が、一切、抵抗しないで、付き合ってあげているのが、当時は、不思議だった。しかし、それから、55年以上が過ぎた今は、父の事も、猫の事も、理解ができる。

 つまり、父は、自分の無聊を、慰めるために、猫と遊んでいたのだった。そして、猫は、無理な姿勢を、強要されることに一切抵抗をしなかったのだが、それは、父の悲しみとか、苦しみを、自分が付き合う事で、父が、解消できると言う事を知っていたのだと、思う。猫って、それほど、人間を深く理解している。それほどに、賢い』

 父は、明治生まれとしては、体格が大きい方でした。今でいうユニヴァーシアードに、走高跳で、出て、165㎝だったそうです。その背が高い人が、中年太りになったので、本当に大きな体格でした。そういう人が、六畳間に、あおむけに寝ていると、通るのが、難しくて、足の上をまたいで通らないといけないくらいでした。廊下はあるのですが、ドアが、しまっていて、開けるのが面倒なので、六畳を横切って、洋式トイレに行きたいと、思うのに、父は、20分ぐらい、横たわっているのでした。

 その父が横たわっている六畳間の、さらに奥に廊下があって、そこに洋式のトイレがありました。玄関わきにも、別のトイレはありましたが、1950年代は、そっちは、和式だったので、父の足元をまたいで、向こう側の廊下に出たものです。

 父は、合計20分ぐらい、和室に横たわっていましたが、それは、ひとえに猫と遊ぶためでした。特に遊びと言っても、まるで、猫が、自分の赤ちゃんであるかの様に、高い、高いをするのです。

 それは、猫にとっては、全然、面白くないことでしょう。私は、60を過ぎてから、真夜中、よく、ライオンごっこというのを、猫と一緒にやりました。大変喜んで、眼はらんらん、体は、ビンビン、足で、私の両ひざをけりまくり、・・・・・という遊びです。こちらは、猫に主体性を与え、猫の狩猟本能を刺激するものです。

 ところが、父のやっている事って、猫に対する束縛でしかなくて、猫にとっては、全然、面白くないでしょう。猫の前足の下を、両腕で、つかみます。そして、腕を宙に持ち上げます。まったくまっすぐに伸ばします。そして、いいだろう、いいだろうと、言うニュアンスを込めて、高い、高いを、三度ぐらい発語すると、猫を、腹の上におろします。でも、手は離さず、これをワンセットとすると、10セットぐらい繰り返します。

 その間、猫パンチを父に見舞わせても、いいだろうと、思いました。それから、セリフだって、ギャーとかニャーとか、発しても、いいでしょう。それなのに、それから、父が、自分を腹の上に置いた時に、逃げ出してもいいでしょう。しかし、一切無言で、父の高い高い遊びを耐えていました。若い私には、それが、不思議なことでした。しかし、今は、わかります。猫は、自分より、30倍ぐらい大きな父を、おもりしてあげていたのでした。

後注1,

息をのむほどでした。その危険性とスリルは!?!?! 山田浩二死刑囚をrecruitをしたと、思われる女性刑事の事

2021-12-27 22:39:02 | 政治

JCOMの本社はトラストタワーn館に、在るそうで・・・・恐ろしい罠を潜り抜けた話ー2

2021-12-29 23:45:58 | 政治

 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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