銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

稲森和夫のJAL救済と、千葉景子の死刑場公開には、同じ背景がある筈 + 平成の八墓村事件と、飯能の3人殺しにも同じ背景がある筈で

2022-12-29 09:31:11 | 政治

 二日目に入りました。ただし、一時間半しか寝ていないので、非常に短く、添えごとを書きます。それは、この章を書いた目的です。それを、語りたいと思います。

 自分では、その記憶がはっきりあるので、語らないでも、いいと思い込んでいたのですが、ここで、どうして千葉景子さんの、死刑場公開が出てくるかというと、むろん、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントが、千葉景子さんを動かして居るからですが、この一件は、あに、日本国内、一国の問題ではないのです。レオス・カラックス監督が、映画、TOKYO第二部で、大きく、侮日映像をとっていて、日本や、日本のシステムを、からかいきっているのですが、

 それが、日本の実情を知らない海外で、公開をされる(DVDは、すでに発売をされている)と、大変困ることに成る内容です。日本が、いまだに、軍国主義国家だと、言う風に海外の人間に誤解をされる可能性があるのです。

 私は、それへの、疑問を、紙の本で、出版しようとしていました。七冊目の自著で、【消された映画】と、言うタイトルで、見本品さえできていました。ただ、母が、死にそうだったので、自分が、自分の本を自分一人で、出版することが、大変なストレスと、消耗になるので、母のために、心身の余裕を残しておきたくて、出版しなかったのも、一種の岐路となっていて、今の自分が不利になっていると考えています。

 では、なぜ、レオスカラックス監督は、そういう侮日映画を撮影をしたのでしょうか? 脚本は、井上ひさしが作り、(そのころ=2006年か、2007年ごろは、彼は、まだ公的にも生きていました)。ただ、ただ、ご自分の名声を提供すると、言う形で、たった二週間で撮り上げて、スタッフへ、「感謝します」と、言う言葉を残して、帰国をしました。

 私が、ポンヌフの恋人を好きなことと、・・・・・主演のドゥニ・ラヴァン、そっくりな、ホームレスを、パリ、サン・ポール駅近辺のコインランドリーで見かけ(床に寝ていた。床はフローリング張りだし、暖房が効いているから)、かつ、普段は高飛車な、パン屋のお嬢さんが、そのホームレスにやさしいのに、びっくりした・・・・・というエッセイを、メルマガ時代に書いて、配信したからでしょう。

それに、普通は、公開をされていない秘密ですが、レオス・カラックス監督って、デュポンの、一族なのですって。デュポンって、私が、大学生ごろ=1960年代までは、純粋な化学メーカーだと、考えられていました。しかし、最近では武器や兵器を作る、軍産共同体の一翼を担っているそうです。

 で、レオス・カラックス監督は、逆らえない相手から、命令をされて、この仕事を引き受けたと、私は、考えています。

 さて、その映画に対する批評ですが、佐藤忠一さんだけが、日経新聞の文化往来に、ひどい映画だと、書いていらっしゃるが、プログラムに、文章を寄せた、ほかの映画評論家は、すべて、べた褒めなのです。困った、日本人たちです。主体性が、まったくないです。

そのプログラムに、文化庁が、税金800万円を援助金として与えていて、それを制作側は、プログラム内で、発表をしています。ひどい話です。しかし、その大切なプログラムが、盗まれています。

しかし、それを気が付いた頃でしたが、急に、瓜南直子さんが、映画のプログラムに関する投稿を始めました。彼女は、私が何を考えているかは、一切知らず、ほかにも、全日本明日ハガレンという、それも、タイ私への攻撃用弾丸となる、投稿を続けました。私は、彼女の2011年11月18日の、金田佑子さんを相手とする豊島やの源平真紀に仮託した、女性の袴を、めくると、言うエロチックな投稿に激怒しました。金田佑子さんは、私のおかげで直子さんと知り合ったのにもかかわらず、警察の命令で、その年の、11月3日にデートを申し込んできたからです。佑子さんとの親しげな会話の中でどこまで、私が、警察が、行っている悪の諸相を知っているかを探ろうとしたのでした。

 金田佑子さんに言うことを聞かせたのが、直子さんだから、私は直子さんに関する情報を切ったのです。それだけで12月から、尚子さんは激やせをして、7か月後に亡くなりました。この時以来、私は、神様の、存在というのを、はっきりと、確信する様になりました。人の不幸とか、死を予測するのは、失礼だから、致しませんが、私には、だれが、自分の愛を失っているかは、はっきり見えており……それは、きっと、・・・・・しかし、これから、先は口をつぐみましょう。::::::という添えごとを先頭に入れて、昨日書いた初稿のトップに戻ります。

 今、NHK BSPで、今年亡くなった稲森さんへのインタビューを放映していました。100年インタビュー(*1)というもので、この会は、三宅アナが、お相手です。私は、お正月のお客を招くために自宅の大掃除に追われていて、それを、きちんと見ていたわけではありません。

 だが、ずっと頭の中にあった、『稲森さんがJAL救済に乗り出したのは、私への言論弾圧の一種だった』と、言うことをさらに、確信をさせられています。

 それは、ですね。千葉景子さんが、ご自分は、死刑反対論者であるのにもかかわらず、死刑場を公開したのと、同じでしょう。

 でね。今は、忙しくて、傍証付けをしている暇がないので、一般の読者様は、「あいつ、何を言っているのだろう」と、お思いになる可能性は、感じています。

 しかし、この2つの謀略を企画した、連中は、例の、鎌倉エージェントのうちの誰かですので、その人に、『お、お前、そこまで、わかっているのか?』と、思ってもらえればいいのです。

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 『古い話を書いているなあ』と、お思いの方に向けて、・・・・いいえ、そうでもないのですよ・・・・という実情を話すと、千葉景子さんは、2022年の奈良県西大寺での、安倍晋三元総理大臣の射殺事件でも、伊藤玄二郎から、直接または、間接的に、協力を要請されて、山上哲也の伯父(弁護士だという)に、直接接触、または、間接接触をされたと、見ています。年齢が、ほぼ同世代です。司法研修所で、同期だったか、または、中央大学で、同期だったか、であれば、山上哲也の伯父を誑し込むことに、協力をした可能性があるのです。

 これは、大小の謀略を作り出すのが、主に鎌倉エージェントで、企画を案出する、井上ひさしの方は、公的には、自分を死んだことにしているので、動けません。で、彼のアイデアに基づいて、それが、実行をされる様に動くのが、伊藤玄二郎で、その彼に、特権を与えている、表向きの勲章は

タウン誌、【かまくら春秋】が、タウン誌コンクールで、日本一になったとか!?!?!

ポルトガル国の、最高位(?)勲章である、エンリケ航海王子勲章が、授与されているとか、

関東学院大学の教授であるとか? ・・・・・ここですがちょっと、敷衍をしていきます。

::::::::したがって、横浜市が、JR京浜東北線、関内駅そばに、設立していた教育センター(その一階から、3階までは、上野の都美館に似たギャラリーになっていて、私は、自分の作品が飾られたこともあるし、見物に行ったことも何度もあります。それが、一私企業(といっても、学園ですので、意義はあります)に、売り渡されてしまったのですねえ。中田清市長の時か、林市長の時かは、知りませんが、・・・・・

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 一私企業というのは、実際には、関東学院です。その土地に関東学院は、タワービルを建てました。学園が、タワービルを建てるのは、共立女子大を、最初に発見しました。神田の学士会館に行っているときに、気が付きました。その次に、お茶の水の明治大学がタワービル化したのを知りました。

 もしかすると、表参道を、最寄り駅とする、青山学院もタワービル化しているかもしれません。ただ、私が知る限りですが、慶応(三田も日吉も)まだだし、早稲田もまだの筈ですよね。そして、東大も、まだ、タワービル化は、していません。

 でもね、明治大学は、今、早稲田を追い越して、日本一志願者が多いとか?ということは、倍率が高くなったということで、偏差値も当然高くなったでしょう。早稲田大学は、最寄り駅がないのです。しいて言えば、地下鉄か?

 ただし、共立が、利用する地下鉄よりも、何故か、東京駅から遠いのです。

 一方、関東学院に戻ります。この学園は、一時期ラグビーで、燃えていました。ところが、合宿所で、何らかの不祥事が起きたのです。大麻吸引だったか? で、ラグビー部は瓦解しました。

 と、なると、セールスポイントが無くなります。70年間、横浜と関係があるわが身から見ると、・・・・・この学園って、「私立中学としては、名門だったのよね。そこへ、高校を作っていきました。その、高校を卒業した人で、東大を含む有名大学(=志望大学)に、合格できなかった人の受け入れ先として、設立されたのでしょうね・・・・・と、考えております。フェリスも、桐蔭も、同じ趣旨で、設立された大学でしょう。

 神奈川大学は、少し違います。付属中学とか高校から伸びたと、言うよりも、大学(昔は、専門学校だったかな?)が先でしょう。Y高と、同格だったが、市立高校と、私立大学というさで、神奈川大学が、大きく、権威も、規模も伸ばしてきたのです。その学も、神奈川大学も、東横線白楽駅の旧キャンパスとは別に、みなとみらい線【馬車道】駅、もよりに、タワービルを作って、伸びようとしています。今までは、神奈川大学の方が上だったけれど、最寄駅から、徒歩10分はかかるだろう、神奈川大学よりも、最寄駅から、たった2分程度の、関東学院の方が伸びるかもしれません。

 横浜駅は、今、ターミナルというか、ハブ駅化していて、8路線が入っています。で、そこまで、何らかの路線で、素早く到達すると、乗り換え時間徒歩時間、すべてを合わせて、10分で、大学まで、到着できます。多分、日本一の利便性を誇る大学となるでしょう。

 ところで、2022年に確かに工事現場に行き当たったのですよ。しかし、現状では、グーグルマップに出てきません。それは、私が、ブログにこの一件を書いたからでしょう。いつか(=3年後くらいには、表舞台に出てくると思いますよ)(あと注1)

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 千葉景子さんに戻ります。私は、リアル千葉景子さんに、2度、であっています。1度目は、横須賀線車内でのことで、たぶん、シルク製のお洋服を着ていた上に、ファウンデーションべった塗りの彼女に出会いました。わざとだったと、思います。

 実は、美術家としては、その時の彼女を『美しくない』と思いました。伊藤玄二郎は、「川崎千恵子を圧倒してほしい」といい、印刷会社のホーム頁で、推薦人として出ている私のスタイルを、案内して、彼女に、みせたと思います。

 しかし、シルクは、新品のもの以外は、色あせた感じがしてしまうものなのです。ピンク系だったけれど、うっすらと、色あせた感じが見えました。そのうえ、私は、化学屋として、ファウンデーションが大っ嫌いなので、彼女のべたべた塗りも、評価を落としたのです。

 そして、「あら、この人って、背が低いのね」と思っただけです。それは、馬越陽子さんが、京橋の画廊に現れて、さんざん威張った時と同じです。私は、この時は野見山さんが使役をされて、美術の窓の編集長が、協力して、画廊の前に待機していた、車の中で、馬越さんは待っていて、ジャストなタイミングで、その画廊に入ってきたということは、わかりました。ただ、私は、CIAエージェントたちの狙いが、即座に、わかるので、馬越さんに、いくら威張られても、『あら、馬越さんって、遠くで見ていると、それを感じなかったけれど、こうして、1メートルもない、至近距離で、出会うと背が低いのですね』と、思っただけでした。(苦笑)

 千葉景子さんも同じで、彼女が、私の顔を見つめながら、『私って、すごいでしょう』とデモンストレーションをすればするほど、『あら、いやだ。景子さんって、遠くで見ると、それがわからなかったけれど、実際に、近くで、みると、背が低くて、太っているのですね。もっと、すらっとした方が、女性として、素敵ですよ』と思っただけでした。

 それで、死刑場公開が、伊藤玄二郎の采配であったことを確信しました。

 で、wikipediaを、開くと、中央大学法学部卒と出ていました。それで、なるほどと思ったわけです。同窓なのだと、はっきりしましたし。しかし、当時は、大学名しか記載をされていなかったので、私は、彼女の卒業高校を平沼高校だと、思いこんでしまいました。これは、失敗でした。2020年ごろは、死刑場公開のほとぼりも冷めていて、より詳しい経歴が、出ていました。すると、東京学芸大学付属世田谷高校出身だし、その前は、なんと、横浜国立大学付属中学の出身だったのです。それ以来、舌鋒鋭く、彼女を責めることはやめていました。長らくです。というのも、1958年、同じ中学を卒業している、私の6期下の、同窓生だったからです。

 しかし、山上哲也の、安倍さん殺しが起きて、ごく最近、その場所の、整備(つまり、記念碑的場所を損壊していく行為、)が、報道をされ、やはりこの事件は、鎌倉エージェント初の謀略である要素が強いとなって、千葉景子さんの、久しぶりの登場を感じ取った次第です。

 ただね、2度目のこととして、横須賀線、横浜駅のホームで出会いました。彼女は、しっかりと、私の顔を覚えていて、あっという顔をしました。しかし、この時は、私は、ああ、そうですか」と思っただけで、好意も、悪意も抱きませんでした。というのも、関内駅を最寄りとするらしい、彼女の弁護士事務所から帰宅している途路だと、思ったからです。ただ、その時は、まだ、付属中の後輩だとは、知らなくて、彼女を追跡しないものの、『きっと東戸塚で、降りるのよ。あの駅前の豪華マンションに住んでいるのでしょう』と考えたのですが、付属中の同窓生だと、わかってからは、

 彼女が、保土が谷に住んでいることもわかり、『おや、おや、そうすると、井田倉先生が、開いていた、私塾出身者かしら』と思ったりしています。そして、二回目は、ごく普通の弁護士スタイルだったと、考えています。一度目は、ひどかったけれど、二度目は、知的な女性固有のスタイルでしたよ。お化粧も薄くてね。前よりは、ずっと、好ましかったです。

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 さらに元へ戻ります。当時内閣を構成していた、民主党は、小沢一郎が、ぶいぶいと、自分を言わせていた時期で、小沢一郎の背後に、CIAエージェントが控えていると、見たものです。

:::::::::ここで、通常のブログに帰ってきますが、現在、最も活発に、伊藤玄二郎たちの、攻撃の意思を示しているのが、平木伸明さん一家です。その家の、奥様が、2013年の、7月22日から、24日まで、当時小学生だった、二人のお子様方と、学友や、ご近所のお子様をともなって、みんな一緒に、安野忠彦・智紗夫妻が、開墾をした、北側の野菜畑に、入らせて、遊ばせました。そこは、普通は、入れないのです。その畑に上がる前に、ブロックに換算すると、10段ぐらい=2mぐらいの、高さのがけが、設置されていて、その前に、安野家居宅はあるし、安野家・門・があるので、自然には入れないところです。

 しかし、その3日間、平木家の子供と、その学友は、まず、前田家を訪問をします。そして、前田家からの、命令により、安野家を訪問をして、門を開けてもらい、北側の野菜畑に入って、遊びました。いかにも見せびらかす模様でね。

 なるほどと、思いましたよ。それは、火曜日から、木曜日の間でしたが、21日の日曜日の夜に、平成の八墓村事件が、周南市の金峰と、言う限界集落で、起きていたのです。

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 あの事件ほど、ひどい謀略はありません。保美死刑囚は、wikipediaでは、数年前から、Hと、呼ばれています。死刑囚として、二審まで行き、三日前(2022年12月26日)にそれを初めて知りましたが、最高裁まで、上告をして却下されているそうです。それなのに、どうして、名前が伏せられていて、Hなのですか?

 つまり、謀略だから、いずれ、大衆からは、忘れ去られることを狙っているのです。

 小保方晴子さんの、すたっぷ細胞疑惑も同じです。3年ぐらい前に、彼女が、書物を出して、その逃亡記録を、佐藤優が褒めていたので、急に彼女に関するうぃきぺでいあを、引いてみました。

 すると、事件の詳細を、記録した、wikipedia

がないし、当時の新聞や、NHKの、ニュースの記録もないのです。如何にひどい謀略だったかがわかります。

 こういう謀略は、私のブログをつぶす目的なので、一時的には、派手に派手に、報道をされます。しかし、部分的な真実を含んでいるが、もっとも、大切なところは嘘なので、だんだん、消え去る様に、処理していかれるのです。

 寝屋川のアーケードを真夜中徘徊していた、中一二児童殺害事件も、今はもうないだろうと、思ってチェックしたら、ありました。ただ、これも、謀略で、山田浩二は、やっていないと、見ます。そして、山田浩二の一審の日に向けて、普段はインフォームドコンセントが確実な眼科の先生が、突然、白内障手術を決定なさったんです。ロビーに飾ってあったわブラ絵から、鎌倉と関係があることがわかっていたので、山田浩二の裁判を私に見させないがために、こういう化粧が起きたと、考えました。で、ファックスで、お断りをしましたが、ファックスが、届かないと、コンビニのコピー機が、言うのでした。手術をすっぽかすと、言う信用ならない人間であるとなれば私の信用に傷つきます。しかし、それを狙われています。

 

 ここで、外出をしないといけなくなったので、間を抜かして、結論だけ述べます。

 平成の八墓村事件と、飯能市の、三人殺しは、ほぼ、同じコンセプトで、行われている、私のブログつぶしです。・・・・・ご近所に異常な人間がいて、その人間は、ご近所と事件の前には、トラブルがあって、その結果、恨みを持って、殺人事件を起こすのだ・・・・・と、言うコンセプトです。

 しかし、私に言わせると、平成の八墓村事件も、保美死刑囚は、やっておらず、警察庁の内部で、ひそかに飼われている、特殊部隊が、殺人を実行したでしょう。

飯能事件も同じで、斎藤淳という容疑者は、殺人を犯しておらず、外人一家三人は、死んでいないと、私は見ています。

 で、両方の事件に共通するのは、平木家の動きです。

 あのね、安野家の北側の野菜畑とは、そんなものは、絶対に作ってはいけない道徳的、原因があるのです。というのも、智紗夫人の主催する井戸端会議が、一大原因で、わが屋の、花畑部分が、コンクリートで、固められて、使えなくなりました。それって、盗まれたということと同じなのです。

 人の土地は、盗んでおいて、自分の方は、私が、逗子で、一人暮らしをしている最中に自分の花畑と、は、居宅の立っている、敷地を挟んで、反対側に、ある崖を開墾して、二重に、花畑を作り、実際には、野菜を栽培していた模様です。

 どうしてそういうことをあの夫婦がやったかですが、私は、逗子で、アトリエを作って、24時間一人で、暮らし、激しい修業期間に入っていました。ただ、服などは、新しく買うのは癪なので、鎌倉に取りに帰ってきていました。警察の尾行があのころから、ついていたと、仮定をすると、私が、家の中で物を探し出ていくのが、安野家には、伝達をされていたと思います。下の看板が、いつ、備え付けられたかは、覚えておりませんが、安野家の門前にあるもので、今は、白井達雄家の玄関とびら内に置いてあります。(*2)

で、モノをもって、家を出ていく、私を塀から身を乗り出すようにして、安野夫人が見ていました。

 私自身は、そんなことはものともしませんでした。母がよく言うのですが、「燕雀いずくんぞ、鴻鵠の志を知らずんや」だからねと。その通りで、私は、逗子の三年間の、一人暮らしの修業を経て、一専業主婦からライターへと変化したのです。

 パソコンの使い方。時間の使い方。文章の組み立て方。すべて、集中した、時間で、獲得したものでした。

 ご近所と、トラブルがあるですって。別にこちらから、何かを仕掛けたわけではありませんよ。安野夫人が、意地悪な目で見ていたのが、大原光孝さんの、軽蔑につながって行くのですけれどね。

 大原光孝さんという画家は、おっちょこちょい、極まりない人間で、かつ、悪意も底知れぬ深さで、発揮する人間です。で、彼が、私に、面と向かっていうのには、・・・・・この山のみんながね、「川崎さんは、離婚をするよ」と言っているよ・・・・・と。

 軽蔑と、からかいの気分を満面に浮かべながらね。私は黙ってやり過ごしました。いつか、こういうことをすべて、文章化するよと、思っているから平気なのです。その上、実際には、大原光孝さん夫妻の方が、実質的離婚でしょう。今、10年以上、あの家を出入りする奥さんの姿を見たことがありません。・・・・・こういうところに私は神の采配を感じ取っているのです。

 でもね、彼の態度こそ、この山における、CIA支配の、実質的表れであるのです。そして、そういう総体の軽蔑を、規定において、安野夫妻は、ありえない、開墾をして、自分の畑を、三倍規模にしたのでした。北側のがけは、傾斜地ですが,それだけ、平地より広くて、三倍以上に、私有地を増やしたのでした。不道徳極まりない、花畑(または、野菜畑)ですが、先ほど言った様に、小さな、多胡部屋社会(実働家族が、15軒しかいない。多い時でも、18軒だった)だと、大原光孝さんみたいな、おっちょこちょいを先頭とする、多数派の、論理で、安野家の、花畑は正当なものと、みなされる模様でした。

 そして、あの夫婦が、二人とも出て、野菜畑の世話をするのは、決まって、小沢一郎が、記者会見をしたり、ニュースの人として、浮上をした日なのでした。しかし、今、小沢一郎は、落ち目ですね。・・・・・こういう処に、私は、神の采配を感じ取っているのです。

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 さて、平木さんに戻ります。平成の八墓村事件の時に、火曜日から、木曜日まで、安野家の、花畑を洗浄化するのに、お子さん型を提供しました。

そのご褒美として、当時、小学生だったご長男は、2020年の秋に、推薦入学で、東大へ、進学しました。

 そして、今、最も激しく、私を攻撃しています。

 そこへ、飯能の三人殺しが起きました。それに対しても、平木家は、激しい攻撃を、私に対して、行っています。

 

 

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