銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

養老先生と伊藤玄二郎の絆は、どこで生まれたのか?・+・弾圧されていた本田圭佑の実力がFIFA中継で、顕現した

2022-12-17 05:46:55 | 政治

 今は、18日の午後零時です。しばらくパソコンから離れていました。が、戻ってきています。そして、副題5以下を加筆中です。

 なお、この文章の大構造は、前報

宮台事件とは、清川病院で示された肺の捏造写真を見破った私を脅かす為に、起きた嘘である。ジェネリック医薬品不足もここに関係がある     2022-12-16 07:49:41 | 政治

の中で、伊藤玄二郎の、力の増大・過程を分析しようとして、書いた部分です。しかし、そこでは、総タイトルに、養老孟司先生の、お名前が出ていません。伊藤玄二郎の権力増大の陰に、養老先生と、密接な絆を築いた、ことが、5個の柱として彼にはあり、その一つが養老先生との結びつきです。で、それを、書いているのに、それが、反映していないので、そこだけを独立させましょう。

 ただし、政治的問題としますと、前報の方が、重要なのです。でも、一種の読者サービスとして、そこを独立をさせます。なお、養老先生と、伊藤玄二郎が、どういう場所で、どういう形で、懇談なさったかは、知りません。私は、ただ、書物の発刊から、以下のことを考えただけです。

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副題1,『養老先生の母君の著書を、伊藤玄二郎が発刊をした。その説明に当たって、明治・大正期の女性にとって、医者になることがいかに稀有なことだったかを、書き始めると・・・・・異様な言葉狩りに出会ったのだった』

 伊藤玄二郎(鎌倉春秋社社長)が、権勢を拡大していった根拠の一つには、養老先生を取り込んだということもあったでしょう。養老先生の母君のエッセー集(=自伝みたいなもの)を、出して、養老先生と、強固な絆を築いたみたいです。

 私は、養老先生の母君と直接会ったことはありません。まったく別のH先生(=女医さん。現在存命なら、105歳以上だと、思われる)にそれを聞かされたのですが、「昔はねえ、医者になる女なんて、めっかちびっこ、と、きまっていたものよ」ですって。⇒ ⇒ ⇒へ、続く。ただし、挿入部分も大切です。

:::::::ここで、後日の挿入に入ります。障碍者を指す言葉として、「めくらをを使ってはいけない」とか、「包んぼを使ってはいけない」と、なってきたのは、むろん、のこと、私のブログが原因です。私のブログを弾圧するために、そういう措置が取られたのです。それは、上に書いた、【メッカチ・びっこ】という表現もその一つですが、ご近所主婦たちの主役たちに、【激しいヒステリー性格が見られる】と、書いたこともその原因です。多分、井上ひさしたちが、指導して行っています。私のブログに出てきた言葉を中心にそうしています。【めっかち・びっこ】が使ってはいけないということに成ったのも、それから、ヒステリー】を、使ってはいけないことに成ったのも、その流れの中にありました。

  ここが、本田圭佑と関係があるところです。

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副題2、『本田圭佑は、ある時、こういう異常な言葉狩りに異議を唱えた。それを、立派なことだと、私がブログに書いたので、彼は、弾圧をされることとなった。岡田武史監督も、鶴岡八幡宮のぼんぼりが、その気概の、鋭さを見せていると書いただけで、弾圧の憂き目に出会った方である。しかし、岡田監督の方は、今回のFIFA 一次リーグにおいて、加一説者として、NHKに呼ばれていたので、この方を復活させ、本田圭佑元代表は、引き続き圧迫をした模様だった』

 本田圭佑は、別に私のブログを読んでいるわけではない。一般の日本人として、言葉狩りが異常に、はびこっていると、言ったのです。それを、私がこのブログで、取り上げたので、本田圭佑は、弾圧されています。しかし、発する言葉が、良いのです。

 本田圭佑は、日本でももっと、優遇されるべきです。だが、冷遇をされていたので、海外の、小国の小さなチームの監督になりましたね。しかし、繰り返しますが、発する言葉が、良いのです。

 頭が、切れるのでしょう。相当に、きりっとしていて、聞いている人をはっとさせる言葉を発するのです。今回無料で配信をされたABEMA TVの、FIFA 中継、解説者として、大人気を博したそうです。朝日新聞が第一面で、取り上げていました。でね、ABEMATVを私もみようとすると、できません。私のパソコンと、インターネット環境と、固定電話は、100%敵さん(多分警察の特殊部隊)に支配をされていますので、諦めました。するとですね。

ABEMA 側が、視聴者の制限をしていると、発表をしました。


 というわけで、一般的なニュースに仮託して、私個人への弾圧行為が行われています。

 私はそういうわけで、書くことに対して、激しい自己規制をかけています。岸田総理大臣に対しても言いたいことはいっぱいあります。就任直後に熊本県に海外(=台湾)の半導体工場の導入に8000億円を融資すると、発言をした時には、本当に驚きました。これも、100%私と関係があり、小山薫堂も関係があります。ただ、途中で、停まっていて最後まで、書きぬけていません。ただ、最初期から、岸田総理は、驚くべき深さで、独裁者であるとは、言い続けてきています。

 しかし、それを傍証付けて、丁寧に説明をできないでいるうちに、私に対する直接の攻撃が種々起きてきて、そちらを書くことへ、謀殺をされています。しかし、岸田総理大臣を、放ったらかしにしているうちに、一般の方、そして、自民党内部からも、反発や批判が起きている模様です。ところが、それをさておき、岸田総理大臣へ、筆の、矛先を向けてほしいと思っているらしい、鎌倉エージェントが、いかにも私が飛びつきそうな話題で、岸田総理大臣を引っ張りまわしています。こうなると、岸田総理大臣の激しい独裁制というのも、実は、鎌倉エージェントである、伊藤玄二郎と、いまだ生きている、井上ひさしの独裁制の反映でしかないと、なります。

 それじゃあ、伊藤玄二郎たち、鎌倉エージェントの詳細を書いた方がいいでしょうとなります。それで、私は、最近の様な文章を書くというわけです。 という長い横揺れから、元へ戻ります。前田清子さんが、私の猫を木製の雨戸をがたがたと大音響を立てながら閉めて、脅かしたという時点に戻ります。

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副題3、『私が住んでいる実働15人程度の、雪ノ下2丁目の山で、ヒエラーキーを作り、同時にスケープゴートを作り、差別といじめの論理をはびこらせ、まるで、中学生の、いじめ社会と、同じものが出現をしているのは、トップを構成している、前田清子さんと、安野智紗夫人の二人に、本質的なヒステリー性格があり、それを私が書いたから、ヒステリーという言葉が、使用禁止となった』

 この間、「前田家の、ご長女様の連れ合いらしい人が、お子様一人連れて、この山を歩いていた」と、書きました。(あと注2) 「その人のお顔が、110%のレベルで、クレッチマーの言う学者相でしたとも書きました。丸顔で、温厚で、頭が禿げている。お嬢さんは、湘南高校在学中から、イケメン男子と、付き合っていたそうですから(お母さんが、井戸端会議で、大声で、それを話していたので、私がそれを知っているわけです)が、東京女子大卒のお嬢様が、リヨン大学留学を経て、湘南高校から、東大へ進学した可能性の高い、その坊ちゃまと無事に結婚をされたと仮定すると、(特に東女と東大の結びつきって、絵にかいたほどに典型的ですからね)40代で、禿頭になるのですか?と、驚きました。しかし、思春期の淡い恋愛は、彼女が留学d中に消え去り、職場(明治大学)の上司などが、持ってきたお見合いで、結婚がかなったとすれば、お婿さんは、50代であり、禿頭が不思議ではないのでした。

 という笑い話めいた、挿話を入れましたが、ここで、本当に言いたいことは、禿頭と、クレッチマーの関係ではないのです。私が、どれほどに、深く、心理学を勉強したか。。です。それを語りたいのです。

 20年ぐらい前のことです。私が、ICU同窓会展に参加していたころ、先輩の石塚雅彦さんが、その人にも配信をしていたメルマガについて「リケジョの典型の文章だね」とおっしゃったのです。確かにリケジョです。

 その私に向かって、気圧の法則を無視した嘘を言ってはいけません。東京都庁、局長だったご主人を持つ花輪さん、都庁、水道局へ問い合わせをかけてごらんなさい。「公的な水道ポンプで、揚水できない高さの個人住宅が、個人で、ポンプを設定しています。それが、壊れました。で、四日間ほど、ポンプが入荷しなかったので、ホースを10m伸ばして、水を上げました・・・・これって、可能ですよね」と。(あと注3)

 大恥をかきますよ。そして、ご主人の顔にも泥を塗ります。なんで、受け売りするのですか? 気圧の法則を知らないのですか? 優秀な学校だったら、中学校でも教えると思うけれど。そして、当該の家の、富沢家のご主人にも問いたい。どうしたんですか。あなたは? 栄光、慶応卒で、三菱重工勤務だったのでしょう? なんで、こんな馬鹿気た嘘をつくのですか? 特に私に対して。あなたって、私のブログを一切読んでいませんね。まあ、いいでしょう。

 というわけで、リケジョなのです。しかし、心理学も大学ではなくて、卒業後、自分で、勉強をしています。深く深く勉強をしています。何らかの資格を取るため絵はないのですよ。純粋に研究する。そういうことが楽しいのです。

 ご近所様は、38年間、観察させていただいています。この山は、昔18軒生活をしている人がいたのですが、今は、15軒しかいません。で、一種のフィールドワークができる場所です。

 で、ここで、ヒステリーとは、どういうものだとか、何故、前田夫人は、猫を脅かしたのか? という問題へ入っていきたいと、思います。

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副題4、『ヒステリーという言葉で、規定をされる概念とは、細君が、旦那に向かって、さけび声をあげる場面などが、ドラマなどでは、設定をされているが、最も、大きな特徴とは、上下関係が大好きで、それを構築し、彼らが、最も弱いと考えている存在をスケープゴートとして、苛め抜くのが、その本質である。これを、言葉狩りで、失うと、人間存在の分析に大きな欠落ができてしまう』

 特に前田清子さんにその傾向が強いです。彼女本人は、奇妙な叫び声をあげるわけではありません。それは、極端なイメージであり、心理学でいうと、上下関係にこだわるのが、ヒステリー性格の特徴です。

 特に、午後の二時ごろ、雨戸を激しく閉めて、私の猫をいじめたケースなど、まさしくそれの一つだったのです。さすがにご主人にたしなめられていましたよ。

 猫を脅かしたケースは、どこかで、すでに書いていますが、NHKが、取り上げるほどの大殺人事件とは、関係がないので、見つけにくいので、ここで、もう一回敷衍します。 

 この件ですが、前田家の真ん前で、猫を遊ばせていたわけではないのですよ。斜め前の山田さん宅前で、遊ばせていたのです。そこは、プチ公園といってもよい日当たりの良い場所で、地形的に、浮いている、所有者の定かではない土地です。私は、石川和子さんのせいで、猫を外に自由に出せなくなったので、猫に、ビタミンDを与えようとして、そこで、校正の仕事をしていたのでした。それを木製の雨戸をがたがたと、大音響を立てて、閉めると、言う形で、猫を怯えさせたのでした。今は、彼女も猫を飼っているので、あれは、さすがに恥ずかしいことをした、と、わかるのではないでしょうか?

 ところで、山田さんという紳士が、重要なので、横にずれにずれますが、山田さんについて,説明をさせてくださいませ。山田さんという若い紳士は、桜田門の特殊部隊のホワイトカラー組の一人でしょう。午前4時でも、午前五時でも、私が、ブログを書いている限り起きています。しかし、正式な職業は、新潮社勤務となっているかもしれません。そういう人の家の前の、日当たりのよい空き地で、猫を遊ばせながら、自著の、ラフ・頁設定済みの原稿の校正をしていたのです。

 これは、17年ぐらい前の、古い時期の話ですが、最近書いている、岸田淳平氏の、ケースでも2年強前に、同じこと====雨戸をがたがたさせる事=====が、繰り返された(あと注4)ので、古い話ではなくなっています。私はジンジャーと曼殊沙華というシリーズで、岸田淳平氏の、財産の話にまで、踏み込んでいます。それは、岸田淳平氏が、4月の午後四時というまだ明るい時間に、雨戸をがたがたさせて、閉めたので、氏が、100%自立して、水準点に立っているわけではないことを知っているからです。この部分は、####罫線以下に続きます。

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副題5、『1960年代の話だが、ある女医さんから、「昔はね、女医になるなんて、めっかちびっこと、決まっていたものよ」と、言う話を聞く。立派な女医さんで、彼女には何の障害もなく、結婚もなさっていて、私は、そのお嬢様と、ICU在学中に知り合った。そのお嬢様のお子様か、または、ほかの方からのお孫さんかは、わからないが孫世代もお医者さんになっていて、治療法について、著作も出すほどの、立派な医者となっている模様である。祖母君に当たる方も、大変切符の良い、ぱきっとした方だった。そこから、言葉狩りに入って行ってしまうのだが、私が、このエピソードで本当に言いたかったことは、女医というのが、明治・大正生まれの女性たちにとって、人生の選択肢として、稀有な方向であって、何か、欠陥がある人が、補うために、女医になったのよと、言うセリフが、あまりにも明快だったので、印象に強く残ったのだ。この女医さんが、メッカちびっこと、はっきりおっしゃったのは、ご自分には、障害なくて、やむを得ず、医者になったわけではないから、その言葉を、何のためらいもなくお使いになったのだ。つまり、自分は、とても、勇敢で、先進的なのであると、言いたいお気持ちが、裏にある言葉だった。

⇒⇒⇒ からここへ続く。

上の方で言葉狩り問題について、触れています。

 その先生は、美貌の持ち主で、お孫さんが、医療法についての、著作を出す、有名なお医者さんになっているみたいです。お嬢様が、国際キリスト教大学卒業できれいな方です。さて、メッカチびっこは、極端な言い方だったとしても、大正期に生まれて、女医になる女性とは、一般的な、女性とは、相当異なっていたことは確かです。

 養老先生の母君も同じで、障碍者ではないが、けた外れの実行力とパッションの持ち主だった模様です。平均値では、収まらない方だったみたいです。・・・・・私も同じなのですが、弾圧の対象となっていて、浮上をできません。・・・・・だが、養老先生の母君は、伊藤玄二郎の勧めによって、ある一つの後ろめたさを突破できたのです。それはです。戦前には、それが、希少なことだった、妻の方から、夫を捨てて、別の男性と再婚すると、言う道を選んだ方だからです。

 養老先生は、小さいときに一人で遊ぶのが好きでしたね。それは、頭の特別に良い男の子として、普通のことだったかもしれないけれど、一つには、専業主婦全盛期に、母君が家にいない、職業婦人だという事(=女医)と、もう一つは、母君が、夫を捨てて、別の男性を選んだと、言うこと、そういうことが、周辺から波を及ぼして、小さな影を養老先生の周辺に落としていたと、も、私は考えるのです。孤独はいいんですよ。孤独は優秀な男性と、女性を生みます。しかし、幼い男の子には、お母さんの冒険心が、大きかった事は、心理的には、負担だったと、かんがえます。

 しかし、伊藤玄二郎の勧めによって、「かえって明らかにした方がいいのです。それは、別に恥じ入ることではない。同調圧力の強い日本では、ちょっと変わった選択でした。だが、別に恥じ入ることではない」と、言われれば、『そうか、そういう風に考えればいいのだ』と、なって、ずいぶんと安心なさったと、思います。

 伊藤玄二郎が、40代のころ、養老先生に提供したのは、資産家になる道でも、大ヒットメーカーになる道でもなくて、ただ、ただ、先生に安心していただく道でした。

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副題6、『私が想像するに、伊藤玄二郎は、伊藤整の婚外子であるはずで、伊藤滋(おお相撲が、ごたごたした時に、横綱審議委員会委員でもないのに、急に出てきて、結局は、状況をマネージングできず、恥をかいた東大名誉教授にして、当時は早稲田の教授)とは、異父兄であり、タレント伊藤健太郎は、息子または、甥でしょう』

 これから先は、見てきた様な嘘を言いの一つですが、伊藤玄二郎自身が、婚外子だったと思います。だが、父親は、有名人である、伊藤整で、母親はたぶんですが、旧制・横浜の・第一高女(現在の平沼高校)出身者です。母の職業は、編集者、または、詩人、または、歌人でしょう。色街の出身者ではなくて、知的な女性の筈です。で、伊藤玄二郎は、両親に対して、深い、深い誇りは持っているが、ただ一つ、庶民向けには、「それが、公開できないのだ」と、言うマイナスポイントがあったでしょう。

 しかし、彼は、それを、最大級のセールスポイントとしたのです。つまり、貴種流離譚を、利用したのでした。そして,まず、里見頓一族と、懇意になりました。特に四男の、山内静雄氏と、仲良くなったのが大きいでしょう。次に清川病院の、現在のまどか院長の、父君、または、祖父に当たる方と、懇意に、なり、次に鶴岡八幡宮の現宮司、吉田茂穂氏と仲良くなり、浄智寺さんとも仲良くなり、豊島屋の、現社長、陽彦(はるひこ)さん、松尾崇・現・鎌倉市長と、仲良くなっ行きました。 中西レイなどとも仲良しの筈です。

 ところで、その過程で、ポルトガル国最高の勲章、【エンリケ皇太子勲章】をもらいました。その根拠になったのが、【びょんぶ】という書物ですが、国会図書館でも、見ることができません。どうしてかというと、その奥付に、「川名昭宣氏に感謝という文言が入っているからでしょう。そこから、また、ミステリー解読がさらに進みますが、ここでは、鎌倉、または、雪ノ下に、こだわりたいので、千駄ヶ谷’(河出書房新社)には、触れて行きません。

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副題7,『本日は前田清子さんに集中をしたい。しかし、80歳の私は、まだ、大量の労働を、横浜市・神奈川区、上反町で、やらないといけないので、ここで、中断をしたい。

 だが、鎌倉でもそれをやられているのだが、こちら、上反町でも、真夜中に、右足、一本が丸々、痛くなって、寝ていられないなどということが、起きるのも、その5文の一程度は、前田清子さんに、原因があるのだから、この続きは、いつかは、書いておくつもりだ。

 なお、リンク先については、後刻整えます。

   22-12-17~18日にかけて、これを書く。雨宮舜(本名 川崎千恵子)

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