銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

母とは、普通はもっと地味で、堪える姿勢がある筈だ(三鷹ストーカー殺人事件)△

2013-10-30 06:21:07 | 政治

 これは、下にある前報

渡辺豊重さんは、沙彩・ママを、自分のアクセサリーとして、連れ歩いていたが?△  2013-10-28 01:56:05 | 政治

 の続きです。そちらが二万字を越したので、ある部分から先を、こちらへ移動をさせました。。

副題7、『ここで、一足飛びに、10月8日に飛ぶが』

副題8、『高校時代までは、セックスはするべきではないと、子供に、自覚をさせるのも、重要な、家庭教育のひとつだ』

副題9、『子育てとは、ご飯をつくり、洋服を買ってやれば、済むというものではない』

副題10、『中学と高校の時期が、一番大変なのだが、それを沙彩ママは、知らなかったと推察される。フロイトの言うとおり、母と娘は、相容れない。それもあっただろうし、それを克服するほどの深い愛が、ママの方には育っていなかったと思われる』

副題11、『母親が偉いと、子供が、たいていだめになる。そのことさえ、沙彩ママは気がつかなかったのだろうか』

副題12、『こどもの異性の友達を、ストーカー化させるか、させないかは、子ども自身の態度と、親の態度による』

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副題7、『ここで、一足飛びに、10月8日に飛ぶが・・・・・母が、外出していたのは徹底的にまずいと、思う』

 私が、彼女が母としてだめだというポイントで、どなたにもお分かりいただける、一点を上げましょう。彼女とご主人とお嬢さんは、その日の午前中、警察署へ行ったそうですね。そして、警察署は、警告の電話をかけたそうです。それが通じなかったそうですが(私はそれも怪しいと思っていますが)、一方で、三鷹警察署の該当の生活安全課は、レクリエーションか何かあって、全員午後はルスだったそうです。そして、所長に相談があったことを報告したのも、殺害後だったそうですね。

 私は「警察署に相談するのはだめだ」と思うほうです。去年、大津の中学生自殺事件について書いている文章でも、「警察に相談してはだめだ」とはっきり、言っています。

 それなら、どうやって、こういう件を解決するのだといわれそうですが、それこそ、親の力が試されるところなのです。忍耐と、努力と待ちの姿勢が必要です。子供に何か問題が起きたら、外部の人は、何の役にも立たないのです。ただひたすら、母親力で、解決しないとだめです。

 ところが、その日に、彼女は、またまた、外出をしています。それが、母としては大誤算と言うか、大問題なのです。私が同じ立場だったら、まず、警察には相談しないし、また、夫がそうせよといって、仕方がなくて、相談したとしても、学校へ迎えに行くと思いますね。または、絶対に外出はしないだろう。夕飯はね。おすしを取るか、ピッツァの宅配で済ませればいいのです。または、ご主人に買って来てもらうか、ご主人の帰宅予定が遅いのなら、その日だけは、レトルトカレーか、缶詰ですごせばいい。そしてその後ずっとお母さんは、外出をしないでおくのです。

 そして、犯人がお嬢さんの携帯にでも、接触をしてきたら、そのときには、家に招いて、ご主人と一緒に、丁寧に、語りかけ、慰安し、時には謝罪をして、納得をさせて、別かれてもらうように努力します。それしか安全な、解決方法は、無いのです。

 それは嫌だ。やりたくないと言う場合でも、もし、お母さんが、あの10月8日に、家にいたら、犯人が、隣の家の屋根から、自分の家の、ベランダに飛び乗った、音には、当然気がつくはずです。そのときに、騒げばいいのです。鍵をしていなかったので、犯人は楽に、侵入して、お母さんを、刺すかもしれない。だが、その犠牲は、母としては、当然のことなのです。自分が死んでも真実の愛情がすでに育っている母だったら、それは、当然の事として、受容するでしょう。

 昔、JR山手線の新大久保駅で、ある人が線路に落ちました。すると、日本人と韓国人(大学生)が、線路に飛び降りて、助けましたが、助ける方が、犠牲になりました。ああいうのが、無償の愛の典型ですが、ふつうの人でも、子供に対しては、無償の愛を発揮できるものです。

 だから、あの2013年10月8日、お母さんが、警察から帰ってから、家にいれば、お母さんが、襲われることがあっても、お嬢さんは無事だったでしょう。そうなっていたら、私は今こういう文章を書いていません。

 私はよく、子供を生かすためには、母は、一回死なないといけないと語ってきています。それは、精神的な意味でです。だけど、具体的に言っても、母は、子供の身代わりになることは、ありです。そのために、刺されるのなら、それは、親として立派だし、別の言葉で言えば、当然のことです。

 だけど、彼女は・・・・・またもや、・・・・・・外出をしています。全焼で、大変くだらないことに、時間を割いて、外出をしている。おかしいと、批判をしていますが、私は、そういう目でずっと、彼女を見つめ続けてきています。だから、余計に、その日の外出が、あったんでしょうね。また、気楽な気持ちで、と、推察されるのです。だけど、それは、彼女は母ではないなあと、言うもうひとつの、証拠なります。逗子でも桶川でも、ストーカー事件は、警察に相談すると必ず、殺害をされていますね。神奈川県の県央でも、殺害にはいたらなかったが重症だったケースがあります。

 それが頭に残っていなかったということが、信じられないです。警察へ相談に行く前に、そんなことは当然、調べて置く筈でしょう。そして、そういう過去事例を、事前に、認識をしておけば、怖くて、その日は、外出はできない筈ですよ。大きな危険性が、目の前にあるとは、真実の母親なら、当たり前に、触覚が働くはずです。

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副題8、『高校時代までは、セックスはするべきではないと、子供に、自覚をさせるのも、重要な、家庭教育のひとつだ』 

「まさか、あなたは、何を言っているのですか? あんな凶悪な犯人と接触せよですって?」と、おっしゃる向きがあるでしょう。でもね。沙彩家では、この事件より前に、犯人を自宅に招いているのですよ。

 だからこそ、犯人は隣の家の屋根に乗って、待っていたといわれています。普通ならネットで知り合った友達である限り、自宅の場所を知らないはずです。沙彩ちゃんが、甘かったのです。沙彩ちゃん自身が、教えたのでしょう。

 だけど、家にいったん招いて、両親と引き合わせたときに、何か、いいこと(=嘘)だけを言った模様ですが、それでも、京都の、同志社大学に通っている大学生を、吉祥寺の自宅へ招くということ自体が、お嬢さんが相当の深度で、相手と交友をしていることに、親の方が、気がつかないといけません。そして、それは、高校二年のころだったと、思われるので(と、言うのも分かれるために、留学をしたといわれているので、その前でしょうから、1年ぐらい前の高校二年生の時期だと思われるから)「そういうことをやってはいけないわよ」と、子供に、自覚をさせないといけません。

 しかも、ああいう風にいつも、いつも、外出しているお母さんのことです。学校から帰って、お母さんが、帰宅をする前、午後の四時から、夜の8時ごろまで、沙彩ちゃんと、トーマス池永は、セックスをしていたと推察されます。それも、一回や二回の事でもないと推察されます。沙彩ちゃんの友人が、池永トーマスが、沙彩ちゃんの貞操観念を崩したといっています。が、遠距離恋愛で、一回か、二回、実際に出会い、セックスをしただけで、あの、後日、リヴェンジポルノとして利用された動画を、自分で撮影するほどの、ところまでには絶対に行かないでしょう。

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  ところで、その問題のリヴェンジポルノですが、私は、美術9条の会が、出てくるまで、この三鷹ストーカー殺人事件に関して、ネット検索を一切やらなかったのです。やはり、お気の毒だと思うし、こちらも節度を守りたいですからね。

 だけど、美術9条の会が出てきたら、そりゃあ、とことん、調べないとだめです。前報でも言っているとおり、それは、現代日本を覆う黒い霧のひとつですから。・・・・・

 で、調べ始めたのが、25日からですから、その動画は、すでに、見ることができませんでした。しかし、動画の表紙に当たるものは出ていて、・・・・・その先は動かないという形で、出ていて・・・・・二枚見ました。それを見てしまったら、自分が今書いていることは、正当にも正当だと自信を持ちます。

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 そこ・・・・子ども自身の自覚を涵養すること・・・・がものすごく難しいのですが、母親にとって、大切なのは、自分の子供の側なのです。こういう種類の犯罪が起こるときに、犯人がそこに存在したから起きただけではないのです。こちら側にも大いに原因があります。自分の子供の側の、自覚の問題ですが、そこが、だめだったですね。高校生の段階でセックスなど、してはいけないのだと、自覚する子供へと、自分の子供を育てておかないと、いけないのです。ましてや、ポルノ動画を自分で撮影し、ネットで、遠くへ送るのなどありえない現象です。

 私は今、敵がいることを知り始めたので、友達との関係を自制しているのですが、沙彩ママを『この人は、だめな母だなあ』と、直感した2005年ごろに、付き合っていた他の友達の中で、娘がこういう事をしている存在は、いなかったと思いますよ。いや、まだフェイスブックは始まっていませんでした。でも、高校時代に異性とセックスをしてしまうようなお嬢さんを持っている友達はいなかったと、感じています。中流の上を自認するのなら、母はそれなりの奉仕を子供に対してやらないとだめなのです。

 でもね、読者の皆様の中には、「すでに、済んだことを、どうして、そういうきつい言い方をするのですか?」と、いう方もあるでしょう。それに、「古い人ですね。あなたって、高校時代まで、セックスしちゃあだめだなんて。それって、古すぎる」とおっしゃる方もあるかしら?

 だけど、これは、真実ですよ。高校時代のように、まだ、経済力がなくて、子供を生む事(=セックス)はできても、経済的にも環境的にも、自力で育てる力がまだ無い時期に、セックスをやらせてはいけません。それを命令として禁じるのではなくて、自然に、子供の側が、自覚して、『そうだね。私は高校時代は、セックスはやりません』と自発的に思うように、育てて置かないといけないのです。

 もし、渋谷あたりで、そういう事とは、はるかに違う現象(女子高生が、売春をしている)が、あるのなら、それこそ、この国が、被・植民地社会であって、大人も社会も両方が病んでいると、言うことの証拠となります。

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副題9、『子育てとは、ご飯をつくり、洋服を買ってやれば、済むというものではない』

  その2013年10月8日の、外出は、相当な長い時間だったのでしょう。すると、『やはり、美術の仕事でしょうね』と思います。画家ではあったが、母では無かったというのが、沙彩ママです。生んだは、生んだでしょう。

 だけど、赤ちゃんを、生んだだけでは、母親にはなれません。手塩にかけて、時間をかけて、愛を育てないと、母親にはなれません。彼女は、外出ばかりしていて、お嬢さんと心の交流をやっていません。

 それが、逗子から東京へ向かう電車内で、豊重さんに、私がいじめられたときに、見事にわかりました。他人がいじめられているときに、ニコニコしているのは、母親としては、はるかに遠い感性です。それは、母親としては、劣位の位置の人です。しかも、そのいじめの後で、吉祥寺駅近辺で、買い物を済ませた上で、歩いて帰っていくだろう自宅に到着するのは、夜の八時ごろでしょう。葉山の美術館(それは、逗子駅からは遠くて、バスは、30分に一本しかないし、バスの走っている時間だけでも30分はかかるのだ)に、渡辺豊重さんの、単なるアクセサリーの立場で金魚のうんちよろしく、やって来て、お子さんがさびしがっているだろう事への配慮が足りないなんて、それも女性としては、本末転倒であり、私としては、信じがたいです。

 ここで、とても大切なことを付与しないといけません。彼女は三つのポイントで、銀座で遊泳しているほかの画家よりも美術評論家他に、大切にされていました。

 *1、高松二郎の関係者ですと、吹聴したり匂わせたりすることによって、「いわゆる貴種です・・・・イコール、自分は、誰と比較しても、ひとつ上のランクですよ」と、見せ付けていたこと。今回、それが嘘だったというか、なんと言うか。・・・・・・高松二郎側では、関係があることを否定されたそうですが、よくわかりませんが?????

 *2、子供がいることを、暗示していたこと。私は「女流画家は結婚をするべきではない」と勧めている方ですが、「じゃあ、石部金吉でいなさいね」といっているかといえば、そうではなくて、「恋愛はなさいませね」といっています。しかし、ふつうの場合、恋愛で、子供を生んだり育てたりすることは、現代アート系の女流画家にはできません。収入がほとんど無いからです。

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副題10『中学と高校の時期が、一番大変なのだが、それを沙彩ママは、知らなかったと推察される。フロイトの言うとおり、母と娘は、相容れない。それもあっただろうし、それを克服するほどの深い愛が、ママの方には育っていなかったと思われる』

 教育現場の専門家、は、14歳が一番大変だとか、大切だといっています。私もそれには賛成ですが、生まれた日とか、背の高さでも、ずれがあって、うちの上の子は、13歳で、すでに大変だったし、下の子は、あまり、その大変さが目立ちませんでした。

 男の子は全体に繊細です。その上、異性を意識し始めるときに、母親との関係が難しくなります。女の子は、そういう時期に、父親の加齢臭を嫌ったりして、「お父さんの、靴下を、洗濯機に私のと、一緒には入れないで」と言ったりします。我が家の娘には、そういうことはありませんでした。が、60年前のことですが、理科の先生が、必ず学校の温室で、ご自分の靴下を洗うと言う所帯じみたことをなさっておられました。奥さんが洗ってくれないとおっしゃっていたが、もしかするとお嬢さんがいやがっていたのかもしれません。

 ともかく、思春期は難しいです。それが、大体、中学と高校の6年間を指します。

 ふつうは、親と子など、家族同士の間で、問題が起きるので、外部よりも、まず、家族間で、調整をしないといけなくなり、それによって、『子供って何だ』とか、いろいろなことを母親は学びます。そこで、人間として深く成長します。円熟するのです。あきらめるとか、待つと言うことを真摯に学びます。

 そして、子供と、一日に、15分でもいいから、柔らかな会話をしますね。さりげないことでもいいのですが、命令ではない会話をします。この命令ではないと言うことが大切です。どうしても、それ以前の、態度を捨てられないからです。親優位だった小学生までの、習慣や心構えが抜けないのです。が、ここで、一気に逆転をする必要があります。

 親が負けていると言う形で、心の交流を保つこと。それが、恐ろしいことを避ける、ひとつの、手段だと思います。

 うちの二人の子が、中学高校生だったのは、1980年代であって、その時期、5、6年は、私の方は、画業もPTAも、責任を取らないといけないことやら、自分が主役になることは、一切を休みました。すでに、1983年に銀座で個展をしている身には、とても、つらいことでしたよ。だけど、子供って、もし目の前にいたら、彼らの要求することを優先するのは、親として、当然のこ      とです。だからこそ、ここで、こんなにもはっきりと、かつ自信を持って、沙彩ママを、「いけない」とか、「未熟だ」とか、「無責任だった」と言えるのです。

 そして、そういう親の我慢をする姿勢が、うちの子が、大学へ入る前までは、一切恋愛沙汰を起こさなかった、ポイントかもしれません。

 今の主婦って、家事は楽でしょう。電気製品がやってくれます。だから、私達の親世代のように、忙しく労働をしている親を見て、『自分が変なことをしたら、親が悲しむだろう。それでは、親がかわいそうだから、自分が我慢をする』という姿勢が、植えつけにくいのです。他の道、それは、家事労働ではない、別の道で、親も耐えているのだと言う姿勢を見せるのが大切です。

 世の中にはお母さんが、働いているオタクはいっぱいあります。本当は、それも、「どこかで、ひずみが出ますよ。子供には、中学や高校期でも、どこかというか、どこででもいいが、大人になる途中で、意味もあり、愛もあり、・・・・・人生を送るのに、役立つ言葉・・・・・を、いっぱい、かけて置かないと、大人になってから、エネルギー切れとか、ガス欠(会社を辞めて、ひきこもったりすることを指す)を起こす可能性があるのです」と、言いたいのだけれど、

・・・・・でも、「家計の収入を助けるためにとか、家を買ったから、妻が働いています」と、言う場合は、たいていの子供は、不良化しません。脇へ曲がらないのです。

 沙彩ちゃんは、外見的には問題児ではなかったです。だけど、こんな事件の被害者となって、しかも、リヴェンジポルノを公開されたので、大勢の人、特にお嬢ちゃんと、同世代から、『バッカみたい』と思われています。そのことを、ご両親は、お知りになり、それを、恥じと思わないといけませんよ。

 まあ、お子さんが、独りしかいなかったので、ここで、教訓を得て、何かを学んでも、将来の役には立ちませんが・・・・ 

 よくお百度参りと言うのを聞きますね。昔、子供が病気になったのを神に祈って治してもらおうとしたり、または、帝大に合格するように母が神社に、百回ほど参ると言う形。古いけれど、そういう苦労を、さらりとしかも隠れてやることで、欲望に対して我慢をすることを、子供の側が、覚えるのでしょう。お百度参りをやっていますなどと、親側が宣言するわけではないのですよ。だけど、そういう姿勢はにじみ出るものです。

 あのころはネットはなかったけれど、うちの子の友達の中にも、高校時代から、恋愛沙汰を起こしていた同級生はいたそうです。高校時代の、夏休みに、白百合(女子高です)の生徒のために、図書館の机に、朝早く来て、生パイナップルを置いて席を取ってあげている男の子が居たそうですが、その白百合側の少女の親に『受験の邪魔になるから、交際を止めてくれ』といわれたそうです。その後で、『年上の主婦と、不倫の関係に陥ったのだって。高校生なのに』と、ずっと後、20年後ぐらいに、息子が、私に教えてくれました。

 でも、その男の子も、相手の親に恋愛を禁止された当時は、つらかったのでしょう。こちら側が、県立高校生だから、お嬢様学校の白百合の子に、馬鹿にされているとでも思ったでしょうしね。そして、そういうつらさを晴らすために、不倫の恋愛に入ったのです。

 どうして、そういうことを、わが子が、私に、教えてくれたかと言うと、その男の子は後に、殺人事件を起こしたからです。いつも、いつも恋愛をしている体質だったみたいですが、奥さんではない独身の若い女性が、不倫の結果の、子供を「中絶はしません。産みます。自分ひとりで、育てます」と言ったので、将来のごたごたを危惧して、殺したのです。鎌倉の海岸そばの、最新デザインの二所帯用の、建売住宅の、小さな庭に、妊娠した相手の女性を、埋めたのです。どうも、父親も手伝ったと推察されます。

 私ね、『そのお父さんは、ずいぶんと気弱だったのだなあ』と、驚きます。ただ、高校時代に、30代の主婦相手に不倫をするという暴走を、どうにかして止めておけば、ここまでの犯罪には、発展をしなかったと思います。芽を小さなうちに摘んで置いたらよかったのです。

 今回の事件に戻ります。もっと前に、相手を納得させる形で、別かれることができず、ずいぶんと発展をしてから、バシッと「警察に頼んで、これを、終わらせましょう」と言う、沙彩さんの両親の、発想が、信じられないと言うか、子供の世界を、なにも、知らないのだろうなあと、私に思わせます。

 リベンジポルノさえ招いてしまったでしょう。お子さんと、丁寧に、丁寧に、接して、大切なことは必ず、打ち上げてもらえる環境を作っておいたら、リヴェンジポルノは無かったと思いますよ。

 そして、ごく初期に、問題に、気がついて止めさせることだって、できたかもしれません。

 だけど、それは、子供用のパソコンやら携帯を盗み見ることで知るのでは、だめなのですよ。ほんのちょっとしたサイン、たとえば『今日はどうも表情が暗いなあ』と言うようなサインを見つけて、その後は、どうするかといえば、最高レベルの頭の使い方が必要です。『どうしたの。何があったの?』などと聞いてはいけません。硬化してしまって逆効果を生むでしょう。どうしたらいいかは、即答できないほど、いろいろな方法があり、それは、各自がご家庭で、生み出すはずのものです。

 学校に行っていると、子供って、一通りのことをできるようになります。だけど、それだけでは絶対に足りないものがある。このご家庭のように、お母さんが、ふわふわとお出かけばかりしていて、お子さんがいつも一人で、留守番をするということになると、当然寂しさを紛らわす方法をひねり出します。兄弟が居ないから、余計にそうなります。たとえば自慰とか。

 アメリカ映画、『イカと鯨』の中で、夫婦が離婚をしそうな家庭の次男が、小学生なのに、放課後、学校の図書室で、自慰をして、放出された液体をウォールナットの壁に擦り付ける場面があります。ただ、てかてかしているだけなのに、学校側はすぐその現象の意味と、それをやった子供を、見つけ出して、その両親を呼びます。そして、単にしかりつけるのではなくて、家庭内にある問題点を、両親に自覚をさせます。子供に問題行動が起きるのは、両親のせいなのですよと、諭します。

 それを見て、アメリカの学校って、意外と丁寧なのねと、驚きました。が、そういう普遍性は、沙彩さんにも当然あって、ママが、渡辺豊重さんと、葉山の美術館のオープニングに出かけて、夜が遅いときに、夕方の寝室で、電気もつけずに、そっと自慰にふけっていたなどと言うことは、十分に想像できるのです。そして、それは性的な早熟さを涵養するから、後に、リベンジポルノを、さらされるような映像を、自分で撮影することに、何のためらいもなく、取り組んでしまうこととなります。まだ、高校三年生なのにですよ。しかも留学をしていたとも聞くから、その映像を撮影したのは二年生のときかもしれません。そういうのに気がつかないママに、驚きます。ところで、その撮影は、2012年のことでした。

 でも、その7年前の、2005年、ママが葉山に居た時間帯と、同じ夕方の時間帯を、お母さんと一緒に、ちびまる子ちゃんの感想でも、話合いながら、クッキーでも作っていたら、絶対に、こういう事件は起こりません。

 でも、ふわふわと、渡辺豊重と言う人が、自分が得をする、または、自分が、人に攻撃をされないために、利用をすることに奉仕をして、だからこそ、口では、相当にちやほやされて、楽しい思いはしたはずです。息のバスから一緒ですから、往復のバス、パーティの会場、帰りの電車、すべてを合わせれば、合計五時間ぐらい、ちやほやされれば、そりゃあ、エネルギーは満タンなるでしょう。『帰宅したら、すぐ絵を描きたいわ』と思ってほほを赤らめながら、高揚しきって帰宅する。そんな、お母さんに対して、沙彩さんが、同情しますか? お母さんって、かわいそうだって、思うでしょうか? 思わないでしょうね。お母さんて、いつも勝手なことをやっている人よと、思うでしょう。でも、そのお母さんは、とても、偉い人なのです。

 はい、とても偉い人なのです。(笑)、美術9条の会にお誘いを受け、どこそこ、画廊の取り扱い作家であり、どこそこ、美術館が、その絵を保管して所蔵してくれているえらい画家なのです。となると、批判ができませんね。で、「お母さん、それって、間違えている。もっと、おうちの事をやったら」とか、言えません。しかし、私は偉くありません。だから、うちの子は、ぼんぼん、批判をしてきます。でも、それだけ、心の交流があるということでもあります。

 しかし、沙彩ママと、子供の間には、交流は無いと、思われました。交流があれば、絶対に子供から批判をされるから、渡辺豊重のお供として、葉山の美術館のオープニングに出席をするなどと言う、やっても、やらなくても、どっちでもいいようなことはやらないはずです。

 女流画家の子供とか、夫と言うのは相当にさびしい思いをしているのです。絵描きとか、創作者と言うのは、24時間が仕事です。お茶碗を洗っているときも、掃除機をかけているときも、頭の中は、次の作品の事やら、自分の次の展覧会のあれこれを考えているのです。

 そのことはお互いにわかるから、私なんて、外出は最小限度に抑えています。この2005年当時は、下の子はすでに結婚をしていて、家にいないし、上の子は、ステディな婚約者がいて、しかも年齢的に、30を超えていました。しかも、葉山の美術館から鎌倉の自宅まで、一時間を見ておけば十分なので、六時には帰りつくことができますので、家族の誰にも文句を言われない外出です。

 沙彩ママに、いずれ、子供に関して、大問題が起きるというのは、私にはひしひしと、感じられることでした。

 他人の、私が容易に、それを、想像できるのに、彼女自身が、そこまでの事を想像できず、何回も何回も豊重(=トヨシゲ)さんのお供で出歩いているということが、恐ろしいのでした。私は、彼女は、相当なレベルで、ふわふわし過ぎていると、感じ続けていました。『母親らしい雰囲気はあるわ。でも、本当の母には、まだなっていないですね。この人って。でも、いずれ問題が起きるわよ』と、感じ続けていました。 

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副題11、『母親が偉いと、子供が、たいていだめになる。そのことさえ、沙彩ママは気がつかなかったのだろうか』

 ネットで知ったのですが、ある若い同年齢の少女らしい人が、「高松二郎のひい孫だって言っていたけれど、それは、うそだっらしいよ。高松二郎側から否定をされたんだって」といい、その次に「やっぱり、自己顕示欲、満載じゃん。タレントになるといったりしてね」と、揶揄していました。それを見て、「あのお嬢ちゃんが、これについては、かわいそうだ」と、思いましたよ。高松二郎の、ひい孫だというのは、お母さんが、それを言っていたから、それを信じてそう言っていたのでしょうし、タレントになるというのも、お母さんがえらいから、それを乗り越えるための、一方法だったでしょう。

 子供は親を乗り越えないと大人になれません。だが、親が立ちはだかりすぎるのです。現代の日本って、母親が四年制の大学を出たご家庭がいっぱいあります。そういうご家庭で、母親の方が、『自分が引くことが大切だ』ということに気がつかなかったために、子供がだめになっているご家庭は、いっぱいあると思います。引きこもりが多いといわれていますね。

 成功の体験がないので、自信がなくて、外へ出て行かれない子供がいっぱいいるそうです。その成功の体験がないと言うのも、親が、期待をしすぎるし、こどもの方も、『自分は、いくらがんばったって、だめだ。とても親が卒業したほどの、いい大学にはいけそうもないし、就職も親ほどの大企業には、就けそうも無いな』と、早くからあきらめてしまうからです。

 その点、沙彩さんは、引きこもりにならなかっただけでも偉いです。ただ、望みがタレントとか、言って、高望みをしすぎています。次にタレントがだめなら、国連の職員になるとか言っても、こちらも、英語ができるからとか、成績がいいからといって、なれるものでもおないのです。

 両方とも、一発逆転を狙っています。というか、成功率の低いものであることがかわいそうですね。たとえば、「結婚をできたらいいな」と言うのは、私もそうだったし、娘もそうでした。これだって、難しい望みです。(笑)

 自分が結婚できるかどうかについて、大勢の未婚の女性は、その胸を痛めているでしょう。でも、それが成功するかどうかのハードルは、沙彩ちゃんの希望と比べれば、低いです。相手の顔や、資産内容や、給料の額について、高望みをしなければ、どこかに、結婚相手は見つかるものです。

 だけど、タレントとして成功をするとか、国連の職員になるとか言う望みは、言葉で言うのは易しいが、第一関門は突破しえても、それから先が、成功するかどうかが、わからない分野です。国連の職員なんて、たとえ無事に採用されたとしても、あのニューヨークで、沙彩ちゃんと言う個人が、幸せになれるかどうかは、疑わしいのです。ふつうの頭脳の日本人だったら、「どうして、こんなに多額のお金を出しているのに、韓国の下手(したて)に置かれているの?」という疑問のためにノイローゼになるでしょう。

 すごく難しい望みに挑戦しているかの女は、どうも、まだ、『幸せとは何か』を、知らなかったと思われます。

 男親がえらい場合も、子供はつぶれますが、(姜尚中氏の家庭・・・・・また、これの初稿を書いて下書きボックスに保存をしていた、29日に、利根川進さんが、日経の私の履歴書の中でご次男の早世を嘆いていらっしゃるが・・・・・)、一応、生活費を稼いでくる存在として、許容をされているケースが多いのです。日本社会全般を見れば、そうなのです。

 が、母親がでしゃばっていて、偉すぎると、子供はより頻度高い確率で、つぶれます。そのことに母は、気が付かないといけません。だけど、このケースの沙彩ママは、まったく気が付いていませんね。ただ、ただ、ご自分の画家としての成功を追い求めています。

 そして、お子さんを事実上追い込んでいるのです。お子さんは、自立心の発達した、いい子に見えたでしょう。でも、いい子と言うのは、母の愛を信じていない子が取る仮面のひとつなのですよ。負担が大きく、ストレスも大きく、しかもさびしイ小学生期間です。出、寂しさを慰めるために、もし、小さいころから、自慰でもしていたら、ああいう結果が訪れるのも仕方がないかと思います。

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副題12、『子供の異性の友達を、ストーカー化させるのも、させないのも、こちら側の子ども自身と親次第である』

 ここは、ごく簡単に書きます。この文章のメイン舞台である、葉山の美術館のオープニングパーティより、さらに、10年ぐらいよみがえる、1993年か、1994年ごろの、話です。

 我が家の男の子を慕ってくださるお嬢様がいました。大変いいご家庭のお嬢様だったのですが、お兄さんが、入院していて、そのお世話が、将来、ご自分の肩にかかってくるという覚悟があって、早く誠実で、優しい男の子を見つけて、婚約しておきたいという気持ちのあるお嬢さんだったのです。うちの子は、付き合いだしてから、すぐにお兄さんの病院へお見舞いに連れて行かされて、すぐ、彼女の本当の望みを察したらしいのですが、

 私(または、父親)には、何にも相談をしませんでしたが、相当早くに、『このお嬢さんとは、結婚はしない』と決めていたようです。その理由は。家庭環境が似ていたのです。お父さんもお母さんも超がつく、インテリです。しかし、子育ては下手なタイプです。息子は親を反面教師にしていて、「僕は、平凡でいい。庶民的な人間となる」と、いつも言っていました。が、そのお嬢さんと結婚をすると、自分側の両親の家庭と、似たようなものとなることを、想定していたみたいです。

 でも、相手のお嬢さんが、とても繊細で、傷つきやすいのには気がついていて、面と向かって、「君とは結婚はできないよ」と言うような失礼なことを言うタイプでもなくて、あいまいなままに、2ヶ月ぐらい過ぎたころでしょう。

 お嬢様の方が勝負に出てきました。向こうのご両親と息子は面会をしたそうです。ご馳走になったかどうかは知りませんが、相手方のご両親からは、OKが出た模様です。で、お嬢様は、その次の段階として「あなたの家に泊りに行きたい」とおっしゃったそうです。で、私は、息子から、「女の子が、今夜、遊びに来るから、布団を二組、用意しておいて。客間に」と、朝、頼まれました。「夕飯は?」と聞くと、「いい、外で食べてくるから」との話です。このときに、私の方は、いきさつやら、事情を、何も聞かされていないので、非常に簡単に、考えておりました。

 が、息子としては、我が家で、両親と妹と彼女と五人で、夕食をとると、それは、婚約の方向へ向けて、確実な一歩となるので、ともかく、彼女の攻勢は、一応は、受け止めるが、できるだけ、歓待しないと決めていた模様です。

 今はリフォームをしたので、別の客間(16畳)が、できたのですが、当時のそれは、12畳で、床はフローリングです。そこへマットレスを用いて、二組の布団を用意しました。この部屋は、正方形に近く、東西南北、すべての方向に開口部があります。東と南は、窓です。それは、二重のカーテンがあるので、外部に対して遮断性があります。が、北側には素通しの小窓用ガラスが6枚入っている、フラッシュドアがあります。西側には、同じタイプのドアがあって、こちらはすりガラスですが、両親の寝室に、廊下の無い形で、直接に、つながっています。

 私は親としては、『何かが変だなあ』とは思いました。が思い直して、『自室のインテリアが貧乏ったらしいから、相手が、いいところのお嬢さんなので、客間に招くのだろう』と、考えました。4畳半の和室を改善して、これも簡易なベッドを置いた、自分の個室に招くのは、嫌なのだろうと、考えました。

 しかし、その夜、ずっと二人が歓談をしていて、それが内容こそわからないものに、笑いあっている気配など聞こえてしまい、神経質な私は、なかなか眠られず、ふと、『もう、何時になるのかしら?』と思って時計を見てびっくりしました。すでに午前四時だったのです。

 そのときに、二人が何を考えているかが、すべて、わかりました。お嬢さんがかわいそうでした。大きな覚悟を持って乗り込んで来たのです。『セックスしちゃおう。既成事実を作ってしまおう。その後は何とかなるわ』と。だけど、彼女は、その部屋の、(トイレ側の)ドアに素通しのガラスが入っているのを見ただけで、うちの息子が、そのお誘いに乗らないことがわかったのです。トイレに行きたい家族の誰かが、そこを通り、中を覗き込む可能性のある部屋で、二人の最初のセックスができますか? できませんよね。

 ちゃんとした名家のお嬢様です。プライドがあります。だから、『帰るわ』などと、瞬間的にむくれるような反応は見せないで、一晩、約束どおり、我が家で、過ごすことに決めたのでしょう。とっさの判断で、方向転換されたのです。それを息子もわかっていて、できるだけのこととして、会話で、歓待をしていたのです。世間の噂話か、自分の学生生活の思い出話なのか、(二人は高校も大学も別でした)、まるで、普段、妹と交わしている会話のように、楽しそうに、10分ごとに笑い声を上げて、会話を続けていました。でも、二人とも、布団の上で、正座していて、間を、3m以上は縮めなかったはずです。手も握らないし、むろんの事、キスなどするはずも無いです。

 次の日の朝、彼女は私に丁寧に、挨拶をして帰ろうとしました。私はすべてがわかっていても、『朝ごはん食べていって』と、願い、食べていってもらいました。主人と娘が、何をどこまで、わかっていたかは知りません。だが、私とお嬢さんの二人は、心の中の涙を抑えて、最高の誠実さと、優しさをもって、朝ごはんを一緒に食べました。我が家の居間は二階にあって、朝日だけは、美しく差し込むのです。

 その後、簡単に息子が説明をしたところによると、息子一人の双肩では、引き受け切れないほどの重い物が、そのお嬢さんの背中には、乗っているのでした。でも、二人は、きちんと何の問題も無くお別れしましたよ。息子が資産や名声に目が、くらまなかったのはよかったと思います。そして、お嬢様の方も、きっと、お見合い等で、いいお相手が。後日には、見つかっていることでしょう。すでに、結婚をなさっていると思います。

 若い人の恋愛とは、結婚相手を見つけるために、するものなのです。リヴェンジポルノに後日利用されてしまうほどの、セクシュアルな快楽を求めて、するものではないでしょう。それを、口による命令や、教えとしてではなくて、お子さんの内面から、自然に、にじみ出るものとして、子供に教えておかないとだめです。

 そのためには、小さいときから、必要なときに、そばにいないとだめなのです。そして、必要な時がいつであるかは、一緒にいるから、見つけられるのであって、いつも、いつも、外出をしていたら、それは、見つけることができません。

 そして、相手をストーカーにしてしまい、かつ、殺人まで犯させたのは、やはり、沙彩ママと、沙彩パパの態度や考え方の、どこかに、『侮蔑的な言葉をぶつけるなどの、まずい手法が、在った』のだろうと、推察しています。すべての現象に、原因があって、結果があります。

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 この後、とても、重要なことを四千字書いていたのですが、管理者がわが「制限字数を超えている」というので、そちらを、機械的に引っ込めます。激越な批判だけで終わっています。この一文の中だけ読むと、救いが、ありませんが、それは、グーブログさんに、文句を言う以外に、何の、改善のしようも、ありません。お許しくださいませ。

 2013年10月26日ごろ発想を起こし、28日ごろ下稿を書き、31日にアップする。なお、このブログの2010年より数えはじめた伸べ訪問回数は、1863126です。

 

       雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)

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