銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

もし、戦後最大の黒幕が、97歳にして、北久里浜に、住んでいると仮定をすると?

2014-12-21 11:45:31 | 政治

  

 最初に、置いてある写真の説明を、まず、させてくださいませ。これは、富士山も千葉県も、城ケ島も見えるという、美しいマンション群の主棟ですが、本日は、≪この最上階に、もしかしたら、瀬島隆三(日本の黒幕のうちの最も大物だった人物)の遺族が住んでいる? ≫という新しいエピソードをさらします。

 このマンションの一大特徴は、京急北久里浜駅から、一挙に40mは、山の中を、登ってしまう、エレベーターが設置されていることなのです。そして、そのエレベーターの出入り口(上の方)には、美しいロータリーが設営をされています。そして、そこにある日、浦賀警察署の署員を名乗る、運転手が乗っている機動隊用バスが止まっていたのです。

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副題1、『本日の文章を書く前のお断り』

 この文章の中には、一部、リアルではないこと、というか、未証明な部分が含まれております。そこは、ミステリー小説としてお受け止めいただきたいのですが、全体の構想はエンターテインメントではなくて、哲学的な考察に向かっていくはずです。この章では、とくに≪明治維新とは、本当は何だったのか?≫を、問います。

 日本に住む、普通の庶民が幸せに安全に、暮らしていくためには、メディアの報じることを鵜呑みにしていてはだめで、あらゆるニュースについて、どんな、因果関係があり、裏があるのかを、自分で、きちんと、考え直してみることが必要ですが、そのためには、近現代史を正しく把握する必要があります。しかし、近現代史を、正しく、教えられていないという非劇が、現在の日本の若い人にはあります。私たち年代のものも、同じではありますが、それでも、その上の世代から、聞き書きとして、間隔として、把握しているものがあって、だいぶ助かりますが、それが、どんどん薄れているとも思いますので、こういう一文を書く必要があると、自ら、信じているのです。私はそういう人間です。だから、私の書く物は、一見、下世話な、うわさ話とも見えるでしょうが、二日目とか、三日目にご訪問をいただけると、見違える様に内容が変わっている事にも、お気づきになるでしょう? では、取り組んでみます。一部は、20日の時点で書いており、それに、応じて、警察関連のニュースが抜群にたくさん、NHKで、報じられています。私は内心で、なるほどと思いますが、本日は、あっちこっちに寄り道をしつつ、明治維新とは、結局のところ、何だったかについて、考察をしていきたいと、考えております。

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副題2、『浦賀警察署は、なぜ、あんなことをするのでしょうか?』

 、浦賀警察署といっているのは、その機動隊のバスが、いやみにも、エレベーター前で、待っていたことがあって、運転手に、誰何したのですが、 「交通事故の証言を、ここで、待っているんだ」ですって。

 ここで、言うエレベーターとは、『360度眺望の利く』と、惹句のある、ソラヒルズ(またの名を、ルネ北久里浜)という大マンション群のもので、私の物ではありませんが、海抜、5mのところから、40mぐらいの丘の上まで、六階分を一気に上っていくことが可能なもので、丘の上のマンション以外の一戸建ての住民が、月に1500円払えば使用することができます。なぜ、そんなにサービスがよいか? 

 そこに深い理由があるのですが、今日は語りません。杉本副市長夫妻の名前が、前報(後注1)で、出てくるのは、このエレベーターとも関係があり、裏に複雑怪奇な事情が隠されています。

 ともかく、エレベーター前は、静かで、美しい広場(=ロータリー)であって、夏の6時ごろ、通っている人は、私意外に誰もいないのに、機動隊のバス(ただし、通常のものよりも小型である)が待っていて、運転手に「何事があって、ここにいるの?」と、聞くと、≪交通事故がおきているので、その証言者を待っている≫そうです。交通事故がおきたという雰囲気は、あたりには、まったくないのです。

 で、うそであることが、はっきりしています。交通事故を偽装するということは、私が母の見舞いに、東上線常盤台駅に行っていたころ、使われた手口の一つです。

 機動隊のバスを脅かしに使うという手口も、何度も使われています。それは、後段で、丁寧に語ります。ので、北久里浜の丘の上の、富士山さえ見える美しいロータリーに、小型の灰色の機動隊用バスが止まっていても、すぐ『ああ、これは、私を脅かすためにとまっているのですね』と、わかってくるわけです。例の敵さんたちは、浦賀警察署にも協力を依頼して、攻撃をしてきている模様です。北久里浜とは、浦賀警察署の管内みたいです。ふーん?

 ただ、この日(と言っても、二か月ぐらい前の一〇月の事だった)は、この、小型機動隊バスを、誰が、ここにおくように命令したかは、本当に考え込みました。この大マンション群の建っている場所は、元横須賀市の水道山でした。払い下げという形ではなくて、まったくお金を払わないで、益山重夫という元海軍参謀である人物が、自己のものとしてしまい、そこに、元は、おなじく参謀(陸軍)であり、彼の親友だと言った、瀬島隆三が、この土地の一部を、4つの伊藤忠名義の子会社のものとして、大マンションを建てていて、売り出しているのです。私が、今、こうむっている多くの被害は、この瀬島隆三を源泉とするものが多いです。

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副題3、『飯田橋に、最上階を、地主の住まいにしているマンションがあるが? それと同じ形式だろうか?』

 で、その日の私は、目の前に、浦賀警察署の小型機動隊用バスを見ながら、後ろを振り返ってみたのです。

 すると、上の写真より、早い時間帯で、まだ、夕日がさしている時間帯ではなかったせいか、その日、見上げた角度が、適切だったせいか、最上階がちらっとですが、見えたのです。

 驚くべきことに、そこに、各階の、七〇平米ぐらいのマンションとは、まるで、違った様式のお屋敷が設定されている様に見えました。これが、この文章の、ミステリー第一弾です。

 それが、本当にあるか、それとも、私の見間違えだったかがわからないのです。エレベーターは、パスがある人は、利用できますが、案ションの各棟は、セキュリティキーナンバーを知らないと入ることができないので、むろん、私には、最上階を訪問することはできません。また、もし仮に、その棟の中に知り合いがいたとして、その人を訪問をするためにセキュリティロックを解除できたとしても、その最上階のお屋敷には、到達できないでしょう。そのお屋敷は特別な設計になっており、エレベーターも、別のものを利用する仕組みになっていると、感じています。

 ところで、下の階は、70平米の、個別マンションになっていて、南側から見ると、二つの掃き出し窓があるという形式のマンションとは、まるで、違った建築の様式の、地主さんの住宅らしい、様式のマンションが建っているのを見ることがあります。

 飯田橋に旧名を厚生病院という大きな病院があります。今の正式名称は、JCHOですって。大久保通りに面しています。その右わきの道を、ずっと、東北に向かって見渡すと、大きなマンションがあります。110mぐらい先にありますが、たまたま、未知がまっすぐ通っていて見晴るかすことができるのと、少し下り坂になっているので、最上階も見えるのです。下の階が70平米前後だと仮定をすると、その最上階だけは、ルーフバルコニーが、40坪ぐらいで、建坪は、40坪(120平米)ぐらいな、お屋敷と見えます。マンションの冠名は、見事に個人の苗字になっていました。現代風なカタカナ名義ではないのです。

 

 ・・・・・フーン。なるほどねえ。都心、とくに山手線の内側に住んでいて、戦前に買ったと推察される土地の面積が、300坪あれば、現代の大富豪に成れるのだなあ・・・・・と、感心しながら、いつも見ているのですが、その手の大富豪のトップに位置するのが、森コンツェルンの総帥一族です。そして、東京圏の、便利なところには、こういう形式のマンションは多数あるはずです。

 ところで、北久里浜の大マンションの主棟の屋上は、グーグルの地図を見ると、450坪以上はあると思われるので、淵から、5m引き下げて、ルーフバルコニーとしての庭を設定し、さらにその内側に個人の邸宅を立てたとしても、50坪(160平米)程度の邸宅が建設可能です。二階建てではないので、使い勝手がいいし、内装を豪華にすれば、一種の豪邸となります。

 これは、私の徹底的な、推察であって、検証済みの事ではありませんが、もし、そこに、個人の邸宅が建設されていたら、私には深い違和感が残ります。というのも、この土地は、明治以来は、公のものだったはずだからです。それ以前の、江戸時代は、個人としての山林地主がいたかもしれません。そして、1979年までは、横須賀市の水道山として使われていました。だけど、個人の地主は住んでいなかった、山林なのです。不思議な邸宅です。

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副題4、『 私は総タイトルに、戦後最大に黒幕が、97歳にして、ここに住んでいたら?と、書いています。どうして、97歳と書いたかというと、このマンションが竣工したころ、瀬島隆三が、もし、生きていたら、97歳だからです。

 彼は、2007年に、95歳で、亡くなっています。だが、そのニュースを聞いたとたんに、これも井上ひさしと同じく、架空の死であって、本当は死んではいないのではないかと、勘ぐったほどです。

 というのも、2005年ごろ、益山夫人とか、東工大卒の、測量士を名乗る人から、電話で、アタックがありました。益山重夫元海軍参謀夫人が、電話で、どなりつけてきたりしたのです。彼女は戦時中に都立大学(現在名、首都大学)の土木建築学科を卒業した人で、しかもお顔は原節子に似た近代的な美形の人で、たいへん上品な人のはずですが、その時だけは、蓮っ葉な物言いであって、それには仰天をしました。彼女はいわゆる第二回目の、奥様ですが、正妻は、敗戦後、パージに会って、夫に収入のない時代に、米軍のPXなどに勤めていたのでしょう。上流階級の人だから英語ができるからです。で、その結果、米軍将校と恋に落ちて、アメリカへ一緒に行ってしまったと聞いていますので、ご主人に、大変大切にされていた人です。元海軍参謀というのは、戦時中はエリート中のエリートなので、益山家の、第一夫人も、第二夫人も、『わたくし共は、そこらあたりの庶民とは、違います』という雰囲気で暮らしている人でした。そんな人がどなってきたので、本当に驚いたのですが、もう一つ異変がありました。

 やくざみたいな男性が、「北久里浜の家を買いたい」と言って、鎌倉野家の方に乗り込んできたのです。 

 これらの現象はすべて、この大マンション群、旧名ソラヒルズ(現在名ルネ北久里浜)の、工事に着手する見込みが立ったので、もし、工事が始まった際に、土地が、ただで、彼らの手に渡ったことを知っている私が、どういう風に出て来るかを探るためのものだったと、思われます。特に東工大卒の測量士を名乗る男性が、杉本元副市長夫妻の、マイナスポイントと思われることを、私に知っているかと、質問をして来たので、私の方は「知っている」と答えました。

 これも知らせてきた人は、親切からではなくて、多分、私の動きを探るために、杉本夫人から頼まれたのだと推察しています。ここいら篇は、すべて、普通の世界では、友人という人たちなので、人間は、恐ろしいことをするのだと、分かってきていて、だからこそ、私は常に、ナチズムの研究をしていると、皆様に、申しあげているのです。

 この時点では、私はブログを開設しておらず、メルマガだけを持っていた時期です。で、もし、私が今、ここに書いている様なことを、メルマガで書いたと仮定したら、どうなっていたのだろう? とっくに、ライターとしてつぶされていたかな?

 私の出方を見るというために、餌を投げつけてきたのです。しかし、その時は、まだ、パソコンへの破壊が起きていなかったので、私はあらゆる攻撃に対して、鈍感でした。何となく、『例の地籍変更届(それが、土地をただ撮りできる仕組みである)に対して、それを外部へ発表するかどうかについて、餌を投げつけられているとは感じましたが、それで、すぐ、応じて、北久里浜に飛んでいくということはなくて、放っておきました。

 それは、私にとっては、今よりずっと鈍感だったということもあるし、楽天的な、ポジティブ思考の持ち主だということもあるし、希望を持っていて、それを追いかけていたから、犯罪的な行為の告発など、やる時間もないし、やる気持ちもわかないという時期でした。前向き、前向き、一方の人だったのです。大アーチストになろうとしていたので、欲望の、強すぎる人間たちと、戦うのなど、まっぴらごめんでした。

 と事が、ここで、私が何も動かなかったことを、瀬島隆三とか、伊藤玄二郎とか、それらの下に立つ、警察庁の幹部等は、私が、ビビったと、誤解した可能性はあります。それから、別働隊としてのICU出身の攻撃者(ロックフェラー四世と親しくて、ベイカーさんというCIAの各種の、大失敗を、糊塗するために動いている人たち)も、この経緯を伝え聞いていて、私は脅かせば、引くとみている可能性は大きいです。

 しかし、まったく違うのです。私は、彼らとは、思考様式が違うのです。哲学も違います。それで、ビビったりしては居ません。結局は書きます。ただ、書く時は、ずれていますよ。計画的にではなくて、神様が頭に卸してくださる文章の順番というのがあって、それに従っているから、ルネ北久里浜建設の、計画が完了したころ(=2004年ごろだと、推察される)の10年後に、えっちら、おっちらと、当時のことを書き始めているのです。

 それも、もし、北久里浜の家で、Wi-Fiが、きちんと利用できたら、書かないと思いますよ。横須賀中央まで、瑕疵パソコンを借りに行かないので、書かなかったと思います。私は、そういう無駄な時間を使わさせられ、かつ無駄な経費を支払わさせられることに怒っているから、浦賀警察署の小型機動隊バスのことを書き始めるし、

 その時、マンションが建設されて以来、初めて、後ろを、振り返ってみて、屋上に豪華な個人向け邸宅がある可能性を発見したのです。それが、今頃になって、≪杉本副市長夫妻は、とんでもない、看過の罪を、犯しているんだけれど。だから、ルネ北久里浜のエレベーターを、他の住民も使えるのだけれど≫などと、書き始めているゆえんです。

 しかし、いまさら、そういうことを書いたって、何も変化とか、変更は、起こらないのですよ。崩された山は、元には戻りません。それは、鎌倉の方で、崩された我が家の崖が元に復元できないのと同じことです。

 だから、これは、復讐のために書いているわけではなくて、ただ、純粋に、哲学や、社会学、および犯罪学の例題として、書いているのです。私は考えることが大好きだから。

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副題5、『この邸宅に、現在、もし生存中なら、103歳になる、瀬島隆三が、住んでいると仮定をしてみると?』

 ところで、黒幕の瀬島隆三ですが、私は、2007年、9月4日に彼の死が発表をされたころ、初めて外部に、パソコンの被害を語りました。でね、何となくですが、瀬島隆三も、架空の死を演出したのではないかと、考えてもおります。ただし、あまり外部へは、それを言ってはおりません。どうして、それを言わないかというと、wikipedia によると、調布市に住んでいるという彼の、いぶきは、鎌倉には伝わってこないからです。

 一方、鎌倉佐助住まいで、わが家から西方向、600mしか離れていない井上ひさしの、死は、まったく架空のもので、彼は、現在地下潜行をしていて、数々の嘘ニュースの原案を、ひねり出していると、私は見ています。

 でね、その根拠は、副題6で、丁寧に書きますが、ここでは、瀬島隆三が、生きていようが、死んでいようが、このマンションが、計画をされたときは、彼は、まだ、生きていたのです。そして、それは、私が逗子のアトリエに、ひとりで、引きこもっていて、新聞も読まなければ、テレビもあっても見ないと、言う、世間から隔絶した、生活を送っておりました。それは、1999年の年末から2002年の夏ごろまでだったと思います。ただし、それ以降も、夜は寝泊まりする鎌倉の家から、逗子へ昼間(朝の八時には家を出て、夕方の五時まで)は通っておりましたので、世間とは、縁遠い生活を送っておりました。

 だから、その五年間は、瀬島隆三たちにとっては、たいへん、好都合な、年月だったのです。で、懸案の大儲け事業に着手したのでした。ところで、地籍変更届は、広大な土地をタダで、手に入れられるという、とてもずるいやり方ですが、法務局に35年前に行って、質問をしても、≪書類上、瑕疵がなく、整っていれば、それは、罪にはならない≫のだそうです。だから、法的な書類がすべて、丁寧に整っているであろう、ルネ北久里浜が違法な、建物だとは言えないのです。私が、≪そこの住人達は、瑕疵のある物件を買った≫と言っているわけではありません。すべては、哲学と、心理学の問題です。

 ところで、水道山がどうして、個人のものに権利譲渡をされてしまったかですが、益山重夫・夫妻は、この根岸二丁目というところに引っ越してくる前に、水道山の一部に、重機を入れて、宅地造成をしていますが、その際から、計画的に、将来、水道山を、自分のものにするつもりだったのです。で、水道山と、外部の人の間に、5mの高さの木製の塀を作り、また、高く盛り土をした、建売住宅を作って、外部からの目を遮って、その中で森を開墾をして果樹園にしたのでした。しかも、水道山を全部囲むような道路を架空に作り上げ、それを横須賀市に寄付をしたので、山ノ下の地主(個人たち)からは、実印を、地籍変更届に押してもらうのを、忌避することができました。

 考え抜いた仕組みですが、私にはすべて、ばれております。私は子供のころは、神奈川県一頭が良いと言われた人間ですから、私をだまそうとしたり、からかったりするのは無理なのに、すべての人は、自分を基準に考えて、自分を他人より偉いと、思うらしくてね。ボロボロに裏が漏れているのに、漏れていないと、思っているらしいのです。

 神戸の方で、酒鬼薔薇聖斗と、言うペンネームを名乗る、犯罪上は、少年Aと呼ばれる中学生が、土師淳君というお医者さんのお子さんの、首を切り落として、小学校の校門の上に置き、それ以外の遺体を水道山へ遺棄した事件がありました。あれも、とても怪しいです。この北久里浜の水道山に、人が立ち入らない様にするために起こされた事件のような気がします。

 だから、瀬島隆三の、弟子である伊藤玄次郎の言うことなど、絶対に聞いてはいけないのですよ。特に鶴岡八幡宮様の吉田茂穂宮司に申し上げておきたいです。天に叱られますよと。災禍が下り続けますよと。特に、2013年度に起きた、徳山市(現在周南市)の山間で、五人の老人が殺された事件も、酒鬼薔薇事件と似ている様に感じますので、本当に背後関係が恐ろしいのです。

 でもね、人って、不思議なことに、基本を守らないで、人的コネを優先するらしいですね。だから、鶴岡八幡宮様は、依然として、彼らの言うことをお聞きになっているらしいです。

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副題6、『井上ひさしは、まだ、生きていると、私が見る、これだけの証拠類・・・・・まず、死亡日の設定に、意味がある』

 *1)、死亡日が、2010年の4月9日と設定をされている事。

 この2010年は、私にとって、心底嫌なことの続く日々でした。特にexibit Live and Moris というところで、相手側から提案された、個展は、その周辺で、異様なことが乱立する真実嫌な個展でした。異様なことの一つは、瀬木慎一氏から電話や手紙で、恫喝をされていたことなどです。ほかにも準備の日(三日)に電車が、北鎌倉と、大船の間で、1時間半以上、何の車内放送もなく、止まってしまって、オーナーに不義理をするとか、個展の初日に、主人の留守を狙って、10月に行った検診の結果、主人に、癌の恐れがあるとの、連絡が、6か月もの後で、5日の月曜日に、病院からかかってきたので、私の心痛が増した事とか、夜は夜で、小町通りの共同溝工事を利用して、脅かされきるとか。 前年の、2009年は、伊藤玄二郎たちが、勘案したおお相撲壊滅作戦で、私が振り回されきるとかもあって、本当につらい日々でした。

 でね。とうとう、音を上げた私は、鎌倉春秋社に、8日の木曜日に、個展の案内状を届けて、「伊藤玄二郎社長に、ぜひ、この個展に来てください」と、社員に伝言をお願いをしたのです。これは、むろんの事、単純なご招待ではなくて、別の意味があるのです。私と伊藤玄二郎の間には、親密な友好関係は一切ありません。だから、郵送ならともかく、社へ、案内状を持参をして、「来てください」と言うのは、とっぴ以外の何物でもないのですが、別の意味合いがあるのです。

 そして、それは、見事に伊藤玄二郎には、通じて、彼はすぐ、井上ひさしに、電話か、メールで、連絡を取ったのでしょう。で、井上ひさしは、≪自分たちがやっていることが、すべて、ばれていること≫を知りました。で、私の勢いがものすごいので、すぐ、大きく、自分の悪辣さが、拡散することが、推察されたのでしょう。あれは、直感に従って行ったことでしたが、よかったと思っています。あの時、今の様な、文章を書いても、読者の皆様は、ちんぷんかんぷんだったと思います。だけど、小保方ミステリーに対する解釈、笹井芳樹氏が他殺説だという解釈、それから、

 で、以前から、私のパソコンの内容をチェックし、攻撃のアイデアを、出すことには、疲れていて、困っていた彼は、対世間の交渉を絶って、ひたすら、対私への攻撃に専念することとして、麻矢嬢(三女)に、以前から、訓練を施していたので、ここで、死んだことにして、その日付を9日に設定をしたのでした。前夫人との間に、三人のお嬢さんがいます。長女が堅実にこまつ座を運営していたのですが、彼女より、こちらの女性の方が、≪芯が強く、世間ずれをしていて、演技力もあり、タフだろう≫と、父、ひさし氏が見抜いたのです。

 百合夫人との間に生まれた坊ちゃんは、いわゆる本当の上流階級にしたいと思っているでしょうから、表には出しません。テレビに出る人は、まだ、下層階級というか成り上がり中の段階の人であるという、暗黙の社会ルールは彼も熟知していると見えます。

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 ここで、午前二時になりました。で、寝ることといたします。これから先はメモとしておきます。

副題7、『XPサポート終結の、実施日こそ、私へのからかいの極地であった』

ここで、ICU側攻撃者と、鎌倉エージェントの間に、すでに、交流があるのが、確信をされた。ネットカフェなどでは、サポートのないはずの、XPがまだ大量に使われている。

副題8、『麻矢嬢の、発表は、鎌倉に住んでいると、嘘だらけだと、分かってくる。末期の肺がん患者が、歩いて病院に通えるほど、鎌倉市、佐助の坂の上り下りは、たやすくはない』

副題9、『主治医の記者会見の発表もなく、デスマスクも発表をされず、墓の所在地も明らかにはされていない。また、桜桃忌などに、相当する、ファンの集いも、開かれてはいない。不思議なことだ』

副題10、『偲ぶ会では、花を献花する、恒例の儀式がなかった。さすがにそれを、気持ち悪く思う神経はあったと見える』

副題11、『しかし、死の部会では、壇上に400冊の著書を羅列した。自己宣伝の欲求は強く、それが、ありとあらゆるところで、今も噴出している・・・・・みなとみらい線、横浜駅構内連絡通路に、ずらっと、彼の顔だけのポスターが張られていた、神奈川県立文学館の催しのものだが、ほかの作家の時には、そういう例がない』

副題12、『出版物と、テレビ番組が死後も続々、発刊され、企画をされている』

副題13、『彼の発案により、鶴岡八幡宮様が実行をなさったと、思われる、対私つぶしの現象。私の文章に現れた物とか、人とかを、隠したり、つぶしたりしていく現象』

 a) アメリカキササゲの伐採、(間に誰か別の人が入ってはいるが)

 b) 露店商組合が、寄贈したと、思われる、粗末なコンクリート製の、蛇口用柱 (黒御影石の立派なものに改良をされているが、私が最初に書いた文章とは、似ても似つかぬものとなっている)

 ©)上の文章を書いた後で、突然に、鎌倉八幡宮境内では、露天商禁止というニュースがNHKで、放映をされる。で、急に露天商が寄り付かなくなる。特にお正月が寂しくなった。寒川神社等の方がにぎやかである。もちろん、鎌倉には、本格的なレストランが多いので、露天商から、焼きそばや、フランクフルトソーセージを買わないでも、参拝客はおなかは空かない。一方寒川神社には、付近に、レストランが少ない。で、露店がある方が参拝客には、うれしい。

 しかし、真下に、八幡宮様の駐車場がある私としては、そこが、露店商の、ジュラルミン製トラックで、満杯になっていたころが懐かしい。今は、本当に露店の勢いがない。それにつれて、夜集まって来ていた参拝客も、数は減っている。冬の夜の鎌倉を賑わわせていた、若い人たちが、さわぐお正月特有の声が、聞こえなくなっている。

副題14、『私は、クラシック音楽が好きだ。それで、それに関する文章を多数書いている。それで、井上ひさしと、伊藤玄次郎たちは、私が、音に敏感で、それを利用すればノイローゼにさせうると考えている』

 この音に関する事例は、あまたあります。ここでは詳細は語りません。

副題15、『鎌倉防災無線の内容が、井上ひさしを守る方向で、放送されることがある。特に死が発表をされた、2010年4月以降もその傾向が引き続いてある』

副題16、『この山の住人は、20戸もいない。だが、特殊な自然環境(仙境というに等しい)を好んで、教養の高い人が多く住んでいる。特に女性でも四年制の有名大学を卒業している人は多い。それなのに、とてもバカげたこと、とくに幼稚なことをする。

 それが、どうして発生するかというと、想像だが、外で行われる懇談会で、『井上ひさしの発案です』とでも、教えられれば、容易に従う可能性がある。

 私が、その事象の因果関係を丁寧に、文章に書くと、もともとの素質の良い人は、急に≪自分がバカげたことをやってしまった≫ことに気が付く。だが、俗物根性にまみれている人は、≪名声の高い人間が、高等だ≫と信じているので、井上ひさしの方が、えらいのだと信じているので、それが、提案することはどれほど、バカげている事でも、実行をしていしまう。これが、マスメディアの効果であって、洗脳の仕組みでもある。したがって、ナチズムの発生は、ここに端を発する。

副題17、『井上ひさしは、反戦を標榜し、9条の会を、提唱している。しかし、美術9条の会に所属している人たちは、これまた、バカげた方法で、私をいじめて来る。野見山暁ジ、渡辺豊重、一ノ瀬智恵乎、もしかしたら醍醐イサムの態度の急変もそこら辺りに原因があろう。つまり、個人的な復讐の道具として、芸術家を酷使している。それが、最近でも目に余るほど、実行をされている』

副題18、『文化功労者、および、文化勲章の、選任への提唱権を持っている。それで、文化界を支配している。それは、生きているときに遅筆道と称して、俳優や、編集者を苛め抜いた姿勢の延長である。トップエージェントと結びついている今、その表現方法は、どういう手法をとっているかはわからないものに、大きな権力をふるっている』

副題19、『菅原文太への対抗心やら嫉妬心がある。で、菅原文太の追悼番組がテレビ界に登場しない様に、裏から手をまわしている。どうして嫉妬心があるかというと、同郷で、同じ先代一行の出身だからこそ、嫉妬心とか、比較とか、対抗心が生まれている。ここは、おいしい解釈なので、独立させて、一本の章として置きたい』

 ここが、書きかけ中の最先端です。

**************

後段のI

 機動隊のバスが悪用されたほかの例もかたりたい。

副題α、『機動隊用の、グレイのバスが、脅かしと嫌がらせのために、使用をされたのは、今回で、三回目です。

 機動隊のバスが、嫌がらせ(=脅かし)のために停まっているのを見るのは、これで、三回目です。最初は、覚園寺様で、樋口恵子さんの講演会が開かれた日の、帰途、二階堂の、細い路地、を、私の後ろ、7mぐらいのところを音もなくついてくるバスに気が付きました。

@@@@@ここは、書きかけ中の二であって、ここに後で、加筆をします。

**************

後段のII・・・・・ なぜ、警察が、私を追いかけまわすのかの一理由について語りたい・・・・・

副題β、『浦賀警察署が、脅かしてくると、その結果、結局のところは、雪ノ下の猫の話へ戻らないといけなくなる』

 鎌倉雪の下の、北久里浜と同じく、海抜40mは、ある丘の上に、普段の私は住んでいます。そこは、階段でしかあがれないところなので、絶対に、車は入ってきません。ところが、そこにすむ、私の隣の隣の住人である、石川和子さんが、伊藤玄二郎(鎌倉で、出版社をやっている、人物で、完璧にCIA側のエージェントだと推察される人物)の元愛人であると名乗る女性が、わがままの限りを尽くして、警察官に大失敗を起こさせたのですよ。

 彼女は、私の猫を気に入ってしまい、常に、家に上げて、夜になっても返してくれません。それで、トラブルになっていて、私度もでは、それは、普通のことではないが、活発極まりない猫を、家の中に閉じ込めて買っていました。鎌倉の家で、私たち、夫婦は、夏は、クーラーを使いません。大木と崖(=土)に囲まれているので、夏は涼しく、冬は暖かいのです。で、33坪ある家のどこかから、チラッと、出て行ってしまいました。

 猫って、「人間を、家来にする」と、よく言うでしょう。うちの猫にとって、私は友達兼、お母さんですが、石川和子さんは、家来です。しかも、彼女は陶芸教室をやっているので、陶芸教室の生徒さんたちがいて、それが、孫家来です。陪臣というわけです。で、ちやほやされまくるので、それが快感だから、訪問をします。 

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副題γ、『伊藤玄二郎によって、かさ高に、してもらって威張っていた石川和子さんは、私の猫で、自己の優越を、証明しようとしていたのだった』

 あのね、一般的な、近所づきあいのルールがあるとは思います。それを守らない人が、この鎌倉雪ノ下の、小さな谷戸にはいっぱいいます。

@@@@@@ここが、加筆中の三という部分です。後で、リンク先を探し出しておくか、それとも、新しく書き直すかで説明をしますが、大量に加筆する予定です。

 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2650624です。

後柱1

石原都知事及び猪瀬副知事は、誰に何を聞いたから、都立図書館のプラグを閉じたのですか?△

 

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