今、3日(日)の夜九時です。やっと、初稿は、完成しました。加筆は終わりました。誤変換が他生残っていると思いますが、初稿が、完成したというしるしとして、タイトル横に、□印をつけておきます。
副題1、『私の第四幕・・・・・平野忠彦著(世界新報社刊・・・・・が面白くて寝不足になった』
副題2、『マリオ・デル・モナコが出てくるあたりから、一気に引き込まれる』
副題3、『サヴァリッシュとの、交流も、超・素敵な話だった』
副題4、『30秒で、他人を引き込む、持ち歌を持つと、勝負に出られますわよ(笑)』
副題5、『1970年代と、1980年代ごろは、専業主婦社会には、いじめが頻発していた』
副題6、『平野さんは、柔道界の腐敗を、マスコミへの発覚以前に、予知している』
副題7、『荒川静香さんの章など、誰もが、平野さんの考えに、共感をするだろう』
副題8、『税金の使い方が間違っていると、いつもながらに、思うのだけれど・・・・・・ともかく、この本は全国の学校図書館に備え付けるべきだ』
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副題1、『私の第四幕・・・・・平野忠彦著(世界新報社刊・・・・・が面白くて寝不足になった』
本日は、寝不足なので、ブログを書くつもりがなかったのですが、・・・・・・
木曜日の夜は、明け方の五時まで起きていたのです。その前の日に、肉体労働をしなかったせいもあるが、本が面白くて、ずっと読んでいたのでした。二期会トップ、平野忠彦さんのエッセイ集『私の第四幕』(世界日報社)です。
私は音楽は大好きです。ただし、美術の関連のことが忙しくて、日本では音楽会へは、行きません。で、「平野忠彦? who?」っていう感じだったのですが、たまたま、2012年度の文化庁の在外研修生の同窓会に出て、その会の会長が平野忠彦さんであることを知りました。でも、午後の4時半の事務報告の段階から、それに出席していながら、夜の8時ごろまで、まだ、『平野忠彦? who?』だったのですよ。
ところが、平野さんが、一曲お歌いになったとたんに、平野忠彦って、誰であるかを、100%思い出したのでした。
大昔も大昔、ほぼ、50年ぐらい前に、平野さんの第九を聞いていることを。横浜もみじ坂の県立音楽堂で、柴田睦雄さんと、伊藤京子さんも一緒だった記憶があります。楽団のほうはN饗だったと記憶しています。指揮者は森正さんだった(?)でしょう。
当時の県立音楽堂は今のサントリーホールに当たるほど、音響効果がいい事で有名な、一流のホールだったのです。上野の文化会館もまだ開場していませんでしたし。その一流のホールで開かれた一流の演奏会で、弱冠まだ、20代の平野さんはソリストだったのです。
日本では、音楽会へ行かないといっていますが、海外では行きます。特にオペラを見ます。で、この本の中で、メトロポリタンオペラに関する場面、特に、リンカーンセンターの記述などは「そうですね」と思うし、奥様が同じ音楽家なのに、時差の問題で、疲れていて、寝てしまうというのも、私は、版画の重労働を昼間やった後で、見に行くので(トゥランドット2000年)、よく、わかります。(笑) しかし、有名なアリア、『誰も寝ては、ならぬ』が始まると、とたんに、目が覚めたのです。その時には、自分の耳と頭脳の働きに、自分でも、驚き入りました。
また、この本の中で、数箇所にわたって書いてある、<<<切符は、コツをつかめば、意外なほど、手に入りやすい>>>と言うのにも共感します。パリで、バスティーユオペラ(リゴレット1998年)を見たときも、当日の朝買ったし、メトロポリタンオペラも、当日(アイーダ1999年)と、2日前(魔笛2000)と、4日前(トゥランドット2000年)に買ったし、シティオペラ(フィガロの結婚2000年)は、当日に買いましたから。
50年前の平野さんは、非常に背が高くて、しかもとても若いという印象のあった方です。めがねもかけておられましたし。ところが、現在の平野さんは、110キロ(それは、著書の中にある2012年のことですが)、または、ダイエットの結果、100キロ前後(2013年のこと)であって、めがねもかけておられないので、まったく外貌が変わっていて、それで、思い出せなかったのでした。でも、声を聞いたとたんに、思い出しました。平野忠彦が誰であるか?を。
日本のクラシック界の歌手としての第一人者で、バリトンのパートの方です。しかし、私がまったく知らない時間帯で、テレビにもたくさん招かれて出演しておられる事が、この本を読んで初めてわかりました。その大衆的な知名度をあげた代表例としては、ジャングル大帝のテーマソングをお歌いになったそうです。しかし、私は、、そのアニメを、連続しては見ておらず、その有名なテーマソングの歌い手が平野さんであることなどには、一切気がつかず、
そんなものは、全部、すっ飛ばして、ただ、ただ、50年前の、第九を思い出したのでした。その四人のソリストのうち、ほかのメンバーは、一流中の一流の有名人でしたが、平野さんだけは、芸大に在学中か、卒業直後に、当時の、日本の第一人者たちと一緒に、第九をお歌いになっています。それほどの、大、大、talented 歌手なのです。
で、その一年後の2013年、同じ文化庁在研の同窓会の会場(松本楼)に、この本がおいてあったので、買って帰ったのです。それが、10月22日のことで、その後、東京へ行くときに、電車の中で読むという形で、読み進めました。新聞連載らしくて、千字という字数制限があるらしいのです。それで、最初のうちは、物足りないなあと思いながら読んでいたのですよ。だって、私なんて、つまらないことでも、毎回2万字まで、書くわけですからね。(笑)
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副題2、『マリオ・デル・モナコが出てくるあたりから、一気に引き込まれる』
この『私の第四幕』の中には、戦後の、日本のクラシック界の有名人は、ほとんど出てくるのですが、作曲家などは、中田喜直、大中恩、高田三郎しか、私は、知らないのです。それ以外の作曲家の、曲は、音楽界以外に住んでいるものにとっては、ほとんど聞くチャンスがないからです。ところが、サヴァリッシュとか、ヒンデミットとか、ヘルマン・プライとか、フィッシャー・ディスカウなどとなると、レコードとかラジオやテレビで、聴いています。その上、私は親戚が、レコード会社にとつめていたので、セミ・クラシックの試聴盤(レーベルが白いもの)も、いっぱいもらっていたので、ほとんどの登場人物(外人なら)を知っているのです。
特にマリオ・デル・モナコがすばらしいとおっしゃるあたりから、一気に引き込まれました。我が家では、テレビは、1958年に買ったのですが、見ることが、父によって制限をされていました。くだらないし、それでも、時間をとるから見てはだめだということになっていました。が、イタリアオペラの中継だけは、自由に見てよかったのです。ソプラノは、テバルディだったかな? ソプラノの歌手のことは顔しか覚えていないのに、テノールのマリオ・デル・モナコと、メッゾ・ソプラノの、ジュリエッタ・シミオナートは、顔も名前もはっきりと覚えております。平野さんの著書の122頁に、そのジュリエッタ・シミオナートが、後日、(特にバブルが崩壊した後)、ヴェローナの野外劇場の、アイーダ公演に、観客として、来たときに、満員の、お客さんが、出演者ではない、彼女が、席に着くまで、スタンディングオヴェーションで、出迎えたエピソードが、書いてあります。
いい話です。歌手って、人気が無いとだめでしょう。シミオナートは、すでに、そのときは、おばあちゃんになっていて、歌い手としては、引退しているのに、イタリア中、もしくはヨーロッパ中の人から、それほどの、尊敬を受け続けていたのです。素敵な、エピソードで、私は、涙がこぼれそうでした。NHKの招聘のときには、演目のせいか、とてもきつい顔に見えて、『人気があるのかしら?』と、いぶかしく思っていたので、なおさら、この話に感動をしました。
特に最近、イタリアにある、音楽家のための、老人ホームとか、フランスにある芸術家のための老人ホームのドキュメンタリー映像がNHKのBSプレミアムで、放映をされているので、それを見て、感動仕切りだったので、老後の芸術家の姿が、大切にされているのは、うれしいことでした。
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副題3、『サヴァリッシュとの、交流も、超・素敵な話だった』
この本には、140を超えるエピソードが含まれています。で、その中で、三つほど、将来とも、私が忘れないだろうと思う、美しいエピソードがあるのですが、そのうちのひとつが、平野さんとサヴァリッシュとの交流です。サヴァリッシュはN饗の指揮を長らくしていた人ですが、歌も歌えるし、ピアノも弾くことができるのですって。歌のほうは、指揮をしながら魔笛のタミーノのパートを歌ったそうです。たまたま、その役をするシュライヤーが、飛行機が、遅れて練習の時に来ていなかったかららしいでのですが、こういうことができる指揮者は、日本にはいないだろうと、平野さんは、言っています。
しかし、サヴァリッシュは、さらに懐が深いのです。上記とは別の機会ですが、フィッシャー・ディスカウが、来日をしたときに、ピアノ伴奏がサヴァリッシュだったそうですよ。そして、そのディスカウの独唱会の次の日のことでした。今度は、魔笛ではなくて、タンホイザーを、やるのです。それは、練習なので、前日にヘビーデューティを果たしたディスカウは、欠席です。オケも来ていなくて、サヴァリッシュと、平野さんだけの練習です。
そのときに、平野さんが、前の日の、「二人のアンサンブルがすばらしかった」と、言ったそうです。すると、サヴァリッシュが、「昨日のプログラムの中に、お前のレパートリーはあるか」と、質問をしてきたそうです。平野さんは、字数制限があるので、ぶっきらぼうな文体で、ごく、ごく簡単(300字)に書いていらっしゃるけれど、すごい話なのです。僭越ながら、私がそのエピソードを私なりの表現で、書き直させてくださいませ。
前日のリサイタルの曲目って、フーゴー・ヴォルフです。オーストリア人ですがイタリアを、テーマにした有名なセレナーデもあるので、イタリアとドイツと、オーストリアでは有名な作曲家だと思います。だけど、日本ではポピュラーではありません。今、念のために、ググって見たけれど、wikipedia (日本語版)は、たっていません。モーツァルトだと、フィガロのアリアなど、楽譜さえ出ていると思いますよ。ベートーヴェンだって、YU TUBEに、その曲を演奏した映像がいっぱいあります。それに比べれば、圧倒的に、情報量が少ない作曲家です。で、日本国内で、平野さんが、リサイタルをなさるときに演奏曲として、選ぶ類の、曲ではないです。だから、サヴァリッシュが、「おさらいをしてある曲がありますか?」と聞いてきたのは、失礼な質問ではないです。
その上、平野さんは、非常に忙しい人です。あっちこっちから声がかかるし(ミュージカル・アニー・には、ずっと出ていらっしたんですって。私はそれも知らなかったし、帝劇で、幸四郎のラマンチャの男を実際に見てプログラムも買ったはずなのに、平野さんがそこに出演していたとは気がついていませんでした)、今、お正月のNHKのガラ・コンサートに出てくる、音楽一筋に、集中しているまじめな(平野さんは、ご自分と対比してそう語っている)福井敬さんなどとは違って、平野さんは、趣味も、とても、広いのだそうです。
それに、正業のほうでも、国立とか、芸大で、すでに、教えることも始まって、いたと思いますよ。二期会のことも、経営と出演の両方で、大変で、フーゴー・ヴォルフを、歌詞から、メロディから、全部、自信が持てるほど、マスターなさっているとは、私でさえ、想像ができません。で、サヴァリッシュも、それを、想像できなくて、質問をして来たのでしょう。
ここから先は、平野さんのシンプルな文章を再現します。私が紙の活字を拾って、キーボードに打ち込んで見ます。
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ヴォルフの「ねずみ取りの男」を歌えると言ったら、即座にピアノを弾きだし、歌ってみろと言う。夢中で歌ったら、「ブラボー」と言って握手をしてくれた。その時の手のごついこと、握力の強いことに、またビックリ。我が青春の忘れられない一コマであった!!
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その情景は、別にNHKが録画しているわけではありません。だけど、最高に美しい音楽がその部屋に満ちていたでしょう。曲の題名から想像をすると、ヴォルフの曲のメロディは、もしかしたら、美しくないものであったかもしれません。だが、おへやに、満ちていた気配は美しかったのです。言うに言われぬ、感動を受けたエピソードです。サヴァリッシュも偉いけれど、平野忠彦も、それに匹敵する大物で、準備が常にできていることを示す、いいエピソードです。「備えよ、常に」は、あらゆる世界で、通用する教えです。
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副題4、『30秒で、他人を引き込む、持ち歌を持つと、勝負に出られますわよ(笑)』
私が平野さんの事を、50年間も忘れきっていたのは、クラシックの分野の人が、ラマンチャの男に出ているとか、アニメ、ジャングル大帝の主題歌を歌うということが、信じられず、1960年代に、すでに、日本有数のソリストとして、第九を歌った人と、それが、同じ人だとは信じられなかったからです。
この点において、私の方が、固定化した考えを持っていたわけですね。でもね、この本『私の第四楽章』をすべての人が面白いと思われるかどうかは、ある意味で疑問です。私がこの本を面白いと思ったのは、私は素人ながら、非常に深く音楽を勉強した時期があるからです。結構な音楽フリークであり、
すでに、30代にして子供のママ友から、「キャー、川崎さんって、そんな人だったのだ。だから、会長(幼稚園のPTAで)をやっていたのね」と、熱狂をされて、体をさわりまくられるほど、歌で人をひきつける類の能力を持っていたのでした。ただ、素人だから、日本の歌なら歌詞を覚えますが、外国の歌だと歌詞は、覚えません。
あんまり、たくさんの、縛りや義務を自分にかけると、私の場合は歌がつまらないものになってしまうからです。昔、市原市で、今関一馬先生の出版記念会があったことがあって、その大パーティで、琵琶湖周航歌を歌いました。そのとき、どうしてそれを選んだかと言うと、今関先生は画家ですが、東大出身のはずで、お客様が、すべて、そういうランクのしかも、70代の方だったので、その歌を選んだのでした。
しかし、ふつうの場合は、日本の歌は選ばないのです。素人が、皆さん、誰もが知っている歌を歌うとぼろが出やすいですし、単純な歌だと、単純にいい声だという私には、面白みのある歌い方ができないからです。
今年の上半期はあまちゃん、が、大ヒットしたので、そこから敷衍して、小泉今日子と、薬師丸ひろ子の、歌手としての資質の違いを論じていた人が居たけれど、私は薬師丸ひろ子風ですから、複雑なメロディのものを歌わないと、特色が出ないのです。人をひきつけられません。
無論、美空ひばりの歌などアウトです。本当は五輪真弓の歌など大好きです。が、彼女の歌は、音域が低いし、メロディが単純なので、彼女が歌ってこその歌であり、私が歌っても何の魅力も出ないのです。一時期ゴンドラの唄(松井須磨子?)と、襟裳岬(森進一)をマスターしてみようかと努力をしたのですが、これもまた、歌手の持ち味で、持っている歌だから、私が歌ってもだめなのです。
日本の歌で、唯一、人をひきつけられるという自信のある歌は、春日八郎の、『長崎の女』です。これは、歌謡曲にしては、珍しくもハ長調です。その上、一番と二番の間に、女性コーラスが挟まっていて、それが、高い音域なので、そこもいっしょに歌うと、見せ場が作れるという歌です。
ところが、これを、国際基督教大学の友達とか、お茶大の付属高校時代の友達とか、横浜国大付属中時代の友達の前で、歌ったら、これもまたアウトなのです。画家仲間に対してもアウトです。皆プライドが高いので、「歌謡曲なんて、いやだわ」と言う差別意識があるからです。
私は平野さんに対しては、「オーソドックスな、芸大卒のバリトンだから、ミュージカルなんかに出ているはずがない」という偏見でくくっていたわけですが、自分自身は、音楽の分野に対する偏見はないのです。その点ではスノッブ(俗物)ではないのです。
ただ、素人がお唄を人前で歌う場合、自分にどれほどの、時間が与えられているかを、読まないといけません。KYじゃあだめなのです。ぎりぎりのところで、許されるのが、30秒です。そこで、聞いている人が、乗ってくれているなあと、確信をしたら、1分30秒ぐらい歌うのです。で、30秒で、人をひきつけられるのは、外国の曲で、メロディラインが、複雑で、しかも、美しいことが必要です。そのためには、ベートーヴェンの交響曲『田園』なんかがぴったりで、その曲には、相当に長い間お世話になりました。シューベルトの歌曲なんて有名は有名ですが、素人には、唄っては、だめな曲の筆頭です。だけど、同じシューベルトでも、交響曲未完成のモチーフとか、ピアノの、即興曲などは、それを、声で、唄として、歌うと、驚くほど、人をひきつけます。モーツァルトも美しいメロディの宝庫です。しかも、ピアノもない場所で、アカペラで歌うと、確実に、かつ、誰からも、びっくりされて、一目を置かれるようになります。
これは、芸は身を助けるの典型で、海外で、人と仲良くなる手段として、大いに使わせてもらいました。日本だと「えっ」と言う感じで、受け入れられない場合も多いのですが、外国だと、受け入れられやすいマナーのひとつです。
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副題5、『1970年代と、1980年代ごろは、専業主婦社会には、いじめが頻発していた』
でもね、皆様は、「どうして、そんなにお唄にこだわるの?」と、疑問をお持ちになるでしょう。「自己顕示欲が強いですねえ」と、お思いになるでしょう。しかし、これには、いじめ対策と言う側面があったのでした。
1970年代から、1980年代、にかけて、東京の郊外には、大規模住宅地の開発があって、そこで、主婦同士のいじめ問題は、多発していたのです。挙句の果ては殺人事件まで起きています。
どうして、そういうことがおきるかと言うと、日本では、前提として階層がないこととなっています。これは、世界でも、他にないほどの珍しい社会なのです。ヨーロッパなどでは厳然として階級が残っています。中国だって、農村出身の人は都会では戸籍さえ作ることができなくて、子供を学校へ入れることができないのだといわれています。
で、日本に戻れば、明文化された階級がない代わりに、実際には、資産の多寡による階級とか、夫の勤めている会社の大小による階級とか、いろいろ、すでに形成をされているわけですね。最近ではアエラが積極的にそういう問題に取り組むようになっています。また、ブラック企業と言う言葉とか、パワハラと言う言葉が、市民権を得てきていますから、大人の社会でも、いじめが蔓延していることが、社会の共通認識になってきているとは思います、が、私が若いころは、大人の社会には、それがないと、言うことになっていたのです。つまり、建前が通っていたのでした。
でも、新しい地域社会が作られると、そこに、新しい尺度で、新しい階級ができるのです。大体最初の段階では、夫の社会的立場と地位は、賢い主婦は明かさないものなので、それはわかりません。そうなると、目に前で誰にでもそれが見える主婦力と言うものが、階級を作り上げる、原動力となります。社交性が高くて、階層意識も強くて、さらに、他の面で劣等感を持っている主婦が、おばさんパワーを全開すると、容易に、その町内会で、目立つこととなり、町内会長などを務め、やがて、PTAなどでも、存在感を示して会長をやり、その次には、市会議員に出馬するなどと言う上昇の仕組みができてきます。特に当時は四年制の大学へ女性が進学することがまだ少なかったので、本来なら、自分は四年制の大学に進んで、何か、業績を上げているはずだったと思っているような女性が、復活を遂げる道として、主婦力を生かす上昇ルートは、一定の価値もありました。
私はやがて、そういう仕組みの中で、いじめられる方になって行きます。どうしてかと言うと、おばさん力が足りないからです。好意的なほうの友人でさえ、「慇懃無礼な感じがする」とか、「生活臭が全然ない」とか、「白い羊とか、白いウサギを思わせる」と、言ってくれていました。だから、周りのおばさんが、私にとっては、どう、対応していいか、わからないモンスターであって、怖くてたまらなかったのです。
これは、1999年と、2000年に、ニューヨークで日本人の若い女性にいじめられて、仕事がうまくできないので、口げんかをしてみて、瞬間的に、勝ってしまったときから、急速に改善されました。海外で暮らした人は誰でも、それが、よくわかっていますが、そこに先住していた人間が後から来るものに対して威張ることはよくあるのです。
威張りかえっていた彼女らよりも、こっちの方が、ぜんぜん強いことを、ケンカをしてみて初めて発見したのでした。それからは、、あいてが、女性であるかぎり、私は、絶対に負けないのだと、自覚をし始め、したがって、女性を相手なら、誰のことも怖がらない人となったのです。それが、57歳のときで、それ以来、おばさんパワーを、自分も持つようになって、どういう階層の人でも、さばけた会話ができるようになりました。自由自在に誰とでもお付き合いができます。相手に魅力があって、それを、やりたいと思えばの話ですが・・・・
そういう自信を得たうえで、現在、特に日本国内では、争わないように、また、でしゃばらないように、目立たないように普段は、しています。
もし、今でも、いじめてくる人間がいたら、内心で、『あんた馬鹿ね』とか、『未熟ね』と思い、あざ笑って、切って捨てています。でも、それは、71歳になっている段階で言えることであって,30代:とか、40代は、めろめろに弱かったのです。で、よく、いじめられていました。
今、日本社会では、子供が小さい段階でも、働きたいと願うお母さんが多いのも、よくわかります。専業主婦の生活は、それはそれで、また、大変な苦しみもあり、その苦しみは、外には高言しにくいし、したがって、解決しにくいものが多いからです。
で、ともかくの事として、いじめに出会っている人に勧めたいのは、よい気晴らしを見つけることです。私にとって、それが、お唄でした。カラオケがない時代なので、楽譜集を買ってきて、それを見ながら、自己流の伴奏をつけて、歌い続けていったのです。林隆三さんが、同じような手法で、お唄をマスターなさっているそうですが、和音を、C,D,F,Gと、5つぐらいマスターすれば、伴奏は自由自在に作ることができます。いいかげんなやり方ですが、素人が高望みをすることも無いので、声の抑揚の音程が、正しくなるぐらいの伴奏でいいのです。で、ピアノを弾きながら、お唄を歌うことを、一日に三時間程度、取り組みました。
皆様も何か、特技、特に道具が不要で、すぐに、かつ、どこででも、できる特技をマスターなさると、芸は身を助けます。手相の鑑定とか、コインを使ったマジックなんて、勉強すれば、役立つでしょう。私は西洋星占いと、手相は、相当なレベルで、知識を身につけたので、横須賀線や、東海道線などの、旅用の四人がけ席で、仲良くなった未知の主婦達の手相を見てあげたりしています。楽しいことですよ。悪いものが出てきたら告げないようにすればいいのです。
日本人は未知の人に心を開かないところがあるのですが、普段交流がない人ほど、自由自在に付き合える、予想外の楽しさがあります。一期一会と、限定して居ればこそ、よい交流ができる場合が多いのです。
音楽は40代に入ってから止めてしまったのですが、今でも唄がひょいと口の端に出てしまうことがあります。大きな交差点で、周りに人がいっぱいる場所で歌っていても、誰も私の事を振り返りません。怪訝な顔をしないのです。それほど、いい声が出てきます。汚い声が出ていたら、『変なの、この人と思われるでしょう。でも、真に美しい声が出ているときは、『そのまま、聞いていたいなあ』と皆さんが思ってくださるのでしょうね。昔、満員の京急の中で、夜八時ごろ、トスカの中の『恋に生き、歌に生き』が、突然体内から沸き起こってしまって、2分ぐらい歌ったことがあります。そのときに、立錐の余地もないサラリーマン達が、誰も、私を見つめなかったし、誰からも注意を受けなかったのです。疲れている時、高音のソプラノは聴きにくいものだと思います。でも、小言を言われなかったのです。そういうときには、神様が、この身に宿っていてくださると感じます。
で、そういう私が発見したことなのですが、自分には調号として、シャープがついている曲が合うということでした。ハ長調や、ヘ長調の曲には、魅力を感じず、ト長調、ニ長調、イ長調の曲に魅力を感じるのです。これは、体の奥から沸き起こってくる感覚で、不思議なものだと思ったことです。
素人ながら、上に上げたほど、音楽を深く愛して、研究した私にとって、平野さんの本の215頁の「二拍子と三拍子」となどと言うところは、『すごいですね。こういう考察って、人によっては学問の論文に仕立て上げるだろうに、平野さんは、欲がないこと』と思うのでした。
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副題6、『平野さんは、柔道界の腐敗を、マスコミへの発覚以前に、予知している』
しかし、平野さんの考察が誰にでも受け入れられると確信できる部分もあるのです。それは、オリンピックで、柔道が、勝てないことに、たいして、派遣選手の人選に疑問を抱いておられる頁です。243頁。
それは、世界新報に載ったのが、2008年の9月24日ですから、今から5年前ですね。そのときに、すでに、五輪に派遣をされている柔道選手の人選がおかしいということをおっしゃっておられます。今丁寧に、ググって見たところ、当時の柔道連盟会長は、嘉納行光(2代)、と言う人物ですが、上村春樹3代目会長に、派遣人事を左右する力がすでに、あったのかもしれません。それが、どうしようもないほどの、コネ横行となり、弱体化した選手の派遣につながった可能性はあります。それは選手自身が賄賂を出したということよりも柔道連盟の専務理事等が、派閥を、横行させ、その系列の、選手を優先したという可能性があるのです。
柔道連盟の腐敗は、明治大学と、筑波大学の学閥間の争いであったとも言われています。
*****ここから先は、日曜日の朝加筆をし始める部分です。で、加筆が大量になるので、アンダーラインを引くのはいたしません*****
ところで、ここで、私はさらに解明するためにグーグルの検索を始めて、さらに混乱し、考察が難しい分野に入り込み、突然に、睡魔に襲われたのでした。で、土曜日中に完成しておきますという、読者の皆様に対するお約束が果たせないこととなりました。お許しください。
この文章を書き始める15時間前に道路にはみ出しているもみじの枝、直径20cmを、花の栽培に邪魔だからと、高枝きりをしたのですが、それが、地上7mの高さで、しかも電線の上にある枝なので、電線を切らないようにしなければいけないとか、いろいろ、神経を使ったものですから、そこも疲労困憊の原因でした。さらに、寝不足も続いていたので、どっと、疲労が出てきたのです。
子供のころは、木登りなんて絶対にしない、読書ばかりしていた女の子だったのに、最近、肉体を使う労働の楽しさに目覚めています。
そして、それも、この本の面白さに引き込まれた理由のひとつでした。唄を歌うということ自体が、肉体の微妙にして絶妙なコントロールが必要です。そして、立派な肉体に恵まれている平野さんは、ご自身も子供のころから剣道をなさっておられるらしいのですが、男として、肉体が、がっちりと、ぶつかる種目が、お好きなようで、ラグビーやアメフト、そして、柔道もお好きなのでした。お好きだからこそ、外野にいても直感的に、柔道界が、おかしいということに気が付かれたのです。それも、マスコミに、それが暴かれるより五年も前からでした。
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副題7、『荒川静香さんの章など、誰もが、平野さんの考えに、共感をするだろう』
これから、この本をお買いになる方もあるかもしれませんので、あまり、あっちこっちに触れてしまうと、いわゆるねたばれになってしまうので、これ以上は書かない方がいいのですが、スポーツマスコミのばかばかしさについてお書きになっている部分が、あって、そのとおりだなあと思うのです。
政治方面の、記者達もそうですが、スポーツを取材する記者達も判で押したように、同じような書き方で、ニュースを作り上げます。特にオリンピックの前がひどいです。トリノオリンピックの前は、安藤美姫さんに、取材陣がべったりで、彼女がいい成績を取れるかのように、予測をしていました。そういうことは安藤美姫さんにも負担であって、勝てるものも勝てないようにしてしまうでしょう。どうしてもっと、幅の広い大人向けの取材ができないのだろう。あれでは、それこそ、幼児向けのニュースだと思います。
そこを批判をなさっている平野さんに共感至極ですが、たぶん、当時、私もメルマガ内で、それを書いているはずです。だから、日本中のちゃんとした大人たちは、現代のマスコミの姿勢には、満足をしていないと、言うことが確かですね。
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副題8、『税金の使い方が間違っていると、思うのだけれど・・・・・・ともかく、この本は全国の学校図書館に備え付けるべきだ』
私は自分が本を作ります。それで、この『私の第四幕(世界新報社刊)』を、読み終えたときに、これは、二分冊にして再刊されるといいなあと、考えはじめました。
まず、音楽についての章は、その版権を音楽の友社、もしくは、岩波とか、筑摩書房、晶文社、白水書房等に、お譲りになったらいいです。
そして、それらの、会社は、編集時に、すべての章の、音楽会の、実際の日付、講演会場、主なキャスト、スタッフを、明記し、それを、後注として、入れる。また、本文中には、白黒画像でいいから、舞台写真を入れる。
それで、箱入りか、箱入りでなくてもよいからハードカバーにして、全国の図書館、および、学校図書館に、推薦図書として、保存をしてもらうように働きかける。
人手間はかかるし、大衆的なヒットも望めないかもしれないので、編集と製作の段階で国家から補助をもらうようにする。文化庁でもよいし。
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今巨人と、楽天が、最終戦を行っています。それを主人がBS1で見ていました。4回に入る前にニュースが、挿入されました。大島の被害を、救済するために、ボランティアが入っているのだそうですが、その人たちに地元側がトン汁を振舞ったと言うのがニュースでした。たった、2分ぐらいの挿入用ニュースの中に、それが、あったので、ばかばかしくて、またしても大島の町長、川島理史氏への、怒りに震えました。本日のトン汁は、民生委員が、用意したそうです。材料費は、税金ではないのですか?
ともかく、この一件は、莫大に無駄な税金が使われました。そして、何をするにもすぐ、数億円が飛ぶのです。日本人は、どうして、こんなに甘くなってしまったのだろう。お互いのいじめは、ひどくあるのに、テレビカメラの前では、『まるで、善人でございます』と、人々は、言い合い、見せびらかしあい、裏では湯水のごとく税金を使い放題です。
本当は国会財政は赤字であるのに、国債は、無制限に発行をしてよいことになったそうですし、消費税も上げられることになったそうです。国民総白痴化と、言っていた大宅壮一の予言は、すでに、達成しきられてしまっています。大島のご老人を、都内へ移動をさせたお遊びでしかない、避難など、本当に止めてほしいです。そういう方向で、ニュースを作るメディアがどこにもないのでした。
で、挿入から元へ戻ります。
”””””””””””””””
それが、資料として、この本の命を、永らえさせ、日本国民の宝を、一つ、増やすことへつながります。現在の本のままでもいいのですが、再編集されて、そういう資料をそろえれば、これは、得がたい、記録となるでしょう。1950年以降の、日本音楽界の、総まとめとなります。
で、そちらを資料として、独立させる場合、音楽以外の章と、音楽の章の中で、ダブってもいいから、幾章かを使って、その両方で、世界新報社が、より、庶民的な本を作り、よりお安い値段で、売り出されると、いいでしょう。無論字数が減り頁数も減りますので、間に、写真を白黒画像で、入り込ませるのです。
平野さんが、玉三郎が、大変美しかったと、おっしゃっている部分がありますが、そこに、そのときの玉三郎の、舞台写真を入れれば、字数が減っても本は成立します。
まあ、それは私の夢ですが、そういう再出版がなくても、今の本でいいから、全国の、中学校以上の学校図書館には備え付けるべきです。音楽好きな子は、大きな夢を持つでしょう。クラシックの分野の、歌手って、こういうものなのだと、よく、わかるから。それから、ね、地方自治体が、運営している図書館もこれを備え付けるべきですよ。クラシック音楽好きな、定年退職後の人は大勢いると思うし、彼ら、彼女らこそ、図書館を利用する人々だからです。
やっと、書き終えました。疲労していて、疲労していて、完成させるのに、時間が長くかかりました。恐れ入ります。
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なお、このブログの、2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、1868336です。
2013年11月1日の午前二時に書き始め、途中休憩を何度も入れながら、3日の、夜九時にやっと初稿が完成する。 雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)
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