最終日、稀勢の里が、追い詰められているのに、白鵬を右側に投げ捨てました。いやあ、強かったですね。私は最近の相撲には、ほとんど、興味は持っていないものの、2009年の、大相撲八百長疑惑事件と、とばく事件については、相当量の文章を書いて居ます。
私はそれを、大相撲壊滅作戦と呼んでいて、その頃に、伊藤玄二郎と、井上ひさしの共闘作戦が、最高潮だったと、見ています。その二人が、『あいつは、よく日本とか、日本人とか、言う言葉を使う。だから、一種の右翼とみなせるぜ。そういう人間なら、日本文化に対して、攻撃をしておけば、きりきり舞いをして、うつ病になるさ」と、言うアイデアのもとに、突然に、炎上させた、これも、策謀の一つだったと、見ています。
今まで、語らなかった部分ですが、結局は、私を、やっつけて、いじめるために起こされた問題でした。だが、常にそうですが、私は彼らが思う様な方向には動かないのです。彼らが、こういう風になるだろうと、見做している方向へは、絶対に動きません。で、彼等は、想定外のことが起きたので、焦ります。そして、自分たちが、作り上げた、どうでもいいような小さい現象を・・・・・それが、正しい事であった・・・・・と、強調したくなって、さらに、派手に、炎上をさせていくのです。
それは、旭化成建材の、杭うち疑惑事件も同じであり、やまゆり園事件も、同じです。ところで、大相撲壊滅作戦に戻れば、名古屋場所の放映をNHKが取りやめると言ったために、名古屋場所そのものがなくなってしまったあの頃の嫌な問題は、すべて、この鎌倉雪ノ下の、安野夫人から始まっていると言っても、言い過ぎではない程なのです。(後注1)
ところで、後注1を、何故4日もの長さで、公開し続けたかというと、すべての問題に、安野智紗夫人が絡んでいるからです。彼女が初因となって起きている我が家の土地の盗まれた問題を、対世間には、隠して置こうとする方向で、すべてが、計画をされて居るからです。
ところで、今の、NHKって、口を拭うの典型です。そして、あの大相撲壊滅作戦の時に、悪い方向へ、利用され切った内館牧子さんを、稀勢の里の、お祝いのために、又もや持ち出してきました。嫌な方向性と、嫌な話です。国民全体が、そういうNHKを正しいとか、信頼できるメディアだと、みているかどうか? NHKは、お金を出して、審議委員を選んでいるみたいですが、それらの委員とは、いわゆる御用学者の典型だと、思います。まあ、ともかく、あの時代の嫌なムードは、今の、2017年1月24日には、払しょくされている模様ですね。
ところで、その2009年に書いた文章のリンク先を探しているうちに、盗まれた写真のうちの一つを見つけました。それは、戦前の満州で、撮影されたものだから、盗まれると、再現するのが、不可能なものの内の一つです。たまたま、3つだけ、既にスキャンをしてあったものの一つであって、私が小さいころの写真です。一歳だった、1943年の秋に撮影をされて居ると、思います。
相撲と離れますが、この盗まれた写真について語りたいと、思います。電車の中で、「あなたは、ふらんすじんですか?」と言われたことがあるのですが、どうしてか、私は外人みたいに見える時があるそうです。別に目が大きいわけでもないし、奥目でもないのですが、そういう風に見える時があるらしいです。そう言えば、この写真でも、どこか、外人っぽい赤ちゃんですね。この間の同窓会でも、お友達の一人が、「本当に外人みたいだものね。特別に色が白いんだもの」と、言ってくれたので、悪乗りして、「うーん。先祖って日本海側(=萩)に住んでいたからね。江戸時代に、漂流民の血が入ったかもしれない」と言ったのですが、家の言い伝えは、江戸時代(むしろ、鎌倉時代)からしっかりしていて、外人、特にコケイイジャン(白人系)の血が入ったとは、伝わっていません。無論、明治以降は、戸籍が、さらに、しっかりとしているわけですが、外人の血はどこにも入っていません。しかし、萩の祖父から生まれた8人の孫の内、もう一人だけ、非常に色の白い人がいます。だから四分の一は、白いというわけです。不思議だ。でも、74歳にもなると、老人性、しミと言うかなんかであって、さすがの肌の色の、白さも、消え失せています。ので、今では、純粋に日本人足る、黄色い肌になってしまっているのですが・・・・・
これは、大相撲壊滅作戦について、過去ブログ(特に、2009年)の物を探していて偶然に、見つけたのですが、
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副題3、『もう、二枚ほど余計に、盗まれた写真が、スキャンしてあったのを見つけた』
その頃のブログには、サービスのつもりでしょう。毎号、写真が添付されているのです。その中に、偶然、今般(2017年12月28日に、私に貸画廊を開かせないぞという脅かしを目指して)盗まれた一点が、見つかりました。
いやア、ありがたかったです。毎日、ブログを書いて居るので、(いえ、新稿を書かないとしても、推敲するという過程で、物は考え続けています。書くという事は、考えるという事と同義なので) 2009年というと、7年も前なので、何を書いたか、それをどこに書いたかなどは、まったく思い出せないので、日付を追って、一月一日から、全部探っている処なのですが、その過程で、盗まれた絵のうちの一枚が、スキャンしてあったが、みつかったのです。
これは、道具を出してきて、片づける時間も全部入れて、30分程度で、描いた、何の変哲もない絵です。
描かれているものは、食卓の上に在った、青い蓋のついた、食品保存容器と、かぼちゃと、果物と、シャンパンの瓶かな? 白い光の部分は、描いているものではなくて、ガラスに、天井灯が、反映したのだと、思います。
私のブログは、メルマガから始まっていて、メルマガ時代には、主に絵描きさんとか画廊さんを相手に送っていたので、そういう方がご覧になると、「なにこれ? 小学生か、中学生の絵でしょう?」と、言われてしまうと思います。
でもね、そういう風に気楽な絵だし、誰が、見ても、何が描いてあるかがわかるほど、大衆的な絵だから、寒風吹きすさぶ、玄関に飾って、それが、劣化しても構わないという気持ちで、飾っていたのでした。
だから、盗まれても惜しくないと言えば、言えるのです。
しかし、問題は、「貸し画廊を開くつもりです」と、この世で、初めて、お隣の小野寺夫人という女性に言ったとたんの、次の日に、この絵が盗まれて・・・・・という現象があって、それは、徹底的に、政治的な問題だから、大問題として、語り始めているわけです。
そして、盗んだ連中は、それが、もし見つかったら、自分たちの咎になるので、すぐ、焼却したり、シュレッダーにかけたと、思います。これは、紙に、不透明水彩で、描いたものだから、簡単に粉砕できるのです。というわけで、ヒットラー並の、焚書坑儒の対象となったのでした。
ところで、私は、常にヒットラーの研究をしていると、言っています。ご近所の連中、特に、鎌倉エージェントとして、私が呼んでいる連中すべてに、法を守らないところはあるのですが、そのうちで、特に、前田一派と私が呼んでいる連中の、やることなすことは、論理からは、遠いものだし、法治国家の仕組みからも遠いものです。
常に、ヒステリックなやり方で、強者の恣意が通るやり方なので、彼等のやっている事こそ、ヒットラーの手法とそっくりなのですよ。だから、彼等の事を丁寧に、検証し、文章化する事こそ、人間がどういうものであるかの、論文の構成パズルの一つとなるのです。
そういう私の文章をからかうために、
やまゆり園事件という、謀略の、実行者として選ばれた、パペット・植松聖は、そういうポイントで、モノを書けと命令をされて、あの、議長への手紙というのを書きました。しかし、その原案は、例の鎌倉エージェントが書いたと、見ています。しょうねんAの、告白書、絶歌(太田出版)も、井上ひさしが、書いたと、見ています。彼は、公的には自分を死んだことにしていますが、実際には、まだ生きていますよ。地下潜行をして、私を監視したり、原案が見つかった彼自身の初稿を、自ら手を入れて、再出版にもって行ったり、その他種々の動きをしている事でしょう。
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副題4、『私に貸し画廊を開かせないなどとは、どこの誰に、そういう事を言う権利があるのだ? 徹底的にこの件は、追及しないといけない。というのも、我が家から、一軒間をおいて、春秋窯がある。そこには、木曜日と、土曜日に、お客が来ていた。今も来ているのかもしれない。主宰者石川和子さんは死んだが、鎌倉春秋窯のホーム頁は生きていて、常に、生徒募集をしている。しかも、私が引っ越してくる前から、築窯をされて居て、お客は、30年間に、わたって、来ていて、ぺちゃくちゃしゃべっていた。そういう事だった。おしゃべりを活発にしながら、粘土をこねていたのだった。しかも、工房は、サバラック仕立てであって、アルミサッシの窓で、密閉化されてはいないので、話声は、常に大きく外に漏れている。
一方で、私が開く予定の、貸画廊とは、大声で、おしゃべりをする場所ではない。
春秋窯でおしゃべりしている内容を私が知っている理由は、私の猫をしょっちゅう取り込んで、返してくれないので、私は猫を呼びに行く必要があって、そちらに向かうのだが、失礼なことに、待たされるからだった。その待たされている間に、お客さんたちの会話を自然に聞く必要が出来(しゅったい)する。まあ、そういう単純な会話だから、おけいこ事が、お客側にとって、長続きするのだろうけれど、もう本当にくだらない内容だった。柳沢昇がしゃべっているのを聞くと、特にそう思う。石川和子さんというのは、口下手であって、相槌程度しか打たない人間だったが。
ただ、伊藤玄二郎が、あれこれ、支援をしているらしくて、突発的に、お客が増えることがある。しかし、永続はしないみたいだが、突発的に、何人ものお客が石段を上がって来る時がある。そして、それらの、一時的な参加者なども、また、石段で、きゃあ、きゃあ、騒ぐ。特に若い人は、自分が鎌倉の、いいところで、とくべつ上等な、事をしたのだと、思い込んで、はしゃいで、騒いでいた。
テレビ東京の、ドリームハウスという特番に、登場した北側の石井秀樹・あづさ邸にも、それが、建築家・石井秀樹氏のデザイン能力を示す、一種の見本品だから、しょっちゅうお客さんが来る。それは、コンセプトとしては、貸し画廊と、同じことである。
貸し画廊にしますと、この世で初めて小野寺夫人に言ったとたんに、絵が盗まれて、・・・・・もし、貸画廊を開いたら、預けられた他人の絵が、盗まれる可能性を、示唆される・・・・・という形での、・・・・・やるなよ・・・・・・と、言う脅かしがあったという事を絶対に、大きな声で、発表をしておかないといけないのだ。
しかも、昨日、2017年1月23日(月)の、夜に、白井・小野寺夫妻は、また、また、非常に嫌なことをやってきたのだった。それは、また、別の日に小野寺夫人を主役にした、章を書いて詳述するつもりだが、
本日は、銀座でも、また、「いじめる方向へ、移動しましょうよ」という命令が、行われたらしいし。
ともかく、この絵が盗まれたという件は、絶対に中断をしてはいけない論点なだが、
時々は、頭の中に、違うテーマも浮かぶ。たとえば、
*1)、歌舞伎の演目について書きたいとか、
*2)、現在の日本では、6人に一人の子供が、貧しい環境に置かれているらしいのだが、それは、何故なのだ?とか、
そっちの方が、読者が獲得できそうだなあと、言うテーマは、数々あるわけだ。損得の側面からだけ考えると、他のテーマへ、論点を移動させた方が得かもしれない。
と、以上、副題内によく使っている・非会話体・で書きました。が、以下から、会話体に戻します。
しかし、本日、稀勢の里と、琴奨菊を比較したいと思って、・・・・・そうですね。それは、貸画廊を開かせないぞという悪魔の暗喩的な攻撃というテーマからは、外れていくわけですが・・・・・まあ、別に損得を考えて、それに、移行をしようとしたわけではなくて、琴奨菊の結婚に対して、昔から、疑問があるから書きたいのです。しかも、私が琴奨菊について考えていることは、例の、講談社の、編集次長の、妻殺し容疑と、関係があるので・・・・・つまり、男にとって、本当にありがたい妻とは何なのだと、言う論点で、語る前報(後注1)と、継続していくので、損得を超えた、書きたいことでもあったのですが・・・・・
しかし、それに入る前に、絶対に語るべきこととして、2009年の、大相撲壊滅作戦のごたごたを、ここで、検証しておこうと思って、2009年のブログを、検討していると、上の果物とかぼちゃの絵を見つけたのでした。
私は、これを神様のお指図だと、おもっております。「移動をしちゃあだめですよ。この問題を追い続けなさい」と言われたと、思います。無論、歌舞伎についても書きたいですよ。
23日に国立劇場で、母・藤純子と、娘・寺島しのぶが、一緒に立ち話をしているのを見た事だとか、寺島しのぶの坊ちゃんと、亀三郎の坊ちゃんが、五月に光が当たる話だとか。いろいろ、語りたいこともあります。
だけど、「盗まれた絵に戻りなさいよ」と、神様から、言われまたらしいです。特に23日に発見をした小野寺夫人を代表として、またまた、策略・陰謀の世界が、再開されている模様でも、「信念を失わない様にね。正しい方が、あなたなのですから」と、神様が、叱咤激励をしてくださっていると、感じています。
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副題5、『この子供っぽい、(いわゆるプリミティブな)絵が、愛しいのは、是こそ、一の瀬 智恵乎さんと、正反対の生活を送っていた頃、突発的に描いた絵だったからだ』
このカボチャが、描いてある絵は、現代アート系の作家としては、表に出してはいけない絵の類の一つです。何の工夫もないからです。コンセプトも何もない絵だからです。色も、無彩色に統一して描いたとか、そういう工夫も一切ありません。見えたとおりに描いているだけです。
しいて言えば、背景が、実際には、こうではなくて、カーテンなのですが、一色に単純化してあるところと、その背景用に、選んだ色が混色で、できたグレージュという、中間色だという点が、絵になって居る部分哉と、言える絵です。
しかし、この時点で、神奈川女流展にすでに出品をしていたし、銀座でも1981年に、個展をしていた人間としては、表に出すのが、恥ずかしいほどに、原始的な絵なのです。ただ、力強さとか、一気呵成の、勢いはありますが、このブログの世界で、公開するべき絵ではないです。普通なら、見つかったとしても、秘めて置くはずの絵です。
しかし、これは、絵を描きたいと、思う、気持ちがほとばしる様に出てきた或る夜に、食卓で、30分程度かけて描いた絵だから、いとしいのです。
その頃、鎌倉へ、引っ越してくる直前まで、日産自動車の、材料研究所で、NOガス(一酸化窒素ガス・・・・・ノックスガス)の除去の研究をしていた主人は、突然に、松坂のセントラル硝子への出向を命じられます。
今、思うと、是も又、瀬島隆三たちの策略だったと、思います。主人が不在なので、弱体化している我が家に対して、崖を無断で、切り崩すなどという、恐るべき、事を中谷共二さんが平気でやったころだったからです。
ついでに言えば、日産自動車に、ゴーン社長が乗り込んできて、日本人だと、考えられないぐらいの高給を、得始めているのも、すべて、瀬島龍三の、発案でしょう。そして、今これを書いている最中に、パソコンのシステム異常が激しく起きているので、真実だと、思います。
瀬島龍三は、すでに死んでいますが、ほかの人間がCIA要員として、彼の望む方向で、破壊工作をしてくるのです。真夜中でも、このブログを丁寧に読んでいて、しかも、簡単に、システム異常を起こすことのできるサプリを与えられている、人物が、世界中に、20人は居るからです。
ところで、この1980年代の、頃、私は発表する為の絵を描いていませんでした。二人いる子供が中学生やら、高校生だったので、神経を使う必要があったのです。で、やることといったら、読書だけでした。一日に一冊は読んだと、思います。ブックオフもない時代なので、図書館の本を借りて読みました。この1980年代に蔵書と、なされて居た鎌倉市立中央図書館の、ノンフィクション部門の本は、すべて、読んだと、記憶しています。現代日本の小説を含む、娯楽部門には、興味がなかったのですけれどね。
しかし、子供たちも自室に引き上げている、夜の九時過ぎに、親もテレビなど見ないわけですね。そして夫もいないわけです。いや、2009年以来、ニュースを丁寧に追跡する様になったのですが、それ以前は、私は、テレビは見ない主義だったので、この家の中は、いつも、しーんとしていたのです。で、ふと絵でも描こうかとなったわけで、その結果が、上にあげた、かぼちゃの絵だったのです。
ところで、わが家内が、昼も夜もしーんとしていた話に戻ります。主人もいないのだから、学校から子供が帰宅をした時と、食事時ぐらいしか、子供とも会話をしませんね。
だからこそ、井戸端会議の内容が、全部聞こえてしまっていて、私は不参加ながら、このやまの人達の、特に1980年代に、40代だった人たちの、プライバシーはほとんど知ってしまったというぐらいです。その当時に、すでに、60歳を超えている人たちは、参加しませんでしたが、安野夫人の毒牙からは、面責をされて居ました。
ギリシャのエフェソスで、円形劇場に入ったことがあります。はるか眼下の舞台で、観光客が、かしわ手を打つと、2000人が入る劇場の最上階に居ても、それが聞こえてくるのです。マイクもスピーカーもなしで、それが可能です。この鎌倉の雪の下では、そのエフェソスと同じ地形をしていて、しかも舞台に当たる処で、井戸端会議が開かれていて、そこと、私が椅子に腰かけているところは、10mも離れていないのですから、聞こえてくること、聞こえてくること大迷惑でした。
我が家の土地がぬすまれた件で、主要な活躍(?)をした藤本夫人は、たった、5mの距離だから、相当に、嫌な思いをしたと思います。
私は、その頃、読書と、家事だけをしていたのでした。というのもこの時期は、こどもが大人へ転換する時期であって、怒ったりすることが命令形ではやってはいけない時期なのですね。それで、親の方は、ひたすら、待っていないといけないのです。よく、親子の間で、事件が起きるが、それは、親の方が、待たないからだと、思います。そして、今まで通りに命令しようとします。それは、駄目なんです。
その転換点では、ひたすら、親の方は待つだけなのです。それって苦しいですよ。だから、女性が外へ出たがるという趣もあるでしょう。だけど、ともかく、忍耐をすべき時期があるのです。その時に、絵描きとして、「今年の10月に、個展をしましょう」などという予定を入れると、自分も焦ったり混乱したりしますが、母親が焦っていたりすると、家庭は崩壊します。で、絵を描くと、自然に、個展をしようとか、なって行くわけですから、油絵の道具は、総べてしまった、10年間なのです。いや、昼間に、ちょっとだけは、描いていて、神奈川女流展には出していましたが、それは、全力投球とは程遠いものでした。
そういう我慢しきった時節の夜に、ふとたまらなくなって、食卓の上のものを写生したのです。簡単に描ける不透明水彩でです。そういうほとばしりを、思い出す絵であって、やはり、自分は画家なのだと、自覚をさせてくれた絵なのでした。だから愛しいのです。
一方で、一ノ瀬智恵子さんは、画家としての自分を休んでいません。でも、母である領分を忘れなかったら、いいのですが、横須賀線車中で、・・・・・彼女は全く母親ではないのだ。精神が違う・・・・・と、言う事を発見してしまった私にとっては、あの事件は、10年ぐらい前から、予測の範囲にあったのです。ただね。ニュースになるとまでは、思いませんでしたよ。
ニュースにはならないで、ただ、家庭内の悩みとして、彼女自身が苦しむだろうと、思っていました。そのくらいの予防措置と、マネージングはしているだろうと思っていたのに、警察に訴えたその日さえ、一ノ瀬さんの方が外出しています。これは、母親とは、何なのだという事が、まったくわかっていない人間の特徴です。ニュースを見て居たら、ストーカー被害は、警察にもっていった人に得に起きていることを、知らないといけません。
で、母親としての、任務が切迫しているときは、絵など捨てないといけません。お嬢さんが16歳にして、既に男性と性的な関係を持っていて、しかも相手の男性を、自分が、許容できないのなら、ひたすら、お嬢さんを育てなおすという事に立ち向かわないといけないのです。
自分の方が絵描きであることを優先するのなら、池永チャールストーマスとの間柄を、許容するしかなかったのです。
別に絵描きとして、彼女が銀座では、優遇をされて居るから、それに、嫉妬して、こう、言っているわけではないのですよ。そうじゃあなくて、彼女がお葬式で泣いていたと、聞いたから、ますます、怒りが沸騰するのです。『いまさら泣いたって、しょうがないじゃあないですか。もっと前に、するべきことがあったのですよ』と、思うから、イライラしてしまうのです。(後注2)
@@@@@@これが、書きかけ中の最先端です。以下はメモです。
下の絵は、フェイクです。元の絵を描いた、父自身による、戦後、再現されたフェイク(にせもの)です。しかも、父の絵を雑誌の表紙に使ってくださった方があって、私がその印刷物から、スキャンした、三重に間接的なものです。盗まれた新聞記事に写っていたのは、大同の、石窟仏です。是とは違うテーマのものです。
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