今、思うと、1999年、パソコンを使い始めてから、すぐに、敵の攻撃は始まっていたのです。が、2002年ごろまでは、私は敵の攻撃には気がつきませんでした。2006年ごろも、月刊ギャラリーの連載が好評で、希望に燃えていました。ところが、その次の年2007年に、その連載が終わったとたんに、突然に毎日という頻度で、パソコンがめちゃくちゃに、なり始めました。そこで、連載がおわったからこそ『ここで、一気に彼女をぶっ潰してしまおう。これ以上大きくなったら大変だ』という意思を持った人間がいるのだろう、そういう手合いがこれをやっているのだろうと推察しました。
そのころの敵は、ずるいもずるいことに、まるで、直前まで関係のあった月刊ギャラリーの編集長がやっているかのごとく、偽装をしていました。そこらから来たビジネスメールが、背景をピンクに色を変えて頁設定も変えて、デスクトップにワード文書として浮かび上がったりして、『どうしてこういう作業ができるのだろう』と不思議でなりませんでした。が、あまりにも巧妙な偽装をされていたので、2007年の4月から12月までの八か月間は、だまされ続けていたのです。
ここで、今は秘めたい秘話はいっぱいありますが・・・・・それを書いていたら、一万字制限に触れることになるはずですから、今は書きません。
ただ、一方では『これは、作業としては、個人ではできない業だ。特に、一人が突出していて超がつくほど忙しい、あの編集長にはできない。だって24時間体制で監視されているもの』と思いましたから、怪訝であり、大組織の関与ももちろん、平行して疑っていたのです。で、2007年の12月26日に横浜東口にあるポパイというネットカフェで、マイクロソフト社のワードを使っていたときに、フリーズを激しくしますので、『これはおかしい。これは、CIAが後ろにいますね』と感じたのです。
フリーズは2000年ごろに一時期繰り返して、起きていた現象で、そのころ重い腱鞘炎に罹ったので、キーボードの打ち方を変えて、前よりも遅くしていました。ので、その日のフリーズの連続がおかしいということにはすぐ気がついたのです。
今では、CIAというより、それこそ、警察組織ではないかと考えています。どうして、警察がこんなことをするかというポイントについては、長らく書いてきました。が、最初期には、不審で、不審で信じがたい思いでした。
でも、異変に気がついてから、3年半以上たった今では、警察が、ハッキングをしていたのは、確かだと考えています。また、泥棒も入ってきていたのですが、それも、一部は警察だったと思います。これも日経新聞のコラムを読んでいて『そうだろうね』との推察にいたりました。
警察の部下が上司の命令で、ある家に入ったら、「すごい台数のパソコンがあって、驚いた」と、上司に報告をするという記述がまずあります。それって我が家のことみたいだなと思います。だって、敵がいて、パソコンが壊されて行くから仕方がなくて、数台、常時準備してあります。で、部下に、警察の上司が、『ACアダプターの数だけ、パソコンがあると思わないといけない。だから、二つの同じACアダプターがあれば、同じ機種が二台あるのだ』と説明をしたという記述がありました。ちょうど、そのころ、私は外出時に持ち歩く、バックパックの中に常に東芝の薄型パソコンのACアダプターを、一個入れていました。その機種こそ、二台持っていて、バッテリーだけ2本、外へ、もって出る生活を続けていました。そのACアダプターが一個、行方不明になり、主人に『おかしいわ。泥棒が入った』と、訴えたら、数日後に「お前が間違っている。廊下にあったよ」と見つけてくれたことがありました。
あのころは、今思えば、逆説的ですが、のどかでしたね。泥棒たちは、場合によっては、盗んだものを、返してくれたものです。室内盗聴をされていますので、夫婦喧嘩をすれば、そのときに、『夫が疑問に思うと、かえってマイナスだ。この泥棒は、ひとえに、彼女をノイローゼにすることが目的だから、夫が彼女の味方をしたら、元も子もないではないか。ここでは返した方がよい』と判断したのだと思います。がそれ以降は、返されないものも、あります。そして、何回も盗まれ続けています。
非常に神経を使う生活を、強いられています。八幡宮さまの選択の失敗を年始の初詣が始まる前に書くのは、偶然とはいえ、意地悪みたいで気が引けますが、私の方の被害があまりにも大きいので、こうするほかはないのです。そして、日本のほかの分野の指導者にもご注意申し上げたい。今は橋本聖子さんです。「あなたは、ちょっと危ない選択をしていませんか? 悪い教唆にのせられていませんか?」と。
でも、パンツを引き出しから、別の引き出しへ移動したのが、警察だったとは信じがたいです。それから、額を必ず、左だけ、三センチ下げて帰る泥棒も、それが、警察だったとは、信じがたいです。以前は我が家内全部の額、数十枚を、すべて左側だけを下げて、泥棒が、帰りましたが、今では、私の寝室のものだけを、左側三センチだけ、斜めに下げて帰りますが、それも警察がやっているのだろうか? 不思議ですよね。まったく不思議ですが、警察のキャンペーンが、井上ひさしと、密接に結びついているのも、鎌倉防犯協会の放送で知っているので、この線の疑惑が捨てられないのです。
でも無辜の人間たる私へ、パトカーを待機させたりして脅かすのは、納得ができないので、理由を考察し続けます。すると、諸般の事情の最初から考えて、『あ、そうか、伊藤玄二郎と、井上ひさしが協力して、アイデアを出し、それを、警察へ上奏しているのだ。でも、それを警察がすぐ鵜呑みにするのはなぜだ?』となります。で、思考を重ねているうちに、彼ら二人が、国際的軍産共同体の重要なエージェント化していることに、結論がいたったのです。もちろん、全部の異常現象のアイデアを出しているわけではないでしょうが、そのうちの、30%は、彼ら二人がアイデアを出しています。
一回、NHKのクローズアップ現代が、利用されていて、それで、一種の傍証になっていると書きましたが、もうひとつ傍証があって、それは、鎌倉駅裏にある、湘南信金がしょっちゅう利用をされることです。湘南信金は、私が普段使いをする銀行で、本を作っていた最初期は、ほかに使うお金を倹約しようとしていて、外出する日は、一回に、必ず4000円をそこから下ろす生活を続けたので、家を出たとたんに、そこへ寄ることが敵方に把握をされていたからです。
ただし、湘南信金さんが莫大なケースで、利用をされていると書いても、そちらの銀行さんが、直接被害を与えてくるわけではなくて、そこが場所的に利用をされるのです。先週もALSOKの現金回収マンが、所在投げに遊びながら待っていて、私が通り過ぎると、所定の仕事を始めましたので、『あ、また、ばかばかしいアイデア、つまり、ガードマン嫌いの、私にこの二人の屈強な大男を見せることによって、また、お前がどこにいるかを、われわれは常に把握をしているのだぞと脅迫をしたいわけでしょう』と推察しました。もちろん、こちらはすでに慣れっこになっていて、笑っているのですが。もっといやみな経験があって、それ以来、井上ひさしの、この件への深い貢献(?)というか、関与を確信したのです。
それは、パソコンのGPS機能を利用して、私が、そこへ、何時何分に、達するかを計っていて、それを狙ってデモ隊を、そこへ向けて歩かせたのでした。それは、このブログ内で、集団訴訟について、『忌まわしい』と書いていて、『その裏に、共産党が動いているはずだ』と書いた日々だったので、『デモ隊まで使って、私を脅かしたい』と井上ひさしは思ったのでしょう。私はその結論を内部に秘めたまま、デモ隊の一人に、あなたはどこからいらっしゃったの?と聞くと、千葉ですって。本当かなあ。午前11時半ごろだったと覚えていますが、千葉から歩き始めて、鎌倉へ午前11時半に到着するって無理でしょう。時間的に合わないです。おかしな策動です。だけど、動員される人たちはたまらないですね。
仮に、万が一、本当のデモ隊だったとして、どうして、より多くの人が群れている表駅側で、示威行動をしないのかが不思議です。もちろん、湘南信金の前で、私を脅かすことが目的だから、裏駅でデモをしているのです。暑いさなかそのために動因をされている人たちの気の毒なこと。青白い顔をして不幸せそうでした。
で、次の異常現象、2007年の12月末に横浜のネットカフェで、マイクロソフトが動かなくなった日に戻ります。この日に、初めて、伊藤玄二郎とその仲良し組みの井上ひさしが、国際的軍産共同体の高度なエージェントになっているのだということに気がつきました。で、表向きでは、単なる一個人にしか過ぎない二人を強力に支援する形で、警察が動く。また、さらに『ということは、日本の警察というのは、国際的軍産共同体の支配下にあるのですね』と感じたのです。
マイクロソフト社がアメリカの会社だからです。で、瀬島隆三氏の関与にも思い至りました。ここで、急に最近、このブログの世界へ入ってこられた方には、後で、トラックバックか、カレンダーで瀬島隆三氏と私との関係について、詳細に書いた過去ブログの日付を入れておきます。が、今は、これからの新しい文を書くことに専念をさせてくださいませ。
その後、敵様に向かって言えば、『この日がメルクマールでしたね』というほど、ばかげた、かつ目覚しくも演出の加わった攻撃を受けた日があって、より深い真相に近づいていったわけです。
2008年の3月31日は、丸の内の中央郵便局を舞台として、一幕の芝居と言ってもよいほどの演出に見舞われました。(それは、後で、詳細に書きます)次の日の朝、6時、誰もいないし、車も通っていない京橋の集英社前に、パトカーが二台とまっていたのを見て、さらに真相に近づきました。
つまり、伊藤玄二郎氏は、私に対して、あまりにも大きく失敗を重ねました。
普通なら正当な謝罪という形で収めるのが、妥当な線でしょう。が、まったく反対に進み、脅迫し、いじめ、ノイローゼにして自滅をさせようという作戦に出てきたのです。
それが、私が何も悪いことをしていないのに、パトカー待ち伏せされたり、パソコンの異常な動きが次から次へと起こることに表現をされました。ノート型パソコンを閉じてお買い物に行ったのに、一時間後帰ってくると、3ミリぐらいふたが開いていて、光が漏れていて、私がもっとも危険だと考えている、自分の未発表の小説が、画面にひろがっているなどということが、頻繁にくりかえされました。今なら裏側が、技術的にも、政治学上にも、すべて解明をされているので、なんでもないのですが、三年前には、相当にこたえました。
これは、最初期の猫騒動で、警察が大失敗しているのを、警察が謝りたくなかったから、こういうやり方で逃げようと考えたし、また逃げ切れるはずだと、考えたから、ハッキングもしてきたと、私は考えます。また、警察の大失敗を誘う、きっかけとなった石川和子女史が、伊藤玄二郎氏の元愛人であったということも、大きいでしょう。今では関東学院大学の教授までに上り詰めている伊藤玄二郎氏は、愛人がいたということは、隠したいわけでしょう。だって関東学院って、ミッション系の大学ですよね。キリスト教では愛人はごはっとなはずです。それに女子学生も多いし。そりゃあ、イメージダウンもはなはだしいです。それで、両者の願いが一致したので、警察が伊藤伊藤玄二郎の、思いのままに動いたということをあらわしています。
そして、警察庁のこの件の担当者は非常に幼稚です。で、幼稚極まりない発想で、尻尾が見える形で、脅かしてくるものですから、おかしくて笑っちゃうぐらいであり、
次から次へと、
私が、そのいきさつをエッセイに書きます。
で、それが相手にとっては、追い詰められるということになっているみたいで→
→それは、鎌倉春秋社の重要にして、筆頭編集者らしい田中愛子女史は、面と向かって私にそういいました。この人は、その盛名を、『天国の本屋』の大ヒット(これこそ、作られたニュースの典型だと感じていますが)関連で世にとどろき渡っている人ですが、何度、出会い会話を交わしても、女であることは感じるが、ビジネスレディとしての面影を感じたことのない人です。
たとえば、最初の出会いで、彼女はぶんむくれて、「川崎(雨宮の本名)さん、150万円しか出さないのなら、50部しかできませんよ」とどなったのです。まあ、オンデマンド方式で、こちょコチョコ、小部数ずつ作ると、一冊三千円ぐらいかかります。ので、それもいえるかもしれませんが、その後、六冊の本をオフセット印刷(?????、いえ、ただ、普通の方式で印刷製本し本をて作るやり方のことですが、)で作った私の経験からすると、一冊の本は、専門家、特に連続して注文を出す会社から、印刷所へデータが向かえば、2000部、50万円からできます。
ここで、挿入と成りますが、私は、もちろん、もっとお金をかけています。本の郵送費やら、ソフトを買うこと、パソコンに障害が起きるので、自宅でできない仕事が多いから、ネットカフェやら、喫茶店を多用する・・・・等々の費用をすべて合わせれば、優に一種類の本に百万円以上はかけています。
特に自らを専業主婦から実質的なライターへと変化させる基盤となった海外修行の費用を入れれば、元手は一冊3000円ぐらいは優にかかっていますね。だから、確かに高い本にはなっている。だけど、本を作る際に、業者としての相手に払うお金は、それほどではありません。私以外でも、ちょっと、物事をわかっている人間だと、だいたい、150万円でできるといわれています。鎌倉春秋社とか、幻冬社インターナショナル等は、一頁一万円と公称していますが、いろいろなルートを通じて、出版界にコネがあれば、一種類の本が2000部、100万円で作ってもらえるのは、常識です。
で、10年以上前に、田中愛子女史に提案をした文章だけの本は実質の費用が、50万円でできる類の本だったのです。内々の私の気持ちとしては、『御社に、50万円は、表向きの利益として差し上げます。だけど、一般の人とは違って、表紙も中身(頁デザインのこと)もデザインまではすべて、私側でいたしますので、お宅が払うのは、印刷と製本代だけでいいわけで、しかも、500部で結構ですといっているのですから、お宅の実質的な利益は、100万円になるわけですから、おんの字ではないですか』と、いいたいわけですが、初対面なので、礼節を尽くして丁寧に、かつ冷静に、説明をしているのに、まったくヒステリックな怒鳴り返されるという対応を受けたので、ただ、ただ、あっけにとられて、引き下がってきました。
しかし、納得がしがたいわけです。その後、多分井上ひさしと誰かが組んで覆面作家として書いた『天国の本屋』の成功(?????)で、毎日新聞社の佐藤由紀記者のインタビューを彼女は受けていますが、そのときの応対やら、会話が、こういうヒステリックなものだったかどうかは、知りたいところです。もちろんちがうでしょう。
その後、私は、この鎌倉雪ノ下二丁目、『うぐいすがやつ(谷)』における、あじさい畑欺もう事件の不自然さを内々にはっきり気づきはじめます。その事案の原因となっていた、横暴な主婦たちの行動の影に、それを、あおっている瀬島隆三の教唆力をも感じました。→鎌倉春秋釜という看板を掲げている石川和子女史の、裏側のきな臭さをも、感じ取っていくこととなります。
それを、ブログで公開をするわけでもないのです。が、真実は、把握しました。だから、柳沢某と石川和子夫婦が呼んだ警官が横暴な言動を弄しても、まったく動揺しませんでした。「あんたのだんなに、あんたを叱ってもらわないといけないんだよ」といいながら、使っていない玄関のノブを乱暴にガチャガチャしていても、『ああら、飛んで火にいる夏の虫だわ。これって、あじさい畑欺もう事件を世に出す得がたいチャンスではないの』と感じて、こちらは、悠々としたものでした。そして、最後には、真相を知った警官二人とも、尻尾をまいて逃げ帰ったのです。
その後で、アジサイ畑欺もう事件の証拠かくしは工費の工事として行われています。その間、どういう風に公費を使って、自分たちの失敗の修復を重ねて行ったかは、ここでは、触れないで置きます。一万字制限を越えますので。
だけど、田中愛子女史に関しては、引き続き、納得はできません。うすうすですが、『こりゃあ、一種の九の一としての、石川和子女子から間違った情報が、伊藤玄二郎氏に入っているな』と、感じました。それは、たまらないとも感じました。石川和子女子は、まったく私とは違ったタイプですから、彼女に私の全体像などわかるはずがありません。
ともかく、これほど安易に警察を私的に利用して、そこから、大銀杏が倒れるまでにいたったり、それから、抜群の頻度で、交通遅延事故がおきるようになったり、愛煙家が(関東圏では)自由と尊厳を奪われることとなって行ったという件でも、自分たちの行動が発端であったのですが、そこまでの見通しも何もない、おっちょこちょいな人間たちなのです。先生などと呼ばれてふんぞり返っていますが、生活態度も作品も、尊敬に値するひとたちではありません。
この人は幼稚園年齢の子供がいるわけでもいないのに、毎日道路でうるさすぎる、いどばた会議をして、音により他人の生活に踏み込んでくるのです。家の中にいても、ぐんぐん土足で踏み込んでくるという形です。で、結果として彼女の人格やら能力を20年以上にわたって観察をさせられ続けています。見たくもないのに、そのレベルの低さを知らされ続けてきました。
そんな人からの情報だけで田中愛子女子にバカにされてはたまりません。そうじゃあなくて、私の実像を知らせたいと考えたのです。彼は、音による攻撃という形(特に鶴岡八幡宮を使った)をはじめ、まったく見当はずれなことをやってきては、自縄自縛に陥っています。そのことは、瞬間的にわかります。
で、それを正すためにはどうしたら、よいかを考えたのです。
彼の好みの女性は、石川和子女子にしろ、田中愛子女子にしろ、体格的には、太っていて、かつ性格的には、唯々諾々として言うことを聞くタイプです。こういう女性なら、自家薬籠中のもので、すぐ教唆してしまいます。いうなりに動かすことができるのでしょう。ガレリア・グラフィカのオーナー栗田女史(ふくよかです)が、奥様なのに、夜の10時半に鎌倉駅に下車して、伊藤玄二郎の後について行ったのは、別にセクシュアルな意味はないけれど、すぐ、たらしこまれて、言うなりに言うことを聞く人であるタイプだということを表していますし。
ここで、こういうどぎつい表現をするのは、栗田女史からも、大変な迷惑をこうむっているからです。
でも、私は違うタイプです。まずやせているし。そして、自分でものを考え、自分で決断して、自分で選択するタイプです。そういうタイプの女性を、特にその内面を、彼、伊藤玄二郎は、見たこともないと、感じました。
で、私に勝とうとして、幼稚なアイデアばかり出していると、私は判断しています。この八幡宮の大銀杏が倒れたことも、吉田宮司にご迷惑をかけたというポイントでは、伊藤言二郎の失敗のひとつです。それから、ガレリア・グラフィカへ接触したのも、酒井忠康氏の真の役割に、私が気がついて行く端緒になったわけですから、実質的な失敗だったといってよいでしょう。
成功したたくらみもあります。崔洋一監督を、鎌倉市立の川喜多記念館で講演をさせたのも、彼の手腕でしょう。そうやって、崔監督の悪質さを洗浄させ、お金をもうけさせていくわけです。また、NHKを使いたい放題に使っています。そちらについては、また別項で書きます。
でもね、八幡宮様ほか、思いがけないところに迷惑をかけています。彼が威張っているのは、軍産共同体の手下であるがゆえですが、私は彼から迷惑をかけられるたびに、小沢一郎氏の裏側を分析するから、組織として守るべき最大の宝であろう小沢一郎氏に大迷惑をかけているわけです。じっと観察を続けていると、手のひらから水が漏れるように、失敗を重ねています。
この件では井上ひさし、の方がさらに悪辣ですし、失敗度も大きいのですが、井上ひさし・私邸は開放をされている場所ではありません。だから訪問ができません。ただ、井上ひさしには、鎌倉駅で二回ほど出会ったことがあり、そのうち、一回は短くですが、言葉を交わしていますので、彼には私の実像はわかっていると思います。それは、駅のホームの喫茶店でしたが、今はその喫茶店も撤去されているので、井上ひさしと言う人が私の文章のモデルとなった指標(特に場所)を消そうと、どれだけ、努力しているかがわかります。そして、周りがすぐ言うことを聞くということも。それが、彼がエージェントとして高位だと言うことの証明です。
で、訪問できない方は放って置いて、訪問が可能なほうである、鎌倉春秋社を訪ねました。さあ、その交渉がどうなったかについては、一万字制限に引っかかりましたので、書きぬけません。デモ、将来は書きます。
今、誤変換を直した直しました。タイトルとこの一文との関連付けは、この文章内では明瞭に書いてあるわけではありませんが、この一文を考える背景として、そのニュースが心に浮かんでいたことも確かなのです。
では、2010年12月27日 雨宮舜
そのころの敵は、ずるいもずるいことに、まるで、直前まで関係のあった月刊ギャラリーの編集長がやっているかのごとく、偽装をしていました。そこらから来たビジネスメールが、背景をピンクに色を変えて頁設定も変えて、デスクトップにワード文書として浮かび上がったりして、『どうしてこういう作業ができるのだろう』と不思議でなりませんでした。が、あまりにも巧妙な偽装をされていたので、2007年の4月から12月までの八か月間は、だまされ続けていたのです。
ここで、今は秘めたい秘話はいっぱいありますが・・・・・それを書いていたら、一万字制限に触れることになるはずですから、今は書きません。
ただ、一方では『これは、作業としては、個人ではできない業だ。特に、一人が突出していて超がつくほど忙しい、あの編集長にはできない。だって24時間体制で監視されているもの』と思いましたから、怪訝であり、大組織の関与ももちろん、平行して疑っていたのです。で、2007年の12月26日に横浜東口にあるポパイというネットカフェで、マイクロソフト社のワードを使っていたときに、フリーズを激しくしますので、『これはおかしい。これは、CIAが後ろにいますね』と感じたのです。
フリーズは2000年ごろに一時期繰り返して、起きていた現象で、そのころ重い腱鞘炎に罹ったので、キーボードの打ち方を変えて、前よりも遅くしていました。ので、その日のフリーズの連続がおかしいということにはすぐ気がついたのです。
今では、CIAというより、それこそ、警察組織ではないかと考えています。どうして、警察がこんなことをするかというポイントについては、長らく書いてきました。が、最初期には、不審で、不審で信じがたい思いでした。
でも、異変に気がついてから、3年半以上たった今では、警察が、ハッキングをしていたのは、確かだと考えています。また、泥棒も入ってきていたのですが、それも、一部は警察だったと思います。これも日経新聞のコラムを読んでいて『そうだろうね』との推察にいたりました。
警察の部下が上司の命令で、ある家に入ったら、「すごい台数のパソコンがあって、驚いた」と、上司に報告をするという記述がまずあります。それって我が家のことみたいだなと思います。だって、敵がいて、パソコンが壊されて行くから仕方がなくて、数台、常時準備してあります。で、部下に、警察の上司が、『ACアダプターの数だけ、パソコンがあると思わないといけない。だから、二つの同じACアダプターがあれば、同じ機種が二台あるのだ』と説明をしたという記述がありました。ちょうど、そのころ、私は外出時に持ち歩く、バックパックの中に常に東芝の薄型パソコンのACアダプターを、一個入れていました。その機種こそ、二台持っていて、バッテリーだけ2本、外へ、もって出る生活を続けていました。そのACアダプターが一個、行方不明になり、主人に『おかしいわ。泥棒が入った』と、訴えたら、数日後に「お前が間違っている。廊下にあったよ」と見つけてくれたことがありました。
あのころは、今思えば、逆説的ですが、のどかでしたね。泥棒たちは、場合によっては、盗んだものを、返してくれたものです。室内盗聴をされていますので、夫婦喧嘩をすれば、そのときに、『夫が疑問に思うと、かえってマイナスだ。この泥棒は、ひとえに、彼女をノイローゼにすることが目的だから、夫が彼女の味方をしたら、元も子もないではないか。ここでは返した方がよい』と判断したのだと思います。がそれ以降は、返されないものも、あります。そして、何回も盗まれ続けています。
非常に神経を使う生活を、強いられています。八幡宮さまの選択の失敗を年始の初詣が始まる前に書くのは、偶然とはいえ、意地悪みたいで気が引けますが、私の方の被害があまりにも大きいので、こうするほかはないのです。そして、日本のほかの分野の指導者にもご注意申し上げたい。今は橋本聖子さんです。「あなたは、ちょっと危ない選択をしていませんか? 悪い教唆にのせられていませんか?」と。
でも、パンツを引き出しから、別の引き出しへ移動したのが、警察だったとは信じがたいです。それから、額を必ず、左だけ、三センチ下げて帰る泥棒も、それが、警察だったとは、信じがたいです。以前は我が家内全部の額、数十枚を、すべて左側だけを下げて、泥棒が、帰りましたが、今では、私の寝室のものだけを、左側三センチだけ、斜めに下げて帰りますが、それも警察がやっているのだろうか? 不思議ですよね。まったく不思議ですが、警察のキャンペーンが、井上ひさしと、密接に結びついているのも、鎌倉防犯協会の放送で知っているので、この線の疑惑が捨てられないのです。
でも無辜の人間たる私へ、パトカーを待機させたりして脅かすのは、納得ができないので、理由を考察し続けます。すると、諸般の事情の最初から考えて、『あ、そうか、伊藤玄二郎と、井上ひさしが協力して、アイデアを出し、それを、警察へ上奏しているのだ。でも、それを警察がすぐ鵜呑みにするのはなぜだ?』となります。で、思考を重ねているうちに、彼ら二人が、国際的軍産共同体の重要なエージェント化していることに、結論がいたったのです。もちろん、全部の異常現象のアイデアを出しているわけではないでしょうが、そのうちの、30%は、彼ら二人がアイデアを出しています。
一回、NHKのクローズアップ現代が、利用されていて、それで、一種の傍証になっていると書きましたが、もうひとつ傍証があって、それは、鎌倉駅裏にある、湘南信金がしょっちゅう利用をされることです。湘南信金は、私が普段使いをする銀行で、本を作っていた最初期は、ほかに使うお金を倹約しようとしていて、外出する日は、一回に、必ず4000円をそこから下ろす生活を続けたので、家を出たとたんに、そこへ寄ることが敵方に把握をされていたからです。
ただし、湘南信金さんが莫大なケースで、利用をされていると書いても、そちらの銀行さんが、直接被害を与えてくるわけではなくて、そこが場所的に利用をされるのです。先週もALSOKの現金回収マンが、所在投げに遊びながら待っていて、私が通り過ぎると、所定の仕事を始めましたので、『あ、また、ばかばかしいアイデア、つまり、ガードマン嫌いの、私にこの二人の屈強な大男を見せることによって、また、お前がどこにいるかを、われわれは常に把握をしているのだぞと脅迫をしたいわけでしょう』と推察しました。もちろん、こちらはすでに慣れっこになっていて、笑っているのですが。もっといやみな経験があって、それ以来、井上ひさしの、この件への深い貢献(?)というか、関与を確信したのです。
それは、パソコンのGPS機能を利用して、私が、そこへ、何時何分に、達するかを計っていて、それを狙ってデモ隊を、そこへ向けて歩かせたのでした。それは、このブログ内で、集団訴訟について、『忌まわしい』と書いていて、『その裏に、共産党が動いているはずだ』と書いた日々だったので、『デモ隊まで使って、私を脅かしたい』と井上ひさしは思ったのでしょう。私はその結論を内部に秘めたまま、デモ隊の一人に、あなたはどこからいらっしゃったの?と聞くと、千葉ですって。本当かなあ。午前11時半ごろだったと覚えていますが、千葉から歩き始めて、鎌倉へ午前11時半に到着するって無理でしょう。時間的に合わないです。おかしな策動です。だけど、動員される人たちはたまらないですね。
仮に、万が一、本当のデモ隊だったとして、どうして、より多くの人が群れている表駅側で、示威行動をしないのかが不思議です。もちろん、湘南信金の前で、私を脅かすことが目的だから、裏駅でデモをしているのです。暑いさなかそのために動因をされている人たちの気の毒なこと。青白い顔をして不幸せそうでした。
で、次の異常現象、2007年の12月末に横浜のネットカフェで、マイクロソフトが動かなくなった日に戻ります。この日に、初めて、伊藤玄二郎とその仲良し組みの井上ひさしが、国際的軍産共同体の高度なエージェントになっているのだということに気がつきました。で、表向きでは、単なる一個人にしか過ぎない二人を強力に支援する形で、警察が動く。また、さらに『ということは、日本の警察というのは、国際的軍産共同体の支配下にあるのですね』と感じたのです。
マイクロソフト社がアメリカの会社だからです。で、瀬島隆三氏の関与にも思い至りました。ここで、急に最近、このブログの世界へ入ってこられた方には、後で、トラックバックか、カレンダーで瀬島隆三氏と私との関係について、詳細に書いた過去ブログの日付を入れておきます。が、今は、これからの新しい文を書くことに専念をさせてくださいませ。
その後、敵様に向かって言えば、『この日がメルクマールでしたね』というほど、ばかげた、かつ目覚しくも演出の加わった攻撃を受けた日があって、より深い真相に近づいていったわけです。
2008年の3月31日は、丸の内の中央郵便局を舞台として、一幕の芝居と言ってもよいほどの演出に見舞われました。(それは、後で、詳細に書きます)次の日の朝、6時、誰もいないし、車も通っていない京橋の集英社前に、パトカーが二台とまっていたのを見て、さらに真相に近づきました。
つまり、伊藤玄二郎氏は、私に対して、あまりにも大きく失敗を重ねました。
普通なら正当な謝罪という形で収めるのが、妥当な線でしょう。が、まったく反対に進み、脅迫し、いじめ、ノイローゼにして自滅をさせようという作戦に出てきたのです。
それが、私が何も悪いことをしていないのに、パトカー待ち伏せされたり、パソコンの異常な動きが次から次へと起こることに表現をされました。ノート型パソコンを閉じてお買い物に行ったのに、一時間後帰ってくると、3ミリぐらいふたが開いていて、光が漏れていて、私がもっとも危険だと考えている、自分の未発表の小説が、画面にひろがっているなどということが、頻繁にくりかえされました。今なら裏側が、技術的にも、政治学上にも、すべて解明をされているので、なんでもないのですが、三年前には、相当にこたえました。
これは、最初期の猫騒動で、警察が大失敗しているのを、警察が謝りたくなかったから、こういうやり方で逃げようと考えたし、また逃げ切れるはずだと、考えたから、ハッキングもしてきたと、私は考えます。また、警察の大失敗を誘う、きっかけとなった石川和子女史が、伊藤玄二郎氏の元愛人であったということも、大きいでしょう。今では関東学院大学の教授までに上り詰めている伊藤玄二郎氏は、愛人がいたということは、隠したいわけでしょう。だって関東学院って、ミッション系の大学ですよね。キリスト教では愛人はごはっとなはずです。それに女子学生も多いし。そりゃあ、イメージダウンもはなはだしいです。それで、両者の願いが一致したので、警察が伊藤伊藤玄二郎の、思いのままに動いたということをあらわしています。
そして、警察庁のこの件の担当者は非常に幼稚です。で、幼稚極まりない発想で、尻尾が見える形で、脅かしてくるものですから、おかしくて笑っちゃうぐらいであり、
次から次へと、
私が、そのいきさつをエッセイに書きます。
で、それが相手にとっては、追い詰められるということになっているみたいで→
→それは、鎌倉春秋社の重要にして、筆頭編集者らしい田中愛子女史は、面と向かって私にそういいました。この人は、その盛名を、『天国の本屋』の大ヒット(これこそ、作られたニュースの典型だと感じていますが)関連で世にとどろき渡っている人ですが、何度、出会い会話を交わしても、女であることは感じるが、ビジネスレディとしての面影を感じたことのない人です。
たとえば、最初の出会いで、彼女はぶんむくれて、「川崎(雨宮の本名)さん、150万円しか出さないのなら、50部しかできませんよ」とどなったのです。まあ、オンデマンド方式で、こちょコチョコ、小部数ずつ作ると、一冊三千円ぐらいかかります。ので、それもいえるかもしれませんが、その後、六冊の本をオフセット印刷(?????、いえ、ただ、普通の方式で印刷製本し本をて作るやり方のことですが、)で作った私の経験からすると、一冊の本は、専門家、特に連続して注文を出す会社から、印刷所へデータが向かえば、2000部、50万円からできます。
ここで、挿入と成りますが、私は、もちろん、もっとお金をかけています。本の郵送費やら、ソフトを買うこと、パソコンに障害が起きるので、自宅でできない仕事が多いから、ネットカフェやら、喫茶店を多用する・・・・等々の費用をすべて合わせれば、優に一種類の本に百万円以上はかけています。
特に自らを専業主婦から実質的なライターへと変化させる基盤となった海外修行の費用を入れれば、元手は一冊3000円ぐらいは優にかかっていますね。だから、確かに高い本にはなっている。だけど、本を作る際に、業者としての相手に払うお金は、それほどではありません。私以外でも、ちょっと、物事をわかっている人間だと、だいたい、150万円でできるといわれています。鎌倉春秋社とか、幻冬社インターナショナル等は、一頁一万円と公称していますが、いろいろなルートを通じて、出版界にコネがあれば、一種類の本が2000部、100万円で作ってもらえるのは、常識です。
で、10年以上前に、田中愛子女史に提案をした文章だけの本は実質の費用が、50万円でできる類の本だったのです。内々の私の気持ちとしては、『御社に、50万円は、表向きの利益として差し上げます。だけど、一般の人とは違って、表紙も中身(頁デザインのこと)もデザインまではすべて、私側でいたしますので、お宅が払うのは、印刷と製本代だけでいいわけで、しかも、500部で結構ですといっているのですから、お宅の実質的な利益は、100万円になるわけですから、おんの字ではないですか』と、いいたいわけですが、初対面なので、礼節を尽くして丁寧に、かつ冷静に、説明をしているのに、まったくヒステリックな怒鳴り返されるという対応を受けたので、ただ、ただ、あっけにとられて、引き下がってきました。
しかし、納得がしがたいわけです。その後、多分井上ひさしと誰かが組んで覆面作家として書いた『天国の本屋』の成功(?????)で、毎日新聞社の佐藤由紀記者のインタビューを彼女は受けていますが、そのときの応対やら、会話が、こういうヒステリックなものだったかどうかは、知りたいところです。もちろんちがうでしょう。
その後、私は、この鎌倉雪ノ下二丁目、『うぐいすがやつ(谷)』における、あじさい畑欺もう事件の不自然さを内々にはっきり気づきはじめます。その事案の原因となっていた、横暴な主婦たちの行動の影に、それを、あおっている瀬島隆三の教唆力をも感じました。→鎌倉春秋釜という看板を掲げている石川和子女史の、裏側のきな臭さをも、感じ取っていくこととなります。
それを、ブログで公開をするわけでもないのです。が、真実は、把握しました。だから、柳沢某と石川和子夫婦が呼んだ警官が横暴な言動を弄しても、まったく動揺しませんでした。「あんたのだんなに、あんたを叱ってもらわないといけないんだよ」といいながら、使っていない玄関のノブを乱暴にガチャガチャしていても、『ああら、飛んで火にいる夏の虫だわ。これって、あじさい畑欺もう事件を世に出す得がたいチャンスではないの』と感じて、こちらは、悠々としたものでした。そして、最後には、真相を知った警官二人とも、尻尾をまいて逃げ帰ったのです。
その後で、アジサイ畑欺もう事件の証拠かくしは工費の工事として行われています。その間、どういう風に公費を使って、自分たちの失敗の修復を重ねて行ったかは、ここでは、触れないで置きます。一万字制限を越えますので。
だけど、田中愛子女史に関しては、引き続き、納得はできません。うすうすですが、『こりゃあ、一種の九の一としての、石川和子女子から間違った情報が、伊藤玄二郎氏に入っているな』と、感じました。それは、たまらないとも感じました。石川和子女子は、まったく私とは違ったタイプですから、彼女に私の全体像などわかるはずがありません。
ともかく、これほど安易に警察を私的に利用して、そこから、大銀杏が倒れるまでにいたったり、それから、抜群の頻度で、交通遅延事故がおきるようになったり、愛煙家が(関東圏では)自由と尊厳を奪われることとなって行ったという件でも、自分たちの行動が発端であったのですが、そこまでの見通しも何もない、おっちょこちょいな人間たちなのです。先生などと呼ばれてふんぞり返っていますが、生活態度も作品も、尊敬に値するひとたちではありません。
この人は幼稚園年齢の子供がいるわけでもいないのに、毎日道路でうるさすぎる、いどばた会議をして、音により他人の生活に踏み込んでくるのです。家の中にいても、ぐんぐん土足で踏み込んでくるという形です。で、結果として彼女の人格やら能力を20年以上にわたって観察をさせられ続けています。見たくもないのに、そのレベルの低さを知らされ続けてきました。
そんな人からの情報だけで田中愛子女子にバカにされてはたまりません。そうじゃあなくて、私の実像を知らせたいと考えたのです。彼は、音による攻撃という形(特に鶴岡八幡宮を使った)をはじめ、まったく見当はずれなことをやってきては、自縄自縛に陥っています。そのことは、瞬間的にわかります。
で、それを正すためにはどうしたら、よいかを考えたのです。
彼の好みの女性は、石川和子女子にしろ、田中愛子女子にしろ、体格的には、太っていて、かつ性格的には、唯々諾々として言うことを聞くタイプです。こういう女性なら、自家薬籠中のもので、すぐ教唆してしまいます。いうなりに動かすことができるのでしょう。ガレリア・グラフィカのオーナー栗田女史(ふくよかです)が、奥様なのに、夜の10時半に鎌倉駅に下車して、伊藤玄二郎の後について行ったのは、別にセクシュアルな意味はないけれど、すぐ、たらしこまれて、言うなりに言うことを聞く人であるタイプだということを表していますし。
ここで、こういうどぎつい表現をするのは、栗田女史からも、大変な迷惑をこうむっているからです。
でも、私は違うタイプです。まずやせているし。そして、自分でものを考え、自分で決断して、自分で選択するタイプです。そういうタイプの女性を、特にその内面を、彼、伊藤玄二郎は、見たこともないと、感じました。
で、私に勝とうとして、幼稚なアイデアばかり出していると、私は判断しています。この八幡宮の大銀杏が倒れたことも、吉田宮司にご迷惑をかけたというポイントでは、伊藤言二郎の失敗のひとつです。それから、ガレリア・グラフィカへ接触したのも、酒井忠康氏の真の役割に、私が気がついて行く端緒になったわけですから、実質的な失敗だったといってよいでしょう。
成功したたくらみもあります。崔洋一監督を、鎌倉市立の川喜多記念館で講演をさせたのも、彼の手腕でしょう。そうやって、崔監督の悪質さを洗浄させ、お金をもうけさせていくわけです。また、NHKを使いたい放題に使っています。そちらについては、また別項で書きます。
でもね、八幡宮様ほか、思いがけないところに迷惑をかけています。彼が威張っているのは、軍産共同体の手下であるがゆえですが、私は彼から迷惑をかけられるたびに、小沢一郎氏の裏側を分析するから、組織として守るべき最大の宝であろう小沢一郎氏に大迷惑をかけているわけです。じっと観察を続けていると、手のひらから水が漏れるように、失敗を重ねています。
この件では井上ひさし、の方がさらに悪辣ですし、失敗度も大きいのですが、井上ひさし・私邸は開放をされている場所ではありません。だから訪問ができません。ただ、井上ひさしには、鎌倉駅で二回ほど出会ったことがあり、そのうち、一回は短くですが、言葉を交わしていますので、彼には私の実像はわかっていると思います。それは、駅のホームの喫茶店でしたが、今はその喫茶店も撤去されているので、井上ひさしと言う人が私の文章のモデルとなった指標(特に場所)を消そうと、どれだけ、努力しているかがわかります。そして、周りがすぐ言うことを聞くということも。それが、彼がエージェントとして高位だと言うことの証明です。
で、訪問できない方は放って置いて、訪問が可能なほうである、鎌倉春秋社を訪ねました。さあ、その交渉がどうなったかについては、一万字制限に引っかかりましたので、書きぬけません。デモ、将来は書きます。
今、誤変換を直した直しました。タイトルとこの一文との関連付けは、この文章内では明瞭に書いてあるわけではありませんが、この一文を考える背景として、そのニュースが心に浮かんでいたことも確かなのです。
では、2010年12月27日 雨宮舜
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