NHKは、2023年8月12日、奄美諸島から始まり、瀬戸内海(実際には、大津島と、似島だった)に行き、北上して、横須賀に至るそうです。
【戦争遺産島】
軍事遺構といっても、美術家の私がすすめるのですから、血なまぐさい戦闘の跡があるものではなくて、建築「物としての美しさ(猿島の場合は、特に)があるものです。
沖縄の軍事遺構、例えば、野戦病院跡地などとは、違うものです。この間目取真俊さんが、
- こころの時代「死者は沈黙の彼方(かなた)に 作家・目取真俊」(2021年8月29日、NHK Eテレ)[2]
- 私が見たのは最近の再放送です。で、沖縄の戦績を紹介していました。それに比較すると、緊迫感は、少ないものでしょう。
と、事前には、予測をしていたのに、実際には、ものすごい見ものでした。
この番組において、NHKは、日本の製作者としては、めずらしく、実名を記録として残しています。
広島の・・・・似島で、治療に当たった軍医さん等は、いまでは、亡くなっていますね。だから、手記等を使っています。で、広島の部分が最も悲惨です。
私の推察していた江田島は、出てこないのですが、代わりに、大津島が出てきました、
ここから先、NHKの番組を踏襲して説明しているだけなのに、印字がダブって表れて、何度もやり直しても、印字がダブって出てしまい、皆様に正しい様子をお知らせすることができません。だけど、時間をかけて、トライを繰り返しましょう。
大津島とは、回天という武器を操舵する、人間を訓練する施設があった場所です。ゼロ戦というのが有名です。それの、魚雷がたと、思っていただくと、わかりやすいです。非常に大きな砲弾形の魚雷の、後ろの方に、人間の乗るスペースができていて、その操縦によって、敵の軍艦に体当たりして沈めようと、いう武器です。
これは、むろん秘密の武器だし、島の住民にも、知らされていないのですが、上から見ると、魚雷が、海の中を、自由自在に航跡を描くので、人間が乗っていると、推察できるそうです。しかし、広島の人は、地元民(=一般人といえども)、姿勢を崩さずに、ごく、ごく真面目に話をします。
また、それに乗って、出撃した、若い軍人の手記(三人分)も、悲惨極まりない、悲しさを呼び起こします。
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一般の日本人の苦しみという点では、数多い(200以上)の軍事遺構がある奄美大島も同じです。米軍が、実際に上陸はしなかったので、沖縄よりは楽だったでしょうが、島なので、軍に対する補給が不十分で、食料が足りなくて、大変だったそうです。
また、ここでも、海の特攻型武器が、秘匿をされていたそうです。
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さて東京から遠い、広島と、奄美大島の人は、とてもまじめです。そして、数人の証言者が出てきます。全員・超・まじめです。ところが、猿島の、1945年を証言する人は、一人(当時19歳の兵士)だけが出てきたのです。
それだけ、猿島と、いうのが小さい島で、戦死者も、二人というのですから、仕方がないというか、それでいいのですが、この男性の証言が、ユーモアを含むというか、斜に構えているというかで、とても面白いのです。
彼の個性でもあろうが、横須賀という土地柄がそうさせているのかもしれません。軍艦三笠が置いてある様に、日露戦争以来の軍港です。で、軍とか戦争というものに対して、慣れ切っているところはあるでしょう。それと、かえって、広島の、大津島などの、緊迫感に満ちた、天皇制第一主義とは違って、多様な価値観が、この世の中にはあるのだと、いう雰囲気を感じさせるのです。
まず、兵舎に巡検が回ってきて、消灯せよと命令します。その通りに消灯するのですが、巡検が遠くに去ったと思うと、みんなが起きだして遊ぶのだそうです。修学旅行に行った高校生という感じですね。で、昼間とっておいたお魚を焼いて食べたりするのだそうです。で、猿島で、軍人としての訓練を受けながら(高射砲の訓練などですが)、日本は負けると、考えていたそうです。夜の10時ごろ、こっそり魚を焼いて食べながら、こころの中で、日本は、負けると考えていたなんて、いかにも、横須賀の粋がっている少年らしいです。
私はね、広島の人を馬鹿にしているわけではない。また、奄美大島の人を馬鹿にしているわけではない。だけど、それだけ、東京が大都会であり、大都会東京の息吹を吸っている横須賀の兵士は、はっきりと負けると、考えていたそうですよ。
もう一つ、彼に、負けるという確信を与えていたのは、頭上を越えていく大編成のB29の来襲を、音として聞いていたからでしょう。44年11月から東京への空襲が始まっています。B29は、500機とか700機という大編成です。それが、何度も飛来をするのです。
で、猿島は、空襲を受けないのだと、考えていたと思います。ところが、終戦の一か月前、7月18日の午後、大空襲を受けるのです。しかも相手は、B29ではなくて、低空飛行をする、空母搭載の、TBMアヴェンジャーというのと、SBC2ヘルダイバーというのが500機だったそうです。かれは、B29を撃墜する目的で、急造された127mm連装高角砲というのの砲手で25発撃ったそうですが、
それは、高度5000m~7000mの間で、炸裂するものだから、まっすぐ自分たちの上に破片が落ちてくるそうです。隣に立っていた兵士の首にそれが刺さってしまって、その男は、砲弾を抱えたまま動けなくなったそうです。声も出せないままに。これらの砲弾は、相手が低空飛行の飛行機だったので、まったく無効の武器だったのでした。
これは、動く映像ではなくて、声だけの収録ですが、迫力がありました。
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しかし、わたくしが、夜8時ごろ印字をしたら、活字がダブってしまって読めなかったのは、ここまでの、部分ではなくて、広島の、似島の部分が、いけなかったのでしょう。でもね。わたくしは、特殊なことを書いたわけではなくて、NHK BSPが 【戦争遺産島】というタイトルで、堂々と、放映をしているものへの感想ですから、そこで、弾圧を受けるいわれはないのです。
また、戦闘とは、ちょっとずれますが、似島(昔から、日本軍の検疫施設があった)に、一万人を超える、被爆者が担ぎ込まれ、20日間の集中治療の末、たった、500人だけ生きて、島を出ることができ、次の病院へ、送られた・・・・・というのもありとあらゆる衛生用品(アルコールはガーゼ)が、無くなってしまって、もうそこで、治療を続けることができなかったからだと思います。
そこで、治療中、壊疽を起こした腕や、足を切っても、それを丁寧なやり方で、捨てに行く、暇がなくて、窓の外へどんどんと、放り投げておいたら、その腐った腕や足の高さが窓枠と同じ高さになった・・・・・という、軍医さんの思い出など、知らなかった知識を、たくさん得ました。
お。お。お、またダメでしたね、
で、仕方がないので、またまた、小字数ずつ書いて公開をしていきましょう。
似島には、日露戦争の遠征から、帰国した兵士の検疫を行う、病院風の施設が、もともとあったそうで、
うで、そこに、衛生用品(ガーゼやアルコールなど)が、5000人分備蓄されていたそうです。
で、軍医や、看護婦が、常駐していたのですね。だから、広島から
10000 人 の、被爆者 が、搬送をされてきたそうです。
その人たちを、20日間
似島の部分は、すごいです。
似島の部分は、すごいです。
壊疽で腐ってしまった、手足を丁寧に始末をしている時間がないので、窓から、ポンポン捨てるのですが、
切断した手足は、窓枠の高さまで、積みあがったそうです。