銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

日吉一丁目の実家周辺に、私を近寄らせないが為に、登戸でカリタス通学バスは襲撃され、若き外交官が殺された

2021-05-15 00:57:09 | 政治

 実は、前報(後注1)は二つに分離できる文章となっています。前半は、ご近所の安野忠彦・智紗夫妻宅に、同時進行的にライブで、我が家の会話が入ること。そして、安野智紗夫人は、自分一人の考えからか、それとも警察の生活安全課(どこかは、わからないが、ともかく、CIA=鎌倉エージェントが、家来として支配している警察内部にある特殊部門)の命令かは知りませんが、

 ともかく、すぐ動くということを書いています。何をするかというと、・・・・対わたくしへの嫌がらせをしよう・・・・と、言う方向で、動くということです。それが、まるで、小学生か、中学生みたいに、幼稚な頭で、考えて行うことですから、すぐ、理由も、原因も、因果関係もわかると、書いています。

 それは、わたくしにとっては、一本取ったというような文章です。真実が書いてあるからです。一般国民には、まるで、知らされていない真実が書いてあるからです。でサッカーの試合でいえば、こちらが、1対ゼロで勝ってるわけなので、その木を利用して、長い間、カタルに語れなかったことを語り始めています。

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副題1、「私の父は、1951年に、日吉に東急が戦後分譲した土地を買って、家を建てた。霞が関に、勤務していたこともある父は、木曾のヒノキを営林署から買って、静岡の大工さんに泊まり込みで、来てもらって、家を、木造建築として、建てた。その後建て増しをして、防火用のラス張り(ベージュ色)にしたので、最近の、美しい白い建売と、比べると、古い感じではあった。そして、そこを売る様に、迫る種々の横浜市の条例の、改悪があったので、弟は、古い家を壊して、新築することができないと、思い込み、それを嫌がって、売ってしまった。

 明治生まれの父は、男子尊重なので、全部を弟に相続させたがったが、1986年に亡くなった父は、将来母が死んだら、そういう風になる様に、予定を立てて、遺言書を書いていた。その後、長生きした母も、理財に明るいし、母の資産を最晩年管理していた、弟も、数字に明るいので、三人の子供に平等に、分割するとなると、100坪のうちの、7坪か、13坪か、どちらかは忘れたが、わたくしの分になるそうだった。ただし、弟が、将来面倒になることを恐れて、「750万円で売ってください」というので、小さな所有権を手放してしまった。

 弟が、それをあんなに早く売るとは、思わなかった。2019年2月に売買契約が成立したそうだ。弟は、地所を三か所、マンションを一つ持っていたが、今度、マンションを二つ、地所を一つという資産形成になった。それは、弟本人の考えというよりも弟が、そういう選択をせざるを得ない様な、忠告や、条例が設定され、それは、例のごとく、県や、市の条例を自分の都合の良いように、動かしえる、中央大学法学部卒の、伊藤玄二郎たち、鎌倉エージェントのアイデアにのっとって、そうなっていると、わたくしは考えている。この日吉の土地を売る前に、私には、何の相談もお知らせもない形で、反町の、賃貸収入の上がる土地110坪を、売ってしまっている。そこには、わたくしの権利は一豪もないので、仕方がないが、弟は、うすうす、わたくしの周辺に立ち込めている、黒い霧を察していて、したがって、離れようとしていると、推察している。

 とても、上品で善人なので、残念だけれど、その離反を推察しているので、こういう文章をあっけらかんとして書いている。特に反町の土地の売買が、新百合ヶ丘に、店舗のある立教大学卒の、不動産や(今、名前を失念しているが)だったら、100%、弟は、CIA軍団によって、損をするほうへ、向かわせられている。その不動産屋には、わたくしが熱海市、下曽我の土地で、危うく恐ろしい罠にはめられそうになったことがある人物で、インテリで、しかも、どうも、酒井忠康氏と親しいと、見えるところがある不動産屋だ。

 なお、実家の番地だが、1950年には、東急の分譲地60区画全部が、日吉町一番地と、命名されていたが、最近では、そこは、日吉1ー24-12と、呼ばれている。そして、周辺も、開発され、それらの人も同じ町内会に入会しているので、全戸で、100件近い町内会となっているはずだ。

 弟の、地所は、三つに分割され、真っ白な建売が、7900万円で、売り出されている。二戸は売れたという段階で、それ以降、住友不動産の、サイトを見ていないので、情報が途切れているが、・・・・・・

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副題3、『私はブログとかメルマガで、日吉に育てられた様なものだと、書いている。弟も、それを認めているが、わたくしは、両親と、非常にたくさん話をしている。7歳になるまで、妹が生まれず、一人っ子状態で、あっちこっち、(歌舞伎にまで)連れて行ってもらっているし。

 親にも可愛がられていたと、思うが、妹が、七歳も年下として生まれたので、母は、PTA[活動など、一切しなかった。ので、わたくしは、日吉の有力マダムたちに、育てられた様なものだった。友達のママが開いていた、小さな塾にも招かれて、いたし、東横病院の副院長さんのご自宅など、毎日午後、訪問をして、受け入れてもらっていた。特に横浜国立大学の付属中学に、入学試験一番の成績で入ったことは、塾のママから、情報が伝わったし、その塾には、行っていない友達にも、担任の先生から、伝わったので、わたくしは、日吉では、ちょっとした有名人であった。

 同じ時期、線路の反対側には、中村紘子さんが住んでいた。しかし、紘子さんのママは、月光荘という画廊を、有楽町駅そばで、開いていたので、ご近所づきあいをしないし、紘子さんを慶応の幼稚舎に入れていたので、子供時代の紘子さんは、日吉では存在感がなかったのだ。わたくしたちは、子供としての紘子さんを知らない。

 一方、弟は、塾にもいかないで、麻布中学に入ったので、日吉の町では、有名人でもない。他人とのかかわりが少ないのだ。そして、勤務もあるので実家に、それほど、近寄らない。一方の私は、副題5から、そのエピソードを書いていく、小田歯科医院に、ずっと、通っていたので、79歳の今の今まで、本当に日吉にはよく通い、・・・・・強い、愛着があった。したがって、実家が売られてしまったことは、本当につらいことだ。宝くじを買い続けているのは、弟が売りたがっていたのは、知っていたので、宝くじが当たったら、そこを買おうと考えていたからだった。

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副題4、『副題5以下を語る前に、説明をしておきたいこと』

 わたくしは、今、追い詰められています。それは、去年の11月に息子が欠けてきた電話にのっとって、追い詰めてきている存在(多分、いまだ生きている井上ひさし)からのコメントでも明らかです。それは、副題6に置いてあります。

 で、ご近所様などの他人から、急に精神病院へ入れられてしまったら、大変なので、すべてのことを、緊迫して、深く書いています。で、書きにくいことも、ぐんぐん書いています。息子が、わたくしに対して、強烈に批判的なのは(しかし、愛情も深いのですが)、彼が、有名大学を出ていないからです。神奈川県においては、私立中学、高校、一貫教育校を出るのと、公立へ、通うのとでは、大きな差が出ます。ここから先が、最も書きにくいところですが、彼は、私立中学ニ校に、不合格となっています。

 それは、1983年のことですが、1978年に北久里浜で、瀬島隆三たちが、企画して、敢行した、横須賀市の水道山という土地を、ほぼ、1200坪、ただで、手に入れる実質的な詐欺事件・・・・・しかし、表向きは地籍変更届という形をとっていて、犯罪とは、ならない・・・・・の、真相を、地境地主として、巻き込まれたがゆえに知ってしまいました。それで、わたくしを殺そうとしているわけですが、その一歩として、長男の私立中学受験が不合格とされたのです。それが復讐の第一歩ですが、その後も数多い復讐行為が続いているわけです。

 わたくしは長男に対して、すまないと、思っているので、彼のありとあらゆる攻撃とか反抗を甘んじて受け入れているのですが、2020年の、11月の、電話だけは、それを根拠に措置入院を迫るぜと、コメントで言われ続けているので、

 とうとう、息子に、お母さんは、あなたとは合わないし、話をしないと、一種の縁切りを申し渡しました。

 大変な不幸ですが、仕方がないです。之をあっさりと、実行をするぐらいですから、弟との別れも仕方がないと、受け止めているわけです。しかし、それほどの犠牲を払っているわけですから、CIAエージェントたちのやっていることは絶対に書こうと思っているわけです。

 海老蔵の襲名が、急に決まったのも、ここと関係があるのですが、すでに午前三時半になったので、別の章に回します。

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副題5-A、『息子は、1983年、北久里浜に住んでいるころ、私立中学受験を、二校不合格だった。一方で、その2年後、鎌倉に引っ越してきた後で、鎌倉においてのご近所様である安野家の次男殿は、おいちにの、おいちにの、あひるさん(通信簿に1と2しかない)と、呼ばれているほど、お成績が悪いのに、国立大学の付属高校にご入学だそうだ。

 息子の人生は、わたくしが瀬島隆三と、益山重夫と、京急と、横須賀市(特に杉本俊一さんと正子夫人)が組んだ、水道山の・・ただどり事件・・イコール地積変更届と、わたくしが呼んでいるもの・・・・1978年に起きた・・・・・の、真相を知ったために大損になっている。悪事の真相を知った、私への復讐として、その二年後の、1983年に、わたくしの息子は私立中学の、受験二校を不合格にされた。

 それで、息子の人生は、たった、12歳にして暗転してしまった。ここが赤木俊夫の自殺云々などという政治的問題に関連していくところなのだけれど、本日は、息子を中心に据えて語りたい。

 その後、息子は、就職活動でも散々いじめられている。それは、あまりにひどいケースである西原理恵子を使った三国屋善五郎のケースだけは書いているが、それ以外にもいっぱいある。

 ところで、1983年の問題に戻ろう。私は、1978年の秋に、その件(=大詐欺事件)に遭遇し、自分を守るために、二人の東大卒弁護士さんの、指導の下に戦ったのだけれど、あまりにも、わたくしの頭が良いので、相手側の主犯の、人物・益山重夫が、10月11日に、急死した。その私怨を晴らそうとしているのが、現在私の周辺に起きているすべての物事の中心にある。そして、息子の私立中学・二校不合格も、その一つであり、

 したがって、わたくしは、息子の反抗とか、批判をすべて、甘んじて、受け入れてきた。

 しかし、今般、息子が、去年の、11月にかけてきた電話を盗聴され、それに基づいて、わたくしが、精神病院に、強制収容されそうになったので、つらいつらい話を全部公開していこうと思う。仕方がない。

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副題5-B 、『わたくしは、日吉の実家のすぐ近所の小田歯科医院に、40年近く通っている。名医だ。しかも、・赤・ひ・げ・せんせい・だ。しかし、この2021年の四月に、最終的に、突き放されたと感じていて、したがって、この先生が、息子の中学受験不合格・問題を、ちびり、ちびりと、心理的に、えぐってきた話を、ここで、とうとう公開したい。それが、息子の不合格が、CIAエージェントたちの行いだったことを証明するゆえんの一つだからだ』

 私の実家は、日吉、1-24-12という家番号でした、そこから、35mぐらい(つまり、家が、二軒分)西側に離れたところに小田歯科医院があって、わたくしは、未就学児を預けたり、幼稚園に行っている最中に、この医院に通っていたのです。本当に名医で、ここにかかっていた患者は、上大岡に引っ越しても、老体を鞭打って、通ってくると、言うほどの名医です。

 私が過剰に弾圧を受けるのは、筆力があるということと、同時に、自分で、工業的出版物を製作できる様になったからです。で、弾圧のために、自宅でパソコンが使えなくなりました。で、外で、パソコンの仕事をする様になったのですが、2006年ごろから、東京の公立図書館の、電源コンセントが、すべて、ガムテープでとじられることとなりました。その頃、先生の診療所で、トイレの電源コンセントが、同じくガムテープでとじられる様になりました。この時に先生が敵方にリクルートをされたことを知りました。

 そして、先生が、歯科医師会長選挙で、参謀を務めるという話を聞いたあたりから、その思いは、確定的になりました。バーター取引だろうと、思いいたりました。診察室と待合室は、奥様の才媛ぶりを反映して、お花に囲まれた、美しい空間です。夢見心地になる様な、美しく、やわらかな空間です。しかし、診察椅子は、二台だけです。後継者も弟子も見当たらず、広告は打たず、・・・・・ともかく、インテリアは、超・美しくて、感じよく、その室内で、高級な診療を、安く、してくださる医院ですが、小さいです。いかんせん、小さいです。そして、日吉駅より遠いです。だからこそ、世界に冠たるであろう、日本歯科医師会・会長選挙の参謀を務めるとは、普通ならあり得ないことでしょう。それは、文章を書く人間として、わたくしが大物だからですよ。「あいつから、心理的に離れなさい。しかし、その見返りとして、あなたを歯科医師会の、重鎮にしてあげます。その第一歩は、歯科医師会・会長選挙の参謀として戦うことです」と、鎌倉エージェントの誰かから、または、ご近所住人の特に、あの人(今は、名前を出さないが)から、頼まれた可能性があるのです。

 この時に、もし、小田先生が、推挙している偉い先生が、歯科医師会会長に当選したら、小田先生は、その三代後の、歯科医師会会長に、なる目もあったでしょう。小田先生は、背が高くて中肉中背で、柔和な顔の、しかし、すこぶるつきで、美形の紳士です。背中は、ピシッとまっすぐで、お話も丁寧です。インフォームドコンセントが、完璧な先生なので、政治的なことでも、説明が、丁寧なはずで、日本歯科医師会は、画然と、近代化していったと、思います。

 しかし、どのフィールドでも同じですが、お金が大切一派が、勝ったのだと、推察しています。小田先生は、この経験で、がんを患って、大変な思いをなさったのですが、80歳を過ぎても、まったく容貌は変わらず、柔和で、若々しい青年風です。今、治療を受けたく思って、ご訪問なさる時は、月、水、土曜日の午前7時から、11時までと覚えてから、電話をかけて、予約をしてから、行ってくださいね。

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副題5-C、『カリタス小通学バス、襲撃事件(ミャンマー語に堪能な、若い外交官が殺された)のも、この場所(ときわ台町内会)から、私を追い出すために行われた事である』

 上の写真は、わたくしの実家です。弟が相続していました。ある時期、弟と親しくしていました。小田歯科医院に通う度に、寄らせてもらって、両親のお仏壇に、お線香をあげて、よもやま話をして帰りました。弟は、週に二日ぐらいしか、ここにいません。別の家があるのです。で、この家が重荷になっていました。特に敵方が攻勢をかけてきていて、この家の建て直しをできないということにしていました。横浜市の条例か何かです。でも、3.11でも、びくともしなかったし、フランク・ロイド・ライトが、帝国ホテルに使ったり、坂倉準三が、旧神奈川県立美術館中央館(別名鎌倉館)の外壁や、明日館に使ったりした、柔らかい雰囲気の石です。しかし、実際には、堅牢な石組みにもかかわらず、横浜市条例で、・・・・・弱いので、建て替え禁止・・・・・といわれて、弟は、嫌がって売ったのです。

 二日目に訂正を入れます。失礼しました。坂倉准三が、まったく別の漢字が入っていましたね。17日の早朝に直しました。

 これは、私にとっては、本当に残念なことでした。二つの意味で残念でした。一つ目は、独身の弟の最晩年を、わたくしの娘一家が世話をして、娘に、この家を相続させることでした。お婿さんが早稲田卒で、三井物産勤務ですから、東大卒がずらずらいる、こちら、日吉【ときわ台町内会】のご近所様にも目劣りしないはずですし。

 しかし、もう一つあります。残念なことが。それは、精神的な揺籃の地を失ったということです。私はブログで、常に、日吉の町に育てられたといっています。母は小さい弟妹と、父の仕事の立ち上げ期で、忙しくて、PTA活動などしませんでした。しかし、日吉の町の有力マダムたちに、わたくしは、ひどくかわいがられたのです。どこの家でも、木戸・往来・免除でした。お勉強がものすごくよくできたので、あの子の真似をしてほしいと、思われていたからです。そこを失うことは、非常に不利にもなることでした。

 私は、良く、こちら、雪ノ下のご近所様を、中学生並みの頭脳と、行動の人たちだと、言っています。この章の前半の主人公、安野智紗夫人は、警察から合いかぎをもらっていて、我が家に、自由自在に入っていると、思いますし、大原光孝さんも同じです。そして、日常茶飯事として、小さな謀略行為を繰り返してきます。つまり、いじめてくるということです。鵜の目鷹の目で、すきを突いてくるということです。

 あのね、日吉のときわ台町内会では、そういうことはありませんでした。でもね。彼ら鎌倉エージェントは、私にこの地に近寄らせない様にしたいと、思って、恐ろしい殺人事件を計画し実行をしました。それが、若き外交官が殺された、川崎市登戸の、カリタス学園、通学バス襲撃事件です。あれも、謀略です。ここでは、詳しいことを語りませんが、常盤台町内会に、カリタスにお子様を通学させていたご家庭があり、実家のすぐ近所であったし、母がとても親しくしていたのでした。それは、事件直後に語り始めていますが、小田先生の治療を受け続けたいので、奥歯にものが挟まった様な、書き方になっています。

 まあ、それは、ここでは、詳述をしません。書くのに、あまりにも時間がかかるので、またまた、この一章が、終わらなくなるからです。

 でもね。上に写真を置いた実家は、大谷石を、再度そのまま使って三軒の建売住宅(7千万円以上)が、建ち、大谷石の、がけは、あらわれたのか、それとも、白い塗料で、塗装をしたのかで、真っ白になっていて、上の住宅の建物も真っ白なので、まるで、雰囲気が異なってきました。

 そして、小田先生にも穏便にですが、入れ歯を更新することを断られている私は、もう、その位置に、立ち寄るよすががないのでした。寂しいことでした。悲しいことです。

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副題5-D、『ああ、もう一つありますね。ぞふるーざ問題です。そして口内炎の薬、ケナログが、小田先生からは出なくなって、しかも、使いかけの薬が、我が家の薬箱から、四本程度、盗まれているのでした』

 この一件は、鎌倉エージェントの、伊藤玄二郎が、医事新報という一般人向けのタウン誌を経営していて、その関係で、医師会に、強いパイプを持っていて、わたくしが、それは、「アフリカで、不妊を、広範囲に起こして、人口抑制をするために開発をされたのですよ」と、何度も言っている子宮頸がんワクチンを、投与する様に、厚生労働省に働きかけています。そしてけいれんなどの多大な後遺症が出るのにもかかわらず、渡辺和子さんが、幻冬舎から、【おかれた場所で、咲きなさい】という本を出版された縁を頼ったのでしょうが、ノートルダム、女子学院(岡山)で、子宮頸がんワクチンを女子生徒に飲ませるそうです。十文字学園でもだそうです。短大で、講演が行われたそうですが?!?!?

 ともかく、京橋の宮下眼科というお医者さんも、インフォームドコンセントが大丈夫な、良いお医者様です。しかし、鎌倉と縁がある方で、(柳沼智恵子さんの絵が飾ってあったので、鎌倉の宮下眼科の先生と、ご親戚であることは、すぐわかった)ついに、裏切ってこられたのです。しかし、私の目のただれを、「あなたの目のトラブルは、悪い病気ではありません。普通に空中に漂っている雑菌がいたずらをしているだけだです。体調が悪いと、そうなります」と教えてくださったことで、ずいぶん助かった。しかし、この先生もクラビット点眼液や、ネオ・メドロールEE軟膏を出してくださらなくなって、変だなあと、思っているときに、小田先生から、ケナログが出なくなった。

  ここで、もう先生が、患者としての私には、感情移入がないと言う事が分かった。同情心がないのだった。でも、先生の技量の高さを知っているので、それでも、くっついていたのだが、この四月にとうとう終わりが来た。先生の方から円が切られたと、思っていて、それには、ぞふるーざ問題で、浮上した、塩野義製薬にお勤めの沢野さん一家と、その90歳を超える、奥様が、関与していると、考えている。もしかしたら、水沢勉先生【神奈川県(立)近代美術館・現・館長】も関係しておられるだろう。で、それでは、抵抗のしようがない。で、あきらめた。この際、ぞふるーざ問題が、大きく、真実を教えてくれたのだった。しかし、そのニュースが、報道をされた当時は、まだ、小田先生に通対と、思っていたので、奥歯にものが挟まった、書き方になっている。ただし、この章でも、ぞふるーざ問題は、パススルーしよう。この章が終わらなくなるので。

 こういう現象のすべては、緩慢な殺人へもっていこうというアイデアに基づいている。これらの、薬の多くは名前は異なっていても、市販薬として自由に買うことができました。30年前はです。しかし、その後処方箋がないと買えないこととなって、次に処方箋そのものが、出ないとなりました。ケナログが出ないと言う事を、小田先生が、何の同情心もなくおっしゃったときに、本当に絶望的でした。しかし、それでも、技量の立派さ、上手さを信じて、ついていったのに、治療の方も、心ここにあらずとなって、最終段階に達しました。

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副題5-E、『このころ或るレディが、ブログ読者として近づいてきた。最初は、純粋に、ファンだったと、思う。しかし、最後には、彼女も敵方にリクルートをされてしまうのだけれど、10歳ぐらい年が若い彼女の悩みに、長時間付き合ったものだ。津田塾大学出身の才媛で仕事は、産休補助教員(高校英語)である。これは、フルタイムの先生より、体力や、時間に余裕があり、担任もないので、精神的にも楽である。もし、偏差値高い高校へ、派遣をされるときは、生徒が優秀で、自発的に、勉強するので、教えるのも楽しいだろう。

 彼女の悩みとは、お子さん方のPTA活動内での、いじめであった。お子さんは三人で、男の子ばかり、そして、東京では御三家と呼ばれる有名学園に三人ともに合格し、卒業をしている。そして、50を過ぎた今では、お子さん方はすべて、成人し、一人はお医者様、ほかの二人は、有名企業に勤務していて、いわゆる成功者=上級国民の一人であった。

 お子さん方と、一緒に住んでいた家は、庭付き一戸建てで、そこは、今は住んでいない。駅により近いマンションに引っ越している。したがって、戸建ての住宅の方は、他人に貸していて、金銭的には、富裕であり、出入りの和服店から、歌舞伎座一階席をご夫婦で、招待されるほどに、恵まれている人であった。彼女の問題点は、自分が恵まれていることに気が付かないで、それで、なんとなく、他人を傷つけてしまうのだった。経済的に、恵まれている人は、貧しい人の本当の気持ちはわからない。私だって、昔は、そういうタイプであった。そういう無神経さに気が付いたのは、2003年の事だった。そのころ、ニューヨークの版画工房のお仲間が餓死して、それを版画工房の別の仲間から、聞いて、やっと気が付いた・・・・・・と、言うのが【黄色いサクランボ】に書いた、ニューヨーク版画修業記だ。

 本の中で、エドゥアルドと、命名している版画家(本名 ホアレス)は、昔同棲していた日本人女性に教わったと思われる、サツマイモ入り蒸しパンを持ってきていたが、それが、毎日の朝・昼・晩の、ごちそうだったのだ。しかし、そういうことを想像すらできなかった私は、毎昼、10ドルぐらいのお料理をパックに入れて買って帰ってきて、工房で、食べていた。なんと、残酷なことをしてしまったことか?

 彼女も似ている。サークルのお仲間が、離婚をしていて、添削仕事で、生活をしていると聞いた。父親と同居だそうだ。親から、年金の一部、10万円をもらっていて、自分が添削の仕事で、15万円稼ぐとしても、25万円で三人分の食料と、衣服費を二人分、支払うのは大変だ。孫の私立中学の学費は、たぶん祖父が出している。そちらと、比較すると、津田塾出身の人の方は、夫婦二人だけで、月50万円で、生活する。二人は、全く違う。私は、そういう解説をしたうえで、「最悪の時は、やめればいいのだ」と、忠告をした。いじめによって、国画会への出品をやめたり、大学(ICU)同窓会展への出品をやめた私には経験のあることなので、そういう風に忠告をする以外なかった。

 しかし、或る時に、この私自身が、彼女に深く傷つけられた。彼女の方に、悪気はなかったと、思う。彼女は、知らなかったのだ。私の息子が敵さんの攻撃によって、二校も、不合格にされていたことを。ただ、私自身の様子を考えて、付属中学とか、付属高校出身なので、エリートだと、思って、こういった。「ねえ、川崎さん、日本で、上流社会に上っていくのは、私立中学へ、子供を入れるのが、一番ね」と。 さて、今までの、事は、序の口というか導入に過ぎない。これから先小田先生が、私を心理的にえぐってきた話を語らないといけないからだ。しかも、それには、どうも裏があると、私は感じている。信頼して、心身をゆだねている歯医者さんに、自分の子供のどうしようもない苦しみをえぐられていく、私の悲しみは、どんなに深かっただろう。それを今から、語っていきたい。

 ここが、海老蔵襲名につながるところなのです。が、別章で、展開します。

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副題5-F、『小田先生は、三つの有名私立中学へ、お孫さんが、合格をしたことを、私に、5年から、7年をかけて告げられた。どうも、裏がある様な気がする。いわゆる鎌倉エージェントが、私をノイローゼにさせるために、小田先生を利用した様な、感じがあるのだった』

 10年ぐらい前だったでしょうか? 小田先生の治療を受けているときに、待つ時間があるのです。レジンが固まるのを待つとか、レントゲンが、浮き上がってくるのを待つとか。で、そういう待つ時間だったと、思うのですが、先生が、「僕、鎌倉が好きでね。よく行くのです。この前は、北鎌倉から、江ノ島まで、行ってきました」と言われるのです。「そうですか。私の家って、その途中にあるのです。ぜひ、お寄りください」と言いました。しかし先生は、その誘いには乗らず、次の言葉をつづけました。「北鎌倉から、鎌倉駅まで、歩いて、次に江ノ電で、江ノ島へ行ったのです」と。「途中で、建長寺があるでしょう?」とも。で、私は、「ええ、」と、言いました。すると先生が、「建長寺に、鎌倉学園がありますね」とおっしゃるのです。「うちの孫が、鎌倉学園を受けたのですよ。野球が好きでね」と、言われるのです。

 その瞬間にアッと思いました。まさか、不合格だった、学園の、名前を先生が挙げるわけもないです。私の息子は、そこを受験したわけではありません。京浜急行の沿線に住んでいたので、横須賀線で、通学する中学は受けておりません。でも、二校とも不合格だったので、合格という事実を知らされるだけで、ショックでした。丁度そのころ、西原理恵子さんを、利用して、三国屋善五郎と、言う会社を、社長ぐるみの罠によって追われたころ(後注1)だったので、余計苦しくて息が詰まるほどでした。だが、平静を装って、いつも通り、明るくお礼を言って帰りました。

 一回の治療で、先生が、同じ話題を出されることはありませんでした。ただ、また、治療に伺うことがあって、(二年か三年後です)、今度は、立教中学の話題が出ました。やはり、野球が好きだから、受験をしたそうです。そして、この時は、合格という話が出ました。無論、悲哀を味わいました。「ただ、先生、その話題は出さないで。うちの子が、失敗しているので、その話題は、苦しいのです」などと、言うわけもないのです。また、明るくお礼を言って帰宅しました。

 そして、また、次の治療の時です。「野球が好きだから、普通部を受けたのです」とおっしゃいました。普通部というのは、慶応の、中等部、男子生徒専科の学校の事です。日吉の我が家からは、南南南東の位置に水平距離、600mのところにあるのです。丁度建設中を、見ています。「高校まで、野球をやりましたよ。だけど、大学はね。プロを目指す子供たちが集まっているところなので、野球はやめました」と続けられました。で、私は、この時は、先生が、私の傷をえぐるために、この話題を出しておられると、確信をしました。でも、相変わらず、こちらは患者であって、先生の保護を願う立場ですから、反抗も抗議もできません。かろうじて、「先生、それは、いつの事でしょうか?」と、質問をしました。先生は、ちょっと戸惑った様子でした。ただ、「昔の事ですよ」とおっしゃいました。

 先生があまりにも、熱心にその私立中学合格の話をおっしゃるので、つい昨日の事みたいに聞こえました。しかし、三つの学校への合格の話を、間を数年置いて、おっしゃるので、私も、それが、古い話だと、気が付いたのです。

 そして、先生は、そのお孫さんのその後については、何もおっしゃいませんでした。

私は、このエピソードを、わが子の私立中学不合格が、敵さんの手配によるものだと、言う証拠の一つと考えています。

 しかし、これは、非常に書きにくいことでした。ものすごいレベルで、書きにくいことでした。そしてこの五倍ぐらいのエピソードを書かないと、誤解をされることは、必定です。しかし、今朝は、二時間で、目覚めています。だから、誤解をされることを恐れず、ここまでで、止めておきます。ところで、どうして、こういう難しいことを書いたかというと、井上ひさし(いまだ、生きていますよ)と、思われる、人物から、非常に恐ろしい、コメントが来ているからです。

 一つ、ここにコピペしておきます。

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副題5-G、「小田先生には、孫としては女の子もいらっしゃる。しかし、その子については、何もおっしゃらない。しかも、奥様は、日本在住の孫については、何もおっしゃらない。海外在住のお孫さんについては、何か、ご夫妻ともおっしゃった記憶があるが、これは、政治的には何も問題がない。

 だから、わたくしは、先生のあの、男のお孫さんの私立中学受験の話は、わざと、お話しなさったのだと、考えている。誰かから、依頼を受けてなのだろうと、思う。大本は、もしかすると水沢勉先生のご母堂? そして、その次に存在するのは、ぞふるーざ問題が起こされた塩野義製薬勤務だった、ご主人にいる沢野夫人ですか? 沢野夫人については、昔、母が、「食えないところがある、怖い人だ」と、言っていた。だから、その後ろに住んでいる、カリタスへお子様を通学させた、T夫人を好んでいた。T夫人は、誠実な人だと、考えていた。

 ところで、小田先生は、どこから、何かを聞いて、ああいう、えぐり方をなさったとしても、その際に、後ろで、わざと、我が子の受験を不合格にしたという、話は、聞いておられないと、わたくしは信じる。

 そういうとても大切なことはCIAは、自分の不利になるので、使役しようとするイ人物には、教えない。ただ、自分たちにとって都合の良いことだけを言う。わたくしが、吉田茂穂・・鶴岡八幡宮・宮司様の悪口を書いているとか、言って、・・・・・少し、やっつけないといけないのです。あいつの子供が、私立中学受験で、不合格だった、部分を、取り上げて締め上げてください・・・・・と、そういう風に頼まれて、行動をなさっておられるのだ。そうだろうと信じている。

 ところで、吉田茂穂宮司様が何をおやりになっているか、を、書いたら、全部消えた。だから、わたくしの言っていることがとても正しいのだと、わかる。

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 ここで、鶴岡八幡宮の宮司様が、どういう攻撃を私に対して、なさっているかを、土曜日の夜に書きます。また、過去に書いた、登戸の事件とか、ぞふるーざ問題の、リンク先をも、探します。お待ちいただきたく存じます。

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副題6、『井上ひさしから、恐ろしすぎる、攻撃があるので、こういう文章を書いている。その攻撃は、11月に、息子から電話で、強い抗議が来ていることを利用している。それは、私が上野の国立博物館で、開かれた【きもの展】のカタログを送った時に、起きた現象だった。息子に言わせると、「こんな贅沢をして」と言う事がまず怒りの対象である。交通費、入場料、それから、カタログ代。

 「お母さんは、おじいさんと、おばあさんからもらった遺産を、こんな無駄なことに使っている」という怒りがある。一方で、私の方は、孫が、自閉症の気味がある。だけど、ものすごく頭が良さそうなので、いろいろな刺激を与えたい。息子に、東京の上野に行って、きもの展を見る時間と経済的余裕がないのだったら、私が代わりに時間を割いて、それを見てきて、カタログだけでも与えたい。

 息子は、有名私立中学に入れなかったがために、偏差値的に高い大学へ行かれなかった。キリストきょう精神に基づいた大学で、お友達もいい人が多くて、彼には向いている。しかし、育ちの良い人が多いので、終活の世話など、大学がやってくれない。親の力で、道が開ける、有名な店舗とか、会社のお坊ちゃまとか、お嬢ちゃまが多い。芸能人のお子様も多い。

 それで、学歴的には、成功してきた私に対して、(それと父親に対しても)、複雑な心理状態にある。で、爆発的な怒りをもって、ののしってきた。それが、盗聴録音されて利用をされている。

 そして、井上ひさしは、下記の様な、コメントをここへ、2月4日によこしている。

2021/02/04 17:53:49

それで、実際のところはどうなのですか?貴方のご家族はこのブログのことをご存じなのですか?ご存じの上で放置されているのですか?
あなたはいろんな方の実名を挙げてはその方々から「いじめられている」と表現なさいますね。あなたの息子さんは成績優秀でありながら内申書を書き換えられ志望校を不合格とされた、西原理恵子から言いがかりをつけられて左遷され、職場を奪われた…枚挙にいとまなし。
実はそんな理由など貴女の頭がこねくり回して作り上げた妄想に過ぎず、息子さんの実力が足りないだけではありませんか?
でも、そんなこと長い人生を通してみれば大したことでもないのに、妄想から来るものとはいえ、貴女がとんでもない行動を起こして、息子さんの前途を悉く邪魔してきたのでは?
貴女がご自分のお子さんから疎んじられているのはそういう理由からではないのですか?

 

  このコメントですが、これを私は、彼がご近所人間を動かしている証拠とみています。だから、神様の前で、戦う場合、私の方が勝てる武器として、今これをさらします。どうか、負けっぱなしだと、誤解をなさらないで、くださいね。

 で、私は、ひと先ず、息子がなぜ、私を嫌うかを書いてみた。まだ、五分の一にもなっていないが、二時間しか寝ていないのに、すでに、10時間書き続けている。今日はこれで終わろう。また、いつか続きを書く。ただ、燃え上がらないと、書けないなあ。とてもつらいことだから。

 

 で、いつも言っている通り、安野智紗夫人の示す行動が、現代日本政治の真実をあからさまにしてくれると、言うわけです。子供との会話を盗聴して、それで、精神病院へ入れてしまおう。あいつは、国民に隠しておかないといけない真実を語りすぎるから。ですって。

 ・・・・・・人権侵害の極致が、この、我が家(雪ノ下2-3-7)近辺で、四六時中、行われているということです。

あと注1

小田歯科医院、 日吉・ときわ台・町内会、 カリタス通学バス・殺人事件、 ゾフルーザ問題・・・・私の苦悩と悲しみ

2021-05-12 23:25:36 | 政治

 雨宮舜 (本名、川崎千恵子)

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