銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

国芳に関してCIA ajentから苛め抜かれた事へ神様が23-6-16にお慰み下さった + 立花隆とエフェソスで出会った私だが? 

2023-06-16 22:09:50 | 政治

 この一文は、+ 若江漢字夫妻・良子・夢待洞について、新しいことを述べるつもりでした。ところが、求龍堂刊の、【猫まみれ】という大衆向け美麗盆を立花隆の、写真が、大量に付与されているエーゲ海の本と比較し始めて立花隆批判に入ってしまいました。私はトルコの遺跡エフェソスで、1980年の8月のある日の午後、たった、二人だけの人として、立花隆に出会っています。その日以来、彼を批判し続けていますので、ここでも、それをまた丁寧に、繰り返してしまいました。知の巨人ですって、実物の彼は、おっちょこちょいですよ。短絡的に過ぎる。悪しき東大卒の典型です。

 これは、スケッチブックに描いた、立花隆と出会った十字路の、絵です。本物は、手元になくて、これは、はがきに印刷したもので、しかもスキャナーが効かないとされているので、夜スマホで、撮っています。画像としては、全然だめですよ。だけど、今、こういう画像を使うのも、私が弾圧を受けているという証拠ですから、仕方がありません。そういうお断りを入れて、本文に戻ります。

 これは、最初の題を【歌舞伎座に国学院大学の付属(中三)が来ていた。引き寄せる力が強い私である】としておりました。しかし、本日、23-6-16には、いくつか、私が、引き寄せる力を発揮したエピソードが他にもあり、

 私はなんと、引き寄せる力が強いんだと驚いています。

 それは、3つあって、一つは、ご近所人間の前田清子さんが、その大學の講師をしていた、國學院の付属中学の生徒(中三)が、歌舞伎座三階を占拠していたのに遭遇したという件。。

 もう一つは、パンティが三枚盗まれいていてね。その件で、銀座の画廊二軒を訪問しました。ほかにも、画廊3軒を訪問をしたのですが、こっちの三軒の方は、まったく予定外です。

 主たる目的はトイレに関して、強烈ないじめを繰り返した二つの画廊の方です。でも、ついでに、路面店の画廊で、面白い展示があったので、三つほど、予定外の見物をしました。が、これは、なんというか、望外の目の保養というたぐいのもので、ブログ化する必要は無いものです。普段は、通ら無い通りを通ったのでした。で、まったく知らない画廊に遭遇したのです。でも、久しぶりに、良い作品群に接して、心が洗われる境地を味わいました。よかった。よかった。ラッキー、ラッキー、パンティを盗むご近所様とか、補聴器を盗んで返すご近所様とか、ブラシを盗むご近所様、そして、夫婦ない会話で、それを大声で言うと、返してくるご近所様とか、紀尾井ホールで、銀行の通帳四通が、盗まれたのも、不思議な場所に返されていて、

 清川病院の窓官庁が出してくださった、検体入れ三本と、薬も盗まれているのに、絶対使わない、300円ショップの不透明なトートバッグに返されて居たり、まあ、天手古舞の憂き目に出会っています。が、だからこそ、救いも訪れるのですよ。天からの。それをこれから書いていきます。まずは、国芳です。

 

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副題1、「歌舞伎座にこの一週間で、三回行っている。今日は三回目だったので、心にも体力にも余裕があり、美術家連盟の図書室を訪問をした』

 美術家連盟は、広報(薄いが雑誌というべきもの)を出しています。ほとんどの月は読まないのです。しかし、最新号かな❓割と熱心に読みました。

 非常に面白い記事を見つけたのです。それは、彫刻を専門とする入谷画廊(ただし、上野にあるらしいので、銀座と京橋を主に回る私は、今まで、一度も行ったことがない)を、原潔という方が訪問をして対話をしている記事です。その中で、原さんが、「二回目として、訪問をしています」と書いているのを、一度目が、【せいほう】なのに、一度目も入谷画廊だと、誤解した私は、入谷画廊のオーナーが、一回目にも、本当の話を、しているのではないかと、考えて、「一回目を読ませてください。どうも捨ててしまったらしいので」とお願いをすると、「あなたは、間違えています」と説明を受けて納得をしました。【せいほう】のオーナーは、あたりさわりのないお話をなさっているのではないかなあ。

 入谷画廊のオーナーのお話を、聞き耳を立てて、読んだのは、美術教育に関して、本音が出ているので、なるほどねえと、思ったのです。ほかの画廊の噂話をなさっているわけではないのですよ。そうではなくて、アーチストになるための美術教育の話をなさっていて、それが、その通りだなあと、思ったので、もっと、深い文章があれば、それも読みたいと、願ったのでした。

 しかし、私の欲求は、誤解から生じたものなので、ぽしゃってしまいました。が、図書室には、面白い本がいっぱいです。15年ぶりぐらいに訪ねたので、美術家連盟の、事務室から出てくる人をだれも知らないのですが、ずうずうしくも、老眼鏡まで、貸してもらって、一冊を〇〇読み通しました。五時までの、30分間にです。図版は見えるのですよ。しかし、絵に対する説明の文字が小さくて、読めないのでした。

 その本は、2011年出版とあるので、15年前には、まだ、図書室には、無かった本です。図書室の内容は、相当、リフレッシュされていて、新しい本がいっぱいありました。そして、私が選んだ一冊は、あるコレクターが、猫を表現した、アート作品を、蒐集して、そのコレクションを一冊の本にしたものです。猫が大好きな私は、ものすごい速さで、全頁を読み通したのです。

 この世には、猫に関して、有名な作品が、10点はあります。が、それは、載っていません。当たり前ですよね。だって、竹内栖鳳の、【斑猫】なんて、いまさら、出回る筈がないですからね。もちろん、国芳の【はやり猫の、手毬唄】だって収納してありません。でも、種々の描法で、描かれた300点以上の絵及び版画及び彫刻を、見るのは、たとえ、紙に印刷されたものとはいえ、本当に楽しかったです。

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求龍堂
 招き猫亭コレクション 猫まみれ
刊行 : 2011年11月
定価 : 2,750 円 (本体 : 2,500 円)
ISBN 978-4-7630-1147-3 C0071

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 偶然に、寄った、しかも別の用事で、寄ったのに、CIAエージェントたちのいじめに対する、一種の慰労を得ました。覚えていらっしゃるかな? 以下の文章。

国芳の版画modifyが、たった一週間内に逆転する。そして、猿之助逮捕ですって、全て私のブログを否定する為ですよ 。という事は過去ブログはすべて正しかったのだ

2023-06-08 09:27:36 | 

 北斎美術館の学芸員の方が、NHKにまで、問い合わせて、私の質問を、といてくださって、それを丁寧に、一文化したのです。

上野文相の中の、************罫線以下で、

 この写真以下の部分です。非常に美しいお話で、終わる筈だったのに、例の連中、+桜田門、露木長官で代表される警察庁の、秘密部隊が、関与して、NHKに急遽、視聴者には、背中を向けていた、犬頭の袴男たちを、全部、国芳の、原版画に戻しなさいと、命令をしたのでした。

 すごい意地悪をする人間がいるのです。まず、コロナ禍を利用して、松竹図書館が、事前の予約がないと入れないという形になり、芸大図書館も、あれこれ、制限がかかって入れないことに成りました。国立国会都市書簡は、閉架図書システムになり、かつ、パソコンで、検索するシステムにもなったので、全体像が把握しにくく、非常に利用しにくくなりました。

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副題2、『しかも、私は、この一週間、microsoft の、ワードの保存で、大、大、苦労をしたのでした。microsoft社との、電話は、勝手に、例の連中に切られる、yahoo mail が開けない、などのいじめを受けて、なんと、3日間、合計、8時間ぐらいを、謀殺されていたのでした。

 だから、ブログを更新できなかったのです。でも、いじめられ野記録で、暗い、暗いこの世界に、神様は、一条の光を当ててくださるのでした。

 まったく違う目的で、行った美術家連盟の図書室で、国芳にまたであったのです。

それが、私にとっては、神様のお救いであるのでした。

まさかと思うが、美術家連盟の図書室が、自由に入れないことに成ったら、其れこそ、安野智紗夫人から始まった、この山の、アジサイ畑欺罔事件、および、北久里浜の水道山のタダで、私有化された地積変更届の仕組みを最初から、また、繰り返して説明をしないといけないと思います。

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副題3、『この猫まみれ】という書物は、小型サイズ(四x六版)ながら紙が厚くて、美麗な印刷で、とても読みやすい。しかも誰でも買える様に、3000円以内に収めてある。

 比較すると、朝日新聞の売れてる本で、ほめまくられていた、立花隆の、、

『エーゲ 永遠回帰の海』須田慎太郎(写真)、書籍情報社、2005年、ちくま文庫、2020年

は本当に恐ろしい。見開き、2頁ごとに、字、次の二頁に、写真と、交互に印刷されているが、神が薄くて、字を読むときは裏の写真が、透けて見えてしまうし、写真を見るときは、自が透けて見えてしまう。それでも今Amazonでは、9000円以上で、取引をされて居る。一方、筑摩書房の方は、紙をもっと厚めのものを使っている可能性がある。今度実物を見て置こう。

 この本に関しては、ものすごい因縁があるので、何回も書いている。私は、実は、1980年トルコエフェソスの遺跡で、8月の午後、立花隆と、遭遇をしているのだ。私はトラヤヌス帝の、胸像前で、スケッチをしていた。しゃがんでいる、その前に立った、立花隆が、私が日本人と見て、日本語で話しかけてきた。

 彼が、トルコ人は汚い。バカだと、悪口ばかり言うので、私は、そういう風には、感じていないので、私の方が「あなたは何円ぐらいの、ホテルに泊まっているの?」と聞くと、「600円」と彼が言う。私たち夫婦は、トルコ・日本、共同工事(ODAというのかな)を請け負っている主人の弟の招きで、訪れたので、すべてのホテルが、1万円以上の、高級ホテルだった。で、「ノミがいる」などという彼の言葉は、値段のせいだと思って聞き流した。ただ、あんまり強く悪口を言うので、「あなた、ここには、マリアの墓があるという伝説を知っている?」といった。すると、彼は「僕は物書きだから、他人の書いたものなんか、読まないのだ」といった。

 私は、この時、彼が、すでに、

1974年(昭和49年)10月9日発売の『文藝春秋』11月特別号に、立花の「田中角栄研究〜その金脈と人脈」を、発表してヒット作を出した、ライターだとは、知らなかった。

 そのころの私は、子育てと、それに付随するご近所づきあい、それから、PTA活動、音楽の修練、アートの修練に明け暮れていて、政治などには、一切関心がないし、月刊文春など、読んだこともなかった。東京へ行くときは、よく、週刊文春、週刊新潮、週刊朝日、サンデー毎日の順に買っていたが、月刊文春など、読んだこともなかった。厚手の雑誌としては、婦人公論は時々買って、尾辻克彦の【チチヤスモノ・・・・・再婚した奥さんと、前の奥さんとの間の娘の三人暮らしを語る私小説】ぐらいしか読んだことがなかった。その上、私の親せきが、商社で、グラマンを自衛隊用に、輸入している立場(元海軍将校、戦前から、戦時中にかけて パイロット)だったので、ロッキード社のピーナッツとは、中国と、国交を回復した田中角栄を貶める為の策謀だと、思っていたので、ニュースで、立花隆の活躍は知っていたが、尊敬する気持ちには、成れず、筑紫哲也ニュースなど、見たこともなくて、彼の顔を知らなかった。

 ここだけど、彼は、あの論文を発表する前に、イスラエル政府に招かれている。アラブ系を軽蔑する様に洗脳された可能性もある。

 で、私は、続けて、「その600円のホテルで、英語は通じる?」と聞いた。「もちろん、通じないよ」と彼は言った。私は【地球の歩き方…トルコ篇】

で、一頁ぐらい紹介されているトルコ語 VS 日本語を記憶してきていた。あれから、42年が過ぎた、今でも、テシュキュール(ありがとう)、メルハバー(こんにちは)と、覚えている。で、庶民を相手にはそれで、通じるし、インテリには、英語が通じるので、現地の人と和気藹藹で、過ごしていたので、立花隆の怒りが、まったく理解ができなかった。

 ただし、これが、重要なのだけれど、私の旅行前の参考書が地球の歩き方だけだと、誤解をされると困るのだ。私は今、教文館で6090円で買った、四 x 六版の聖書、日本聖書協会、新共同訳、の1987頁を見ている。

 そこには、パウロの、宣教旅行 1とあり、最近大地震が起きたトルコ南部と、キプロス島に、陸上、および、船で、行っている。合計ほぼ、1200キロ。次に戦況旅行、2,3が、3000色以上。最後に船で、エルサレムから、ローマに行っている。

 それを、聖書で読むと退屈だと、なるだろう。特に、パウロは、四つの福音書と違って、行動記録と、各都市に住む信者へのお手紙だけが残っているのだ。お手紙は、各地方ごとに、繰り返しが多いので、読むに値しないと、考えられていて、かく、言う私も全部は読んではいない。特に日本語では読んではいない。

 ところが、私が入学した当時(1962年)のICUは、英語で、厚さ4頁にもなる、The Apostle と、言う書物を読まさせられた。これは、パウロの宣教旅行を、小説として仕立て上げてあるので、お手紙そのものと違って、面白い。とても面白い。で、最初の三分の一は、頁の、20か所程度で、辞書を引くが、どんどん、どんどん、その数が減って来て、自由自在に読める様になる。だけど、二か月は、かかったかなあ?

 そのほかにもグレコローマン遺跡を、書き表した書物はシュリーマンの伝記、ホメロスの、岩波文庫【イーリアス】、【オデッセイア】等々。

 しかし、冒頭で、書いている様に「ここにマリアの墓があるというのを知っている?」と聞いても知らないと、言うので、すべてをあきらめた。私は喧嘩はしないし、おせっかいもしない。物書きだから、他人の物は読まないという、かれに、「The Apostleのペーパーバックを丸善で買って(または、注文をして、仕入れてもらって)読みなさい」などとは言わない。

で、それ以上は彼とは、話をしないで、絵を描き続けた。しかし、黙って、会話を切ったと、言う事が彼には、一番侮辱に感じたのではないかなあ。

 ともかく、私ももう何も言わないが、彼も、もう何も言わないで、下へ下って行った。遺跡を出たところに広い、ひまわり畑がある。そのあたりで、私を迎えに来た、主人と立花隆が出あった。

 私は体が弱くて、トルコ旅行の二日目に、イスタンブールのシェラトンで、4時間も気絶をしていたぐらいだから、主人が迎えに来た。

 すれ違った立花隆は、「上の方に、生意気な、日本人の女がいる」と、口角泡を飛ばして、主人を説得したらしい。主人は、むろん、ああ、千恵子のことだなあと、思ったが、「それは、私の家内です」とは言わないで、「そうですか、そうですか」と、合い槌を打っていたらしい。で、彼の気分もだいぶ収まった。しかし、トルコに関する悪口は、依然、大仰に、口をついて出た。主人は、柔らかく、「僕は今、セルチュクの博物館へ行ってきました。結構面白かったですよ」と答えると、立花隆が、「じゃあ、僕も行ってみよう」と言って、

 上にあげた初版本では、「セルチュクの博物館がトルコで、一番面白かった」と、書いているのです。

 私は、朝日新聞の、売れている本というコラムで、この本の紹介を読み、かつ、彼がせるちゅくの博物館が一番、面白かったと、書いているのを見るまでは、あのせっかちで、短絡的な男が、立花隆だとは、気が付きませんでした。

 私は、個のエフェソスのエピソードについて、『紫色のズボンの男と」として何回もエッセーを書いています。それが閉鎖されていたメルマガの読者の一人から、立花隆に、伝わったのか(?)

 東大罰を通じて、親友だからだと、考えてね。または、マスコミ同人として、友人だ、考えたからか、彼は、対私への復讐というか対抗意識で、エーゲ海の、本を、2005年に出版したのでしょう。しかし、パソコンを、40数台破壊されている私は、いつ、それを送信したかを特定出来ません。でも、天は、御照覧あると、常に信じています。

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