銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

成人式前後に、若ものが、原発作業をすることに、思いをはせる。

2012-01-09 22:28:28 | Weblog


この文章ですが、初日=月曜日と、二日目では、ほぼ五倍に量が増えております。また、いちまんじになっておりますが・・・・・
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第一部 『成人式をきっかけとして、現代日本の若者を見直す』
第二部、『原発事故、終息にむけての現場に若い人を、作業員として、投入することを、大人はどう思うべきか?』
第三部、『私の意見を再び、繰り返そう。・・・・あそこは捨てなさいです・・・・』
第四部、『フェイスブックは、私にとっては、助けにもくびきにもなった、両面の作用を持つ、特別なツールである』
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第一部 『成人式をきっかけとして、現代日本の若者を見直す』

ほんの一時間ほど前です。FBの世界で、
N氏が、、
「今の20歳の方がしっかりしてるなと思いつつ、発言がやや右な子もいるなあと。
でも、少しばかり、右左にずれてもええやん。
芯がぶれなきゃええのよ」

        ・・・・・・・と発言をしているのを発見しました。その時に、私のアンテナがキーンと言いました。これは、地味目な情報だけど、非常に大切だぞと、感じて。
  そして、そういう反応を示した人は、私のほかにもいました。何も言葉は出さなくても、「いいね」という評価を与えた人はほかにもいたのです。

 で、私はすぐ反応します。で、二人の会話が始まります。

川崎 「 数年前のふざけ切り、暴れたりする様子が見えなくなりましたね」

N氏 「 そうですね。なんといえばいいのでしょうか。
八戸市の企画にボランティア参加したのですが、来ていた高校生や大学生は、みんなしっかりしてました。
参加したのはこの企画なんですが。
http://hacchi.jp/ha/op-art-project/hachinohe-review.html
美術出版社だったかなあ、本にもなっています。
ちょうど震災前にこの企画は実行されました」

川崎 「この国にとって、非常に苦しいことが、2011年にはあったわけですが、ゆるみきった気配を、ある程度、ひきしめ、自分たちの生活を考え直す機運を自然に、そして、だれの心の中にも生んだというい意味で、あの大震災は、意義があったでしょう。ただ、それは、地震と津波には言えても、原発にそれが当てはまるとは言えません」
                    
N氏 「原発の問題は次世代に残す問題ではありません。
今の世代が解決するべきことです。
それこそ無責任なことになってしまいます。
いま、終息に向かって頑張っている人間がほとんどです。
それについては、私の友人や弟子が実際に従事していることですから、彼らを信じるのみです」

ここで、FBメンバーのほかの人からの意見が入る。

N女史 「この世代一代で解決しきることはできないかもしれないけど、大きな道筋を敷設していかないといけないですよね」

上の意見を、見る前に、私は一本おいて前の、N氏の意見に対して、返事を

川崎 「そうですか。ご決意をありがとうございます。が、なかなか、できないのではないかとか、やや、以上に、私は、悲観的です。でも、Nさんは、私よりずっとお若いので、私とは、気分はずいぶん異なることでしょう。信じています。皆さんを」
    と出す。すると、別のFB会員から

U女史 「私は最後の最後まで諦めない…諦めの悪い(?…笑)タイプなので、信じ続けたいし、意識して見守り続けたいし、応援しつづけたいです。「天命を信じて人事を尽くす」です☆   ・・・・と、意見が入る。

 そして、全体の方向を締めるべく

N氏 「私も元はといえば反対派の人間で、今回の事故は、東電ではなく、旧科学技術庁の問題だと考えています。
でも、六ヶ所村で、核燃料サイクルに従事する友人たちが、村に住んでいたときにできました。
そして、釣りの弟子は、23歳で、汚染水処理の現場へ3ヶ月行って来ました。
こいつらが、逃げないかぎり、私は信頼します。
上は、アホでも、現場はがっちりやっています。
吉田所長もあそこまでやってるんです。
責任問題以前に、彼らは闘っているということです。」

で、以上で、会話は終わります。で、一人になって私が考えるのですが、
  苦難は、人間を鍛えます。それは、ある個人にとっても、そうですが、個人が集合している国にとっても、同じです。
  苦難は、この国をまともな人間の集まる国へと変えました。

  特に若い人、成人式前後の、そして、結婚前の、10代20代30代の若い人が、そうであることは、やや、・・・・・いえ、本当に・・・・・喜ばしいことです。2012年1月10日現在の日本は、国としては、けっして、100%明るい国とは言えませんけれど。

 するとだいぶ時間をおいてですが、N女史から
『少し打ち解けると「しっかりしたい」、「自分らの手で」とボソボソと話してくれる若い子たち、私のまわりに結構います』とのご報告もありました。

 と、いうことで、ここで、この一文を、終わらせたいのですが、さらにいろいろ、ご意見が来るかもしれません。それは、随時編集ができますので、入れていきましょう。
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第二部、『原発事故、終息にむけての現場に若い人を、作業員として、投入することを、大人はどう思うべきか?』

ここで、新たにペンネーム『頑張るベクトル』さんが登場します。こちらも大変頭のよい方で、飛躍が多いので、私は投稿をなかなか、理解ができません。しかも、月曜日の夜中には、この方が投稿した三本が、私のパソコン内には、表示されないという現象が起こりました。こういうことは原発に関して、最も鋭い、かつ、最先端の意見が交換をされているときには、よくおこります。で、コメントのやり取りがちぐはぐになっています。

が、その臨場感も利用して、あえて、コメント群をそのままに利用しつつ、語りましょう。

川 今年の成人式がまじめだったと、長崎泰一さんがこのFBの世界で、発言をしました。それに対して、私がぱっと反応をして、一文を書いているのです。長崎さんもノートを制作なさっている模様ですが、ダブって(一種の変形のシェアとして)、投稿をさせていただきます。社会現象としては、事件でもないので、地味なものですが、意味しているものは大きいと感じます。
2012年の成人式に思うこと。 - 銀座のうぐいすから

『I氏』
がんばるベクトルが違うのでは?

復興への『絆』もそう

経済系のベクトルしか見えないのだろうか
緑や命、生態系のベクトルは無視されていないだろうか

『 川崎』うーん、Iさん、非常に難しいことをおっしゃっていますね。だけど、編集できるので、Iさんのご意見も I氏発としていれていいですか? お問い合わせをいたします。

『I氏』 これ、難しいですか?
田中優さんの『地宝論』を読めば、書いてあります
つながりを断絶した都市一辺倒の原発的広域行政のカネをばらまいて、カネだけ儲ければよいとするこれまでの悪癖から脱して

自然生態系に沿った自然の恵みの健康なエネルギー的な目の見える、顔の見える、ローカルな生き方、そんな田舎にこそ宝物があるんだとする、持続可能な命を育て、共に生きる循環型のふるさとづくりに未来の発芽があるという提案なのですが

『川崎』二本目のコメントで、だいぶわかりました。ただ、成人式で、若者が、元気で、まじめになったのを喜ぶという本日の、ブログの、趣旨とどう絡むかというポイントで、このご意見は、なかなか、咀嚼しにくいのです。あのブログの中には入れない方が、統一がとれていいかもしれませんね。

『川崎』かといって、Iさん、ご意見に反対するわけでは無論ありません。いいご意見だと思っています。

『川崎』千恵子 Iさん、さっきから、ここにコメントをいただいているというしるしをFBから受けているのに、実際には表示されません。よかったら、チャット機能というか、めっせーじでも、同じことをご連絡下さいませんか?。それから、AOLのメルアド、AtelierCK@aol.com でも結構です。ただ、そちらもすぐには反映しないことがありますが・・・・・お許しくださいね。

『I氏』まだ2回しかコメントしてないですよ~(笑)

成人式ですね

「がんばるベクトル」ではどうでしょうか?

『川崎』ああ、そうですか。(笑)なんども、コメントが出たとお知らせがあるので、ずいぶん探してしまいました。「頑張るベクトル」とはペンネームのことですか。そして、文章をぜんぶつかっていいということですか? Iさんは頭がよくて、飛躍のある方なので、念のために、お問い合わせいたします。ご返事は明日でも結構です。
8時間前 • いいね!

『川崎』時々、私は頭をひねることがあるのですが、でも、それもいい個性だと感じています。

 @@@@@ここで、一晩寝て次の日が始まる。

『I氏=頑張るベクトル』
川崎さん
おはようございます。

ごめんなさい。
なんだか自信がなくなってきました。(笑) スルーしてください。最初の二つのコメント以上の深い意味はないですから

『川崎』 あ、そうですか。了解しました。全然自信を無くされることはないのですが、昨日あげたブログは、線が一本とおっていますね。それは、わかものが元気になって来ているという点で。ですから、Iさんのご意見はそれに対しては問題が大きすぎてきます。で、別の機会に、Iさんのご意見よりのテーマで書くことがあって、そして、本日のやり取りを私が思い出したら、その時にはまた、改めてお問い合わせをいたします。それがベストだと考えます。・・・・・

『川崎』 繰り返しますが、Iさんのご意見が、悪いとかいう意味ではないのです。それは、全く確かです。原発のことは多方向から考えるべきで、議論は尽きないということです。一回の文章ではとても、全部を包括できないですね。

  @@@@と、私は書いています。そして、上のN氏へ対するのと同じように、その表示されなかったご意見を、ご自分で、再び整理して、ノートに立ち上げられることを勧めました。そして、二時間がたつと、Iさんから、新しく書き直された三本分のコメントが、整理されて、送信されてきていました。
 それが、大変丁寧に書いてある文章であり、前半のやり取りにも十分に配慮を込めたものであることを知り、ここに急きょ、『Iさん、=頑張るベクトルさ』んのご意見も並行して、採用をさせていただくことにしました。

『頑張るベクトルさん』

若者が荒れることなく、まじめになった
それは本当に良かったなと思います。

自分は何に引っかかっているんだろう?
って今、考えてみたんです

まじめになった

しっかり現場をやっている若者

けれども
原発の現場でがんばっていくということ

それについてどう大人達が捉えるのか?

『若者が震災で気を引き締めた?

これからも原発を気を引き締めて運転していってほしい』

と受け取れたのです
震災復興への見せかけの絆のベクトルが今、演出されていないでしょうか?

食べて応援

除染して避難解除

放射能瓦礫の広域焼却処理

『そういう話じゃないだろう』という思いが
「がんばるベクトル」というテーマを提案した真意でした

ただ、もしかしたら
その方の真意、主題からずれてしまった見当ちがいな意見だったかもしれないですね

なんだか自信がなくなってきたのでした

言いたかったことはそういうことです。

 ここで、第二部を終わります。私としては、第二部、『頑張るベクトルさん』の
最後から、三行目は確かに、痛いところです。特に第一部に寄せていただいたコメント群を使うに当たって、お互いの信頼関係の上で、許可を取っています。そちらでは、『よかった。よかった。この国の若者がしっかりしてきて』と終っています。

 が、本当のことを言うと、第二部のご意見は、そういう善意あふれる、優しさに対して、冷水を浴びせかけるほど、厳しいものです。両者を併記する私は、四分五裂しかねない苦衷を感じます。

 が、ここは、一種の行司役として、こういう風にまとめさせてくださいませ。

 第一部のご意見群も絶対に正しいです。統一が取れています。そして、そこには、この日本という国を代表する大人の意見が提示されています。

 しかし、第二部も正しいのです。『この国の大人として、若者にそういう作業をさせておいていいかな?』です。

 が、仲裁者として言えば、第一部の方々が、全部、原発推進派だとは言えないということです。それが全体としてまとまっているのは、事故現場を早く安定させましょうという方向でまとまっているということです。

 ビジネスとして、いまだに、原発を推進している人は、この日本の中にもいまだに、いるかもしれません。が、
第一部で、登場された方々が、そうだとは、まるで言えないのです。それは、第一部と第二部の方々がリアルな友達ではないゆえに、ちょっと先鋭化してしまったところであり、

 このFBの世界で、私の友達として、意見を交換し合っている存在たちは、みなさん、とても品がよくて善意に満ちているというわけです。それは、ここで、強調をさせておいてくださいませ。
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第三部、『私の意見を再び、繰り返そう。・・・・あそこは捨てなさいです・・・・』

 私は、3月から5月まで、激しく原発事故について論じてきました。単行本に換算して、7冊分です。

 それを簡単にまとめます。

*1、福島第一には、チェルノブイリの、爆発炎上した4号機の、ほぼ、6倍の核燃料棒が、保存してある場所である。チェルノブイリには、地震も津波も来ていない。が、こちらはそれらの災害があるので、全、6基に異常が起きている。となると、次の大爆発(これは、メルトダウンの易しい表現です)は、起きる可能性があるので、「逃げなさい」、『速やかに逃げなさい』です。

*2、『福島第一原発は、すでに捨て去るべき場所であり、人間を入れてはいけない』

 で、今、勧められているよりも、もっと広範囲の福島県、地元民が移住をすべきである。
 その移住先はシェアの発想で、今、移住先の住民が占めている財産とか、不動産、および資金や、運営費等をシェアの発想で分かち与えること。福島県地元民側も、どこでも、いいから、また、絆ということを無視してもいいから、どこかへ移住をすること。・・・・・

*3、『福島第一の敷地内は、原発汚泥等の処分地とすること』

 さて、ここでも、私は『主張を重んじて優先すれば、他者との親密性を失う』という矛盾に直面します。実は三月から五月までは、私は徹底的に孤独でした。が、あたるを幸いなぎ倒すという形で、事故の本質と取るべき未来像について述べ続けてきています。そして、名前を明かさないある読者から、

 『あらゆるサイトの中で、川崎さんのものだけが信頼できる。だけど、福島県在住の友達に送っても、聞く耳を持たないのよ。彼らは、東電とか、政府という権威ある存在から出る言葉しか信じないのよ』と、言われました。確かに最初期はデマ扱いをされたと感じます。自分が、6台ぐらいパソコンを持っていて、(携帯は使っていないが)、時々、パソコンを変えると、自分のブログなのに、自分で開けないという現象に出くわしました。で、『おやおや、まるで、デマ扱いですね』と、苦笑したものです。

 ところが、今では、実名を知っている福島県在住のフェイスブック友達何人かいます。さすがにその文章は真剣で心を打ちます。で、その文章に感動して、励ましやら、おほめのコメントを入れたりしています。

 そういうフェイスブック紙上の友だちが、『みんな、そこを捨てて逃げるべきなんだ』と、私が従来から、主張をしていると知ったら、隠々滅々たる気分に陥るでしょう。『それが、できないんじゃあ、ないか。それをしたら、この家屋も失い、財産もなくなって、一からの出発だ。僕はもう、50を過ぎているのだから、そんなことは言わないでくれ。あんたは、鎌倉という遠い場所に住んでいて、極楽気分で、ああだ、こうだと言っているだけじゃあないか。
 こういうのって、一番の偽善者なんだ。だから、大っ嫌いさ』と、そのうちの、誰かが、投稿したらどうなるでしょうか?

 そうしたら、私は、『人の好意というもの』を抜群のレベルで失います。フェイスブック紙上で丸裸になるでしょう。そして、敵たちは、『ほら、ほら、裸の王様が通るよ』と言ってあざ笑うでしょう。
  さあ、どうするか。それを避ける第一の道は、これを、ひっこめてしまうこと?

  だけど、「そういたしますか? 川崎千恵子よ」と、内心に問い合わせれば、「それは、やらない」と、内なる声が答えるでしょう。
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第四部、『フェイスブックは、私にとっては、助けにもくびきにもなった、両面の作用を持つ、特別なツールである』

 皆様。ここは今、26時間連続して起きているので、億劫で、書けません。後で書いて加えます。
 待っていてくださいませ。と言いながらできるところまで書いてしまいましょう。

 私は五月にフェイスブックに入ったわけですが、実のことを言うと、そこも敵に利用をされていて、水面下では、薪炭をなめるような苦しみを、味わわされています。グーブログでもあったが、それに限らず、フェイスブックでも、味わわされています。が、表面上は、お友達が750人を超えていて、このグーブログと、メルマガ、それに、フェイス・ブックを合わせると、数千回ほど、私の言葉が、毎日、他人に読んでいただいているということになります。とても華やかに前進をし続けています。
 よく、人は石垣、人は城といいます。それが、孫子の兵法の時代から、たしかな自己強化策だとしたら、相当に恵まれていて、光が当たっている存在となってきています。

 もともと、大勢の人を相手にするつもりがなくて、勝手気ままに書いていくつもりであって、数は頼まない姿勢ですが、それでも、ある程度は・・・・人間ですから、・・・・これはうれしい現象です。
 
 が、所有しているものは、失われる可能性はあります。そして、敵はそこを狙ってきています。語るも涙の現象はすでに、5月ごろから現れ始め、私は精神的にはすでにもみくちゃになっています。一回やめますといったほどです。その時にその裏側の真実を察して、友達関係を切ってきた人がいます。それ以降から、なんとか、伸一と言って、私の紹介で、100人以上の友達を増やしたうえで、向こうから友達関係を切ってきた人がいじめの材料として登場してきました。その人物と同じように、理由も告げず、しかも私が政治的に過激な文章をアップした被ではない日に、私を切ってきた人もいます。が、問題は、それらのすでに、友達ではない人が、『あなたの紹介で、〇〇さんと、友達になりました』とのおしらせが頻繁に来ることなのです。

 これは、どういうことかというと、○森伸一氏は、別の人を仲介者として私固有の友人とリクエストの交換をして承認してもらっているのでしょう。だけど、私にだけは、『あなたの紹介で』と告げるのです。
 特に東大卒などの格の高い(?笑)しかも、私固有の友人と、すでに私とは、友だちでもなくなっている、○森伸一氏が友達になれば、そりゃあ、いやな気がします。で、『お前、頭に来るだろう。だから、早くノイローゼになって、病院にでも入院しちまいな』という悪意あるセリフが常に、そういう現象の裏で聞こえてきます。

 そして、こういう悪さをやっているのが誰であるかがわかっているので、余計に厄介ですね。非常に身近な人物がやっているでしょう。私の750人を超えるFB友達の中の一人がやっています。それは、すでに、去年の五月からわかっていました。何でも見えています。ただ、じたばたしないだけなのです。騒がないのです。ひどいことが起きているけれど、じっと黙って観察しているだけなのです。(苦笑)

 今、この部分を追加して書いていたら、「サーヴァーが見つかりませんでしたので、パソコンが、送信できません」といいました。こういう障碍は2007年から頻発しています。ので、フェイスブックで妨害行為をしているその人物が、グーブログに対しても、妨害行為をやってきた可能性はあります。
 で、『同じ人物が、一切の、IT的な悪さを、やっている』となります。でも、グーブログの世界では誰であるかが特定をできなかったのに、こちら、フェイスブックで特定できるのは、それこそ、友達関係を考察すると見事に、あぶりだされてくるのです。

 その当該、妨害者の友達の中に見事に、○森伸一氏が入っています。これは、2012年1月5日までは確かであった。だけど、二人は仕事、居住地、投稿内容に関して一切の共通点がありません。ですから、その恫喝用効果のためだけに、二人が友達になっているわけです。そのほかに、友達関係がいつの間にか解消されていたりする裏側とかがあり、不思議な形で、過去の投稿が、特定の人の場合にだけ、コメント付きで復活するとか、(その内容に、こちらを傷つけるものが含まれて居ます)、種々さまざまなIT的いたずらをされています。

 こちらは孤立無援ですが、絶対に落ち着いているのは、天が、『お前の方が正しいよ。お前の方がきっと最後には救われる方だよ」と、指し示してくださるポイントがあるからです。鎌倉八幡宮の大銀杏が倒れたのも、天が私を気の毒がってくださったからです。

 彼らが、私が大切にしている美術館玄関前にある、アメリカキササゲを伐採するように八幡宮様を教唆しました。それは、その木を何回もエッセイの中で取り上げているからです。彼らは、私のエッセイが効果を失うように、その物的証拠を次から次へとつぶして行きます。

 鎌倉小町通に、敷石が敷かれたプロムナードがあったのですが、それが、共同溝工事を口実にはがされたまま、すでに、満三年近く、工事は終わらないで、敷石も復活していません。それも、その敷石についてエッセイを私が書いているからです。哲学の本質はナンだというテーマで。

 まあ、こういういかにも公共のことみたいに装っていじめられるケースもありますが、それとは、別に『リアルな友達間の、個人的な友情を壊す』という生々しくも心理学的なものもあるのです。そちらでは、だいたい、40人以上が加担をしていて、銀座にも影響が大きく出ているのです。そういう障碍が、繰り返されていますから、そりゃあ、神様だって、私を気の毒に思ってくださるわけですよ。

 でね。とても用心していて、他人の力は頼まないと決心していたのに、『成人式を喜ぶ言葉など、絶対に安全だ』と思って第一部の三人に、コメントを使わせていただくことを許可してもらっています。

 そこに第二部のコメントが入りました。一対三だから、第二部の方を無視したっていいです。が、そこを無視して通ると、自分自身が、内部から崩れます。私が堂々と、原発反対を唱えるのは、「だいたいの選択において、ずるいことはしてこなかった」という自信があるからです。ですから、この第二部をこの一文の中に、書き加えないといけませんが、当然のこと、第一部にコメントを寄せていただいた方々は、『こんな成り行きになっていくのなら、使用を許可しない方がよかった』と思われるでしょう。するとどうなるか?

 そこへ、常に弱点に、乗じてくる敵が、絡むとどうなるか?
 もちろん得がたいほどのよい友達を失うでしょう。

 私はここで、正負、両方向を想定して、覚悟を決めないといけません。負の方へ転がり、さらに、底流にある苦痛が増すのなら、以前から申し上げてきている、「たった一人で、神(=天)のみを恃んでいきます」の継続と、さらなる覚悟の強化となるし、正の方向へ流れて、何事もなく無事にここを乗り切れるのなら、@@@@@やはり長年の継続(書くこと)が生きてきた。私のブログを舞台として展開された、この二つの流れは、非常にぎりぎりの、ものであり、しかも尊いモノである。私は恵まれている。やはり。@@@@@となるでしょう。では、非常に簡略でしたが、フェイスブックの世界での、〇〇伸一という名前が、必ず攻撃の道具とされているという以外は、諸相は抑えて、その被害といじめの実態を、ここでは、まとめておきます。

 まあ、ひとつだけ、皆様にも心がほっとしていただけることを入れましょう。それは、私が何かの欲望をもって、この世界に入ったわけではないということです。自分のブログの下の方に引っ付いている、フェイスブック用のシェアボタンを、『これはなんだろう』と思って、クリックしているうちに自然に入ったということです。ですから、『入ったのに、目的を達せられないで、損をして終わっただけだ』という思いはないのです。最初から何も知らなかった世界ですから。得たものもあるが、なかったと思うこともできますね。ただ、猫が好きだから猫用のファンブックを作ってもいいですし、自分の出版社のファンブックを作ってもいいです。そういう形で生き延びることはできるでしょう。それは、意識的な世界となります。
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このあとは、2012年1月15日アップの、「あのころ青森は、嵐だった・・・・・続・若い人を、原発現場で働かせること]に続きます。その内容は簡単に言うと、以下のごとくまとまります。
 
副題五、『その後の、展開・・・・再び若い人を気遣う』
副題六、『あのころ(*1)の青森は、嵐だった』
副題七、『原子力船、むつと、大湊港』
副題八、『六ヶ所村の、今と昔』
副題九、『運動がなし崩しになる、この国、
          そしてシニカルで冷徹な言葉の影で祈る私』

   では、2012年1月10日第一部を書き、11日に第二部~第四部を書く。そして、15日に、第五部以下を書く。   雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
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「足長おじさん・育英基金・の恋」

2012-01-07 21:51:53 | Weblog
   以下の文章は、2004年に書いたものを採録しています。実は、お約束をしていた都築を完成しないといけないこともありますが、頭の中に、今その詳細が降りてきていません。計画的に書くというよりもごく自然に、取り組んでいます。それを書き始めた、2日には頭の中に、詳細が満ちていたのですが、それを、完璧にパソコンに落とす前に、次の日が始まってしまい、間にいろいろなことが入り、集中力が落ちてしまい、お約束をしていた文章を完成に向かわせるために必要な頭が今の、ところ、私の中に、準備されていないのです。恐れ入ります。

   ところで、以下の文章は前の日の、批判を強くしている恋愛に比べると、純愛そのものの姿です。しかし、電車の中で、見つけたにhttp://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=5770b9a8fa28e16d3a6f9b140ac7a515#しては、単純でもない。とても、複雑な恋愛だと感じます。

   なお、読者の皆様に、お断りをしておかないといけないポイントがあります。それは、最初の部分で、少女の服装が貧しいと言うことを強調していることです。3.11以降、日本全体が、静かになって、消費の傾向が収まっています。が、この2004年ごろまでは、日本中けたたましいまでの大量生産、大量消費の時代でした。そういう時代に、今日の主人公は、あまりにも貧しげだったのです。
   しかし、それも、この恋愛を際立たせていたのでした。では、お話が始まります。どうかよろしく。

「足長おじさん・育英基金・の恋」

 こんどの主役である、夕方の東上線の車内で出会った女性の体の小さい事は、驚くほどでした。真剣すぎる恋愛をしているのは、目の前の座席での二人の様子で、こちらの知るところですが、女性の方が華奢で華奢で「電車内でキスしあうほどの恋に落ちても大丈夫なの? あなた、本当はまだ中学生ではないの?」と言ってしまいたいほど、小柄な体格なのです。
 それから、もうひとつ違和感がありました。お金の問題です。今時の若い女性で、電車内で人目もはばからずいちゃいちゃするにしては、あまりにも地味な風体でした。紺のスニーカーは、飾りが何もついていなくて・・・・・もしかしたら、小学生向けのものかも知れない。でもどこにも汚れがついていなくて真新しいものである。それは確かで、彼女の、このデートを大切なものと考える意気込みと、心遣いは感じられますけれど。はっきり言えば安物過ぎる。スーパーで、一四八〇円ぐらいで売っているもの。 
そして、ジーンズも、まっさらで色は真っ紺なのですが、どこにもウォッシュアウトの糸のほつれなどが入っていないもので、定番の安いものでしょう。人の恋路の邪魔をするためにけなしているのではないのですが、どうしても気に掛かる違和感があります。その上着もまたこんなに恋する気持ちが盛り上がっているデートをするにしては、あまりにも地味。中は白いワイシャツですが、それは、デザイナーのカットしたブラウスではなく、中学生時代の制服だと思われ? その上に、薄いブルーの長いワイシャツをパーカー代わりに着ている。

ごめんなさい。決して軽蔑をするわけではないと繰り返すのですが、本当に全身に安物をまとっていて、それが現代少女というか、既におとなめいた女性にしては、ことさらに不思議に思いました。それが、親から出ているお金かそれとも、自分でバイトで稼いだお金かはわかりませんが、少女向けのブランド(キティちゃんでしょうか、GAPDでしょうか?)には、バッグや携帯の紐として、プラスティックの飾りがジャラジャついています。ですから、全身にいろいろな色が散らばっているものです。決して、それがきれいだとは言えません。むしろ、今目の前にいる女性の方が、ブルー系統で頭から足のつま先まで統一しているから、よりきれいなぐらいです。質素だがきれいです。 
でも、時代の雰囲気からかけ離れたベーシックさは 「あなたの服ってダサすぎるのではないの? あなたは、よく、こんな格好の良い男の子を捕まえられたわね?」と、自分がまるで、意地悪な同級生になったみたいに、ひとこと、言ってしまいたくなるほど、安いものであるのを、示しています。

 一方、男の子の方は、ナイキのスニーカーをはじめ、総ての装着品が、定番のブランドと高い品質のもので「ああきっと、親が大会社の、課長か部長でしょうね」と言うような服装であり、それなりの満たされた甘い雰囲気を身につけているのですが、彼女は違う。雰囲気がまったく違う。
 二人は、東武東上線の先にある、東武・動物公園か何かに行って、今、帰ってきたところでしょう。夕方六時ぐらいに池袋に着く、真面目な恋愛、・・・・・だけど、体を寄せあいすぎ、目を見つめあいすぎ、肌を触れあいすぎで、周りの人々の心臓をどきどきさせるのです。

 私は、この少女が、眼鏡を掛けているし、この同じ日の午前中に鎌倉駅で出会ってその人生を心配してしまった若い女性(第七章で登場する)と同じく、全く、化粧っ気がないので、最初は、ものすごい学問を専攻している、天才的な頭脳の持ち主かとも思いました。二人は東大で、最先端の遺伝子研究等をしている同級生だったりして。それも、ありうる話です。東大に入れるぐらいだから、上のはみだしとして頭脳優先で、そこに自信があるから、服装なんか「流行を追いませんよ」と言う姿勢。そしてエリートだからこそ、人目もはばからず、いちゃいちゃくっついている。

しかし、時々、男の子の方が眠る場合があるのです。遊びすぎて疲れているのでしょう。安心しきっているのか、彼女の肩と首に、自分の首を総て預けて。すると、その途端、彼女のあどけないはしゃぎっぷりが消え去り、口をへの字に結んで、そのはじは下に下がって、寂しそうな、悲しそうな表情になるのです。彼が目を開けている時には決して見せないような、暗い表情。
判りますよ。一応はその悲しみが・・・・・恋愛なんて最高潮の時でさえ、明日を考えればその終わりを予期して、寂しくて悲しいものかも知れない。だけど、ふっと、それでも、『この悲しげな感じは、尋常ではない』と、私は、感じました。

 彼女の、今時の恋愛中の少女にしては、考えられない貧しい服装は、彼女の育ちが貧しかった事を、もしかして、反映していて、その貧しさの原因は、親に経済力がなかった事だったりして・・・・・・と思った途端、不思議な想像の世界に、私は、入って行きました。

 『ああ、この子は、もしかしたら、お父さんが自殺した子供たちのサークルである、足長育英基金のサークルに所属している少女だったりして』と。そして、『相手の男の子も、その、サークルの子だったりして』とも。彼の方は、両親が健在なのだけど、やさしい性格で、昔の時代のセッツルメント感覚、今の言葉で言うボランティア感覚で、そこへ、援助指導に行っているうちに、この少女(多分、高校生ではないだろうか?)と恋に落ちた。
 少女は、この出会いに本当に感謝して、この恋に一途である。そして、下半身の方は、総てをこの日の為に新調したのだ。ジーンズもスニーカーも、もしかしたら下穿きも、出来るだけのお小遣いで。そして、彼に感謝を深くしているから、電車内で他人から好奇の目で見られるという、恥の感覚さえも捨てて、彼のすべてを受け入れ尽くしている。

一途で、一途で、それ以外何もない恋。計算も何もない恋。将来の結婚なども、視野にも入れていない恋。
 以上の事は、私の全くの想像です。でも、私はその日の午前中に、鎌倉駅で出会った「離婚をするつもりです」と断言した若い女性(第七章に登場)と同じく、この少女の、事も、いとしくて、いとしくて、たまりませんでした。同じ日に二人も切ないほどいとしい人に出会うなんて、不思議な事でしたけれども。
 人の恋なんて、順調に育つ、場合だけではありません。ましてや、結婚にまで到った純愛でさえ、さきほど述べた女性のように、壊れる日が来る。でも、今、そんな未来の事は何も考えず、ただ、男の子を、その頭を、全身で抱こうとしている。その姿は恋愛ドラマの定番の、ロミオとジュリエットとか、その他の最上の芸術品を思わせました。
そう言えば、その夜、NHKの教育チャンネルで、ローザンヌの、バレーのコンクールで入賞したソリスト(今は、プリンシパルと言うらしいのですが)たちの情感溢れる、見事なパ・ド・ドゥ(二人で踊る愛の情景)
が放映をされていて、それを見て、私は、その日の昼間、鎌倉と東京でであった、二人の若い、そして、いとしい女性たちのかなしさと切なさを、しみじみとあらためて思い出していたのです。なんと深く、それらの踊りは、心に訴えたでしょうか。
     二〇〇四十月十日、台風の次の日に、

  2010年1月7日、雨宮舜( 本名  川崎千恵子 )
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大量の塩で死体を埋める・・・・・若者が結婚をしない時代に。

2012-01-07 02:23:27 | Weblog
・・・・・電車の中で、若い女性に忠告をした話・・・・・

 2005年に書いたエッセイですが、昨日があまりにも緊迫した話だったので、ちょっと息抜き用に、皆様へご提示します。
 今、2012年、お若い方が、結婚がしにくいというお話が出ています。
 それは、なぜかというと、
 若い方が、あまりに簡単に、セックスへ移行してしまうことと、不倫の関係が多いこともあるでしょう。
 以下のお話は、あまりに早く、セックスに走っては駄目ですよというご注意です。でも、どうか、身にしみて受け止めていただきたい。では、

 これからお話をするのは、現代では普通の話。普通の恋の話です。しかし、結末はちょっと恐ろしい。
驚くべき事件が、ひょいと隣で起きる現代です。そんな、時代を彷彿とさせるエピソードなのですが。
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 内回り線を利用して、東京駅を池袋に向かって過ぎたあたりで、目の前に二人の若い女性が立ちました。その顔と体格のいたいけで、可愛らしいこと、まさに昔の言葉で言う『番茶も出花』の年頃です。二十才前後でさわやかです。ただ、今時(二〇〇五年)の典型的なお嬢さんで、白い木綿のカーディガンの下は、ヨーロッパのヒトが「日本人は下着で歩いている」とよく言うらしい、キャミソールと言う形のブラウスで・・・・・
下は、ジーンズ。こう言っては失礼だが、並の金額で買える並の品質の服装です。普通のヒト、普通の階級のお嬢さん。大学生ではありません。大学生だと、もっと遊んでいる傲慢な感じを受けます。既に働き始めた人たち、それも、スーツをびしっと決めてはたらく大企業のひとたちではない。ブティックでお洋服を売っていたりする、そう言う感じのお嬢さんたち。

 しかし、乗ってきてつり革につかまった途端、カレシ(恋人)のパンツの話です。それが、先ほどから繰り返し説明をしているように、決してすれっからしではない、しかもお化粧も濃くはない、普通の純情そうなお嬢さんが話すのですから『いかに今の若者が、手早くセックスの段階まで入ってしまうのか』と言う点に、まず驚いちゃったのですが・・・・・

 「カレシは、クレヨンしんちゃんのキャラクターが一番好きなのだけど、パンツが、すべて、キャラクターデザインのもので、・・・・・・でも、それって、前の彼女がすべて、買ったんだって」と右の子が言います。
 左側の子は、いじわるでもなく、嫉妬するでもなく、たんたんと、相槌を打ってあげています。
 右側の子は、結構、自己分析の能力もある子で「その日は、喧嘩っぽくなく、別れたんだけど、後で、だんだん腹がたって『捨てて。全部捨てて』って、電話で言ったの」とか、なんとか・・・・・延々と、その手の話題が続くのです。
 で、何回かセックスをした後で、段々身元調査にも入って行ったらしいのですが、そのカレシは、「マンションを三つ持っていて、両親は父、母、別々に会社を経営していて、そこからも幽霊社員として、カレシには給料が出ていて、だから金持ちで、でも、ご本人はギター教室の先生で、土日もないほど、忙しいんだ」とのこと。
 すると、今まで、ほとんど相槌だけだった左側の女の子が「結婚願望はどうなの?」と質問をしました。すると右側の子が「ないみたい。でも、四十才でしょう。だから、『今までどれだけのひとと、付き合ってきたか、人数を教えて?』と、言うと『待ってて、よく考えてみるから』なんて言うの」と応えます。
 ここまで聞いただけだって、私としては相当心配で『このお嬢さんの親は、この交際を知ってるのだろうか? 知らないんだろうな? 大丈夫かしら? ああ、うちの娘が、変な男にひっかからないうちに無事に結婚を出来て、良かったなあ』なんて、心の中で考えていたのですよ。

ところがね、私がとうとう、口を挟まざるを得ないエピソードが出てきました。心底ぞっとするようなエピソードが。なんと、カレシは、「大量の塩を買ってきた」と彼女に言うんだそうです。「カレシは医者じゃあないんだ。だから何に使うんだろうって、思うの。だから、聞いているんだけれど、使う目的を言ってくれないんだ」そうです。
 その用途を、ある時とうとう、じれた彼女が問うと「あ、しまった。塩を買った事を言うんじゃあなかった」と言う顔をするのだそうです。彼女自身、非常に、不審に思い怪訝に思っていて、だからこそ、この件を友達に話したかったようです。普通なら恋愛の話を電車の中でしないですよね。せめて、ドトールかスターバックスに入ってから話す話題でしょう。

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 私は、ここに来てたまらず、口を挟みました。「あなた、その男の人と、これから先も付き合うのなら、彼の実家に行ってみて、彼の両親を見ないと駄目よ。もしかしたら、その塩で、死体を漬けるのかも知れないから、用心をなさい」と言いました。
 いえ、まさかと思うけれど、三つもマンションを持っているなんて、普通の若い人ならできない生活です。それに、会社を両親が経営をしていると言ったって、まともなビジネスなら、この不況(二〇〇五年の六月の話だから)下、たとえ息子と言えども、幽霊社員用の給料など払っていられない筈なのです。

 どう考えても『カレシと言うのが、非常におかしい人物である』事を、この話は示唆しています。もし、彼の言う三つのマンションが、今まで付き合ってきた女性を殺しては、手に入れたものだったりしたら、どうなります? 
この前の鎌倉の事件(由比ガ浜で、若い美形のサラリーマンが、不倫相手が妊娠をしたので、殺害し、自分の家の庭に埋め、さらに偽装工作を重ねていた。正妻はスッチーで、しかも主犯の両親も同居の二世帯住宅内での犯行だから、驚くべき犯罪として世間を巻き込む大騒ぎとなった。その主犯が、息子と高校が同期だったので、それもあって、我が家では重大な関心事となった)ではないが、普通の顔をして、ワイシャツを着てネクタイを締めていながら、すごい事をする人間さえ、いるのです。危ない、危ない。 
それに、北九州の松永と言う悪は、普通のマンションで、何人もの人間をあとかたもないように、抹殺して行ったのですよ。犯罪が遠いことだった昔の日本ではないのです。日本はとても、変わってしまいました。
 私は、その一瞬に、カレシが本当にやりたい事を想像しました。目の前にいる、さわやかで可愛い(しかも自分・・・・・と言うのはその塩を買った男性のこと・・・・を信じている)彼女を殺し、死体の一部を塩漬けにして腐敗をしないように押入れに隠し、別の一部分を冷蔵庫に入れ少しずつ、少しずつ、生ごみとして、ごみ収集日に捨てて行ったら、誰にも気が付かれないで死体を処理できます。
 猟奇的な事件って、その発見をされる当日まではだれにもわからない形で、進行するのです。(この文章を書いただいぶ後で、平塚で、自分の子供と見られる白骨三体を押し入れのダンボールに入れ、布団の上には、殺害した自分の娘の遺体を放置して寝かせており、別の部屋には自殺した前夫の息子が吊り下がっていたと言う、恐るべき事件が起こったのです。それは殺すべくして殺したのではなく、愛情の行き違いとかもつれとか、育てるのが面倒だとか、いろいろ理由はあるのでしょうが、いずれにしろ面積が大変狭いアパートの中で起こった事件なので、猟奇的と言ってよいでしょう。数ヶ月発見をされなかったのです)
でも、その数秒後に、電車は池袋駅に着いてしまいました。が、私は、自分の忠告が、二人に受け入れられたのを感じました。

 普通、こう言う若い女性が私の事を『変なおばさん。おせっかいめ』と思った時は、お互いに目配せなどをして、私を排除するものなのです。それが全くなくて、唖然として私を見つめながら、二人とも声もなく、でも、決して嫌がってはいない顔で、私を見つめていました。
 本当は、右側の彼女は、この男性(カレシ)に、既に相当な胡散臭さを感じていて、「ちょっと、変だな」と既に思っていたところでしょう。昔なら、こう言う男は結婚詐欺師として、警察につかまるところでしょうが、今の女性と言うか(社会全体の風潮が)簡単にセックスまで走ってしまって、それが結婚とは結びつかなくても、それで、良いと言う感覚があるために、あぶない、あぶない、話が出てくるのだと思います。
そして、この年齢では女性が損をしてしまいます。あたら、若い花の時間を、たいせつなパートナーを見つ
られず損をしてしまいます。
いずれにしろ、本当に、会社経営をしている両親が揃っているのなら、息子が四十才になっているのに、結婚をしないなどと言う事を、心配しないわけはないのです。で、当然、恋愛か見合いのどちらかで身を固めているはずなのです。男の話はすべて嘘でしょう。が、まるで、アガサ・クリスティか、ポワロの世界を山手線の車内で、聞くとは思いませんでした。
 でも、この華奢で細身で現代風な女性が、午前中、東横線の車中で出会ったような、たくましくも上品で、かつ、安定した女性になるまでは、前途遼遠だと考えたものです。あぶない、あぶない、
・・・・・お嬢さん、どうか、青春真っ盛りの、御身を大切にして・・・・・。
                             では、二〇〇五年、六月二十五日
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現代の、言論弾圧は、鎌倉砂岩を使う△

2012-01-05 10:34:25 | Weblog
 これは申し訳ございませんが、小説仕立てで書かせていただきたいと存じます。ただし、無論のこと、これは、政治的問題、特に現代の、言論弾圧がどういう風に行われているかを語るものです。

 そして、見事に敵陣さまは釣られてくださっています。この小説の中で、原発推進側が最もかわいがっている政治家としてあげている大友二郎氏は、『あんまり引っ込んでいると、地歩がなくなる』と思ったのか、選挙区へ帰りましたね。その行動は常に、私の文書と連動しています。そして次の日、4日には、彼の配下の代議士が新党を立ち上げました。
 なお、どうして、エッセイで書かないかというと、読後皆様もすぐ、ご理解いただけますように、差しさわりがあっちこっちにあるからです。
 そして、そんな無理なことをどうして、ココで、書くかと言えば、これが、この2日の朝(=元旦の夜)に、寝床の中で沸き起こった文章のアイデアだったからです。
 常に申し上げております。「神様が、頭上に落としてくださるものを書く」と。そういえば、今日はこれだと感じています。

 で、小説として書く場合は、文体は『です。ます。調』ではなく、『だ。である。調』となります。そして、語り部たる主人公の名前は、村岡百合子となり、相手方というか、ほかの登場人物は、それなりの、名前を与えられます。
 なお小説といっても、修飾部分はあまり無くて、とんとんと筋が運びます。それは、それは、大胆に運びます。(笑)
 でも、思いがけない、終わり、は用意してあります。ちゃんと起承転結を伴っていると思います。
 なお、6日の午後零時現在、5000字増やしておりますので、ぐっとわかりやすく、なっていると思います。どうかよろしく。

第一章、『政治家がまた、嘘を言っている。それは、危険な信号だ』
第二章、『真夜中に、石が、外壁へ、投げつけられる』
第三章、『石は西側からも、ぶつけられる。もしやお隣が、敵?』
第四章、『投石と、猫のトラブルが、ここで結びつく』
第五章、『警官がやってきて、偽者の調書を取る。驚愕?』
第六章、『投石の真犯人を見つける、試み』
第七章、『実験中に名案を思いつく。で、やっとなぞが解ける』

第八章、『休憩=======前半部分結語』

第九章、『クラス会が、銀座で行われる。これは罠だ』
第十章、『屠所の羊は、神の子羊でもある』
第十一章、『やがて、自由時間になるが、自由な精神で動くのだ』
第十二章、『モズクの、酢の物が、新刊書を汚していた?』
第十三章、『フェイスブックの世界で、同じことは繰り返される』

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第一章。『政治家がまた、嘘を言っている。それは、危険な信号だ』

 それは、2009年の1月のことだった。
 ニュースによるとアメリカから、国務長官が近々来日するということ。そういう事情を控えて、百合子が最も警戒する政治家、大友二郎が、アメリカ批判を開始していた。なんと、「基地を返還させ、アメリカ軍が、日本から引き上げるのを求める」というのだ。百合子はあほらしいと思う。そんなことができるかな?

 アメリカは、日本を完璧に支配している。その根幹を成すのが、力による支配だ。それが、日本における米軍基地なのだ。「それが引き上げる」だって。むろん、そうなれば、うれしい。だが、できるだろうか。できるはずがないと思う。それを、できるかのごとく、堂々と言い放つ、大友二郎に、一生で、何千回目かの嫌悪感を抱く。

 しかし、こういう風に大友二郎が、国民をあざ笑い、フェイク(偽者)のニュースを流すときに、は、彼ら、国際的軍産共同体が、極端に強く、自分たちが勝つと信じているときで、原発に反対をしている百合子の身辺は、又、又、ざらついてくるのだった。

 東電が、いじめる手段として使われている。帰り道で工事が、しょっちゅう行われるが、数ヶ月前から、きちんと予定表が発表されているものだけではなくて、数日前に突然発表された工事が、鎌倉の八幡宮周辺を囲んでしょっちゅう行われ、あまつさえ、ひとつしか進入口がない、百合子の家への道で、行われる。そこを、絶対に通らざるを得ない、場所で、まるで通せんぼをするがごとく、突然に、工事をやっている。
 これは、2008年から彼らが始めた脅かしの手段で、鎌倉駅から長い小町通に入る際には、道路は真っ暗に見える。が、全部で、800メートルはあるその長い一本道の途中、400メートルまで到達すると、突然前方に大きな丸いライトがついて、轟音を立てて工事が始まる。それまでは、音も光も無いのに、突然それが、浮かび上がり、そばを通れば屈強な男どもがあれこれと、がさつな風情で、動き回っているので、繊細な百合子の精神を脅かす。それが可能だと、彼らは信じているのだった。

 共同溝、工事だと言うが、なんと、2008年の二月から始まって、その2009年の1月でも、まだ、一本も、電柱は、取り去られておらず、きれいな敷石の道は、回復せず、たまたま工事をやっていない日にタクシーでそこを通ると、バウンドが激しかった。(注、それは、2012年になってもまだ終わっていない。不思議な不思議な怠慢さを示している。工事費は天文学的なレベルで無駄遣いをされている。)

 この工事は、百合子が書いた、『敷石を磨く男』と言うエッセイの効果を薄めるために行われていると百合子は直感していた。だから、いつまでたっても電柱は取り去られることは無く、昔、設置されていた美しい敷石は回復することが無いのだった。原案は、鎌倉の有力者、伊原健次郎と、彼の盟友であり日本中にその盛名がとどろいている大作家、○○つよしである。

 この二人は、ひょこひょこっと、アイデアを思いつく。彼らにしてみれば、絶対に自分たちの姿はあぶりだせないはずだと信じて、公の組織を使う。だが、百合子は裏側をすべて、見ぬいていた。で、ある日、工事責任者を呼び出して、今日は何をやっているのと聞くと、単に土の中の障害物を取り除いているのですと、言う、が、そこは何度も掘り返したところで、ジャまになるものなど、石っころ以外には、なにも無いことはその現場監督そのものが知っていた。で、恥ずかしそうに目を伏せるのだった。

 悪いのは井原健次郎と、○○つよしの二人である。だが、彼らは性懲りも無く、同じ手を使う。百合子がなずけている大相撲壊滅作戦はその、もっとも顕著なものである。たいしたことも無いのに、大騒ぎをして、相撲の世界をめちゃくちゃに貶めた。単に、ある男性の下半身の名誉を守るためだけに。すべては井原健次郎と、輪子が愛人関係にあったことを隠すために行われていることだった。輪子というのは、百合子の近所で書道教室を開いているわがままな女性だ。どうして伊原がそれほど、守られるか。それは、彼が国際的軍産共同体の重要なエージェントだったからだ。特権階級中の特権階級と化しているのだった。

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第二章、『真夜中に、石が、外壁に、ぶつけられる』

 この道路工事に似ていることとして、これも百合子を脅かすために、しょっちゅう停電がある。(注、これは、2009年の話。3.11直後の話ではない)、停電の最中、に、百合子が寝ている部屋へ、南側から、大きな石がぶつけられた。東側の増築部分は壁が、モルタルで、しっかりしているので、石がぶつけられても反応音は鈍い。が、百合子が寝ている部屋は、古家を買った部分であり、壁がトタンでできていた。鎌倉に好みの家を建てるのだから、前の建築主は気取って、きちんとした壁材を使うものだろうと思うが、ここは、数十メートル上がる山の上なので、建材をすべて、人間が運ぶ。それで、建築費がばか高い。だから、材料費をケチっている。そのトタンに石が、がたんとぶつけられる。中の支持材がしっかりしていないので、家の中にいると意外と音が大きい。当然のごとく気が付く。それに、百合子は雨戸を閉めない習慣なので、百合子がおきていることは、南側から覗き込めば、すぐわかる。だから、その音が自然なものではないのはすぐに了承をした。攻撃だった。
 百合子は、その事情はすぐわかる。

 彼らは、百合子の文章を恐れている。で、書くことを止めさせようと躍起だ。もっとも有効な手立ては、ノイローゼにさせて入院をさせてしまうことだと考えている。だから、暗くなった停電の夜、午前二時ごろに、壁に、がたんと大きな石のぶつかる音がすれば、彼女は驚き入るはずで、おびえるだろうと思われている。

 南側は、山である。いくらでも、そして誰でも侵入できる。誰が? 専門家か。それとも、ご近所の人間が教唆されてやっているのか? ご近所の人間が使われている可能性も十分あった。

 これ以外にも恐るべき汚いことが繰り返し、ここでは行われていた。あまりにひどいので、それを文章に書いていた。それが、彼らにとっては、またあらたな脅威であるらしくて、果てしない攻撃が始まっていた。やめればいいのに、まるで強迫神経症にかかったように次から次へと攻撃案を編み出すのだった。が、その最大の初因は彼ら側の悪にあった。だから、百合子は引くわけにも行かず、彼らの悪を次から次へと暴き続ける。そして、それを文章に書く。いたちごっこだ。

 が、長い忍従の果てに、少しずつ、百合子にも光が当たり始めていた。彼らが、作戦を変えてきたのだ。それは、少しは反省をしたということ、または、自分たちだけが、一方的に勝っているのではないと思い始めたことを示していた。なんと長い時間だっただろう。我慢の上の我慢だった。

 結局は大学時代、および、横須賀時代に、CIAの人間と思われる、タイプに、頭の良さを見つけられてしまったことが、原因だった。別に、あえてそうしたわけではない。何も政治運動はやっていないし、政党にも属しては居なかった。が、どうしてか、不思議な形で、彼らと百合子には、接触があり、百合子の頭のよさは彼らに完璧に知られてしまっていて、つぶそう、つぶそうとずっと、図られていたのだった。
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第三章、『石は西側からも、ぶつけられる。もしやお隣が、敵?』

 南側から石がぶつけられてきた最初の夜には、プロ(CIAとか、革○と呼ばれる人間)がやっていると思ったが、それ以降、三ヶ月置きぐらいに、工事が原因の停電ではない普通の日に、西側からも、石がぶつけられるようになった。南側は、自由に誰もが入れる山だ。だから、プロがやっていると思う。が、西側は自由には入れない。で、まるで、お隣がやっているように見える。これは衝撃だった。

 鎌倉の石は、やわらかい。だから、音も柔らかい。どーんという音は、百合子にはわかるが、ほかの家には聞こえない。それで、いつまでも、いつまでも、この攻撃は続いた。しかし、研究を重ねるといろいろなことが、わかっても來た。砂岩というのは、中間的なやわらかさをもち、トタンを相手でもぶつかると石の方が割れる。が、と、同時に、トタン壁にも凹み跡が付くのだった。
 そして、石は割れたとたんに、真下に落ちる。だから、西側から直角に投げこまれた様に見える。
 が、不審極まりないことには、西側は誰もが自由には入れない。お隣しか入れない。

 最近、上品で相当なインテリの若夫婦が、新しい家を建てて引っ越してきた。夫婦とも建築科出身だと聞いて、奥さんに「早稲田の建築科のご出身ですか?」と質問をした。それは、百合子が、早稲田の建築家出身の人を数人知っていて、彼らが、上品なことを知っていたからだ。だが、「いえ、違うんですよ。早稲田もいい学校ですけれどね」と答えたので、『あ、そうか。東大なのだ』と内心で、思った過去がある。

 そんな素敵な夫婦の家から、真夜中に、人を脅かすために、石を投げ込まれる。もしそれが事実だとしたらと、深い絶望に襲われる。四面楚歌とはこのことかと思う。だが、そのタイミングが、見事に百合子が書くものと連動している。百合子が銀座等で、感じたいやなことを、踏み台にして、この国の政治の本質を暴いた後で、見事に石がぶつけられるのだった。
  百合子はそれで、『どうも、怪しい。何か策略であるような気がする』と思い始めた。

 この行為の目的は、***お隣と、私を喧嘩を、させることではないか***とも感じ始める。

 お隣の家は、敷地だけを言えば、もともとは、一人の大家さんが、実質的な面積、80坪(登記簿上は、私道部分やがけ部分を含んで、120坪ぐらい)を買って、その中に二軒の家を建てていた。そして、最近、その二軒を別々の持ち主に売ったのだ。それで、間が、狭いので、両家の間だけは塀を作っていなかった。特に百合子側から見ればさらに西側に位置する、栃田登の家とは、水平面も同じであり、簡単にお隣の敷地内に侵入できる。あそこのルートを使って、侵入し、北側から斜めに、石を投げつければ、音がするのではないかと思い当たる。
 それをやっているのは栃田登である可能性もあった。栃田登は最初の章にあげた、輪子の現在の夫である

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第四章、『投石と、猫のトラブルが、ここで結びつく』

 栃田登の妻、山川輪子は、鎌倉の有力な文化人、伊原健次郎の愛人だということで幅広く書道教室を開いていて、収入面で羽振りが良かった。どういうことかというと、伊原健次郎が、鎌倉市長にでも取り入るのか、鎌倉市内の、各所の公民館とその支所や、老人施設でお教室を開かせてもらえるのだった。それで、お月謝の合計が一月に、200万円にも上るそうで、傲岸不遜極まりない人間だった。その影響で、百合子は、私道部分を一軒だけコンクリートうちをされてしまい、花畑を失った。それの損失だけでも、25年間には、500万円に上る。これは、ほかの家が、その私道部分で楽しんでいる部分を貨幣価値に変換するとそうなる。

 が、最近では猫に関して、新たな、大トラブルが起きていた。百合子の猫が、お出かけが多い百合子の留守中に、そこへ遊びに行くようになったのだ。そして、先生と先生のお弟子さん、の、すべてにちやほやされるものだから、居心地がいいと思うのか、なかなか、帰らなくなったのだ。それに、味を占めて、やりたい放題のいじめを百合子に仕掛けてきていた。百合子は、不思議なことに、いじめられやすい人間なのだ。それを嘆いて賢い、年上の友達に「どうしてでしょう?」と聞いたら、「あなたには、どこかにじみ出る、育ちのよさがあるのよ。それは、まねにしても、大人になってしまった人間には容易には得られないものだから、憎たらしいと思う人は出てくるのよ」と解説された。で、いじめの一種としてか、猫を返さないようになった。
 
 しかし、夜は百合子の子供たちや、夫が帰ってくる。みんな猫好きだ。で、夜、猫がいないのは困る。で、毎晩、百合子が、迎えに出かけるようになった。そんなある寒い夜に、呼び鈴が聞こえない振りをして、外で、五分も待たされた。それが、下品な、輪子と、登夫妻のセクシュアルな快感を呼び覚ますらしかった。サディズムの極地の人間たちなのだ。百合子は、埼玉県で起きた少女コンクリート詰め殺人事件を思い出した。それと比べると規模は、小さいが、コンセプトは同じだった。

 彼らが威張りかえる、よりどころになっている、鎌倉の有名人である井原健次郎の方も、インターネットで調べてみたが、決して上品な人物とはいえなかった。彼の会社の勤務者が次から次へとノイローゼになっていることも知り、登と輪子夫妻が、真に教養のある人間として、反省する要素がないことは、わかってきた。

 で、結局のところ、夫と息子が強く主張をして、猫を家から出さないこととにしたのだった。猫は自由なものだから、百合子はこの措置には、大きな怒りと無念さを感じたが、どうしようもなかった。ところが、百合子の猫は、特別に活発で、行動力が抜群であり、過去のうまみを忘れなかった。  

 2005年の或る夏の午後、ちょっとした隙に家出をして、登・輪子夫妻の家へまた、行ってしまった。それは、寒い夜にあまりに長い時間待たされたことに怒って、絶対に出さないと決めた時からは、半年経っていたが、その六ヶ月前のうまみを、百合子の猫は忘れていなかったのだ。つまり相手を家来として使えることの快感である。絶対にちやほやしてもらえるとわかっているから、そこへ出かけた。

 百合子はその日、ふと、猫が居ないときがついたときに、『今日は、夜まで待っていては駄目だわ』と思い当たった。彼らは、相当にあの猫にこだわっている。『これを、勿怪の幸いとして、もう返してくれないかもしれない』と、推察した。で、昼間のうちに、すぐに迎えに行った。

 彼らは、予想通り猫を家に入れ、隠していたが、やはり、『これは、まずい。名誉ある常識人のすることではないということはわかったのか、うそをつき通すつもりらしかった。もし「はい、います」と言って素直に返してくれれば、彼らの恩人、伊原健次郎も、ここまで深く、その悪人振りを、白日の下にさらす可能性もなかったのだが、徹底的に幼稚な夫婦なのだった。で、無鉄砲にも「居ない」と主張し、大声で、百合子を脅し始めた。『こいつを、早く家に返して、猫がいることを、絶対に、知られたくない』と思ったのだろう。が、彼らの思惑に反して、その大声に驚いた猫が、外に、飛び出して來て、「お母さん、おうちへ早く帰ろうよ」と、言った。猫は、乱暴なこと大っ嫌いだ。特に大声なんて、大嫌いなのだ。そんなこともわかっていないなんて、信じがたいあほだ。猫は、ただ、にゃあ、にゃあと、啼くだけなのだが、百合子は、特別な感性を持っていて、猫語がわかるのだった。
 
 百合子は時々、神様が身近に居てくださることを感じている。このときのことも、『これほど明瞭に、神様が、身近にいることを感じたことはなかったなあ』と思うほどだ。そして、このなきごえと、百合子を慕う様子は、登・輪子夫妻をぶちのめした。
 彼らは、うすうすは百合子が相当な人物であることを知っていた。しかし、百合子の猫が、百合子よりも、自分たちの方をより慕うので、それを根拠に『自分たちが上である』と信じきっていたのだろう。そういう猫の様子が、大きな自信の糧になっていたのだった。

 しかし、最後の最後、徹底的に、恥じ多い形で、真実を知らされたのだった。真実とは、この際は、百合子の猫が、彼らより、百合子を慕っているし、百合子を大切に思ってくれていることだ。欲張らなければ、これほどの恥をかかなかったはず。丁寧に礼儀正しく、かつ、普通に、「あら、來ているわよ。久しぶりだから、私たちも楽しんだわ」ぐらいの会話をもって、すぐ返してくれたら、大事にはならなかった。中学生みたいな、幼稚な心情で、猫をかくしたうえに、さらに脅迫的な大声を出して來た。それによって、猫そのものに裏切られたのだった。猫も幼児も、直感は確かである。決してだませない。

 悪人とか、下品なものを、即座に見抜くのだった。そして、自分の家来となってくれる人間をも。一応、ちやほやされることは、好きではある。だが、大切な本当のお母さんが、苦境にあれば、お母さんの見方をするものだ。彼女の、本当の家族は、私たちなのだから。毎晩、布団の中で一緒に寝ているのは、お母さんこと、百合子なのである。

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第五章、『警官がやって来て、偽モノの調書を取る。驚愕?』

 しかし、この屈辱から、真実を学ぶことは、この二人にはなかった。彼らは、屈辱を晴らすために、その直後に、警官を呼んだのだった。その警官にこのように頼んだ。『あそこの奥さんを、だんなさんに叱ってもらってください』と。こんなことに応じる警官も馬鹿のきわみだと思うが、それが起きたのは、今、投石についての文章を起こしている2009年より、二年前の、

 2007年の8月の第4週の日曜日だった。日曜日だから警官はその『だんなにしかってもらえ』という言葉を信じたらしい。旦那は家にいるはずだと。そんな馬鹿な命令にやすやすと、従ったのは登・輪子夫妻が、鎌倉の有力者、伊原健次郎の名前を出したのだと、推察する。

 だって、現場警官だって、一応高校は出ているはずだ。それに、入庁試験も、あるはずだ。そして、入庁してからだって教育はあるはずだ。それなのに、*****ここでは、自分たちがとんでもないばかげたことに巻き込まれていて、やってはいけないことをやっている*****という反省が、一切ない態度や行動を示したのだった。年長の警官は、ドアノブをガチャガチャ言わせながら、「あんたに、用はねえんだよ。だんなに用があるんだ。だんなに出て来てもらいたいんだ。あんたを叱るためにね」と、いい続けるた。それで、百合子はすっかり余裕を持ってしまった。特に日曜日は、百合子の夫は仕事をする人と決めており、家にいなかった。彼がいるとかえって簡単に巻き込まれて、相手の言うなりになってしまう。そこを栃田夫妻も狙っている。が、彼がいないのだから、これは、まず第一段階で、こっちの勝ちだ。

 特に、その警官の音をガチャガチャ、乱暴に立てながらドアを開けようとする様子にも余裕を持った。そのドアの内側には猫トイレを置いていて、一切開けたことのないドアだった。使っていない。が、一回ぐらい猫を返しにここを訪れた輪子は、夫・登に、「あの家って、二つも玄関ドアがあるのよ。家庭内別居だから、白いドアを、奥さんが使って、ベージュ色の方は、旦那が使っているのでしょうね」と言ったはずだった。テレビドラマかなんかで、見た、家庭内別居夫婦の図を、勝手に自分たちで敷衍して、応用しているわけだ。それが、目の前の警官の動作に如実に表れていた。警官は、それを音高く、いじれば、中から、別居中の旦那が出てくると信じているようだった。

 ともかく、登・輪子夫妻が、『あの家は夫婦仲が悪い』といって、それを警官が信じていることが推察された。そんなことは名誉棄損、人権侵害の極みだ。だから、勝手にやらせながら、どの時点で、法的に役立つ証拠が、こちらに握れるかを、じっと待っていた。

 『夫婦仲が悪いだって』それは、ばかげた誤解だった。精神の部分が発達していない、彼らが考えるに、百合子がアトリエで、別居していた三年間が、そういう意味を持つのだろうが、それは大きなアーチストとなるべき百合子が、海外修行をしたくて、やっていたことだから、野望を持っていない人間には、理解が不可能なことだった。百合子は目の前の警官も、その後ろにいる、登・輪子夫妻も、さらにその後ろにいる井原健次郎も、すべてが、自分より格下だと、決定的に感じ、警官二人をやりたいようにやらせておいた。すると、若い方が、馬鹿のきわみにも、調書を取り始めた。

 『泥棒は登・輪子夫婦の方なのに』とあきれ返ったが、ともかく、お釈迦様の手のひらの上で泳がせるつもりで、十分に書かせた上で、「これは取り上げますよ。こんな不当なことをされては、弁護士にこれを見せないといけないから」というと、突然二人は、目が覚めたようにあわてまくって、自分たちが大失敗をしていることに、気が付いたのだった。猫はむこうが盗んでいるのだ。法的に厳密に言えば窃盗犯は、あっちであって、そっちが叱られることはあっても、単に自分のものを取りに行って、脅かしまくられた百合子が、警官に脅される必要はない。その前の段階の、警官が百合子を叱る理由もないし、百合子の旦那に百合子を叱ってくれと命令する理由もない。が、その段階では、彼らの失敗は法的には、形とはならない。だから、十分に待っていた。この一事をもってしても、警官を含んで、彼ら井原健次郎に連なる人間がどれほど、未熟であほであるかがわかるのだった。したがって彼らの上に立つスター、政治家、大友二郎の頭脳も推して知るべしだ。が、NHKは、しばしば大友二郎を称揚する特集を組んだ。それが、この国の構造を、百合子に向けて、さらに明らかにしていく。
 
 元へ戻ろう。
 さらに驚かされたことは、これが、交通事故用の調書だったことだ。弁護士にファックスの形で送ってから解った。百合子の家は地上からは、130段も石段を上がった山の上にあり、車など、一切入ってこない。しかも目の前に、血が出ている人間はどこにもいない。

 ところで、ここで、2009年から離れて後日の話をしないといけない。百合子の家にはしょっちゅう泥棒が入るが、ライターとして大切なものが次から次へと盗まれる。ある日、気が付いたが、この交通事故の調書のコピーがなくなっていた。ということは、恐るべき発想へつながる。警察が、自らの失敗を糊塗するために、泥棒さえやっている?」ということとなる。 しかもその泥棒は調子に乗って、日によっては、百合子宅の20っ個以上はある壁の額をすべて、左側だけ3センチほど下げたり、パンツを引出から、あっちこっちへ移動をさせたりする。

 それで、百合子はこう判断をしている。・・・・・鎌倉の有力者井原健次郎が輪子と自分との過去の下半身のつながりを隠すために、国民的大作家、〇〇つよしと組んで、二人がすべての脚本を書いている・・・・・・と。

 それで、国際的軍産共同体のエージェントたる二人が、命令する部下としての、泥棒は数種類いるとも見ている。中には警官が、百合子宅に入っているケースもあるだろう。が、国際的軍産共同体の手下ども、特に瀬川機関と呼ばれるものや、ありとあらゆる鍵を開けてしまうといわれる革〇なども手下として使われている。また、ご近所にも鍵を渡されている可能性がある。額が左側だけ三センチ下がっているのは、百合子宅に入ったことがある、美術の専門家だろう。また、家の前に、数か月にわたって馬鹿げた形で、警察のポスターを張っていた家があるが、そちらも鍵を渡されている可能性がある。

 そちらも、ひどい迷惑をかけてくるので、すでに文章として分析してあった。たぶんだが、3人も実子がいるのに旦那は部下の若い女性に手を出して、奥さんを追い出した可能性がある。そんなことは誰に聞かないでもわかる。略奪をした奥さんの行動を見ていれば、すぐわかる。母の形はしているが、愛情が全くない。それを文章に書いていた。そちらが先にひどいことをやってきているで、それを記録する文章を書くと、ハッキングをされているので、すぐ伝わって逆恨みをしてくる。だからこ、泥棒に入るという次の恐ろしいことも平気で出来るのだろう。まあ、断定だけは避けよう。単に、『パンツを動かすのは、三人も子供がいて、表では賢夫人面をしているが、裏では夜叉のごとく、子供ににらみを利かせる二度目の妻を持つ家の、旦那である・・・・・・その可能性がある』とだけ、ここでは言っておこう。

 ここで、再び元に戻る。パンツやら何やらよりも、もっと大切な、交通事故の調書に戻ろう。それが盗まれたのが一番、大切なことだった。向こう側にとっても、こちら側にとっても。というのも最初の数年は向こうは大喜びだろう。が、数年上経てば、むしろ、それを泥棒に入った事とが、彼らの弱点にもなるのだった。どうしてかというと、まず、この小説の筋を生き生きさせ、そして前後の脈絡を際立たせるではないか。そのほかにも今は明かせない理由もある。
 そして、盗んだって、弁護士にファックスを送ってある。弁護士が、百合子を裏切るようだったら、この国は法治国家としては成り立たない。また、弁護士事務所に泥棒が入るようだったら、これも、この国が法治国家ではないこととなる。

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第六章、『投石の真犯人を見つける、試み』

 百合子は、投石が行われるタイミングから考えて、これは、政治的な弾圧だと感じ始めた。登・輪子夫妻が信じがたいほどのわがままと傲慢を繰り返すのも政治的な裏があるのにも気が付いていた。横須賀時代に、日本の黒幕、つまり、国際的軍産共同体のエージェントとして、もっとも大きな存在だといわれる、瀬川隆造と、バッティングをしていた。瀬川と、その軍人時代の親友、増田大蔵が、しくんだ公用地の詐欺めいた不正な取得転用の目撃者となっていたのだった。つまり、簡単に言うと百合子は、実は天才的に頭がいいのだ。瞬間的に悪を見抜く。ただ、普通の人間はそこまで頭が早くは回転しないので、自分たちのあくが見抜けるはずがないと思うらしくて、とんでもない証拠品を百合子に堂々と開示するのだった。それは、地籍変更届の書類という形を取っていたが、百合子は、一週間か、二週間で、その悪巧みの裏がわかった。

 増田は、事件後死んでいたが、瀬川が、その不正で、取得した土地に、三十年後を期して、数棟の大マンションを建てていた。売上高としては、数十兆円に登るものを、計画していたが、その裏側を知っている百合子が、そちら側からも、抹殺をされそうになっているのは自分でも知覚していた。悪人は相手方なのに、知恵の限りを尽くして、策略を弄して来るので、神経の休まる間がない。

 百合子の方が、先に、その汚染された、横須賀のくだんの土地を離れて、鎌倉へ転居したのだから、それで、安心として、それ以降掘っておけばいいのに、最後まで抹殺しないと安心できないのか、鎌倉でも、24時間苦しめるつもりなのだった。だから、住まいのご近所を手なづけて自分たちの目的のために、利用する。登・輪子夫妻は、その象徴的存在だったが、それ以外にも、数人利用をされている存在がすでに居て、百合子は見抜いていた。一般的に言えばご近所の人間がカギを渡されていて、侵入できるとは驚天動地のことである。だが、ここでは、それを、一般の人間、東京銀座で個展を開いているような人間がやっている。たぶんそうである。普通の人間だったら、相手の望通り、ノイローゼになるところだ。だが、百合子には信念があって、全くたじろがなかった。
 悪は必ず、滅びる。彼らは、おおもとのアイデアマンが隠れていて、何層にも手下を使っているので、真相が、百合子に見えることはないと信じているみたいだったが、とっくにわかっている。必ず悪はrevealed (露見する)と、百合子は固く信じている。だから、故祖、動かないのだった。ひどいことを数々されていたが、昨晩やられましたから、本日、その問題を書きますわ・・・・・というようなおっちょこちょいなことはしたことがない。ほとんどのことはじっと我慢でやられっぱなしである。

 問題は、東大出身の上品極まりないお隣の夫婦が、敵として、真夜中に、百合子の寝室めがけて石を投げつけているかどうかであった。百合子は夜型であり、夜遅くまでいろいろなことをするので、別に夫婦仲は悪くもないのだが、寝室は別にしていた。で、二階に寝る夫は、この音には気が付いていなかった。砂岩がトタンに当たるのはその程度の音なのである。
 しかし、悪意を示されたときに、そのまま放っておくと、彼らは勝ったと信じて、さらに、思いもよらない新しい悪事を計画し来ていた。それゆえに、小さなものでもつぶしておかないといけない。

 ただ、これは、調べにくいことおびただしかった。古家部分には、窓がなかった。前の住人が、一切の他人と接しない形の家を設計していたのだった。この家はありがたいことに、東、南、北の三方向では、隣家というものと接触しない形の家だった。唯一残っている西側を、トタン板で覆ってあったので、西側は、内部からは見えないのだった。そして、お隣は、百合子と生活パターンが似ていて夜型だった。それは、すりガラスの入ったトイレの小さな窓から伺える生活様式だ。

 しかし、品の良い彼らが、真夜中に、脅すために石を投げつけているとは、どうしても考えられない。一度、極端にはみ出して見える塀を作る際に、一切のお断りがなかったので、その際には、疑問は感じた。まあ、ほかにもいろいろ、『相手方が、自分たちの手ゴマとして、あのご夫婦を、利用しているなあ』と思うときはあったが、それでも、真夜中に石をぶつけてくるほどのバカなことをするとは思えなかった。

 そしてそれを探査したり、確認したりすることも、恐ろしかった。人間とは、だいたいが悪に直面するのを嫌がるものだ。実際に悪が目の前にあっても、それが無いことにしたいという心理もある。だから、調査もできないし、ましてや、質問することなどはまったくできなかった。多分大きな、誤解を招く。質問の段階で喧嘩になる。そうしたら、登・輪子夫妻を正当化するために、すでに、『あの人は、喧嘩っ早い人間だわよ』という風評を流されている可能性があって、その風評を強化することになるではないか。こちらがおお損になる。ディレンマは果てしがないが、仕方が無かった。我慢の歳月が一年半ほど続いていた。

 だから、お隣に、どうあっても、それを質問をすることはできない。ともかく、科学的に確認する必要がある。だが、それも、一年半もできなかった。百合子だって、お隣とは悶着を起こしたくはなかったからだ。だが、とうとう腰を上げた。

 まず、砂岩を、20個ぐらい集めた。
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第七章、『実験中に名案を思いつく。で、やっとなぞが解ける』

 それらの石は、百合子の南側の山にだって、100個は転がっていた、それは、登・輪子の南側からだって、容易に見つけられるものだった。いや、ほかの家に住んでいる人間にも見つけられる。外から侵入してきたCIAなどのプロにも、昼間のうちに見つけておけば、200個ぐらい優に見つかるものだった。

 それを、斜めにトタン壁に投げつけてみる。お隣がやっているとすれば、真横から90度の角度で、投げつけることとなる。一年半も、そう思わせられて来ていた。が、その家を超えて、さらに西側にある登・輪子夫婦の家から、敷地に黙って侵入してきて、眠っているお隣を、通り越し、だけど、庭先深いところまでには入らないで、北側の、玄関先ぐらいの場所から、投げつけたらどうなるだろうか。お隣が、何も知らないうちに、我が家の壁を傷つける可能性はあるだろうか。それは、斜めから、投げつけてみればわかる。

 百合子は、力が弱い。最初にボーリングをしたときはガターばかりで、総合得点が十四点だった。野球もできない。ので、最初はうまく投げつけられなかった。特に、お隣に侵入するわけにも行かないので、自分の家の敷地内から投げるので角度が、20度以下になる。それは、横向きに掠める形になるので、なかなか、跡も付かず音も小さかった。だが、いったん、はじめてしまったら、もう二度とはトライできない実験だった。だって誰だって、自宅の壁に石をぶつけるのは狂気の沙汰だと思うだろう。それを、早朝とか夜にやるわけには行かない。ますます、狂気の沙汰だと思われるから。それで、日曜日の適切な時間帯、つまり、ご夫妻ともども在宅であり、かつ起きているとわかっている時間帯に、それを始めた。

 10個以上投げつけているうちに、だんだんコツがわかってきた、だんだん強く当たるようになって来た。すると、音も出るし、あたった跡も付くようになって来た。そして、以前投げつけられた次の朝、確かめたように、そこには、外壁の跡と垂直に、石が真下に落ちていて、しかも、二つに割れていた。

 『ナンだ。斜めに投げても、石は垂直に落ちるんだ』と思ったとたんに、ひどく陽気な気分になった。今まで暗い気分だったのは、お隣に対する疑惑が原因だった。それが90%近くのレベルで晴れた。

 そのうちに奥さんが不審がって、二階の窓からこちらを覗いているのがガラス越しに、見えた。『しめた。これで、何とか会話の端緒がつかめるぞ』と思った。それで、30分おきに、あと二回ほど、それを繰り返し、一回につき、10個以上を壁に当て続けた。そして結果は、上々だった。お隣は『もう、たまらない』という感じで、質問をするために、ご主人が出て来たからだ。そこから、「絶対に、我が家では、投石など、やっていません」という答えを引き出した。それを、百合子はもちろん信じた。そして、顛末をすぐに、ブログへ描いた。だって、一年半も、苦しめられ続けたから、この晴朗さは、ありがたかったし。それによってやっと真夜中の投石は終わった。もし、それ以上やったら、すぐ、百合子は外へ飛び出て、逃げ去る男性の影を追いかけるはずだった。栃田登か、または、この山で井原健次郎の言うなりになっている家の旦那が、五人ぐらいいたが、そのうちのどれかを、引っ付構えることはできただろう。
~~~~~~~~~~~~~

第八章、『休憩=======前半部分結語』

 あ、ただ、ここで、この猫事件の後で、急に引っ越してきた若い男性がいることには、言及しておかないといけない。その男性は、たった一人で、鎌倉の一戸建てを、買い(または借りて?)住んでいる。その若い男性が、プロのテロリスト、または、いわゆる工作員である可能性もある。そして、彼の家に大型のインヴァーターが置いてあって、ハッキングが、できるように電波を飛ばし、また、百合子のパソコンへ、バグを入れこめるようになっているかもかもしれない。

 そういう基地は、この山の中で、防水を完ぺきにした箱を置けば、すぐさま設置が可能だが、そのインヴァーターを、彼の家におけば、すべては楽々な工作となる。、
 ただし、『額を斜めにした方がいい』とか、『美しいスプーン類があるので、それを盗んだ方がいい』というのは、百合子の家に来たことのある人間の、助言に基づいている。

 百合子が一種の個展を兼ねて、オープンハウスをやった時に、来るべきはずでない人間が来た。音声による感想としては、夫に向かって「来てもらってありがたいわね」とは言っていたが、百合子は音声で、出さない部分で、『変だぞ』との、直感を抱いたのだ。あの男が来る可能性はないのに来た。何か裏があるぞと。そして、その男、===銀座で個展をするほどの画家====が、この家に入ってきた時以来、この泥棒騒動が、プロが狙うはずの書類だけではなくて、百合子が大事にしていて、すぐ気が付く、もの類に波及する日々が、始まったのだった。

 ところで、音声による発言で、と、断ったのは、『あなたのお宅は電話とともに、室内も、登頂をされている可能性がありますよ』とAという弁護士さんに言われたからだが、出かける際の小町通理での、反応を見ると確かにそれは言えている。敵がこちらを強く脅かしたいと願っているときは、横列で、機縁¥監視員というのが向こうから歩いてくる。時には自転車なんとか監視員であったりする。が、小町通りのように、人出の多いところで、たばこを吸っている観光客などいやあしない。百合子が、禁煙運動の行き過ぎは、自分を追い詰めるための策であると、知っているので、それを利用してさらに脅迫をしてやれと思っているのだ。井原健次郎と、大上(オオカみ)つよしの考えそうなことでもある。

 だいたいその監視員たちは、反ボランティアーとして詰所に詰めていて、百合子が家を出るころ、(それは、パソコンの電源を落とし、テレビを消すのでだいたい、敵には、把握をされている)が、駅側から、彼らに出動命令を出すのだ。すると、八幡宮側から歩いていく百合子とすれ違うこととなる。

 『ふーん。税金の無駄遣い目。あんたがたは井原健次郎という、男の下半身のみだらさを隠すためだけに動員されているのを知っていますか?』
 と言いたくなるが、どれほど、いい会社に勤めていた元サラリーマンであっても、井原健次郎と大上(オオカミ)つよし、がどれほどの悪人であるかは、五冊の本でも読まないと理解ができないであろうから、百合子は放ってある。

 そして、その禁煙監視員に出会うたびに、自分が今何を書いているか。そして、それを敵側=====悪魔的な汚染をもたらす、核燃料をこの日本に、お金を取って押し付けている側=====の動静と心理的動きのあかしとしてとらえているのだった。

 だから、禁煙監視員のおじさんたちが炭ばさみをもって小町通りをこちらへ向かって歩いてくるたびに、百合子は確信をもって、政治家大友二郎の悪を暴くのだった。政治家大友二郎ほど、日本という国土へ悪を入れこめばらまいている存在はなかった。だから、彼が関与している裁判、海川会事件は、アメリカから贈与されている金を隠ぺいするための馬鹿げた事件であると、常に公言することとなる。つまり、大友二郎が、どんな失敗をして、永田町で嫌われても、復活し続け、NHKで、立派な政治家であるかのごとき、番組が作られ続けるのは、なぜかの、真実をより一歩進んで開示することとなるのだ。

 元に戻ろう。この小説の前半部分で、最も大切なキーワードは、石である。鎌倉砂岩だ。それが真夜中に、お隣から投げつけられているがごとき、策謀が、一年半も、繰り返され、それによって、百合子が悩まされ続けた現象が、ある日、百合子の知恵で、見事に、解決した話である。

 『知恵は搾り出すものだ。そして、防衛のためには、アイデアの実行が必要だ。まるでいたちごっこというぐらいに、次から次へと悪事は、つむぎだされるが、すべてを解明していかないといけない』と、改めて決意する。
***********

 しかし、お隣とか、ご近所というものは、考えよう次第で、どうにでもなる。もともと親しくはないのだからと覚悟を決めてしまえば、そこで、お付き合いもする必要もなくなる。もちろん、地震がおきたりすれば近所づきあいの絆は大切だ。だが、毎日いやな思いをして、猫を取りに行かされた日々、

 又、花畑を取られたのは、こちらが被害者なのに、その花畑の場所でわざと孫の記念写真を撮って挑発したり、又、その場所で、わざとキャッチボールをしたり、じゃんけん遊びをするご近所様は悪魔の手先だと思えばいいのである。

 ご本人たちは何も委細がわかっていなくても、結果として、瀬川隆造が、井原健次郎を動かし、井原健次郎が教唆して、いちいち動かしているのだから結果として悪魔の手先となってしまうのだ。というのも、百合子は長年、原発ほど、日本という国土を汚すものは無いと思っていて、それに反対し続けているのだが、誠に見事にも、原発を推進するための文化人の登用が見えてきていて、そこから伊原健次郎の、日本国内における特殊な役割についても、すでに、相当に前から、見通しをつけていたのである。井原健次郎こそ、瀬川隆造などの後を引き継ぐ、いわゆる重要なエージェントの一人なのだった。

 そして、彼の名優、2010年の4月に肺がんで、急死したとされる、大上(オオカミ)つよしこそ、フェイクの死亡によって地下潜行をし、常に、新しい悪辣なアイデアを、提供しているのだった。
 
 後半では、鎌倉砂岩に代わり、もずくの酢の物が重要なアイテムとなる。ご期待を乞う。

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 尚、二万字を越えるとだめだと管理者側が、言いましたので、ここ以下は、スクロールをしていただくと、出てくる広告より下においてあります。しかし、それは、ラフ原稿でもありますので、そちらも推敲後まで、お待ちいただくのよりよいかと、存じます。 

第九章、『クラス会が、銀座で行われる。これは罠だ』
第十章、『屠所の羊は、神の子羊でもある』
第十一章、『やがて、自由時間になるが、自由な精神で動くのだ』
第十二章、『モズクの、酢の物が、新刊書を汚していた?』
第十三章、『フェイスブックの世界で、同じことは繰り返される』

  2012年1月2日に書き始め、この前半部分のみは、6日の午後零時に完成する。雨宮舜(本名川崎千恵子)
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モズクの酢の物、後編

2012-01-05 10:26:18 | Weblog


第八章、『クラス会が、銀座で行われる。これは罠だ』

 百合子は、ご近所はかくして捨てていた。ご近所の人々と精神的に誠実な付き合いができるということ、はすでに期待もしていなかった。が、銀座は(画廊街)は、捨てたくなかった。それと、同窓会も、捨てたくなかった。そこには、ある時期には心許した大切な友達が居た。一種のゆりかごでもある。それは、本当に失いたくは無かった。

 しかし、銀座の画廊街で、何度悪いうわさを流されたことだろう。それもわかっていた。が、いつかは挽回できることを信じていて決して銀座を捨てなかった。天は存在する。神は存在するのだ。悪魔もいるが天使もいる。そして同窓会も捨てなかった。必ず出席していた。しかし、大学のクラス会が、2009年度だけ、銀座で行われるという発表があったときには、あ『あ、とうとう、同窓会も汚染をされたのか』と暗澹たる思いに打たれた。

 大学のクラス会は、最近では、ずっと同じ人物、小山広道が幹事をしていた。彼はなかなかの情報通でいい和風レストランを知っていたが、たいていは新宿を選んでいた。銀座で、行われることは珍しかった。『これは、私を絶対に出席をさせたいというわけですね。それは、結局のところ、そこに、大きな罠が仕掛けられているということだわ』と、百合子は感じる。だけど、電話も盗聴されていて、郵便もチェックをされていると、すでに気がついている百合子には、クラス会に見方を見つけることができなかった。出、どんな罠が用意されているかを事前に確認する手段が無かった。

 その5年ほども前なら圧倒的な自信があった。誰もが味方であることを疑わなかった。何も心配していなかった。が、2007年ごろから急に明確になってきた、この軍産共同体、特に瀬川隆造と、伊原健次郎を中心として、そこに、輪をなして、数人のエージェントたちが協力する形の弾圧に気がついてきていて、打ちのめされていた。それは、どこの誰を味方につけているか、ちょっと想像もできないほど、周到に勝つ活発に動き、常に百合子側の知人をリクルートをして、裏切るように仕向けていた。それに気がついてから、二年目のことである。いまだ、十分な防衛策も思いついていなかった。

 銀座で開かれること自体が、小山君が向こう側にすでにリクルートをされていることを示していた。彼、すなわち幹事が敵方なら、昔からの友達だって、そちらに付く可能性はある。誰も信用できないのだ。なら、行かなければいいということに、一方ではなる。百合子の母は「聡明だ」と、ご近よや、親戚中からほめられまくっていたが、母ならここは欠席にするところだろう。

 しかし、出席せねばならなかった。状況判断がそうさせていた。アメリカの国務長官が来日するのに合わせて、百合子が最も嫌う、原発推進派の最大の巨頭と思われる政治家、大友二郎が、アメリカへ反逆するような発言を繰り返していた。これこそ、最も偽者中の偽者の発言であり、百合子が長年、誠意と努力の限りを尽くして説明してきた、この国の政治の真実を国民の目から隠そうとする策略だった。

 それに、ご近所の大野家がけたたましい音を上げ続けていた。百合子は実際には気にもしていなかったが、敵方、特に伊原健次郎と、その盟友、有名作家である伊原つよしは、結託して、百合子自身の文章から百合子を攻撃するアイデアを搾り出し探り出し続けていたが、

 そのうちのひとつに、あいつは音に弱いはずだというのがあった。百合子が毎年、春から初夏にかけて、本を作り・・・(編集とデザインを同時進行させる)・・・始めると、それを妨害するためにご近所で工事が頻発したが、それもその種の攻撃のひとつであるのはめいめいにわかっていた。
 轟音が、邪魔立てすると考えられていた。また、八幡宮様で、音楽会が、よく開かれるが、その日に、マイクの練習が午前10時ごろから大音響で始まる。そして、とどめの策として、ご近所が窓を開けて、音階練習という、音楽ともなっていないつまらない音楽を、延々、二時間以上続けるのだった。それら全部を、百合子は気にしていなかった。まったく平気で仕事を続けていた。が、

 しかし、一方で、本当のことをいうと、心理的にはそれを、うっとおしいとは、思っても居た。それほどしつこく攻撃を受ければ誰だって、そう思うだろう。彼らが思うほどのダメージは無かったから、仕事そのものはいつも順調に進んだが、それでも、いやな思いは味わっていた。そして彼らは、勝ち誇ったか、留守中に泥棒に入り、家中の額をすべて左側だけ、3センチ下げたり、美しいスプーンの置き場を変えたり、果ては盗んでしまったり、果ての果てには整理ダンスの引き出しの中の、パンツのいれ場所を、変えたりしていた。目的はわかる。すべてノイローゼにさせるためだった。

 となると、クラス会は出席しても地獄、出席しなくても地獄のはずと推定される。なら、出席して何が起こるか確かめた方が、後々で気楽だ。で、出席の返事は書いた。
 もちろん何か、ひどい罠が仕掛けられているのは承知の上だ。
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第九章、『屠所の羊は、神の子羊でもある』



第九章、『やがて、自由時間になるが、自由な精神で動くのだ』

 スピーチが終わり、自由時間になった。人々は席を自由に動き回り、自由な歓談を始めた。百合子は、すばやく料理を流し込んで、一人一人のところへ行き、自分の本を差し上げ始めた。すると受け取らない人が居た。そのときに、『なるほど、この人は、事前にこの罠を知っていたのだ』と悟った。または、悪口を吹き込まれているとも思った。さまざまな感想を持ったが、いずれにしろ、ひどいことが起きるのは予測していたのだから、
 受け取りを拒否されたってさしてめげることは無かった。

 そしてライバルとして目された、柿原雅子の本のことをも、いろいろ考えた。彼女の本はすべての旧友がお金を出して買った。ゆりこの本はすべて無償で献呈だ。世間の人は雅子の本は、有名出版社から出ている本だから当然で、百合子の本は自分の会社で出している権威の無い一種の私費出版だから、ただでもらって当然という顔をしていた。

 でも、百合子はそれにもめげなかった。むしろ、柿原雅子がライバルとして設定されたことを、『あら、あら、自分も大物になったものだわ』と内心で苦笑をした。百合子はそれなりに経済的に恵まれて育った。家は東横線の日吉にあった。が、柿原雅子の恵まれぶりといったら、さらに、数段上を行っていた。彼女は田園調布で育ったのだ。その上父親が東大の教授で、いとこが皇族の嫁いでいた。正真正銘の上流階級の人だ。

 『そんな人がライバルとして設定されて、私を打ちのめすべく待っていたのだわ。名誉なことでござんすね』と、内心で、笑った。素敵な出世だった。『ここまで来るには、死に物狂いの努力をしていた。涙なしには語れないほどの、苦労をしていた。世間的には、今、屈辱にまみれている。『だけど、裏側を考えると、柿原雅子をライバルに仕立てないといられないほど、私は、敵方にとって、脅威なのだ』と、確信をさせられた。

 柿原雅子は、美しい人だ。うりざね方の顔にタレントにしても良いと思われるほどの大きな眼。だが、どうしてか、情の薄い感じがした。兄弟が多くて、おばあちゃんにかわいがられていることは知っていた、寮におばあちゃんが、一種の、お手伝いとして時々来ているのを知っていた。その代わり、お母さんの方は、彼女に関心が無かったのだと思わせられた。

 百合子は万雷の拍手で迎えられている彼女の本と、さげすみの眼で気の毒がりながら見くだされている、自分の本とどっちが内容が面白いかをひそかに自分で判定した。『うん、自分の方が読めば、絶対に面白い』と、確信をした。人は誰でも、平等なのである。それなりに長所があるのだ。名家に生まれ、才能に恵まれ、頭脳も明晰で、何もかも得ていても、愛を人に与えるという意味で、豊かである人と、そうでない人との差があったとしたら、そばに居てありがたいのは愛が豊かな人間である。彼女は、気の毒だが、それができない人だと、そういう風に結論をつけた。

 こういうのは資格ではない、目に見えない部分なのだ。だから、誰もそれを明晰に言う人間は居ない。だが、これほどの屈辱を与えられれば、そこまで言っても良いと百合子は感じた。そして江戸時代までさかのぼった家の歴史を考えた。その時代では、どちらが上ともいえないのだ。家というものは、興隆と滅亡がある。柿原雅子の場合、彼女の父親の時代で、最も栄えた家なのだ。その子供だから彼女は輝いている。だけど、時は映り歴史は流れる。平家もブルボン家も滅びたではないか。自分の出自や家柄に依拠して他人を軽蔑するのはいけないと、百合子は確信をした。特に、自分は雅子から直接お金を払って、本を買い、その上、屈辱に耐えて「読んでいただけない」と自分の本を無料で差し出したのに、「いいえ、」とにべもなく、拒否されたときに、その思いは頂点に達した。

 ちなみに、彼女の本は資産形成とその保存の、自説を説いた本だった。百合子の本はニューヨークで見聞した二人の対照的な版画家の死を扱ったエッセイ風の、自称小説である。一方はお金のことを扱い、一方は心の問題を扱っていた。まったく内容の違うものだった。

 『ここまで、用意周到に、準備をされるのなら、美人の直木賞作家として有名な、小山真理子ぐらいをライバルとしてあててきてほしいなあ』などと心の中で笑った。
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第10章、『モズクの、酢の物が、新刊書を汚していた?』



第10章、『モズクの、酢の物が、新刊書を汚していた?』

 さて、百合子は吸う札の本を残して帰途についた。事前に出席者の名前を聞いていたので、人数分の本を用意していたのだが、受け取りを拒否をされた人数分の本が紙袋の中に残っていた。

 ところで、百合子は帰りの電車の中で、自分の本を読んでみたくなった。自分の本がどういう出来で、どういう内容であるのかを、実際に受け取った人に身になって読み直してみる。それは誰かに本を上げたあとでは必ず試みる作法だった。彼なら、これをどう受け取るか、彼女なら、ココをどう解釈してくれるだろうと、推察しながらふたたび、自分の本を点検してみる。そういう形で、編集のレベルを自分で上げてきていた。

 で、自分の本を取り出そうとして、紙袋の中に手を入れたときに、何かがぬるっとして手に触った。自分が家を出たときには無かったものが紙袋に入っている。なんか、RPGのドラクエに出てくるスライムのようなねとねとした、おかしなもの。ナンだろうと、手で救い上げてみるとモズクであることがわかった。先ほどの、銀座の料亭の、メニューを思い出してみる。モズクの酢の物は確かにあった。百合子は酢の物類は大好きだから、自分でもそれを食べた。

 それが、べとっと入っていた。そして驚くべきことには小皿も一緒に入っていた。小皿はプラスチックでできており、軽いものだが、確かに入っていた。

 これがわかったときはさすがにうろたえた。顔色も青ざめたかもしれない。紙袋を置いていた位置は入り口に近い場所だった。そこで偶然に、その小皿が落ちることは考えられなかった。誰かが意図的に、汚したのだ。

 それは、同窓会で行われたのだ。18歳のころ、(または浪人していたら19歳のころ)希望に見えて、美しい芝生の上で歓談した友達が、もしかしたらやったのだ。ただし、友達の夫という人が着ていた。その人は外人だ。
CIAから頼まれてやる可能性はある。

 が、いずれにしろ最も懐かしく慕わしく安全な場所絵である同窓会さえ汚された。驚きの悪意だった。百合子は、深い沈黙に陥った、絶望が極まりなかった。
 が、悲しみに浸ってばかりもいられない。一冊でも二冊でもいいから救おう。自分の大切な子供みたいなものだからと思いなおし、紙袋の名kをしっかりと覗き込んだ。

 そのときに、驚くべきことがわかった。本はひとつも汚れていなかったのだ。本を百合子は10冊ずつ小分けして、お金を出して買った小型の紙包みの中に入れていた。そして、その小さい紙袋を、さらに大きな紙袋に入れていた。本を人に上げたので、おおきな紙袋の方にはすけスケの空間ができていた。なんと、モズクの酢の物は、その大きな方の、スケスケの空間に、すっぽり落ち込んでいて、その中にマトリューシカのように、入れ子として入れていた小さな紙袋には、モズクは、一筋たりとも入っては、いなかった。そして、この際には、モズクの粘度が高いことが幸いした。

 百合子は笑い出したいほどの喚起の年に打たれた。小さいことだった。誰かに、大きな悪意をぶつけられたことは確かだった。同窓会自体が罠だったというのは紛れも無い事実だった。そして、モズクの酢の物を、わざと辱めのために入れた人間はいるのだった。確実に、いるのだった。

 それは、幹事の小山君かな? それとも、ほんの受け取りを断ったB君?、C君?、またはこの会を出版記念会と変えて、柿原雅子さんをほめまくったD子さん。と、先ほどまで、疑い悲しんでいた心がすっと晴れていくのを感じた。
 人生何度目かのこととして、自分が神というか、天に見守れ、助けられているのを感じた。驚くべき程度で守られているのだった。
~~~~~~~~~~~~~

第十一章、『フェイスブックの世界で、同じことは繰り返される』


 だけど、その慰謝される感覚は、主観的なものだった。現実世界を見渡せば、百合子は負けに負けていた。その日だって、すべての同期生は、柿原雅子を誉めそやし、その本を喜んで買った。が、百合子の本に、お金を払ってくれる人は居なかった。だから、この現象を他人に語ることは無かった。ブログにさえか描かなかった。

 が、次から次へと同じパターンが繰り返された。百合子ではなく敵方が、百合子より上だと目している人物が、百合子に対してライバルとして設定され、百合子をあざ笑うがごとき、勝ちどきを上げて、百合子を踏みつけ、踏みしだくのだった。

 しかし、百合子は瞬時に分析しぬき、すぐ文章化した。当然のこととして、自分には神もついていることさえ確信しているのだから、おびえることはありえなかった。

 そして、それは、フェイスブックに加入することによってさらに強まった。五月に参加したのだが、それ以来、どれほど、苦しい目に合わされてしまったか。感動するほどのものだった。が、その際に常に見え隠れするのは幹事の小山君の姿だった。

 こちらでも、柿原雅子は参加していた。そして、決まった体裁の長さの彼女特有の文章をアップしていた。が、彼女は百合子の友達リクエストを拒否しているので、百合子のニュースフィードにそれが、現れることはほとんどなかった。が、ある日、パソコンの画面全部が彼女の文章で埋められていた。それは、自然なものではないと感じる。裏で誰かが、百合子がパソコンを開け、フェイスブックに入ったとたんに、そうなるように仕組んだことだった。柿原雅子の頁を、相手を百合子だけに設定して、再度アップしなおせば、こういう現象がおきる。誰がやっているか。大体めぼしはついた。

 それ以外にも、種々さまざまな心理的な苦しみを与えられた。それは、百合子が支援して、その結果、友達を100人以上一気に増やした人間がいるのだが、なんと無効から友達関係を切ってきた。そこまでは仕方が無いとしよう。人間の心は変えられない。が、友達ではないはずの、U氏が、なんと何度も、百合子の友達と友達になったとフェイスブックからお知らせが来る。いかにも神経を逆なでしてやるぞという形で。

 そんなことをされれば誰が悪意を持ってこういうことをやっているかは当然に推察ができるではないか。それで、一気になぞの解明が進んだのだ。ともかく、国際的軍産共同体とは悪魔の一種である。そして、そちらに加担をした人間は普通ではなくなる。一切の誠実さというものを失ってしまうのだ。それを、百合子は日々目撃をさせられている。

 そして、小山君が幹事をする、例の同窓会は、三年ぶりに一月に新宿で開かれる。今度はもっと恐ろしい罠が仕組まれているであろう。だって、百合子は前回よりも、力強くなっているから。さらに大きくなっているので、さらに圧迫し、弾圧する必要があるからだ。いったい何がおきるのか、楽しみとはいえない。静かに心と耳を済ませて気配を察している。彼らは、じゅうたん爆撃のごとく、あっちこっちをいじりまくる。
 銀座で何がこれから起きるか。鎌倉で何がこれから起きるか。
 そしてフェイスブックで何がこれからおきるか、丁寧に、注意深く観察していこう。

 さて、ココでいったん終わらせていただきます。
 1万8千字近くなっていますので、誤変換を直したら署名をいれます。それは、明日4日になるやも知れません。恐れ入りますが、そうなります。
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国の規模について、 中国の猫食から考える。

2012-01-03 13:55:27 | Weblog
ゆかしメディアというところが紹介してくれたニュースを、Livedoor が拾い上げてくれていました。

副題1、『今日話題にする事件の、概要』
副題2、『それに対する、私の、最初の感想』
副題3、『中国は、国家として、大きすぎる』
副題4、『海外の強欲のために、汚されているこの国の、4号機が危ない』
副題5、『大きすぎる中国の将来は?』

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副題1、『今日話題にする事件の概要』

それのリンクがココでは、利かない模様なので、超簡単にまとめますと、中国で、富豪がレストランで、猫の肉を使った料理を食べたそうです。その後、死んでしまった。それで家族は暗殺だと、訴えているそうです。

 が、ニュースの筆者は、猫を捕獲する際に、毒薬を使ったので、その毒薬が、肉の中に残っていて、それが原因ではないかと、述べています。

 そして、中国側で、ニュースを作った筆者は、その会食には三人が、参加していて、その猫なべを食べたときに、三人とも最初から『変だ。化学的な味がする』または、『薬っぽい』と、発言をしたそうです。しかし、死んだ人は思いなおして、『大丈夫だ。食べよう』といい、食べたそうです。その上、彼は食べるのが非常に早かったそうです。ですから多量にその毒素を体に入れてしまった。これは、多分正しい説で、陰謀が影にあるという方は、40%ぐらいの確立だと思いますが、本当のところはわかりません。
~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『それに対する、私の、最初の感想』

 で、私が最初に感じたことは以下の文に現れています。それを添え状としてフェイスブックで、まず、このニュースを紹介しました。

 汚いニュースです。だが、これを見つけたのには、理由があって、livedoor のブログのお知らせのうち、『スポーツ選手に自殺が多発している』というのを、見逃していて、今日になって見つけたいと思ったのです。

 珍しいものを食べたいという強い刺激を求めた結果の死でした。『だけど、刺激に弱いのは人間の常ですから、誰でも気をつけないといけません』と、自分に向かって強く言いつけたことでした。。それが、このニュースに接した後の教訓です。日本では、猫食の習慣も犬食の習慣もありませんけれど。そして、大体の人は猫や犬を大切にしますけれど。

 と、まず書いたのです。すると、非常にうれしいことに反応があって、「毒入りのお肉を売るとはひどいですね」と読んだ人から言っていただいたので、、
 そちら様に向かって、猫の肉を国家が、管理できるかどうかの話をしながら、突然に、『国の規模が、大きすぎも小さすぎもせず、適切であることが大切だ』ということに気がついたのです。
~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『中国は、国家として、大きすぎる』

 というのも、上のご意見に対して、私は、「おっしゃるとおりですが、どうも、「売る」ともいえないようです。猫肉は、正式な売買の対象でも、ない模様です。いわゆる闇で取引をされるものだから、管理がぜんぜんできていない模様です。国が大きすぎるのはいけないのです。適切な大きさが好ましいのです。覇権主義の結果、身動きならない形になっているのが、現在の中国です。その点、日本の国家規模は、かえって適切な大きさだと感じます。

  国民にとって、適切な規模の国に住み、山が多くて木が多いので、澄んだ水が多く、(水は命の源泉です)、その緑が空気をきれいにしていて、海岸線が長い、日本は、偶然でしたが、大変住みやすい国だと感じます。それを、海外の強欲のために、汚されきっているのが現在です。だから、私は汚いものにもしっかりと目を向けます。
~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『海外の強欲のために、汚されているこの国の、4号機が危ない』

 で、上のように書いた場合、賢明なる読者の皆様は、海外の強欲とは、何をさすかはきっとお分かりになると思うのです。
 そういえば、一日前の2日に、アップされた情報で、

 この福島第一原発の事故では、それを、よく考えている人間の誰もが恐れていた『四号機が危ない』ということが、特に投稿の多い方から、ご注意として、知らされました。そこに対して、私は以下のように書いています。

 四号機は保存されている核燃料棒集合体が最も多い場所です。しかも、壊れた消費済み核燃料プールという、まったく無防備なところに、横になったり斜めにになったりして、ただ、積み重なっているのです。
 そこがとうとう、熱を持ったのですか? これは、信じられないぐらいに、危険なことです。だけど、人々は、なんとなく、この手のニュースを聞くのが、「もうごめんだ」となっていますね。

 プールに、亀裂が走っていたりしたら、水漏れが起こり、数年前に核分裂を、始めてしまった、一応は表向きに、消費済みといわれている核燃料棒も、いつの間にか、再度、核分裂を始める可能性はあるのです。ああ、最も恐れていたことがおきたのですね。
 まったく報道をされていない福島第二原発内でも、同じ規模の地震がおきたのですから、似たようなことはおきているでしょう。参りましたね。本当に、身が細る思いですが。

 核燃料棒は、酸化で燃えているわけではないし、その見かけはほとんど変わらないまま、数万年は、放射線を出し続けるのです。信じられないくらい面倒で厄介なものです。その結果の辛さがいちぢるしいことへ、われわれ日本人は、今直面させられている模様です。が、私も疲労困憊してしまっていて、
 この様にほかの方が、書いて下さったら、それには、乗るけれど、自分からは、ブログなどでも、原発に関する文章を、書かないようになりました。

 この三月から、突出して、自分のブログで、五月まで、70本以上、大体70万字、・・・それは、・・・普通の本七冊分、・・・も・・・原発事故と核燃料の特殊性について書いています。それで、もう、自分でも、原発という字を見るのもいやだというぐらいの心境です。ちょっとつめが足りないとも思います。今こそ、旗を振って、こういうことがいけないのだと、力説しないといけないのですが、本当に疲れてしまいました。
 と、この国土が、汚されたことを、残念がっていたのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『大きすぎる中国の将来は?』

 我が家では、主人がかねてより、「中国は大きすぎる。国家はあれほど、大きくない方がいい」と言っていました。しかし、私は、それを、フェイスブックの世界では、別に提言しませんでした。そのとおりだと思うけれど、よその国のことですしね。

 でも、ちゃんと考えてくださった方があって、「もし、分邦をしてみたら、経済的格差が大きいでしょうね」といわれました。そうでしょう。だから、分邦はできないと思います。

 そこを、うまく管理するためには、現代の政治家では粒が小さいのです。お勉強ができて、共産党に逆らわない人というのは、やはり、安全運転しかできない官僚体質の人ですから、

 と、言っているうちに、『政治は難しいものだ』とか、『この国に住んでいることは幸せなことだった』というお言葉もいただきました。

 それって、ささやかな幸せを発見したということです。良かった。良かった。こいつは春から縁起がいいぜ。・・・・・

 付記、最後に写真について、ちょっと説明をさせていただきます。12月30日の我が家の東側の窓です。猫が寝ているのは引き出しを利用した木のベッドで、中に毛布やら電気行火が入っています。お花がまだお正月になっていません。猫は、この引き出しのふちにあごをかけるのが大好きです。頭が結構重いのでしょう。不思議にも、それを知っている様子です。
   2012年1月3日    雨宮舜(川崎 千恵子)
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新年明けましておめでとうございます。

2012-01-02 18:10:51 | Weblog
皆様、明けまして、おめでとうございます。
本年もどうかよろしく。2012年1月2日   雨宮舜(本名川崎千恵子)

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