銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

鎌倉市の或る条例は、雪ノ下2-3+2-4番地に関しては、決定的に違法である。何故なら被害者となる私に、何の説明作業も、了承作業も無かったのだから。

2018-01-09 10:28:14 | 政治

  この一文ですが、11日の午前1時半に総タイトルを変更します。

前半の、『せごどんに、よって、NHK大河ドラマは、壊滅するでしょうねは、ある意味では、正しいのですが、分量的に言うと、その1とすべきで、この一文内には、林真理子をパペットとして使っている、鎌倉エージェントの傲慢と違法性が、主なる部分として、出てきています。で、総タイトルを二日目に、変更をいたします。

 この一文は、相当に長いですが、いわゆるエンタメでも、憂さ晴らしでも、復讐でもなくて、法律問題を根幹から、論じる、非常に高度なものです。自分で言うのもおかしいですが、こちらへ引っ越してくる前に、日本有数の東京第〇弁護士会会長から、褒められた、私のもっとも、優秀なところが、出ている文章です。

その方が、教えてくださったのですが、法律とは、被害者を守るものであるのが、その根幹なのですよ。

 だからこそ、法治国家に住んでいる限り、安全が守られ、平和に暮らせるのです。しかし、私は睡眠さえ妨害を受けているほどに安全な暮らしができて居ません。それは、法治国家ではないからです。

 場所的に私は、雪ノ下2-3-7に住んでいるわけですが、その周辺の道路に関して全くの違法なことが、進行し続けています。

 そして、ここで実践をされたことが、この日本国のすべてに敷衍されていますので、有明海開門調査で、毎月100万円の賠償費を、佐賀県と、熊本県の両方に支払うなどと言うバカげた裁定が出て来て、国民の税金が湯水のごとく、無駄遣いをされているのです。森友学園も、加計学園も同じ流れの中に在り、除染作業で、大金が無駄遣いされている事にも、つながって行っています。私と言う正論を箔論客を苛め抜いて黙らせやろうという、小さな部分で成功したから、他の分野でも大丈夫なはずだと安倍晋三総理大臣が、考えています。したがって、他の閣僚も高をくくって、法律違反すれすれの事を、平気でやって居て、悪徳な人物たちを助けています。だから、この国には、正義も順法精神も、今は、無いのです。

この章でも、重要な登場人物である、前田清子さんは静岡大学の法学部を学部としては、卒業しているそうです。つまり、国民の税金を使って法律を勉強した人です。だから、順法精神を、発揮しないといけません。が、驚くべき、違法性を堂々と、開陳し、実践をしている人物です。リアルな世界で、それをやっている人物です。その背後にいるのが、伊藤玄二郎で、こちらも、中央大学法学部卒です。そして、人的コネを駆使して、違法な事を堂々とやってきます今のところ、鎌倉市長と、神奈川県知事は、数代にわたって、彼の言うなりの、お人形さんとなっています。そして、市長も県知事も、すれすれで、違法性のあることを部下にやらせて平気でいます。伊藤玄二郎と一緒に飲み食いをする関係にあるので、精神がマヒしています。

 法務大臣も千葉景子氏以降、数代にわたって、同じ傾向を示しているのですが、もっとも軽々に動いて伊藤玄二郎の言うなりになっていた谷垣禎一さんが、それゆえに、天からおしかりを受けて、事故死なさって、おられるので、まだ、私の方が、司法と、法務局全般に関しては、しっかりとは、論じて居ないだけなのですよ。まだ、猶予してあげようと思っているわけです。だけど、問題だらけであって、いつかは論じます。

 読者様が、誤解をされて、途中で読みやめておしまいになったかもしれませんが、私が、重要な事を書く際の、もっとも、高度な文章構成法の、一つを駆使して描いている章です。非常に大きな誇りをもって、提供しているブログ文です。という前置きを、三日目の早朝に入れて、本文に入ります。

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 最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。この女性が立っている地面ですが、我が家の土地です。しかも、盗まれて、30年はたっている土地です。で、彼女の後ろにある崖は、我が家の崖です。下がコンクリート打ちをされているので、はしごを立てることができず、崖に、草と灌木が、ぼうぼうと生えて来ているので、専門家(とび職めいた高枝切さん)に刈ってもらうのに莫大な、金銭がかかります。ここに彼女が立っているのも偶然ではなくて、意図的なものでしょう。その、詳細な、因果関係は、副題4で述べます。

  どうして、この写真をこの章に使うかと言うと、林真理子と言う人間が、上の写真とも関係が深い鎌倉エージェントに、100%使役をされている人物だからです。で、実力以上にちやほやされている人材です。したがって、面白くもない小説に高い評価が与えられていて、水増し、水増しで、もてはやされています。しかし、せごどんが、人気が出ないという形で、林真理子が、実力のない作家であるという事が、日本中に、認知されることとなって行くでしょう。ちょっと、早すぎる予告ですが、それを、ここで、言っておきます。という前置きを初稿を書き始めて五時間後に入れて、元へ戻ります。初稿のトップへ入ります。

  ええと、前報が完成して居ません。それは、ものすごい文案が出来(しゅったい)して、居て、完成までに、時間がかかりそうなので、先に、短いものを書いておきます。しかし、短いと言っても、読者様には、受けるでしょうね。現在の、現実に話題となっている話なので。普段は、大勢の人が注目をしているモノには、触れない主義ですが、林真理子に、大問題があるので、触れていきます。

副題1ーA『鈴木亮平は、西郷隆盛に対しては、ミスキャストだと、言う声が大きい。ここで、クレッチマーの理論を持ち出そう』

 2018年度のNHK大河ドラマ【せごどん】を見るつもりは、私の方には、全くないのです。

 どうしてか? と言うと、第一には、鈴木亮平に対して、俳優としては、何の魅力も、感じないからです。彼は早稲田大学卒です。CIAエージェントの中に、早稲田大学関係者が、多いので、優遇をされています。が、俳優として、どこかが、ずれている人物です。

 努力家であることは認めますが、俳優に必要なものが、決定的に欠けて居ます。ハナというのかな。魅力と言うのかな? ただ、まじめな日本人と言うだけの人物です。 だから、せごどんは、そのキャスティングだけでも失敗作となるでしょう。

 朝ドラ【花子と、アン】で、ブレイクをした人ですが、村岡花子の夫だと、言うイメージに合わないのです。花子の夫は、インテリで、やさしい、しかし、今でいう植物系男子だったでしょう。しかし鈴木亮平の、イメージは、シュワルツネッガータイプです。早稲田大学に入学するのは、入試の偏差値が高いので、彼を頭がいいと、思う芸能界の人間が多いのでしょうが、イメージとしてのインテリ性が、鈴木亮平には、ありません。庶民です。普通の人間です。わき役なら、まだいいが、主役を張るタイプではありません。しかも彼を主役にすることは、林真理子が主張をしたそうです。伊藤玄二郎たちと深い関係を持っている人物には、衰退が訪れると、私は、何度も言っていますが、林真理子には、天の祝福がない人間です。人的な祝福と、人的なサポートは大きいでしょうが、神様からの祝福はない人間です。

 そんな人物のわがままを通してどうなるのですか? NHKは、鎌倉エージェントの言うなりの腑抜けですね。誰が考えたって、西郷隆盛のイメージは、鈴木亮平にはありません。

 ところで、ミスキャストだと、言うにあたって、ドイツの心理学者、エルンスト・クレッチマーを、取り上げたいのです。この人物は、今では、はやらないひとみたいで、話題に上る事もないのですが、私が大学生のころには、大きくもてはやされていました。

 彼は、人間の性格は、体型に、連動するという説を唱えた人です。これを学問として提唱をしたのですが、当たらずとも言えず、遠からずだと、私は思いました。東洋(特に中国)には、各種の占いがあって、その中に、顔相を見るとか、手相を見るとか、言う部分があります。  

 ::::::::ここで、スピンオフとしての、私事を挿入しますが、私が思うに、手相と言うのは、まったく当たっています。今の私は芸術家としては、それほどには、いい手相ではありません。しかし、前報で、ちらっと言っている・・・・・逗子で、一人暮らしをしていて、秋に、三か月だけ、毎年、パリや、ニューヨークへ版画研修に出かけていた頃・・・・・は、クリエーターとして、まことに感度の高い手相をしていました。また、有名な手相観の、日笠雅水さんと、別れてから(いや、それも背後からの手回しのせいで、こちらは別れたくないのに、無理に別れさせられたのですが)別のラインが出てきました。本を、工業的、生産で、作り始めてからは、他人を指導する印と言うのが、明瞭に出ていました。

 今は美術系アーチストとしての線は、弱くなっています。しかし、全体に、精神が、図太くなったという線と、死ぬまで、お金は、大丈夫だろうという新たな線が出ております。実は、若い日に渋谷の路上で、後に有名になる人(渋谷の母)に路上で、手相を見てもらったら、「あなたほど、お金に恵まれている人は居ません」と、言われました。特に、他人には見えない、部分が現れている左手など、二本もの長い金銭ラインが出ているのでした。また、その時から30年後には、日笠さんからも、「あなたほど、親に恵まれている人は居ません」と、言われています。しかも、夫も、「お前ほど、恵まれている人間はいない」とよく、言うのですが、まあ、働かないでも、好き勝手なことができるのは、恵まれている方でしょう。しかし、60代半ばで、その親からの、金銭ラインが消えました。そして、それ以降に、大変化してしまって、死ぬまでには、ずっと、貧乏になるという、手相になって居ました。『これは、困った』と思っていたのですが、最近、二本目の金銭ラインが、出て来て、死ぬまで、金銭に恵まれるという、手相になってきたので、『うっ。是って、宝くじでも当たるのでしょうね』と、思っている次第です。(苦笑)みずほ銀行さんは、このエッセイをご利用くださいませ。そして、謝礼をくださいませ。(苦笑)それは、冗談ですが、今、週刊誌が、老後を、安全に過ごす貯蓄額云々、かんぬんと言っているでしょう。だから、老後のお金と言うのは心配ですよね。

 ただね。ここで、シェークスピアの名言を持ち出しましょう。意訳ですが、::::客観的には貧乏でも、本人が、満足して居て、このお金で大丈夫と思っている人間は、貧乏ではなくて、客観的に見てたくさんの、資産を持っていても、本人が満足して居ない場合は、貧乏である::::というのは100%当たっています。今の私には、別に新しい収入のめどが立ったというわけではありません。しかし、これで、いいのだと、思える様になったので、急に、心理的に安心感を持ったのです。

 それはですね、ただ、ただ、倹約をする事を覚えただけなのですよ。でも、生き抜く力が増えたと、思っていますので、それで、急に新しい二本目(右手)とか、三本目(左手)の金銭ラインが、指の付け根まで(=死ぬ時)まで、出てきたのです。まったく倹約をしない人だったのですが、最近、丁寧な生活を心がけていて、『冷蔵庫の中身を絶対に腐らせないぞ』とか、決意して実行をしています。そういう心構えに切り替えた事一つでもだいぶ、違うみたいで、手相の上では、死ぬまで安全になったみたいです。よかった。::::::::

 という、挿入から元へ戻ります。クレッチマーに言わせると、「顔の特徴に対応して、性格の特徴が、現れる」と、言っています。東洋の顔相と言うのは、クレッチマーよりも、さらに詳細な分割、分析をしているものですが、こちらは、現在では、はやっておりません。その理由は、言葉がりと同じで、あまりにも安全対策が進んでいるので、顔をけなすという事になると、トラブルになるからでしょう。日本人は、今、甘やかされ切っています。そして、真実を見ることができなくなっています。恐ろしい状況です。軟弱になりすぎて居て、応用力が利かなくなっています。これは、非常に恐ろしい事です。

 そして、クレッチマーのwikipediaにも、昔は、大量に出回っていた「顔と、性格には関連がある」という、分析は出ておりません。しかし、私が大学生のころには、クレッチマーの顔の分析は大流行だったのです。で、よく覚えているのですが、大きく分けて、4分類だったと、おもっておりますが、

 特に、覚えているのは、学者型と、スポーツマンタイプの別です。で、学者型と言うのは、やや丸みを帯びた卵型で、禿頭になるケースが多いと書いてあります。この学者タイプと言うのを、今、テレビの中で、見かけたことがありません。

 しかし、私はリアルな世界では、二人ほど見つけています。私が東大に、勤務していた時代の上司の教授は、本当にそういうお顔で、しかも禿頭でした。先生は、親友として、よく笹川良一の名前を挙げておられましたが、二人は、まったく違った傾向の顔を持っていました。で、一人が右翼として、競艇で、大儲けをしていて、もう一人はお育ちがいいものの、東大教授のお給料だけで、生活して、つつましい生き方をなさっておられたのです。

@@@@@@@10日の夜に、ここまで、推敲をしました。以下は、未推敲です。

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副題2、『前田家のお嬢さんは、どうも、とてもいい結婚をしたらしいと、ある日、私は思った。と言うのも、アジサイ畑欺罔事件と言う、私の土地が盗まれる事件が起きた原因が、前田清子さんの、声が大きすぎることに腹を立てた、藤本悌子夫人の、道路切り裂き事件に端を発しているから、前田夫人の、発言は、記録にとっている。それで、いささかのレベルで、お嬢さんの結婚に関して危惧をしていたのだった。それは、どうも、杞憂に終わったらしい』

 で、もう一人、見つけたのは、今住んでいる雪ノ下の山のなかです。普段は住んでいない人で、お客さんとして、訪問をして来た人です。お子さんを二人連れて居ました。そのお子さん方の年齢から考えると、若い人です。そしてその若さなのに、禿頭でした。そして、クレッチマーの言う学者タイプの典型としての顔をしていました。学者とは、特に女性だと、お子さんの居ない人が多いのですが、男性側が、学者だと、女性側の状況によっては、お子さんができるのです。女性側があまりにも頭を駆使して、しかも、こんを詰めると、排卵が起こらないのだろうと、私は考えております。で、この山にあの若さで、しかも、お子さんを二人連れて訪問をする、学者タイプの人は誰だろうと、考えました。その人が、通っている道を考えると、どうも前田家のお客さんのようでした。

 あ、そうなんだ。あのお客さんは、きっとお嬢さんのお婿さんですよと、思い当たり、何んとない、微笑みが浮かんで来てしまいました。前田家のご夫婦は、とんでもない人達です。しかし、お嬢さんは、いい子です。「美人です」とは、言えないタイプだけど、性格はいい子です。で、子供を見れば、親が判るの伝で、前田祝一氏の方は、きっと、練れているのだろうし、愛情が何たるかを知っているのだろうと、見ていました。特に異性の子供と、異性の親が結びつきやすい傾向があり、前田清子さんが、坊ちゃんの大学受験期に悩みが多くて、他人の私が、町内会の事で質問をしているのにもかかわらず、「今、頭が痛いので、それ、答えられない」と言ったのを聞いて、彼女が、息子を、熱烈に愛しているのを知りましたので、お父さんと、お嬢さんは、その陰で、ひそかに、しっとりとした交わりを構築しているのだろうと、思っておりました。

 今になって、遅すぎますが、前田夫人に忠告をしておきたいです。「あなたね、誰だって、子供のことでは、悩みはあります。でもね、家の中で起きているイライラを、他人である私にぶつけたりしてはいけませんよ。あなたの役割では、私の質問に答えないといけません。で、アナタが私に対して答えなかったからこそ、私は、1985年の御成中学のPTA総会の、様子をエッセイに書くこととなるのですよ」とも。

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副題3、『前田夫人は、1985年ごろには、長男を東大医学部へ、入学させるつもりだったらしい』

 私と前田夫人は全く同時に、PTA三役に選ばれたのです。私の方が任務が重い役目で、彼女の方が軽い役目でした。私が選ばれた理由は、PTA会長が、塾のラインで、私のバックグラウンドとか、学歴とか博識ぶりを知っていたから、選んでくれたわけですが、その理由については表に出さず、ただ、単純に、「家内と同じ名前、千恵子さんだから、あなたが、広報委員長になってください」と、言ったために、平役員の猛反発を招いてしまいました。で、一回目の会合で、何も、組織運営が、将来とも難しいだろうと、言う予測がついたのと、娘の側で、三役を引き受けたのですが、男の子もいるので、辞退した方がいいと判断をして一気に、手配を仕上げて、やめたのです。男の子がいる場合、母親が、中学時代に目立つと、子供が将来曲がる事が多いのですよ。非常に多数の例を、実際に知っているので、即座に陰に引っ込んだのです。

 ところが、これが、また、前田夫人の優越感を招いて、しかも勝ち気であり、安野夫人の上下関係確立主義にも乗せられている人ですから、それを誇示したいという意欲を掻き立ててしまったのです。それでね、或る時のPTA総会で、彼女はフロアーから、急に手を上げて立ち上がり、何か堂々として意見を開陳しました。その時、私は彼女より、五列ぐらい後の、かつ、右に七席ぐらい、寄った場所に座っていたのですが、あたりの空気が急に、冷え冷えとして行くのを感じました。みんな私がわかって居る程度の事はわかって居るのです。でね、内心で、『凄いわね。あの人。子供を東大の医学部ぐらいに入れるつもりなのでしょうね』と、思ったわけです。しかし、自分自身の事ならいざ知らず、子供の未来なんて誰にも分らないわけですよ。だから、清子夫人の傲慢不遜ぶりには、相当数のママがびっくりしてしまったわけです。

 これは、科学的にも説明が可能な話なのです。PTA三役を引き受けてもらうと、学校側は、助かるので、いわゆる下駄をはかせた内申書を作ります。つまり、すべての教科で、実態より、良い成績にしておくのです。で、有名高校に、入学できるとなります。まあ、鎌倉だったら、湘南高校です。でも、東大の医学部へ入学する為には、湘南高校でも、クラスで三位以内に、位置して居ないとだめだと、思いますよ。だから、大変なヘビーデューティを子供に与えてしまうのです。

 で、大学受験期に、清子夫人が他人の私にまで、イライラをぶつけてきましたので、やはりねえと、思った次第ですが、この話には続きがあります。その時点から八年後ぐらいに、お坊ちゃまに孫が三人できたころの話です。お坊ちゃまは、学生結婚だったのかな。非常に早い時期に、お子さんが、三人、できたのです。でね、それ自体は、祝福すべき事なのですが、またまた、前田家は、恐ろしい事をおやりになってくださるのですよね。と言うのは、その孫、三人を使って、夜に何回も、ちよこレート遊びを行ったり、いろいろ、あったのです。

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副題4、『鎌倉雪ノ下に、北久里浜の、地籍変更届の悪が、びったりと、へばりついている事を証明するのは、石段を使って、あそぶ子供の遊び・・・・千代子レート、遊び・・・・・を大人が先導して、子供に行わせるう時に、特に、明瞭になる』

 このちよこれーと遊びというのは、例の、一種の大詐欺事件である、北久里浜の、地籍変更届の際に、協力したら、成功報酬として、10坪の宅地を無償で与えるとの約束をもらっていた、上滝さん(当時は、ときわ相互銀行に勤めていた。その銀行は改名して、東日本銀行と名乗っていて、横浜銀行と今では、合併をしている)が、私をいじめる為に、私の子供を仲間はずれにするために、使ったゲームなのです。子供だけの世界が、確率をしていたのに、突然に、大人である、シュワルツネッガータイプの大男の、上滝さんが、乗り出してきて、我が家の前の道路で、キャッチボールと、このちよこれーと遊びをやって、いじめてきたのです。それを文章で書いているからこそ、ちよこレート遊びは、重要な案件として何度も利用をされています。また、キャッチボールを我が家の前で、やるのも同じ伝であって、もし、私の虫の居所が悪かったら、こういう遊びに、協力ている後発の住民に関しても、実名を出して、バリバリと、その悪を書きます。覚悟をして置いてください。

 それから、この坊ちゃん側の孫を使った羽根突き遊びというのがあります。前田家と言うのは、この山で、ただ、一軒だけ、当時の住宅基準法に照らし合わせると、不法行為を働いているのです。前田さんがやったことでは、なくて、前の住人がやった事ですが、私道部分を拠出して居ないのです。そこに突出した、自分の崖を構築して、六坪ぐらい広くしているのですね。

 それを、藤本悌子夫人がついたのが、アジサイ畑欺罔事件の真相でもあるのです。私は何にも悪くないのです。しかし、藤本夫人と前田夫人の喧嘩のとばっちりを受けて、自分の土地は、盗まれるし、一切の許可を与えて居ない崖は、無許可で、壊されるし、パソコンは10台、以上壊されるし、学生時代の、友人は裏切って来るし、クラス会で、辱めは受けるし・・・・・と延々と被害が続くので、前田夫人の問題点は、はっきりと書くわけです。特に鶴岡八幡宮様の大銀杏が倒壊した事には、力を得ましたね。白井宮司の時代に、鶴岡八幡宮のご推薦で、國學院大學の講師になったことが、前田夫人の傲慢の、立脚点になっていると、思います。前田夫人があまりにもあくどい事を重ねるので、天は悪人ではなくて、善人に処罰を与えるのだと、基本的道理に基づいて、八幡宮様に、被害が下りてくるのでした。

 瓜南直子さんが亡くなったのも、谷垣禎一さんが亡くなったのも、皆、同じ流れの中にあります。

 そして、その違法性ですが、鎌倉市が道路位置指定と言う条例を作ったせいで、私にとっては、あじさい畑を復旧させる見込みはなくなったし、前田家側は、不法占拠の土地を認めてもらって、違法ではない事になったのです。

それで、勢いを得たのでしょうが、羽根突き遊びはするし、布団や、洗濯物もそこに干すのでした。以下は、その図です。干しにくいでしょうに、樹木の間に干すのです。出っ張ったところには、灌木に近い、樹木を植えていて、あたかも歴史的に長い時間を経た、山林であるかのごとく、見せかけて、居ますので。

  お孫さんを使った羽根突きの写真など、撮影しませんよ。だけど、この洗濯物の、不便な干し方を見てください。こういう風にいちいち、策略に基づいて行動をする一家なのです。そして、これが、渡辺賢司の布団を午前10時に叩いて、前日交通事故に出会ったばかりの私を眠らせないという事案にも結び付いていくわけです。すべては、連動をしています。どうしてかと言うと、すべての出来事に、瀬島龍三流、CIAのやり方が入って居るからです。

 さて、もう一つあります。我が家の盗まれた土地そのものへの攻撃です。

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副題5、『2017年7月18日に、【ドリームハウス】と言う特番が、放映をされた。その中で、前田祝一氏と、小野寺夫人がご近所様として登場をする。しかし、二人が立っている土地は、我が家の、その盗まれた土地そのものなのである。これは、偶然のことではなくて、意図して撮影をされたと、考えている。つまり、自分たちの過去の悪事を、ドリームハウスと言う祝祭的番組に出演することによって、ロンダリング(=洗浄しよう)と考えていたのだろう。前田祝一氏の写真の方は、希望の党の、主役的三人の男性、

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f2/646844f3585c6c4f439032bbe2c2a6c6.jpg?random=77f324f88b3238f859b6f96d677741d2

 で、上の方でも、それを書いていますが、「一億二千万人が見る可能性のあるテレビ番組に出演をしているのだから、私は善人であり、何の後顧の憂いもないので、お前の書いている事の方が間違っている」と、言いたいのでしょう。で、私の方は「それは、判りました。ただ、この場所が、我が家の、地所であり、私は30年間、それを使えません。しかし、あなたの方は、二倍の広さを、私有化して使っていますね。よく、テレビに、出演する気持ちになりましたね。恥を知らず、天を忖度せずですね。驚いた。前田さん、人間って、総べて平等なのですよ。あなたは、フランス語が得意ですが、シェークスピアぐらいは、教養の一端としてご存じでしょう。で、二つのセリフを貴方に送ります。

一つはテレビ番組の効用について、 

So may the outward shows be least themselves: The world is still deceived with ornament.

 もう一つはどうしても、wikipedia 程度では、出てこなかったので、記憶に頼って書きますが、

私は決して負けない。相手が、女の股から生まれたものである限り・・・・・という物です。

ここですがさらに丁寧に、チェックすると、実は、女の股から生まれたというのは誰かの、意訳らしくて、原文には、ただ、女から生まれたと、あるらしいです。

For none of woman born shall harm Macbeth

これを、ここで、前田氏にささげるのは、「あなたは、テレビに出ることが勝利へ繋がる」と考えているみたいですが、しかし、すべてはもろ刃の剣であって、あなたの顔は、民主党を初期に飛び出して、結局は落選に至って、政界を引退した若狭勝元議員と、そっくりな風情が浮かんでいますね。つまり、人間として、正しい選択をしていない人固有の自信のなさです。それが、出ていると、私は見ていますよ。インテリだからこそ、自分がやっている事の、本質は、わかって居るわけでしょう。

 それに冒頭に置いた、小野寺夫人のjpegですが、ちっとも、幸せそうに見えないではないですか? 彼女は藤沢を拠点とするミュージカル集団に属していて、女王の役を担ったことがあると言っていました。だったら、カメラに映る自分がどう見えるか、考えたり、つくろったりしてもいいでしょう。でも、それにしては、暗い表情です。不安が一杯広がっている表情です。それに比較して、したの私の表情を見てください。幸せそうでしょう。

 他人から、攻撃やら害を与えられ続けているけれど、それを、記録して神様に報告する以外の、報復とか復讐は一切やって居ません。だから、常に心は平安です。そして、この丸い顔は次の節に出て来る前田家の、長男のお嫁さんに通じるものなのです。次の節で、丁寧にそれを書きますが、

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副題6、『この問題の土地で、ある日、非常に騒がしい音がするので、家から出てみた。本当に、重要な時には感が働くのには、自分でも驚くが、前田清子さんが、三人の孫を使って、上記の、二枚の写真に述べた事と同じことをやっていた。時期は、10年以上前だったと記憶をしている。つまり、どういうことかと言うと、他人の土地であるそこで、三人の孫と、お嫁さんの記念写真を撮って、その土地が、もう、あなたのものではないのですよ。みんなのものです」と言いたかったらしい。で、その頃に、鎌倉市が、伊藤玄二郎らの提言に応じて、道路位置指定の、条例を発布したらしいのだ。被害者たる、私に何の相談もお知らせもなくである。本当に恐ろしい無法地帯である。それでは谷垣さんが、事故死するのも無理もないし、大銀杏が倒壊するのも無理もないではないか? だって、私は、自分の土地を使えないのに、その原因者である前田夫人は、私道部分を自らの私有地として、囲い込みかさ上げをして、自らの宅地と同じ高さにしていて、自由に使っている。これは、本当に恐ろしい事である。

 そういう無法な事を文化都市、鎌倉を舞台にしてやりたい放題にやっている伊藤玄二郎と、井上ひさしは、この当事者抜きで、自分たちの悪のマネーロンダリングが成功したことに勢いを得てさらに、やりたい放題をやって行く。2013年の元旦に、江ノ電を13時間停止させたのも彼らの示威行為であろう。自分たちは特権を握っていて、何でもできると、思い込んでいるらしい。

 そして、周南事件を起こして、無辜の老人五人を殺した。それよりずっと前には、山口みつ子さんと言う逸材を殺している。そして、山田浩二が殺したとされる寝屋川の、中一の二児童殺害事件、小田原近辺で起きた、焼身自殺による整体師の焼死事件(これは、自殺をされたという男の遺族に対して、何の損害賠償請求もなされていないので、徹底的に嘘の有る事件です。あの男は、どこか、海外に、逃がされて、そして、そこで、秘密裡に殺されているでしょう。スタップ細胞疑惑事件、笹井芳樹氏は、他殺です。熊谷市で、ペルー人に、六人が殺されたとされる事件、殺された人たちがいることは事実でしょうが、殺したのはペルー人ではない筈です。

 そして、高枝切り事案です。2016年、9月26日の朝、7時ごろに冒頭に、その写真を置いた小野寺夫人は我が家に電話をかけて来て、主人に対して、「工事をしますので、ご迷惑を掛けます」と言いました。大ウソです。工事は、彼女が発注をしたのではなくて、冨澤家が、発注をしたものです。冨澤家から電話があるのなら、まだ、うなづけるけれど、小野寺夫人から電話があったので、これが、大ウソが含まれている政治的謀略だとは、すぐわかりました。

 この事件に関する大ウソとは、必要もない工事を行い私の、睡眠を、妨害する事であって、本当なら、150万円は、支払わないといけない冨澤家は、一銭も支払っていない筈です。尾上共同事業体と言う、植木やは、確かに、冨澤家の発注だと、言いましたが、冨澤家は、一千も支払っていないでしょう。ましてや、白井小野寺家では、更にも増して、一銭も支払っていない筈です。彼らは悪魔に魅入られたみたいで、嘘をつくのが平気なのです。でもね。そういう白井さんが、横浜銀行鎌倉支店の、設計をしていて、

 ルネ北久里浜の設計をしていた、しかも、傾きマンションで、有名な、らら横浜の設計もしていて、となると、私には裏側が100%読めてくるのですね。

 さて、つい、そちらへ入って行ってしまいますが、この文章の、起承転結を完成させる方向へ戻らないといけません。実は、10年前に、前田夫人が、上の二人と同じことをお孫さんを使って、やった日に、驚くべき言葉と、せりふが、私の口から出たのです。

 それは、まずですが、「ここは、我が家の土地ですから、別にあなた方が、ここで、写真を取る必要はないでしょう。だから、ここでは、写真を撮らないでください」とはっきり言ったことです。その時点では、前田夫人は、言う事を聞きました。それで、問題の土地から去る彼女たちのうち、前田夫人の方が、お嫁さんに目配せをしたらしいのですね。

 つまり、「ほら、ほら、やはり、クレーマーでしょう。きつい人なのよ」と。それで、以前から、私の悪口を聞いていたらしい、お嫁さんは、にやりと笑ったのですね。で、この問題の本質を考え、さらに、現況の、あくどさを考えた私は、ここで、一つ、前田夫人を凝ららしめたやろうと、思ったのです。それでね。お嫁さんに向かって、「あなたは、〇〇大学の△△学部を出たご長男のお嫁さん!」と、呼びかけたのです。

 つまり、それは、単純に、前田夫人をからかったのです。御成中学で、東大医学部に進学できるという勢いで、居て、威張り返っていた前田夫人のお坊ちゃまは、実際には、東大の医学部へは、進学して居ませんでした。坊ちゃんがどこの大学に進学しているか、どういう学部に進学しているかは、前田夫人は、私には、秘密にして、黙っていたつもりでしょうが、私には何でも、耳に入るのですよ。別に盗聴もしていないし、子供に質問をしたわけでもありません。子供に、そんな下品なことを質問など致しません。しかし、ニュースソースを守るために、どういうルートでそれが、手に入ったかは言いませんが、すべて、大切なことは、耳に入ってくるのです。

 そして、その大学名と学部名を聞いた時に、あれこれって、いわゆるお助けが入ったのではないかしらと、思いました。いわゆるひいきです。入試の点数なども大甘にしてあるので華かなあ。コネがあって、本当は、無理なんだけど、入学できるという形。でもね。医学部ではないのです。拾っていただいたと仮定をしても医学部ではないです。ちょっと、意地悪めいた言い方になっていますが、前田夫人には、一千回以上の割合で、いじめられ、不都合な目にあわされていますので、仕方がないです。ものすごく多数回嫌なことを、やられていますので、こういう言い方をするのも、仕方がない事なのです。

 特に前田氏が、保見が、一審で死刑になった時に、大喜びをして、唐桟の着物を着て最上級のおしゃれをして外出をした事から見ても、周南事件をはじめとする、すべての謀略としての殺人事件は、前田清子さんと、安野智紗夫人が、過去に行った悪の、隠蔽工作として、私を脅かして、ノイローゼにさせるために起こされているわけですから。

 しかし、やまゆり園事件は、正反対なのですよ。19人もが死んだと、言われますが、一人も死んでいないでしょう。そういう風な方向で、嘘を、90%内包をしている事件です。しかし、全体を見ると、周南事件と同じく前田夫人と安野夫人と小野寺夫人を助けるために起こされています。たった、3人とか、四人の私人のために、一億二千万人の日本人全体が、嘘を、信じ込まされています。

 その日本人に嘘を信じ込ませていく道具として、もっとも、頻度高く使われているのが、NHKです。どうして、そんな事が可能かと言うと、それが、CIAと言う、仕組みの特徴なのです。瀬島龍三は、死んだはずですが、伊藤玄二郎を後継者として、選んで、あれこれ教えて、後事を託しているでしょう。しかし、そのNHKが、母体が揺らぐほどの、水愛に向かう可能性を、見つけている私です。大相撲は、視聴率を稼ぐドル箱でしょうに、NHKを、自分の私的機関のように利用をする、鎌倉エージェントたちは、その大相撲をひっかきまわしていて、衰退に追い込んでいます。娯楽性と言う意味では、大いに貢献をした、朝青龍を追い出したし、他の横綱が、怪我で、すべて居なくなった場所を支えると言う意味で、大きな功績のあっ日馬富士をも、職業的補償をせずに、引退に、追い込んでいます。鎌倉エージェントとは、私がそれをトカゲの脳味噌の持ち主だと、いつも言っている通り、あまり、頭がよくないのです。今、直近の勝負に勝てればよいとして、長期的な視野には、立てません。だから、矛盾がいっぱい出てきます。

 今回の、貴ノ岩騒動も、長期的な視野に立っていないので、貴乃花親方の滅茶苦茶ぶりが、世間(本当にものを考えている日本人)すべてに明瞭になりました。ネットで、貴乃花親方への同情が集まっていると出ていましたが、ツィッターなんて、一本百円で雇われて投稿する人がいるのですよ。それを職業としていて、収入をそれで得ている人も知っていますし。__

 ところで、私がご長男のお嫁さんに向かって、〇〇大学の△△学部ですね。と言った時に、前田夫人は言葉に詰まったのですが、顔は鬼の様な顔でした。

 ただ、お嫁さんの方は、相当に違いました。最初は、にやりとした嫌味な笑顔だったのに、だんだん、普通のタイプの笑顔へ変化してきたのです。

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副題7、『お嫁さんの、地味な雰囲気を見ているうちに、前田家のお坊ちゃまが、意外なほどに、母を、避けていることが分かって来た。お嫁さんは、清子夫人とは全く違うタイプだった。丸顔で。その上、二人は、相当な早婚だと、見えたので、学生結婚である可能性も強かった。なるほど、なるほどと、思い到る私だった』

 上に自分の写真を置いたのは、それが、前田家の、お嫁さんに、ちょっと似ているからです。前田家のお嫁さんは、もっと丸味を帯びた顔です。そして、私より肌のいろは黒い。しかし、眼は、私よりも、大きいかな? ただ眼鏡をかけている処は、同じです。ともかく、地味な感じで、お化粧っ気のないところ。年子もいるのではないかと言うほどに、背の高さが似ている三人の、子供をとてもかわいがっている感じ。全体に控えめな感じ。などが、『感じの良い女性だなあ。坊ちゃんは、いい人をお嫁さんにした』と、私に思わせました。母親が派手で、目立つ家の子供は不幸なのです。

 その時に、・・・・・このお嫁さんと、結婚をするという事で、坊ちゃんは、母親から、逃げ出したのだ・・・・・という事が解りました。

 まあ、親子関係なんて、親の方が報われないものです。母親の方は一途に坊ちゃんが好きで、お嬢さんの方には、相当に気合が薄れていました。後年他人のお子さん方も、利用して行く様に成るのですが、1988ねんから、9ねんにかけては、お嬢さんでさえ、自分のために、利用をするのでした。

 これから先に書くことは、すでに何度も書いている事ですが、私の土地が、それで、盗まれることとなった安野夫人主宰の井戸端会議で、一番声の大きいのが前田夫人でした。そして、お嬢さんについて、話している日の会話が、これまた、特別に大きな声だったので、私は、何重の壁を通して内容を知る事となりました。そのセンテンスの本当の目的は、・・・・・自分の家では、上の子は、湘南高校ではないが、下の子は、湘南高校に行っているのだという事を、私に知らせたい・・・・・という事だったと、思います。井戸端会議に参加をしていない私の事を、ご近所の情報を一切知らない筈だと、見做していた模様です。でも、前田夫人は、ちょっと、ひねりを入れてきました。つまり、実際の表現は、こう成りました。「〇ぶ子がさあー、湘南高校の男の子と付き合っているのよー。結構イケメンなのー。だからさー。さっさと、決めちゃえばと、言っているのだけれど、ぐずぐずして居て、きめないのよー」と。

 まだ、16か、17の少女に、「早くセックスしちゃいなさいよ。そうすれば、相手との絆が、しっかりできて、結婚に至るわよ」と、言っている事と同じなのです。下品と言うかなんというか、私がそれまで生きて来た、生活の中では、考えられない言葉と言うか、センテンスでした。是では、我が家よりももっと近い場所に住んでいて、より大きな声で、聞こえてしまう藤本夫人が、前田夫人を嫌って、懲らしめのために、道路を使わせない様にするのも一理はあると思いました。藤本夫人は鎌倉の小児科医院の娘であって、藤本真澄東宝重役の義妹であって、橋本一子さんと言う美貌のピアニストを、お嫁さんにしている、人ですから、この下品さと、マナー違反は、到底受け入れられないでしょう。前田夫人は、いなかっぺ過ぎるというかなんというか、都会の一戸建て住宅街に住むという事が、どういうことなのかが、まるっきりわかって居ない人なのです。で、道路の真ん中を電動のこぎりで、切るという行動に出るのも郁子なるかなと、思い到るのでした。ここから先は続きとしてはアジサイ畑欺罔事件に入って行くところですが、本日は、それはやらずに、前田家のお嬢様のお婿さんへと戻ります。ここで、やっと副題2へもどるのです。

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副題8、『前田夫人には、現在の処、孫が、五人いる。それは、現在の日本社会では、完璧な勝ち組ではある。それなのに、なぜ、もっと欲しいと願うのか? もっと勝利したいと願うのか? それを、求めて、私をいじめまくるのか? 攻撃をしまくるのか?と、私は、自問自答する。彼女に話し合いを求めても、絶対に乗ってこないだろうと、思うからである』

 つまり、お嬢さんは、お見合いか、恋愛かは、判らないものの無事に結婚するに至って居て、お子さんが二人あるという事なのでした。そして、夫らしい人は、クレッチマーの言う学者タイプの典型みたいです。

 そうなると、前田夫人は、一応ですが、五人の孫がいる女性だとなります。これは、ですね。現代における勝ち組の一人となります。特に、35年前から、藤本悌子夫人と激しく争ってきていますが、孫が何人居るかという意味では、藤本夫人には、勝っていますね。

 藤本夫人は、よその家の猫が、したい寄って行くところを見ると、悪い人ではないみたいです。が、柔軟性は足りなくて、夫には不満を持っていたみたいで、従って最晩年には、夫を虐待をしていました。ご主人は北側の一室に閉じ込められていて、南側の部屋へは、日曜日に、お嬢さんが休日の日でも、出てこられないみたいでした。一番気の毒なのは、生ごみを自分で捨てないといけない事でした。という事は、お料理も作ってもらっていなかったと、見做すことができます。その、件ですが、生ごみを捨てるためには、藤本家からは、119段程度、石段を下りないといけません。

 ご主人はパーキンソン氏病にかかっていると見えました。私は、自分の父がそれにかかっていたので、瞬時にそれが解りました。それで、自由には歩けませんでした。一歩進むのに、三十秒は掛かるといった風情でした。しかも大変気の毒な事に、お嬢さんに頼めない風でもありました。お母さんは、男の子を熱愛して居て、または、偏愛をしていて、お嬢さんには、愛情を持っていませんでした。

 それが、私にはっきりとわかる日があったのです。昔母のお見舞いをして遅く帰ってくる日が続いていた頃です。石段の途中で、お嬢さんが、スマホ(または、携帯)をチェックしているのでした。夜の10時過ぎだと、あそこの家は、お母さんは、西側にある部屋で就寝します。間に、洋間を挟んで、お嬢さんは、東側にある個室にこもる事ができます。お嬢さんの部屋の雨戸儀は、洋風な、しとみ戸なので、中の明かりが見えました。だから、遅くまで起きて居る日があるのは知って居ました。で、自室に帰ってから携帯をチェックしてもいいでしょう。でも、彼女は勤務先に近いところの喫茶店でも無く、鎌倉では、唯一深夜まで営業をしているマクドナルドでもなく、石段の途中で、携帯をチェックしているのでした。

 お嬢さんは、その頃すでに、50歳に近く、かつ、美貌というには、遠い面立ちでした。そして背が高くて、かわいげがない体型でもありました。でも、私は、その夜は、お嬢さんには男がいるのではないかと思い、それをひそかに祝福をしました。あまりにも可哀想な、境遇でしたから。ミスター藤本はいつの間にかいなくなりました。入院した模様です。それは、救いだったでしょう。ごはんは出るし、ごみを捨てる必要はないし、廊下で、他の人と会話を交わすことができますし、自由に見舞客とッ接することができるからです。そして、奥さんより先に亡くなった模様です。しかし、町内会回覧板で、その逝去の、お知らせを見ることはありませんでした。

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副題9、『藤本夫人の家庭内別居は、藤本夫人の、かたくなさが、原因でもあったが、もう一つあって、それは、町内会の主要メンバーが、結託をして、藤本夫人ひとりを悪人にして、孤立化させ、かつ、ミスター藤本を、自分側に取り込んでいたことにあった。それを藤本夫人が激怒したことに、夫婦の決裂の、大きな原因があった。それを読めていた私は、従って、当初はあじさいばたけを犠牲にすることに了承をしたのだった。藤本家があまりにも気の毒だったので、優しい気質の私は、自分が犠牲になることを了承をしたのだった。しかし、中谷共二氏の驚くべき裏切りに出会って、自然な崖が無許可で、切り崩されたので、びっくりして、それ以降、土地の供出を不承知としている。

 しかしなのだ。上の方で言っている通り、道路位置指定と言う条例が、もっとも、大きな当事者である、私を抜かして決定をされてしまい、私の土地が盗まれていることが、否定をされてしまった。もともとは土がむき出しでアジサイが植わって居て、他の家にもほとんどの家に、同じ様な、花畑があるのに、

我が家だけ、30年前から無くなっている。上の写真だが、右側は渡辺賢司家である。花畑を作っているので間の道路は、一メートルもない。一方で、したが我が家の前の道路で、右側の、鉄柱のフェンスがある側が我が家であって、そこで、冒頭に置いた、小野寺夫人の映像も、前田祝一氏の映像も撮影をされた。幅は3.7mぐらいある。道路が三つに色分けをされている。真ん中は、藤本夫人が、切り開こうとした昔からの道路である。右側のすこし明るいグレーの部分が我が家のアジサイ畑があったところで、→

  → 左側のより白いコンクリートが見えるのは、それも、藤本夫人が、電動のこぎりで、道路を切った跡の、証拠隠滅のために、アスベスト被害を、口実にして、新しいコンクリートを打ったので、白いのだ。アスベストの健康被害を口実にしたくせに、古い管を抜き取ってはいない。そして、アスベスト訴訟を、集団訴訟の形で起こしては、被害者に、7000万円級の補償金を与え、共産党の評判を高くしてあげている。前田祝一氏は、集団訴訟の原告になっている。で、それをググって発見した私が、それ以降は、「共産党も、CIAの、一翼を担っているのだ」という事となって来る。という写真の説明を、緑色の字で、入れて元へ戻る。

この三本の、色の違うコンクリートと言うのが我が家の土地が盗まれているという事の重要な証拠なのだけれど、それを今般、道路工事をして、全部同じ色のコンクリートへしてしまおうというのが、町内会総会で、決まった事なのだ。さあ、どうするとなる?

それを、『そこは、もともと道路であって、もう、動かしようがない」という形で、悪人側の主張が、肯定されてしまったのだ。驚くべき無法地帯が、この雪ノ下二丁目、三番地と、四番地にまたがる一帯に、出現をしている。だから、私はこのブログを、いったん事が起きた時のための、法廷闘争に使うつもりで、すべて、実名で、表記をしている。

 ところで、中谷共二氏は、最初は、藤本夫人の大悪口を私に吹き込んだ。たとえば、下の写真だが、とんがっている、普通はとんがって居アニ部分なのだけれど、藤本夫人が異常性格なので、自分で、とんがらかせることとしたそうだ。

そのほか、藤本家のお嬢さんが、結婚をしていないことなども、引き合いに出して、藤本夫人が悪人だと、私に、吹き込んだ。ともかく、私に言わせれば、前田夫人が藤本家へ謝罪に行き、藤本夫人の心をとかせば、何もすることはないとなるのだった。そして、後日、中谷夫人も私の言葉を肯定して来る。「あなた、川崎さんのおっしゃる通りですよ。この件は、もう、これ以上は、進行をさせない様になさいませ。」と言ったのだが、瀬島龍三が後ろに居た中谷氏は、強引に、私が損をして、困る様な方向へ、事を運んで行った。

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副題8、『ここで、藤本夫人が、対岸の地境地主(堀内大衆氏、および、私)の許可を得ず、勝手に入れた地境石が、問題になって来る』

 で、上の三本の色の違うコンクリートの道路の写真だが、その奥の方に、白い紙が二枚置いてある。それは地境石の位置である。普通に考えると、左側の位置が、真ん中に見える。しかし、藤本夫人は、右側の位置に、勝手に地境石を入れたそうである。私は、中古の家(堀内大衆氏の持ち物)を買って、この山に参入をしてきたのだが、藤本夫人は、堀内一家をさんざんにいじめたそうである。理由は堀内家の主人が大卒ではないからであろう。で、大げんかに発展をしていたそうである。藤本夫人は庶民派は嫌いなのだ。堀内大衆紙も嫌いだし、前田清子さんも大嫌いなのだ。

 で、中谷氏の説明によれば、「堀内家は、庶民派ではあるが、お嬢さんは、結婚をして、孫も生まれているので、幸せそうに見えた。一方、娘が、未婚の、藤本家とは、そういうポイントとでも、嫉妬の感情とか何かがあって、争いが起きて居た」そうである。で、堀内家は、嫌気がさして、引っ越して行った。駅までの距離は、この場所よりは遠いが、車庫の有る場所だと、聞いている。この山からよそへ引っ越して行った人は、本当の狙いはほかにあっても、まず第一に車庫の問題を上げる。

 で、彼らが引っ越して行ったあとで、突然に、藤本夫人は、地境石を入れた。もともと地境石がなかった場所にである道路の真ん中に入れる地境用の標識は、釘の形である場合が多いが、藤本夫人は、ホームセンターで買ってきた、コンクリート製柱型の地境石をそこに入れている。その行れは、中谷氏も異常だと言い、それゆえに藤本夫人の異様さを、私に信じ込ませて、アジサイ畑を結局は提供させる様に仕向けて来た。しかしなのだ。

 実際の工事が始まってみると、その地境石が、異常であることを証明できる山があったのに、その山を崩してしまった。すると、見かけ上、その地境石が、道路上にある様に見える。真ん中ではない。しかし、今までは、山の中に埋まっていて、如何にも異様に見えたものが、山が無くなると、以前ほどには、異常には見えなくなる。山がほとんど崩されてから、気が付いた私は、びっくりして土工二人に、「弁護士の処へ行ってくるから、これ以上は進行させないで」と言った。

 それで、びっくりした土工は、半分は捨て去り、半分は残っていた泥を、春秋窯の西側に廃棄し、雨で流れない様にして、コンクリートで囲ったのでした。

 

 さて、ここまで書いて、本日は、17時間パソコンにへばりついていました。さすがに体力の限界ですし、食事の準備以外の、家事が何もできておりません。で、主人の機嫌が悪いので、ここで、中断をさせてくださいませ。まとまて居ませんが、お許しを。ただ、ここまでだけでも、相当に面白いとは、思いますよ。それには、自信がありますけれど・・・・・

後注1、 

 なお加筆をして、推敲をしたら、署名と書いた日付を入れます。

アスベスト訴訟とは、CIAの保護のもとの、私怨を晴らす目的で行われた 

2016-02-21 00:47:45 | 政治 
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芥川賞を巡る私の、集英社前で、警察に待ち構えられた、という特殊な体験・・・その1 瀬島龍三、益山重夫、塩見和子、湯川有紀子、安野智紗、大原光孝、川名昭宣

2018-01-08 03:23:44 | 政治

副題0、『前報は、歌舞伎そのものに、特化して語っている話だが、歌舞伎にまつわる諸エピソードの中には、無論のこと、政治が関連しているものも多い。本日は、そのうちの歌舞伎座、1階席にまつわる政治について語ろう』

・・・・・と言っても、その1として、本日内では、エピソードの全体像は描出できず、途中で終わっていますが、歌舞伎座の、一階席から、俳句界の芥川賞(蛇笏賞かな?)と言われるものを思い出していて、その後に、本物の芥川賞に関する重要なエピソードに入って行っています。文藝春秋社の編集者が、私の息子へ手出しをして来たというエピソードなど、初出の話でしょう。

 2016年7月の初旬に、妹が、他殺と言う憂き目で亡くなりました。それいらい、私は、このブログの書き方を抜群に深めて書いております。ディレンマが、含まれている形での、攻撃ばかり受けてはいますが、語り始めています。最近書いている実家の法事にまつわる話(後注1)など、その典型的例です。ただし、同時並行的に、体重が7キロぐらい落ちています。死に物狂いの戦いです。

 しかし、戦い?は、2003年ごろから、始まっていて、私は外部には、それを語らないものの、内心では、それを悟ってはいたのです。それは、2003年の三月ごろに、私が芥川賞を狙う行動を開始したのですが、それに関して、警察が総体を上げて、阻止してきたからです。

 どうしてそういう事が始まったかと言うと、例の地籍変更届・・・・・(後注2に、そのリンク先を纏めたいが、未だに、本文が、途中までしか進行をしていない。世間には秘匿をされている大事件の一つだと、思う)・・・・・の際に、急死した、益山重夫氏の親友が、瀬島龍三と言う、戦後最大のCIAエージェントであり、彼は、警察庁をも、自由自在に支配をできる人間だからです。

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副題1、『私は、1999年からパソコンを使い始めた。その時点から、ハッキングを受けていたと、今では、確信をしている。だから、20年間にわたってハッキングを受けていたわけだ。で、57歳という遅い時期に使い始めたパソコンだったが、若いころ、IBMの電子タイプライターを、使っていた身だから、入力スピードは速くて、当初から、文章は、楽に書けたので、AOLのシステムを使って、メルマガを配信し始めた。

 ::::::::::ここで、挿入に入るが、私の事情はすべて、世界政治と関連をしているので、個人的な、事情も、誇りと自信を持って語るのだが、このAOLのシステムが、当初は、マイクロソフトのシステムを経由していないという事があって、それが、重要なのだ。私にとっては、当時の、文章のほとんどが、失われてしまったのは残念ではあるが、

 クリントン夫人の、大統領候補時に、大きな攻撃点となっていた、私的メルアドの、利用問題は、ほとんど、単純に、AOLシステムに慣れていたから、それを使ったまでであって、悪意はなかったと、思っている。ただし、クリントン夫人を攻撃する団体があって、それを、私は、CIAだろうと、みていたが、トランプ陣営だったらしいので、それには、驚いている。ともかくにして、2008年ごろまでは、AOLのシステムの方が、マイクロソフトより、単純で使いやすかったのである。:::::::::という挿入を入れて元へ戻る。

 このメルマガなのだけれど、メルアドをつかんでいないお友達には、プリントアウトをして送っていた。毎晩、コンビニで、3000円から、4000円を使って、コピーを取り、それを、また、郵送料を掛けて送るのだった。私は・・・・・後で、モノとしては、残らないもの・・・・・に大金をかけて生きてきたのだった。それ故に、今、こういう活動をしていることに関して、自信を持っている。内面が、充実しているからだとして。

 このメルマガだけど、心理学と、芸術に特化した、ほとんど、問題のないものだった。そして、評判が高かった。友人から、「芥川賞が発表されるので、読んでいるが、全然面白くないですね。あなたの文章の方がよほど面白い」とも、言われていた。エンタメを狙っていない、ただ、のエッセイなのだが、それでも抜群に面白いと、言われていた。複数の人、特に日本社会のなかでの、エリートから褒められていた。それもあって、また、大昔の中学時代から、「文章が上手で、表現力がある」と言われてきたこともあって、メルマガと、同時にマイクロソフトワードを使って、まとまった長い文章も書き始めた。

 その際に、どういう方向で、どういう形でまとめるかという事に関して、私は美術界に籍を置いているわけだから、音楽と、文章に関しては、団体に属することを避けようと考えた。美術界に関しては、国展に出品をしていて、女流展にも出品をしていて、毎日展、上野の森大賞展、神奈川県展(山下町で開催される方)などの、コンクールにも入選していて、もし、宛名を書けるのなら、5000人を相手に、個展の案内状を出せますね・・・・・というほどに、活発に動いてたので、それなりの時間とエネルギーが必要であり、それ以外の、分野には、美術界で学んだシステムを応用して、人的コネクションなしで、突破しようと考えていたのだった。だから、同人誌などに所属することは無論避けたいと、願っていた。同人誌と言うのが美術界における団体展に当たると、思う。

 で、非常に有名な芥川賞が、それを取れれば、効率的であるとは、考えた。赤瀬川原平さんが、雑誌【太陽】の特集号の中で、当時は表参道で、オフィスを開いていた、有名な手相観の、〇〇雅水さんに、「あなたは大丈夫ですよ」と、苦境時代に励まされたという記事も読んでいたし。私は同じ、雅水さんに、1998年から通い始めて、最初の面談で、「あなたは、芸術家でよかった。これが、専業主婦だけをやって居たら、事件を起こす人になっていますよ」と、言われていた。自分ではまったくもって、それを知らなかったが、いわゆる、みずもしたたるいい女の一種なので、表現方法を、別の方向で、何か持っていないと恋愛に耽溺してしまうタイプらしかった。で、男の人の間に争いを起こさせてしまうタイプだった。この間、NHKETVがお正月特集として、【ねほりん、ぱほりん】の集大成をやっていたが、あの中に出て来る、サークルクラッシャーと言うタイプの女になりかねないタイプなのだった。75歳の今になると、衰えきっていて、歌舞伎座でも、トイレの鏡に映る自分が亡霊みたいに見えるが、だからこそ、正々堂々と語る事ができる、20年前のエピソードである。

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副題2、『芥川賞と言うのは募集をしているものではない。推薦を受けないと、いけないらしい。そういう関門がある。なるほどと、思う。それは、文化庁の在外研修生のシステムに似ているのだろうと、思う。で、推薦を受けるために、凡人にとっては、同人誌で、活躍をする道があるのだと、思う。しかし、上で言っている様に、美術界で、公募団体展に、所属しているという現役生活と、過去(神奈川女流展など)がある。そこにおける嫉妬と、足の引っ張り合いは、多数回経験をしていた。私は、いじめられ易いタイプで、苦労が多いタイプだった。それは、〇〇雅水さんに、実際は女として魅力があるタイプなのだと、聞いてやっと納得をしたが、同じ経験を文章界で、やるのは避けたいと、願っていた。筒井康隆の【大いなる助走】も読んでいたし。

 で、同人誌に所属しないで、芥川賞を狙う道を探った。すると、文学界には、各種の賞があり、それら下部組織の賞を取ると、芥川賞に、推薦される可能性がある事を知った。「これだ!」と、思った。

 ここで、小さいころから「優秀だ、優秀だ」と他者から褒められてきたことが役立った。それに、自分が狙ったことは、その時点までに、45%ぐらいの形だが、達成をして来たことも役に立った。

 で、図書館で、各種の雑誌を取り上げて見たり、書店の平台に、置いてある、各種の文学系の雑誌を手に取ってみた。これらは、お金を出せば買える、一種の同人誌の、趣もあって、新人賞を募集をしていた。新人賞は誰にでも応募ができる形だった。【文学界】(文芸春秋社)、【新潮】(新潮社)、【すばる】(集英社)、【群像】(講談社)、【文藝】(河出書房新社)などが、それにあたると、言う知識を把握した。それらは、毎ねん、三月の末に締め切りを置いており、十月ごろに、入賞者を発表をする。ただし、【文学界】は、オミットしないといけないと考えた。

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副題3、『戦後最大の、CIAエージェント・瀬島龍三は、文芸春秋社と、私が接触をする事を押さえ、抑止するために、すでに、2000年ごろから、私の息子を使い始めていたのだった』

 しかし、上記の文芸誌の中で、文芸春秋社の、【文学界】には、応募はできないなあと、思っておりました。どうしてかと言うと、息子が、当時、文芸春秋社の編集者と、付き合っていて、槍ケ岳に、一緒に上っていたりして居たからなのです。大学の先輩、後輩と言う間柄を利用して、相手様から、申し出でがあり、付き合っていたのです。それは、息子から聞いたのではなくて、是もまた、娘から聞いた話ですが、息子は、その先輩と、当時は、仲良くしていたのでした。ほぼ、18年は前の話で、彼の独身時代の事でしたが。

 私は、その登山体験が終わった後で、だいぶ経過して、そのエピソードを知りました。が、すぐに、瀬島龍三が、文芸春秋社と、私が、接触できない様にするために、そういう手配を施したのだと、判りました。娘にも、息子にも、夫にも何も説明をしませんでしたが、それは、私には、判る事でした。

 どうしてそこまでわかったかと言うと、中央公論社の湯川有紀子さんとの、付き合いから、判断が可能になった事です。

 2016年に入ってから、私とICU同期入学の塩見和子さんが、すでに、1978年に、笹川良一氏が作った日本財団の、古楽器部門の、理事長に就任したことを知りました。それは、地籍変更届(後注2)の際の、益山氏の急死に対しての復讐案だったのです。塩見和子さんは、その前は、クリスティーズの日本支社長だった筈です。もしかするとサザビーだったかもしれませんが、世界に冠たるオークション会社の、日本支社の社長だったのです。で、ストラディバリウスなどの、古楽器を既に、オークションにかけて、居て、笹川良一とは既に、知り合っていた可能性があるのですが、それでもね。世界に冠たる会社の、日本支社・支社長から、まだ、海のモノとも、山のものとも、わかって居ない笹川氏の事業に転身するのは、帰国子女の走りであって、モダンきわまりない美女である、塩見和子の選択としては、おかしいのです。笹川氏は、右翼の大物として有名ですし、競艇で、稼いだ金を持ち込んで、ストラディバリウスを買っているわけなので、笹川財団(今の名前は、日本財団である)の、事業とは、高級なマネーロンダリングの、趣もあるのでした。

 でもね、裏で、瀬島龍三が動いて、塩見和子さんがその言葉に対しては、納得をせざるを得ない人物が、勧誘したと仮定したら、そういう転職もありなのでした。どうして、そういう転職がありかと言うと、笹川良一の懐へ、私が食い込むだろうと、瀬島龍三が想像をしたので、それを阻止するために、そういう手配をしたのでした。

 笹川良一は、旧制高校として、台湾を選んで居ます。または、旧制帝大として、台湾を選んで居ます。私は10年ぐらい前に、台湾へ、観光旅行をして、そこを訪問してみました。植物園かと見まがうほどの立派な大学でした。東大よりもキャンパス内は、美しかったです。そこで、同期だったのが、私の東大勤務時代の上司(=教授)でした。「今(1966~1969年まで)でも、仲良しだ」と、聞いています。瀬島龍三は、CIAエージェントですから、頭を駆使して、自分が勝つことを狙っているわけです。で、私の周辺をすべて、抑えて置こうとしているわけです。

 ところで、この塩見和子さんについては、やまゆり園事件にまで、発展をする動きがあるのですが、それは、ここでは、語らず、また、別章で語ります。ここでは、この塩見和子の例を引いて、中央公論社の、湯川有紀子さんについて語りたいのです。

 湯川さんは、神戸女学院の出身で、旧姓を桝田と言います。湯川姓は、ノーベル賞受賞者、湯川秀樹さんの、一族と結婚をしたので、そうなっていると、推察しています。ともかく美しい人です。中央公論社の、旧ビル内で、二回会い、その後、お手紙をもらっていますが、その当時の接触のすべてに、裏側に、瀬島龍三が居たとは、今では、確信をしています。このエピソードは非常に長くなるので、ここでは、詳細には、敷衍をしません。しかし、1985年にすでに、中央公論社が、文芸誌【海】を廃刊していたと、今、知って、『おや、それも、瀬島龍三の、深謀遠慮だったかな?』と、気が付いてきているほどです。私がICUで、ベイカーさんと言うアメリカ人大学生に、非常に頭がいいのだと発見をされてしまっていますので、瀬島龍三は、私の過去履歴については、詳細に、調べ抜いていると感じて居ます。それは、特に、私が鎌倉に引っ越してきて、8か月後に、すでに、女性としては、地域社会でのエリートである、御成中学の、PTA三役の広報委員長に、専任をされた野でさらに強められて意識でしょう。そのお役目の方は、地盤がないために、部下(平役員)の反乱に出会ってしまい、瞬時に、お役目を辞退したのです。しかし、その選任と辞退の、両方を見ている事で、私が、大物化する事への危惧と、それを阻止しうるという考えの両方が、あったからでしょう。

 鎌倉雪ノ下では、中谷共二氏と言う、カリフォルニア大学出身の帰米二世で、羽田空港の、飛行機用燃料を一手に扱うガソリンスタンドの社長をしていた人物を使って、【アジサイ畑欺罔事件】を、起こして置き、一方では、日本の文化界にも手をまわして、私がブレイクできない様に、用意周到に、準備をしていたのでした。

 私は、このブログの世界で、三年ぐらい前から、「すべては、わかって居るのですよ」と、言い続けています。この副題1の部分も、20年前から、わかって居て、ただ、書き表すチャンスがなかっただけの話です。

 で、こういう過去があるからこそ、文芸春秋社の編集者が、息子にアタックをして来たことの、本当の意味にも、すぐ、思いが到りました。この副題2に書いていることは、相当に、重要な事なので、今、インターネットのシステムを通じて、妨害を受けました。新しい形式の妨害です。

 で、私は、『ふむ、ふむ、【文学界】の新人賞に応募しても、その編集者を動かして、内部で、原稿が紛失するという形で、握り潰されてしまうだろう』と、思ったので、そこへは、応募しない事へ決めました。【群像】にも応募しないことに決めたのですが、それは、後で、語ります。

【新潮】には、2003年の、3月27日に、届けたのですが、一階ロビーに、警察庁の若手、幹部候補生らしい四人組が、タバコをふかすという形で、待ち構えていたので、新人賞を取り扱う部門までは、届かなかったと、今では、判断をしています。この四人組は、千駄ヶ谷の国立能楽堂前で、待って居たこともあるし、神谷町の、青山敦子弁護士事務所前の廊下(中廊下という形での、きれいな、しかし、細い場所)にも表れたので、刑事(ただし、大卒の上級者である。東大卒かもしれない。顔を平気でサラスし、面立ちも、上品であるので)・・・・・又は、警察庁内部での、特殊任務について居るホワイトカラーだと、確信をしている連中です。将来は、警察庁幹部になって行く連中でしょう。

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副題4、『集英社の、新人賞に応募しようとすると、警察が総力を挙げて妨害をして来た。私には、裏側がすべてわかって居るので、非常な怒りを感じたが、ともかく、私の方は誰のものも盗んでおらず、誰を殺してもいないのだから、相手側の様に、公共用地を盗んだり、我が家の土地を盗んだりしては居ないわけなので、堂々としていた、そして、正面突破で、しっかりと、応募作品を届けようとしていたのだった。彼等CIAエージェントは、これ以降、どんどん、その悪辣さを深めていくのだが、ついには、多数の殺人事件を起こすという形(に向かって行く。それから、嘘八百の事件も起こすのだった』

 で、集英社に最も大きな望みをかけたのですが、そこで、大変な目に出会うのです。まず、丸の内郵便局で、2003年の、3月31日にほかのお客の、私製封筒の、送付に、手押しスタンプを使うという形で、延々時間を取って、午前零時までに、発想が間に合わないという形を取られるのです。3月31日と言うのは年度末なので、他のお客さんも、制限以内に、郵便物を出したくて、わざわざ、丸の内郵便局まで、居ている人がいっぱいいて、激怒していましたが、課長らしい上司は、それに耳を傾けず、部下を使って、延々とスタンプを押し続けていましたので、阻止されてしまうのです。その日、ロビーの東側で、白髪の老人と、若い女性が、歴史の勉強をしているのを見ます。

るし、その次に午前六時に、

@@@@@ここが第一の書きかけ中の最先端です。で、この続きですが明日、9日にかきます。非常に重要なところなので、そうさせてくださいませ。

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副題4、『ところで、瀬島龍三が、息子に手出しをしたのは、当時の私が、逗子で、一人暮らしをしていたからである。もし、同居をしていたら、私が委細を察するので、手出しをしなかったと、思うのだけど。ところで、逗子に一人暮らしをした歳月と、そこから得たものを、ここで、語りたい。以前にも書いているが、さらに話を深めて語りたい』

 私は、大物アーチストに成るつもりだったので、毎年の秋に、ニューヨークで版画修行をしようと考えておりました。そのご、河野多恵子さんが、夫として、ニューヨーク在住の、アーチストを選び、毎年三か月ほど、そこに滞在型同居をしていると聞いて、それは、創作者として、理想的な形態だと、思いました。夫側にとっても、妻側にとっても、一年に、三か月程度の同居で、後は、一人暮らしというのは、創作をする人間にとって、理想的な形なのです。

 今の私は、これほどに、重い内容のものを書いているので、夜昼が逆転をしています。昼間夫がそばでテレビを見ている部屋では、とても書けない内容です。別の部屋で、インターネットができるシステムは、構築をしてあるのですが、敵に狙われ切っている私には、それが、使えません。で、夫から罵詈雑言で、今、毎日、ののしられています。こういう夜昼逆転の生活は、彼にとっても、嫌なものでもあるし、私の健康を心配する向きもあるからです。しかし、ワードで、別の部屋で、書いて、このブログへ移動をするという仕組みも又、これほどの、重いものを書いている際は、妨害を受けるのです。で、できません。

 瓜南直子さんが、伴清一郎さんと言う、実質婚の相手が居て、彼女が亡くなった後では、伴さんが、嘆ききって、居ますが、実際には、別居状態だったと、思っています。二人とも創作に従事している場合は、私達夫婦よりも、時間の使い方が、大変でしょうから。

 ところで、私にとって、毎年、秋に海外で、三か月修行をするという形式は、パリへの文化庁在外研修制度で、それが、自分に向いていると、気が付いたから、やりたいことでしたが、当然の事、家族は反対をします。で、逗子に、版画のプレスを置く為に、既に、作っていた、総計24畳分の古いマンションを借りた、アトリエで、夜も暮らすことと決めました。一之瀬智恵子さんを良く批判をしていますが、その別居状態の時期に、私の方は、すでに、子供たちは、27歳と、25歳であり、会社員になって居ましたので、自分が40代で、彼等の方が、10代で、思春期だったころに自分を犠牲にして尽くしたから、ここでは、自由にさせてもらおうと考えていました。一之瀬さんは、お嬢さんがまだ小さいのに、自分を優先しているので駄目だと、言っているのです。

 で、別居状態で、暮らす日々が、2000年の、一月から、2002年の五月まで、有りました。これが、私にとっては、非常に重要な期間だったのです。家族は、鎌倉の山の上に住んでいるので、版画の機械である、鉄の塊であるプレスと言うのが、当然の事、持ちあがらなかったわけです。で、そうしていました。

 しかし、その後、2016年に入って、テレビ東京の特番【ドリームハウス】を見ていると、重い鉄の塊を運ぶ、専門業者が居る事を知りましたが、それは、その施主(設計者でもある)が、専門家であるので手に入る情報であって、私には、プレスの製造会社が、運んでくれるという情報しかなかったのです。

 逗子駅の北側で、ホームが見えるほどの、位置に在る古いマンションで、普段は、借り手が居なくて、選挙時期に、選挙事務所として使われるというほどに、古いマンションを、月、七万五千円で、借りて居ましたが、これが、自分をブラッシュアップするに最適、かつ、最高の時間だったのです。一方、で、鎌倉雪ノ下の方では、私が離婚をするはずだと、見做していて、大騒ぎだったと、聞いています。大原光孝さんからね。そして、安野智紗夫人は、私が電話でタクシーを呼び、必要最低限の、衣類などを鎌倉から、逗子へ運ぼうとする際には、わざと、外へ出て、見下ろしていたものです。これは、河出書房新社に繋がっていくので、重要な事なのですよ。後で触れます。

 ところで、そのマンションのある場所は、逗子市においては、下町の方です。で、下町と言うのが、創作者にとっては、意外にも住みやすい場所だと、認識をしました。近所づきあいが激しいかと、推察していましたが、却って、ないのです。たとえば、北隣は、医院です。そちら様は、私なんかに関心がありません。南側はエステです。そこも、私は、付き合う必要がありません。東は線路で、西は空き家?でしたが、ともかくにして、誰とも付き合う必要がないのでした。で、ここの生活様式の自分に向いている事に、感銘を受けて、ひそかに、戸越銀座辺たりで、二番目というか、オフィスを兼ねた住まいを将来見つけようと、15年前には、考えていたのです。北久里浜のいえを売ったらその代金を当ててとか、母から遺産が入ったらそのお金でと考えておりましたが、実際には、不可能で、歳月が過ぎています。宝くじでも当たったら、可能だとして、宝くじを買い始めたら尾行によって、それが、把握をされたらしくて、福岡のみずほ銀行を舞台として、7億円強奪事件が起きました。あれも、嘘ですよ。犯人が逮捕されたとか、何度も、報道をされていますが、犯人とは、やくざで、警察に協力を求められているので、犯人像を、引き受けているだけでしょう。

 で、最近では、堂々と、銀座で、買っていますが、まったく当たりません。しかし、この間、12月22日(それは売り出しの最終日です)に、数寄屋橋で、国立劇場で前売り券を買おうとして、バス停で、待って居たら、対岸で、当たりくじが頻出するという事で、有名な数寄屋橋のくじ売り場に、行列をしている人々を見つけました。三人ぐらいが、固まって列を作っていて、しかも、長さが、200メートルぐらいあるのですよ。千人近い人々が、必死に待って居るのです。夜の五時でしたが。庶民は切ない生活を送っています。こういう事は、実際に行動してみてわかる事であり、そこから、安倍総理大臣は、戦後最悪の総理大臣だという、私の発言も出てきます。

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副題5、『この逗子での、一人暮らしが、クリエーターとしての、最高のレベルの進歩をもたらしてくれたわけだし、50代での、海外一人暮らしは、その困難さを考えると、体力的には、ぎりぎりセーフの段階だったので、自分では、この行動に、満足をしている。しかし、周辺、特に、雪ノ下と、伊藤玄二郎達一派は、私が、離婚に至ると、考えていて、それを、川名昭宣君に伝えたらしいのだ。そこからスタップ細胞疑惑の、本質が読めて来るのだった』

 ここが、第二の書きかけ中の最先端です。

私が文藝春秋社の【文学界】も、息子に手を出して来た編集者が居る程なので、応募しても駄目だし、河出書房新社の文芸誌【群像】も応募しても、駄目だ・・・・・と、考えた、よすがが、川名君に在るとは、ここで、記録をさせておいてくださいませね。川名君とは、塩見和子と、私と同期(=1962年)ICU入学生です。 

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副題6、「蛇足・・・・・だが、わたくしにとっては、特に大切なこと』

 これから先は、8日の午前11時ごろ書いた部分です。しかし、外出前の、いろいろな雑用に、時間を取られる見込みがあって完成させられず、この文章全体も、非公開としていて、夜のくじになりました。ところが、銀座で、画廊めぐりをしていたところ、下に挙げた長瀬いずみが、個展をしていたのです。しかも、問題の画廊【るたん】でです。なんという勘の鋭さだろうと、我ながら、驚いています。その予定は、全く知らずに、以下の文章を副題4として午前中にかいていたのでした。そして、夜の6時ごろ、それを発見して、今、夜のくじですが、ここ以下の部分を蛇足としてアップする事に、急きょ決めたのです。この手の現象も、わたくしは天のお助けだと考えております。

副題α、『2003年の、3月31日には、丸の内郵便局で多大な、妨害を受けた。その次の日、4月1日の早朝6時の事だが、京橋(または、神保町)の、集英社前に、パトカーが二台、待機していた。こういう事も、今までは、読者に向かっては、意味不明のエピソードのひとつとして書くほかはなかったのだが、地籍変更届の仕組みを、60パーセント程度書いた今では、悪の仕組みが、説明しやすい。したがって、伊藤玄二郎に与(くみ)する人は、バンバンとその悪人ぶりを書く。

 杉本某、横須賀市副市長と、その妻、正子夫人が。一種のわいろとして、広い土地(2000~3000坪)を支配しているとか、について書くのも仕方がない事なのだ。正子夫人と仲良しである大沼嘉津江さんが、ご近所様から馬鹿にされていることを書くのも仕方がない事であり、その理由の一つとして、実兄に当たる島田章三さんに、大金が横須賀市から注入をされていることがあるのを書くのも仕方がない事であり、章三さんの妻である鮎子さんを冠として、グループ展を開く、画廊るたんの、中島三枝子さんが、当時国画会の、準会員だった、長瀬いづみと組んでひどい事をしてきたら、警察が異様な事件を起こすたびに画廊るたんと、中島三枝子さんについて書くのも仕方がない事なのだ。

 今でも、貴ノ岩騒動と言う、95%が警察のでっち上げによる事件が起きているので、過去ブログに、実名で、登場した人物について、さらに深めて書く、大勢は整っている。特に私の目の前で、ビル全体が使う、共同トイレのカギを掛けたギャルリーユマニテが、保坂航子(初期の名前を涼子と名乗っていた)の個展を開いてあげる限り、山口みつ子さんが他殺であり、野見山暁次さんが、その真相のカギを握っていると書くのも仕方がない事なのだった。いや、だからこそ野見山さんは、文化勲章を受けたのだし。山口みつ子さん・殺人・事件の真相を、私が知っているからこそ、野見山さんを持ち上げて、私を黙らせ様としているのだから。

 無論のこと、鎌倉雪ノ下についても同じである。父親が、慶応大学の教授で、ご本人も、栄光学園・慶応大学・三菱重工と言うエリートコースを歩んできたミスター冨澤が、ある土曜日に、バスの中で、気が付いた私が後ろから声を掛けたら、「しっ」と唇に手を当てて、まるで、犬でも追い払う様に黙らせた挙句にバスを降りてから、「先ほどは失礼をいたしました」というでもなく、逃げる様に走って先を行った時から、私の方は、準備ができているわけだから、早速に、『機会が訪れたらあれを書きましょう』と、待ち構えているわけだった。だって、冨澤氏が、そういう態度を取ったのも前田夫妻、又は、安野夫妻等からの、教唆によるものであろうから、機会が訪れたら全部を書くのは、当たり前のことなのだ。で、見事に機会が訪れた。それは、

@@@@@@ここが、第四の書きかけ中の最先端です。

妙本寺のお嫁さんの、母である、遠藤夫人(今は、浄明寺という地域に住んでいると言われている。昔は我が家の西隣に住んでいた)が、どれほどに、骨惜しみの人間であり、庭ゴミを、毎日我が家に掃き落としていたとか、それを、たまりかねて注意したら、否定をして来て、しかも、それに輪をかけたことに、旦那に脅かされたとか、書くわけだった。普通ではない事だから。もしかしたらあの時点から安野夫人などから、我が家を、「馬鹿にして、も、いい」と聞かされていたのかもしれない。ほかにも遠藤夫人が行ってきた我が家側には迷惑な行為と言うのは、いっぱいあります。で、骨惜しみの結果、超肥満体になっています。この前、偶然(または、わざとなのか?)に、不二屋前で、であったら、更に肥満度が増していて、小錦状態でした。またはアフリカゾウと言っていいいかな? この遠藤夫人の無礼さが、もし、安野・前田連合軍からの教唆で行われていたとしたら、メルマガやブログで、それを書いているので、連中は、一応は申し訳ないと、思うのでしょうね。それで、北鎌倉女子学園の、児嶋百代先生か、川合先生を仲人に仕立てて、妙本寺の、お嫁さんに仕向けたのです。ミスター遠藤が、東大卒の、大手銀行(特に三菱銀行ぐらい)勤めレベルだったのかもしれません。だって、妙本寺って、鎌倉いち富裕なご一家です。寺領が、広くて、しかも、JR鎌倉駅に近いです。ですから莫大な、土地使用料が入るお寺です。普通のサラリーマン家庭から、あそこにお嫁さんに入るのでは、家の格が合わないです。でもね、私のブログにそれが、書いてあるから、お嬢さんを、妙本寺へ、お嫁入させるのが、CIAエージェントにとって、勝利に当たるのです。しかも、それを冨澤夫人が、私に告げるのですよ。私は、リアルな世界では、喧嘩をしない主義だから、冨澤夫人に向かっても何も解説をしないし、ミスター冨澤に向かっても何も咎めません。だけど、準備OK

@@@@@ここが第五の書きかけ中の最先端です。

 後で、加筆をします。また、多数のリンクが必要ですが、それも、見つけて、充実をさせておきます。それが終わったら、書いた日付と署名を入れます。

なお、このブログの、2010年より、数え始めた延べ、訪問回数は、4419711です。

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幸四郎一家・三代襲名を、見てきました。△

2018-01-07 14:48:51 | 歌舞伎

 すみませんね、ちょっと、普段の調子からはずします。昨日土曜日歌舞伎座の夜の部を見て来て、早速、メモ程度にフェイスブックに副題1をアップしました。しかし、ブログには、もっと凝ったことを書きたいです。というか、少し掘り下げて書きたいです。で、副題2以降を付け加えます。

副題1、『幸四郎一家、三代襲名を見てきました。夜の部の、口上を、目当てにです』

 本日は、歌舞伎座・夜の部を見てきました。私はね、大勢の人が、注目をしているものを一緒になって注目をするのが嫌なので、前売り券を買っていなかったのですが、当日券が手に入ったので見たのです。本日は、前夜8時間寝ていて体調も良かったし。
 ただし、当日券は、2万円のモノしか残って居なかったのですが、まあ、お正月だからいいかと思って買いました。

  【勧進帳】は熱演でした。新・幸四郎が、熱演でした。彼は、弁慶には、似合わない様に、思うのです。いわゆるニンが合わないという形。でも、熱演で、充分に弁慶に、たっしていました。一階のお客さんは、老人が多い(苦笑)ので、グループで来ている人が、お友達に向かって、「疲れた。疲れた」と言い、お仲間も、「そうですね」と、言っていました。熱演なので、見ているだけで、疲れてしまったのでしょう。

 【歌舞伎手帖】=これは、一種のファンブックで、小型の名鑑の形になっている=を買って確かめましたが、孫の、新・染五郎は、まだ13歳です。でも、背の高さと、容貌に恵まれています。半年ぐらい前の2ちゃんねる(または、5チャネル)の投稿では、「未だ演技が下手だ」と、書かれていましたが、本日は、義経役が、立派にできていました。義経の、悲劇性を表現できる品の良さがあります。

 ただ、こういう風に家柄の良いお坊ちゃまが、重要な役に、すっとつくと、教習所出身のわき役専門の俳優など、どう思うのでしょうかねえ。それこそ、老婆心で、心配してしまいます。ところで、ロビーで、新幸四郎と、そっくりなご婦人が居ました。母君かしら?と、思いましたが、もしそうだとしたら、新婚時代とは、ずいぶんと、お顔が、変ったと、感じます。
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副題2、『新・幸四郎と、そっくりなご婦人は、もし、元幸四郎(現、白鴎)の奥様だとすると、昔、見た顔と違うなあと、思った。そして、優しい、いいお顔になっていた』

 ロビーをちらっと見ると、とても色が地味な和服で、立っているご婦人が居て、その人が、新・幸四郎にそっくりなのです。もし、それが、新・幸四郎の母君だとすると、昔、見た顔と違うなあと、思いました。私は、昔は【ミセス】という雑誌を取っていたので、旧・幸四郎の結婚の記事は、読んだものです。旧・幸四郎は、私と同い年なので関心がありました。【ラマンチャの男】も帝劇で、見ています。お嫁さんは、お医者様のお嬢さんだと、聞いています。
 ところで、私は、人々が集中して騒いでいる事には、関心を持ちたくない主義です。だから、大阪万博にも行っていないし、愛知花博にも行っていません。六本木ヒルズだって、開業後、7年目ぐらいにやっと行っています。しかし、ケチだとは、思わないでくださいね。ニューヨークやパリで、滞在型、研修に、3か月かける三回行っていますので、莫大なお金はかけています。三か月でも、必ず、アパートを契約していますし、大学院へ通ったり(私立の美大なので、学費が高額でした)、版画工房でも、月額6万円程度は、原って、鍵をもらうシステムに、持ち込んでいますので、高額の、お金は使っているのです。
 ともかく、個性的であることが、大切だと、思っているので、本当なら、『歌舞伎なんかも見ている場合ではないよね』と、も、思っていますが、
 もう、体力が落ちてきましたので、『自分自身が主体的に、創作をすることは、ブログだけでいいかな』と、思っていて、『後は、受け身の、事をやって行こうかなあ』と、思っている次第で、従って、歌舞伎も見始めたのです。
 でも、何かやり始めると、それを、マスターするまでは、凝る方だから【演劇界】と言う雑誌は、2006年の、古い判型のところまで、12年間分を、よみがえって読みましたし、
 この三年間は、できるだけ、国立劇場とか、浅草公会堂とか、明治座や、新橋演部場も、見る様にしています。国立劇場は『通し狂言が多いので、レベルが高いかなあ』と、思って気に入っています。特に二階の最後尾が、抜群に埋まっているので、何故かと思うと、そこは、1800円で、見ることができるのです。みなさん、よく知っているなあと、思って、2018年度の、一月は、それを買ったのですが、どうしてか、紛失しています。ふむ、ふむ。だけど、国立は、二回ぐらい、同じものを見に行くこともあるので、もう一回前売り券を買うつもりです。
 歌舞伎座の方は、細切れの演目を並べているので、『ああ、観光客目当てなのかしら?』と、思ったりしています。ちょっと演劇としては、落ち着かないですね。
 そして、衛星劇場も、視聴し始めて古い録画番組を見たりしています。『ふむ、ふむ、福助って、こういう演技をしていたのだ』と、思ったりして見ています。福助と言うのは、大変期待をされていた女形なのですが、歌右衛門と言う大名跡を襲名する、寸前に、病に倒れたそうです。

 しかし、何しろあまのじゃくなので、今般の、幸四郎一家、三代・同時襲名も、『あまり、興味がわかないなあ』と、思って前売り券を買わなかったほどなのですよ。特に「和光で、展覧会がある」とか、「お練りが何とか」、と、聞くと、なおさら、『フーン』という感じでね。

 そんなあまのじゃくな私ですが、ロビーで、旧・幸四郎夫人らしき人を見て、その優し気な、かんばせを見たのは、収穫でした。昔の顔と、全然違うのです。昔はモダンな感じで、角ばった顔だと、思っていました。しかし、今般は、和風で、柔らかな、優しいお顔でした。もしかしたら、私が何か、勘違いをしているのかもしれませんが、45年間に、かくもお顔が、変化した女性も、珍しいし、それが、歌舞伎役者の妻ゆえの変化だと、思うと『ホー』っと思う気持ちが、強かったです。
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副題3、『なぜ、幸四郎一家が、かくも、にぎにぎしく、襲名を寿がれているかが、口上を聞いているうちに判って来た。暁星時代、お成績がとてもよかった、頭のいい人なのだそうで、それで、いわゆる、級長さんだったそうだ。おくさんが、お医者さんのお嬢さんだし、母上は、先代・吉右衛門のお嬢さんだ。だから、一家全体が、頭のいい人として、世間から見做されている。したがって、尊敬を受けているという事らしい。歌舞伎界では、突出したエリートだと、言う事

 私は、旧幸四郎が、上手な俳優であることは認めます。この二年間では、【不知火検校(オーム真理教の松本彰晃の江戸時代版みたいな悪人です)とか、悪人に見えて実は善人だったという【いがみの権太】とか、有名な戯曲仮名手本忠臣蔵で、梅玉の内匠頭を、支える【大星由良之助】など、印象に残りました。しかし、どこか、『冷たいひとだ』という感じがするのですよね。

 これは、息子の、旧・染五郎、とか、弟の、吉右衛門とか、菊五郎とか、仁左衛門、そして、新進の中車(=香川照之)には、感じない特性なのです。

 演劇を見るという事は、観客側の人の心に新たなエネルギーを注入することだから、このポイントで、『ちょっと、変だなあ』と、思うところがあって、それゆえに、【らマンチャの男】にも感動をしなかったという記憶があります。
 もしかすると、先代、吉右衛門の、お嬢さんであった母君が愛情の薄い人だったのではないかなあと、思うのです。
 大変な賢夫人だったみたいですが、冷たい人だと、雑誌の、グラビアを見ただけで、感じていました。
 両親、特に母親が、賢くて、冷たいと、子供は、・・・・何か、成果を上げて、母に認められ様・・・・とするのですよね。そういう部分は、私もお成績の良い子だったので、よくわかるのですよ。

 そういう部分は、息子の、新・幸四郎にはないのです。あのロビーにいた、上品な奥様が、もし、新・幸四郎の母君だと、すると、あの人は、優しくて、愛情いっぱいの人なのでしょう。
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副題4、『襲名を祝う幕が、三井不動産から、寄贈を、されたものだった?!?!?』

 ここについては、後日語りたいです。大問題がある。ほら、例の傾きマンションを売り出したのが、三井不動産レジデンシャルですからね。しかし、歌舞伎を離れますので、ここでは、それについては語らないことといたしましょう。
 次のブログ文も書き始めては居るのですが、あまりに大きなことに取り組んでしまったので、なかなか、完成に至らず、先に銀座へ向かい、画廊巡りをしてきます。次の文章のアップは、お待ち頂きたく。
 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ、訪問回数は、4419711です。
 2018年、1月7日に書き、8日に完成させる。雨宮舜(本名、川崎千恵子)
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36時間更新を休んだが、其は、石塚雅彦・堤義明lineの動きを書く事ができて、満足をしていたからですよ。+遠隔操作ビームによる肉体への攻撃☐

2018-01-06 05:03:44 | 政治

 今は、6日の午後二時です。この文章ですが、一応起承転結は完成したと、言うところで、初稿を書くのを止めとしています。で、そのしるしである、恒例の☐を、総タイトル右横につけておきます。

副題1、『私はわざとですが、5日は、まるいちにちほど、ブログを書くのを休みました。堤義明氏と石塚雅彦さんが、いとこであり、その縁を利用して、私を苦しめている事・・・・・たくさんあるのだが、その一端を、・・・・・書き表すことができたからだった』

・・・・・何故かというと、心の奥深いところにある悩みを、やっと、吐露できた・・・・・・からです。特に鎌倉霊園と言う、利用者に対して、「一種の、天国を提供しています」と、言うコンセプトで、運営をされるべき、所が、政治によって、汚い動きをしたわけですからね(後注1)へ。それは、このブログで、書いて良い内容のひとつでした。政治とは、強者の恣意があたかもまっとうな事として、執り行われるのが政治だと、すれば、石塚雅彦さんは、まさに、「自分はあなたよりも強いのですよ。そして、ばれないのだったら、こっちは、何でもやっていいでしょう」と、ここでも、宣言をしているわけです。ばれているのですよ。だけど、将来の弟の法事を考えると、石塚・堤連合軍と、伊藤玄二郎たちが、全般的に組んでいる、この弾圧の事も書きにくいわけです。ですから、直近(または、最後?)の法事から、14か月たって、やっと、書き始めています。やっとの思いで、書いているのです。

 今般、後注1とか、後注2とか、この章というこの種の文章を書いて、将来の、弟の、葬儀、および、法事をどうするかと、私が、どう考えているかと言うと、『絶対に神様が助けて下さるだろう』と、信じているから、書いたのです。弟の葬儀とは、将来起きるもので、今の段階では、予測不可能な事ですが、彼みたいに善人であり、かつ、インテルが、工場を日本から引き上げるという形で、優秀なプログラマーであった、弟の、職場を奪ったのですから、・・・・・そして、それと似た形は、私の息子のケースでも繰り返されたわけですから・・・・・・神様は、絶対に、弟を守ってくださると、信じているわけです。

 あのね、悪魔も勝つのですが、天子も勝つのです。バランスが取れています。ここについては、後で、出て来る副題αで詳述します。ここでは、書きにくい、書きにくい、霊園からのいじめと、法事を執り行う、宗興寺さんの、心が、上の空になっている事への、私の苦い苦しみと、それに対する将来の、展望だけを書いたわけです。

 でもね。小学校(横浜市立日吉台)の先輩であり、大学(ICU)の先輩であり、同じ文化部(アートクラブ)だったので、在学中も、千葉県・太海への合宿の際にも会話を交わし、その後、石塚さんが長期にわたって、同窓会長だったので、その会場(外人記者クラブの例の紺色のどんちょうが下がっている部屋で開催される事が多かった)でも、会話を交わし、後に大学同窓会展が、開かれることになったので、その準備会(外人記者クラブのレストランで、主に行われた)でも、会話を交わし、同窓会展の展示準備日、および撤収日、および、展覧会開催・期間中の、お当番の日等で、会話を交わした間柄なのに、どうしてこういう事を裏側ではなさるのですか? というほどに恐ろしい事を次から次へとなさっているのですよね。全部、それらの裏側は、ばれているし、ここで、法事と、宗興寺さんへの大タブーを突破したわけですから、スタップ細胞疑惑にしろ、眞子さまご婚約にしろ、いろいろ、将来は、丁寧に書いて行くつもりがあります。塩見和子さんのラインを丁寧に、調べると、石塚雅彦さんは、やまゆり園事件にも、3%ぐらいの割合で、関与していますので。私は石塚雅彦さんについては、何を書くのにしても、もう、遠慮も逡巡もないです。

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副題2、『堤義明さんには、莫大な、個人資産があるので、江ノ電が、2013年の元旦に、無収入であろうが、鎌倉霊園の収入が減ろうが、どうしようが、痛くもかゆくもないみたいである・・・・・しかし、江ノ電は、西武HDの支配下であると、江ノ電の事務所からは、2017年には、聞いたのに、今、2018年に至って、会社四季報を見ると、以前から小田急支配下となっている。これは、何故だ?』

 簡単に言うと、鎌倉霊園とは、もともと、堤康次郎をまつるために、作った墓所で、莫大な広さで、康次郎氏の墓が、てっぺんに、存在をしていたところなのです。現代の仁徳陵とか、箸墓古墳と、言ってよいほどの、広大な墓所が、霊園の、海抜としては、最高の高さの場所(もしかすると、三浦半島全体でも、最高の高さの場所に在る)・・・・という、デザインで、設計されている墓所だったのです。

 ただし、・・・・・堤一族が、国税(及び地方税)を支払わないシステムで、生きて来て、それで、莫大な財産を築いて来た・・・・・ことが、ある時点で、マスコミに批判をされ始めたので、その墓は移転をさせられ、鎌倉霊園からは、消えました。たぶん、堤家が軽井沢、もしくは湘南地方に持っている、広大な私有地に、移転をされたのだと、思います。堤家ほどの、権力者だったら、山林の開発だって、自由自在だろうし、墓所の設定も自由自在にできるだろうと、思います。つまり、国家公務員も、地方公務員も、顎で、使えるという事。 

 この鎌倉霊園が、一時期人気が高かったのは、1980年代、お坊さんのお布施が、バカに高くて、葬式費用が高いという事で、残された遺族が、悩んだ時期に「宗教とは、一線を画します」という趣旨で、開園をし、拡大を続けて、申し込みを延々と受け続けたからです。この霊園は、60年ぐらいの長さで、運営をされており、次から次へと、山を開墾して、墓の数を増やしています。

 ところで、伊藤玄二郎たちの悪の手先になった組織とか、人間には、それ以降衰退が訪れると私はよく言っています。そして、それは、当たっていると、思っています。そういう趣旨で見ると、この霊園では、櫛の歯が抜ける様に、空き地が増えております。それは、バブル期にここを買った一族が、もっと便利な処へ、日本ファイリングが、開発をした、・・・・・自動車部品が、適切に保管と供給をされて行くシステム・・・・・の応用で、位牌を内包した厨子が、スィッチ一つで、目の前に現れる、その手の近代的な墓苑が、都心の寺院に、開設され始めたので、移動をしているのかもしれませんが、・・・・・ともかく、数が減っています。その上、有名人の一族も墓を撤収したりしています。

 また最悪なのは、除草剤を使っているので、滑川の源流が汚され切っている事です。滑川の源流の側壁がオレンジ色とか、黄色の汚物が、付着しているのを見ると、ぞっとします。

 神奈川県では、自宅で、たき火をしてはいけない事となっています。これも、前田清子さん一派の過去の悪事(山間の煙と言うエッセイに記録をしてあるが)を隠すために、設定されている事情ですが、却って、自然を汚すシステムです。ゴミの処理だって、小規模で、地産地消の方がいいのですよ。お墓の草むしりも、代々の近所のお寺のお墓だったら、狭いので、除草剤を使う事もないでしょうし。

  江ノ電の、実質的トップが堤さんだったから、2013年の、大遅延現象(13時間江ノ電が打画かなかった)が、起きたから、いや、それとも、違うのかが、江ノ電の株が、小田急の支配下に在るのか、西武の支配下に在るのかが、今の私には、はっきりとはしませんので、これは、ペンディングとさせてくださいませ。

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副題3、『お墓とか、お葬式の様式が大分、変わってきたことは確かだけれど、曹洞宗は、瑕疵がないだけに、日本宗教界に於いて、意外にも大きな力を持っているのではないか? かつ、海外布教という意味でも、相当に、力があると、私は推察している。外国人は、まず座禅から、仏教へ入って来るし。

 したがって、私が最近、書いていることは、伊藤玄二郎にとっては、大いに痛いテーマであるはずだ。というのも浄智寺、朝比奈宗温氏は、かねてより、使いッパシリとして、伊藤玄二郎は、使ってきており、瓜南直子さんの一件でも、浄智寺さんの軽薄さが、直子さんの死に至ったと、私はすでに、何度も書いている。

 瓜南直子さんは画家なので、知名度がある。一方で、宗興寺・なかのせいや氏には、大衆的知名度がない。しかし、曹洞宗の宗務関係では、相当に、偉い方であり、仏教界では、その知名度は高いだろう。

 仏教界には、他に禅宗(円覚寺派ほか)諸派があり、本願寺系統があり、西本願寺系統があり、比叡山系統があり、高野山系統があり、日蓮宗系統があり、創価学会系統があり、立正佼成会系統があり、覚園寺さんみたいに、「独立して、存在してしています」と、言う有名寺院も含めれば、どれほどの、数があるかは、知れません。そして、信者数の事も、私は、その詳細は、知りません。

 しかし、あえてですが、ニュースにはならない曹洞宗は、相当に、大きなポジションを占めていると、推察しています。たとえば、上の方で、すでに言っている通り、海外・普及においては強いでしょうし、日本国内でも、若者を取り込む仏教と言う意味では、まじめな青年は、永平寺の、修業に参加をしたいと、思うだろうし、チャラい青年たちは、鶴見の総持寺の盆踊りに参加したいと、思うでしょう。

 鶴見の総持寺の盆踊りって、相当に盛り上がるらしいですよ。中心街での、人でとか、参加人数を比較すれば、長崎くんちとか、青森ねぶた祭り程度の、参加人員を誇っているみたいですよ。NHKニュースは取り上げないが、若者の間では、相当に有名なパフォーマンスらしくて、お坊さんが、渋谷交差点の、DJポリスよろしく、マイクを使って煽り立てるそうです。

  となると、その中心にいて、統轄をされている中野誠哉氏にとって、このブログで、こういう形で、登場することは、よくない事の方の筈です。しかし、こういう文章を私が書かざるを得なかった陰に、私の想像通り、浄智寺の朝比奈宗温さんが、動いていたとなると、浄智寺さんは、宗興寺さんに対して「申し訳ない」と、思う筈です。さてその浄智寺さんが、伊藤玄二郎から頼まれもしないのに、自発的にそういうことをするわけがありません。で、伊藤玄二郎は、当然の如く、浄智寺さんに謝罪をしないといけないのです。

 私は、2017年の8月9日に久しぶりに、鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りを見に行っています。その件で、三編ほど、ブルグを書いていますが、その中では、この章程に、詳しい事は書いていないものの、近々、私が、宗興寺さんについて触れるのは、予測ができたはずです。

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副題4、『私に真実を書くことをやらせないために、肉体へ激痛を、加えるという攻撃に、敵は、出て来た。しかも、元旦の夜である。

 これは、家へ侵入して刃物とか、銃で、殺傷をするという形ではなくて、斜めの直線距離にして、35メートルぐらい離れた場所から、レーザーとか電子銃とかを使って行う攻撃だと、思う。パソコンへの侵入は、我が家から西へ、水平距離40メートル離れた、エアビーエンビーのkamakura cottage ないに置かれた特殊なルーターを通じて、全世界20か所ぐらいから行うことは可能だと、見ている。

 今、書いている肉体への攻撃の方だが、最初は、『そこからでは、ないだろう』と考えた。と言うのもそこから行うと、間に、柳沢昇邸と、白井・小野寺邸が挟まってしまう。間に両家が、挟まってもパソコンへの侵入なら、パソコンのシリアルナンバーとか、ログインアドレス等で、識別できるので、その両家のパソコンを破壊せずに、私のパソコンだけを破壊することはできる。

 だが、肉体には、シリアル番号はついて居ない。それぞれに個性はあるが、それがスパコンが把握できるほどに歯、数値化とか、単純化は、未だ、なされていない。したがって、その距離で、照射を行うと、場合によっては、間に居る三人を傷つける可能性はある。

 ただ、両家とも、居間、および寝室を避けて、kamakura cottage から、私へ向かって、ビームを照射することは可能である。この三人とも、私が寝ている場所よりも三メートルは、北側に、引っ込んだ場所で、寝ていると、思われるので、kamakura cottageから、発射されるビームが、三人の肉体を破損する事なく、私にまで到着するのは可能だと、考えている。高低差から考えても、この三人の方が、私より50cmは、上で、寝ている筈だ。または、中二階に寝ていると推察すると、100cmは下で寝ているとなる。

 しかし、もっとも正確に、私の右足だけを狙うビームを発射できる場所は、冨澤家の、敷地内だと、私は考えている。そこは、我が家からは、12~15mは高くて、しかも、角度をつけて、私、白井氏、小野寺夫人、柳沢昇の、三人を識別、区別ができる。

 アメリカが衛星搭載カメラから、北朝鮮の、ミサイル発射を予告できる時代が、現在だ。3万メートルの高さから、2キロ平方メートルを分析できるのなら、「バレーボールをやっているので、まだ、まだ、発射しないでしょう」という例のバレーボールコートなど、2cmX3cmほどの長方形として、アメリカの軍部内で、分析できるのだ。ペンタゴンないか、どこで、できるのかは場所は知らないが、余裕で、できると、おもう。

 高度3万キロ離れたところで、それが可能な、高度20mのところで、頭の先から、足先まで、162cmの私の足の痛点を、正確に狙うのなど、可能な事だと、思う。そして、それは、この八年間、折に触れて、すでに、行われてきた事なのだ。股関節の痛み、膝関節の痛み、それから、スネ肉、および、ふくらはぎ、足の甲など、すこしでも、お肉が存在している処には、激しいけいれんを起こされて来た。

 それについて、私は当初から『外部からの攻撃によるものだ』と、考えているので、西洋医に、相談を仕掛けない。しかし、2016年度の、主人の入院中に、膝関節が悪くなったのは、ビームによる攻撃だとしても、あまりに痛いし、主人の退院後は、月に二回ほど、付き添って、病院へ行くので、到頭、診察を受けることした。お医者様が、MRIをかけてくださったところによると、軟骨はすり減っているし、或る骨は、確かに骨折をしているそうだ。で、その部位について、日本一、手術が上手なお医者様を紹介していただいた。で、そちらに新たに通院をしている。しかし、診察室に、ビームが仕掛けられているわけでもないので、お医者様は、『それほどに、痛いかなあ?』と、怪訝そうだ。そして、私も、そのお医者様の怪訝さの意味も分かる。でも、だからと言って、通院を止めるつもりはない。敵方が、どう出てくるかがわからないからだ。

 元旦の攻撃は、骨とか、関節・部分ではなかった。いわゆる、じん帯と言う処、または、その周辺だと、思う。だけど、激痛が、15分以上は続いたので、莫大な量のビーム照射が、行われたと、推察している。ベッドの中で、自分だけの処理で治そうとしたが治らない。それで、壁を手で、さわり、柱を手でつかんで、ほとんど、手で歩いて居間まで、行った。居間では、まだ、主人が起きていたので、「外部からの攻撃によるものだと、思うけれど、あまりに痛いので、見て」と頼んだ。

 主人は普段は、「外部からの操作による、攻撃」という言い方は、信じない。しかし、私が、蟹と言うか、四つ足の、動物と言うか、という形で、歩いて来て、その様子がただならないことには、気が付いたので、何も反論せずに、患部を見てくれた。主人は、57歳の時から、勉強をして、国家試験も通った東洋医である。

 私のすねが、鉄板の様に固化している事には、さすがに驚いて、寛解する様に、いじってくれた。このケースで、最もありがたいのは、主人に現場を見せることができた事だ。パソコンへの侵入はほどんどが、真夜中に行われるので、主人に言っても信じない。彼は、いささか以上に、疑っている。

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副題5、『悪魔の様な彼らは、夜の八時に、これを行ったうえで、次の日の、二日の午前1時15分から、お隣の小野寺夫人を使って、さらに、心理的な攻撃を加えて来た。その同じ、白井・小野寺夫妻が、2017年の11月25日郵便受け着と言う形で、【町内会総会】と言う、

B5判型の、プリントアウト用紙を投入した。しかも、出欠を記載して、白井・小野寺邸へ、届けよというかたっ苦しいものだった。こんな用紙は、今まで、配られたことはない。と言うのもこの町内会は、実生活者15人しか在籍して居ない小さな町内会だから、こんな大げさな、用紙を、準備する必要などないのだった。それが、常識の範囲内の出来事だった。だが、その町内会総会の本当の目的が、アジサイ畑欺罔事件の最終的な、証拠隠滅を協議する、為のモノだったので、我が家がどう出て来るかが大問題だったのだ。

 そこでも、激しい悪意を見せて来た西隣が、さらに激しい肉体的攻撃に呼応して、さらに激しい心理的な攻撃を行って来たのが、後注2の、副題βに書いてあることである。

 さて、私の文体は、会話体から文章体へと、最近、跳びます。それを後で、修正しません。文章体は、急いで、書き表したい悪を、書いています。それは、読者に伝えたいというよりも神様へのご報告として書いています。そして、会話体の部分は、読者へも伝えたい部分です。

 で、最後に、会話体へ戻って、締めくくりたいことは、この文章の主眼とは、『4日に、ブログを一切書かなかったのは、こういう理由だったのですよ』と言う事ですと、言う話です。で、読者の中には、「何だよ。それって、バカにし過ぎではないの」と、仰る向きもあるやと存じます。しかし、何故、一日中ブログを書かなかったかの理由を、さらすのも、非常に大切な事なのです。

 というのも彼らは、自分たちが激しい攻撃をした後では、その反応を確かめたいのです。で、それを探ってきます。昨日いつかも、普通の月だったら、成らない筈の一月五日に長い太鼓が鳴りました。これは、お正月だけを取ってみても、今まで、一回も鳴った事のない日です。鶴岡八幡宮様を道具として使って、私が何を考えているかを探ってきたのです。

 元旦の肉体への攻撃と、それに連動をしている西隣からの攻撃後注2の副題7で、書いています。彼らは、書いた現象は、参っているから書くのだと判断をします。で、そのダメージがいかほどかを確認をする為に、八幡宮様には、長い太鼓をたたかせて、ご近所様には、はしゃがせて、山ノ下からは、市の防災無線を流す(?)とか、その他、いろいろ、やりました。つまり、騒音が激しい時は、敵さんたちは、勝った、勝ったと、思い込んでいる時期なのです。それで、もっと、激しい攻撃を加えてくる可能性があるので、こういう風に、一応ですが、「5日にブログを書かなかったのは、4日の深夜に書いて、5日の昼間にさらしていた文章に、満足をしていたからですよ」と、理由を書いておかないといけないのです。ここで、一応ですが、初稿を止めといたします。後で、推敲加筆をします。それが、終わったら、書いた日付と署名を入れます。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ、訪問回数は、4416625です。

 

 後注1、

鎌倉霊園の嘘・・・宗興寺の歴史変更・・・オイコノミアの円福寺篇をNHKが総持寺に舞台を移して再制作した理由は?2018-01-02 01:07:26 | 政治あ

後注2、 

江ノ電は西武HD傘下だとofficeは言う。だが、wikiは小田急groupだと書く?・・・・・堤義明氏と石塚雅彦さんはいとこ同士の筈だ2018-01-04 02:36:48 | 政治

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江ノ電は西武HD傘下だとofficeは言う。だが、wikiは小田急groupだと書く?・・・・・堤義明氏と石塚雅彦さんはいとこ同士の筈だ

2018-01-04 02:36:48 | 政治

 今は、4日の午前9時です。午前五時から、4時間中断しましたが、今から、続きを書きます。なお、したの写真は、前報(後注1)に入れてもよかったのですが、これが、その前報の続きですので、ここに入れます。これは、鎌倉霊園の、斎場の、一番良いお部屋の様子です。

 この日は、母の納骨式であり、あまり、多数の人を呼んでおりません。白い矢印が当たっている人間が私ですが、前報に挙げた法事の日は、私としては、写真を撮るどころではなかったので、その日の写真がないので、申し訳ありませんが、鎌倉霊園の斎場の写真の例として、2009年の物を使わせていただきます。これは、4室ある式場のトップのものです。と言う事は、この日は霊園側は、謀略者には味方をしていなかったという事でしょう。で、申し込み順・先着順に、一番いいお部屋を使わせてもらったという事です。

 中央にいらっしゃるお坊様は、42年前は、本当に美形だったのですが、最近では日焼け(ゴルフか?、ヨットか?)しておられるうえに、ビジネスマンの風格が強くなられて、皆様に「どうですか。この美形ぶりをご覧ください。日本一の美形のお坊さんです」とは、言えなくなってしまったのです。それと、以前よりはっきりとした文章として、委細を書いていますので、プライバシーを守るためにお顔を隠しています。このお坊様のビジネス感覚が、増大したというのは、宗興寺を拡大しようという事ではなくて、曹洞宗全体を運営するにあたって、多額の資産と計上運営費を、賢く運営をされていると、言う事です。曹洞宗、東京本部の、宗務関係では、既に相当に偉い地位についておられると、推察しております。だからこそ、前報で、想像した通り、谷垣禎一さんなどと、一緒に会食をなさったり、経団連の幹部とも会食なさったりしていると、推察しています。今、現在では、そういう人固有のお顔へと変化をなさっておられます。

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副題1、『<こんなことを書いて、将来起きるだろう、あんたの、弟の葬儀の際には、どうするつもりだ?>と、敵さんは、思っている事でしょう』

 私は実家の法事に出るたびに、父が「横浜で、一番立派な、お坊さんだ」として、選んだ、先代、宗興寺さんの・・・・・ご子息に当たる方の、様子が、どんどん、変化して行って、こころのこもって居ない法事へと、変化して行った・・・・・ことには、相当に深く悩んでいました。特に、母の通夜に「忙しい事がある」として、代理をよこされたことは、大きな悲しみの種であり、到頭それをブログ内で、書き表すこと成りました。後注2へ。

 しかし、これは、取り上げるテーマとしては、もっとも、つらいものの一つです。彼らは、どこかのポイントで、私が深いディレンマに陥ってしまい、何も書けなくなる様な、部分を狙って、攻めて来るからです。で、私は、エリザベステーラーの映画のタイトル【熱いトタン屋根の猫】状態に陥って、悶々とするわけです。この宗興寺さんの、悪い方への変化も、長い間、悩みの種でしたが、やむに已まれぬ思いで、とうとう2017年の10月4日から、書き始めています。後注2と、3へ。

 どうしてやむに已まれぬ思いに陥ったかと言うと、妹が2017年の7月10日か、11日に殺されてしまったという事が大きいです。どうして、殺されてしまったかと言うと、やまゆり園事件の、一周忌が近くなり、どんどんと、私がそれについて真実を書いて行って、彼等悪人たちは弱り切っていて、・・・・・是では、仕方がないなあ。最大級の、攻撃をしてやろう・・・・・と、して、妹を殺したのでした。

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副題2、『妹の死が他殺であると信じている私は、親戚でも、住んでいる場所が遠い人とか、血筋として、遠い人には知らせて居ない。だが、年賀状を通じて、そこを刺激するものが、親戚から2通届いた。つまり、敵さんたちが動いたという事だ。嘘である情報を、悪い方へ使ったという事だ。

 また、親戚からではなくて、妹の、勤務先J.W.トンプソン日本支社に間接的に、思いが到るものも届いている。したがって、・・・・・ふーむ、こういうポイントからも、攻撃をしてくるのだ。そうなると、やむに已まれぬ思いで、書きだしたあの文章は、天意にかなっているのだ・・・・・となります。と言うのも元旦に届く年賀状とは、その人が、相当前に、準備するものですから、敵方の動きは、一か月以上前に、起こされているわけでしょうし』

 親戚からの年賀状と言うのは、誰もが、推察できる、裏側工作を施したから、投函されたものなので、そこに対する推理は省きます。それに、親戚が敵方として、利用をされるのは、2011年から始まった事であり、目新しい事でもないからです。

 で、妹の死にまつわる、一種の攻撃が、年賀状でなされたという話に入ります。私の高校は、偶数年度に、クラス会を開きます。その2014年度に、ものすごい攻撃が行われました。私が歌好きなところを利用して、練り上げて、行った辱めでした。直後には、それは、書きません。しかし、それ以降、北久里浜で、絶対に、女性が住んでいない家から、モーツァルトの、オペラ【フィガロの結婚】からの、アリアを、歌う女声が聞こえてきたりしたので、到頭、2014年度の、お茶大付属久光クラス会内での、辱めを受けたエピソードを、このブログ内で、それは、5,6人を巻き込んだ大掛かりなものですが、UKさんと言う、女性が、総元締めとして、しかも、秘められた謀略として、行われた事でした。UKさんが、どうしてそういう事をしたかと言うと、

 私の推理では、彼女がお茶大文学部、西洋史学科の出身であり、かつ、イタリアで、一年間の研修をしていますので、そのラインで、栗田玲子さんに、教唆をされて、こういうことを行った可能性があるという結論です。栗田玲子さんとは、山本容子を擁する銀座の有名画廊、ガレリアグラフィカのオーナーですが、教育大学西洋史学科の出身で、かつ、しょっちゅうイタリアに行っている人なので、他の留学生仲間とは、親しい関係を、イタリア大使館のレセプション等を通じて、築いている人だと、見ています。そして、UKさんとは、同世代ですからね。既に相当に親しい関係だったと、見ています。この推理は当たっているでしょう。となると、UKさんがいじめてきたのは、是もまた、鎌倉エージェントである、伊藤玄二郎と、井上ひさしの発案であり、安野智紗夫人と、前田清子さんを助けるものだと、成っていきます。ほかのラインかもしれませんが、栗田さんが使われた可能性は、高いです。

 なお、その事情を詳しく書いたブログは、今は、見つけている時間がありません。有名な殺人事件とか、謀略の類を、引っ付いていないので、どこで、書いたかを、探すのが大変なのです。ただ、それが、鎌倉エージェントの発案だったとは、確信をしております。それは、数点似た様な概念があるからです。敵さん方が、私が真実を書いたので、困ったと、思う時は、私の目の前に、安野夫人、小野寺夫人、および、柳沢昇、動かします。それと、同じ発だと、考えながら、彼らが本当は、何を言いたいのかを、推理すると、「お前よー、ああいう事を書いて、お茶大付属高校のクラス会に、でられるつもりかよー」と、言いたいのでしょうね。この下品な言葉づかいは、井上ひさしが、コメントをよこす時に使い通例の物なので、敵さんの意志を代弁する際には、使わせていただくものなのです。

 私は、非常に深い怒りを伊藤玄二郎に対して、抱いているのです。自分が、瀬島龍三に認められて、大エージェントとして、取り立てられたのを、いいことにして、悪辣な事をやり過ぎであると、思っているからです。この、私が現在暮らしている雪ノ下の山にも、手を突っ込み過ぎですし、銀座にも手を突っ込み過ぎですし、あまつさえ、同窓会にも、手を突っ込むとは、何事だという深い怒りを持っております。

 ところで、ここから先、話題は、以下の方向へ飛んでいきます。と、午前五時に書いていったん中断に入ったわけですが、今から、ナンバーワンとして置いたメモの、展開に、取り組んでいきましょう。

 *1、石塚雅彦と、堤義明氏が従兄弟である話、江ノ電が小田急と、西武のどちらの傘下なのかを検討する事。

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副題3、『鎌倉霊園が、敵方に取り込まれているのには、相当以前から、気が付いては居た。なんでかと言うと、構内放送でである。しかし、2016年10月3日の、事務所を挙げての嘘をついたことには、<あれっ、今までとは、違った局面に入りましたね>と、思い到った。そして、堤義明氏が、園長に、直々に電話をかけて、委細を手配したと、見ている。その堤義明氏の、実母は、最後まで、夫・康次郎氏の、秘書役を貫き、入籍をしなかった。で、苗字が石塚と言うのには、私の方は、何年も前から、気がついて居た。

 で、このブログに頻繁に登場する石塚雅彦さんとは、いとこ同士であると、すでに、気がついて居た。で、今般の謀略は、

鎌倉エージェントの、井上ひさしが案出し(彼は、まだ生きて居ます)伊藤玄二郎を通じて、石塚雅彦さんに伝わり、その石塚雅彦さんは、電話または、直接に、会って、義明氏に、委細を説明して、霊園側が、「嘘をついてでもいいから、協力をする様に」と、頼んだのだと、思っている。

 つまり、宗興寺さんには、心こもらない端折った法事をしなければならない弁解の余地は与える。「時間が足りないのです」と、言う弁明の余地を残して置く。しかし、一方で、ここ論こもらない端折った法事は、継続してやらせる。その為には、斎場を次に使う予定がありますと言うのが、真実らしい口実だから、それを、「利用せよ」と、命令をしたのでしょう。

 この、石塚雅彦さんが、堤義明さんと、いとこ同士だと、言うポイントですが、二つのポイントから、それは、確かだと、見ています。私は、数点の関係で石塚雅彦さんの、実物とは、20回以上であっているので、それを知っているのですが、堤義明氏の顔と、石塚雅彦さんの顔は、よく似ています。それと、石塚さんの方ですが、身に着けるものが大変高価なものが多いのです。これは、堤一族と一緒に会食をするなどと言うケースから、自然にそうなったと、推察しています。

 ここで、二人が結託をして、私をいじめる技を駆使した。しかし、「霊園と言う、一種の医者と同じ道徳をクライアントに示さないといけない場所で、それは、無いでしょう」と思い、深く怒っている。

 しかし、そういう悶々としている日々に、ふとした偶然で、西武ホールディングスの株を買う事となった。

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副題4、『バス路線としては、もっとも多用するのが、鎌倉ー大船間の江ノ電バスである。電車の方で、東急と、京急と相鉄線の株主優待券が手に入るので、似たような形で、江ノ電の優待券を、手に入れたいと思った。しかし、会社四季報の目次欄に、江ノ電がないので、事務部門に電話を掛けた。すると、今は、西武HDの傘下に入って居ると、言われた。それで、とりあえず、30万円強で、100株だけ買った。おいおい、買い足して行って、ただの切符を送ってもらえるほどの、株数にしたいと思っている。

 この購入は、純粋に、江ノ電バスを、只で、利用したくて、購入を始めたものだった。ただしよく考えてみると、これは、鎌倉霊園の謎を解くのにも、役立つ株だった。・・・・・そうか、100株でも株主は株主だ。株主総会に出て見たら、鎌倉霊園の園長が、本社内では、どれほどの、地位にあった上で、出向をしているかは、判るだろう。そうなると、もし、課長級なら、いちもにもなく、言う事を聞かないといけないだろうし、部長級でもそうだろうし・・・・・しかし、ブログ文を書くにあたっては、その情報は、役に立つはずだと、思い当たります。

 むろんです。そこを確認したって、宗興寺さんが、42年前の様に誠実で、心のこもった法事をしてくださる様に、変化することはないでしょう。だけど、サイは投げられたのです。私が最も追及をしたいことは、伊藤玄二郎の悪であり、彼の教唆通りに動いているご近所様の悪辣さを分析することです。安野智紗夫人、前田清子さん、小野寺夫人等の、悪を引っ剥がし、白日のもとへさらすことです。

 それに役立つ情報だったら、どんな、小さなことでも手に入れようと、願っています。西部HDの株を、100株でも低入れたことは、良い事だったと、自認しました。

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副題5、『2018年の年始にふと思いついたのだけれど、2013年の元旦の、長時間にわたる江ノ電の停止なのだけれど、それも、堤義明さんの命令だとすると、このブログで、書くことが大量に増えるわけだし・・・・・と、元旦の夜には、思い到った。しかし、念のために、ググると、wikiでは、江ノ電は、小田急傘下だと出ている。その小田急は、会社四季報では西部HDとは別会社である模様だ。

 ・・・・・電話で、それを問い合わせた時の江ノ電社員が、嘘をつくはずもない。これは、どうした事だろう・・・・・と、私は、今それを考えている。

*************ところで、ここから先は、元旦の深夜(実際には、二日の早朝に書いたことを続けます**********

 それは、遠方からの、何らかの攻撃によって、肉体に、損傷を与えられるという話の一例です。元旦に激痛に襲われた事と、それと連動をして、お隣が、電球を使った、シャルリーエブド事件以来の攻撃を、元旦の、夜に行ってきた不思議にして悪意極まりない現象を、書きとってあります。 

副題6、『父の葬儀の際に、頂いた戒名に、私は、ぶっちゃけて言うと、不満を持った。が、その裏にに、父の上記以外の満州時代に撮った写真が、母のものと一緒に、すべて、盗まれている(たぶんCIAの私兵としての警察の特殊部隊に)と言う事が、大いなる意味を持ってくるのだった。父が、絵の上手な若手、インテリサラリーマンとして、五族協和のシンボルになった、1943年秋の、新聞記事の切り抜きもすべて、私の鎌倉の家から、盗まれており、それが、政治として、大きな意味が出てくる。というのも、国会図書館が、当時の満州の新聞も文化面だけ削除するという手に出て来たし(後注3)

 私が国会図書館に、満州時代の新聞を読もうとして行ったのは、父の画家としての部分の、成功の事跡を求めて行ったのが、真実だった。それを利用して、戒名を変更してもらう事を考えたのだった。しかし、データは失われており、しかも、警察車両が、いつも待ち伏せをしているという嫌がらせを受けたので、写真の泥棒は、警察が行ったと、今では、考えている。ひどい話だ。私は、アジサイ畑にしろなにのしろ、すべてにおいて、被害者側なのだから、警察にいじめられる可能性は、一切ないのだ。

 ただ、ただ、悪人の方が、アメリカをバックにしているCIAエージェントだから、こうなっている。しかも、すべてをばれないと信じて行って来ているので、私はミステリーを解くと言う形でしか、物事を語ることができないのだった
 
 この若いお坊さんの方ですが、当時で、20代後半か、30代前半だったと思います。そして、何よりも、素晴らしかったのは、その美形ぶりでした。日本一の美形のお坊さんではないかと、言うほどに、品が良かったのです。桐ケ谷斎場とか、戸田の斎場とか、相模原市の斎場などの、数組の葬儀を、一緒に行っている場所で出会う他のお坊さんとの、比較では、『4段階ぐらい差で、この方の方が上だ』と、見たほどの美しさでした。
 その1986年の時にも戒名の件で、何かがおかしいとは、思ったのですが、お葬式の進め方については、文句を言えないものでした。読経のお時間も長かったし、袈裟も最上等の、刺繍入りの紗(夏向き)のモノでした。喝も入れられましたし。そして、法話もいいものでした。
 
 この戒名が、『金銭的お礼の面からも、父の生涯を勘案しても悪すぎるなあ』と、考えている話は、初出ですが、タブーとディレンマに取り組んだ、この章ですから、そこについても、言及したいと、思います。たまたま、同じ年である1986年に、主人の母も亡くなりました。そちらは、葬儀を呉(広島県)で行ったので東京圏とは、物価が違うと思いますが、そちらよりも三倍程度のお布施を差し上げた(現在の貨幣価値に直すと、120万円から150万円に当たるだろう)のに、戒名が、たいしたものではないという感想を、その日に抱きました。ただ、曹洞宗の場合、戒名は、葬儀の当日には、白木の上に張った紙と言う形で、頂き、かつ、トップに宗教的な表現である【新帰元】が、ついて居たので、<文字数がたっぷりあるなあ>と、誤解した私は、後で、漆塗りの本当の位牌を見た時の文字数に関する失望も大きかったのです。
 母に何度も、「残念だ」と言いました。すると、母は、「お父さんは、とてもモダンな人だったから、そんなことは気にして居ないわよ」と、ケラケラ笑っていました。しかし、父の戒名が、位が低いと、連動をして、母の戒名も位が低くなり、長男である弟の戒名も位が低くなるので、残念に思ったのでした。
 
 でね、ここで、最近連続して書いている北久里浜の水道山の詐欺事件が関連してきます。益山重夫元海軍参謀は、智の限りを尽くして横須賀市の水道山を無償で、自分の手に入れたのですが、その際に、私側の特に母の実印を押印する必要があって、その書類(=地籍変更届)の実物を私に手渡しをしたので、私は悪の全貌を知ってしまい、法務局と、財務局に自己防衛のための内容証明を送ります。その内容証明が、彼等の悪を証明する一証拠となるので、困った益山夫人は、私を車で、轢き殺そうとします。その晩ですが、夫の重夫氏は、急死するのです。自殺か循環器系の病死かは、判りませんが、急死します。それを、激しく恨んでいる(と言っても、私側にしてみれば、これ以上はない逆恨みの典型だが)益山夫人は、夫の親友足る、瀬島龍三元陸軍参謀に、私に対する復讐を頼んだらしいのです。そして、瀬島龍三氏とは、戦後最大のCIAエージェントですから、警察が、彼の言う事を聞いて、我が家に泥棒に入ったり、国会図書館を脅かしたりして、私に被害を与え続けるのです。非常に怒っていますが、現実には、それが、しゅったいをしています。
 地籍変更届の事件の方は、1978年に起きています。で、父の葬儀は、1986年です。益山氏の急死の八年後です。このころ、主人は松阪に単身赴任と言う形であり、(それも裏から、瀬島龍三が、画策したと、今では、見ていますが)長男は、ご近所のT家の坊ちゃま主導で、安野家の次男も含む三人の御成中学二年生から、暴力的リンチ事件を起こされています。引っ越して来たばかりだったのですが、私の子の顔が良くて、しかも、背が高かったかららしいのです。つまり、上の写真の祖父に当たる男よりももっと柔らかい感じの洋風な美形です。相手方の少年は、すべて、背が低くて顔の悪い子供たちでした。ただ、すべての傷は、制服に隠れる場所を狙って与えられたので、親の私も学校の先生も気づくことが無かったのでした。親からの愛情不足の子は、根性も悪くなる形で、育ち上っていくのでした。
 加害者の方の親も気が付かない形です。しかし、首謀者のT家の次男は、その後、高校中退と言う形になっていきます。一回ほど、鎌倉・裏駅の三菱銀行のATMのそばで出会いましたが、黒服と言う形の職業について居ると、見えました。すなわち、バーなどを経営しているという形でしょう。慶応大学の教授だった人の孫が、そういう形になるとは、両親のネグレクトの責任です。両親は、その頃は三男の、リトルリーグの応援にべったりと時間を割いていたからです。毎週毎週の週末に、美形で、背も高い弟に対する嫉妬心に、悪い刺激を与えられ続けていた次男君は、異様に嫉妬深い人間として育ちあがり、私の子の些細な優越点に、「許さないぞ」と言って、かみついてきたのでした。
 特に高枝切り事案で、夫妻ともどもが、悪人側の見方をしているので、ここまで、はっきりと書きますけれど。
 うちの子の方は、運動神経の上で、彼等よりも勝っていたらしくて、三人を相手にしても、一応、暴力をひっくり返して、勝ったという形で、帰宅をしたので、その後、いじめが長引くことは無くて、心理的には、無事に、中学校生活を終えたのでした。本当に天の采配には、感謝しております。
 四人の親が何も気が付かないまま、13年間を過ごし、彼らすべてが27歳になった時に、安野家の次男と、もう一人が、謝罪に来たという形で、私に一切が判ってくるのです。息子は、その安野家の次男が謝罪に来る日の訪問予定をすっぽかしており、かつ、一切を、47歳になった未だに、打ち明けてはくれません。
 ただ、娘が結婚式の前夜に、出ていく前の思い出話をいろいろ、私にしてくれた際に、忘れがたい思い出として、これを、語ってくれたのでした。「お母さんに言うなよ」と、兄に言われたので、まだ、12歳という小さな胸を痛めて、兄を心配して居たのでした。私の方は、当時は、何も知らなくて、塾の講師として夜は外出をしていたので、父親も単身赴任で居ない中で『娘も息子も可哀想だったなあ』とは思うのですが、是こそ、天が幸いをした典型的なケースなのです。10歳以上の年齢の子供のトラブルには、親は出て行かない方がいいのです。
 三鷹ストーカー事件の被害者のママである、一ノ瀬智恵子さんなど、将来の結婚への損害を恐れて、17歳にもなっている娘の恋愛に、口を出し、相手にもいろいろ、話をして(=文句をつけて)、無理に引き離そうとしていて、かつ、警察に被害者面をして、事情を、持ち込むのなど、最悪の処理状態です。
 
 その前に、娘に愛情あるしつけを施して、そういう相手とは出会わないように仕向けるという、母親としての基本的義務を怠っていますから、天も味方をしません。そして娘に対しても高校生ぐらいの間には、性交などしない様に教えて置くべきです。ましてや、・・・・・放尿の動画などを、自分で撮影するなどと言う行為をしてはならない・・・・・と、自然に分かる様に、しつけておくべきです。
 私に言わせると、母親としては、ピント外れもいいところで、<ああなってしまったのも無理ないなあ>と、思っている次第です。しかも、事件が起きる10年ぐらい前から、一ノ瀬智恵子さんから、いじめられていたので・・・・<将来、この人は子供のことで、困ることになるだろう>と、思っていましたし。(後注5)
 
 そして、盗聴が、すでに、1978年以来、実家にまで、入って居て、私が訪問をする際の母との会話がすべて、把握をされていたと仮定をすると、宗興寺さんと、私との間の、現在の状況が、すべて、納得が、できる事となっていきます。つまり、それ以降、瀬島龍三は、二つの方向で、アイデアを練っていくのです。
 まず、宗興寺さんの中野誠哉氏を出世させていきます。東京における宗務本部では、すでに、会社に例えるのなら、社長か会長かという立場かもしれません。
 谷垣禎一さんと、伊藤玄二郎と、浄智寺さんと、の、四者会談など、たびたび、曹洞宗が経営する芝のホテルで行われていたかもしれません。
 そして、その際に、小さな話として、私を「いじめなさい。しかし、判らない様な形でね」と、依頼を、されたと仮定すれば、現況が理解しやすくなります。
 
 裏では、エージェント達だけで、鳩首会談を行い「あいつは、戒名に不満を持っている。だからこそ、更に宗興寺さんに、冷たい処置を取らせろ。そうすると、不満の塊になって、宗興寺さんとけんかをするぞ。そうなると、困るのは、彼女だ。それを狙え」と、言い合っていた事でしょう。
~~~~~~~~~~~~~~
 
副題7、『2018年二日の夜8時に、激しい【こむら返り】を右足のすねに起こされる。15分も続き、痛みも耐え難くて、異常極まりなかった。主人に、<これは、第一次安倍内閣当時に、安倍晋三氏に起きた大腸炎と同じく、外部からの操作である模様>と、音声による会話体で、伝えたら、やっと終わった。普通なら、「何を言っているんだ。バカ>と笑い飛ばす主人も、私のただならぬ様子と、東洋医として、患部を触ってみて、鉄板の様な硬さに驚いて、何も否定はしなかった。
・・・・・と、同時に、3日の、午前1時45分(それは、用事があって寝室に入り発見をした)から、午前二時まで(それは、私がわざわざそれを、見に行った時間帯なので、その後何時まで、点灯をしていたかは、知らないが)白井小野寺邸で、二階の天井灯をつけているという事案に出会う。これは、もし小野寺夫人が、そこで、仕事をしていたら、私の過去ブログを否定しようとする、一種の謝罪の意味があって、敵側が弱いという証拠なのだが、素通しのガラスで、見える内側に、小野寺夫人が居ない場合は、攻撃の意味を持っていて、2018年1月3日の早朝は、敵が激しい攻撃意欲を持っていることを暗示した』
 
 こむら返りの方ですが、それは、彼らが、この一文の初稿に<困ったなあ。あんなことを書かれては>と、感じたことが原因としてあげられます。一つには宗興寺の中野誠哉氏が、すでに、曹洞宗の、東京本部で、宗務担当重役(または、それ以上)になっている可能性が高いからです。となると、氏に私をいじめる様に依頼をした、連中の責任として、中野氏にご迷惑をかけたとなります。曹洞宗の、政治的動きは、メディアからは、<活発ではない>と、見做されています。しかし、門徒数は多大であり、特に横浜・鶴見の総持寺では、盆踊りパフォーマンスに、多数の若者が集まる事で、知られていますので、
 若者の人気を機にする安倍総理大臣にとっても、中野誠哉氏が困る様なことは、鎌倉エージェント側には、やってほしくないと、考えていると、推察しています。
 さらに、直近の法事においては、鎌倉霊園がからんできていますので、これから先、石塚雅彦(元日経新聞の論説委員であり、現在は早稲田大学の教授)さんと、堤義明さんが従兄弟である話などに入って行くわけなので、それを防衛する目的で、このこむら返りが、起こされた可能性が高いです。こういう加害が、どうして起きるかの技術的解析はすでに済んでいますが、まだ、公開はしないで、置きます。
 しかし、ともかく、主人の助けを得て、痛みが去り、もう一回就寝したのです。その時は、2日の夜8時半でした。前夜まるまる、22時間起き続けてやっと就寝したら、こむら返りの、激痛で、起こされてしまったので、もう一度寝ようと、思ったのです。幸い、四時間ほど、熟睡することができました。
 
 
 ところで、これから先は、白井小野寺邸の二階の天井灯の、以前より深い形での、分析に入ります。私の部屋には、入眠する際とか、起床をする際に、自然と、足先に、小野寺家の二階が見える形で、ベッドが置いてあるので、3日の早朝零時半に、二度目睡眠から、起床した時間に、小野寺邸の二階の電気がついて居ないのは、確認をしました。【激痛を伴う15分間は続いたこむら返り】と言う大攻撃を受けた直後なので、当然に、そちらでも、何かが起きると、想定をしたのです。しかし、点いて居なかったのでした。ただ、それで、喜んではいられません。居間に移動をしてから、50分後に、取りに行きたいものができて、再び寝室に入ると、想定通りに点灯してあったのです。時間を確かめます。午前1時15分です。で、カーテンをめくって、確かめると、二階には、人間は居ません。こうなると、攻撃であることが確かですから、いつまで、続くかを確認する必要が出てきます。で、午前二時にもう一度行ってみると、消えておりました。ここまでは、今まで、既に、書いたことです。
 しかし、本日には全く新しい発見があったのです。それは、・・・・・白井・小野寺邸にも、今では、すでに、特殊なパソコンと特殊なアプリが、与えられているのではないか?・・・・・と言う話です。これを一番最初に感じたのは、井上ひさしが、それを持っているという話です。次に在米のベーカーさんとか、ICUで同期だった古村浩三君も持っているという話です。だって、夜八時に寝入った私が何時に目覚めるかは誰にもわからないわけです。でも、起きた時が付いて、その直後に、点灯した可能性があるのです。今までは、誰かから連絡を受けて、ああいう作業をやっていると、見ていました。特に前田清子さんが連絡係であろうと、見ていました。前田さんの前の人が、警察の人間か、安野夫人かは、判らないものの、前田夫人からの連絡で、小野寺夫人が、それを、点灯していると、見ていました。
 しかし、強烈なこむら返りを起こされて、それが、外部からの攻撃ですよと、夫に告げた後で、寝入ったら、何時に起きるかはわからないのに、前田夫人と小野寺夫人が、それを、待って居るでしょうか? お正月です。待たないでしょう。でも、タイミングよく攻撃をできるわけは、私が居間に移動をして、あそこンを開ける時間とかを、把握できるのなら、非常に簡単ですね。その時間帯には、起きているわけですから、寝室に何かを取りに行く可能性があるのです。それを狙って、脅かしと嫌がらせを兼ねている、誰もいない二階の天井灯を、点灯して、消灯をする。なるほど、なるほどと、思い到ります。

 

 後注1、

鎌倉霊園の嘘・・・宗興寺の歴史変更・・・オイコノミアの円福寺篇をNHKが総持寺に舞台を移して再制作した理由は?  2018-01-02 01:07:26 | 政治

後注2

NHK ETV 【100分で名著】が今、歎異抄の再放送ですが、これも私狙いの悪事を隠す為でしょう。浄智寺さんと宗興寺さんの結びつきを書くなと言いたい、CIA Agentの悪意が、まざまざと見えてきます  2017-10-04 10:42:57 | 政治

 後注3、

伊藤玄二郎と、浄智寺さんの結びつきが我が家の法事にまで悪影響を・・・・CIA Agent が利用を阻止した写真類   2017-10-04 22:58:07 | 政治

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鎌倉霊園の嘘・・・宗興寺の歴史変更・・・オイコノミアの円福寺篇をNHKが総持寺に舞台を移して再制作した理由は?

2018-01-02 01:07:26 | 政治
 副題0、お正月です。普通なら、「あけましておめでとう」と言いたいところですが、こういう大ミステリーとしてのブログ文章を書いている身としては、あまり、単純には、おめでたい気もちにもなれないのですね。ただ、「本年の私は、江ノ電が元旦に事故を起こし、12時間以上という長きにわたって停車したころ=2013年元旦=よりは、落ち着いて暮らしています」とは、申しあげさせてくださいませ。
 で、今、その頃の文章を思い出して、再検討をしたくなりました。ところで、2013年に事件直後に書いた文章(後注1)も、その一年後の2014年に、書いた文章(後注2)も、否定する必要は、まったくないと、思うのですが、
 その後、新しい事実を知り、・・・・・なるほど、なるほど、これは、得難い事実を知ったものだ・・・・・と、思い到り、そのラインからも、この事故が、まったくといっていいほどの、作り事として、起こされたのだと、見ています。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 
副題1、『今、wikipediaを調べていて、・・・・・変だなあ。2017年の秋には、江ノ電は、西武HDに吸収合併をされていると聞いたのだが?・・・・・今は、小田急傘下となっている・・・・・と、びっくりしている。しかし、是もまた政治的解析に役立つことかもしれないのだ。分析を続けよう』
 
 私は、2016年の秋に、西武が経営する鎌倉霊園の斎場で、父の三十三回忌と、母の七回忌を合わせた法事に出席をしたのです。その時に、変だったのです。お坊様も霊園も結託をして、非常に手抜きをされた感が一杯な法事となりました。残念至極だし、嫌な事だから、すでに、一本書いています。いや、一本を、途中までのさらし方で、書いています。
 途中までしか書いていない理由は、ご想像の通りです。尊敬しているお坊さんの変身なので、裏で、鎌倉エージェントが動いたことが確実でも、書けば関係が終わりに成るので、書けないのでした。法事と言うのは、家族、親族が居る限り続くからです。
 
 私の父が、次男なので、子孫がお参りに来るのに便利なようにと、山口県の萩にある菩提寺から、東京圏内にある鎌倉霊園に、50年前には、すでに、自分が始祖となる墓を作って、菩提寺も、移したので、却って鮮明に、それが判るのでした。父は、新しい菩提寺を、決めるにあたって、横浜市内中のお寺の、お坊さんを、あれこれと、考察の対象としたらしいのです。
 仏教研究会(中小企業の社長さんが集まって、偉いお坊さんを招いて、お話を聞く会)に所属するとか、他の形で、・・・・・<このお寺のお坊さんが、横浜で一番、尊敬ができる>・・・・・として、浄土真宗からの宗旨替えを行った対象が、曹洞宗でした。当該のお寺名は、横浜生麦にある宗興寺といいます。そして、長らくですが、・・・・・生麦事件の際に、イギリス人負傷者たちが、運び込まれたお寺・・・・・として、有名でした。しかし、後述する様に、2016年に入ってからその史実さえも、変更をされていることを知り、唖然とする私なのでした。
 ただ、父は若い日に、横浜の石油会社(早山→丸善石油)の技師をしていたので、生麦に住んでいたこともあり、
しかも、金銭的にもきれいな、このお寺のお坊さんに、お世話になりたいと、願っていたのです。上の写真は、これだけが、スキャンしてあったので、利用できる写真です。これも後日には盗まれたのですが、昭和八年(1933年)に、横浜・伊勢佐木町で撮ったと、裏に書いてありました。最近は、【ゆず】がブレイクして行った地として有名な、伊勢佐木町ですが、戦前には、日本有数の、大繁華街だったのです。今は、衰退していますけれど。明治生まれとしては背が高かった方なので、麻のスーツらしい着衣は自前だと、思います。貸衣裳ではないでしょう。
 
 しかし、父の葬儀の時に、現れたのは、父がこの人として選んだお父様の方ではなくて、息子さんの方でした。
~~~~~~~~~~~~~~~
 
副題2、『父の葬儀の時(=40年前と比較をすると、母の葬儀では、大きな手抜きが見られて、私は、悲しみと嫌悪感で、いっぱいとなる。どう考えても、自然な事とは、思われず、鎌倉エージェントが、こういうところにまで、いじめ(=弾圧)を、催している事に、深い嫌悪感と怒りを感じるのだが、どういう方法で、旧来の、誠実な処遇に、このお坊さんを、戻したらよいかの、方法がわからずに、悶々としていた。
 
 大喝一声とよく言われるが、喝を、入れられたのは、40年前の父の葬儀の時の、一回きりであり、それ以降の手抜き法事ぶりには、深い深い悲しみに襲われていた。それと、弁護士と医者は、守秘義務があると、聞いている。そして、政治にも左右されてはいけないと、私は、見ているが、こんなにも単純に、鎌倉エージェントに左右されてしまう、お坊さんにも深い失望をして、この人を、元に戻すのは大変だろうと、思っていた。
 私は、よく、ご近所の悪口ばかり言っていると、誤解をされているとは、思うが、24時間、しかも、毎日、どこからか、攻撃を受けていて、神経の休まる場がないのだが、この・・・・・父や、母を悼む法事に対して、お坊さんが手抜きをしていて、心が全くこもって居ない・・・・・のには、相当に参って居た。しかし、ブログに書いたら、それは、関係が終わりという事であるから、書けなかったのだ。弟の葬儀や法事が残っているからだ。
 こういう風に、私に対する攻撃というのは、何らかのディレンマを含むものが多くて、なかなか、すっと書くことができないし、書けば書いたで、『そのことで、悩んでいたのか? それじゃあ、似たようなケースをもう一回起こしてやろうと、するのが、彼等の常とう手段なので、なかなか、真実を書けなかった。
~~~~~~~~~~~~~~
 
副題5、『2016年10月3日、鎌倉霊園が嘘をついた。それは、お坊様、中野氏が、手抜きをする事を正当化させるために、・・・・・直後に、予定が入って居て、次のお客が入ってくるので、法話をしている暇がない・・・・・と言う話だった。どうして、こういう風な策謀がなされていたかというと、私がどこかで、宗興寺さんに対する不満を漏らしていて、それを、室内盗聴等で、知った敵連中(警察を私兵として使っている例の連中)が企画をした事だったであろう。
 中野氏には、弁明の機会は与えて置くが、私の父が、50年前に発見した、そちら側に当初はあった誠実さの方は、戻さない・・・・・という悪の仕組みはあった。
 
 ところで、私は法事の最中から、<今回も手抜きだわ>と、感じてはいたが、こんな、小さなことでも、天は、私の方を、お助け下さるのだった。母は、株を趣味としてやっていて、配当金として、今でいう、300万円以上が手に入る人だったので、ぱっぱと、お金を使う人で、かつ、上等なものを好む人だった。私が持っているアクセサリー類は、指輪にしろ、スカーフにしろ、すべて、母からのプレゼントである。中に、30年前は、非常に珍しかった、ポリエステルの、糸で編んだ、夏用のカーディガンがあった。縁取りが、8cmの手編みでできているもので、最近では、こういう上等な物は売って居ないので、大切に使っていた。
 法事が終わって、一キロは離れている料亭に、車で、総勢が、移動をしたのだが、そこで、カーディガンがない事に気が付いた。で、親族に断って、只一人バスで、元へ戻った。
 さて、斎場で、探そうとすると、入り口のかぎが閉まっている。しかも、ドアは、素通しのガラスなので、中が見える。中には誰もいなかった。
 つまり、<次のお客が居るので、早く終わります>と言うのは、嘘だったのだ。それに、鎌倉霊園は、大きいので、斎場は、4室ぐらいあって、他の処も見たが、空いているものがあった。だから、この部屋を、ひっ詰めて引き続いて使う必要はないのだった。すべては、宗興寺さんが、手抜きをする事への弁明の余地を与えるための謀略だった。もし、次のお客が使っている場合には、その主宰者側(喪主)が、遅れてくるお客のために、入り口に鍵など、掛けない形をとる。よほど、寒い日とか、大風が吹いている日以外は、入り口は開けっ放しになっている。
 私は無論のこと、彼等の悪意は、わかって居たのが、念のために事務所へ向かった。
~~~~~~~~~~~~~~
 
副題5、『事務所のふてぶてしい、おばちゃん、社員は、平気で嘘をついた。しかし、私は彼女をとがめなかった。と言うのも「リアルな世界では、喧嘩をしない主義だ」と、前から言っている。特にたった、一分や二分で、例の、北久里浜の、【地籍変更とどけ】の悪やら、井上ひさしがまだ生きて居て、こういう謀略の案を出していることなど、説明ができるはずもないし。
 それに、・・・・・結局のところ、彼女は、堤義明氏に大迷惑をかける存在になるだろう・・・・・と、見ているから、気にもしていないのだった。つまり、低劣な忠誠心に基づいて行動をする人間は、私から見ると、結局は上司に対して、足を引っ張る人間となるのだった。悪人はお互いに共食いするの典型だった。したがって、黙って、彼女の言うままに、受け取って、帰って来たのだったが、・・・・・内心では、・・・・・しめた。将来これは、使えるぞ・・・・・と思っていた。
 ::::::::::それは、ご近所住まいの渡辺賢司が、朝10時半に、ベランダに干している布団をばんばん叩いて、交通事故に出会った次の日の私の、睡眠を妨害して来た、事案とそっくり同じ流れなのだから。特に京橋のフレッサインで、ブログを一本書いて、そのまま、徹夜明けで東京駅から、帰宅をして、寝入ったばかりであるなどと言うことは、パソコンのハッキングをしたり、尾行をしたりしている警察でしかわからない事だろうから、渡辺賢司が、布団を叩いたことは、重要な傍証づけになるのだった。つまり、前田祝一・清子夫妻が、警察をも私兵として使う鎌倉エージェント(=CIA)の、すでに、重要メンバーとなっているのか、または、伊藤玄二郎たちと、ツウツウであるのかのどちらかを証明する人間であるからだった。渡辺賢司は、まるで、ゲーム感覚で、遊び事みたいにしてそれをやったが、私にしてみたら、重要なアイコンとなって、このブログのミステリーの、なぞ解きへの・一・リ・ン・グ・を形成したのだった。::::::::::
 
 元に戻ろう、私に対して、嘘をついた、鎌倉霊園の、園長お気に入りらしいおばちゃん社員も、そういう手合いの一人である。
 そして、更に付記をすれば、銀座でも、似たようなことが起こされ続けているのだが、その代表例としての、いじめきって来た中島三枝子さんと、長瀬いづみの二人も、結局は、嶋田章三・鮎子夫妻、大沼映夫、大沼嘉津江、他を、苦しめる存在になるのだった。私は二人が威張り返って、目の前で、いじめて来ても、・・・・・ふんふん、赤津侃さんについて近々、書かないと、ならないことになったけれど、いつにしようかなあ?・・・・・と、思ったりするだけなのだ。中島三枝子さんに、いろいろをふきこんでいるのは、赤津侃さんである可能性が高いので』
 
 鎌倉霊園と言うのは、事務所スタッフが、12~15名で、運営をされている。ほかに出入りの石屋、仕出し屋(プリンスホテル・七里ガ浜)、花屋、お菓子屋、売店のレジ打ち用スタッフ、造園関係の作業員、清掃担当者などで、運営をされている。
 例のおばちゃん社員は、事務所の奥の方のデスクに座っているのが、ポン、ポンポーンと、受付用デスクまで、出て来たので、それが、まず第一に、不思議だった。そして、「忘れ物がありませんか?」と、問い合わせる私に向かって、「そこは、次のお客が使っていますので、私共が入って、調べることができません」と言う。私が、すでに、そこに、お客は居ない事を知っているのにもかかわらず、平気で嘘をついた。
 これが、謀略ではなかったとしたら、忘れ物程度の仕事は、入り口近辺に座っている若いスタッフに任せるはずだ。おくに座って居る程、重要な仕事を任せられている筈で、新しい契約の設定や、相続人が、居なくなったので、契約の解除をするなどの、より、面倒な仕事を担っている筈だ。
 
  だから、入り口付近のカウンターで、小さな声で、問い合わせてきている私の存在などには、気が付かないのが普通なのだ。しかし、スマホの盗聴等で、私が引き返して来るのを、警察からの連絡で、聞いた園長は、頭が良くて、普段から右腕と頼んでいる彼女に、委細を言い含めて、対応をさせたのだろう。だが、園長が頭がいいと、見込んだ、この、おばちゃんスタッフだけど、私に言わせると、非常に頭が悪い人間のひとりだった。私はよく、鎌倉エージェントに、協力する人間たちを、「トカゲの脳味噌の持ち主だ」と規定するのだけれど、この女性もその一人だった。
 
 ここで、謀略でも、謀略とみやぶられないためには、どういう風に行動をするかなのだけれど、まあ、被害者としての、私の方からあえて、教えてあげるとすると、
 「あ、調べてまいりますので、ちょっと、お待ちださい」と言って、そばにいる若手のスタッフに、「この方にお茶を差し上げて。あそこで」と、ソファーの有るコーナーなどを指示して置けばいいのだ。
 
 普通のお客で忘れ物の問い合わせに来たお客などには、お茶を出さない。しかし、私は鎌倉霊園の、園長でさえビビりまくる程の大物なのだ。で、礼節を尽くして対応をして置けば、5分間以上、事務所を出ない。その間に、何でもできるではないか。嘘でも、もっと上手な嘘がつけるはずだ。「今、調べてまいりましたが、ありませんでした」とか、「有りました」と、言えるではないか? そうなると、私の表向きの第一の目的は達成をさせられてしまう。そうなると、内心では、・・・・・今日は、謀略を仕組んできたなあ・・・・・と、わかって居ても、相手方に瑕疵が見当たらないので、ブログ文を、説得性を持つ形で、書けない事となる。
 香炉の、炭を消しておく作業一つだって、法事が終わったら、普通ならやるだろう。それをやらないと、悪くすると、火事を起こしてしまう可能性すらある。または、お香の煙が充満しすぎて、次の日に臭すぎて、差し支えるはずだ。
 だから、上に提示した、正しい対応策のバリエーションの一つとしては、中年おばさん社員が、フロアー全体に向かって、「誰か、後始末をした人は居ませんか?」と問い合わせて置くというアイデアもある。
~~~~~~~~~~~~~~~
 
副題6、『さて浄智寺さんなのだ。軽いというか軽薄な人物だ。父親、又は、叔父に当たるだろう、方は、立派な人だったらしいが、こちらの、二代目さん(=朝比奈宗温さん)は、やることなす事、軽いのだ。
 NHKの【クイズ100人に聞きました】に出るとか、瓜南直子さんのために鎌倉五山の全トップ+覚園寺さんを集めて、ラーメンの会を催したりする。
 つまり、伊藤玄二郎と、ずぶずぶで、その言う事を、聞きまくりの、お坊さんなのである。ラーメンの会なんて、すでに、肝臓が悪かった瓜南さんを、さらに、死の方向へ追いやるものだった。それが企画をされてから、一年もたたないうちに、瓜南さんは、亡くなっている。ラーメンの会が、瓜南さんにとって、特にいけないというのは、それが塩っ辛いからだけではない。
 画家という物は、常に、平静で平坦な生活をする必要があるのに、伊藤玄二郎は、2011年6月から12月にかけての半年間、彼女を利用しまくった。動かしまくった。テレビに出したり、小泉淳作氏から、絵の具類の、遺贈を受けるとか、京都泉涌寺で、グループ展を開いてあげるとか、種々の企画に引っ張り出した。
 それらは、彼女にとって、断れないものでもあるが、普段の生活からは、外れている事なのだ。それらは、報酬もあるのだが、それなりの、事前投資(お洋服を買うなど)が必要で、時間を割く必要がある。そういうものすべてが、彼女には大きな負担となっていたのだと、思う。それが、すでに、2011年の8月の時点の、彼女の投稿(伴清一郎さんが、京都の、泉涌寺への、上り坂をタクシーで上がっていくときに彼女を拾っていかなかったことへの、愚痴)に現れていた。
 
 日本画は額装をする場合、絵そのものは、薄くて軽いのに、額の本体にべニアが、用いてあるので、重い。油絵よりも重い。彼女には、既にタクシーで、泉涌寺に行く経済的余力がなかったことがうかがえる。そして、体力もなかったのだ。
 泉涌寺さんのグループ展とは、覚園寺さんの紹介であり、覚園寺さんと伊藤玄二郎の関係は、酒井忠康氏の、仲介だったのか、それともロータリークラブとか慶応三田会の、紹介だったのか?
 
 浄智寺で、五山のトップと、覚園寺さんを集めて、瓜南さんを主役に祭り上げてあげることは、私には不可能な事だから、私へのライバル設定として、彼女をお姫様扱いをする事へ、浄智寺さんは、寄与したのである。で、私は結論付けるのだが、瓜南直子さんの、急死の、真因は、85%が伊藤玄二郎に帰するし、7%が浄智寺さんに帰するし、8%が覚園寺さんに、帰するのだった。
 私は瓜南直子さんに、散々にいじめられた。あの時期の投稿はほかの人にはわからないものの、アスベスト対策を名目にして、アジサイ畑欺罔事件の証拠隠滅を図る、前哨戦と言う、小町通の、アスファルト、舗装をからかう、全日本あすはがれんも、その一種だったし、
 映画のプログラムに関する投稿も、その一種だった。我が家から、ブログを書くのに絶対に必要な映画のプログラムが、すでに、盗まれていたうえで、瓜南さんに、その種の投稿をさせることは、瓜南さんが悪魔と同化するという事であり、もし、彼女が善人なら、心と行動の間に、大きな裂け目が、できるの深いストレスを与えられるのだった。
 その上、具体的な、人間関係でも、多大な損失を彼女は、私に与えて来た。
ドゥローイングギャラリーの、奥様が態度を急変させたり、柴田悦子さんが、微妙にいじめてきたり、北鎌倉の侘助のおばちゃんが、私の胸を、ひっつかんで、追い出したりしたのも瓜南さんの讒言ではなかったかと、思っているので、(今、パソコンに異常が見られたので、この想像は正しいでしょう)彼女の死は、鎌倉エージェントの悪意の結果だと、見ている。
 
 で、また、ラーメンの会に戻る。瓜南さんのフェイスブックへの投稿を、読まなくなったのが、11月の半ばであり、ラーメンの会は、まだ読んでいる時期に、行われたので、真実がわかって、とてもよかった。
 この、ふわふわした浄智寺さんが、今年、2017年の雪洞祭りに於いて、とんでもない事をなさっていた。
 雪洞の下に、献灯者名を書いた名札(短冊)が、貼ってある。普通は、五百住乙人とか、扇千景とか、小杉小二郎という名前だけで、それぞれに、洋画家とか、参議院議長とか、洋画家という冠は、ついて居ない。
 しかし、浄智寺さんのモノにだけは、浄智寺、朝比奈宗温とあった。非常に驚いた。これをだれが書いたのかが大問題だった。伊藤玄二郎が、それを、鶴岡八幡宮様に勧めたので、八幡宮様が特に、その柱にだけ、冠名を入れたのか?
 または、ぼんぼりが立ってから、浄智寺さんが、社務所に、出向いて、筆と硯を借りて、立っている柱に、ご自分で、浄智寺というなまえを書き入れたのか? 私は数分間立って、それを見つめて居た。
 そして、結論として、『浄智寺さんがわざと、雪洞が立った後から、書き入れた』と、結論をつけた。と言うのも、冠名が、斜めに歪んでいて、しかも、冠名と、名前の字の大きさが違うので、そう考えた。
 
 『だが、どうして、そんなことをする必要があるのだろう?』と、新たな謎が、湧く。そして、考え続けているうちに、『もしかすると、浄智寺さんって、非常に子供っぽい精神の持ち主なのではないかしら』と、思い当たった。その途端に、私の頭にひらめいたことがった。
 
 それは、『浄智寺・朝比奈宗温さんと、宗興寺・中野誠哉さんは、学生時代からの友人なのではないかしら?』と言う事だ。『同じ大学(=駒澤大学)の出身?』と、思い到る。では、『中野誠哉氏が、この20年間で、激しい変貌を遂げてしまっていて、クライアントとしての、父や母に失礼なぐらいの、手抜き法事をするのは、上智寺さんからの讒言にもとづいていますか?』とも、思いが至って来る。
~~~~~~~~~~~~~~
 
副題7、『横浜駅、北側の、青木橋を渡ったところに、横浜市・神奈川区の町内を、案内する地図を兼ねた掲示板がある。新しいもので、プラスチック製か、それとも、金属製かは、判らないものの、美しく丈夫である。しかし、びっくりしたことに、そこに表示をされていたことは、歴史を変更する内容だった。・・・・・つまり、生麦事件後の、英国人の、遺体とか、が、運び込まれた場所が宗興寺ではなくて、本覚寺に変更をされていた事だった。
 「嘘っ!」と叫びたいぐらいだった。
こういうところまで、私のブログが影響をおよぼしているのだった。それは、私が、このブログ内で、・・・・・宗興寺で、生麦事件の被害者の遺体を預かったという歴史がある・・・・・と、すでに書いて居るからだった。私のブログを潰すために、京急・青木橋駅・傍に立っている看板は、嘘をついて居るのあった。本覚寺は、高いところにある。血を流している、イギリス人たちを、そこまで運んだ馬鹿は居ないと、私は、考えている。
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副題8、『この件を書こうとしていた時期に、オイコノミアで、以前、2月22日(2014年から、2016年の間の、2月の話)で、神楽坂円福寺で、収録された、【謝罪の経済学】という篇が、そっくりそのままの概念で、総持寺で、収録しなおされた(後注3)のである。
それは、どうしてかと言うと、宗興寺の、中野誠哉氏が、曹洞宗の、宗務関係の、偉い人に、すでに、なっていることを、裏で、彼等CIAが確認をしていて、
それを、私も知っているからこそ、
 
 テレビで、総持寺を、取材をする事によって、「曹洞宗は、ものすごい力を持っているのだ」と、誇示をして、その上で、曹洞宗の宗務の偉いところに、勤務している「中野誠哉氏について書くな」という論理で、その番組の、再度の、作り直してき、制作が行われたのである。
 これは、まだ、まだ、続きますが、本日は、ここまでで、終わります。
 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4412179です。
  2018年1月2日の早朝から、書き始めて、3日の午前9時に推敲を終わる。
     雨宮舜(本名 川崎千恵子)
 
後注1、
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