Angela Garden

シンプルに、そしてエレガントに。試行錯誤しながらも、そんな人生を送りたい。

伊勢久(株)本社屋

2022年02月15日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 
 
日曜日、確定申告を終えました。
お正月過ぎてから、まずは医療費の計算、
他のもろもろの計算も終えていました。
計算が本当に苦手で、計算機使っているのに何度も数字が変わります・・・

昨年からスマホで申告しています。
会場で順番待ちしながらやっていた頃に比べると
とてもラクですが、入力ミスのないように、時間がかかりました。
はぁ~すっきりしました


 
今日は、昨年訪問した名古屋の、愛知県庁大津橋分室の左側に建つ、
可愛い洋風建築をご紹介します
 
木の陰に半分隠れてしまっていますが・・・
今も現役の伊勢久という会社の本社社屋です。
 
 
この伊勢久という会社は、1758年(宝暦8)に、薬種問屋として創業しました。
 
   
 
こちらの本社社屋は1930年(S5)に、隣の県庁大津橋分室より3年早く建てられました。


こんな建物の会社だったら、私は楽しく通えそうです
まあ仕事の内容によっては、ですが・・・会社の前に立つだけでも、楽しいかも・・・
 


戦前に建てられた建物は、いぶし銀のように、なんとも渋く、いい魅力がいっぱいです

 
 
 
 

愛知県県庁大津橋分室

2022年02月08日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 
 
今回の朝ドラ、先日とても懐かしい音楽が流れてきました
「およげたいやきくん」です
毎日、毎日僕らは鉄板の~
子供の頃、よく歌っていたな~
他にも、ひなたが着ている洋服、スカートに肩紐がついているもの。
小学生の頃は、母が作った、あんなスカート着ていたな~と
懐かしく見ています
 
 
 
さて、中川運河閘門から車で移動して、名古屋の中心部へ向かいました
以前に名古屋市庁舎、愛知県庁、その周辺を見に来た時に見そびれた建物です。

1933年(S8)に愛知信用組合連合会の建物として竣工。
設計は愛知県営繕課です。
戦後に農林会館として使用され、1957年(S32)に愛知県に寄贈されました。
 
小ぶりの建物ですが、存在感があります。右側の建物です。
 
 
2015年(H27)に建物の1階に愛知県と名古屋市共同の設立で、
愛知・名古屋の戦争に関する資料館が開館しました。

とてもお天気の良い日で、日差しが入ってしまっています。
 


 
建物は鉄筋コンクリート造の地下1階、地上3階建て。
下の右側画像の、ゴシック風の付柱、バルコニーの装飾、丸窓が特徴的です

   

   


 
内部も素敵なんですよ

   


 
 
   
 
装飾の美しい、個性豊かな建築を見ると、当時の設計者はどんな思いで設計をして、
実際に手掛ける大工さんや職人さんはどんな気持ちで作り、
依頼者は出来上がった建物を見て、どれだけ嬉しかったんだろうと想像しています。
大変なこともあるだろうけど、楽しかったんじゃないかな~と
きっとそうだと思います。
だって、こんなに時間が経ってから見ている私が、とても幸せな気持ちになれるから
 
 
 
 

美容鍼と、中川運河の松重閘門

2022年02月01日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 
昨日、初めて鍼を打ちました!
さて、どこに・・・?
顔です
美容鍼というのがあるというのを聞いて、
熟練の先生で、痛くなく、本当に効果がすごいよと聞いて、
すぐに予約して行ってきたのです~

本当にすごいです
年齢とマスク生活で・・・ほうれい線とたるみ、むくみが気になりだして早や数年~
友人は美容クリニックで糸を使ってリフトアップして悩みが消えたと言うのですが、
どうもちょっと怖さがあって、どうしようかな~と考えていたところでした。

美容鍼は、痛みはほんのちょっと。効果はものすごい!
最初にうつ伏せで、首から肩にかけて打って、そこに赤外線を当てて、
頭全体の血流を良くします。
それから顔全体に50本ほど、一部の鍼には電気を流してピクピク筋肉を動かします。
その後、ウォーターベッドでヒーリング音楽を聴きながら、全身マッサージ。

起き上がって鏡を見る前に、手で顔を触っただけで、引き締まったことが分かります。
目も、先生が目の周りのツボを押して下さったので、瞼がすっきり。
視界も明るい~大満足
ただ、魔法ではないので継続が大事
まずは1か月に1回続けて行きます。  楽しみ
 
 
 
 
さて、話は遡りまして、昨年名古屋へ出かけた時の洋館巡りを
UPしていこうと思います。
 
まずは、中川運河にある松重閘門です。
閘門とは簡単に言うと、運河の水位を上下させて調整し船舶の通行を可能にする施設です。
 
   
 
1930年(S5)に建設されました。
あまり閘門をみかけたことはない(と思う)のですが、やはり戦前のものは、
人が住む建物ではないのに、優雅な作りになっているな~と思います。
どこかのお城の塔にも見えます。見えませんか??

   
 
その後陸上輸送が発達したため、1976年(S51)に閉鎖されました。
が、市民の要望で保存され、1986年(S61)に名古屋市の指定有形文化財に、
1993年(H5)に名古屋市都市景観重要工作物に指定されました。

   
 
閘門のある中川運河は名古屋港と旧国鉄の貨物駅を結ぶ運河として1930年(S5)に大部分が完成。
東洋一の運河と呼ばれたそうです。
現在は役割が見直され、広大な水辺に新たな価値を見出し、再生させて、様々な取り組みがされているそうです。

取り付けられている電灯もアールデコで、ほんの少しの曲線や、石貼りが
良いですね~




 
 

多治見 修道院

2021年12月13日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 

 

 
 
多治見のオリベストリートへ向かう途中、ちょっと横を見た時に見えた建物。
事前にチェックしていて、見られたら見てみようと思っていた建物です。

全国に5つしかない修道院の1つです。「多治見修道院」
1930年にドイツのモール神父によって建てられました。
当初はカトリック神言修道会の日本本部の役割を担っていたそうです。
 
駐車場に車を置いて、全景を見た時に、ドイツっぽい!と思いました。
なぜか、写真を撮るのを忘れていました。
HPより全景写真お借りしました。

「多治見修道院」は日本で唯一、ワインを醸造しているんです
 

敷地が大変広く、この修道院手前の右手には葡萄畑が広がっています。
調べてみると、日本で唯一ワインを醸造している修道院なんだそう。

ミサで使うためにぶどう栽培を始めたそうで、80年の歴史があります。
入り口横の売店では、そのワインも売られています。

丸窓の上に、カリヨンが設置されています。きっと綺麗な音を奏でるのでしょうね。
通っていた女子大もカリヨンが有名で、美しい音色に馴染みがあります。

   

扉が開いていて、人がどんどん入っていくので、私たちも入ってみました。
教会独特の天井に、両側に扉はないのですが、個室のように区切られていて、
椅子が置いてありました。

それぞれご家族で、そのスペースで手を合わせていました。
私はクリスチャンではありませんが、教会の中はとても落ち着きます。






お庭に素敵なアレンジが さりげなさが良いです~
 



 
 
 

菊川市 赤レンガ建築

2021年07月29日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 

先日、いつもの病院へ行ってきました。
もう15年ほど、毎月ずっと注射を打っています。
1年の内、半年間は腕に。もう半年間はお腹に、を繰り返して。
だいぶ慣れてきているとはいえ、結構痛いので、
いつも皮膚を思いっきりつねってもらいながら
注射してもらっています。そうすると針の痛みがまぎれるのです。
コロナワクチンは、蚊が刺したようと言われているので、気が楽です。
でも、まだ先になりそうで・・・



 
さて、豊橋から自宅に向かう前に、もう1か所、
静岡の菊川市にある赤レンガの建物を見に寄りました。
古い赤レンガの風合いが大好きです

ナビで正確な位置が分からず、近くの市役所の駐車場に停めて、歩いて探しました。
   


お茶所、静岡ならではの、お茶の倉庫として使われていたようです。
 
 
 
 

工場なのですが、なかなか素敵な造りです。通気口もお洒落!
昔の人は、とても丁寧にモノづくりをしていたんだなと、いつも思います。
 
   

アーチ型も素敵です
 
 
   

後ろ側はスペースがあって、こんな時期でなければ、この赤レンガ倉庫で
いろいろなイベントが行われているようです。




自分の家の横に、こんな素晴らしい赤レンガの建物があったら、
良いパワーを貰えそうで、羨ましい限りです



   

いつまでも大切に使われますように。









豊橋市公会堂 内部

2021年07月26日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)

 

 

 

オリンピック、始まりましたね・・・
いよいよ開幕しましたね!と言うより、とうとう始まってしまいましたね。
と言う感じです。

ドローンで作られた、地球は、美しかったですね。

こんな状況下でも、いいものを作りたいと、必死で頑張って来た
現場の人たち、選手の笑顔に救われます。


 

さて、豊橋市公会堂、大階段の横側から入ることが出来ます。
休日なので、どうかな?と思いながらドアを押してみたら入れました

しーんとしていて、人の気配がありません。勝手に歩き回って怪しまれるのも嫌なので、
入口に貼られた、公会堂の歴史を知らせるパネルを見て帰ろうとしました。
しばらくして、職員の方が急に出てきて、すかさず夫が、「ここは見学してもいいのですか?」と
聞いてくれました。

   

職員の方、用があって出てきたと思うのですが、では案内しましょうと案内してくださいました。
前回の朝ドラのポスターが貼ってありました。

右側の画像は、大階段の上に見えたアーチが連なる入り口の部分です。

   

何か式典がある時は、大階段を歩いて上がって、このアーチの下をくぐって中に入るのでしょう。
右側の画像は、階段の下から撮ったものです。

   

 

 

      

こちらは、コスプレをする人達に人気の貴賓室です。
なかなか凝った装飾が施され、素敵です

   

 

   

 

   

建設当時に設置されたステンドグラスは、会議室の壁に保存されていました

あとは、内部にこだわりを持つホールも見せて頂きました。撮影しませんでしたが。
きっと古関裕而さんも、このホールで演奏したのではないでしょうか?
聞きそびれました。
駆け足でしたが、内部を見せて頂けて良かったです


 


豊橋市公会堂

2021年07月22日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 
 
各地で梅雨が明け、ますます暑くなってきました。
毎年、なんとか生き残ってきましたが、
コロナが始まってから、ずっと黒ニンニクを食べるようになって、
なんとなく、体力が少し付いて来たような感覚があります
疲れにくくなったような気がします。

先週、バレエのレッスンに、新しい方が入会されました。
未経験の初心者の方だったので、バーレッスンも
ゆっくり行う初級モードになりました。
思い出してみると、最初は、この初級モードのゆっくりやるバーレッスンも
頭がこんがらがって、大変だったな~

今では、スピードアップして、足の動きも早いバーレッスンを
なんとかそれなりにやれるようになって、
私も、少しは出来るようになってたのね~と、ほんの少し自信が持てました。
これからも、まずは休まず出席して、
家でも、できるだけ復習して、頑張っていこうと、気持ちも新たになりました!




 
さて、蒲郡からの帰り道、豊橋のオリベというお店でラーメンランチを頂いて、
目的の、近代建築を見に寄りました。

豊橋市公会堂です。
大階段があって、市の公会堂としては、かなり立派です。
1928年(S3)に行われる、天皇即位式の奉祝記念事業として、建設が決まりました。
 

1931年(S6)、市政施行25周年に合わせて、竣工。
当時、市内電車の通るメインストリートに位置して建てられました。
現在もかなり大きな通りです。



1945年(S 20)には、豊橋空襲で、市街地の90%が焼失したそうですが、
この公会堂は、戦火を逃れ、終戦を迎えました。

       
 
昔の近代建築は、正面だけでなく、横もきちんと装飾が施され、窓もアーチになっていますね
 

さすがに、後ろは窓はごくごく普通ですが、一番上の部分はきちんと装飾されています。
 
 
設計は、静岡県で見た、静岡県庁、市庁舎と同じ、浜松出身の中村興資平氏。
あの辰野金吾が主宰する、辰野葛西事務所に所属していました。
浜松市の公会堂も手掛けたそうですが、前に浜松に出かけた時には見られませんでした。
1986年に解体されたそうです。
 
    
 
 
   
 
公会堂のすぐ後ろにNHKの名古屋局があります。

 
次は、内部の様子をUPします~
 
 
 
 
  

竹島と洋館

2021年07月12日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 
先日夫が1回目のワクチン接種が出来て、今月末には2回目の予約も取れて
ほんの少し気持ちがラクになりました。
コロナワクチンで優先対象の基礎疾患があるため、早く打つことが出来ました。
私のワクチンの予定はまだですが、ワクチンが打てるまで、(打ててもですが)
油断せずに気を付けて行こうと思います。


 


さて、蒲郡文学記念館の後は、お部屋からも見えた竹島へ行ってみました。



入り口には鳥居があります。



橋から覗き込んだ海の水がとても透き通っていて綺麗でした

 
階段を上がっていくと神社がありましたので、
お参りしてコロナ終息を祈願して戻ってきました。
 
 
ホテルをチェックアウトしてからは、
海賓館マリンセンターハウス(旧鈴木医院)という洋館へ。昭和2年に建てられました。
一度解体され、今の場所に移築されました。
 


もともとは、医院だった建物ですが、いまは、イタリアンレストランと、
藍染の和風小物やインテリア用品を扱うアンテナショップが入っています。



         

スマホのレンズに指がかぶってしまいました



文学記念館も、こちらも海の傍で、白と水色に塗装され、爽やかな印象です。



あっと言う間の蒲郡滞在でした。
このあとも、洋館へ寄って帰ります。
 
 
 
 
 
 

蒲郡 海辺の文学記念館

2021年07月08日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 
 


いつの頃からか、美容院に1か月に1度通うようになりました。
以前は1か月半から2か月に1度だったのに。

理由は、白髪 美容師さんは、「そんなに多くないですけどね~」と
言ってくれますが、なぜか、分け目や、前髪の部分など、必ず目に着くところに  
自分で市販のカラーを使ってという方法もありますが、随分前に試してみましたが、
あまり納得のいくように塗れず、光があたると、色むらのある髪に見えたので、
今は美容院での香草カラーひと筋です。

美容院での疑問が1つあります。
美容院の鏡って、拡大鏡なんでしょうか・・・?
美容院で鏡を見ていると、自分の顔が、いつも以上に大きく見えると感じる方、
いらっしゃいませんか・・・?
髪の毛を綺麗にして頂いたのに、なんで?と思いながら帰宅して
自宅の鏡を見ると、いつもの見慣れた大きさの顔なので、少し安心するのですが、
いつも、真実はどっち??と悩みます
あんなに大きく見えてるの?それはいやだぁ~
頑張ってマッサージしなくては。。。




さて・・・ホテルでの朝食を終え、運動がてら歩いてホテルの下にある
海辺の文学記念館へ向かいました。

 
この文学記念館は、蒲郡クラシックホテルの前身である、
常盤館を後世に伝えてくために、かつて常盤館が建てられていた場所に建てられました。

 
名古屋の実業家、滝信四郎の建てた料理旅館「常盤館」の眺めは格別で、
菊池寛、志賀直哉、谷崎潤一郎、山本有三、川端康成、井上靖などの
多くの文人によって、作品の中に描写されたそうです。

 
常盤館は、建物の老朽化、時代の移り変わりへの対応が難しくなり
昭和57年に取り壊しされました。
 
 
そして現在の文学記念館は、かつて常盤館と同じころに建てられた
市内の医院の建物を模倣復元して、建てられました。
立派な木彫りは、その医院か、常盤館で使われていたものかもしれません。

   

            



 

旧本多忠次邸 3

2021年06月14日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それでは、旧本多忠次邸、2階に行って見ましょう。

2階にもある湯殿1階の湯殿で感激して、さらに2階で感激
窓ガラスのステンドグラス
海の中にいるような気分になりませんか?
竜宮城をイメージして作られたとか!
風呂桶のタイル装飾も、可愛らしい

    
 
 右側は寝室です。
 
    
 
 そして、ボウウインドウの部分に、書斎。
 明るくて、見晴らしが良いですね。
 
 
 
 
    
 
 書斎の隣に、応接室。直線的なデザインです。アールデコ様式です。
 
 
 
 
    
 
 廊下に、消火栓があります。
 今は、見学者のためにガラスのドアになっていますが、
 もともと火災のために消火栓が設置されていたそうです。
 さすがです
 
    
 
 和室
 
 
 
 洋館の好きな部分に、階段があります
 階段の手すりや、階段横の装飾や、壁にはステンドグラスが施された窓
 施主や、大工の細やかな美意識が感じられて、私の大好きな部分です。
 
    
 
 
    
 
 
 
 
 外に出てみると、壁泉のあるプールがあります。
 日本でのスパニッシュ様式建築にはセットで設置されています。
 敷地に対して、バランスが・・・と思いますが、
 世田谷の広大な敷地から移築されているので、仕方がありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 コロナの中で、密になる場所へのお出かけが難しいですが、
 こういった洋館へのお出かけは、おすすめです
 入場料も無料や、数百円と言うところが多く、
  (神戸北野異人館は1000円前後でした。)
 
 また、何かイベントが行われている時以外は、見学者もそれほどいません。
 (横浜山手西洋館のイベント時は、それなりに人出が多かったです。)
 こちらも、私達の他に数人でした。
 これまで出かけた洋館で、見学者が多く混雑して疲れたという記憶はなく、
 建てられた当時へ、ゆっくりと思いを馳せることが出来ます。
 インテリアや住宅に興味のある方は、とても楽しめると思います。
 どこかに出かけたいな~と思われたら、お近くの洋館を探してみてはいかがでしょうか
 
 
 こちらのページで、興味深いお話が読めます。
 良かったら、寄ってみて下さい。
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愛知県岡崎市「旧本多忠次邸」。東京から先祖の地へ移築復原された昭和初期の洋館

「旧本多忠次邸」は徳川家康の家臣で、家臣である本多忠勝の子孫・本多忠次が私邸としていた洋館だ。もとは世田谷区にあった建物だが、保存のために愛...

住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】

 

 次は蒲郡へ向かいます

 

 

旧本多忠次邸 2

2021年06月10日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 
暑くなってきましたね・・・
各地で真夏日の記録が出てきています。
今年もこのサバイバル、なんとか乗り越えられますように・・・


さて、旧本多忠次邸の中に入ってみましょう♪
 


素敵な装飾の玄関ドアに、舞台のような効果を感じさせる階段
小さなタイルを敷いた、味わいのあるたたき。

   

三和土の横に壁泉(のような)があります。玄関で手が洗えて衛生的ですね
玄関を入ると、すぐ横に簡単な「使者の間」があります。

   

こちらはリビング。色が白っぽくなってしまい、すみません。

   
 
こちらの邸宅は、ステンドグラスがとても素敵で、目を奪われました
リビングの一角にも、自然の風景が描かれたステンドグラスがあり、とても気持ちが和みました。

   

となりのダイニングの窓にも

 
ダイニングと配膳室。外観はスパニッシュで明るい雰囲気ですが
インテリアは男性的などっしりした感じです。威厳を感じさせるためでしょうか。
 
                      
 
 
   
 
一番上の全景の画像の右側のボウウインドウの内部。
 
   
 
そして!!私が一番感動したのは、こちらです
湯殿、お風呂です
 
   
 
 
   
 
湯殿も素敵なステンドグラスと、小さなタイルで素敵な模様を描いて、いつまでもゆっくりと過ごせそう

次は2階に行ってみます
 
 
 
 

旧本多忠次邸

2021年06月07日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 
 
 
さて、半田から蒲郡に向かう途中、岡崎でもう一軒、洋館を見に行きました
駐車場から歩いて来ての全景。
素敵です~

こちらの洋館は、岡崎藩の本多忠勝(この人は、小さいころから徳川家康に仕え、
家康が天下を取るために、たいへん尽力した人だそうです。)
を始祖とする本多家の子孫、
本多忠次が36歳の時に1年かけて造り上げた邸宅です。
 
 
もとは、1932年(S7)に東京世田谷に建てられ、当時流行していた、
田園趣味を反映させた、スパニッシュ様式を基調としています。

   
 
ゆったりとした玄関ポーチ。
玄関は、その家の顔ですから、これだけ立派な玄関だと、邸宅内にも期待が高まります

   
 
窓枠の周りの飾りも、おしゃれなフェンスも、惚れ惚れします

   
 
昭和7年。昭和の時代でも戦前は、こんなに美しい住宅を建てることが出来たのですね。
戦後、高度経済成長期にばんばん住宅が建てられて、その時期に数をこなすためなのか、
本当に、つまらない住宅ばかりになってしまいました。
子供の頃、大手ハウスメーカーで親が建てた家が、本当につまらなく、お洒落じゃないな~と
ずっと思っていました

   

海外生活の経験のあった英語の教室の先生のお宅が、とても素敵で、
インテリアのセンスも、子供ながらに、感動して、
家に帰ると、英語のことではなく、先生のお宅のことばかり喋っていたと
母に言われていました



次は中に入ってみます
お楽しみに
 
 
 

旧新美眼科医院 洋館

2021年05月31日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)

 

 

旧中埜家邸から少し移動した所にあるのが、
旧新美眼科医院洋館。

最初、少し古く見える建物が見えて、これかな?と思っていると、
その少し奥まった場所に見えました。



木が茂っていて全景は見えません。
洋館の手前に駐車場があり、その右手に今営業している眼科がありました。
3棟の病院の建物が、そのまま残っているなんて!
きっと腕の良いお医者様なのでしょうね



住宅街なので、車窓から、ささっと撮らせて頂きました。
古い、デザインに優れた建物だから、こんな可愛いピンク色の塗装でも
素敵に見えるんですね

   

細かい装飾が、凝っています

いつも参考にさせて頂いているHPを拝見すると、
10年以上前は、もう少しくすんだ藤色に塗られていました。
定期的にちゃんと塗り替えて、大切に保存しているようです。

現在も住居として使われているとの情報もありました。
1915年(T4)築です!
設計は、小栗半左エ門氏。

こんなに長く大切に使われて、設計士冥利、大工冥利につきますね   

 

 

 


旧中埜家邸

2021年05月27日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 

 

オリンピック、どうするんでしょう・・・
目指してきた選手のことを考えると安易には言えませんが、
今の日本で、コロナを終息させることと、オリンピックを開催させることの
どちらが大切なんでしょうか・・・
両方を叶えられるのが一番ですが。。。
パブリックビューイングの会場を設置しているそうですが、ナゼ?
家でテレビ観戦ではだめなのでしょうか?
まさか「神風が吹く」なんて、考えてはいませんよね・・・
近い未来に、「英断だった」と言われる判断をお願いしたいと思います。

 

 

さて、半田赤レンガ建物を見た後は、カブトビールに所縁のある洋館を見に行きました。
カブトビールの創業者、中埜又左衛門(お酢のミツカン創業者から数えて4代目)
から時代は進んで、10代目の中埜半六が1911年(M44)に建てた別荘です。
 


半六が、ヨーロッパへ留学中に見た住宅の美しさに惹かれて、模した住宅を建てたのです。

   
 
半六が、夏目漱石の義弟で、建築家の鈴木禎次に設計を依頼して、
ドイツの山荘を模して、ハーフティンバー様式で建てられました。
 
 
鈴木禎次は、現在の名古屋工業大学の教授で、明治後期から昭和初期に
東海地方を中心に活躍した著名な建築家です。

    
 
この旧中埜家邸は、ハーフティンバー様式の住宅の遺例としてすぐれていて、
また明治後期の洋風建築としてよく残っているので、
1976年(S51)に国の重要文化財の指定をされました 

   


   


         

内部は、期間限定で特別公開されているようですが、今回は残念ながら・・・
先日で放送終了となった、TVの「建築遺産」で、トリを飾ったのが、
こちらの旧中埜家邸でした。
録画しておいて良かった
 
        
 
バルコニーの柱の上部の飾り、バラがデザインされています

 
訪問時は、バラがチラホラ咲いている状態でしたが、
今は満開で、この邸宅をさらに美しく見せていると思います
 
 
戦後は、中埜半六が設立した洋裁学校の本館として利用されていましたが、
その後、紅茶専門店として営業、2012年(H24)に半田市に譲渡されました。

今回は、とても充実した洋館巡りが出来ました。
まだまだ続きます
宜しければ、お付き合いください
 
 

半田赤レンガ建物

2021年05月24日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(中日本)
 
 
 
 
半田赤レンガ建物では、美味しいビールを頂くことが出来ました。
もともと、この赤レンガの建物は、1898年(M31)に
カブトビールの製造工場として建てられました。

当時、現在の大手ビールメーカーが現れて来たころ。
工場の出来る10年前、1889年に、
ミツカン創業者の4代目、中埜又左衛門と敷島製パン創業者の森田善平らによって、
「丸三ビール」と名付けられたビールが、半田から初出荷されたのが、
後のカブトビールになります。
 
 


東海地方を襲った、いくつかの大きな地震にも耐えてきました。



先の大戦での、機銃掃射の跡がなまなましく残っています。



この素晴らしい建物を設計したのは、
基本設計は、ドイツのゲルマニア機械製作所で、
実施設計は、あの妻木頼黄(つまきよりなか)氏です。

同じ赤レンガ建築として、横浜の赤レンガ倉庫、
そして、私の大好きな、現神奈川県立博物館の設計も行っています。

   

ビール工場として建てられた、この半田赤レンガ建物は、安定した温度や湿度を保つため、
現在では見られない、中空構造を持つ腹壁や多重アーチ床など、
特徴のある構造で、貴重な遺構です。
日本で5本の指に入る規模だそうです。



   

現在も大手企業として名を知られる、ミツカンと敷島製パン、
半田の起業家たちが本格ドイツビールを作るため財力と最先端技術を導入したのですね。


   
 
ビール工場の遺構は、現存数がとても少なく、とても貴重です。
2004年(H16)に国の登録有形文化財として登録され、
2009年(H21)には、近代産業遺産に指定されました。
 



内部には、ビアホールや、売店,そして、長い歴史を知ることが出来る展示室があります。
展示室、なかなか面白かったです。

   

2015年(H27)に全面的に改修工事が終わった後、常時公開されるようになったそうです。
 
 
 
   
 
 
 
   
 
昔は、下の写真のように、ハーフティンバー構造の横の部分は、
手前に大きく建物が伸びていました。
(画像は公式サイトよりお借りしています)
 


日本食品化工という、コーンスターチを作った会社が、
ガンガン解体を始めたんだそうです
それを見た市民が反対運動をおこし、この貴重な赤レンガ建物を残してくれたのです。
なんでも古いものを残して、とは言えませんが、
その価値を見極めずに、自分たちの会社のために安易に解体しようとするなんて。。。
ここ以外にもあるんですよね。
本当にもったいないな・・・

道路側に出て、歩道橋から覗いて撮ってみました
 
 
 
 
 

半田市民に寄って守られ、今も愛されている赤レンガ建物。
久しぶりに、いいパワー、エネルギーを頂きました