昨日は阪神大震災から17年目の日でした。
関西のテレビ局のニュースでの特集を見ていて、
被災された方々が、身体の奥から、さまざまな思いを絞り出すように、
決して流暢に話すことのできない、短い言葉をつなげながら話して下さる
当時の、そしてこの17年のお話に涙が止まりませんでした。
阪神淡路大震災の時には、関東に居て、
東日本大震災の時には、阪神間にいる自分は・・・・・
という思いがあります。
我が家が一番気に入っている神戸の酒蔵、酒心館の
可愛いワンカップ
女性向きで、とっても飲みやすいんです
さて・・・府庁の目の前にある大阪城。
15年くらい前に、夫の両親に連れられて、来たことがありましたが、
当時、あんまりお城などには興味がなく、ただふらふら歩いていました。
が、昨年、この大阪城公園内に、興味を引かれる建物があることを知って、
改めて出かけてみました。
大阪城は、瀬戸内の小豆島から、多くの巨石を運んで造られたようです。
至る所に、畳20~40畳分ほどの巨石が使われています。
ちょうど人がいるところを撮影してみました。
どんな風に、どのくらいの時間をかけて運搬したのでしょうね。
公園の一角に、こんなレンガの門が・・・
大阪城一帯は、戦時中日本陸軍の施設が設置されるなど、
戦争の為の建物も多く建てられていた時代があり、その名残なのかもしれません。
私が見たいと思った建物も、戦時中、陸軍の第4師団司令部として使われた建物です。
昨年、特別公開があったのですが、残念ながら行きそびれたので、
今回は外観のみ。
1929年に、昭和天皇の即位の記念事業の1つとして、
大阪城公園の整備と、陸軍司令部の機能集約を目的として
1931年に完成しました。
重厚な色合いのスクラッチタイル貼りなので、
アカデミックな雰囲気も漂っています。
が、どことなく、中世の古城のような雰囲気もあります
アーチの部分に使われている石は、紫雲石、というそうで、
大阪府庁の玄関周りの石と同じで、
雨に濡れると、紫色になるとか・・・
入口の扉は痛みが激しいです。
建物の裏側には、丸型のステンドグラスが数箇所取り付けられています。
裏の、勝手口みたいな小さな扉にも、こんな雰囲気の良い階段が。
太平洋戦争では、被害を受けず、戦後に連合国軍に接収されました。
1948年に接収が解除され、その後は大阪警視庁、
(以前、大阪の警察も警視庁だった時代が5年ほどあったそうです。)
大阪府警本部として使われたのち、
1958年から大阪市が管理、歴史博物館として使われるようになりました。
新しい歴史博物館が完成してからは、こちらは、閉鎖未使用状態・・・
こんなに素敵な古城のような建物で、
目の前には、大阪城があるのですから、
ホテルやレストランとして、再生利用したらいいのに~。
大阪城公園内には、こんなタイムカプセルがありました。
5000年後(!?)に開けられるそうです。
大阪城の裏手のひっそりした場所に。
曇っていた日ですが、金ぴかの大阪城です
極楽橋を渡って、城外へ。