オリンピック、どうするんでしょう・・・
目指してきた選手のことを考えると安易には言えませんが、
今の日本で、コロナを終息させることと、オリンピックを開催させることの
どちらが大切なんでしょうか・・・
両方を叶えられるのが一番ですが。。。
パブリックビューイングの会場を設置しているそうですが、ナゼ?
家でテレビ観戦ではだめなのでしょうか?
まさか「神風が吹く」なんて、考えてはいませんよね・・・
近い未来に、「英断だった」と言われる判断をお願いしたいと思います。
さて、半田赤レンガ建物を見た後は、カブトビールに所縁のある洋館を見に行きました。
カブトビールの創業者、中埜又左衛門(お酢のミツカン創業者から数えて4代目)
から時代は進んで、10代目の中埜半六が1911年(M44)に建てた別荘です。
カブトビールの創業者、中埜又左衛門(お酢のミツカン創業者から数えて4代目)
から時代は進んで、10代目の中埜半六が1911年(M44)に建てた別荘です。

半六が、ヨーロッパへ留学中に見た住宅の美しさに惹かれて、模した住宅を建てたのです。


半六が、夏目漱石の義弟で、建築家の鈴木禎次に設計を依頼して、
ドイツの山荘を模して、ハーフティンバー様式で建てられました。
ドイツの山荘を模して、ハーフティンバー様式で建てられました。

鈴木禎次は、現在の名古屋工業大学の教授で、明治後期から昭和初期に
東海地方を中心に活躍した著名な建築家です。
東海地方を中心に活躍した著名な建築家です。


この旧中埜家邸は、ハーフティンバー様式の住宅の遺例としてすぐれていて、
また明治後期の洋風建築としてよく残っているので、
1976年(S51)に国の重要文化財の指定をされました

また明治後期の洋風建築としてよく残っているので、
1976年(S51)に国の重要文化財の指定をされました







内部は、期間限定で特別公開されているようですが、今回は残念ながら・・・
先日で放送終了となった、TVの「建築遺産」で、トリを飾ったのが、
こちらの旧中埜家邸でした。
録画しておいて良かった



バルコニーの柱の上部の飾り、バラがデザインされています


訪問時は、バラがチラホラ咲いている状態でしたが、
今は満開で、この邸宅をさらに美しく見せていると思います
今は満開で、この邸宅をさらに美しく見せていると思います


戦後は、中埜半六が設立した洋裁学校の本館として利用されていましたが、
その後、紅茶専門店として営業、2012年(H24)に半田市に譲渡されました。
その後、紅茶専門店として営業、2012年(H24)に半田市に譲渡されました。
今回は、とても充実した洋館巡りが出来ました。
まだまだ続きます
宜しければ、お付き合いください
まだまだ続きます

宜しければ、お付き合いください
