八幡橋の下の遊歩道に来ました。
新緑の遊歩道です。
八幡橋へ向かいます。
人が横断します。生活に密着した橋ですが、道路網が発達したので、今では200mくらい迂回を回避するだけの橋です。でも、近い方が良いのでしょう、結構渡っています。
ここにも説明板がありますが旧文体で読みづらく、先ほど読んだのでもういいです。
ここにもあります。こちらは読みやすいです。 「八幡橋(弾正橋)は、明治11年(1878年)に京橋区楓川に架けられ、島田弾正屋敷が近くにあったことから弾正橋と呼ばれました。現在の中央区宝町三丁目付近に位置します。弾正橋は、馬場先門から本所・深川とを結ぶ主要街路の1つで、文明開化のシンボルとして架橋されましたが、その後関東大震災の復興事業により廃橋となってしまいました。しかし、昭和4年(1929年)には、その由緒を惜しみ現在地に移設され、八幡橋と名前も改められました。現在では江東区が大切に保存しています。この東京名所図会(三ツ橋の現況)には、明治34年(1901年)頃の弾正橋(左奥)が描かれており、当時の情景が偲ばれます。弾正橋・白魚橋・真福寺橋とをあわせて三ツ橋と呼び、古くから有名で人々から親しまれていました。」
説明板の手前には馬車でしょうか? 置かれている謂われは書かれていません。単に、洒落たベンチですかね?
ここにも古い橋がありました。
黒い橋です。ここは古い橋が集められたのでしょうか?
説明板がありました。これも人の名前が付けられた橋です。古い写真が古い川辺の町を残しています。
もう使われ無くなった橋が緑に溶け込むように佇んでいます。あまり振り向かれない存在のように見えますが、ちょっと好い景色です。
現在の新田橋へ行ってみます。