荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「築地通り商店会」から「いなり通り」を行ったら、

2020年06月21日 | 散文

梅雨の晴れ間の商店街です。「築地通り商店会」です。

 

長い商店街です。この辺りはもう住宅街に変わっています。東京の商店街は廃業する店舗が多くて住宅の変わっていっています。その変化は商店街の端から起こるように思います。

 

更に行きますが、商店がありません。マンション街です。でも、東京のどこの商店街にも出ている「TOKYOU2020」のバナーはあります。

 

運送屋です。日本の端々まで定期便を走られていたのですね。今は車庫になっているようです。

 

交差点を過ぎてなお商店街が続きます。大きな商店街です。

 

ちょっと店舗があって、人が居る交差点にやって来ました。

 

「いなり通り商店会」に続きます。このように複数の商店街が途切れることなく続くのは多くの住民が住んでいた証です。昔、界隈に大きな工場でも在ったのでしょうか? 築地通りよりは少し商店街らしい「いなり通り」を行きます。

 

寿司屋が営業しています。

 

商店街を行ってみます。

 

すぐに住宅街になりました。

 

稲荷神社がありました。この商店街の名前の由来ですね。

 

突然、「シャリシャリ」と音が聞こえました。この店です。小父さんが大きなノコギリで氷を切っています。シャリシャリシャリシャリ懐かしいです。シャリシャリシャリシャリ涼しげです。まだ氷屋が在ったことが驚きです。暫く立ち止まります・・・

 

もう商店街が終わります。正面は首都高中央環状線の高架です。

梅雨の晴れ間の東京散策です。

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梅雨空の岩淵朱水門/2020年

2020年06月21日 | 散文

あの水面が隅田川の始まりです。新岩淵水門、通称「青水門」から朱水門を見ています。

 

反対側の隅田川です。水面が荒れています。風が強い昼下がりです。

 

再び朱水門を見ます。上流と下流で雲の形状が異なっています。

 

土手を走って水門脇に来ました。空の色が印象派以前の絵画のようです。

 

目を転じると、水位表示の向こうは川口市です。強風で水面が騒ぎます。

 

水門に目を戻します。見詰めていますが、水際に下りていく気になりません。

梅雨時の倦怠が心身を包んでいます。

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俳人 石田波郷宅跡を探して、

2020年06月21日 | 散文

下町の賑やか商店街「砂町銀座」の西口です。手前の道路は明治通りです。

 

その明治道路を北上すると、新開橋の袂に「石田波郷生誕百年記念碑」が立っています。

 

彼が砂町に住んだのは僅か12年でしたが、妻の生家があったこの街を「第二の故郷」と愛しました。30歳で従軍し結核に侵された波郷は、56歳で死ぬまでずっと闘病の人生でした。故郷の先達正岡子規と同様の生涯で、その作品は「療養俳句」と評されています。

 

新開橋の下は彼の俳句に幾度か登場する小名木川です。「雪敷ける町より高し小名木川」 徳川家康が造った、江戸へ物資を運ぶ運河です。隅田川まで一直線に流れています。

 

振り返ると、小名木川より低い砂町界隈です。周辺は戦前からの大工場地帯で、大量の地下水を汲み上げた結果地盤沈下しました。この先に「砂町銀座」は在ります。

 

今日は石田波郷の住んだ場所を探す散策です。やって来たのは「志演尊空神社」です。初めての訪問です。

 

梅雨時の緑に覆われて「しん」としています。

 

神社脇の路地を通り過ぎます。

 

そこに波郷の居宅跡が在りました。

 

説明板の後ろは庭です。

 

門柱には、ここは会社である旨の表示が在ります。

 

中を覗きます。ここに住んでいたのですね。清洲橋通りと貨物専用線の近くです。

 

案内板に促されて隣のお寺に行きます。ここには波郷は眠っていません。永く清瀬で療養していた彼の墓は深大寺に在ります。

 

境内を行きます。

 

山門脇の藪に石碑が在りました。

 

「はこべらや焦土の色の雀ども」波郷

 

紫陽花の季節です。

 

石田波郷記念館はこちら。

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