荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

知ってる?

2016年03月24日 | 散文
桜の開花宣言を受けて、上野公園へ開花具合を確かめに行きました。
皆さん少ない花を求めて写真を撮っています。

ソメイヨシノの花はまだまだこの程度です。

従って、開花の早い花の下に集まります。


早咲きの「コマツオトメ」の原木です。

この石碑に気付いた人は少ないと思います。

皆が写真を撮っているこのコマツオトメの隣りの樹、


騎馬像の手前の大きな樹。
写真を撮っている皆さん、これ知ってる?
これが「ソメイヨシノ」の原木です。
全国のソメイヨシノのルーツです。
知っていれば、上野の桜を見る目も変わって来るし、もっと楽しいのに・・・。

さあ!今年の花見が始まります。
もしもこの樹が無かりせば春の心は長閑けからまし。
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スカイツリーへ行く。

2016年03月23日 | 散文
水辺が気持ちいい季節になりました。
ふれあい橋の下に居ます。

さあ、仲間たちを追掛けて出発です。

旧中川から北十間川へ入って行きます。

川幅が狭くなっていて、左右に枝が張り出して、漕ぎ難い場所です。

スカイツリーを目指して漕ぎます。


ゆっくり漕いで行きます。


暖かくて気持ちが良い天気です。


もうすぐスカイツリータウンです。


多くの人が外出していました。

水温む季節ですね。


水上から撮る絵は、やっぱり地上から撮る絵と区別がつきません。


帰りに撮った、仲間を待つ絵。

ちょっと雰囲気好いです。
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大使館を訪ねて-9(アフガニスタン、フィジー諸島)

2016年03月23日 | 散文
「アフガニスタン・イスラム共和国大使館」
ここ麻布台から東麻布界隈は山坂の町です。
地図では平坦ですが、現地の道路1本の違いは、山頂と谷底の違いです。
そんな場所を自転車で行き来しています。

麻生台にある飯倉山には「日本経緯度原点」があります。


この石です。

我が国における経度と緯度を測定する基準となる「点」です。
原点数値
・経度 東経139°44′28.8860″
・緯度 北緯 35°39′29.1572″
・方位角   32°20′46.209″
の表示があります。

一段高いその丘の麓に、風を孕ませて国旗がたなびいています。


麻布の丘の上の、道路の突き当りにあるアフガニスタン・イスラム共和国大使館です。

政情不安な国だとの認識がありますが、警備員は居ません(時々警備員が撮影させて貰えない国に出くわします)。

シンプルで美しい建物です。


国旗の向こうには東京タワーがすっくと起っています。


大使館前の道路沿いに警備の厳重な「東京アメリカンクラブ」がありました。
日本に住むアメリカ人の社交クラブとのことです。

すぐ近くには、後述するロシア連邦大使館があります。
ロシアの隣りで、アメリカ人がパーティーをしているのですね。
米ロが展開する国際情勢みたいですね。

「フィジー諸島共和国大使館」
飯倉の信号前にあるこのビルに在ります。

飯倉山と麻布の谷底を何度も何度も自転車で上り下りして、疲れ切って探しました。
ビルに入っているのではないかと入ってみました。

入口にも特徴がある、個性的なビルです。
この入口はビルの2階でした。


国旗も紋章もありませんが、1階に郵便受けがありました。

ここの10階にあるようですが、外観からは全くそうと知れません。


大使館のHPによると、在バヌアツ大使館、在キリバス大使館、在ツバル 大使館、在トンガ大使館、在ナウル大使館、在パラオ大使館、在マーシャル大使館、在 ミクロネシア大使館を兼轄しています。


1階入り口から桜田通りの坂道を見る景色はちょっと面白いです。


次回はロシア連邦大使館へ行きます。


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ふれあい橋を渡る自転車

2016年03月22日 | 散文
ふれあい橋で休憩しています。

橋を通行人が渡って行きます。

通行人が渡り切った後、1台の自転車が現れました。


誰も居なくなった橋を、右から左にゆっくりゆっくり、のんびりと移動して行きます。


そして、橋には誰も居なくなりました。

映画のシーンのようでした。
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大使館を訪ねて-8(オランダ)

2016年03月22日 | 散文
「オランダ王国大使館」
芝学園下から坂を上って行くと、丘の中央に、雑木林に囲まれた建物が現れました。


私が思い描いている「ザ大使館」です。

大使館と言えば、この威厳です。

正門の左右を見ます。
オランダは「王国」なのですね。
改めて認識しました。

皇太子ご夫妻を初め、皇室同士の親交が深い国ですね。

長崎の出島での国交の印象が深い国でもあります。
紋章が恰好良いです。


通用門(?)も威厳があります。


中を覗きます。
恰好良い!

これぞ大使館!!

正門前からの風景です。
北側です。

丘の上にあるので高層マンションがすぐそこに見えます。

南側には東京タワーが、逆光の中にすっくと起っています。

大使や職員が毎日見ている景色です。

南隣りには東京都水道局芝給水所があります。

給水し易いように、高低差利用して丘の上に建てたのでしょう。

大使館前の道路沿いに南に移動すると、すぐ近くに「幸福稲荷神社」がありました。

外国大使館とお稲荷さんが共存する日本の風景は、好いものだと思います。

オランダヒルズや、


東京タワーや、


聖アンデレ教会などを見ながら坂を下って、飯倉へ移動します。

オランダ大使館のこの界隈、好いですよ。

次回に続きます。
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六本木ヒルズで見たもの

2016年03月21日 | 散文
この美術館は時々こういう事をやります。
これでは、この展覧会のメイン作品フェルメールの「水差しを持つ女」が印象に残らないじゃないか・・・。

そして、記憶から消えてしまう。
数年過ぎたら何を見に行ったのか分からなくなります。

普通チケットは、こうとか、


こうするよ。


この日記憶に残ったのはこれ。
左奥に新宿のビル群と新宿御苑の緑、右奥には赤坂御用地、左中ほどに青山霊園とその右の国立新美術館、そして手前に六本木のビルに囲まれた民家達、です。
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大使館を訪ねて-7(パラオ、カンボジア)

2016年03月21日 | 散文
久し振りの報告になります。
改めて、この企画の趣旨を確認しておきます。
「私の生活に一番縁の無い公の機関へ行こうと思いました。
しかも、東京ならではの場所へ・・・。」
こんな事から始めた本企画の散策です。

「パラオ共和国大使館」
靖国通りから見る防衛省です。

時節柄、日本の中で、多分一番緊張感が集中している一角です。

防衛省を後ろに見ながら進むと、


中央大学がある三叉路に来ました。

合羽坂下です。

三叉路脇のビルの前で表示板を見付けました。
太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国です。


ビル内の表示によると、9Fにあるようです。


ビルを見上げます。
普通、国旗が掲揚されているものですが、何もありません。

案外素っ気ない国ですね。

ビルの前の「津の守坂」を上って行くと、新宿歴史博物館があります。


坂の上には四谷税務署があります。
そんな立地です。

この日は確定申告の最終日なので大変な混雑ぶりでした。

「カンボジア王国大使館」
青山通りからカナダ大使館脇を入って行きます。

建物は大使館邸初め、職員の住居のようです。

新坂を下って行きます。


坂を下り切った所にありました。

カンボジアの国を連想させる建物です。

フランス保護領から1953年にカンボジア王国として独立しました。

1970年クーデターによりシハヌーク政権を打倒して、王制を廃しクメール共和国樹立。
親中共産勢力クメール・ルージュ(KR)との間で内戦。
1975年KRが内戦に勝利し、民主カンボジア(ポル・ポト)政権を樹立。
同政権下で大量の自国民虐殺。
その後幾多の内戦を経て、2004年にシハヌーク国王引退、シハモニ新国王即位。WTO加盟。
上記のように激しい内線の後、ASEM参加決定した国です。

庭内に特徴的な建物があります。
覗いてみます。


戦争に明け暮れた、アンコールワットの国です。

「カボチャ」の語源となって、日本の文化に影響を与えた国でもあります。

この企画、続きます。
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四谷怪談の総括-2

2016年03月20日 | 散文
昨日の続きです。

(舞台―2/新川)
さて、ここ新川にも「於岩稲荷田宮神社」があります。

四谷の御岩稲荷とは全然雰囲気が違います。

境内に入って行きます。

苔むした参道が情緒的です。

「果たせるかな、歌舞伎は大当たりしました。

お岩は三代目尾上菊五郎、伊右衛門は七代目市川団十郎の『東海道四谷怪談』は江戸中の話題をさらい、以来、お岩の役は尾上家の『お家芸』になったほどでした。
歌舞伎がますますお岩稲荷の人気を煽ります。」

左手に本殿が見えます。
「四谷左門町のお岩稲荷には当初出演した役者がもっぱら参拝していました。
そのうち、上演前に参拝しないと役者が病気になったり事故が起きるという話にまで発展しました。

なにしろ怪談です。
トリックを凝り、道具立ても複雑で多くなります。
おまけに怪談だから、どうしても照明は暗い。
また、天井からの吊るし物も多く、そんな中で芝居をするので怪我が多かった、という事でしょう。
それが怪談にからめて「祟り」に結びついたのでしょう。」

住宅地の真ん中にあるお稲荷さんです。

「時は明治以降。
『東海道四谷怪談』を手掛けては天下一品と言われた市川左団次から、『四谷まで毎度出掛けて行くのでは遠すぎる。是非とも新富座などの芝居小屋の傍に移転して欲しい』との要望もあり、明治12年の四谷左門町の火事で社殿が焼失したのを機に、隅田川の畔にあったここ田宮家の敷地内に移転しました。」

お参りします。




あら、もうすぐ例大祭じゃないですか!



(舞台―3/巣鴨)
新庚申塚へ行った時に、


「お岩通り商店会」があって、まさか?と思いました。


ところが近くの妙行寺に、本当にお岩さんのお墓があって、ビックリしたものです。


この寺にある由緒書きです。

「お岩様が、夫伊右衛門との折り合いが悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永13年2月22日であり、爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目尊上人法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。」

お岩さんのお墓です。
よく手入れされています。

「この寺も当時四谷にあったが、明治42年に現在地に移転した。
お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者が語るところである。」

お岩さんは、四谷のお稲荷さんにあったチラシに書かれていた由緒からは想像できない晩年のようです。
しかし、商店街の名前に残されているように、沢山の信者によって今日も大事にされているようです。

以上、四谷怪談を総括しました。
お付き合いありがとうございました。


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四谷怪談の総括-1

2016年03月19日 | 散文
(舞台―1/四谷)
「四谷」へ行ってみました。
四谷は坂ばかりです。

それも急坂です。

谷が四つあった事からの地名でしょう。


丘の上に、お寺が集まった一角があります。
住宅街を探すと、赤い幟が見えました。


「於岩稲荷神社」です。

「縁結び」と「芸道上達」の幟もあります。

お参りします。


入った所に案内板があります。

「お岩さまと縁結び 『東海道四谷怪談』でお馴染みのお岩さん。この怖いお岩さんがでてくる四谷怪談はじつは後世の人が創作した物語なのを知っていますか?舞台であるここ、四谷は東海道ではないことからも、後に作られた物語だと言うことがわかります。
江戸時代に実在した女性「お岩」は家庭をとても大事にした貞淑な妻だったとも伝えられています。
悪縁を切り、良縁を結ぶお岩さま。
厄除け、縁結び、芸道上達、また新たに出逢いを望まれるかたもぜひ、本堂からご参拝ください。」

お岩さま縁の井戸です。
以下、次記のお稲荷さんにあったチラシの要約です。
「お岩さんは江戸初期の御家人の娘です。

夫の田宮伊右衛門とは人も羨む仲のいい夫婦でしたが、貧乏だったので、夫婦で商家に奉公に出ていました。
お岩さんが日頃から田宮家の庭にある屋敷社を信仰していたおかげで、夫婦の蓄えも増え、田宮家はかつての家勢を回復しました。」

その井戸から本堂を望みます。
「『お岩さんの信仰のおかげで田宮家が復活した』という話が評判となって、近隣の人々はお岩さんの幸運にあやかろうと、屋敷社を「お岩稲荷」と呼んで信仰するようになりました。

評判が高くなるにつれ、田宮家でも屋敷社のかたわらに小さな祠を造り、「お岩稲荷」と名付けて家中の者も信仰するようになりました。
そればかりでなく、毎日のように参拝要望に来る市井の人々を断り切れず、とうとう参拝も許可する事になりました。」

さて、門の斜め前にも鳥居があって「於岩稲荷田村神社」の幟が出ています。
そして「通称お岩さま稲荷」の碑があります。

ひょっとしたら、こちらが上記の「田宮家屋敷社のかたわらの小さな祠」でしょうか?

「さて江戸中期、歌舞伎作者鶴屋南北はかねてから『お岩稲荷』の事を聞いていて、お岩さんが死んでから200年が経つというのに、江戸で根強い人気がある事に着目しました。

この人気のあるお岩さんの名前を使った歌舞伎を作ろうと台本製作に掛かりました。」

「『お岩』という名前を使って、どぎつい脚色をしました。
江戸で評判になった色々な事件を織り込みます。
密通の為に戸板に釘付けされた男女の死体が神田川に浮かんだ事がある。
主人殺しの罪で処刑された事件もある。
貫通の相手として嵌められた役者がいた。
あれもこれも入れて、四谷左門町の田宮家に怨霊が居た事にし、江戸の人間なら誰でも記憶にある事件を作家の空想力で練り、脚本を作りました。

しかし、四谷が舞台では露骨すぎます。
『お岩』の名前だけ借りて、四谷のお岩稲荷の事実とは無関係な創作である事を示す為に『東海道四谷怪談』としました。」

次回に続きます。
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昼食飲み会

2016年03月18日 | 散文
退職してから時々会う友人が居ます。
私と同じ退職者ですが、現役時代は別々の会社で働いていました。
それぞれ趣味を持って暮らしていますが、人恋しくなったら時々会います。
場所はここ。
JR仲御徒町の駅が見下ろせるビルの9階にある食堂です。

彼の名前で焼酎をキープしています。

お互いの近況を話しながら飲みます。

ここからはアメ横の南口が見えます。

スカイツリーも見えます。
お昼を食べて飲んだ後、カラオケに行くのが恒例です。

お互共他の人とカラオケに行く事はありません。
相手の選曲が自分の感性にピタリと嵌るからだと思います。
二人が歌うのは「御三家」から「グループサウンズ」を経て「フォークソング」が中心です。

青春歌謡曲を2時間歌った帰りに覗いたアメ横です。

いつの間にか夕暮れです。
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今年も愛馬は、

2016年03月18日 | 散文
久し振りに愛馬に逢いに行きます。
前回行った茨城の牧場です。


芦毛馬がノンビリと出迎えてくれました。


馬房を覗きます。


係員が愛馬を外に出してくれました。
大きな馬体で毛色は黒鹿毛です。
盛んに嘶きます。

写真を撮ろうにも動き廻るので気が抜けません。
「まだまだ子供です。この大きさでヤンチャするので、扱いが大変です」とのこと。
この馬は先々週6戦目の未勝利戦を、ゴール前の直線を右に左にフラフラ走って、やっと勝ち上がりました。
ここで休養して4月に入厩の予定です。

一方、前回逢いに行ったのはこの馬です。
毛色は青鹿毛です。
上記の馬より一回り小さいです。

この馬は新馬戦を勝ったある意味エリートですが、その後1勝もできていません。
3連敗した後暫く放牧して、やっと先日入厩しました。

今やクラシック戦線真っ盛りですが、今年も我が愛馬は出番がなさそうです。
この坂路で鍛えて、せめて秋には活躍して欲しい。

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霧下そば本家

2016年03月17日 | 散文
墨田区文化の「あずま百樹園」の近くに、「霧下そば」と書かれたビルがあります。

蕎麦好きとしては、10数年前からずっと気になっていました。

工場と事務所のようです。


最近こんな看板が出ています。

レシピと蕎麦の価格が書かれています。

ここが事務所の玄関ですが、何となく入り辛いです。


でも、玄関脇の看板にも背中を押されて、思い切って入ってみました。
気さくな女子従業員が対応してくれました。
以下、私と従業員の会話です。
「あのう、ここで小売りをして貰えるのでしょうか?」
「はい、やっていますよ」
「あ~良かった。10数年前から気になっていたのですが、ずっと入り辛くて、今日勇気を出してドアを開けました」
「皆さんそうみたいですね」

注文品を袋に入れて貰いながら、
「ここの蕎麦は何処で食べられますか?」
「小村井の○○と・・・」
聞き取れませんでしたが、次の言葉を聴いたらその店名を確認する必要はありません。
「大手ですと、『神田やぶそば』と浅草の『並木やぶそば』ですね」
「えっ!あの?」
「はい」

「冷凍だったら1か月持ちますよ」との事なので、3種を2個ずつ買って帰りました。

ダシも付いています。
「田舎そば」には、湯搔き方の説明書も付いています。
家で作ってみました。
ウソ、美味しい!!
こんな事あり!?あの「やぶそば」の味と一緒です。
絶句!!

「神田やぶそば」の店頭です。


「並木やぶそば」の店頭です。

もう「霧下そば」に病みつきの私です。
通販でも購入できますよ。

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サイタ質店の消滅

2016年03月16日 | 散文
前回、根津にあるサイタ質店の解体工事に遭遇しました。




工事は、この店舗部分と、


この土蔵部分を残すものとばかり思っていました。


手前のアパートも含めて・・・。


先日、帰京早々来てみるとこのとおりです。

えっ!!・・・。
言葉が出ません。

反対側から見たって、空き地です。

それはないんじゃないの・・・。

あのサイタ質店が消滅しました。


なんだかなあ・・・。
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秋葉神社に行き当たる

2016年03月15日 | 散文
自転車で根津へ行こうと走っていたら、偶然秋葉神社に行き当たりました。


方向音痴の成せる技ですが、偶然行ったきり、2度と行けない場所が幾つかあります。
此処がその1つです。

もう1度行きたいと、10数年強く思っていた場所です。

参拝します。


カンヒザクラが5分咲きです。


本殿前を通って反対側の入り口へ行きます。


「秋葉原」の地名の元となった神社です。

火の神様として尊崇されています。

境内にある家の軒先です。
手入れが良いのでしょう、寒いのに花を咲かせています。



この神社は、生家と「家紋」が同じなのです。
東京に出て来て郷里以外ここで初めて見つけ、その後何処でも見ていません。
子供も家紋に興味を持っていたので、初めて見た時から、もう1度来たいと思っていました。
やっと訪問できました。
最初の時と同じ、偶然だけど・・・。

次回も、目的地として意識しては辿り着けないと思います。
今何処に居るのか分からないですから。
それに、今回再訪できたので、再々訪を強く望んではいません。
また偶然来られたら、それはそれで嬉しい・・・。
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帰京したら行く所ー5

2016年03月15日 | 散文
やっと最終回です。

日暮里に来ました。
芋坂下にある「羽二重団子」です。

夏目漱石や正岡子規が愛した店です。

当然根岸に行きます。


「団栗の音めづらしや板庇」
明治27年 正岡子規


「庵からは杉の上野の花曇り」
明治29年 正岡子規

「山茶花に新聞遅き場末哉」
明治31年 正岡子規

子規庵から15分程走って荒川区に来ました。
都営荒川線三ノ輪駅です。


続いて墨田区に来ました。


大阪場所で相撲取りが居ない間に、宮城野部屋は外装工事中です。

この後、看板が掲げられると思います。

路地の向こうにスカイツリーが見えます。




「下町人情 キラキラ橘商店街」です。






「昭和の店」的に紹介されるパン屋です。
コッペパンが有名です。

今日も商品棚に少ししかありません。

店名は、
・・・知りません。読めません。


振り返ります。


揚げ物屋です。
そろそろ商店街が忙しくなる時間になります。


「霧下そば本家」で買い物をします。


亀戸水神駅の踏切に捕まります。

こんな事をして帰京直後の半日を過ごしました。


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