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荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「リバーフェスタ江東2016」に参加して

2016年03月14日 | 散文
3月12・13日に中川船番所資料館前でリバーフェスティバルが行われました。
我々カヌークラブは開会式に船上から参加しました。
隣りのクラブと一緒になって、艇の飾り付けを行います。




我々は水上パレードを行います。

和船や小型ヨット(ディンキー)も参加します。

花束を付けて、ちょっと照れくさく、所定の位置に向かいます。




ちょっとコンデションが悪く、曇り空で気温は10度以下です。
水辺の祭りにしては、厳しい条件です。



それでも開会式前で盛り上がるメインステージ前を通過して行きます。


寒空のもと、水陸乗用車「スカイダック」も観光船「ガレオン」もスタンバイしました。


寒い中、ディンキーも来ました。

中学校のカヌークラブも所定の位置に付きました。

開会式10分前です。
我々は小名木川に入った地点で待機します。

風で流されるので、多くの仲間が岸壁にしがみついています。

パラリンピックを目指している諏訪選手も位置に付きました。

彼が先頭でパレードに出発です。

で、式典の常ではありますが、この状態で小一時間待ちました。

寒くて参ったねえ~。
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帰京したら行く所-4

2016年03月14日 | 散文
今日も昨日の続きです。

上野の山を下りて不忍池に来ました。


あれだけあった蓮が全くありません。


人よりユリカモメが多いです。




池の岸辺に宝くじバスが停まっていました。

自転車に乗ったまま買えます。

無縁坂を上って三四郎池に来ました。


寒そうな東京大学です。


本郷台地の底、菊坂に来ました。
伊勢屋です。


樋口一葉が通った質店です。


ここは跡見実践大学が買い上げて保存しました。
週数回公開されるようになりました。
一度行こうと思いながら行けていません。

思い立った今日は休館日です。

更に菊坂の底へ降りて行きます。


銭湯「菊の湯」跡です。

マンションでなくアパートになります。
菊坂に似合う建物を造って貰いたい。

更に路地を入ります。




樋口一葉が使った井戸です。



この後、自転車は本郷を離れます。
話は次回に続きます。







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帰京したら行く所-3

2016年03月13日 | 散文
昨日の続きです。
お馴染みの、池之端の浜寿しです。


そう、あの井戸を見ます。


反対側からも見ます。

変わらない風景です。

池之端の元駄菓子屋です。

営業を止めて随分経ちました。

木造3階建ての家です。


串揚げ屋「はん亭」です。

相変らずの佇まいです。

根津のバッターボクスも変わりません。

三振したのでしょうか?
自転車がスゴスゴとベンチに帰ります。

池之端の坂の途中にある民家です。


坂上の上野公園に来ました。
東京芸大は「一般人立ち入り禁止」中です。


こちらの音楽学部も同様です。

入学試験のシーズンです。

上野公園山頂の風景です。
桜の名所ですが、寒そうです。

でも、もう花見の準備ができています。

大道芸人のパフォーマンスですが、今日は観客が少ないです。


早咲きの桜の下で記念写真です。
殆ど外国人のようです。

桜の国の桜の名所訪問記念です。

上野東照宮前の売店です。
ソメイヨシノはまだまだです。

2週間もすれば人が溢れる上野公園です。
この後本郷へ向かいます。
話はまだまだ続きます。







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帰京したら行く所-2

2016年03月12日 | 散文
蕎麦を食べたら、いつものように根津神社へ行きます。


お気に入りの場所です。


寒くても参拝者は居ます。






国宝です。


このアングルも好きです。


今日も(毎日が)日曜画家が居ます。

筆を休めて昼食のようです。
・・・寒そうです。

境内を戻っていつもの場所へ行きます。


すぐ近くの根津教会です。

神社と教会を違和感無く見られる日本って好いです。

教会と長屋が並んでいる根津って好いです。


根津の路地の突き当りです。


小さなお地蔵さんです。

この後池之端へ行きます。
この話、続きます。

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帰京したら行く所-1

2016年03月11日 | 散文
帰京しました。
寒いですが、お気に入りの場所へ行きます。
根津の蕎麦屋を目的に自宅を出ます。


ここに来るまでの立ち寄り処です。

谷中銀座を覗きます。

最近特に、外国人観光客が多いです。

寒いからか、平日だからか、人通りが少ないです。

自転車に乗ったまま通りました。

夕焼けだんだんから谷中銀座を見下ろします。


夕焼けだんだん脇の坂道です。

「質店おぢさん」のある坂道です。
随分前から気になっていました。
これって「おじさん」?
小父さんが下って行きます。

東京バイク谷中店?

数か月前にオープンしました。
三崎坂にある店のような販売はしていません。
工房のような処みたいです。

従業員の自転車のようです。

好いです。

台東谷中郵便局の斜め前にあります。


外国人に人気の旅館「澤の屋」の前を通ります。


根津の街をウロウロします。

久し振りの街です。








新しい店ができています。

こんな風にして蕎麦屋に来ました。
この話、続きます。

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遅かった梅祭

2016年03月10日 | 散文
帰京しました。
まずは、亀戸天神様の梅を確かめに行きます。

殆ど散っています。

やっぱり遅かった。
名残りの梅を観賞します。





この陽気は、梅の季節の暖かさではありません。


ボランティアガイドの説明を聴いている人達も、むしろ暑そうに見えます。

ここでは梅でなく、ウソ替えの神事の説明をしていました

梅祭が終わったので、殆ど屋台は出ていません。

ここ太鼓橋の袂に、いつもの「金のお守り」売りの小父さんが、眠そうに居るだけです。
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帰京しました。

2016年03月09日 | 散文
松山空港です。
暖かくて霞んでいる、典型的な春の気候です。

東京へ向けて出発します。

翼を煌めかせて離陸しました。


空港が霞んでいます。


離陸した飛行機は、すぐに四国山脈を超えるべく南に向かって飛びます。


ダム湖でしょうか?

どの辺りでしょうか?地理が苦手です。

太平洋に出ました。

高知と徳島の県境辺りだと思います。

飛行機は四国の東端を離れて、東京へ向かいます。


空が碧くて快適です。

今日は左側の席を取りました。
富士山を見る為です。

ところが、関東に近づくに連れて天気が悪くなります。
飛行機は雲に突っ込んで行きます。

富士山どころではありません。

地上が見えてきました。随分霞んでいます。
ゴルフ場です。

千葉県の何処かです。

住宅街です。
この人工密集度は、過疎地からの帰還者には、ちょっと感激です。

この航路の飛行機は、天候が悪いと内陸部を飛びます。
左側の席からゲートブリッジが見られるかも知れません。
期待しましょう。

何川でしょうか?それも中流域?

いつもより随分と内陸部を飛んでいるようです。

あれ!?

時々打ちっぱなしに行く、江戸川区にあるゴルフ練習場です。

観覧車です!

葛西臨海公園です!

葛西海浜公園の「西なぎさ」「東なぎさ」です。


「若洲ゴルフリンクス」です。

ゴルフ場の手前に道路が走っています。

と言う事は・・・。
来た、ゲートブリッジだ!!




あんな所に東京都のマークがありました。


羽田空港です。


着陸しました。


雨に煙る東京です。

帰京しました。
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今日の夕食

2016年03月08日 | 散文
暖かい日が続いて過ごしやすくなってきた郷里ですが、田舎暮らしが長くなっています。
東京にも家族がいます。
こちらの家族は便りがありません。
便りが無いのは忘れられる前兆です。
そろそろ帰京を考えて夕食のメニューを考えます。
冷凍室の在庫から選んだのはこれ!



先日の昼食でスパをヤキソバ扱いした挙げ句お箸で食べた反省から、ホントの中華定食風に。
この焼きそばも具がトレイに載っかっているタイプです。
従って、お皿を汚さなくて済みます。
本格炒め炒飯は前回美味しかった、さっぱり塩味で。
簡単便利で美味しい最強在庫整理ペアで行きます。
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脇屋義助公廟再訪

2016年03月08日 | 散文

久し振りに再訪しました。
前回帰省時にたまたま通り掛かり、好奇心に引かれて訪問した事で、郷土の歴史を知りました。
急いで吉川英治「私本太平記」を読みました。
前回は驚きと興奮で気持ちに余裕が無かったけど、今回はゆっくりと見学しました。
雑草を刈り取って随分こざっぱりしています。


廟堂のむこうに墓地があります。


脇屋義助に関する石碑越しに、彼の墓を見ています。


廟堂の裏に回ります。


南朝方の武将・忠臣、従三位脇屋義助の墓です。
多少古くなっていますがお花が活けられて、掃除されています。
今でも大切に供養されているようです。

彼は、兄・新田義貞等の有力武将が死んだ後、劣勢を四国から立て直すべく桜井海岸に上陸し、甥・大館氏明が守る世田山城へ向かう途中、国分寺で病死しました。

時代の勢いの前に彼が世田山で奮戦しても南朝は滅んだでしょうが、後村上天皇が最後の希望を託した武将でした。

その切り札が、到着後すぐに病死したのです。
出発前から病気だったと思います。
その忠義性と悲劇性もあって、ここに廟が造られているのでしょう。

脇屋義助の墓の向こうに、古い墓が見えます。

前回訪問時には気付きませんでした。

家来墓です。


(唐子山に在った国分城主小川土佐守祐忠の墓もあります。彼は関ケ原の戦いで西軍に付いて敗れ、その後藤堂高虎が今治城主となりました)

彼ら家来はどのようにして死んだのでしょう?
彼らは世田山城で死んだのではないと思います。
世田山合戦は重なる死体で地面が見えない程、多くの敵味方が死んだそうです。
その死体処理の際に、脇屋義助の家来を選別してここまで運ぶ事はちょっと考え難いです。

家来達は、脇屋義助を追って死んだのではないでしょうか?
それも殉死と言うより、南朝の切り札の死に己の未来を絶望し、自害したのではないでしょうか?

廟所の石段から小さな森が見えます。

彼らが死んだ、国分寺がある丘です。
世田山合戦は太平記第22巻に書かれているそうですが、まだ読んでいません。

私と入れ替わりに訪れた人が、説明板に読みいっていました。

ふるさとの午後の光景です。

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廃村の部落―2

2016年03月07日 | 散文
ふるさとは谷あい毎に集落があって、それぞれに行事を行って来ました。

従って、一定の家数を下回ると行事ができなくなって、廃村が加速します。

この谷は随分前に人が住まなくなりました。

久し振りに訪ねて来ました。

こので唯一残っている家です。


庭の前の畑には、猪がミミズを捜して掘った跡があります。

車が走っている道路から200mも離れていません。

猪の檻があります。

初めて罠を仕掛けている所を見ました。
餌はサツマイモと伊予柑のようです。
周辺には一杯足跡があるのに、罠には掛からないようですね。

裏に回ってみます。

大きな百姓屋だったのですね。

家の裏の放置自動車の向こうにも畑があります。

ここにも足跡と掘り返した跡が一杯ありました。

人は住まなくなりましたが、すぐ近くの谷あいに建てた家から通って来て、相変わらず野菜を作っています。

でも、まるで猪の餌場のようです。
人が住まなくなると、こうなってしまうのですね。


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廃村の部落―1

2016年03月07日 | 散文
正面に世田山・笠松山を望む、江戸時代からある街道です。
左手を流れる大川に沿って、道が続いています。
道の両側に松並木があって、昼間でも薄暗い街道でした。
街道の右下に旧国道が走っています。

現在は松の木が伐採されて、明るいサイクリング道路になっています。

その一角にある廃車置き場脇の橋をひょいと渡ると、「菜切谷」と言うへの道があります。

へ通じる唯一の道路です。

入って行くと大きな池があります。

子供の頃によく釣りをした池です。
ここには、他の池にはいない雷魚がいました。
我々は「台湾ドジョウ」と教えられていました。


竹を切った手作りの竿では持て余す大きさでした。

戦中・戦後に食料にしていたものと思います。
ここには、やっぱり他にはいないウシガエルもいました。
我々は「食用蛙」と教えられていたので、そういう食料補充の池だったのでしょう。

池の反対側の丘には古墳があって、潜り込んで遊んでいました。

藪に覆われてしまったのでしょうか?

この道路の奥に7~8軒の民間がありました。


何よりここには、「乾燥場」が在った所です。
近在で煙草栽培を行っていた時期があって、栽培農家が当番制で、24時間火を絶やす事なく、収穫した煙草の葉を一定の温度で乾燥させてしいました。
この場所のように思います。

子供達は父親の傍で夏休みの宿題をしたり、仲間と将棋を指したり、釣りをしたり、西瓜を食べたりして過ごしたものです。
夜には明かりにつれられて飛んで来る、クワガタやかぶと虫や珍しい薄羽かげろうなど捕まえて遊びました。
それはそれは、楽しかった思い出が一杯詰まった場所です。

道を進むと立派な家と大きな納屋が見えますが、今ここに人は住んでいません。


この家の奥にもう2軒ありますが、何処にも人は住んでいません。






すぐに集落の突き当たりになります。




振り返ります。

一定の家数が無くなると、の行事が遂行できなくなります。
限界集落となって、離れて行かざるを得ません。

それにしては、家も畑も手入れが行き届いています。


彼らは別の場所に建てた家から毎日通って来て、家と畑を守っているのです。
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駅にて

2016年03月06日 | 散文
今治での飲み会に出掛ける時は、路線バスかJRの電車を利用します。
今日は飲み会の開始時間に合わせて電車を使います。
1時間に1本の電車です。
急ぎ足で20分くらいの所にある駅に来ました。
高校生の時に通学で利用した駅です。
陸橋上からふるさとの景色を眺めます。
唐子山です。


東側には瀬田山・笠松山が見えます。


特急電車が来ました。


ノンストップで通過して行きます。


予讃線は単線なので、特急に抜かれてから前の駅を電車が発車します。
従って、あと約10分後に普通電車が来ます。
高校生がホームで待っています。

よく見ると、多くの女子高生がホームのコンクリートに座り込んでいます。

中には両脚を投げ出している子もいます。

胡座をかいている子もいます。ちょっとビックリ!!
お行儀悪いよ。
第一お尻が冷たいだろうに・・・。
東京では絶対に見られない光景です。
長閑と言うのでしょうか?
おおらかに育っていると言うのでしょうか?
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今日の昼食―5

2016年03月06日 | 散文
まだ雨は降っていませんが、外出途中に降ると困ります。
出掛ける手段は自転車しかありませんので。
それに、ここ数日花粉が多く飛び交っているようで、鼻水ダラダラ、目は痒いを通り越して痛い!
従って、自宅で昼食です。
今日はちょっと捻ってこれ!
「青の洞窟」シリーズから、マスカルポ―ネのボロネ―ゼ(袋開けた後)です。

久し振り(?)の冷凍食品です。
うにのカルボナーラでちょっと敬遠していましたが、これは美味しい!
これにト―ストパンとヨ―グルトとミルクに、昨日妹が作ってくれた「芋煮風汁物」を添えて。
単体では物足りないので、賞味期限の管理を兼ねて、このような献立になりました。
ご馳走様でした。
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霊仙山に登る。

2016年03月06日 | 散文
宮ケ崎八幡神社や円久寺に書かれてあった由緒書きによる霊仙山を整理します。

伊予を平定した河野一族がこの辺りを治めていたが、土佐の長曽我部元親による四国制覇により滅ぼされる。
その時阿波に逃れていた時の城主中川道任は、30年後に家来を引き連れて大阪城に現れる。
そこには長曽我部元親の息子盛親がいた。
関ケ原合戦後家康に滅ぼされた長曽我部氏も、長曽我部に滅ぼされた中川氏も、戦で功績を挙げて家名を復活させたい。
やんぬるかな、共に夏の陣で討ち死にしたのである。
(多少の脚色あり)

こんなところでしょうかね。

さて、霊仙山は子供の頃からほぼ毎日見ていました。
学校の西側にありますので。

でも登った事はありません。
4と9の付く日にお姫さんの幽霊が出ると言われていましたから。
もう大人ですから怖くはありません。登ります。

円久寺にある中川氏の家来の子孫達のお墓群の真ん中に道があります。


坂の突き当たりが登山口です。


登ります。


急斜面です。




平らな尾根に出ました。


あの山が目的地です。多分。


案内板があります。


急な上り坂です。


下り坂です。

この後も、上り下りを繰り返します

案内板があります。

登畑からも登山口があるようです。

急な下り坂です。


この坂の向こうを下って上った所が山頂だと思います。


一番急な上り坂です。


岩が表れました。






この周辺だけにあります。

石垣の跡でしょうか?

岩山を過ぎると、


山頂が現れました。


頂上部は4~500坪の平坦地です。

ここに城があったのですね。

雑木を伐採しています。

整地して展望所でも造るのでしょうか?



城を築くだけあって、眺望が利きます。
世田山・笠松山です。


唐子山です。


瀬戸内海を展望できます。
平市島が見えます。

ここが戦国時代の悲話の場所です。


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円久寺参拝

2016年03月05日 | 散文
昨日の続きです。
円久寺へ行く前に、八幡神宮前にある案内板の端っこにあった、蓮丸霊神をお参りします。

何の神様かよくわかりません。

さて、円久寺です。


由緒(本報告に都合のいい要旨抜粋)
「霊仙山城主中川山城守親武は、伊予の国を守っていた河野十八家の一族で松山の藤原村(今の伊予鉄市駅付近)に居住していたのであるが、河野本家の河野道直(道後湯築城主)の命により霊仙山城主として派遣されたのである。

親武が亡くなった後、弟の常陸介道任が後を継ぎ、霊仙山を守っていたのであるが、天正13年に来島通総の為に激戦回を重ね遂に落城され、逃げて讃岐に隠れており、30年後に大阪夏の陣で討ち死にした。

その墓所は当地になく所在不明である。」

「当時の戦いに参加した家来は、麻生・世良・渡辺・秋山・石丸・加藤・村上・長井家があり(この近隣の苗字ばかりです)、これらの家は後年戦火により荒れた寺の再建に尽くしたのである。」



尚、親武の娘は天正7年に亡くなられ、お姫さんとして南山腹にまつられている。」

境内の梅が満開です。


上記由緒を彷彿とさせる、矢竹が植えられています。


お堂に歩いて行きます。


中川山城守親武をまつる「山城堂」です。


上記家来の家の墓群の坂を上って行きます。


麻生家の墓です。


由緒
「城主親武の妹の墓

麻生大炊介は城主の家来(家老)である。その妻は城主中山山城守親武の妹であり、麻生家の元祖となる。」

一度墓地群に出て、違う道を上って行きます。


この奥です。


「十二社さん」です。

薬師如来の眷属である12神将をまつっています。
こんな山中に祀る訳がやがて分かります。

更に奥へ進みます。


途中、砂防ダムがあります。


道を間違えたかと思った頃に、家が見えました。
民家のように見えます。


ありました、「お姫堂」です。

平成16年に建て替えられたもののようです。

由緒
「中川山城守の息女をまつる
天正7年7月8日、敵に攻められこの地において奮戦するも力尽き自決すると伝えられる。」
中を拝観します。


学業成就・病気平癒のご利益があると言われているそうです。


お堂の前です。


展望所として市民の憩いの場となっています。


お姫様の最期の場所で憩うのが供養なのでしょうね。

靄っていて眺望が利きませんでした。

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