荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

宮ケ崎十八寺社参拝

2016年03月04日 | 散文
前から気になっていた看板があります。


自転車を停めてゆっくりと見ます。

結構雄大な案内板です。
「ゆっくり歩いて約1時間」らしい。
手頃です。行ってみます。

先ず案内板に従って、厳島神社から。
保育園児の頃から気になっていた場所です。
前回帰省時に訪問して、気になっていた事が解決されて、スッキリした場所です。

こちら側(正面)に来るのは初めてです。

さて、ここからは初めての場所ばかりです。
案内板にある「観音堂」「老人憩家」へ行きます。

厳島神社の境内から行く道があります。
向こうに八幡神社の鳥居が見えます。

「老人憩家」の正面です。

この中に観音様がいらしゃるのでしょうか?周辺にお堂は見当たりません。

案内板のとおり、案内板の前に戻りました。
これから、八幡神社へ向かいます。




ご丁寧に梵字の訳を記載していました。


八幡神社の由緒を語りながら、参拝します。
「斉明天皇が朝倉郷に行幸なされた節に、朝倉郷と高市郷とを一望に眺められる景勝の地、冠山の突角に宇佐八幡宮を勧進し賜り鎮護の神と奉斉されたのが創立でウンヌン・・・中略」

故郷は斉明天皇の名がよく出て来ます。
故郷のシカとした歴史は、それ以降のようです。

続きます。
「社殿広く社領も寄進されたが鎌倉期に入り社領の大半を失うに至った。」

「然るに天正期に到り霊仙山城主中川山城守特に敬神の心厚く、社領並びに武具を奉献し復興に至ったが、長曽我部氏の四国侵略の戦禍によって多大の損害を受けた。後略」

奥深い参道です。


やっと何かが見えて来ました。


その広場の隅にこんなものがありました。

捨てるに捨てられない。かといって・・・。

本殿のようです。


お参りします。
由緒書より
「主神は誉田別尊即ち応神天皇であり母神である神宮皇后を併せてまつられている。

即ち護国の神であり遠く異国の文化を取り入れて国威を輝かした高徳の神様である。」
突然、「異国の文化」が出て来ましたが、よくわかりません。

コンクリート造りが残念ですが、裏へ回ります。




一枚板に松鷲の透かし彫りです。


境内には須賀神社と中大兄社があります。




境内から更に参道があります。




山神社・三島神社・荒神社です。


三神合同社があります。




その奥には、それぞれにお社がありました。




本殿の境内まで引き返して、山道を下ります。
最初の案内板へ返る途中に広川神社があります。

これが神社です。

以上が、冠山にある神社です。
さて、冠山の位置関係はと言うと、

右手遠くに世田山・笠松山、左手奥に霊仙山を望む、手前の丘です。
この後、円久寺界隈にある、寺院関係を巡ります。
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元瀬ダムへ行く

2016年03月03日 | 散文
桜井漆器会館の向かい側、JRの線路を越えた辺りの地域を「元瀬(がんぜ)」と言います。

昔、この辺りが波打ち際だった名残りの地名です。
つまり(もとせ)です。
今の海岸は数km先です。土地が隆起したのでしょうか?

それはさておき、老幼なじみによると、元瀬の奥にダムがあるとの事です。
自転車で行ってみます。
ここまでは前回の帰省時に来ました。

左の空き地に数個の猪用の檻が置かれていました。
今は狩猟期なのでどこかに設置されているのでしょう。
向こうには建設中の高速道路の橋げたが見えます。
その先に瀬田山・笠松山が見えます。

進んで行きます。




更にやま道を進みます。


自転車を置いて来れば良かったと後悔しています。


更に暫く上って到着しました。
ダムの縁へ入って行きます。




小さなダム池です。


綺麗な水を湛えていますが、夏には干上がってしまうそうです。


奥の砂地にも行ってみます。


綺麗な水と砂地です。

ピクニックに最適の場所ですね。

夏には水遊びが楽しそうです。


砂地には猪の足跡が沢山ありました。


動物の水呑場のようです。


更に奥を覗いてみました。


ダムに注ぐ小川です。


綺麗な場所だと思ったら、不法投棄していました。

田舎の人は平気で、ゴミを山へ捨てます。

限界集落の高速道路もゴミにならなければ良いですが・・・。


この地域には、女の子が生まれると桐の木を植える風習がありました。
結婚する時に箪笥に加工して、嫁入り道具とする為です。
その名残りでしょう、ダムの近くの畑に大きな桐の木がありました。

荘厳感があります。

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筍を掘りに行く。

2016年03月02日 | 散文
先日のウチ飲みで老幼なじみが「弟から筍を貰った」と言います。
今年は暖冬だったので筍の成長が早いようです。
彼曰く、私の生家所有の竹林が毎年猪に荒らされて泣き寝入りしているが、今年は先に掘り出して猪を見返してやろう!
その意見に賛同しました。
前日から鍬を水に漬けておきました。

暫く使っていない鍬は、木の柄が乾燥して、細くなって抜けてしまいます。
従って、水に漬けて、木を膨張させて、抜け難くします。
それくらいの知識は身に着いています。

納屋には長靴があります。
ヒ―ルがあって、どう見ても女性ものです。
ところが、25.5cmサイズなのです。

母は23.0cmだったし、妹は23.5cmと24.0cmです。
誰のものだろう?叔母が置いて行ったものだろうか?
でも、叔母達も皆小柄です。
結局誰のものか分からないまま、私にピッタリなので、作業する時に履いています。

ここ数日抜いた草が一輪車に少し貯まっています。
ついでにこの草を捨てて、帰りには筍を積めばいい訳です。

鍬を乗せて、老幼なじみと張り切って出発しました。

畑に行く山道です。


色んな物が棄てられています。





田舎の人は何でも簡単に山へ棄ててしまいます。
どこへ行っても、人家から50m位入るともうゴミが棄てられています。

それはさておき、生家所有の畑兼竹林に到着しました。
正確には、柿や栗や無花果を植えて、畑を耕していた脇に小さな竹林が在ったものが、いつしか柿や栗や無花果が枯れ今は竹が畑の半分を占めている、もはや畑とは言えない土地です。

生家から歩いて僅か5~6分の所です。

!! 唖然としました。
一面荒らされています。
そこかしこに地面を掘って食い散らした筍の皮が散乱しています。











これ以上載せるにしのびません。

積んで来た草を棄てて、全然使わなかった鍬を持って帰ります。


今年も泣き寝入りです。

トボトボと生家へ帰る田舎道です。

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浜茶屋/志満

2016年03月01日 | 散文
衣干岩のすぐ近くに浜茶屋があります。
昔は海水浴客や観光客が多くて料理店が幾つかありましたが、今唯一残っている店です。

海水浴客が減る一方なので食事所以外の施設に手を加えていませんが、数代続いている店です。

女将は私の老幼なじみの同級生です。

その縁で時々昼食に訪れます。

女将は15歳で嫁いで来て以来、ずっと頑張っている働き者です。

彼女の明るい人柄と新鮮な食材とで流行っている店です。
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衣干岩

2016年03月01日 | 散文
郷里に「綱敷天満宮」があります。

菅原道真公をまつっている天神様です。
「綱敷」の謂われは前回報告したので、今回は別の謂われを報告します。

天神様の近く海岸に「衣干岩」があります。


(謂われ)
菅原道真公が九州太宰府に配流される途中桜井の沖でしけにあい、やっとこの志島の海にたどり着いた。


嵐に揺られながら早くこの島に漕ぎ寄せ、安全に上陸したいと願ったことから「志島」の名が起こったと伝えられている。


上陸の途中濡れた菅公の衣をこの岩にかけて干したことから「衣干岩」と呼ばれるようになったといわれ、ここあたりは魚釣りや海水浴で名高いところであった。「志島ケ原振興会」

菅原道真公は、ここを島と思っていたようですね。
もっとも、四国は大きな島だけど・・・。
京から初めて海に出たので、陸地は全て島だと思ったのでしょうか?

今でも魚釣りや海水浴で有名ですよ。

「振興会」って呼称も違和感があります。
「志島ケ原観光振興会」ですかね。

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