写真1 写真2
写真1 鹿児島市東谷山5丁目(旧永田)のタンカンサー。1721年建立
写真2 鹿児島市喜入町旧麓(もとふもと)のタンカンサー。1736年建立
写真3 写真4
写真3 島の森公園に祀られるタンカンサー。写真1と同じ
写真4 旧麓ふれあい広場隣りに祀られるタンカンサー。写真2と同じ
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藩政期の島津氏領(薩摩・大隅・日向)に、18世紀前期から石像の田の神様、俗称タンカンサーが田んぼの畦際などに建立された。
鹿児島県で3番目に古い、1721年(享保6)建立のタンカンサーが、鹿児島市東谷山5丁目、島の森公園に祀られている(写真1・写真3)。
そもそも、タンカンサーの多くは田んぼの畦際に立ち、水田作を見守り、豊作をもたらす神様。
それが、なぜか、公園の一角に立つ。
思い起こすと、当地を含む旧谷山町は、私が通学していた1961~19767年、旧鹿児島市への合併前後、田んぼがいっぱい。砂浜もいっぱい。教室を小さなカニが歩いていた。
しかし、我が国の高度経済成長とともに、谷山町の海岸は埋め立てられ、田んぼは宅地などに変貌。
その工業化、都市化、宅地化の波にタンカンサーは抗えず流されて公園に辿り着いた。
同じように、旧喜入町(現鹿児島市喜入町・旧谷山町の南隣り。)の旧麓(もとふもと)集落のタンカンサーも旧麓ふれあい広場の隣りに祀られている(写真2・写真4)。土地改良事業などの波に抗えなかったのであろう。
上記2体のタンカンサーに、元来の意義を弱めつつも、地域の歴史遺産として、農耕文化資源として管理維持される方向を見る。
引用・参考文献等:*鹿児島市ホームページ *当ブログ2011年07月29日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:写真1~写真4;2013年04月30日 撮影地:写真1・写真3;鹿児島市東谷山5丁目、写真2・写真4;鹿児島市喜入町旧麓