写真1 風にゆれなびくイグサ(い草・藺草)、開発の波にもゆれなびく
ホテル、マンション、住宅などへイグサや稲の田んぼは転用されつつある
写真2 イグサの倒伏折れを防ぐメッシュ(網目)が全面につくられている。強風はイグサの敵
写真3 倒伏折れを防ぐメッシュ(網目)の1辺は約17cm
写真4 イグサの田んぼに薄茶色の防風ネットが見える。手前は早苗田
写真5 イグサの手前に早苗田、向うにブルドーザー、イグサ、集落、里山(①~④)
ブルは田んぼの農外転用のため? 里山にはミカン畑
写真6 「自然の香り くまもと畳表」の椅子と座布団。新八代駅改札口の中、1階フロアー
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2016年06月08日
10:40、肥前飯田で各駅停車に乗る
肥前鹿島で特急に乗り換え新鳥栖へ(弊ブログ2016年06月17日)
新鳥栖発12:05・つばめ323号に乗り、新八代に13:22着く
駅近くのイグサ田んぼなどを見撮
その印象は次のよう
一つに、駅周りの田んぼは農外転用進行中
イグサ、稲などの田んぼは住宅、ホテル、マンションなどへ替わる
二つに、思ったよりイグサの田んぼは少ない
中国産や国内産のイグサとの競争ゆえ
三つに、関東地方と違い田植えは遅い
四つに、里山の姿
1961年農業基本法の農業生産の選択的拡大でミカンは里山を登った(注1)
しかし、オレンジ自由化(注2)などによりミカンの木は減った
その姿を反映しているかのような里山(写真5①~④)
14:26、新八代でつばめ328号に乗り新鳥栖へ(弊ブログ2016年06月19日)
注1 当時は高米価に入り、田んぼにミカンは不利だった。1969年度・1970年度から始まる米の生産調整政策で
田んぼにミカン、リンゴ、ナシ、モモなどの果樹永年作物の植栽が進んだ
リンゴの事例:弊ブログ2016年05月26日
注2 1991年にオレンジ生果の自由化、1992年にオレンジ果汁の自由化
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日・撮影地:上記