駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

貴公子敗れる

2013年01月26日 | スポーツ

       

 オーストラリアオープン準決勝でロジャーフェデラーがアンディーマレーに2-3で敗れた。貴公子フェデラーは手を振って静かにコートを去って行った。

 テニスは取っ組み合う格闘技ではないが、否取っ組み合わないからこそ正に心技体全能の格闘技になっていると思う。特に男子トッププレーヤーの強靱な体力と精神力に感嘆する。

 結局負けたのだが、マッチポイントから盛り返してツーセットオールにする粘り強さにはしびれた。見ている方は手に汗を握り、心臓に悪い。

 決勝はマレーとジョコビッチ。私は健気なマレーを応援するのだが、心臓に悪そうだな。冷徹で執拗なジョコビッチに、力強くなったマレーがどこまで肉薄するか。紙一重を破ってマレーに勝って欲しい。

 女子は勿論、強く美しいアザレンカを応援する。

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インフルエンザがやってきた

2013年01月25日 | 診療

     

 当地でもインフルエンザが流行し始めた。今のところA型がほとんどである。たかだか三十人ほどでの印象であるが、ワクチンを打ってあるのに罹患した人が例年より多い感じがする。インフルエンザワクチンの効果は70%前後なので、打ってあるのに罹るのは全然珍しくないのだが、最初数名打ってあるの罹った人が続いたせいか、そうした印象を受けた。

 面白いのは打ってもらった医院でない医院に掛かる人が結構居ると言うことだ。あれこの人は今年は打っていないなあという人が39Cの熱でふうふう言いながらやってくる。確かめると他の医院で打ったと言われる。当院で打った人もインフルエンザの予感がした場合、ご近所の医院に回られるのだろうか?。勿論、当院で打ったのにインフルエンザに罹ってしまい、当院を受診される患者さんも居られる。私はなんとなく申し訳ないような気がするのだが、そうした方は全く気にされていない様子でほっとする。

 インフルエンザに罹ると仕事や学校を休まなければならないので困るのだけれども、患者さんには病気そのものを恐れている風は全くない。庶民は賢くしっかりしているなあと思う。不用に騒がないことは大切な生活の知恵だ。

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何もしない科

2013年01月24日 | 医療

     

 遠い昔と言っても四十年ほど前だが、医局の先輩に「内科と言うのは何もしない科って言われるんだよ」。と昼飯を食べながら教えられたのを憶えている。

 色々検査をして、あーでもないこーでもないと議論するばかりで手を出さない内科を皮肉った言葉なのだが、「ああそうだよ、何もしない科だよ」。と開き直りながら、其処から大切な教訓を引き出して注意してくれたのだ。

 別に医療に限らないのだが、人は何かの仕事を割り振られ**担当になるとつい余計なことを始めがちなものだ。病気の診療では何もしないで見守るという選択が一番のことが結構ある。若い医師はつい担当医になったから何かしなければと、変えない方がいい薬を変えてみたりしがちなので、黙って見守る選択肢を忘れてはならないと教えて下さったと思う。

 ケアマネージャーにも同様の傾向を認める。患者さんの望まれるようにという枕詞を聞くのだが、はてな?Kさんは脳梗塞で寝たきり言語障害があり意思疎通が困難なはずなのだがと訝しい気持ちになる場面もある。何かしてあげたいという気持ちはありがたいしよくわかるのだが、そっとしておいて欲しいという場合もあると思う。 熱意溢れる会議では何もしないという意見は不熱心とか冷たいと思われがちだし、医師の意見は重く響いてしまうので何もしない方がとはどうも言い出しにくい。

 おまえなあ、先生は不熱心と思われても言わなくちゃという先輩の声が聞こえる気がする。

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さっさとではなく静かに

2013年01月23日 | 医療

     

 麻生さんが又上滑りな発言をしている。「さっさと死ぬつもりでも国費で生きさせられては寝覚めが悪い」、早速撤回だそうだが、撤回というのは言い逃れのまじない言葉でしょう。彼に読めるかどうか知らないが綸言汗の如しと申し上げたい。まさに政治家麻生太郎のための言葉だ。

 延命治療をどうするかは、誰にも起こる誰もが考えておかなければならない問題だが、とても一言では表現できないし、一律には決められない。麻生さんの言葉は一面の真理を言い当てているようだが、軽率な物言いは、良貨を駆逐して真っ当な対策を挫いてしまう。

  ICUと訪問看護ステーションで一カ月ばかり助手をしてみられるといい。一面の真実は一面の真実に過ぎず、大切な細部をなぎ倒す発言の迂闊に気付かれるだろう。

 いつものことだが、勿論マスコミの取り上げ方にも問題があると思う。

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総合病院の隙間

2013年01月22日 | 診療

      

 総合病院は検査の為にあるわけじゃあなかろうがと絡みたくなることが時にある。勿論、高価な検査設備を備えることは総合病院の機能の一つではあるのだが、検査に異常がないと診察はこれでお終いととりつく島のない対応はいかがなものか。検査に異常がなくても、患者さんの訴えは改善していないのだから、よくわからないという方が正確だし、私の専門範囲の病気はないというのなら、ではどこどこへ行きなさいと導くのが親切というものかもしれない。

 患者さんは総合病院には弱いのだ。町医者ならもうこんな所へ来るもんかと、別の所へ行けても入院と精密検査のできる総合病院はたかだか二つ三つしかない。選択肢は少ないし、急病や重病では頼らなければならないので不平を言って関係が悪くなるのを恐れてしまう。

 まあ、ちょっと総合病院に意地悪く書いたのだが、重大深刻な病気のない患者には話を聞いて欲しい人が多いのだ。総合病院の帰りに私の所に寄ってくどくど言われても私が紹介したわけではないし、検査の結果の詳細はわからないし、やむなくそれはこういうことではないしょうかとか、心配ないと思いますよとかお茶を濁すことになる。時にはこの科に行きなさいと該当する別の診療科を紹介することもある。

 総合病院の立場で言えば、病気に比べて訴えが過大な患者さんに事細かく説明している時間はないということだろう。事情はよくわかる。細かい訴えにきちんと対応していたら、A部長のように朝の診察が午後三時とか四時に終わる事になる。それはそれで表立っては不平が出ないけれども、スタッフには負担なのだ。勿論、A先生も大変だと思う(いつ見ても元気そうだが)。

 今はこうしたことを防ぐために紹介状を要求する病院があるし、紹介状がないと診察料が高くなる仕組みも出来てきた。それでも、こうした症例を月に一人二人経験する。尤も、それが町医者であるあんたの仕事と言われればそうかもしれない。

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