作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

山の恵み

2009年12月16日 | 農事

 

山の恵み

山で畑仕事をするようになって、冬野菜などであればニンジンやダイコン、壬生菜、水菜などいくつかの野菜に不自由しなくなっているのがいいところでしょうか。ただ、本命の果樹はやはり収穫に時間がかかるようで、今年になってはじめてイチジクの実をいくつか味わえたぐらいでした。

ニンジンやダイコンは食べきれないほどの収穫があり、また、どうしても自分で作ったという先入観か、柔らかくおいしく感じます。ダイコンおろしにしても甘辛くておいしいです。どなたかご希望があればお裾分けしたいほどです。農薬は使ってはいません。今日は、山の畑の収穫を、野菜の記念写真のように、仲良く並べて撮ってみました。

二度目の挑戦でせっかく根付いたかに思えた柿の木は、サルの悪戯か、根本からぽっきりと折られてしまった。木が生きながらえているかどうかは、来年に再び木の芽が芽吹くかどうか、見てみるまでははっきりしないようです。

秋に蒔いたあの小さな種から、写真のように大きな「ダイコン」や「ニンジン」の姿が現れてくるのは、まさに奇跡としか言いようがありません。私にとっては「種子」は現実的な「概念」でもあり、野菜の生長は、概念の具体化であり、理念の実現をこの眼で見ることでもあります。

私自身はかねてから、国民皆農論者であり、また国民皆兵論者ですけれども、誤解のないようにいえば、皆兵といっても原則として国民が兵役に従事するかどうか、また、皆農として農業や酪農に従事するかどうかは、もちろん国民各人の自由であると思います。農業や酪農はやりたい人、好きな人がやればいいのであって、もちろん、やりたくない人はやらなくて良いのは言うまでもありません。他人の趣味などに口を挟むのはよけいなお節介でしかないと思います。

ただ兵役の義務については、農業の場合と少し場合が異なるかもしれません。が、しかし、基本的には兵役の義務についても、国家のために自発的に兵役に従事したい人、むしろ、国家の自存自衛のための兵役に従事することを権利として自覚する人、そこに名誉と光栄を感じる人、進んでそれを義務と感じられる人が率先して兵役に就けばよいと思います。そこに強制が一切ないに越したことはないと思います。

ただ問題は、自らの国家によって、国民自身がどれだけ恩恵と自由を自覚することが出来ているかでしょう。理想的であるのは、国民一人一人にとって、みずから献身しうるだけの価値と恩恵をその国家の存在に見出すことのできるものでありえているかどうかだと思います。それが先決の問題でしょう。そうした国家であれば、強制がなくとも、国防のための兵役に進んで自発的に従事する国民も少なくはないはずです。それだけ国家の防衛も強固なものになるでしょう。

最近のテレビ報道をみるにつけても、隣国の中国が経済的、政治的、軍事的に国際的にもその存在感を高めているのは著しいことです。それに対比して、わが日本の凋落ぶりは悲しいかぎりです。戦後のGHQの手で実行された、日本の「民主化」政策、日本人とその文化の改造政策が功を奏し始めたのか、日本人の国民的な資質は劣化し続けているようにも感じます。だから、せっかく民主党などが国家の司令塔として「国家戦略局」などを鳴り物入りではじめても、その中に入れる器が、菅直人氏ぐらいの頭脳でしかありえないでいるのも残念な話です。

とは言え、泣き言を言っても始まりませんから、明治維新の原点に還り(敗戦時のマッカーサー統治の原点ではなく)、国民教育の再建、そして真のエリートの育成からやり直してゆくしかないようです。それこそ、国家百年の大計が今こそ求められていると思います。

そして同時に、あらゆる機会を利用して、アメリカやインド、オーストラリア、EU諸国などとのあらゆる協力を通じて、隣国中国の民主的変革を、1989年11月にチェコスロバキアで起きたビロード革命のような平和裏の変革を、追求して行く必要があると思います。

この夏の自民党から民主党への政権交代の結果として、ふたたび沖縄の普天間基地の移転が問題になっています。もちろん、究極的な目標としては、日本からアメリカ軍の全面撤退のことをつねに忘れてはならないとしても、その理想の実現を焦るのは拙速になりかねません。熟した柿の落ちるように、忍耐強く条件の成熟、歴史の成熟を待つべきであると思います。それは、金正日北朝鮮国家体制の崩壊であり、中国の民主化です。それまでは、たとえ屈辱的であるとしても、アメリカ軍の沖縄などの国内駐留はやむを得ないものとすべきでしょう。

この共産主義国家中国に、最近になって小沢一郎民主党が総勢600人という大人数を率いて中国を訪問し、胡錦濤主席に謁見を許されるという構図は、民主党政権になって日本がアメリカとの間で、沖縄の普天間基地の移転が問題になっている時期だけに、日本のアメリカ離れをアメリカに見せつけるものになっています。小沢一郎氏の中国への傾斜は、明らかに、氏の恩師故田中角栄氏の跡を踏むものでしょう。小沢一郎氏は、かって駐日米大使のシーファー氏から、テロ対策特別措置法の延期について話し合いたいという要請を受けた時も、「アメリカの自由にならない」と、一旦は会見を断ったこともあった。ロッキード事件での故田中角栄氏の失脚との因縁があるのかもしれません。

この小沢一郎氏の今度の訪中が、中国の習近平国家副主席の天皇との特例会見問題の底流にあったことは疑えません。今ここで小沢一郎氏の政治思想や民主主義観についてくわしく論評はできないけれども、民主党の小沢一郎幹事長が韓国訪問中に、李明博大統領が天皇陛下の韓国ご訪問について要請したことに対し、「韓国の皆さんが受け入れ、歓迎してくださるなら結構なことだ」と言ったそうです。小沢氏としては、おそらく軽い気持ちで語ったのだろうけれども、小沢氏をはじめとする民主党の「政治主導」が天皇陛下の意向をも自由に「政治主導」できるものと考えているのなら問題は大きいかもしれません。

しかし、いずれにせよ小沢氏の新人議員(いわゆる小沢チルドレン)を引き連れての、この時期での600人の中国大訪問団の意義や目的に首を傾げざるを得ません。そこに小沢一郎氏の権力誇示の欲求といった小沢一郎氏自身によりも、親分にノコノコついて行くような構図の、民主党議員たちにこそ問題を感じます。現在の民主党議員たちにとって、小沢一郎氏は、それほど卓越した存在であるのでしょうか。そこに、かっての自由民主党の金権政治の象徴であった故田中角栄氏を、故金丸信氏や故竹下登氏らが取り巻いていた古い派閥政治の再来を見ることができるようです。

そのもっとも象徴的な事件が、自治体などの陳情を党で一元管理する新ルールを作って、幹事長室が“仕分け”を行うようになったことです。来年度の税制改正や予算編成にかかわる地方自治体や業界団体などからの陳情の絞り込み作業を、民主党の幹事長室を通させることによって、事実上小沢一郎氏の采配の元におくことになったといえます。このことが、かっての故田中角栄氏流の金権政治の再現につながらないかどうか、国民は注視してゆく必要があるでしょう。いずれにしても問題は小沢一郎自身にあるというよりも、岡田克也氏、前原誠司氏らなど、まだ子供の―――チルドレンの多い、民主党自身の体質にあるようです。

かっての自民党時代のように、官僚が清貧で有能で、政治家が自分の仕事を官僚に丸投げできる間は、政治家はどんなに無能でも、さして問題が露呈することもありませんでした。が、しかし、ここ20年の間に見られるように、日銀総裁や旧大蔵省、財務省などの公務員、官僚たちはかならずしも有能でも清貧でもなくなったようです。むしろ、かっての旧社会主義諸国や共産主義中国の官僚テクノクラートのように、特権階層化し利権集団化して、国民、国家全般の利害と矛盾し相反しあうような状況では、政治家が国民全体の利益を代弁しているかぎりにおいて、行政の政治主導ということは自明のこととして実行されてしかるべきであることは言うまでもありません。

かってのように、政治家よりも官僚たちの方が清貧で有能で、国家国民の利益をより代弁できていた時代もありました。だから、かならずしも政治家が行政すべてを取り仕切ることそのものが良いとは言えないと思います。肝心なことは、政治家と官僚のいずれが国家国民のために働くことが出来るか、その意思と能力があるかということでしょう。小沢民主党の「政治主導」は、民主党の政治家たちにその能力と資格があるかどうか、という本質的な内容が問われるべきであって、単なる形式的な問題にしてはならないと思います。

 

 

 

 


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